あらゆる答えは自分の中にある、を考える
「人間の自由意志はどれだけあるのか?」
その昔はこんなこと考えた事もなかったです。
自分が思い描く夢や目標。
これらは、「自分が主体的に考えた」「自分が主体的に思いついた」ことに何の疑いもなかったです。
けど、「なんでこんな夢が頭に浮かんだのか?」だとか「なんでこんな目標を思いついたのか?」だとかを考えていくと、どう考えても「主体的に」ってだけじゃ説明できないような気もする。
いつしか、そんな違和感のようなものは感じていました。
自分は、生涯で一度でも(否、一瞬でも)歌手、医者、弁護士、ダンサー・・・になろうと思った事はありません。
けど、これらの職業を選んで、これらの世界で夢や目標を描いている人がいる。
「なぜ、自分にはそういう夢や目標が思い浮かばなかったか?」ってことを考えると、育った環境やら、能力がどうのこうのやらを超えたものがたぶん存在するような気がします。使命、とでもいったらいいのでしょうかね。
「自分の頭でかすかでも『やりたい』と思った事を丁寧に、丁寧に紡ぎなさい」
旅をしていた時に、あるチベット人がそんなことを語っていました。
今思うにこの言葉のポイントは、「自分の頭でかすかでも浮かぶこと」が「他人の頭にはまったく浮かばないことがままある」ということにあると思います。
頭にかすかでも浮かんだ思いをないがしろにして、「自分を取り巻く外的世界に何かあるんじゃないか?」と青い鳥を探すのに没頭するのはもったいないなと思います。
哲学とか宗教とかで語られる「あらゆる答えは自分の中にある」という世界観はおそらく、こんなことを身体で感じられる世界なのでしょう。
April 26, 2012 | Permalink | Comments (0) | TrackBack (0)