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2012.01.31

知識を「経営の補助線」としてとらえること

2012

経営コンサルタント•神田昌典さんの最新作を読みました。


2000年の夏だったと思いますが、神田さんの『あなたの会社が90日で儲かる!』を読んだ衝撃は今でも鮮明です。


「おっ、これなら自分にもできるじゃん!」ってダイレクトマーケティングの内容が満載で、すぐさま神田さんが主宰する勉強会「顧客獲得実践会」に入会し、マーケティングや経営を勉強させていただきました。


会社の創業が2001年なのですが、その頃には「何かしらの武器」を手にしていた感覚だったように記憶しています。


マーケティングは「赤ペン1本あれば稼げる技術」(=ダイレクトメールがつくれて、売上が上げられるの意)のようなことを神田さんがよく口にしていましたが、自分もかくありたいと思いました。


創業後も教材を買ったり、講座に参加したりとしていましたが、創業3〜4年目くらいからなんとはなく距離を置くようになってしまいました。


神田さんの講座に参加したり著書を読むと、自分の場合、頭がすっきりとします。いろんな情報や知識が整理されて、「明日からすぐに使えるぞ」って感じになります。


で、実際に「すぐに役立つもの」もあります。(一方で、「ゴミ箱のおもちゃをDMで送る」みたいなトンでも?なものもあったように記憶しています)


けど、経営とは「すぐに役立つもの」の対極に位置するもの。「すぐに役立つもの」「分かりやすいもの」とは別の次元にあるものじゃないのかな、と思うのです。


「何かがすっきり整理されている」ってよりも「もやもやした混沌状態」(で、そこから生まれる「気づき」や「創発」)を経営のメインストリームにしたいな、と自分は思うのです。


今回の著書、「時代循環から読む未来予測」だとか「頑張れば頑張るほど組織が硬直化する理由」などについて大変興味深く読みました。


どれもが、「すぐに役立つ感」「分かりやすいもの感」のあるものばかり。


だからこそ、知識の取り扱いには注意し、「経営の補助線」としてどのように活用したらいいかを考える必要があるのでしょう。

January 31, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.30

ミュージカル「11ぴきのネコ」

2012


「ALWAYS」に続いて、これまた「獲得と喪失の物語」と観ました。


「喪失の時代」を過ごしている時に、「獲得の時代」だった過去を眺めるとなんとなく光輝いてみえたりします。


けど、そんな「喪失の時代」だって、時の経過とともに「獲得の時代」に見えたりするんじゃないかしら?


「獲得」だとか「喪失」ってのはあくまでも主観的な感覚の問題であって、実はワンセットなのでしょう。

January 30, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.27

最近、気がついたこと

親のコミュニケーションのスタイルと、自分のそれとは似ているということ。


会話をしていて、時に「いらっ」とくるのは、きっと自分の中にその要素があるから。

今の自分にとって「いい部分」と、「あまり良くはない部分」と。全てひっくるめて親との関係性からたくさんの影響をもらっている。


大切なのは、「あまり良くはない部分」をどうにかしようともがくよりも、「いい部分」と「あまり良くはない部分」とを意識化できるようになること。


そして、「あまり良くはない部分」がムクムクと意識をもたげてきた時に「ON、OFFのスイッチ」を自在に切り替えられるようになること。


更には、「あまり良くはない部分」も「今の自分には」ってだけの話であって、過去には「いい部分」だったこともあるのだと認めること。


で、それらをすべてひっくるめて感謝すること。


けど、「似た者に感謝するってのは難しいよな」ということ(笑)

January 27, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.26

「本当にそうなの?」が口にしにくい背景にあるもの

2012

『反•幸福論』(佐伯啓思•新潮新書)


「ルサンチマン」(強者に対しての憤りや怨恨、憎悪などの感情)って感情があります。


根底には「嫉妬や羨望」、「無力感からの脱出欲求」がありますが、これに取り憑かれるとその欲をさまざまな形で防御しながら、ぶつけていきます。


仮想の敵をつくりあげ、その敵を「悪」と定義することで、その対比としての自分は「自絶対に正しい」って自己の正統性を主張すること。


こんなのが典型的な防御の形でしょうかね。


で、困るのは「絶対に正しい」がイデオロギー化することと、「仮想の敵」の「悪」がどんどんと拡大解釈されていくこと。


「政治家は私利私欲だけを追求している」だとか「官僚は国民の幸福をまったく考えていない」だとか「企業は完全にわれわれをないがしろにしている」だとかですね。


「自分は弱者」って前提に、「正義」と「イデオロギー」がほどこされているので「本当にそうかよ? 極論すぎない?」って口をはさむこともできにくい。


この本の「第9章 民主党、この『逆立ちした権力欲』」はこの辺の著者の考え方がうまくまとめられていて素晴らしかったです。


著者はいいます。


ルサンチマンを持つことが問題なのではなく、それに居直って自己正当化することが問題なのです(P247)


