« July 2012 | Main | September 2012 »

2012.08.31

情報に対するリテラシーを持つ

1


「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」


というキャッチにひかれてたとえばこの本を読む。


「日本は閉塞感に満ちている」などの話があって、「成長著しいアジアで働くことの素晴らしさ、やりがい」みたいなことが書いてある。


でも、こういう記事に触発されて海外に出てもどうなんだろうかね?


自分は「人は、閉塞感や不安をモチベーションに行動を起こしたら失敗する可能性が高くなる」って考えてますから、あまり賛成はしないけどね。


戦争だって、経営だって閉塞感や不安への過剰反応で自分から自滅する事例なんて実例は山ほどありますし。


不思議ですよね。


人間は安全の欲求がありますから、本質的には自分の気持ちや環境の安定を望む生き物だと思うんです。


けど、自分自身の安定を脅かし、不安をあおるものになぜか触れようとしてしまうってこの矛盾。


今の時代には「自分自身の現実を直視する勇気」と同様に、「不安をあおるものにはむやみに触れない」って割り切りも必要なんだと思います。


その区別は難しいですけどね。


けど、なんでもかんでも「現実だ」とするには、世の中には身体にとって毒となる情報が多すぎます。そんな情報を摂取することが、逆に「現実を直視する」エネルギーをそいだりしてしまいますから要注意です。


海外で働くでも、起業するでも、転職するでも


「閉塞感や不安から行動をしていない自分」ってのを持っておくことが重要だと思いますよ。むろん、100%は無理でしょうけどね。


ということでS君、この本の感想になりましたでしょうか?

August 31, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.30

互いの人生がシンクロした偶然に感謝

1

「○○さんが生まれてきた運命と、お互いの人生がシンクロした偶然に感謝」


と寄せ書きに書いた。


ふむ、もっとうまい字で書けばよかったな(笑)


世の中はたぶん、たくさんの運命と、たくさんの偶然とがスパークしながらなりたっている。


どのような存在の配剤かわからないけど、自分らの目の前には数多くの偶然が提供される。で、偶然からさまざまなものが生まれる。


「友達」「師匠」「彼氏彼女」「一生の仕事」「座右之書」「将来のビジョン」・・・


人と人との出会いが、「初めて会った時はこんな展開になるなんて考えもしなかったよね」なーんて時に語られるのは、人間の出会いはすべて偶然から生まれているから。


人間はそんな会話をしながら、無意識に偶然ってできごとを感謝&賛美しているわけです。たぶんね。


けど、すべての偶然が自分の中で強烈なインパクトになるわけじゃないんだよね。


「ああこの偶然があって感謝だな」って裏には、どこかに忘却された偶然が多数あったりするものです。


偶然の産物で出会ったからといってすべての出会った人と全力で付き合いなんかできないし、当然嫌いな人だって、どれだけたったって関係性が深まらない人だっているしね。


だからこそ、「この人はなんかわかんないけどいい」だとか「この人の美意識に共感できる」だとかいう人が現れると余計に人生が光り輝くわけです。


「ミラクル」


自分はたぶん現実的な人間ですから、「奇跡を信じる」なんて発想はあまり頭にないわけです。


だから、「ミラクルを信じる」なんていわれると気持ち鳥肌が立つ訳です。「根拠がないことを、すんげーキレイな言葉で濁してるな」と聞こえたりする訳です。


でも、それは誰が放つ言葉かによるんですね。


あなたの放った「ミラクル」は自分の中のどこかに確実につきささりました。


自分は比較的自分のやってきたことに後悔はしてないつもりですが、もいちど人生をリセットできるなら若く多感な時期にあなたと同じ仕事がしたかったです。


そんな思いを持ったのは、はじめてですよ(苦笑)


それもこれも、人間力がビビッドにダイレクトに問われる仕事を、高い美意識で全うするあなたの姿に共感したんでしょうね。


ってか、軽いラブレターだな・・・まあ、今日くらいはいいか(笑)

August 30, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.29

自分が知らないだけで、世界は素晴らしいものにあふれている

「You Tubeの映像をみたら泣けてきた」


と、ある席で知り合いの経営者が語っていた。


「こないだのサマソニに出てた」なんて話の文脈から察するに、話題にあがっているのが「どうも歌手らしい」ってのはわかった。


だが、グループ名を聞いても知らない。


昔はそんなことなかったのだが、最近はどうも芸能人ネタには弱い。


話のイメージでは、「海外のミュージシャンでコアな層にファンがいる歌手」って漠然と思った。


で、自分から突っ込めるネタがあるわけがなく、その場は終わった。


で、翌朝。目が覚めたら、昨日の彼の話をふと思い出した。


で、YouTubeを検索してみた。


で、驚いた。 「えっ!?アイドルじゃん・・・」


1


自分のイメージの中ではどうも彼とアイドルとが結びつかなかった。まずはそのギャップに驚いた。


で、彼女らの映像に驚いた。


「スゴいグループじゃん・・・」


自分の感性のどこに触れたんだかよくわからないけど、「ももいろクローバーZ」はすごいっしょ。鳥肌ビンビンものです。特に、リーダーのエビぞりジャンプ(って呼ぶのかな?)は圧巻です。


初代タイガーマスクの必殺技、トペスイシーダをなぜか思い出しました。


「流行ってるもの、人気のあるもの、人がガンガン集っているものとは一線をおきたい」って気持ちは常にあるけど、あまりそれに固着してもダメだね。


こんな素晴らしいグループがいる、なんて情報が遮断されていたし。


いろいろと誤解を受けそうな内容だが、書いてしまった。まあ、今年のテーマの一つは「思ってることを口にする」だからいいか(笑)


11月にコンサートみたいですね。まずは、予定空けました。

August 29, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.28

がっつけ がっつけ 2

1


「ずーっと昔から顔は知っていた、名前もなんとなく知っている」


けど、会ったら挨拶程度。


でも、


「なにか面白そうだなあ」とか「感性が自分に合いそうだなあ」って雰囲気がある人っていますよね。同性、異性とわずに。


そんな関係を打破(?)すべく昨日は食事会@東新宿の極みホルモンでした。ホルモンとマッコリを「がっつ」いてまいりました。今週は「がっつけ」週間ですのでね。


でも不思議よね。


初めて会ったのがいつだったかはよく覚えてないけど、約束取り合って新宿のホルモン焼きで酒飲んでるって展開になるなんてさ。


運命、必然、偶然・・・これらのことを語るのにいろーんな言葉があるでしょうけど、ここはシンプルに酒を飲めた楽しさに感謝です。


自分だけFacebookしてないので、一抹の取り残された感はありますけど(笑)これからも仲良くしてくださいましね。

August 28, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.27

がっつけ、がっつけ

1

「がっつく」  がつがつする、むやみに欲しがるさま。


辞書にはこう書いてあります。


けど、彼女のいう「がっつく」はたぶん違います。


まさに、「今やらないでいつやるんですか?」の意味かと。


人は、年をとると「がっつく」局面が少なくなりません?


