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2012.06.28

【長文】転勤は喪失を獲得するチャンス

1993年春。


新入社員として入社して2週間で転勤の辞令がでました。私は金沢、もう一人の同僚が福岡。


出発の日、転勤を逃れた(?)10人近くの同僚が空港に見送りにきてくれました。


実感が湧かない、というのが実感でした。はじめての土地ですし、はじめての会社生活ですし、はじめての一人暮らしですし。


福岡に赴任する同僚も、私も付き合っていた彼女がいました。


同僚が気をきかせてか早めの時間に退散し、私と同僚、それぞれの彼女の4人だけの時間になりました。


学生を卒業したての新人らしく「それぞれの土地で頑張ろう」的なことをいいながら、どこか間がもたないような、どこか当事者ではないような不思議な時間を過ごしました。


「本当に行っちゃうんだね」


別れ際に彼女が口にしたこの一言がなぜかトリガーになりました。小松空港までの50分のフライト、なんだかわけがわからないけど泣けてきました。


結局、自分は2年と11ヶ月をこの金沢で暮らします。


当時の自分にとって、転勤は失うものだらけに感じました。


まずは、「社会人になったらガンガン遊ぼう」といっていた友人と離れました。


そして、「卒業したら頻繁に顔を出そう」と思っていた大学の部活にも参加がママならなくなりました。


彼女とは遠距離になりましたし、親元からも離れました(同居していた祖父は転勤中になくなりました)。


お世話になっていた新宿のスナックのママにはたくさんのツケを残しながら離れることを余儀なくされました。


「一緒に働いたら面白そうだ」と思っていた会社の同僚とも離れましたし、「この人の下で働きたいな」と淡い思いをいだいていた上司とも離れました・・・。


おそらく、転勤は「喪失の獲得」という側面を持っています。


私たちは「喪失」を必要以上に怖がる時代を生きています。お金だって、健康だって、人間関係だって、持っているものを失うのは怖い。


だから、全力をあげて「喪失」を回避しようとする。


けど、「喪失」を回避しつくした先にあるものは、人間としてのつまらなさのようなものじゃないでしょうかね?


お金がなくなるのが怖いから使わない、人間関係が壊れるのが嫌だからそこそこの付き合いをする・・なんて人が魅力的なわけないです。


おそらく、ある程度の「喪失」があることを前提に生き、「喪失」を自分に起きたできごとの一つとして受け入れていく・・・。


ここから、人としてのたのもしさや存在感、魅力や人格が形成されるのでしょう。


転勤は、きっと「喪失」を獲得するチャンスです。


大企業が有能な社員を転勤させるのは、「喪失の体験」を与えて幹部としての存在感や魅力ある人柄をつくるという一側面があるのでしょう。


というか、そんな側面が必ずあると信じたいですね。


私の「金沢転勤」を意思決定された当時の営業部長と、酒を飲みながら一度こんな話がしたいです(笑)

June 28, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.26

隣の芝生はたぶん青いような気がする

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アメリカの業者さんと話をしていると、日本マーケットにとても関心があるようです。


けどその関心を持たれている日本は、人口減やら、政治の混迷やら、輸出産業の低迷やらでとても困難に直面しています。


けど、関心を持たれている。


隣の芝生は青い、ってやつでしょうかね。


自分からみたらアメリカの広大(に見える?)なマーケットは魅力ですしね。


イベントに参加した限りの肌感覚なのですが、アメリカの経済はよくないようです。経済が悪くなるに従って、海外のマーケットが魅力的に映るというのもどうやら国を問わずどこでも一緒のようです。


これって、DNAにプリントされている人間の行動パターンじゃないかしら。


昨晩は、毎度の時差ぼけと酸素薄の中で2時間しか眠れませんでした。


旅をしていたから時差は得意でしょう、と全く根拠のないことを言われるのですが、時差ぼけはいつもダメですね。


けど、時差ぼけでぼけーっとしている間に思いつくことがなかなかキラリと光ることを思いつくのですから、人間は何が幸いするかわからないものです。

June 26, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.25

酒を飲みたい夜ではなく、乾杯したくなる夜

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酒を飲みたい夜ではなく、乾杯したくなる夜


そんな夜がたまにあります。


酒を飲みたい夜はしょっちゅうですが、乾杯したくなる夜はそうそうありません。


今晩の自分はそんな夜でした。


日本にいたらこの思いを事情を知っている誰かと共有したかったのですが、ただいま日本から遠いアメリカの地。


同行の敏腕添乗員O氏に話をしてもおそらくまったく理解してもらえない案件ですので、今日はおとなしく寝ます。


「よかった」「すばらしい」「ありがたい」


こういう言葉だけじゃ嬉しさや感謝の思いを表現できないほどのできごとが起きた日-


きっとそんな日が自分にとって乾杯したくなる夜なんでしょうね。


ダウンタウンからホテルへの送迎バスが1時間以上遅れて、夜の街でぼけーっとしてましたが、今日はドライバーにめちゃ優しい夜でした(笑)

