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2012.10.30

Wow excellence !!!!!!!!!!!!

あそこまで「!」がついてたメールをもらったのは、自分の生涯でかつてなかったな。


2005年の夏、カナダのモントリオールに住むフランス人画家からのメール。


遡ること1ヶ月前。アメリカで開催されたあるイベントで知り合って、意気投合。「あなたのイラストをつかった商品を日本で販売したい」という自分からのオファーへの返事。


彼も自分も英語は今ひとつ。けど、なんとかかんとかやりとりを繰り返し、契約を取り交わす運びになったんです。


で、彼から「僕の商品が日本で発売されるなんて夢のようだ!」ってメールがきて、そのあと上の絶叫メール(?)になったんですね。


バリバリの芸術家だったのでその後のやりとりは感情の起伏が激しくてまいりましたが(笑)


でも、たしかに夢のある話ですよね。


自分が訪れたことのない国の人が、自分の存在を知っていて、自分のイラストをつかった商品をつかっている


で、不肖•私もいつかは海外からオファーをもらって、うちの会社でつくった商品の海外版がつくられるといいなあ、と思うようになっていたのです。


3年前だったでしょうかね、取引ルートのあるイタリアやアメリカ、オーストラリアの出版社に打診したんです。海外のイベントにサンプルを持っていって、「ぜひおたくの国で商品化してください」と。


この時は惨敗だったのですが、「海外に商品を売るために必要なこと」がちょっとだけわかった気がしました。


で、そんな状態をつくるまでには時間がかかるな、と思いました。で、そんな状態を5年ほどかけてつくろうと思いました。ここはひたすら時間戦略です。


が•••世は複雑系社会なんですね。


思いもよらなかった国から、思いもよらなかった商品の版権打診がここ最近で立て続けに入りました。


経営の世界には「打ち手を打ったけど失敗した。けど、時間を超えて、ぜんぜん予期しない形で突然に実現した」ってことをよく見聞きしますが、まさにその感覚ですね。


失敗したこと、ムダだったことはそれが天命に沿ったことであればどこかで大きな存在が預かっててくれるんですよ、たぶん。


で、現場担当者の努力の甲斐あって3カ国で商品が発売される運びにどうやらなりそうです。なれない英語での契約業務はさぞかし大変だったと思います。


ということで、天の岩戸が開いたようです。


いつかこういう日はくると思ってたので、「WoW!!!!!」ってテンションの絶叫モードにはなりませんが、「はじまりのはじまり」がやってきたことは素直に嬉しいと思います。


さっ、まじめに英語やらんとな。。。


October 30, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.29

新しいマーケットや商品をどうつくるか?

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『新しい市場のつくりかた』(三宅秀道•東洋経済新報社)


特に新しい理屈がある本ではありません。


けど、マーケットや商品開発について多くの示唆に富んだ本です。


開発担当者が「街にでていく」-新しいマーケットや商品開発をするには、まずはこれが王道です。


「どんな商品が流行っているか?」「どんなマーケットができつつあるか?」「どんな変化が起きているのか?」をフィールドワークを行って生の情報をとる。


たしかにそれは大事なことです。


けど、著者は「正しさを探しにいくな」(P87)という言葉でひたすら外界にばかり目を凝らすことに注意を促します。


どこかマーケットにある「問題」を発見して、それを「改善」していく。それこそが、市場や商品開発の基本なり。


多くの人はなんとなくそう思っている。


けど、それでは「ただただ受け身」(P89)と著者はいうんですね。


「現状から出発して、現時点での構想に向けた改善にとどまってしまいやすくなります。そのメンタリティだけからは、新しい市場は芽吹きません」と。


市場&商品開発はもっと傲慢な営み、「自分の内部から生まれた意識を後から『正しく』しようとする心意気」(P92)の世界なんだと。


「メンタリティ」と「傲慢」って言葉がいいですね。


世の中にいっぱいでている「市場や商品開発の成功ストーリー」をながめていて思うのですが、「お客さまの役に立とう」だとか「お取引先がどんなものを欲しがっているか?」ばかりを追求してもたぶん限界があるんですね。


成熟市場では、もはや「欲しい商品のほとんどは市場にでている」「不足を充たすための手段はすでにいっぱい存在している」というのが前提でしょうし。


それでも、「新しい市場を開拓してやろう!」とするわけですから、狂信的な思い込みのような世界観を持つことが必要なのでしょう。


「おそらく、こういうものが必ず受け入れられる」って思いですね。


自分の内部から生まれた意識を後から「正しく」しようとする心意気が足りないのだと思ってます。(P92)


いやややや、まさにその通りでございます。


市場や商品開発担当に欠けているのは心意気。そう、成熟した日本がなくしてしまったのはマーケットや商品開発担当者の「心意気」なのかもしれませんね。


そこは、根拠も論理も理論も裏付けも不必要な世界なんです。たぶんね。

October 29, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.10.24

前世について考える

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いきなりですが、前世とか来世ってあると思いますか?


