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2012.07.26

「本音を話さない」ってルールに支配されるとき

「自分は本音をオープンにしない」


ってコミュニケーションのスタイルがあります。


本音をオープンにすることで自分の自我に接近されるのが嫌なのか、それとも自分が抱えている闇のようなものが顕在化するのが嫌なのか・・


ちょっと顔を知っている程度の人間関係だったらこのコミュニケーションスタイルでもいいと思うんです。浅く、ライトな付き合いですね。


けど、一緒に仕事をしたり、何かを作り上げたりしていく人間関係の中でこれはちょっと困りますね。


なぜなら、この手の人はコミュニケーションをする相手が自分のエリアに入ってくる事を必要以上に恐れ、拒否しますからね。


「人のプライバシーに干渉しすぎる」という具合に認知のゆがみが発動しますので、「本音をオープンにする」って人と良好な人間関係がつくりづらくなります。(たいがいは、「本音をオープン」系の人が大嫌いなことが多いようですね)


更には、この手のコミュニケーションスタイルを取る人は、同じような仲間をつくろうとする傾向が強いようです。


「本音をオープンにしない連合」(?)ってやつですね。で、軽い上辺だけのコミュニケーションでなんとなくのつながりを持とうとする。


そのコミュニケーションスタイルを守っていれば、人間関係で自分が悩んだり傷ついたり、自分のエリアに入ってこられることは極力少なくなりますからね。


組織には、この手の人が増えていって「本音を話さない」ってルールになぜか支配される時があります。


で、「本音」がなきままコミュニケーションがとられます。


なので、「周囲が『あの人の本音だ』と思っていたことが、実は本音ではない」ってことがままでてきます。


さらには、「本音を話さない」って自分の感情を他の人に投影するから「社長だって部長だって課長だって本音でモノを話していないじゃないか」って解釈が勝手にはじまっていきやすい。


ここまでいったら、コミュニケーションもクソもないですね。この問題が臨界点に至る(で、組織が一時的に崩れる)までじっと待つしかないでしょう。


少なくとも、近くで働いている人間とは「本音の裏読み」をしながら仕事をするようなことはしたくないですけどね。


この間、仲間の会社でちょっとした社内の問題があったようなのですが、話から察するにたぶん問題の構造はこんなところにあるんじゃないかと。


当事者にとっては大変に頭の痛い問題ですが、長く会社をやっているとこの手のことはそうそうめづらしくないですからね。


一つのできごととして感情を入れずに処理するのが賢明か、と。臨界点に至る局面では、いろんなことが起きますし、そこでは自分の力を信じるしかないですからね。

July 26, 2012 |

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