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2012.09.24

「偽物の自己」は忌避せず、統合するのがいいらしい

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人間は、生まれた時から親や養育者に依存して生きていかなくてはなりません。


で、生き残るために自分本来の欲求よりも、親や周りの欲求に答えようとした時に「偽物の自己」(ペルソナ)が生まれるといわれます。


けど、この「偽物の自己」は別に忌避するものではありません。


ってか、「偽物の自己」があったお陰で自分がサバイバルできてきた、という現実もあったりしますし。


「本当は勉強等したくなかったんだけど、優秀であることを過度に期待されていた」


なんてケースの場合、「優秀であるという期待」に沿ったから周囲から愛情を獲得でき(=サバイバルできた)、結果的に「優秀である自分」をつくりあげられたなんてことがままあるわけですし。


ただ、「偽物の自己」が大きくなりすぎると、時に人は生きづらさを感じるようです。「自分自身の人生を生きていないのでは」と不完全感を感じることがあるようです。


で、葛藤を感じて悶々とする。


こんな時、心理セラピー的には「偽物の自分」を統合する作業が求められるようですね。偉い学者さんが、そうした人間の心について研究、体系化し、少しでも生きやすいようにオープンにしている。


セラピー云々をどうとらえるかを抜きにして、こうしたものを使わないのはもったいない、というのが自分のスタンスです。


週末は、「サブパーソナリティー(副人格)」のワークショップに参加し、「偽物の自己」「自分が演じてきた自己」を実感してきました。


「無くて七癖」なんて言われますが、ないようであるのが「偽物の自己」なんでしょうね。


「偽物の自己」を、「生きていく過程で自分が身につけた技術のようなものだからしゃーない」って客観的に観ることができ、自分の中にスムーズに取り込むことができるるようになれば、人間の柔軟度は増えていくんでしょうね。

追記
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甥っ子が生まれたので初対面しました。自分の回り、今年は出産ラッシュです。「いい国に生まれた」ってこの子らに思ってもらうのは、自分ら働き盛りの責務ですね。

September 24, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.09.21

昨日は飲み過ぎました

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久しぶりの平日アフター。今日は予定がてんこ盛りなのだけど、いややや飲み過ぎた。


納豆サプリ&ウコンが絶妙に効いていて今朝は朝から快調。


ご一緒した皆さん、お疲れさまでした!久しぶりの平日、楽しかった。来れなかった皆さん、またリベンジ!


やっぱ木曜日かね。

September 21, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.09.20

いままで何でなかったんだろうか?と不思議なお店

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「夜に4回転もお客さんが入れ替わる」「食材原価比率が40%」


飲食業界の経験はアルバイトしかありませんが、こんなフレンチがあるって聞いた時は驚きましたね。


話題の「俺のフレンチ」にいきました。


立食が中心の店内なので、店内への滞在時間が少ない。で、お客さんが大勢入ることができる。


店内が狭いのですぐにスタッフにオーダーができる(=注文が早くでる)。商品の価格が安いので「もう一品頼もうか」って心理的な抵抗が少ない。


安かろう悪かろうではないので口コミが生まれやすい。食材の原価比率が高いから調理人にやる気が出る(と、想像される。=いい料理人が集まる)。お客さんの総数が多いので、食材のロスもたぶん少ない。


夜10時を過ぎても入れるようなので「遅い時間に本格的なフレンチを食べたい」ってニーズをすくえる。室内の装飾が簡易なので投資コストが少ない。


「うーん、なんで今までこういうレストランがなかったんだ」ってビジネスモデルじゃないか・・・。まさにコロンブスの卵です。


話に聞くと、古本流通に革命を起こしたブックオフの創業者・坂本孝さんのプロデュースによるものらしいですね。何でも69歳から飲食業を始めて、失敗を重ねた上でこのビジネスモデルにいきついたとか・・・。


ビジネスモデルはつくりあげていくもの


をしみじみと実感せられるお店です。もちろん、味もよかったです。グラスワインが500円でしたが、そうは思えない味なのが印象的でした。


参入障壁が少ない飲食業でこれから真似するお店が現れてくるでしょうけど、どういう成長戦略をつくっていくんでしょうね?