「居直って」ってのはいい表現ですね。


「自己正当化」に向けるエネルギーを、仕事や勉強にでも向けたらすごい成果になると思うんだけど、そこには「居直り」することで感じる心地よさみたいなものもあるんでしょう。

January 26, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.25

肥大化した自己愛を考える

2012
『自己愛人間 現代ナルシズム論』(小此木啓吾•ちくま学芸文庫)

「(私たちは)自分•他人の心の中に、何とかして自分の気に入るような鏡像をつくり上げ、それを見て安心したり、満足したりしたい気持ちが強く働いています。」(P14)


著者のいう「自己愛人間」とは、このような自己愛がひときわ肥大した人間のこと。


「自己愛人間にとって心の決め手は、相手がどう感じ考えているかではなく、自分の自己像が自分の思い通りにあるかどうかである」ため、「主観的で幻想的になりやすい」(P14)


他人の話を聞いていて「へええ〜そりゃ凄いね。で、だから何??」って思うとき、聞き手はそこに「相手の肥大化した自己愛」を感じているのかもしれません。


食欲や性欲ならばある程度は限界もあるでしょうが、自己愛はリミッターがないのと、「あなたはスゴい!」と認めてくれる相手が必要だからやっかい。


自己愛を満たすことを渇望するような人は、「もっと、もっと」と求めてくるのでこちらがある程度の制限を設けないとしんどくなります。


「人間の自己愛への理解」


これなしに組織の運営がしにくい時代になっています。


で、「自己愛を理解すること」ってのは「自分自身にも相手と同様に満たしたい自己愛が存在している」ということの理解につながります。(「自分が死ぬなんて考えられない」って感覚は、著者によると「基本的な自己愛心理」だそうです)


