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2012.03.30

「おとなのけんか」のメカニズム

2012

息子同士のトラブルをめぐり、話し合いの席についた2組の夫婦。


はじめは、穏便に、理性的に、大人らしい解決を図ろうとするのだが、途中から雲行きが怪しくなって、「おとなのけんか」に発展していくストーリー。


「相手の言動に過剰に反応する」「論点が違う話を一生懸命している」「話をしている最中なのに他のことに気をとられているさまがムカつく」「本筋でない話を持ち出す」•••


4人がどんどんと感情的になっていくさまが、コミカルに、リアルに描かれていました。


他者と何かしらの問題を解決しなくてはならないとします。


その際、「問題解決」と「感情の解消」とは別に考えるとよい、といったことが心理学の本などには書いてあります。


けど、怒りなどの強い感情をともなうやりとりでは「問題解決」と「感情の解消」がどうしても一緒になってしまう。


さいしょは冷静に「問題解決」の場面に臨んだ4人が、「問題解決」を通して「感情の解消」をしていくさまは、人間にとってこの問題がいかに普遍的で、いかに難しいかを思わずにはいられませんでした。


あと一つ。大事な話をしている時に、次から次へとかかってくる携帯電話に応対している主人に妻が文句を言うシーンがありました。


「孤独を身にまとえない男は人間が薄っぺらい」


まさに至言ですね。79分と短い映画ですが、ぜひオススメです。

March 30, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.27

新日本プロレスに熱中していた頃の話

2012


たまたま訪れたお店のテレビで、「正規軍対維新軍5対5マッチ」(昭和59年4月19日)がかかってました。


長州力が新日本プロレスに造反してから1年半、待ちにまった総帥アントニオ猪木との一戦です。



この試合、正規軍から5人(藤波、高田、木村、藤原、猪木)、維新軍から5人(小林、寺西、谷津、浜口、長州)とが柔道形式の勝ち抜き戦で戦いました。

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藤原が浜口と心中 この大会での存在感は抜群でした


当時、金曜日の8時から放送していたテレビ中継が2週にわたってこの試合を中継しました。


途中、木村VS谷津戦あたりで1週目のテレビ放送が終わったと思うのですが、「試合結果が知りたくて知りたくてどうしようもない。けど、試合結果をしらない状態で来週の放送を見たい」という強いジレンマにさいなまれました。


翌週の木曜日には僕らプロレス少年のバイブル『週刊プロレス』が発売されます。ここには必ず試合の結果が載ってしまう•••


当時中学3年生の自分がとった行動は、「『週刊プロレス』をはじめ、試合結果が載っていそうなものには絶対に近寄らずに、次週のテレビ放送を待つ」でした。


この1週間は自分の人生の中でなんとも長く、なんとも楽しみで、なんとも待ち遠しい日々だった事をおぼえています。


結局のところ、友達が持っていた『週刊プロレス』の表紙がわずかながらに目にとまってしまい、卍固めをしている猪木さんの姿がちらりと見えた時に「猪木さんが長州と戦って、卍固めで勝ったんだな」とテレビ放送の前に予測してしまったんですけどね。


この頃の新日本プロレスの盛り上がり感、観客を飽きさせないストーリー展開、レスラー一人一人の個性は素晴らしいものがありました。


インターネットがなくて、情報に簡単にアクセスできないことが僕らの「見たい」「知りたい」って飢餓感をかき立てましたね。


プロレスが人気なくなっていったのは、この辺の要素は大きいのだなと思いました。

March 27, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.26

誰に、いつ「報告•連絡」をすればいいのか?

職場内では、至るところで「自分の仕事に関係するのに聞いていない」とか「直前になるまで一切知らなかった」ということが起きます。


報告をすべき人のいい分としては、「伝えたつもり」「自分が伝える役目だとは思っていなかった」「そこまで気が回らなかった」「伝えようとしたけど忘れた」って感じでしょうかね。


その他、「報告を求めてくる割には、報告されたもの(例えばレポート提出)などを活用していないから報告しない」なんてケースもあるでしょう。


かくいう自分も「報告•連絡」はたぶんあまり得意な方ではありません。


自分は伝えたつもりになっているんですが、本人がまったく理解していないことがなぜかよくあります。(これは伝え方の問題?)