なんか冷静になったりだとか、距離を置いたりする自分がでてきたりすることってありません?


「がっつく」って一生懸命だし、周りがみえなくもなったりする。全力だから空気を読めないこともあるし、スタミナが続かないことだってある。


だから、「がっつく」ことによって失敗することもある。「いたたたた」って経験をすることだって当然あると思うんだよね。


たしかに、大人だから何でもかんでも「がっつく」でもダメだと思うんだよね。ペースの配分も必要だし、立場をわきまえることも大事だし。


けど、生活のどこかに「がっつく」を入れておかないと、本当に「がっつく」が必要な時に、「がっつく」ができなくなるとも思うんだわ。


「どうがっついていいか分からない」みたいな・・・


人間、全力を出すってのは訓練していないとできなくなる生き物ですし。


彼女を象徴する言葉って、この「がっつく」だと思うんだよね。昨日、思ったな。


ってか、あと1週間じゃん。。関係各位は四の五の言わず、この一週間は徹底的に「がっつく」をしましょう!


自分も空気読めなかったらごめんなさい。


でもそれが、「がっつく」自分の証です(笑)

August 27, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.08.26

「らしさ」の追求が経営

1


何百万ものお客様を獲得してきたスターバックスを見てきた私の直感からは、インスタントコーヒーを疑問視する人たちもいずれはこれが妥協でも策略でもないことを理解し、誇りをもって支持してくれるようになると告げている(『スターバックス再生物語』ハワード・シュルツ P321)


スターバックスがブランドを毀損してまで売上確保に走るあまり、低迷した時代がありました。


で、創業者が経営に復帰し「スターバックスらしくないこと」を止めることで経営を回復したストーリーです。


「業績」よりも「らしさ」を選択することの重要性がこの本に根底には流れていますね。


「大きな会社ならではの綺麗ごと」ととるか、「『らしさ』がなくてなんの経営だ」ととるか、読み手によってそれぞれでしょうけど。


「らしさ」が永続的な業績をつくる、ということは企業の大小を問わず間違いないと思います。


冒頭の文章は、スタバがインスタントコーヒーに参入した時のシュルツの言葉です。


一見すると「インスタントコーヒーがスタバらしいの?」って突っ込みをいれたくなるのですが、シュルツは「インスタントコーヒーがスタバらしさになる」ってことを信じて、戦略に練りこんでいきます。


フツーの経営者だったら、「スタバのブランドが毀損しちゃうから、インスタントコーヒーなんて手を出せない」ってなると思うのだけどね。


この辺の思考回路、戦略との統合の図り方、周囲への巻き込み方


スゴいですね。


スタバといい、Amazonといい骨太の戦略を描く会社の根底にあるのは「売上を度外視してでも、らしさにこだわる」という経営者の気合いなのかもしれません。

August 26, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.25

久々に朝までやりました

1


神楽坂界隈にあるイタリアンに社員と行って


で、たまにいく新宿のバーに立ち寄って


恵比寿でお客さんに合流して、朝の4時まで


夜通し明けの東京は久しぶりでした。


朝まで飲むのって「1日を使い切ったって」感じがするので好きなんですよね。けど、翌日や翌々日に何かしらの反動がくるので結局はプラマイゼロなんでしょうけど。


数年に一度かな、よく酒を飲む時期ってのがやってくるんですね。


仕事終わってから12時まで居酒屋にいって、その後、2軒ほど飲みにいって。


朝の4時に店をでたら、どんぶりかラーメンを食いながらビール飲んで締めをして、ポテチとコーラを買って家に帰って・・・で、3時間寝て9時半出社。


これを平日毎日、なんて時代もあったものな。


何をそんなに話をすることがあるんだ、といわれると困るのですが、まあ酒飲みってのはこういう時間の中でなにかを醸成させる生き物であるんです。たぶんね。


ご一緒したみなさん、お疲れさまでした!

August 25, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.24

白黒思考はかんがえかたの自由度を妨げる、ってはなし

1

20代中盤の頃でしょうかね。


当時、乱読していたのが本多勝一さん(元朝日新聞記者)です。


海外のルポルタージュ、ジャーナリストとしての姿勢、権威に対する挑戦・・・


「事実をもって本質に迫る」って姿勢が当時の自分にはたまらなかったですね。


「ジャーナリストは危険な仕事だから顔をさらさない」と本多さんはメディアに出る時は常にサングラスをかけて変装していたんですが、自分みたいな若者(?)にはそんな姿勢や美意識がたまらないわけです。


自分の中では、ちょっとしたヒーローでした。


何の理由からか、10年ぶりくらいに氏の本を手に取りました。


読んでいて思いました。自分の文体は彼にかなりの影響を受けていますね。あとは、ものの考え方(思想ではないですよ)の方法やアプローチだとか。


これは間違いない。


けど、改めて読んでみて、いまの自分にはちょっと受け入れがたいって部分もちらほらと。


本多さんの「白黒思考」の部分ですね。


「事実をもって本質を語る」ジャーナリストですから、文章に説得力はあるわけです。で、その説得力があるがゆえに自分ら読者は惹かれるわけです。


けど、時に「支配する側、される側」だとか「殺す側と、殺される側」といった具合に、敵と味方とをばっさりと決めてしまう「白黒思考」を感じてしまうんですね。


「あの人は敵だ」とやるとその発言にはエネルギーが生み出される、ってのは世の常です。悪口、陰口をいう人間に時として人が集まるのもそのエネルギーがあるゆえなんでしょうし。


本多さんの著作を読んでると、文章に説得力があるのか、「白黒思考」がゆえに説得力(エネルギー)を感じてしまうのかが、時に分からなくなってしまうんですね。


文章に説得力をもたせるために、意図的に敵をつくっているんじゃないかな、と思ってしまったりもしたり。考えすぎ?