ここから「相互に他者を肯定する」ということの必要性が生まれます。


それは、「他人の自己愛を満たすことで自分の自己愛をも満たしてもらう」という「お互いさま」の世界観です。


自らの自己愛を満たすことに汲々とした人、それを人は「成熟していない人」と見ます。


若いうちであればまだ「若気の至り」でいいでしょうけど、中年期に入って自己愛を満たすことに一生懸命な姿は物悲しくもあります。


「肥大化した自己愛」ではなく、「バランスのとれた自尊心」を持ちたいものです。

January 25, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.24

「やる気がない」のか、「能力がない」のか

「やる気がない」からやらないのか。それとも、「能力がない」からできないのか。


組織においてリーダー層が直面するよくある自問自答です。

仮に、「能力がない」のであれば知識を身につければいい、やり方を学べばいい、周囲に教えを乞えばいい。


けど、「何回か口にしても変わらん」となると、「学ぶ意識の欠如」(=「やる気がない」)と周囲から見なされてしまうわけです。


「やる気」って言葉を自分なりに定義すると「主体的に、当事者意識をもって、ことにあたる姿勢」のこと。


逆にいうと、行動に「主体性」と「当事者意識」という要素がなければ周囲に「やる気」は感じられません。


「本人に口をすっぱくして何回も言ってるけど、本人も『できない』ということにジレンマを感じている、一生懸命に格闘している」


周囲がそう感じられる場合、「やる気がない」とは見なされません。


当然ですね、そこには「主体性」と「当事者意識」とが存在するわけですし。


「主体性」と「当事者意識」なき人との仕事は自分には非常にストレス。経験値は低くても「主体性」と「当事者意識」のある人と仕事をしたいなと思います。


社会人に出たての頃、「『やる気』は周囲へのマナーだ」と教えられました。


「やる気を出すのが格好悪い、なんて思ってるやつが一番格好悪いんだ」といっていたその上司の言葉は、今の自分の言葉でもありますね。

January 24, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.23

「獲得の物語」と「喪失の物語」と

2012

「獲得の物語」だと思って観に行ったら、「喪失の物語」だった。


「ALWAYS 3丁目の夕日64」を観ての感想。


「幸せって何でしょうね?」ってこの映画の第一作からのテーマ。


戦後の日本は「獲得の物語」をつむぐことで「幸せ」を追求しようとした。「上へ、上へ」って上昇意識や、「もっと、もっと」っていう拡大意識を多くの人が指向した。


けど、「獲得の物語」はいつしか「喪失の物語」を生み出す。


「悲しみ」だとか「不条理」だとか「やるせなさ」だとかいった「痛み」を伴う「喪失の物語」は「獲得の物語」にすでに内在されている。


今回の「ALWAYS」は「獲得の物語」と「喪失の物語」とが混在(?)してて、「映画を観てすっきりしたなあ」って感じにはならなかったな。


「すっきりする」のだけが映画じゃないってのは分かるんですが、このシリーズはその手の映画だと勝手に思っていたので。

January 23, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.22

映画「ステキな金縛り」を観ました

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どういう頭の構造をしたらこんな映画をつくれるんだろ、って映画でした。


「女性弁護士の成長物語」であり、「法廷の攻防物語」であり、「一検察官の心の開放物語」であり、「幽霊の物語」であり、「家族の物語」であり、「先祖の物語」でもある。


「ああ、この後こいう流れになるんだろうな•••」って思いを抱くこと自体がナンセンスになってくるような圧倒的なストーリー構成、一流の役者のさりげなくも人間の機微を表現した演技の数々、


•••館内は笑いと号泣とで完全に三谷幸喜監督の世界観に翻弄され続けました。


佐藤浩市、篠原涼子、深田恭子といったピンでも主役級の俳優さんが演じる役柄も絶妙でした。


細かな背景は分かりませんが「三谷監督が面白いことするから協力しよう」なんて感じで多くの才能が集まるのでしょうかね。でないと、あんなキャスティングは絶対に無理でしょうし。


残念だったのは、そのあとすぐスポーツクラブにいって映画で感じた「笑い」や「涙」がかなり霧散してしまったこと。感動のあとは、余韻を楽しんだほうがかしこいですね。


スポーツクラブも使いよう、ってことかと(笑)


January 22, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.20

じっくりと長い間やってきた人は違いますね

201201


年末に紅白を観ていた。


西田敏行の歌のうまさに驚いた。


こないだ、映画「ロボジー」を見に行った。


ミッキーカーチス(この映画では、本名の五十嵐信次郎)の存在感が素晴らしかった。


じっくりと長い間やってきた人は違いますね。


January 20, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.19

合宿セミナーから戻りました

毎年、この時期は合宿でセミナーにいきます。


もう7年目くらいですかね。


会社勤めをしている頃から創業の頃まで、研修会やセミナーにはよく行っていました。

「1泊2日で経営計画を書く」だとか「アメリカのダイレクトマーケティングを学ぶ」だとか「本を早く読む」だとか「アイデアを創るノウハウ」だとか••覚えていないくらい行きました。


けど、「実力のある講師がいうほど多くない」ってのと「知識レベルで提供されたコンテンツでは、経営にはほとんど役にたたない」ってので最近は参加する機会も少なくなりました。


今回参加したセミナーの先生は、もう8年くらいのおつきあいになります。


おつきあいの中で、経営ってものの見方を根底から考えさせられました。


知識として学んだことだけでは、まったく役にたたないこと。しかしながら、知識を体に落とし込めれば、それは自分の力になること。しかしながら、それには、時には数年という時間が必要ということもあること。


人間は「きづき」が大事だということ。けど、「きづき」が大事だといいながら、自らが「きづかないための努力」を無意識でしていること。全力をあげて自己防衛のスイッチをオンにしているということ。


言語化すればするほど、実態とは乖離していくような感じがするんですけど、そんなことを実感できるようになりました。


自分1人の力では「入り口」はおろか「入り口に行くまできっかけ」さえつかめないようなことって世の中には沢山あると思います。(「入り口に行くきっかけ」さえ無意識に自己防衛することもあるでしょうし)


自分はこの先生とたまたま縁ができて、経営におけるさまざまな「入り口」や「入り口からちょっとはいった所」まで行けたのは僥倖でした。


「セミナー参加すると、参加した内容をすぐ口にする」なんて陰口を言われた経験を持つ経営者は多いと聞きますが(自分もその1人のようです 笑)、これを聞いて「単なる知識で経営をしているタイプの経営者だと思われてるんだ」と自分は残念に思いましたね。


この先生は自分など比較にならないくらい本も読んでますし、映画や芝居にいっているようですが、いっさい頭でっかちではないです。


こういう方と接していると「『知識には限界がある』(むしろ、知識でできることは少ない)ことを知っている、というのが知性」と思わずにはいられません。


セミナーにいって知識で頭でっかちにして帰ってくる、なんて段階はさすがに今の自分は通りすぎたでしょう。「そこまで見くびるんじゃねえ」といっときます(笑)

January 19, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.17

今年は飲みにいきましょう!