「これは誰々に事前に話をしていた方がいいな」と思っていてもついつい忘れてしまったりすることもあるし、「そんな細かいところまで俺が報告しないとダメなの??」と思って「報告せず」ということも正直あります。


「この仕事は自分一人で完結している仕事だから報告されても仕事が増えた感じがして困るよなあ」って思いもいくぶんあります。


けど、この手の報告や連絡をめぐる一人一人の「心の声」こそが、問題なのだと思うようになりました。


ここ2ヶ月くらい、「一つの仕事が片付いたら誰に報告、連絡しておいた方がいいか?」というスイッチを必ずいれると決めました。


「企画書を書く」でも、「外部の方とお会いする」でも、「業者の方と打ち合わせをした」でもいい。


それらの仕事をすることと、「これって誰に報告、連絡しとけばいいか?」とを必ずセットにし、メールや直接本人に伝える事にしました。


で、思ったこと。


人間は「この仕事は報告や連絡をしておいた方がいいかどうか?」と考えることでエネルギーを使っています。


同じく、「後で報告しよう」、「皆が集まった時に連絡しよう」もそのタスクを頭にいれておかなければならない時点でエネルギーの消耗になる。


だとしたら、「仕事を行った時点で誰に報告したらいいか?」を機械的に考えるようにすると、この手のエネルギーは使わずにすみます。


一人一人がこの手の仕事の進め方をしたら組織はきっとよくなることでしょう。

March 26, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.22

人間の出会いに偶然はない、について

ジムの仲間うちでゴルフコンペでした。

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たまたま、それぞれが同じ時代を生きているという偶然と、

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全国に数多くのスポーツクラブがある中で、たまたま一緒のジムに通う事になる偶然とが


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なんかのタイミングでシンクロして、飲みにいったり、アウトドアスポーツしたりする流れを生み出したりする。

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けど、振り返ると「偶然は必然だったんじゃね?」と感じたりする。

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ここ最近、「人間の出会いに偶然はない」をいたるところで実感することが多いです。


自分が歳とったからか??


ご一緒したみなさん、お疲れさまでした!めちゃ面白かったです。

March 22, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.20

仕事に対するこだわりについて

2012

ピアニストを陰で支える調律師の物語。


バッハの未完の傑作を録音するために、1年も前から調律師が準備をします。


ピアニストから寄せられるハードルを次々と超えていく様は、最高峰の職人というよりは、自分に与えられた運命、使命に嬉々としてして立ち向かう求道者のようです。


「一つ一つの仕事にこだわりを持ってやっている」と自負がある人も、この映画の主人公シュテファンと比較するとそれが「大きな世界を見ていない人間のたわごとレベル」だと思うのではないでしょうかね。


人間は、いま自分が持っている知識や情報で世界を見るしかありません。その知識や情報が世界に広さと奥深さを与えます。


この手の映画をみると、「自分などは及びもしない世界が広がっている」とつくづくと思わせられずにはいられません。


で、限られた人生の中でそれらの世界をちょっとでも垣間みれたら、と思います。


主人公の姿にホンダの創業者•本田宗一郎さんの姿がオーバーラップしました。かつては、「仕事に対するこだわり」って日本のお家芸だったんですよね。

March 20, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.03.19

メガネをかけてみて思ったこと

2ヶ月ほど前からでしょうかね、メガネをかけるようにしました。


きっかけは、1年半ほど前。


当時ご縁のあったスタイリストさんに、「大塚さんに帽子は似合わない。けど、メガネをかけたら人生が変わると思う」みたいなことを言われたこと。


1年半かかりましたが、ユニクロでメガネを買って「人生が変わる」の一歩を歩みはじめたわけです。


で、つけてみて思ったことが3つ。


1.自分としては思い切った変化だったのに、周りからしたらそんなことはないということ。


「メガネかけたの?」と言われまくるんだろうなあ、と思ってたけど意外にもそんなことは無く、何も言われない事がほとんどだったです。「前もメガネかけてたよね?」って人もいて笑えました。


まずは、「自分が思っているほど周囲は自分の変化を重要ごとだと思っていない」を感じました。


2.客観的に自分を見ることは難しいということ。


「メガネが似合っているかどうか」が自分ではよくわかりませんでした。で、周囲に「どうだろうかね?」と聞くことになるのですが、「いいんじゃないですか!」という意見が多数。