人間、若いうちは「白黒思考」が大好きですから(世の中をシンプルにとらえられますしね。矛盾も少なくなりますし)若い読者の共感は得られると思うんです。


けど、ある程度の年齢を重ねると「『白黒思考』が考え方の固着を生み出す」なんて経験をする訳です。


固着は「固さ」「不自由さ」「選択の制限」を生み出しますから、自分はできるだけ距離を置きたいんですよね。


可能であるなら、つねに高田純次さんみたいな自由度でいたいですね(笑)

August 24, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.23

こんなこと知らなかった方がよかったんじゃね?

1


「こんなこと知らなかった方がよかったんじゃね?」


こう思うことってたまにあります。


たとえば、「成長の過程で人間がどのように認知のゆがみを作りだし、それが大人になってどのような影響を周囲に与えるか?」なんて知識。


こんなことは、心理学の本を見れば書いてあります。


本来、この手の知識はさまざまな問題を解決する補助線として活用するのならいいのでしょう。


けど、人間は知識に流されます。油断をしていると知識に固執していきます。


だから、知識があるがために事実をありのままに見れない、物事を複雑にしてしまうなんてことがでてきたりします。


「この手の心理学の知識があるがゆえに逆に人間関係を悪くしてしまう」なんてことがフツーに起こるわけです。


まさに、「そんなんだったら知らない方がよかったんじゃね?」ですね。


自分の場合、社員採用がそうですね。


たぶん、創業した10年くらい前は、履歴書を見て面接をしてシンプルに人を採用していました。


けど、経験や知識がつくことによって、「いい採用」というのが何かよくわからなくなってきています。一時期はさまざまな問題に直面し、そもそも「いい人材」とやらが何かもよくわからなくなりましたしね。


で、そんな思いはいまでも続いているわけで、自分なりに試行錯誤を続けているわけです。


でも、最近、ちょっとだけ光明がみえてきました。


「知識と出会うこと」と「それに近づくという判断をすること」


たぶん、これは一人一人に与えられた宿命なんです。


「知識と出会う」人は出会いますし、「知識に近づく」という判断をする人はそういう判断をするように宿命づけられているんです。たぶん。


「知識に近づく」ということは、分かることが増えるだけ分からないことも増えるわけですから「モンモンとした状態がやってくる」という宿命を背負います。


物事が複雑になったように感じたり、混沌とした状態に突き落とされるような感覚になっていったりします。いつまでたってもクリアーにならないんじゃないか、という思いにかられたりします。


それは、面倒でかったるくて逃げ出したい世界だったりします、


けど、人間にとって一番のクリエイティブな状態はこの「モンモン」らしいですね。


この「モンモン」を突き抜けた先にある世界


これはきっと、「知識に近づく」という判断をする人にのみ与えられるギフトなのでしょう。そこは、できごとの見え方がまったくことなる世界。自分のレイヤーが一段あがった世界であるはずです。


昨日は2ヶ月に一度の研修会。


みなさん、それぞれの課題でモンモン状態で悩んで帰路についたんじゃないかしら。


お金払って研修に来てモンモンとした状態になるなんて、M気質が強い人ばかりだな(笑)


けど、確実にいえること。


一つは、「モンモンを安易に解消したい」と思う気持ちからは何も生まれないということ。ここは間違いないね。割り切りは心の弱さ、です。


二つ目は、「モンモンを超えた先にある世界はいつか開ける」ということ。いつかはわからないけど、開けていくんでしょう。


で、最後は「いつか開けた世界にも必ず次のモンモンがやってくる」ということ。で、それは一生続いていくこと。


まあ、次々とモンモンが続くわけですから、こりゃ何かしらの宿命などなきゃ突っ込めない世界かもしれないよなあ・・・


でもさ、剣豪・宮本武蔵も知識を学んでから本当に強くなったわけだしね。


「知らなかった方が良かったんじゃね?」ってのはきっと知識の使い方が間違っているということなんだろうね。


ようやくとこの辺のことが自分なりに言語化できましたです。

August 23, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.22

自分の原体験をちょっとだけ書いてみます

1


1989年夏、静岡県は弓ケ浜。大学一年生、部活の夏合宿初日。


練習が終わって、食事の準備をして、練習用のリングを組み立てて、洗濯をして、ミーティングをして・・・へとへとになった夜の10時ごろ主将に呼び出された自分を含めた1年生3人。


「監督が12時には到着されるだろうから、表で待っていろ」の指示。


で、正装(学ランでした)で真夏の夜の道ばたで監督を待つことになったのです。


けど、12時を超えても、1時を超えても、2時を超えても監督は一切来られる気配はなく・・・近くでは同世代の男女が楽しそうにしているのに頭がきはじめ・・・


3時頃になると暑さと明日の練習の不安と眠さで3人のストレスMAXになってきて・・・


なぜか理由は忘れましたが自分以外の2人が殴り合いのケンカをはじめて・・・


で、2年生の先輩から「ふざけんな」となぜか自分が怒られて・・・「こんな部活に入るんじゃなかったかな」と一抹の後悔が頭をよぎり・・・


そんなこんなで、結局、監督の到着が朝の5時半過ぎ。


車までお出迎えにいくと、「お前らずっと待ってたの??バカじゃねぇ」と・・・。


で、6時からはじまる練習に一睡もせず参加し、ランニングをしながら3人で吐きまくった。


まあ、無茶苦茶ですが、無茶苦茶だと思っていなかった(というか、自分たちよりの上の世代はもっと大変だと思っていた)のですから、変わった学生だったのでしょうかね。(でも、周囲は無茶苦茶が楽しい、みたいなヤツばかりでした)


昨日はこの時の監督とご一緒しました。


いまはさまざまなご縁で仕事を一緒にさせていただいているのですが、学生時代の自分からは全く想像もできないことです。


自分がこの監督から学んだことは数限りないですね。


言語化するとありきたりのような感じになってしまうので本意ではないのですが、「リーダーシップを発揮すること」、「使命をもつこと」、「時に無邪気になること」、「リーダーや先輩としての美意識を持つこと」、「私をすくなくすること」・・・


などを学びました。


「バカじゃね」などといわれても「頭にくる」だとか「自分のプライドが云々」だとかは一切思えなかったのは、リーダーとして人徳があったのだと思います。


当時の部は今考えても素晴らしい組織でした。


合宿の最終日、打ち上げで自分ら3人は正式に部員として認められました。


その時に、監督から「素晴らしい合宿だった。一年はよくがんばった」と声をかけていただいた時の嬉しさは、「がんばればいいことがある」って自分の原体験ですね。


そうそ、あの時にケンカした2人のうちの一人が昨日誕生日だと思い出しました。


3年くらい連絡をしてないので「たまにゃ電話でもしてやろう」と思ったのですが、自分の電話に番号登録がありませんでした(笑)