それにしても、すんごい経営者がいるもんです。

September 20, 2012 | | Comments (8) | TrackBack (0)

2012.09.19

孤独である時間を確保する

「自分の身体が語りかけること」


それらをつむいで考えたり、言葉にしたり、行動していく。


で、それらは自分をどこに運んでくれるかわからないけど、「全ては天命と」抗うこと無く流れに乗ってみる。


で、将来的に過去を振り返ると「ふむふむ・・なるほど・・なんだかそれぞれの出来事に意味があったのだなあ」と何かを実感をする世界観。


たぶん、こうした世界が世界と調和した生き方。「全」は「個」、「個」は「全」という生き方。


おそらく、インドや日本や欧米で偉い人たちが思索に思索を重ねてたどりついた人間の生き方の理想の形なのでしょう。


と、こんな話をすると必ず出てくるのが「運命で決まっているんだったら努力なんかしなくてもいいじゃん」的な話。


確かに、「考えること」「行動すること」もすべて「運命」として決まっているのだとしたら、そこに介在する人間の主体的な意志などはどうでもいいじゃん、って考え方もわからないではない話。


自分は、「世の中のメカニズムなんて一個人が分かるわけないじゃん」と思うんで、つっこみをいれること自体がナンセンスだとは思うんですが、あえて言語化するとこう思うのです。


「自分の身体が語りかけること」にきちんと向き合うかどうか


ここはたぶん、人間の主体的な意志が必要です。


それには、意志を働かせて「孤独になる時間と空間」を確保することが大前提だと思います。


自分などは人と会うのが苦ではないのでほっておくと予定だらけになってしまうわけです。


けど、それが度をすぎると「身体が語りかけること」に耳を傾ける時間がなくなってくるわけです。人と会った興奮や喜びで「身体が語りかけること」が麻痺して、わかりにくくなってくるわけです。


「静寂」と「興奮」


「あること(Being)」と「なすこと(Doing)」


「一人」と「大勢」


自分は「興奮」「Doing」「大勢」が好きですから、意識的に前者を生活に入れておかないと、本当の意味で自分自身と向き合うことができなくなってくるんです。


スマホもSNSもゲームもありますし、「できるだけ孤独でいたくない」って生き方をするのが当たり前のような時代ですが、「孤独の確保」は天命に添う生き方する一つの条件になると自分は思うのです。


で、たぶんこうした生き方を選ぶかどうかまでが人間の意志(努力?)の範囲なのでしょう。


毎日飲んで、酔っぱらっている自分がいうのもなんですが、朝の時間だけは大事にしているのは、孤独な時間を確保したいからなんですよ。


孤独を確保するのが難しい時代がゆえに、たまにゃ意識的に孤独になるのが大事なんですよ。たぶん。


お坊さんみたいなブログだな・・まっ、いっか。

September 19, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.09.18

「本当の自分」なんてのは実体がない

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「本当の自分」


って言葉になんとなく違和感を持っていたんです。


自分の場合、「会社で仕事をしている自分」、「家でぼけーっとしている自分」、「昔の仲間といる自分」、「ここ最近の仲間といる自分」


「飲み屋でバカみたいに酒を飲んでいる自分」「尊敬する先生に師事している自分」「おとなしく本を読んでいる自分」「コンサートに行っている自分」・・・


どれもが「自分」であるんだけど、「本当の自分」がどれなのか、といわれるとよくわからん。


一日の大部分を占める「会社で仕事をしている自分」が「本当の自分」のようであり、外の世界とのしがらみが一切抜けた非防衛的な状態である「家でぼけーっとしている自分」が「本当の自分」でもあるような気もする。


けど、どれが「本当の自分」なのかはよくわからん。


だから「本当の自分に出会う」なんて話を聞くと、「『本当の自分』ってどんな定義で口にしてんの?」と突っ込みをいれたくなってしまうわけです。


で、世の中には同じようなことを考えている人がゴマンといるわけでして、その中で選ばれた人が凡人にも分かりやすく「本当の自分」についての考察をしてくれるわけです。


小説家・平野啓一郎さんは自分より下の世代(1975年生まれ)。


たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。(P7)