「今年こそは飲みにいきましょう」


学生時代や旅をしていた頃の友人が年賀状にそんな一言を書いていたりします。で、自分も何の気はなしにそんな一言を書いたりします。

けど、毎年一度そんなやりとりをしながらもう15年くらい会っていない友人もいるわけで•••


「年を重ねるとはそういうこと」といってしまえばそれまでですが、今年は一つでも多くの「今年こそは」にカタをつけて(?)いこうか、と。


いざそう考えると「いつでも会える」ってのは実は幻想で、それなりにエネルギーが必要だということに気がついたりします。


その昔、よく一緒にバカをしていて、自分の人格形成によくも悪くも大きな影響を与えた(?)友人らと引越や結婚を機になんとなく音信不通になっているのも気がかりですしね。


「不惑」ってのは、そんなことを考えたくなる時期なのかもしれないですね。

January 17, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.16

週末のジム

20120115

通っているジムで、好きなレッスンがかぶると困ります。


ここ数年はジム通いも落ち着いていたのでそんなことはなかったのですが、いまは土曜日の夕方がそんな状態。

無理やり電車を乗り継げば「遠征」(店舗間を移動しレッスンを受けること)できなくもないのですが、さすがに疲れます。


こないだの土曜日はさんざん悩んで普段いかない方に行きました。


いややや、楽しかった。ニュージーランドに行ったときくらいテンションがあがりましたわ。


「素晴らしいレッスンはエネルギーを充電させる、より素晴らしいレッスンはエネルギーを開放させる」


まさに開放しまくりでした(笑)8時にはご飯をたべて寝てましたし。


今週もきばっていきましょう。


January 16, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.01.13

「日本と自分とを関連づけること」について

「日本は経済的に厳しくなっていく」


なんて意見はいまや小学生だって言えるでしょう。ネットで検索すれば識者のコメントが沢山でてきますし、メディアでもこの手の報道が沢山ですし。

けど、勘違いしてはならないのが「日本」と「個人」、「日本」と「会社」は別物だということ。この間のブログのテーマの逆バージョンですね。


年金だとか、外交だとか、高齢化だとか、産業の空洞化だとか、円高だとか•••


確かにさまざまな問題が今の日本には山積みになっているようです。


でも、日本にはこの手の問題が山積みだから「日本で生活している『個人』や『会社』も大変だ!」ってこととイコールではないと思います。ここは条件反射的に反応せず、冷静に見極めたいところです。


『論語』に「その位に在らざれば、その政を謀らず」との一文があります。


日本の問題に頭を悩ませるのは政治家や官僚など「その位」にある方々です。


僕らは、「自分の職責をたんたんと果たし」ながら「『日本悲観論』のようなものに過剰に反応しない」ということが大事なのだと思います。


マクロレベルのさまざまな悲観、さまざまな問題にいちいち自分を関連づけていたら気持ちも下向きになってしまいますでしょうしね。

January 13, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.12

プリンセスプリンセスが再結成

プリンセスプリンセスが再結成


先週に発表されたニュースにすぐさま11月の日本武道館ライブを予約しました。チケットの抽選結果の発表は19日。

あれは確か浪人中の1988年のこと。


スキー用具のコマーシャル(確か、ヴィクトリア?)で「MY WILL」が流れたときの衝撃はすさまじかった。普段は音楽なんか縁のなかった自分が、「プリプリとは何だ?」って感じでレコード屋にいったものなあ。


浪人して英単語ばかり覚えていた時も、格闘技の試合に出るための減量でしんどかった時も、北陸で毎日毎日飛び込み営業してた時も、長旅にでてどこかの国で何日も誰ともしゃべらなかった時も•••