常々、「本当に仲のいいヤツはこまめに連絡なんかとらないんだよ」と思ってますが、さすがに電話帳に名前がないのには笑えました。


このブログは絶対に読んでないと思うが(笑)むらちゃん、誕生日おめでとう。


合宿が終わって東京に戻ってきて池袋の地下街でたべた飯のうまさと、合宿が終わった開放感は忘れられないわ。いまでも池袋はよくいくんであの場所を通るたびに思い出すな。今はドラックストアになってるけどな。


ってか、最後に一緒に豊島園にいったのはお前とだったな、とこないだ思い出したわ(笑)


なにげに、自分の原体験のいたるところに登場してるし(笑)


August 22, 2012 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2012.08.21

体験に横着しない

1

仲間のお子さんが大学に入学した。なんでも、6年間勉強をして人を治療する仕事を目指すという。すごいね。


これからさまざまな出会いがあって、さまざまな選択肢が生まれてきて、さまざまな経験が重なって、さまざまな価値観が生まれてきて・・・


それらが、自分の中にすでにある人格に少しずつ練り込まれていく。


長い旅に行けたり、これから恋愛したり、生涯の友達がみつかったり、仕事をする楽しみを感じたり・・・


と「うらやましいなぁ」と思う自分が半分。


この世は誤解や無理解、理不尽や筋が通らないことに満ちている・・・


をどこかで体験するのだろうから「これから大変だねっ」が半分か。


「体験することに横着すんな」


自分が仮に20歳の頃の自分に言うとしたらこの言葉か。


生きているといろんな体験をする機会がやってくる。人と出会う、どこかにでかけようと誘われる、本や映画をすすめられる・・


こうした一つ一つのできごとを、善悪の判断をつけずに横着せずにできる限りこなしていく。


当然、「あの人は気が合わなそうだ」だとか「なんとなくかったるい」だとか「金がない」だとか「時間がない」だとか「面白そうじゃない」だとか自分なりの判断は生じるわけです。


けど、若いうちから自分の判断なんかで向こうからやってくるできごとをシャットアウトするのはもったいないと思うんだよね。


「自分の将来の選択肢は、今の自分が考えていることの外にある」


たぶん、そんなもんだと思うんです。


いろんなできごとが、自分に向かってくる。それらを体験して、何かを感じることから自分の世界が開けていくんです。


たぶん、人間はできごととそれを体験することから個性が創造されるんです。自分自身が個性をつくる、なんてのは幻想なんです。


体験に横着すると、いろんなできごとが起こらない体質(?)になっていきますよ、たぶんね。


「なにかいいことないかなあ」なんて口ぐせにしている人が、一つ一つの体験に横着だったりするのをみると強く思いますわ。


素晴らしい大学生活を。


追記
めちゃうまい鰻でした。まさに、灯台下暗し。仕切り人に感謝!

August 21, 2012 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2012.08.20

人は人間関係の中で傷ついて、人間関係の中で復活をしていく

1

「なんだか今の自分って元気がないなぁ」


人間は「充電」と「放電」を繰り返して生きているので、「放電>充電」になればエネルギーが枯渇して、元気がなくなることはあるわけです。


でも、生きていれば何からを充電しているわけです。


睡眠や食事、他人からの存在証明や賞賛。本の一節やスポーツの感動シーン・・などなど


たぶん、さまざまなものを充電していくうちに自然と元気を取り戻していく生命力が備わっているものなんです


けど、ここに一つの前提があります。


それは、自分に起きるできごとに、「自分の想像」を加えないことです。


元気がない時、なぜか分かりませんが、人は想像するってスイッチが入りやすくなっているようです。


だから物事をありのままに見ることができない。


他人からの賞賛やなにげない一言が、想像ってフィルターを通じてしか入ってこなくなったりする。悪く考えたり、意味を取り違えたりしてしまう。


想像するってのは、人間が思っている以上に頭や精神を摩耗させますから、結果的に「充電」が「放電」になってしまう。それゆえに、元気がなかなか取り戻せなくなってしまうんでしょう。


さて、「アニメを映画館でみてもしょうがない」と思っていたんですが、あまりの評判の良さにいってきました。


人は人間関係の中で傷つき、人間関係の中で復活していく


そんな映画と観ました。


「自分は誰かに肯定されている」とか「自分は誰かとつながっている」だとか「自分は誰かの期待を背負っている」だとか「自分は誰かに影響を与えている」だとか「自分には誰か分かってくれる人がいる」だとか・・・


こうしたことを実感できると人は生きる力が充電されるんでしょう。


けど、普段、こういった周囲からの肯定感をバシバシ感じながら生きている人って大多数なのかしらね?


自信をなくしたり、周囲を信用できなくなったり、何をしてもテンションがあがらなかったり、ネガティブな想像ばかりが渦巻いてきたり・・


そんな局面がありつつも、なんとかヒーコラと生きているのが多くの人間じゃないかしら?と自分は思うけどね。


でなきゃ、この手の映画に何かを求めてこれだけの人が集まりませんって。


周囲との関係性を感じられるものを無意識に求め、生きるエネルギーを蓄積しようとしている


今の日本はそんな集合的な無意識が働いているようにみえるけどな。


いろいろとゴタクを並べましたが、素晴らしい映画です。日本テレビ、やるね。

August 20, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.18

いじめについて考えさせられた

1

まずはとにかく読んでください。多くの人に何かを感じてもらいたいと思いました。


君、想像したことある?