June 25, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

今回、はじめて持っていったもの

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展示会にいくと、これでもかこれでもか、て感じで資料をいただく。


すぐに整理しないと、情報がごちゃごちゃになる。帰国して資料を読もうと思っても、英語だからどうしても面倒になる。で、アンフィニッシュドな資料がたくさんたまっていく。


そんな悪循環を変えようと、海外に初めてスキャナーを持っていった。で、資料をいただくそばから必要な資料をスキャンし、クラウドに取り込むことにした。


海外にいる時の作業量は増えるが、荷物は減るし、頭は整理されるし、これは快適。


と、作業をしていたら、日本から嬉しいニュースが飛び込んできました。日本にいる誰よりも一足先に乾杯してきます。


こちらは、まもなく夕方の18時。今日は、40度近くありました。


June 25, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.23

【暇ネタ】アメリカ出張です

ただいまロスでトランジット中です。


ここから2時間くらい乗りついで目的地へと向かいます。


今回この場所にいくのは5回目(ん。6回目?)、俗にいうビジネスショーですね。


初めていったときは、「事業者である証明をだせ」と入り口でいわれてすったもんだありましたが、今年はじめて向こうからインビテーション(パスポート付き)がきました。


現地での知り合いもだいぶ増えましたし、これからさまざまな相乗効果が生まれてくるのかな。


いつも一緒に海外にいく敏腕添乗員のO氏と同行ですので、展示会&ワイン(+めし)の日々になりそうです。

June 23, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.22

「たのもしさ」を獲得する

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「仕事をする理由? そんなの自分が成長するために決まってるじゃん」


とずっと思ってました。


成長することにより、見えなかった世界が開けてくる。で、それは自分の未来への選択肢と可能性を広げる。それが次なる成長へのモチベーションや起動力となってくる。そして、善の循環がくるくると回っていく。



と一抹の疑いもなく思っていました。


けどここ数年、この言葉にどこかに違和感を感じるようになっていました。


資本主義が成長を過剰に求めた結果、臨界点に近づいたような感覚といったらいいのでしょうか。


または、成長はしているんだろうけど、大事な何かが足りないような人の存在をみて何かを感じたのでしょうか。


はたまた、自分自身の体験として「成長の先にある世界」をちょっと垣間見た体感からの感覚といいましょうか。


とにかく、「仕事をする理由は成長するために決まってるじゃん」が腹のそこから言えない自分がいたのです。


そんな自分に冒頭の文章がやってきました。


歴史小説家の司馬遼太郎さんが1987年に書いた文章の一節です。


「たのもしさ」って言葉の響きがズシリときました。


「成長」はどこか急き立てられるようだが、「たのもしさ」はなんとなくどっしりしているようだ。


「成長」は交感神経バリバリであわただしいが、「たのもしさ」は副交感神経がゆったりと機能しているようだ。


「成長」は常に先へ先へって感じだが、「たのもしさ」は「今、ここ、この瞬間」って感じのようだ。


働いていると、「成長はしているんだろうけど、たのもしくない」という人がいます。


言い訳、責任転嫁、主体性放棄、自己中心・・そんな人は、どこか慌ただしいだけだったり、どこか信頼できなかったり、どこか存在感が軽かったりします。


「たのもしさ」


おそらく、自分も含めて多くの人は、「たのもしさ」に飢えています。「たのもしさ」を感じる存在に触れたがっています。


「ご安心ください」、「まかせてください」って言葉、「この人に任せればなとかなるな」って感覚、「この会社の商品だったら大丈夫だな」って信頼をきっと一つでも多く持ちたがっています。


と考えてくると、「成長」ってのは「たのもしさ」を構成する一要因でしかないのでしょうね。


「成長」の先にあるもの、それはきっと「たのもしさ」の獲得なのでしょう。

June 22, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.21

このブログって誰かに届いてるのかな?