でも、それが「裸の王様」である可能性も無きにしはあらずなわけで•••。


「もうちょっとこんな感じのものがいいんじゃないですか?」「いやや、おかしいでしょう」と数人が指摘してくれましたが、この手の意見がもらえるのは有り難かったです。


ふたつめに、「客観的に自分を見ることは難しい」ということを感じました。


3.「周囲から見て分かりやすい変化」を日常に入れていく事は大事じゃないか、ということ。


「環境に変化するのが経営」と考えると、「変化」はいつの時代も至上命題です。(今は一個人だって時代や環境に変化をつきつけられる厳しい時代になりましたね)


けど、「変化」ってのを意識し続けるのは難しい。


「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」は自分らにとって心地よいから。そこには、物理学で言う「慣性の法則」も働くから。


そんな中で、「周囲から分かりやすい変化」をたまに取り入れることは、「変化していく自分」を意識していく上で効果的だと実感しました。


「自分を変えていきたい」と思った。


「どう変わればいいか分からない」なら周囲の人の声を聞きなさい。周りには「あなたの変化」を心待ちにしている人がたくさんいるでしょうし。


「どう変わればいいか分かるけど、気恥ずかしい」なら思いきりなさい。周りは「あなたの変化」をそんなに気にしていないでしょうし。


マザーテレサ風に書いてみました(笑)


この手のことを実感できたってことを考えると、確かに「人生は変わ」りましたね。


今年の春は服装でも変えるとしましょうかね。

March 19, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.18

「考えること」と「感じること」

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「これを口にしたら相手はどう思うかな?」


と思いを馳せるのは、人間の人間らしい感情といえるでしょう。


けど、それが過剰になりすぎると人は窮屈さを感じるようになります。


思っていることを口にできなくなるし、考えていることを行動に移せなくなっていく。


こうした生き方を一個人が選択するのならいいのでしょうが、組織のリーダーがこのスパイラルに陥ると最悪です。


何の改革も、何の実行も、何のリーダーシップも発揮できないリーダーの誕生です。


いつごろからか思っていました。


今の日本って「感じる側の気持ち」を忖度することがすごく優先されていないか、と。


「こんなことを口にしたら周囲に嫌がられるんじゃないか?」だとか「これを頼んだら反発を受けるんじゃないかな」だとか•••


などですね。


けど、政治だって経営だってまずはリーダー層の「考えること」からはじまるんです。


「どうしたら自国がよくなるか?」「どうしたら会社がよくなるか?」ってリーダーが考える。その思考が言葉になり、行動になり、結果になり、運命になっていくんです。


なので、組織において「考えること」が「感じること」にひっぱられすぎることは良くない。むしろ、害毒でさえあります。


リーダーシップを発揮するということは、周囲の「感じること」をおもんばかりつつ、自らの「考えること」に意識を集中させていく作業なのでしょう。


「考えること」を形にしていくプロセスでは、人を傷つけることも、誤解をうけることも、当然のことながらあります。


組織のリーダーとて人間ですから、「こんなことを言われて傷ついた」と他人からいわれることは、確かにあまり気持ちのいいものではないでしょう。


けど、「周囲を傷つけた」と思ったら誤ればいいんです。


組織には「感じること」に一生懸命な人がいます。その手の人の「傷つけられた」は、単なる感情論や観念論だけだったりすることもままあります。


リーダー層はこの手の人に対して過剰反応せず、ある程度の鈍感力を持ちながら、周囲の「感じること」に思いを馳せていれば、周囲を傷つけることを恐れる必要はありません。


人間は、誤ったり、反省できる生き物ですし。


「マーガレットサッチャー 鉄の涙の女」はマネジメントの観点からこんな見方ができた映画でした。


人間の獲得と喪失、家族のあり方などの観点からも素晴らしい示唆に富んだ映画でした。


全政治家必見の映画でしょうね。

March 18, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.15

職場のコミュニケーションを阻害するもの

「仕事と聞いて何をイメージするか?」


これを一人一人に聞いてみるといろんな答えが返ってきます。


「自己実現のための手段」「生きるために仕方なくやること」「人の役にたつこと」「ミスや失敗をしないこと」「お金儲け」•••


「期日までにしあげること」「他人の力をつかって大きなことをなしとげること」「自分のこだわりを発揮するもの」•••


かつて、「人生はひまつぶし」なんて口にする後輩もいたことを考えると(本心からそう思ってたかどうかは何ともいえませんがね)この手の答えはあまた存在するのでしょう。


「仕事ができない人と聞いて何をイメージするか?」


これまた、「何回いっても同じ間違いをする」「報告•連絡•相談がない」「締め切りの観念がない」「専門分野の知識がない」「自分だけが仕事をしていると思っている」•••