自分は「あるかもしれないし、ないかもしれない」という立場です。


その手の本を読むと、肉体と魂との関係についてはこんな風にいわれます。


曰く、肉体が滅びる(=死)と魂は今世と来世との間に存在する「中間世」に移動する。


で、前世でクリアーできなかった課題などから、来世での「魂としてクリアーする目標」のようなものができる。


で、その目標を実現するために最も適した肉体を探し、来世へと生まれ変わる。


だから、私たちに起こる課題は全て選択の結果だから必然だし、肉体は滅んでも魂は永遠だ・・・。


感覚的に「なるほど!」と思わなくもない。


けど、どこかに道徳的に操作しようという匂いがしなくもない。


たぶん、「あるか、ないか?」を突き詰めても自分が生きている間には答えなどでないでしょう。


ただ、「前世も来世も存在する」って考えた方が生きていく上で生きやすくはなるとは思います。


さらに、人間の役割や使命について考える上では、前世とか来世とか時間軸を長くとった方が有益だとも思います。


かくいう自分、「前世はチベットのお坊さんだったんじゃないか?」と何人の方にもいわれたことがあります。


ある方には「チベットのお坊さんで能力は高かったけど、周囲とケンカばかりしていて不遇に終わった。来世では『自分の感情をちゃんとコントロールして周囲と仲良くしていこう』と思って反省した。それが今世の使命みたいですよ」といわれ、妙にリアルだなと思ったこともあります。


たしかに、チベットは大好きですし、1997年にチベットを旅した時に瞑想をするお坊さんを見て「なんかここに昔来たような感覚がある」と思った記憶もあります。


けど、こういうことを自分の解釈で結びつけて、なにかしらの納得を得ようとするのはどうも好きではないですね。


前世はあるかないかはわからない。けど、あると思って生きている。


でも、自分にとって理解しやすいような解釈、腹に落ちやすい納得がもたげてきた時はちょっとだけ注意する。


でないと、そこに固着して、そこからアイデンティティがでてきてしまいますしね。


ちなみにこの写真、チベットからネパールを抜けてインドにいった時の頃のものです。いきなり家の中からでてきました。


写真を見て、この頃は輪廻だとか来世だとかを柄にもなく考えたことを思い出しました。なんか、インドやチベットってそういう雰囲気がありましたしね。


能天気な顔してますが、帰国しても仕事はないし、本人は本人なりに考えていたころですね(笑)


今、自分の身の回りに起きている現実の何一つを想像していなかった頃でもあります。


October 24, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.23

仕事ができる人になる条件

「仕事ができる人になるには?」


ある雑誌でそんな企画があったので、自分も考えてみました。


で、ぼけーっといろいろと考えたんですけど、あえて一つ挙げるなら「大量のことを試して、経験値を上げていく人」が仕事ができる人になる条件じゃないかな、と。


営業担当であれば大量に商談をすること、デザイナーやライターであれば数多くのアウトプットを出すこと、管理担当者も、渉外担当者でも、購買担当者でも、システムエンジニアでも一緒です。


20年ほど前、営業の仕事をやりはじめた時にこういわれました。


「営業の数字は訪問件数に比例する」と。


で、自分はそれを信じて疑いませんでした。


経営コンサルタントの営業をしていた時は、飛び込みで40社訪問すると1社契約ができました。注文住宅の仕事をしていた時は飛び込みで2500〜3000軒訪問すると1軒受注ができました。


こうした数の仕事をしてきた人は実感できると思うのですが、ここは確率論の世界です。


しかしながら、人間はずっと確率論の世界にとどまっていません。よほどのアホでもない限り、人は大量の行動から何かしらの学びをえます。


で、その学びが質の向上につながり、結果的に「仕事ができる人」をつくりだします。


たぶん、最初から「仕事の質」を追い求める人である程度の年齢になっても「仕事ができるなあ」と思う人はそうそう多くはないんじゃないでしょうかね?