なんとはなしにプリンセスプリンセスは近い存在でした。


細かい理屈は抜きにテンションをあげてくれたり、近視眼になりがちな自分の視点を大きい方へ持っていってくれたり、言葉にできない感情や思いを言葉にしてくれたり•••


今思うと、「自分なりの世界観がある女性がタイプ」なんて自分が口にするようになったのもヴォーカルの奥井香さんがきっかけだったかもな、とも。


「プリプリだけはそうそう簡単に再結成しない」なんて思いもゼロではないけど、久々にめちゃ楽しみなコンサート。


「再結成」って他ではあまりうまくいってるイメージはないけど、プリプリには同じ世代を生きた多くの人が狂喜乱舞(?)するんじゃないでしょうかね。

January 12, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.11

ある旅人の勘違い

旅先で「どこから来たの?」と聞かれる。「日本からだ」と答えると何となく誇らしい気分になる。


僕が旅をしていた1996〜97年にはそんな空気感が(少なくとも自分には)ありました。


日本のパスポートは世界一強い(=いろんな国に自由に行ける)と聞いていたし、自動車や家電での日本製品のブランド力はすごさをヒシヒシと感じる。


インドでパキスタン入国のビザをとった時も大混雑でどうしようもなかったんですが、日本人パスポートだとなぜか優遇してくれたし、親御さんの本心は分からないけど「うちの娘と結婚してくれ」なんて話もあったりする。


自己確立されすぎてちょっと付き合いづらい(あくまでも私は、です)イスラエル人が「日本人だけは違うよな」って話してるのも聞いたし、チベット人が「チベットと日本は精神的につながってるんです」などというのも聞いた。


「いつか日本に行きたい」なんて人にはいくらでも会ったし•••。


「うーん、日本は凄い国だ」-これは僕が長い旅をしての感想。


けど、冷静に考えれば分かるんですが「日本が凄い」ってことと「旅をしている自分が凄い」ってのは別問題。


当時の自分は、時給950円で電気工事をするフリーター。ジャパンマネーを武器に(?)海外では「凄いでしょ」って顔できるけど、日本に帰ればその日からバイトをしないと生活が枯渇してしまうなんて現実もあったりした訳です。


所属している国や組織の力を自分の力と勘違いしてしまう


「ジャパンアズナンバーワン」「政治は3流だが経済は1流」なんて時代の日本には残念ながらこの手の勘違いをした人も多く生まれたのではないか、と。


あくまでも凄いのは日本や組織だったのに、ですね。


今年もどうやらマクロレベルでの経済的な厳しさは続くようです。


そんな中、「国や組織の力を自分の力と過信していた」なんて会社や個人の「勘違い」が、今まで以上に露呈するような一年になるんではないでしょうかね。


「会社や個人の真の実力が客観的にみてどうなのか?」が今まで以上に正統な評価、客観的な落としどころに近づいていく時代感。これは、面白い時代になってきたなあと。

January 11, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.10

第三舞台の封印解除&解散講演

20120109

鴻上尚史さんが演出する「第三舞台」の10年ぶりの封印解除&解散公演に行きました。


熱狂的なファンである友人に誘われたのですが、何を隠そう自分は「第三舞台」は初めて。それが、東京の最終公演にいけるなんてありがたいやら、申し訳ないやらでした。

長く観ているファンでないと分からないような箇所(多くは笑いのポイント)がいくつもありましたが、純粋に、素直にお芝居として楽しめました。


とかく自分は何かの刺激を受けたり、経験をしたりすると「文字でできごとを表現をしたい脳」が働くようなのですが、今回のお芝居はしかと体の感覚として受け止めたいな、と。


素晴らしい体感覚は、文字にすればするほど、受けた感覚とかけ離れていくのが常でしょうし。


それにしても素晴らしかったです!

January 10, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.06

甘えの構造

20120106

大学に入学して格闘技の部活に入りました。3週間後、練習で左大腿部を怪我して10日ほど入院しました。


主将がお見舞いでお土産として持ってきてくださったのが2冊の本。『タテ社会の人間関係』(中根千枝)と『甘えの構造』(土居健郎)でした。

それらの本のタイトルをみて「大変な部に入ってしまったなあ(汗)」と。当時はそれぞれが名著とは知りませんでしたので、「甘えるんじゃねえぞ」ってメッセージかと(笑)