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「俺らの歌って誰かに届いてるのかな?」


売れないロックバントの問いかけが、時空を超えて数珠つなぎのようにつながり、しまいには世界の平和へとつながっていく。



「人間って生きているだけで誰かの役に立っているのかもなあ」


この作品は観る人のそんな心を刺激する作品のように思います。


2009年に映画化された伊坂幸太郎原作の「フィッシュストーリー」が、芝居になったので台風の中いってきました。


「映画と違うじゃん」って正直、思わなくはなかった。


けど、限られた空間、限られた時間、限られた予算って芝居の世界で、この作品に息が吹き込まれている事にまず感動です。


自分は、この作品を見ると旅先で知り合ったベルギー人のオヤジを思い出します。


彼の自由さ、思考のやわらかさ、物事にたいする無邪気さは自分の中ではちょっとしたカルチャーショックでした。


数日間一緒に行動した後、別れ際に住所交換をもちかけると、彼は「we can meet each other,as long as we live」(生きていさえすればいつか会えるさ)といって笑顔でさよならしてしまいました。


「ん・・嫌われたのか?オレ」とそんときは思ったのですが、きっとそれが彼の生き様なんでしょう。


なので、今の自分は彼の住所はおろか名前も覚えていません。


けど、彼と話をした内容はよく覚えています。「こんなオヤジになれたらいいだろうな」と思った感覚もよく覚えています。


で、そんな彼の存在、彼との話が時空を超えて今の自分につながっている感覚もあります。


けど、そのベルギー人のオヤジは、遠く日本の東京で、15年前に数日間いっしょに旅をともにした人間が、こんなブログを書いてるなんて思いもよらないでしょうね。


「フィッシュストーリー」はもっともっとすごいつながり感を視聴者に示してくれます。


毎度のことながら、こうしたスケールの大きい物語をクリエイトできる人間には、98%のリスペクトと2%程度の嫉妬を覚えますね(笑)

June 21, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.06.19

男性の流す涙ってやつについて

大学時代、とても男らしいOB先輩がいらっしゃいました。


大学時代の「先輩」なんて、ある程度は意識しないとその役割を演じられないものです。しかしながら、その先輩は「存在そのものが、先輩」みたいな方でした。


「男気」を絵に描いたような方でした。「先輩ぶる」のではなく「先輩らしい」先輩でした。


大学3年の時、その先輩の結婚式に参加しました。


その席で、ご本人がこれ以上なく号泣されました。


涙なんかとは全く無縁な方だと思っていましたし、多くの後輩がいる中のできごとですから、これは意外でした。


けど、その姿がかっこ良かったんですね。その先輩の「男気度合い」(?)が自分の中であがったことを今でも覚えています。


困惑の涙、混乱の涙、苦痛の涙・・・


男性はこの手の涙は人前でみせるのはよくない。ここは、「男性たるものしっかりせい!」とスイッチをいれたい部分であるのは当然です。


けど、


歓喜の涙、感動の涙、慈愛の涙


こんなのは感情にフタをせずに、人前でがんがん流せばいいんです。


どうやら、一つの涙は次の涙を誘発するようです。


涙を流すことが、ものごとに歓喜したり、できごとに感動したり、他者に慈愛の心をもったりとしやすくなる体質に人を変化させていくようですね。


追記
マニアックな話になりますが、漫画『空手バカ一代』でケンカ十段・芦原英幸も自らの結婚式で涙を流しています。空手家が感動で泣く、って昭和の格闘ファンにはちょっと衝撃的なシーンでした。

June 19, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.06.18

歓喜の涙が流れるとき

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「自分のために誰かが何かをしてくれた」


そのことを知った、気がついた、思いつかされた。


そんな時に人は歓喜の涙を流し、


「当たり前だと思っていた事が当たり前でないと気がついた」


そのことを実感した、現実をつきつけられた、寂しさを覚えた。


そんな時に人は哀愁の涙を流すのでしょう。


歓喜の涙は哀愁の涙を誘い、その哀愁の涙が歓喜の涙を誘う・・・どちらの涙もサイコーです。


それぞれが、この世の中に生を受けたっていう運命があって


たまたま、それぞれが同じ時代を生きてきた偶然と重なって


たまたま、それぞれの人生が何かの縁でシンクロした


そこで生まれた涙の価値ってのは値千金、人生の宝ですね。


生涯でどれだけの宝を得られるのかは、つきつめていくと人徳とか人望とかいった人間性なのかもしれませんね。


「喜」と「哀」と「楽」とが満載の週末でした。あと、運動(笑)。

June 18, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.13

仙台へ出張でした

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新幹線で仙台に行き、打ち合わせを1件して、牛タン食べて、そのまま新幹線で東京に戻りました。