このテーマを「分人」(ぶんじん)ってキーワードを持ってきて鋭く解説してくれるんですね。


「本当の自分」ってのがよくわからない。


「本当の自分」ってものがどこかに存在しているんだろうけど、今の自分にはそれを手にしている実感がない。


そんな人が「自分の成り立ち方」を考えるには思考の補助線となる本です。


平野さんも言うように、「本当の自分」なんてのはきっと幻想なんです。


欧米から輸入された個人主義が歪んで解釈されたのと、「本当の自分」ってのを打ち出すことで市場を形成していった商売人の知恵が多くの人を「本当の自分」へと向かわせたんです。


たぶん、人間なんてのはいくたの関係性の中で回りから色付けられていく存在なんでしょう。


「本当の自分」なんて探す暇があれば、近くの人と真摯に付き合った方が得策ですよ。たぶん。

September 18, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.09.14

酒に「酔う」と「酔っぱらう」はどこが違うのだろう?

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「酒に酔ってもいいけど、酔っぱらってはならん」


と、大学時代に教わりました。


どんなベロンベロンな状態であっても、大学の校歌(及びそれに準ずる応援歌、精鋭歌といった歌の数々)を歌えないといけない、って規律(?)がありました。


「1年、応援歌!」(=一年生、応援歌を唄いなさい、の意味)といきなり命じられますので、酔ってても酔っぱらってはなりません。


けど、今思うと「酔う」と「酔っぱらう」ってどこが違うんでしょうかね?こうした言葉の定義は不明確なまま大学時代を終えました(笑)


昨日はお取引先と再び恵比寿のパワーストーンバーへ。昨日もしこたま飲みました。


自分の場合、「酔っぱらう」時には一つの傾向があります。


酒の種類がどんどんと変わる(で、ワインに突入するとヤバくなる)、帰宅時にマンガを買ってかえる(で、かつて購入したマンガであることもよくある)、コンビニでお好み焼きかパスタを買ってたべる(お腹が減ってなくてもなんです)、夜中なのにメールをする(普段は12時以降はメールしないんですが 汗)・・・


昨日もこんな夜だったので、「酔っぱら」っていたんでしょう。


そうそ、昨日、お店でトイレに行った時にある先輩がこういっていたのを思い出しました。


「校歌がきちんと歌えたらどんなにヘベレケでも酔っぱらいではねえんだ」と。


なんか牧歌的で、なんか無茶苦茶ですが・・・(笑)


でも、こうした大人の存在って今の時代感の中で大事だと思うんですね。屁理屈を言わせない大人、って存在が。


ちなみに今の自分。大学を卒業して20年経ちますが、どんなに酒を飲んでいても校歌、応援歌、精鋭歌、小唄はいける自信がありますよ。


ってことは、「酔っぱら」ってはいないということなんでしょうかね(笑)


ご一緒したみなさん、お疲れさまでした!

September 14, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.09.13

自分に起こることには意味がある-確かにそうなのだろうが・・

「自分に起こることは全て意味がある」


いつだったでしょうかね、そんな話を聞いた(もしくは、読んだ?)のは。


たぶん、学生の頃じゃないでしょうかね。


で、すごく合理的な考え方だと思ったんです。


「自分に起こることは全て意味がある」ってスタンスになってしまえば、起こるできごとに対して「意味がある」や「意味がない」とラベルづけしなくて済みます。


それは、「意味があるのだろうか?」って悩む時間と労力を減らすことになります。


自分は哲学者ではないので、こういう部分で悩むなら仕事をしていた方がいいわけです。こんなところにエネルギーを消費するのはナンセンスなのです。


けど、「全て意味がある」なんてとてもとても考えられない「どひゃー」ってことが生きていればたまに起きるわけです。


「いくらなんでもこれは『意味がある』とかいう範疇じゃないだろう」ってことが起きるわけです。そんな理屈が霧散してしまうようなできごとが起こるわけです。


そんなときに、脳を使って思考の力で「起こることは全て意味がある」なんてやっても絶対に無理。脳が動けば動くほど、反作用の力が働きます。


で、自分は思ったんです。


「意味がある、意味がない」ではなく、「ネタになる、ネタにならない」って思考にするといいと。


ネタになる、ネタにならないって考えると森羅万象、すべてが「ネタ」となりえます。


で、「こんなのは絶対に自分にとって意味がねえだろう」ってことほど、たぶん、キラキラした「ネタ」の萌芽だったりします(笑)