「経験だけ重ねていて反省しない」「人に仕事を任せられない」「仕事中に無駄話ばかりしている」「人の揚げ足ばかりとっている」•••


と、無数にあるでしょう。


こうしたメンバー同士の「言葉のイメージの相違」が、コミュニケーション阻害の要因になります。


大事なのは、日常で交わされるメンバーの「言葉の背景」をちょっと理解しようとすること。


語られる言葉だけではなく、「言葉の文脈」を理解しようとすること。「メンバーの世界観」を理解しようとすること。


「世の中は拮抗している」(自分の尊敬するコンサルタントの言葉です)ので、人は周囲を理解しようと思った分だけ、周囲から理解されるようになるのかもしれません。


「人から理解されたい」という人間の本質的な欲求を充たすには、「自分が人を理解しようとつとめること」からどうやらスタートするようですね。

March 15, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.14

結婚式二次会の打ち合わせ

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結婚式の二次会で幹事を仰せつかったので、打ち合わせで現地視察&ずっと行きたかった焼鳥屋へ。


結婚式の幹事は昔はよくやりましたが、最近はこの手の話が少なかったので祭り好きの自分はテンションがあがりますね。


そいや、自分の結婚式の司会はオールナイトフジに出ていたオールナイターズの一人でした。


この手の話をして分かる人ってどれだけいるんだろ??

March 14, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.13

「相手に対する期待のズレ」を考える

「一言、報告すりゃいいだけの話じゃん••」


ってことがよくおきます。


てか、人とシチュエーションは変わってますが、会社創業時から永遠のテーマです。

で、「報告がないから仕事が進まない」だとか「報告がないから仕事が二度手間になった」だとか「報告がないからお客さんに迷惑がかかった」だとかいう形で展開していきます。


これを、「報告しない側」の問題だけとしてみるなら解決策は簡単です。「ちゃんと報告をするように、以上」で終わりですからね。


けど、この問題の難しいところは「相手に対する期待のズレ」が根底にあることです。


例えば、「仕事を任せた以上は、報告、連絡をマメにやってもらいたい」という上司と、「任された以上は、上司の手を煩わせてはならない」と考える部下。


こんな2人が一緒に仕事をすると、「相手に対する期待がズレ」ているわけですから、「あいつは報告がない」って話に展開する火種がくすぶっているわけです。


このケースでは、上司が「報告や、連絡がないんだよねえ」と不平を言う前に、部下との間で「部下に期待する役割」を明確にしないといけない。


「○○の段階で報告をしてください」だとか「週に1度、進捗状況をメールしてください」だとかいう感じでですね。


この辺があうんの呼吸でできればお互い楽なのでしょうけどね。


で、大切なのは「相手に対する期待のズレ」は上司から部下に向けてだけ発されるものではないということ。


後輩から先輩に、部下から上司に対してだって「相手に対する期待のズレ」は直接伝えていいわけです。


「今回、こういった報告がないのでこんな支障がでました。次からは○○の段階で連絡をしてもらえると助かります」って感じでですね。


この手の事を上司や先輩に口にすることに、多くの人が抵抗を感じるかもしれません。


けど、「自分が思っている事を口にしない」ってことを続けていると、どんどんと生きづらくなる時代を僕らは生きています。


抑圧されたものは、不平不満となります。不平不満は無意識のうちにどこかで噴出します。陰口になったり、自分の大切な人が不満のはけ口になったりします。


ここは、慣れと覚悟と割りきり、「相手に対する期待」を伝えるよう訓練した方がかしこいです。


「相手に対する期待」をきちんと口にすると、案外と相手は「言われないと分からなかった」ということが多いものです。


「一つのことをやっている時に、他のことをふられると困る」、「仕事をふるのだったら全体像を示して欲しい」、「提出書類は期日までに出すようにしてほしい」、「帰宅しようと思っている時に仕事をふるのは避けてもらいたい」•••