いじめをテーマに各界の著名人が子供たちに語りかける連載が朝日新聞でありました。


「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」の切り口で、34人の作家、芸能人、学者によるリレー連載です。

2

ずーっとこの連載を読んでましたけど、いじめに対して何らかのアクションを起こそうと思ったお父さんやお母さん、何かを考えた子供たちはいっぱいいたんじゃないかしら。


さすがにこの手の企画は新聞(特に朝日の企画力はスゴいと思います)ならではだと思いました。


最終回は、タレントの春名風花さん。


テレビ見ないんでこのタレントさんは知らなかったんですが、小学6年生とは思えない素晴らしい文章でした。


というか、ここ最近読んだ文章で一番衝撃的でした。


連載をまとめた本『完全版 いじめられている君へ いじめている君へ いじめを見ている君へ』が9/20に朝日新聞出版から発売されるようです。


一人でも多くの人に彼女の文章が届きますよう。

August 18, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.17

自分の中で答えがでない問題ってやつについて

「自分の中で答えがでない問題」


に直面するとします。


当然、答えがでないから悶々とします。


で、悶々とした状態では人は正常な思考が働きにくいですから、ますます答えがでなかったりします。


で、そのことがますますと人を悶々とさせエネルギーを消耗させます。


多くの場合エネルギーの消耗は周囲に分かりますし、特に近い人には伝染をしますから、結果として自分に返ってきたりします。


で、それがまた自分を悶々とさせることに拍車をかけます。


さて、こうしたマイナスのループから人はどう抜ければいいんでしょうかね?


「時間が解決する」と頭では分かっていても、その時間の経過がもどかしかったり


「いつかクリアーになるだろう」と経験では分かっていても、今回ばかりはその確信がもてなかったり


「他のことで気をまぎらわせる」と意識を変えてみても、今ひとつそのことに集中できなかったり


「病んでいる」


って自分はあまり好きではない言葉がありますけど、まさにこんな状態を指すのでしょうかね。


自分がこういう状態に陥った場合、口にしなくてもいいことを口にしやすいですし、酒に酔いやすいですし、心がざわめいているのでじっとできずに多動になりやすい。


多動は刺激的なものを求めやすくなりますから、まずは「繁華街」だとか「大きな決断」だとかいったものからはなるべく距離を置くようにします。


刺激はエネルギーを消耗させやすいですし、心のざわめきや次の刺激を生みやすいしですしね。


で、とにかく寝る時間を増やします。


この手の時ってたいがいは呼吸が浅く、短くなっているでしょうし。悶々としている時間を日常生活の中からできるだけ減らします。


あとは、エネルギーを補給してくれるモノの摂取ですね。


大好きな映画『サウンドオブミュージック』を観たり、劇画『ゴルゴ13』を読んだり。あとは、旅をしていた頃に読んでいた本(沢木耕太郎さんがベストですね)や歴史の本(新撰組関係がいいですね)を読むとエネルギーが補給されてきますね。自分の場合は。


実は今も、「自分の中で答えがでない問題」ってやつがいます。


「問題なんてチャレンジングな人生を送っていれば墓場に入るまで次々と追いかけてくるもの」って諦観はありますよ。


だから、問題が嫌だ、って意識はほとんどない。


でも、エネルギーが枯渇した状態で人と接して、何かしらの誤解を受けるとしたら嫌なものですね。本人はまともなつもりでも、フツーの状態とちょっと違うわけですからね。

August 17, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.16

お盆休みが終わったのだ

1


とにかくよく飲んだ、よく食べた、よく遊んだ。


毎度のことながら休み空けは、宴のあと状態。


なんなんだろうね、面白いことがあった後のこの感覚ってさ。


寂しいや悲しいって感覚とは違うし、余韻って感覚もどこかしっくりとこない。


体内のアドレナリンが徐々に沈静化していくような感覚。身体のどこかでいまだ興奮した自分が存在しているような感覚。時間を共有した人がそれぞれの世界へと戻っていってしまうような感覚。


ってか、こうして言語化することがナンセンスな身体感覚。


おもしろい、はおもしろいままでいい。


その後の、宴のあと状態もたぶんそのままでいい。


時間の経過とともに感情が沈静化していく中で、きっとどこかで柔らかくなっていたり、力強くなっていったりするものがあったりするんだな。


昔の人は、お祭りをやって宴のあと状態を日常の中で意識的につくっていたと思うんだよね。それが、さまざまなパワーを生み出してきた。


すごいね、おいららの祖先ってさ。


では、今日から仕事のスイッチをいれていきましょう!

August 16, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.15

20年ぶりか?豊島園へ

1


「豊島園なんて子供ばかりだし疲れにいくだけじゃん」


電車ですぐいけることもあってか、確かここには社会人になってから一度も足を運んでいないはず。


けど、有料席が海外のプライベートビーチみたいになってるんですね。昔からあったのか?それとも、庶民育ちの自分には無縁だっただけなのか。


豊島園っていうと「数少ない日陰をめぐる親同士の場所取り合戦」みたいなイメージもあったんで驚きです。


シャンパンとビールを飲んで目をつぶってぼけーっとしていたら、その昔に訪れたタイのラン島にタイムスリップしたいみたいな感覚になりました。


「いやや、この時間がずっと続けばいいなあ」


ってお客さんと二人でビーチで寝転びながらシンハービールをたらふく飲んでいた7年ほど前の夏の日々がなつかしい。


「この時間がずっと続いたらいいなぁ」って瞬間を集めるために人は生きている


20代後半に旅をした時にそんなことを思ったのですが、今でも基本は変わりませんね。


旅にでると刺激や出会いがふんだんにあるのでそんな瞬間が集めやすいんですけど、ご近所の豊島園だってそんな瞬間になりえますね。


すべては他者との関係性次第なのでしょうけどね。


なんか最後はだいぶ疲れてたし酔ってたかもな(汗)12時間寝て復活しました。ご一緒した皆さん、お疲れさまでした!

August 15, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.14

映画は時に、自分の欲の部分を肯定してくれる

1


人間は、理性と欲望の葛藤に苛まれている


専門家でないので詳しいことはよくわからないんですが、イメージとしての心理学って人間に対してこういう前提があると思うのです。


で、その前提があるがゆえに、心理学が実学として使いにくい部分があるんじゃないか、とね。窮屈でなんとなく自由度が低い、みたいな。


この映画の監督のサラ・ポーリーがこんなことを書いてました。

2


人間は欲望に満たされる必要があるの。この作品で、そんな心の状態から逃げ出そうとしてはいつもうまくいかない、そんなプロセスを超えた人間を表現したいと思ったの。


沢尻エリカ主演の『ヘルタースケルター』では欲望充たしまくりの主人公が、この映画では欲望を満たそうとしてはうまくいかない主人公がでてきます。今夏公開の二つの映画を、「欲」って視点から対比して観るとおもろいです。