そんな考え方の変遷を経て、最近の自分はこう考えます。


「自分に起こるできごとには意味がある」ってのは、どこかに人間の思考の匂いがするんです。


「こう考えると人生うまく行きますよ」ってどこかの哲学者がつかんだであろう人生論を、後の我々が思考レベルで単に活用しているだけような気がするんです。


たぶん、「自分に起こるできごとには意味がある」ってのを思考ってレベルで考えても、限界があるんです。


でも、自分らは思考優先の社会を生きているので、いつまでたっても思考でどうにかこうにかしようとしてしまうんです。


自分の「ネタ」ってラベリングの方法だって、しょせんは思考(考え方)レベルの話、いつかこんな考え方だって、無理がくるし、生活で通用しなくなる時がくるんですよ。


たぶん、思考ができなくちゃしょうがないけど、思考だけしていてもしょうがない、って世界観なのでしょう。

September 13, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.09.12

『イノベーションと起業家精神 』

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数十年前のアメリカの話。


セブンイレブンの前身は、氷の小売店だったそうです。


で、「子供が熱を出したので氷をくれ」と夜遅くに訪ねてくるお客さんがいることにお店の誰かが気づき、お店に薬を置くようになったようです。


そうすると、薬が売れていくことに気がついた。


で、次第に商品アイテムを増やしていって、それが長い年月とともに「深夜や早朝にあったら便利なものを販売する」という市場をつくりあげていった。


そこには、経営者の戦略性なんかは無い訳です。


「この市場にはこういうニーズがあるだろう」ってなマーケティングなんかもないわけです。


お客さんの声や社内のささいなアイデアをきっかけに、小さくテストをしてみて、「予想もしない成功を生み出すもの」をたんたんと探す作業をしていただけなんですね。


昨日の午後はドラッカー博士の本を読むセミナーでした。名著『イノベーションと起業家精神』の第1章をひたすら読む、という内容です。


ドラッカー博士の本の何が素晴らしいかというと、「凡人でもイノベーションが可能だ」という思いにさせられること。


ドラッカー博士のいうイノベーションには、たぶん起業家の卓越性は必要ないんですね。新しい発明や、誰もが考えなかったアイデアなんかは必要としないんです。


ってか、むしろその手のものを否定している感じさえするんですね。


イノベーションは体系であり、学習可能であり、法則性があり、ってところが、自分のような人間には腹に落ちるわけです。


どこもかしこも成熟して、どこもかしこもコモデティ化している今の日本で、それぞれの会社がイノベーションを起こしていくことはとても大事なこと。


けど、「イノーベーションを起こせ」なんてかけ声だけかけたって、たぶん凡人には無理なんです。再現可能な体系と、実績に裏打ちされた法則性が必要なんです。


ドラッカー博士がこうした「武器」を惜しみなく提供していることに感謝しきり。あとは、自分の力を信じて活用し、実行するだけですね。

September 12, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2012.09.11

「できごと」を利用したらこうなった

「俺って頭がおかしくなった?」


と思ったことが過去にあるんですね。


「複雑怪奇にして摩訶不思議、どこをどうしたらそんなことになるの?」って「できごと」があってですね。


で、その時に専門家の意見を聞こうとカウンセリングにいったんです。


分厚い氷がちょこっとづつ溶けていくような作業ですが、通っているうちに自分の「認知のゆがみ」やら「思考のパターン」が徐々に分かってきたんです。


「俺って頭がおかしくなった?」って考え方自体が自分のよくやる思考パターンだと思ったんですね。


ほんとは、そんなことを考えることすらナンセンスなことだったんでしょうけど、生育歴のどこかでそういう発想をするようになっていたんですね。


別に、「認知のゆがみ」だとか「思考パターン」だとかなんてもんは無視して生活していてもいいと思うんです。そんなの知ったところでどうしようもない、って感じでいいと思うんです。