自分は、こんなことをメンバー相互でいいあえる空気感を全力でつくっていこうと思っています。

March 13, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.12

いい俳優の映画でした

2012


阿部寛と中井貴一は日本の宝だなぁ。


いい映画というよりは、いい俳優の映画。


映画に登場していると、「この人、はじめはいい人だけど、後で絶対に寝返えったり嘘つくぞ」ってイメージがどうもでてくる役者さんがいるのですが、今回も期待(?)に違わない役をしていて笑えました。


そういう意味でキャラがたっているといえば、この俳優さんも素晴らしい役者ですね。


日本橋界隈をいちどゆっくりと回ってみたくなった映画です。こんな近場に麒麟がいるなんて知らなかったし。。

March 12, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.11

ありがとう、の反対語は何か?

2012

「ありがとう、の反対語は何か?」


とある酒の席でこんな話になりました。


「ありがたくない」と直感的に思ったのですが、どう考えても面白みのない答え。で、その面白みのない答えから飛躍できない自分の思考の固さを思いました。


同席していた経営コンサルンタントによると、「ありがとうの反対語は、当たり前」なのだそうです。


さて、この映画。


地球に惑星が迫ってきた。その時に、「人間は何を考えて、どう行動するのか?」ってのがモチーフだと思って見ました。


で、人は「当たり前が当たり前でなかった事実」に気がつく。仲間なのか、家族なのか、平凡な毎日なのか•••「ああ、幸せだったんだな」と気がつく。


予告編を観てそんなストーリーだろうなと勝手に推測していました。


けど、地球滅亡を前に、主人公はテレビも観ないし、新聞も読まない。パニックになる群衆も出てこない•••とにかく、そこに違和感を感じました。


そのうちに、「これは地球滅亡の映画じゃないのでは」と感じました。だから、そんなシーンを登場させる必要がないのでは、と思いました。


長くてまどろっこしい前半部分も、映画のタイトルも、地球に迫ってくる惑星の様子も、すべてがこの映画のモチーフへの布石だと考えると巧妙な映画ですね。


今の日本には、こうした素晴らしい映画を「当たり前」のように観られる環境がありますが、これも「ありがたい」ことなんですね。


いい映画が日本に入ってこなくなっている、なんて話を聞くと特にですね。

March 11, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.09

世界は物語のように親切に説明してくれない

2012

主人公は生活苦の老齢女性。ヘルパーの仕事をしながら、孫と二人で暮らしている。


「詩を書きたい」と学校で学ぶ主人公が、「孫が起こした事件に巻き込まれる」ことを軸に物語は展開していく。


で、多くのことが語られずに物語が進んでいく。


「なぜ、孫と二人暮らしなのか?」、「娘との関係性は?」、「事件を起こした孫に対しどんな葛藤があるのか?」、「楽ではない日常にどんな思いで生きているのか?」•••


すべてのことが語られずにすぎていく。


で、語られないことに対してイライラしてくる自分を感じてしまう。主人公の心の葛藤を音楽や表情で分かりやすい形で表現してくれる映画に慣れてしまっている自分に気がつく。


けど、「世界は物語のように親切に説明してくれない」のだ。


実はこの一文、作家•沢木耕太郎さんが書いたこの映画の論評で、映画館の入り口に貼ってあったもの。

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自分にとっては「主人公の心の内面を想像する映画」にしかすぎなかったこの映画が、この一文のおかげでまったく違う映画に見えました。


「世界は物語のように親切に説明をしてくれない」


素晴らしい解説です。


こうした解説そのものが「親切に説明」なのでしょう。


「親切に説明」はそれを求めすぎると「思考省略って毒」にもなります。


一方で、自分の中でモヤモヤしたことを整理するために「思考の補助線」にもなります。「思考の補助線」から次の思考が生まれたりしていきます。


要は付き合い方、なのでしょう。そんなことを考えさせられた映画でした。


DVDでたらもう一回観ないとな。

March 9, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.08

ブログを書いている横で

ただいま喫茶店なのですが、それぞれ別々の3人が携帯電話で話をしています。


たぶん、「営業電話」と「悩み相談」と「とりとめのない話」とです。

かつては「お店の中では携帯は使用禁止」って暗黙のルールのようなものがありましたが、もはや過去の遺物なのでしょうかね?