メールやテレビ電話で打ち合わせしてもよかったのかもしれませんが、やはり直接お会いしないと伝わらない何かってのはありますね。



出張に出た帰りにゆで卵とチーズ、焼酎とハイボールを買って、車内で晩酌をしながら漫画を読むのが最高の癒しです。

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昨日はゴルゴ13でした。


中国の客家円楼がテーマの話でしたが、いつもながらに描写が正確ですね。8年前に訪れたこの場所を思い出しました。


世の中に不変、なんてものはあまりないのかもしれない。


変わっていないように見えていても、刻一刻と形は変わっている。だから、うまくいっていたものがうまくいかなくなるなんてことはよくある。


けど、ゴルゴは表向き不変です。


いつになっても歳をとらないし、ピンチはあっても敵にやられることも少ない。権力におもねる事がないし、納得のできない報酬はもらわない。笑わないし、時間に遅れもしない。


そうした不変さが読む側の潜在意識に心地よいのでしょうかね。


ポケットサイズになったり、冊子の形になったりして何回も何回も同じストーリーを読んでるし。完全に版元の術中にはまってますね(笑)


June 13, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.06.12

企業経営にはセンスが必要だということ

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『日経ビジネス』の今週号。


楠木健•一橋大学大学院教授の企業戦略についての話が掲載されていました。


かつて、先生の本『ストーリーとしての競争戦略』についてはブログでふれました。日本発のすばらしい企業戦略論だと思いました。


けど、この本を読んだ読者からこんな不満が寄せられたらしいですね。

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「当たり前の話ばかりじゃないか」「結局どうすればいいんだよ」って・・・


「本を読んでも結局どうしたらいいかわからない」なんて話を聞くことがあります。


けど、「どうしたらいいか」が誰にでも分かったら誰にでも経営はできます。事業の戦略が描けます。


当たり前のことを「自分の会社にはどうしたら展開できるか?」をちょこっとづつ考えて、既存の戦略に統合していくのが経営です。


「結局どうすればいいか分からない」からこそ、ここに「違い」ができるポイントができてくるわけです。


楠木さんは「センス」という言葉をつかっています。


「形式的な所属や肩書きの問題ではない。要は経営者視点で商売全体を考えるセンスがあるかどうかです」(P83)「100人の組織であれば、2〜3人、本当にセンスのある人がいれば十分です。そういう人が経営者として戦略を作ればいい」(P84)


おそらくここは、スポーツ選手やダンサー、音楽家やスタイリストなどと一緒の世界なのでしょうね。


プロフを見ると、教授は48歳で自分と同世代といえば同世代。すごい人がいるものです。

June 12, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.10

13年前の今ごろの話

13年前の今ごろの話


「東京にある車を大阪まで運んでくれ」と当時勤めていた会社の社長からミッションがくだりました。


で、上司と自分とで車を運転して大阪に向かいました。


すぐに東京にとんぼ返りするつもりだったのですが、「せっかくだから週末まで大阪で働け」ということになりました。


それが、週末には「来週いっぱいいなさい」ということになり、その次の週には「で、大阪にはいつ引越してくるの?」とわけのわからない展開になってました(汗)


結局、そこから1年近く大阪にいることになりました。


今思えば無茶苦茶ですが、この1年近くの時間が「自分にだって会社ができるんじゃないか?」って根拠のない確信を持たせたのですから、人間何が幸いするか分からないですね。


で、大阪時代に一緒に働いていた女性がバーをオープンさせたので行ってきました。


会うのは、12年ぶり?? とにもかくにも久々です。


バーなのに

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ゲームセンターあらしのキャップが置いてあったり

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昔のゴングが置いてあったり(リッキースティムボートが表紙というのが時代を感じさせます)


と、相変わらずで笑けました。


13年前の空気感が一気に甦ってきましたね。


昔をなつかしんでもしょうがないですけど、なつかしめる過去があってそれを共有できる人がいるってことは、癒やしになるもんですね。


June 10, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.06.07

今朝は忙しかったので暇ネタ

昨日はめちゃ疲れていたんだけど、2時半まで飲んだ。今日、出張だというのに・・・。


体重が減ったのと、納豆菌のサプリを飲んでいるせいか、どんだけ飲んでいても朝はなぜかきちんと目覚める。今日も6時に目覚めた。


で、たぶん今日も飲む。前にいた会社で一緒に働いていた方がお店を出したそうなのでいくつもり。


12年ぶりくらいでしょうかね?なつかしいな。つもる話がありすぎて、なにを話したらいいかわからん。


では、今日もきばっていきましょう。


June 7, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.06

ブログの功罪

ブログの「功」の部分。


自分が何を考えているのかを周囲に知らせられる。


で、親近感を持ってもらえることがある。ブログから趣味や指向といった会話のネタになることがある。紹介が生まれやすくなる。自分の言葉の背景を理解してもらえやすくなる。