人間なんて、「認知のゆがみ」と「思考パターン」が織りなす一つ一つが個性的な作品のようなものですしね。


けど、自分の場合は「できごと」が「カウンセリングなんて自分には無縁」と思っていた自分をそちらの方向へとちょっと進ませたんですね。


どっかに「男子たるもの」って考えが根底にあるんで抵抗はなくはなかったんですけど、「これも生きているうちのネタの一つだ」と思ってですね。


で、それから定期的にカウンセリングに行ってるんです。


自分自身がどこか生きづらかったり、他の人に何か迷惑をかけているモヤモヤした感じがあるのだとしたら、もしかしたらこの辺にメスをいれるって選択肢もありじゃね?


と悩んでいる人に自分の言葉でいえるようになった(でも、聞かれない限りこちらからは言いませんけどね)のは、もしかすると「できごと」がもたらした財産かもしれませんね。


「できごと」は、「よい」「悪い」で判断するんじゃなくて、「利用する」「利用しない」って視点でとらえる


自分の師匠筋はよくこういうのですが、まさにその通りですね。


そうそ、不思議なものですけどカウンセリングにいくようになったら人からの相談事が増えましたね。何でなんでしょうかね?

September 11, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.09.10

男性としての限界?

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「女性のことは一番女性がよく知っている」


というある女性が語っていた言葉を思い出しました。


簡単にいえば、結婚詐欺の映画。旦那が主人公で、奥さんがそれを裏で操るって話。


けど、結婚詐欺を手助けする女性、結婚詐欺にだまされる女性の言葉で語られない心理を理解しようとするとたぶん大変に奥が深い映画。


おそらく、男の自分には監督が映画に織り込んだ女性の心理の多くを読めていないんだろうな、となんだか感じる映画。


この辺の世界観がヒシヒシとは感じるんだけど、それが何だかわからないって映画です。


うん、男としての自分の現時点での限界を確認できる映画です(笑)西川監督、脱帽です。


追記
土曜日は台湾料理@新大久保で紹興酒祭り&日曜日はうちの妹が男の子を出産しました(と、同日に仲間の子供も同日に出産したらしい!)めでたい!

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万物は、ぼけーっとしてても流転していくものですね。

September 10, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.09.07

自分の正しさを証明して何がのこるのだろう

「自分の正しさを証明したい」


人にはたぶん、そんな欲求があります。


だから、言い訳や自己正当化がいたるところで蔓延する。


けど、他人の言い訳や自己正当化ってのを人は感知する能力も併せ持っています。


だから、言い訳や自己正当化があまりにやりとりででてくると、しらけてしまう。


こないだ、ある友達から「約束をしていたのにメールがなかったから予定が空いてしまった(怒)」とメールが入ったのです。


でも、自分は「約束っていうけど、『もし予定がつけば』って感じで話半分だったじゃん!」と思ったんです。「だから、メールもしなかったし、予定もいれなかったんじゃん」と。