人間をかしこいもの、理性的なものとする人間観があります。


一方で、人間はずるいもの、人をさしおいて欲望をみたしたいものとする人間観があります。


後者のような人間観を映画や芝居、文学や芸術ってのはそれとなく肯定してくれることがあるんですよね。


ん? というか、人間のずるさやいやらしさを表現するために芸術はできてきたのが実際ではないでしょうかね。


「どちらのの人間観に立つ」ということではなく「どちらの人間観も受け入れる」って姿勢を持つことができれば、人はたぶん必要以上に悩まなくなったりするんじゃないかしらね。


ごくごくフツーの洋服ばかりなんですけど、この映画の主人公ミッシェルウィリアムズのガーリーな洋服の可愛らしさも一見の価値ありです。サラ・ポーリーってセンスいいですね。

August 14, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.08.13

人は遊びの中で完全に人である

1

人は遊びの中で完全に人である


文脈も言葉の背景も分からないんですが、いい言葉です。


自分や周囲に対する無茶や無理がない状態で、純粋に遊んでいる自分


ってのは、人が「完全に人」であるための時間と空間なのでしょう。


自分は、困ったことに遊びが過ぎると「遊びをほどほどにしとかんと」みたいな意識が働くんですね。


たぶん、成育過程ではまった梶原一騎のスポ根マンガで刷り込まれたんだろうな(苦笑)


ホントは「ほどほどに」なんてセーブするって意識は、超自我の類いで不要なんだろうけどさ。


週末は大雨警報にもかかわらず天候に恵まれたゴルフでした。それにしても、いい時間だったなあ〜。


まさに「完全に人」の2日間でした。ご一緒したみなさん、ありがとうございました!

August 13, 2012 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2012.08.11

今日からゴルフです

1

今日からゴルフ合宿いてきます。おなじみの(?)ヤクルト飲み放題。


あらら、昨日の酒がちょっと残ってるわ。


今日もだいぶ飲むので納豆菌&ウコンをがっちり持っていきます。


ご一緒するみなさん、よろしくです!


August 11, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.10

好きな言葉を一つあげるとすると

1_3

「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」


好きな言葉なんてその時々の気持ちや環境にだいぶ左右されると思うのですが、いまの自分が一つあげるとするとこの言葉ですね。


幕末の志士・高杉晋作によるものらしいです。


江戸幕府を倒すなんて大きな仕事をして、20代後半で亡くなりながらも歴史に名前が残っている・・そんな大人物が、「世」を「おもしろきこともなき」といっているのが「おもしろき」ですね。


たぶん、自分らの周りで起こるできごとには「おもしろき」も「おもしろくなき」もありません。


一つの現象として、さまざまなできごとがこちらの方に向かってくるだけです。


それに、解釈や意味づけを与えるのは自分たち一人一人。


そこは、「おもしろきできごと」があるわけじゃなくて、「おもしろきできごとという個人の解釈」があるだけの世界。


「おもしろき仕事」なんてのも実は幻想で、「おもしろき仕事という個人の解釈」があるだけなんですよね。


ここ、間違えると世の中に不平不満ばかりいうで


人の放つ言葉の意図を詮索するのはナンセンスですが、こんなことを彼がいっているように思えてなりませんわ。


追記
と、書いてきましたが高杉晋作の究極の世界観は


「おもしろき」も「おもしろきこともなき」にも無頓着だった


と思いますわ。


「別にどっちでもいいじゃん。いちいち、できごとに解釈しなさんな」って世界観ですね。


それなのにこんな言葉を残したのは、「おもしろき」とか「おもしろきこともなき」に一喜一憂している人への皮肉なのかな、とも思ったり。

August 10, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.08.09

真の独立は経済の独立

合宿にいく金がなくてやむなく高田馬場(学生ローンがたくさんあった)にいったのが大学一年のとき。二つ上の先輩に紹介していただきました。


学生証だけでお金が借りられ、確か金利は毎月3%。


10万円借りると、毎月3,00円の利息ですね。まずはこの利息だけ入金しておけば督促にあうことはありません。


最初は恐る恐るでしたが、しだいに麻痺していきまして・・・当時、隆盛を極めていた百貨店系のカードだとかもつくるようになって・・・


どこかに、「借金がある方が偉い(男らしい?)」だとか「ビンボーしているのはカッコいい」みたいなおかしな空気感が周囲にあったこともあって、それなりにお世話になった学生生活でした。


で、社会人になれば縁がなくなると思いきや、なんだかんだと付き合いがずるずると続き・・・そうしていくうちに無職(夢食?)になって、旅人になったのでお金がまったくなくなり・・・


時給950円のアルバイトをしながら、旅にいきながら、借金を返しながらってのはどこかに無理がありますね。いつになったら完済できるのだろう、とよく思ってました。


ローンや借金をすべて完済したのが「社会復帰」して、広告代理店に勤めていた30歳間際のこと。全ての支払いを終えて街を歩いた時の爽快感はなんともいえませんでしたね。周囲の色が鮮やかに見えた気がしました(笑)


真の独立は経済の独立


といったことを小説の中で司馬遼太郎さんが坂本龍馬(だったかな?)に語らせていますが、ここは確かにそうですね。


経済の独立がないと、そこに固着をしてしまい発想や行動が制限をされてしまいますからね。


「独立するのはめちゃ簡単、けど経済的な独立を獲得するのは難しい」


と、こないだ独立志望の方にお話ししたんですが、背景はこんなことです。


独立を「自由の獲得」とみるのはおおいに結構でしょう。確かに、自由度は圧倒的に広がるでしょう。


けど、「経済的な独立に向けての長い旅のはじまり」って考えるとそれはそれでしんどいものですよ。


売上が上がって利益が出た


ってのは、「経済的な独立のための条件の一つ」であって、経済的な独立ではないですからね。

August 9, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.08

脳みそのエサは知識で、感情のエサは印象

「脳みそ」は知識というエサを与えると喜び、「感情」は印象というエサを与えると喜ぶ。


この話を聞いた時は軽い衝撃を受けましたね。


この説(?)に従うと、「頭はいいし、知識はあるんだろけどなんか魅力的ではない」って人は


「印象」というエサが不足しているために「感情」がちゃんと育たず、「脳みそ」が主体で人格が構成されているから


といえるってことですよね。うーん、なるほど。


「感情」を育てるために意識的に「印象」を摂取する


これは、年齢を重ねて経験や知識で「脳みそ」がいっぱいになった大人だからこそ取り入れたい部分だと思います。


自分らはぼけーっと生活していると、お手軽な知識で「脳みそ」ばかりを育ててしまう時代を生きてますからね。


「印象」ってのは、身体の感覚だとかイメージだとかいったものの総称といったらいいんでしょうかね。


芸術でも、映画でも、文学などよくわからないものに触れる事によって育てられるのものらしいです。


「よく分かるもの」は「脳みそ」がオンモードになって「知識」として頭に摂取をしてしまいますから、「よく分からないもの」と意識的に触れ合うことが「感情」のエサとしては不可欠になっていくんです。