その昔は携帯で話をしてうるさい人がいると注意を促していたのですが、最近はそんなエネルギーもないです。あまりにも日常的すぎて。


どこかの精神科医が「携帯からちょっと離れるだけで人の心は破壊に向かわなくなる」みたいな話をしていましたが、あたらずとも遠からずではないでしょうかね。


自分は、考え事をしているときに近くで携帯でしゃべられるとめちゃ迷惑に感じる人間です。


自分が映画館や舞台にいって「ええなあ」と思うのは、そこでは携帯がならないからです。


今日は思考が中断したので、ブログはこんな内容で。

March 8, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.03.06

経営者という病

2012
『私、社長ではなくなりました』安田佳生著/プレジデント社

「オフイスにカフェバーやワインセラーがあって自由に使える、さらには専属のパティシエがいてお菓子を焼いてくれる」


6年くらい前でしたでしょうかね、採用コンサルティングのワイキューブ社の記事を見かけて「へええ、すんげえ会社があるなあ」と思ったのは。


その時は知らなかったのですが、「2年目以上の社員は出張でグリーン車に乗れる」だとか「平均年齢26歳で750万円の平均月収」だとかさまざまな福利厚生があったようです。


同業者でもないし、「きっと儲かっているんだろうな」くらいにしか思ってなかったんですが、内情はある時期から借金まみれだったようですね。


この本は、去年の3月に民事再生法を適用されてしまったワイキューブ、その創業者である安田佳生さんの自省録です。


「経営者が自社の倒産について語る」ってのはよくあるテーマの本です。


けど、この本が他の著者の関連本と違うのは「経営者のコンプレックス」に光を当てている部分でしょう。


おしゃれな受付のある会社を訪問するたび、受付のない自分の会社を引け目に感じていた。そういう劣等感を、そのままにしておくことができなかった。ひとつひとつ克服していかないと気がすまなかったのだ。


私はビジネスで成功したかったというよりも、立派な受付のある会社の社長になりたかっただけなのかもしれなかった。大きなビルや立派な受付に対する劣等感を克服することが、私にとっての目的になっていた。(P79)


この手のくだりが随所にでてきます。


で、社員に対して行っていることの多くに、「社員から嫌われたくないという意識の存在」がどこかにあるんじゃないかなってことに読み進んでいくと気がつきます。


で、著者もそのことを自覚しています。


会社は寂しさを埋めるところではなく、仕事をするところなのだ。そんなことはわかっている。だが、我慢できなかった。会社は仕事をするための場所なのだと、割り切る事ができなかった。(あとがき)


会社にはその経営者が持つ「コンプレックス」が色濃く反映されることが多いようです。


「とにかく、いい暮らしがしたい」、「とにかく、いい場所にオフイスをつくりたい」、「とにかく、社員にとっていい会社でありたい」•••


これら「とにかく」って意識は、何らかのコンプレックスの現れである場合が多い。


コンプレックスは何かを行う上でのエネルギーでもあるから、それを否定したり、なくそうとする必要はない。


問題となるのは、コンプレックスに経営者自身が無自覚に操作されてしまうことなのでしょう。


コンプレックスが満たされないと渇望をします。で、渇望は無理を生みます。無理は多くの場合、経営をダメにしていきます。


そんな示唆に富んだいい本でした。


けど、万人には受けなさそな本かもな•••。

March 6, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.05

嘘を事実と思い、事実を嘘と思う

2012

「大塚のことが大嫌い」とある人が言っていた


と第三者の発言をきいたことがきっかけになったのでしょうかね、なんとなく距離感ができてしまった人がいます。


別に何をした訳でも、された訳でもないんですが「まあ、そういわれてもしゃーないだろうな」って思いもゼロではなかったんで、なんとなく「事実だろう」と受け取ってしまったんですね。