友達にも正統性はあるし、自分にも正統性はあったんです。


けど、たぶん状況や話の流れからいってこちらに非がありそうなんです。


で、「言い訳はしない、ごめん!」とメールを送ったんです。


たぶん、人は自分の正しさを証明するために大切なエネルギーをふんだんに使っています。


けど、正しさが証明されたからといって何も進歩しないんです。たぶん、それは自己承認欲求がわずかに満たされるだけなんです。ほとんどが、無益な自己満足の世界なんです。


時と場合によっては、「正しさは証明されたけど、大事なものを失った」なんてことも起こるわけです。


であれば、「言い訳はしない」って口ぐせにした方が利口じゃないでしょうかね。


先の友達は、「もしかしたらこっちも誤解してたかもしれない」とメールがありました。で、自分も「いややや、こっちが誤解してたわ」とメールしました。


たぶん、たいがいの場合、「言い訳」には「言い訳」が返ってくる。


逆に、「言い訳しないに」は「言い訳しない」が返ってくるんです。


自分の場合、関係性の近い奥さんや社員との間でこれをやるのは難しいですけどね。


けど、これをやれるだけで人との関係性ってのはだいぶ変わるんでしょう。


人間、本当に自分の正しさを証明する局面なんてそうそうあるもんじゃないでしょうし。


ということで(?)、今日は我が家の結婚10周年。驚くほど早い時間の経過です。


うちのかみさんには何回も言い訳をし、何回も文句をいわれ、何回も言い訳で返してきました。


10周年を機に、なるべく、できるだけ、極力、できる範囲(笑)で言い訳はこれから極力なくしていきます。自分がしたいように、好きなように生活させてもらって感謝です。


これからもよろしくです。

September 7, 2012 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2012.09.05

日本の神託カード

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9月30日に発売になります。


今の時代感にたぶん合った商品です。


というか、企画自体は3年前にスタートしていますから、結果的に今の時代感にみごとにマッチした商品となりました。


自画自賛ですが、素晴らしい商品です。


「全は個、個は全」


人間は全体の中の一部分であり、逆に、部分である人間は全体を構成しています。


で、こうした考え方が腹におちていくと、人は自分に向かってきた運命を、適切な前向きさでたんたんと迎えることができるようになります。


それは、ひとつひとつのできごとの意味や必然性を感じることができるようになるということ。さらには、全体の調和の中に存在している自分に安定感を感じるようになること。


長くつかっていると、きっとこうしたことを感じてもらえる商品です。


たぶんなんですが、今の日本は欧米から輸入された個人主義が拡大解釈されて行き過ぎています。それが、孤独感や不安感を必要以上に生み出しているんです。


で、孤独を埋めるためのツールがさらに孤独を拡大生産しているんです。


全体の中での個、なんてそんなにすごいものじゃないんですよ。たぶん。拡大解釈された個人主義は、幸せになりたいのであればある程度にとどめるべきだと自分は思います。


それにしても、ようやく完成しました。


かつて、オーストラリアの知り合いに「日本の精神性は遅れている」みたいなことを言われたことがあるんです。


けど、果たしてそうなんでしょうかね?


たぶん、「感じる文化」である日本は、近くに存在している精神性を欧米のように形(絵画や像など)にするということをしていなかっただけのことです。


「日本にも(というか、日本にこそ)高い精神性がある」というムーブメントはたぶんこれからの一つの流れでしょうね。


この商品もそんな流れに乗れれば、企画者の一人として嬉しいですね。

September 5, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.09.04

他人への操作欲求を考える

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「人を動かすのはお金か、恐怖か、共感か、感動」


誰かに聞いたか、どこで読んだかすらも忘れてしまった言葉。そんな言葉を思い出した映画です。


10日で五割、という法外な利息をとる闇金融と、ビジネス(もどき?)で一発当てたい若者とを軸にストーリーは展開していきます。


人は、他人を操作したいって欲求があると思うのです。思い通りに、意のままに、操作したいって欲求ですね。


で、言うまでもないことなのですが、お金ってのはそれをいとも簡単にやってのける力があるんです。


「お金を持つと人間が変わる」なんてよく言われますけど、実のところは、この他人への操作欲求が出てくるか出てこないか、ってことにつきると思うんです。


経営についての著書が多数あって日本にも信奉者が多いドラッカー博士は、「経営者の操作欲求」について著書の中で注意を促しています。それほどまでに、経営者にとって普遍的なテーマなのでしょう。