「映画を観たんだが、あの映画はよくわからん」って時には、たぶん「脳みそ」が満足しない分、「感情」が育っているんですよ。


「もったいなかった」というより「感情にエサを与えた」と考えた方が前向き(?)ですね。

August 8, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.07

「人間は忘れられる生き物」とはいうけどさ

「人間は忘れられる生き物」


大事な人との別れに直面した時、「いつまでもこの辛さが続かない」と鼓舞するのは人間の叡智ですね。


で、ここには「自分自身がさまざまなできごとを忘却の彼方においやってきた」という過去の体験があったりします。


人の「しんどいことを耐えるメモリー」(?)はたぶん限界があります。だから、ある一定のキャパを超えるとDeleteされてしまう。


身体や脳みそのことはよくわかりませんが、「しんどいことを自分の意志をもって忘れようとする」というよりは、「しんどいことをそんなに覚えていられない」ってのが人間ではないでしょうかね。


ここは、人間が持つ自分自身の心がいっぱいにならないための防衛機能だと思います。


けど、ここでジレンマが生じることがあります。


「別れ」で感じるしんどさを忘却するのはいい。けど、「そこに付随している素晴らしい時間や思い出もなくなってしまうんじゃないか?」という恐怖にも似た感情ですね。


「別れ」が辛いのは、「別れ」の寂しさやしんどさだけではなく、この手の「別れの周辺感情」が噴出してくることがあるからなのでしょう。


さらには、この辺の「別れの周辺感情」が強い人とそうでない人がいます。


「別れがあるのは生きていればしょうがないじゃん」とたんたんと(?)している(ように見える)人と「そんなことは分かってるけど、この感情をどうしたらいいんだよ!」という人がいます。


そこで発生するコミュニケーションギャップが、「別れ」の寂しさやしんどさに追加されるのですから、「別れの周辺感情」が強い人にはたまりませんね。


まさに三重苦です。


たぶん、この手の問題を解決する魔法の杖は世の中にはないのでしょう。話を聞いてもいくばくか感情が整理されるだけで抜本的な解決にはなりにくい。


月並みですが、ここは時間をかけて、できごとの見え方が変わってくるのを待つしかないのでしょう。


その時に「別れの周辺感情」が自分と同じ感覚の人が周囲に一人でも二人でもいればいいですけどね。そんな人と下手に感情を解決しようとせず、モヤモヤ、グルグルの世界観に身を置いているのがいいんですよ、たぶん。


「人間の存在感ってのは喪失の経験からしか生まれない」


なんて話もあります。きっと、モヤモヤ、グルグルの時間が人に存在感というギフトを与えるんでしょうね。


ここは、しんどいし、いやーな時間だけどね。

August 7, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.08.06

「何か」は「どこかに」たぶん蓄積されている

1

このイベント、今年で何回目になるんだろ。


今年は各ブースの作り込みが簡素化した感は受けたけど、お客さんは昨年より多かったんじゃないかな。


「イベントに訪れている人の集合的な無意識は何だろうか?」


と思いながら会場をクルクルと回ったり、お取り引きのある方と話をしたりしていましたが、特に何も思い浮かびませんでした(笑)


でも、こうした頭のスイッチを働かせると、「何か」が「どこかに」蓄積されると思うんだよね。ちょうど、水蒸気が空にのぼって雨雲になっていく、みたいな感覚で。


その「何か」がある日、雨となって一気に降ってくる(こともある)


仕事ってのはそんな「瞬間」を迎えるのための準備期間の繰り返し


といったらいいすぎでしょうかね。


とまれ、今週もきばっていきましょう! 13〜15日はお盆休みです。

August 6, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.08.05

「江戸川の花火」は東京と千葉とで開催されているらしい

1


知らなかった。


いわゆる「江戸川の花火」が、


「江戸川区花火大会」「市川市民納涼花火大会」と2つのイベントとして開催されている事実。


大会の進行もそれぞれ違うんだと。


うちらは市川側だったんだけど江戸川側から「we will rock you」がかすかに聞こえてきていたが、どんな進行だったのだろうね。


同じ花火を観ながら、川の向こうでは別の花火大会が開催されているなんておもろいね。


今回の花火、前日から場所をとってくれたスーパーできる子のお陰で、人がこれでもかこれでもかといる中、すんごいいい場所で寝転びながら花火をみることができました。

3


4


めちゃんまい酒に、めちゃキレイな花火、久しぶりの芝生の触感・・天気がいいのも相まって素晴らしい夜でした。


過去に忘れていた夏の楽しみを思い出させてくれるようなさまざまな企画、いつもありがとうね。


そう、近くの子供と格闘してたせいかで身体が痛く、故障したふくらはぎが良くなりません。今日は動きたかったけど、渋谷に映画でも観に行くことにします。


みなさん、いい日曜日を!


August 5, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.04

そいや君づけで呼ばれることが少なくなったな

1

大学時代の同級生が会社にやってきました。


彼女は、旅にでた頃の自分を知る数少ない生き証人(?)のひとり。昔はたまに会ってたんだけど、しばらく縁がきれてて、で、ここ数年でひょんなことからたまに会うようになりました。


なんでも、「創造性開発のための技法を学ぶ一環として、働くことに対して意見を聞きたい」というので好き放題に話をしました。


話をしてて思ったのだけど、彼女は自分のことを「君」づけで呼ぶのですよね。


元同級生だから当たり前といえば当たり前なんだけど、自分をとりまく関係で今でも「君」づけで自分を呼ぶ人がどれだけいるだろ、って考えると案外といないんですよね。


昔、アルバイトしていたバーのマスター、学生時代にたむろしていた新宿のスナックのママの娘(彼女は年下ですが)・・・


あとは、高校時代と大学時代の女性の同級生になるんだろうけど、リアルに会う人はだいぶ少なくなったしな・・・


いまから自分を「君」づけで呼ぶ人が現れなくはないでしょうけど(政治家と知り合ったらそうよばれれるのかな?)、若い時代からの風雪を重ねた(?)「君」とは重みが違いますしね。


この手の「君」がひとつでもふたつでもある事は、自分の財産です。

August 4, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.03

これから独立しようと思う。但し、アイデアなし。

「これから独立するとする。手持資金は200万。事業アイデアも取引先もなし」という状況に置かれたらどうするか?


