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2012.01.25

肥大化した自己愛を考える

2012
『自己愛人間 現代ナルシズム論』(小此木啓吾•ちくま学芸文庫)

「(私たちは)自分•他人の心の中に、何とかして自分の気に入るような鏡像をつくり上げ、それを見て安心したり、満足したりしたい気持ちが強く働いています。」(P14)


著者のいう「自己愛人間」とは、このような自己愛がひときわ肥大した人間のこと。


「自己愛人間にとって心の決め手は、相手がどう感じ考えているかではなく、自分の自己像が自分の思い通りにあるかどうかである」ため、「主観的で幻想的になりやすい」(P14)


他人の話を聞いていて「へええ〜そりゃ凄いね。で、だから何??」って思うとき、聞き手はそこに「相手の肥大化した自己愛」を感じているのかもしれません。


食欲や性欲ならばある程度は限界もあるでしょうが、自己愛はリミッターがないのと、「あなたはスゴい!」と認めてくれる相手が必要だからやっかい。


自己愛を満たすことを渇望するような人は、「もっと、もっと」と求めてくるのでこちらがある程度の制限を設けないとしんどくなります。


「人間の自己愛への理解」


これなしに組織の運営がしにくい時代になっています。


で、「自己愛を理解すること」ってのは「自分自身にも相手と同様に満たしたい自己愛が存在している」ということの理解につながります。(「自分が死ぬなんて考えられない」って感覚は、著者によると「基本的な自己愛心理」だそうです)


ここから「相互に他者を肯定する」ということの必要性が生まれます。


それは、「他人の自己愛を満たすことで自分の自己愛をも満たしてもらう」という「お互いさま」の世界観です。


自らの自己愛を満たすことに汲々とした人、それを人は「成熟していない人」と見ます。


若いうちであればまだ「若気の至り」でいいでしょうけど、中年期に入って自己愛を満たすことに一生懸命な姿は物悲しくもあります。


「肥大化した自己愛」ではなく、「バランスのとれた自尊心」を持ちたいものです。

January 25, 2012 |

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