けど、一方で「操作されたい欲求」を持っている人も案外と多いような気がするんですよね。その方がラクだし、考えなくて済むし、って考える人ですね。


だから、「操作欲求」と「操作されたい欲求」ってのが、簡単に結びついてしまうことが多々あるんです。ときに、共依存みたいになってしまったりするんです。


むかし、世間を震撼させたそんな宗教団体がありましたものね。


心理学的にいうと、人間は、自分が不安だと人を操作したくなる生き物らしいです。


確かに、分からないでもありませんね。


逆に言うと、周囲に「操作されたい欲求」の人が集まるということは、自分自身が不安だということの現れなのでしょうね。


あれやこれや言ってきましたが、自分は「一つの人格である人間を他人が操作できるわけがない」って美意識だけは最低限持っていたいですね。これは、人の上に立つもののマナーだと思っています。


たぶん、そんな美意識の人間には「操作されたい欲求」の人はそんなに集まってこない(集まっても離れていく)でしょうし、って思いもあったりもします。

September 4, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.09.03

これ以上ない、ありがとうを

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「もう大塚さんとも会う機会も少なくなりますね」


ジムのスタジオでよく一緒になっていたから顔と名前は知っている女性の会員さん。「お互いの好きなインストラクターが一緒」という偶然が生んだ人生のシンクロ。


けど、会えば話をするけど、連絡先までは知らない。


スタジオレッスンでの前後、そのわずかなで話をしたことが彼女と同じ時間を共有した全て。


いままでは、決まった時間にジムにいけば会えた関係性。けど、今日からはお互いが連絡を取り合わないと会いにくい関係性。


連絡先を知らない今、どこか他のスタジオで偶然にお会いするかもしれないし、もしかすると昨日が今生の別れだったかもしれない関係性。


自分は、そんな会員さんのなにげない一言に「今日がラストなんだなあ」ってのを初めてリアルに感じたんです。


「関係性の演出家」


イントラの仕事はそういう側面があると思うんです。多くの会員が集まるジムで、イントラがハブとなって多くの人と人とが結びついているんです。


その結びつきは、強くて固いものから、弱くてやわらかいものまでさまざま。


自分たちは、レッスンでエネルギーをもらえるのはもちろん、さまざまな結びつきの中でもエネルギーをもらっているんです。


昨日は偉大なインストラクターのラストレッスンでした。


数日前、「ラストレッスンで何をプレゼントしようか?」って話をしていたときに、「金メダル」って話がある会員さんからでました。


なぜか、自分がその話に食いつきました。で、「絶対に金メダルだ!」とスイッチが入り、都内を探しました。


売り場には、「金」と「銀」と「銅」がありました。


で、悩みました。


「もしかすると銀メダルを渡せば、『もう一度、イントラとして挑戦してくれ』ってメッセージと彼女なら受け取るかな」と思いました。


で、3つのメダルをクビからさげては、さんざんと悩みました・・


壇上での金メダル姿をみて、なぜ金メダルをプレゼントしたくなったのかがわかりました。


おそらく、「ありがとう」って思いは言葉だけでは伝えきれないからです。


たぶん、感謝の気持ちってのは言葉にすれば言葉にするほど、自分の本当の感情とかけ離れていくんです。嘘くさくなっていくんです。


金メダルは自分にとって「これ以上ない、ありがとう」を言葉を使わずに伝えるための象徴だったんですね。


なんで、重さ以上にすんごく重い金メダルですよ(笑)それほどまでに伝えられない思いがつまってますし。


次は人生のチャンピオンメダルをもらってくださいね!末永くお幸せに。

September 3, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.09.01

自分の心を投影する街

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銀座の8丁目付近で会食でした。


日本を代表する夜の繁華街。夕方の新橋から銀座8丁目界隈までって、自分はなんだかすごいエネルギッシュさを感じます。


そのエネルギーを存分に吸収したいとき、そのエネルギーを感じても自分が全然大丈夫なとき、そのエネルギーを感じると自分がしんどくなるとき、そのエネルギーに近寄りたくもないとき・・・


たぶん、夜のこの街は人の心によって見え方が七変化します。人の心を投影させる何かを持っているような気がします。


何年か前にお店を閉じた「いちこし」が、ナチュラルローソンになっていてちと驚きでした。コンビニは便利だけど、日本を代表する繁華街にコンビニが乱立するのってのもちょっと寂しいですね。

September 1, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)