「独立したい」という人が近くに多いので一度これについて考えてみます。


まずは、事業アイデアをなんとかしなくてはですね。これがなければどこにどうやってお金をつかうかさえ決まらない。


けど、アイデアなんて「うーん」と唸っていてもでてこないもの。で、仮にでてきたとしても、どこかでだれから同じようなことを考えているもの。


自分なら、まずは「自分の得意なこと」を考えます。「自分のやりたいこと」ではなくて、「得意なこと」ですね。


自分の場合であれば、「珠算(暗算)」「日本史」「プロレス&格闘技」「旅」「読書」とかでてくるんでしょうかね。


あとは、「なぜかどこでも幹事を任される」とか「文章を書いて表現するのが好き」とか「企業戦略の本はマンガを読むように読める」とかでもいいでしょう。まずはこの辺の能力を棚卸しします。


その上で、インターネットでひたすら検索をかけて、「自分の得意なこと」と同じような人種(?)の書いたブログや日記を読みます。


で、それらのブログや日記の背景にある、書き手の無意識を知ろうとします。「この人はなんでこうなんだろう?」と書き手の背景や無意識を考えることは、自分自身の強みや弱みをみつけることにつながります。


強み、弱み分析は事業の根本ですからね。まずはここを行います。


で、「それらの人(ブログや日記の著者)が世の中にどう役に立ちそうか?」を考えます。


「人間は、自分のことはよくわからない」


なーんていわれます。けど、これって悪いことだけじゃなくて、いい部分も含めてだと思うのですよね。


だから、「自分が世の中にどう役立つか?」を考えるよりも「自分と同じような人が世の中にどう役立ちそうか?」を考えた方がたぶんアイデア出しの思考回路としてはいい。


自分ならこれをひたすら繰り返しますね。人と会って、「何かいい事業のネタないですかね?」とやるよりもたぶん効果的だし、なによりお金がかからない。


1日に8時間ネットに張り付いて、ネットサーフィンしながら問答を繰り返していたら何かしらのアイデアの萌芽がでると思うのだけどね。


まっ、このアイデアの萌芽が「ビジネスとしてお金になるかどうか」ってのは別次元の話でしょうけど、とにかく萌芽が一つでも多くなければはじまりませんから、とにかくここは徹底的にやりたいもの。


そのうちに、「ネットでは調べ尽くした感じがする」となるでしょうから、そしれから調べたものを持って街に出て行けば良いんです。人に会えばいいんです。


本田技研の創業者・本田宗一郎さんが「アイデアは振り絞って出すもの」といったことを言われていました。


本田さんのような大経営者すらこうなんですからね。骨太の事業アイデアなんてそうそう簡単にはみつからないんですよ。会社を5年や10年やってて見つかるか、って世界観じゃないかしら?


逆にいえば、だからチャンスがあるんですけどね。


ここは、「運命の扉は順番待ち」を信じてたんたんと仕事をしていく人にある日アイデァが降ってくるような世界観なんだと思います。

August 3, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.02

猪木VS長州から28年目の夏

「もう猪木はジャーマン(「原爆固め」というプロレスの大技)は体力的にできないだろう」


1984年、中学校3年の夏。部活の仲間とテレビプロレスを観ていた時に全日ファン(ジャイアント馬場さん系)の一人がこう口にした。


新日ファン(アントニオ猪木さん系)の自分としては「そんなことはない!」と声を大にしていいたかったが、当時の猪木さんはたしかにかつての勢いが無いように感じていたのも事実。


大勝負になると登場する原爆固めも、1981年の夏のマスクドスーパースターとの一線を最後に3年間封印。(実際は、1983年に地方大会でアニマル浜口を相手にこの技を仕掛けようだが、とても昔ながらのジャーマンでなかったようだ)


当時の自分の一番の悩みは受験でも部活動でもなく、「猪木さんの今後と新日本プロレスの経営」という訳のわからない中学生(笑)


その昔、猪木さんが「40歳を過ぎてもレスラーをやっているなんて考えられない」的な発言をしていたこともあり、「さすがに体力の限界なのかな」と寂しいやら残念やら・・そんな思いでテレビをみていました。


が、次の瞬間、プロレスの神が降臨したんですね。


長州力の背後に回った猪木さんの鮮やかなジャーマンスープレックス。わずか2〜3秒のできごとだったんですが、スローモーションのように見えたのを覚えています。


「仕事で疲れて帰ってくる。すると、長嶋がホームランを打ってくれて仕事の疲れがふっとぶ」


高度成長時代のプロ野球にはこの手の話があったと聞きますが、自分もそんな思いを猪木さんには何回もしましたね。その最高峰がこの猪木VS長州の原爆固めでした。


残念ながら猪木さんは「イチ、に、サン、ダー」をリング上でやりはじめた頃から、レスラーとしてかなりおかしな方向性にいってしまいました。それとともに自分もプロレスから縁遠くなっていきました。


けど、猪木さんが若い日の自分に与えた影響はとにもかくにも甚大でしたね。いまでも膨大な信用貯金があるので、いまだに「猪木」と呼びつけができません(笑)


今日、8月2日はこの原爆固めが炸裂した猪木VS長州の28年目記念(?)です。


そう、この試合で引き出しをいっぱいみせた長州力は翌月には猪木さんの元を離れて独立してしまうんですよね。


「歴史にイフは禁物」といいますけどあのまま長州が新日本にいたらプロレスはここまで低迷していなかったんじゃないかな、と思う自分もいたりします。

August 2, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.01

ずーっと気になっていましたが

ブログ上部の「元バックパッカーにして、広告代理店を経営する〜」の年齢表記を直しました。


いままでは、35歳になっていたんだよね。実年齢の42歳に直しました。


ってことは、ブログ書いて7年になるのか・・・。ってか、42歳か・・・。


計算すると、ブロディと戦った頃のアントニオ猪木さんが42歳だものな。。。


あの頃のプロレスメディアは「猪木VS馬場 やるなら今が最後のチャンスだ」って論調が多くて、どう考えても二人は大御所だったよな。。。


だからどう、ってことでもないのですが。これからもチマチマ書いていきますのでよろしくです。

August 1, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)