発熱や軽い怪我くらいでは練習を休める雰囲気、空気感はまったくなかったですが、多感な時代に自分の意志が思うまま通らない環境に身を置けたことは大きな財産です。


年末に大掃除していた時にこの『甘えの構造』(弘文堂選書)が出てきたので久々に読みました。


「甘え」という切り口から日本人論を展開している名著ですね。大学時代に読んだときとはまったく違う本のように感じました。


●「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」はいずれも甘えられない心理に関係している。すねるのは素直に甘えられないからそうなるのであるが、しかしすねながら甘えているともいえる。


「ふてくされる」「やけくそになる」というのはすねの結果起きる現象である。ひがむのは自分が不当な扱いを受けていると曲解することであるが、それは自分の甘えの当てがはずれたことに起因している(P25)


●社会が複雑になって、どうやったらうまく甘えられるかそのルールの発見が困難となっている(P126)


戦後、「個人の確立」が思うようにいかなかった日本で、「甘え」ってのは姿、形を変えていたるところに存在しているようですね。


「本心は甘えたいんだけど甘えてるのを悟られたくない」って感情が必要以上のつよがりを生み出す、なんてのはよくみられる光景でしょう。また「自己評価がやたらと高い」なんてのも「甘え」が根底にあったりするもかもしれませんね。


自分が「この人、個人が確立してるなあ」と感じる人は必要以上のつよがりもないですし、自己評価が常に高すぎず、低すぎずと客観的です。


おそらくこれは、日本社会の構造として存在している「甘え」を自分なりにコントロールし、つよがりや冷静な自己評価を排していった結果なのでしょう。


自分の心の中の「甘え」。大人になった以上、「甘え」は満たすのではなく、コントロールするものです。


で、注意すべきは今の文脈で物事を語ることです。


「私は昔、こんなに大変だった」的な話がありますが、これは「その時に甘えられなかったことを、今の時代でリベンジしてる」って光景に見えないでしょうかね。


この手の話は「で、だから何?今のあなたはどうなの?」でおしまいでしょう。


常に、「今の自分はどうなのよ」って視点を持ちたいものです。

January 6, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.05

今日は仕事はじめです

一年の仕事はじめに際し、今年の目標を掲げました。


1.自分が考えていることをきちんと言葉にすること

2.クライアントの立場や考えに寄り添う姿勢を持つこと

3.職場の環境を良くすること

4.自分自身の能力を高めること

5.「上機嫌」「他者肯定」を心がけること

6.理由はどうであれ、言い訳をなくすこと


どれもこれも、言うは易く行うは難しなことばかりです。みなさん、本年もよろしくお願いいたします。

January 5, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.04

僕らは自らの意志で人生を切り開いているのだろうか?

20120104

「人が自分の人生と言うところのものは、他の力ある力によって生かされている。(中略)我々は自分の人生と言っているものは、我々を超えた力を持つ者の戯れである」(『ギーター•サール』東方出版P21)


ヒンズー経の聖典として2500年もの間、インド人に影響を与え続けてきた「ヴァガバッドギーター」の入門書を読みました。


僕らが、「自分の人生」といっているもの。それは、自分のエゴが織りなす幻想。


パラマートマー(神)は世界の全ての動き、人間の活動をあたかも機械に乗せるがごとくに動かしていて、僕らが「自分の人生」といっているものは、絶え間なくわき起こるフィーリング、思考によって創られ、僕らはそれに縛られている•••そうです。


「自分の人生」は自分が切り開いていると思いたい、ってのは人間の素直な感情だと思います。


運や出会いといった外的な要因は当然に必要だけど、根本的には自分の意志や決断、努力や頑張りが主体的に働いて人生が切り開けてきたと思いたい生き物、それが人間だと思います。


けど、インドの叡智はまったく違うことをいっているんですね。


「インドの叡智はなんていうわ分からないけど、やっぱ自分が主体でしょ」と思う一方で、「なぜか流れるようにうまくいった」、「どう考えてもこの出会いだけは運命を感じざるを得ない」、「あのタイミングで決断できたってことは自分の意志によるものとは思えない」•••


なんてことを経験していくと、「やっぱ、自らの意志を超越した存在が自分の人生を宿命づけているのかな」と感じることもあったりします。


で、それを受け入れていくことは、「自己の主体性の放棄」ではなく、「自己の主体性を確固たるものにする」ことに繋がるんじゃないかな、と思ったりもします。


とかく、こうした考え方に関しては食わず嫌いの方も多いと思いますけどね。

January 4, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.03

昨日は誕生会

20120102


2012102


昨日は、1月2日生まれの友達(&自分)の誕生会。


我が家でやるのは、今年で4回目(5回目?)。毎年、ケーキにシャンパンにありがとう!


