« 欲求を自己防衛しながら満たそうとする | Main | 神宮の駅伝 »

2011.12.15

曖昧なコミュニケーションをなくしていく

「職場に○○って問題があって、皆が困っている」


という話があったとします。


報告を受ける側が「皆」って言葉をどのようにとらえるかで、この話は全く見え方が変わってきます。

「『皆』の総意を代表して意見をしてきているんだ」ととらえれば(他の事実を集めた上で)具体的な問題解決へ進む必要があるかもしれません。


一方で、「『皆』って言っているけど、『自分が困っている』ってことを遠回しに言ってるんでしょ」ととらえれば、具体的な問題解決は念頭に置きつつ、この手の曖昧なコミュニケーションに対して本人に直面化をさせないといけないかもしれません。


昨日のブログにも書きましたが、僕らは「欲求を自己防衛しながら満たそうとする」癖(?)があります。


で、困るのはこの癖が多くの場合に無意識に出てしまうこと。「個人の欲求」が「皆の欲求」みたいにいつのまにか形が変わっていくことも、今の社会ではそうそうめづらしいことではないのかもしれません。


「欲求を自己防衛した上でそれぞれがコミュニケーションを図る」わけですから、どこかに不全感がでてきたりします。不信や疑念が生まれる土壌になったりします。


この手の問題に関しては、報告を受ける側が「曖昧なコミュニケーションに対して疑問を投げ続けること」なのでしょう。


「『皆』っていうけど、具体的に誰と誰と誰?」って具合にですね。


むろん、報告を受ける側の立場の人も「自分の曖昧なコミュニケーション」をできるだけしないようにと意識を向けることも大事なのはいうまでもありません。

December 15, 2011 |

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 曖昧なコミュニケーションをなくしていく:

Comments

Post a comment