で、距離感ができてしまった。


こういう時、「大嫌いって人づてに聞いたけど、まじ?」と本人に直接話ができれば「事実かどうか」ってことには近づけるんでしょうけど、なかなかそれって難しい。


きっと「それって陰口みたいじゃん」って意識が働くからなのでしょう。話をした人に対してどこか裏切るような意識がもたげてくるからなのでしょう。


だから、この手の人間関係をめぐる三角関係でのトラブルでは「事実」がよくわからないまま進んでいったりする。


できれば、この手のできごとは少なければ少ないほどストレスは軽減されるんでしょう。


けど、生きていく以上はこの手の関係性に巻き込まれる事も覚悟しないといけない。


「人間関係で傷つくのがイヤだから、人間関係を深くしない」という選択をするのなら別でしょうけどね。


映画「ライヤーゲーム」は、「事実」と「嘘」とについて大変に参考になる示唆を与えてくれる映画した。


「嘘」には「人を貶める嘘」や「自分を大きく見せる嘘」といった典型的な形だけではなく、「愛情を満たす」だとか「人を混乱させて意識を自分に向けさせる」いったさまざまな型があります。


「まさか、こんなことで嘘はつかんだろう」ってことから人の意見を信用してしまうことってありますけど、「こんなことで」って意識を逆に活用する人もいるようです。


あまり防御的になるのも考えものですが、「人間関係の三角関係」で「えっ、あの人がそんなこと言ってた?」ってことがあった時には、この辺の意識のスイッチを働かせる事が必要なのでしょう。


冒頭に出てきた自分と距離ができてしまった人だって、今思えば「大塚のこと大嫌い」なんてはおそらくは口にしていないでしょうしね。

March 5, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.02

「前提」は何か?

人間の発言には必ず「前提」があります。


例えばここに、「Aさんが仕事の手抜きをしている」と同僚であるBさんの意見があるとします。

この発言を、「組織人としての責任感からの発言」という「Bさんの前提」があるのと、「Aさんが嫌いだから口にしている」という「Bさんの前提」があるのでは、意見を受け取る側の世界観は全く違ってきます。


けど、「Aさんが嫌いだから口にしている」といった自分の「前提」を第三者に伝える奇特な人はほとんどいないわけです。


そんな時、人は「前提」そのものを第三者にとって聞こえのいい形に変えていく反応をするようです。


「私はいいんですけど、このままじゃ周囲の皆が••」なんかが典型かもしれません。


自分は、スタッフと話をしてて「話していることの『前提』が不明だなあ」と感じたときには「で、自分はこれをどうしたいの?」と聞くことがあります。


これは意地悪ではなく、「『前提』がどこにあるのか?」を確認する作業なのですが、皆がみな思っているように話できませんね。


「自分の言動のよりどころになっている『前提』」を周囲にオープンにすることは、自分自身をオープンにすることにもつながりますからね。


けど、それができないから、いらぬ誤解を招くのが人の世の中。


「自分自身が大事なので誤解を招いていい」って形で意見も見聞きしたことあるけど、こういう形の自己防衛反応もあるようだから意識するのはいいかもしれませんね。


自分は、「人間は、よほどの人でない限り『周囲から誤解をされるよりされない方がいい』って前提」を持ってますので。


フリーの編集者が期間限定で会社にきてもらっているのですが、昨日の打ち合わせの中で「この仕事の『前提』って何ですか?」と彼女の側から話がでました。


この辺の感性を持っているんだ、ってのがちょっと嬉しかったので、「前提」を考えてみました。


多くの人は「前提」など意識せずに日々やってることでしょうけど、たまに意識的になるのはいいことですね。

March 2, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.03.01

23年ぶりにお会いします

自分の人生に影響を与えた一人に、予備校時代の日本史の先生がいます。


自分の出身学部が史学科なのはこの先生の影響によるものです。


「とにかく、大学生になったら分からなくてもいいから本を読め」とことあるごとに口にしていました。


大学に入ったら運動部に入ったせいもあり、授業には出ず、本も読まずの生活がはじまりました。


けど、時々「いやや、本でも読まんとな」とスイッチが入ってその時、その時で関心のある本を手に取ったのは、きっとこの先生の刷り込み(?)によるものなんでしょう。


この間、ふと思いました。


「あの先生ってまだ予備校で授業をしているのかな?」と。


で、ネットで検索をしたら大学の教授になって日本史を教えていました。


更に調べたら、公開講座で『日本書紀』を教えていることがわかりましたので、さっそく申込をしました。


4月に23年ぶりにお会いすることになります。


今思うと、浪人時代の授業は個性溢れる先生達がすごくハイレベルなことを教えていたように思います。


けど、「大学受験」が目標である自分には、それらを受け止めるだけの余裕も、力量もなかったわけですが•••。


23年ぶりに先生とお会いして自分は何を感じるのでしょうね?

March 1, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)