文章を書く練習になる。


で、「将来、本を書こう」と思うようになれる。書けば書くほど、ネタが湧き出てくる。で、これはいろんなアイデアの種になる。


自分を客観観できることがある。


昔に書いた物を読むと「この時の自分は痛いな」とか「こんなアホなこと考えてたのか」と思える。思わず消したい衝動にかられる(実際は一切編集してません)。つまり、時間の経過はありながらも自分を客観視できることがある。


で、「罪」の部分


いろんな誤解を与えることがある


「ここで書いた事はそんな意味じゃないのに」ってのがたまに起きる。「ここで書いた意味をそうとらえますか(驚)」ということもたまに起こる。


物事を客観的にみているように感じられる事がある


なんか一段高い場所から物事を客観視しているように思われる時がある。ってか、自分が読んでいてそう思う時がある。


けど、これって文体をできるだけ客観的に冷静な立場になって書こうとしているだけのことであって、選択の問題でしかないんだけどね。


自分は、何においても客観的な人、物事を斜に構える人は最も嫌いな種族(?)です。


それにしても、ブログよく続いてるな(笑)

June 6, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.06.02

食べ物の写真がやたらと多い

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※花売りの少女(ミャンマー・パアン)


「何かを売っている人の写真がやたらと多い」


長旅から一時帰国して、写真を整理していた時にそう思いました。


たぶん、「物を売る」って行為や「物を売る人の姿」が好きなんでしょうね。


で、今。

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「食べ物の写真がやたらと多い」


携帯カメラで撮影した写真は、やたらと食べ物が多い。海外にいってもほとんど写真をとらないけど、食べ物だけはよく撮ります。


Facebookやtwitterなどでは情報発信をしていないので、ほとんどが日の目を見ることはないんですけどね。


とある試験に合格した方のお祝い会がありました。


めちゃめちゃ美味しいレバと焼鳥でした。


こと自分の場合、食べ物の写真っていい時間を過ごしたって備忘録のようなものなのでしょう。


June 2, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.06.01

自分を取り巻く環境を「味方」とみるか「敵」とみるか

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自分をとりまく環境を「味方」とみる。


自分をとりまく環境を「敵」とみる。


持って生まれた性質や生育歴、その仮定でできた世界観や人間観でたぶん人それぞれ。


たとえば人間関係。


「自分をとりまく環境は『味方』だ」と思っていれば、人に裏切られると傷つく。


「自分をとりまく環境は『敵』だ」と思っていれば、人に裏切られても「そんなものだ」と割り切れる。


たとえば自分がしんどい時。


「自分をとりまく環境を『味方』だ」と思っていれば、「いつかよくなる」と思える。ってか、「いつかよくなる」を信頼できる。


「自分をとりまく環境を『敵』だ」と思っていれば、「やっぱりそうなんだ」と思ってしまう。他人や環境のせいにしたくなる。


「味方」と「敵」、人はこの両極が織りなすグラデュエーションのどこかに位置していて、自分なりの世界(=環境)とのかかわりをつくっている。


どこの位置に陣取るか、はその人の選択の問題。だからそこは、「あなたの考え方は間違っている」はそもそも存在しない世界。


けど、世界は拮抗している。


世界(=環境)に対して何かを働きかけた分だけ、世界は何かを返してくれる。


人に関心を向けると、その人は関心で返してくれる。自分を開示すると、その人も自分を開示してくれる。


もちろん、現実がそうそううまくいくことばかりじゃない。


けど、世界はきっと拮抗をしている。


こんなことを書くと、教育者や宗教者の理想論みたいにも読める。


人によっては、現実を直視しない人間が何かの陥穽に陥っている(=現実逃避)って読めるかもしれない。


けど、この読み方だって「自分が選択したグラデュエーションのどこか」から、自分なりの「味方」「敵」観から生まれている。


自分はこう思う。


自分の環境を「敵」と思いたくなることなんていっぱいある。「敵」と思った方が気持ちや思考がすっきりすることなんてのもある。


けど、自分をとりまく環境を「味方」と見た方が、世界に対して何かを働きかけたくなるような気がする。「味方」と見た方が、人生が開けていくような気がする。


そこから、自分をとりまく環境との拮抗がスタートする


二日酔いの朝にしてはこむずかしいことを書きました。ん?二日酔いだからこんなことを書くのか??(笑)

June 1, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)