何の縁からか自宅で誕生会をやるようになったのか記憶は定かではないですが、お互いの人生がシンクロした偶然に感謝しつつ、これからもよろしく!


それにしても1年、ほんとに早い。


感覚的にはちょっと一眠りしている間に一年が経ってしまったような感じ、か。


それでも、その間には「数多くの喜怒哀楽」だとか「新しい経験」だとか「新しい出会い」がそれなりにたくさんあって、時間が濃縮されている感はあったんだけどね。


「時間の経過の早さ」と「濃縮された時間を送る」ってことには相関関係はないのか、と。


この話とはまったく関係はないのですが、今年の一つの目標として「濃縮された時間を送る」って強迫観念に縛られないようにしたいな、と思ったりします。


「濃縮された時間」から得られる刺激、興奮、経験は生きる上で大事ですし、自分みたいな人間にとっては生きている価値そのもの、といっても過言ではなかったりします。


けど、その刺激や興奮、経験は「より過剰なもの」を求める性質があったりするようです。


僕らは「より過剰なもの」に満ち満ちた時代を生きているので、時には「休息日」のようなものを意識的につくるのが大事なのかな、と。でないと、刺激や興奮に支配された人生を送るという皮肉なことになりかねませんし。


というわけで、12月31日〜1月1日は落ち着いた生活をしてみましたが、一日が長いですね。


「一年、早い!」といいながら、何も予定をいれない一日を「(やることがなくて)長い!」といっている現実があるのですから、不可解なものです。

January 3, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.02

根拠は何だ?

昨日に引き続き、映画「山本五十六」から。


日米決戦の転換点となるミッドウェー会戦への作戦会議で「アメリカ、恐るに足らず」と口にする参謀に対して、役所広司演じる山本五十六が「根拠は何だ?」と詰問するシーンがありました。

意見には「根拠」が必要、当たり前といえば当たり前のこと。


けど、「根拠なき意見」ってのは案外と組織の中でまかり通りやすいって現実もあったりします。


で、そんな意見がまかり通ってくると「根拠は何だ?」ってことを聞くのさえはばかられたりする空気感が生まれたりします。


「根拠なき意見」は、報告者の私見でしかありません。


これを、「一つの私見」として聞くのはいいでしょう。


けど、私見にはそれ以上の価値はありません。逆に、私見には報告者自身のエゴや思惑といった感情が付随しやすいのでこの意見に流されると道を誤ります。


組織には「根拠なき意見」と同様、「とんちんかんな前提に基づく意見」だとか「背景をいっさい無視した意見」だとか、さまざまな意見が流布しています。


報告者の私見に基づく意見だと感じたときは、「根拠は?」「前提は?」「背景は?」をきちっと問いかけることが重要なのでしょう。


情報が過多な時代を生きる知恵としても、情報の受け取り手である一個人が「根拠」「前提」「背景」って問いかけを持つことは大事だと思います。

January 2, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.01.01

理不尽に対しての耐性

20111230


映画「山本五十六」を観にいきました。


連合艦隊司令艦長として真珠湾攻撃の総指揮にあたった軍人ですね。

海軍の要職にあってアメリカとの戦争を避けようとしていたが、時代の趨勢に抗えず、皮肉なことに山本自らが指揮官となって対米戦を指揮せざるを得なかった•••と映画では描かれていました。


細かな史実は分かりませんが、次々と降りかかってくる理不尽、無常、いきどおり、ままにならない思い•••


それらひとつひとつにを嘆いたりせず、責任を転嫁することをせず、「起こることはやむなし」と飲み込んでいく度量がよく描かれていたように思います。


そもそも、人間の営みには「スジが通っていない」とか「理屈が合わない」ってことの方が普通なんではないでしょうかね?


歴史物を観たり、読んだりすると理不尽に翻弄された人間の営みが数多くでてきます。「どう考えても理不尽だ」「こんな不条理ねえだろ」ってことに対してもたんたんと生きていく大人物が登場したりします。


僕らはいい時代を生きているにもかかわらず(いい時代を生きているが故に??)、理不尽に関しての耐性がどんどんと弱くなっていないでしょうかね?


理不尽が自分の身に起こる不幸を嘆くよりも、理不尽に対して耐えられない自分の度量の小ささを嘆きたいものです。


今年もよろしくお願いいたします。

January 1, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)