偉大な芸術家は多作ですし、偉大な経営者は打ち手の数が多い


これはたぶん間違いありません。


「大量の行動」は「仕事の質」に変化しますが、「仕事の質」は「大量の行動」には変化しません。


ってか、ある程度の年齢をすぎたら体力も気力も落ちてくるから「大量の行動」ってのはどう考えても無理になっていきます。


気力があるうちに「大量の行動」をしておくことが「仕事ができる人」になるための条件だと思いますよ。ってか逆説的にいえば「仕事の質」なんてのは「大量の行動」に裏打ちされてはじめて成立するもんなんですよ。

October 23, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.10.22

人は自分が思っているほど誠意を持っていない

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誠意だとか、美意識だとか、道徳だとか、常識だとか


人間関係のミスマッチはこの辺の温度差や方向性にあるような気がします。


たいがいは、自分の誠意と相手の誠意には温度差があるものだし、美意識の向いている方向や力の強弱だって違う。


道徳や常識だとかも、育った環境や時代、触れてきたものによって違うわけです。


でも、「自分はこう思うからきっと向こうもこう考えるだろう」「こんなのは当たり前じゃんか」ってところに人間は立ち位置を求めてしまうわけです。


で、それが満たされないと「自分が悪かったのか?」と自罰的になるか、「あいつはダメなやつだ」と他罰的になるか、「なんか残念だなぁ」と軽い引きこもりになるかといった行動パターンをとるようです。


北野武監督のこの映画、「自分が思っている誠意や美意識」を裏切られる人が多くでてきます。「生きていても心中穏やかでないだろうな」って環境で生きている人がたくさんでてきます。


たぶんですが、人に誠意や美意識を求めると人はパンクします。この辺の部分は言葉で伝えるには限界があるし、伝えたところで相手が変わる可能性の方が少ない。(ってか、周囲から伝えられれば伝えられるほど固着するのが人間ですしね)


組織のリーダーであれば必ずぶち当たる壁ですね。


それよりも、「誠意や美意識を受け取ったらめっけもん」くらいの感じで他者と付き合うと、たまにもたらされる誠意や美意識がかけがえのないものにみえてくるんではないでしょうかね。


人に誠意や美意識を求める割には、自分は人に誠意や美意識を発揮していないものですし、ここはお互い様って世界です。


このことと人間性善説とはまったく別次元の話だと思いますよ、個人的にはね。


追記
そうはいっても、組織は代表者やリーダー層の「美意識」や「常識」が強く反映されます。


で、メンバーは「自分なりの美意識や常識はあるだろうけど、組織のそれと統合しようとする姿勢」が求められます。これがフォロワーシップってヤツですね。


今の時代は、政治でも会社でもリーダーシップばかり求めているけど、フォロワーシップと両輪なのよね。


「組織のメンバーとしての義務を果たしてから意見をいう」ってのは、自分の中では「常識」なのですけどね。


これだけとっても、世間にはいろんな「常識」があるようですね。

October 22, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.18

絶対にああはなりたくない!

「絶対にああはなりたくない!」って人、います?


自分はいます。


ってか、いました。


ある時期からとても大嫌いでしたし、人として尊敬できませんし・・・だいぶ前に縁がなくなったのをきっかけに、その人の存在を記憶の忘却の彼方に追いやってしまいました。


思い出したくもない人、ってヤツですね。


けど、でひょんなことから「その人が自分にしてくれたこと」に意識がとびました。


嫌いになる前はいろんな時間を共有したことを思い出しました。その人といると安心感のようなものがあった時のことを思い出しました。その人が無理をして自分にしてくれたことを思い出しました。


で、「あの人にもああせざるを得なかった状況や環境があったんじゃないかな」とちょっとだけ思いがいたりました。向こうの視点から自分をみたらどう見えたのだろう、と一瞬みることができたような気がしました。


だからといって、「いいたくてもいえなかったこと」やある種の怒りのようなものは自分のなかに確実に沈殿しているでしょうから、すぐさま劇的な許しのようなものが訪れるってわけじゃないですけどね。


でも、ここは勝負どころのような気がしますのできっちりと向き合っていきたいな、と。


今日のブログは道徳的に読むとめちゃ陳腐な文章だなぁ。書いた本人は実感ヒシヒシと書いているのだが、たぶん自分の筆力ではそれが伝わらん(笑)

October 18, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.10.17

ブログに反響をいただきました

「わからないことは天の神様のいう通り」のブログにいくつか反響をいただきました。


「そういう考え方も分かる」「けど、科学的じゃない」「あまりそういう考え方に染まるのもどうかと思う」


「自分の意図と天の神様の意図とが相反していたらどうするのか?」「どうしたら天の神様のいう通りの生き方ができるのか?」


ざっくりというとこんなところかな。


質問、言い方はそれぞれですけど「今のままではどうもうまくいかないのでは?」という集合的な無意識が存在しているのだなあ、と思いました。


人間のコントロールを外れてしまうほど巨大化した金融市場、造った人ですら復旧のメドをなかなかつけられない原子力発電、いままでのセオリーが全く通用しなくなった世界の経済・・


自分ら人間はコントロールができないものに囲まれています。


で、コントロールができないからコントロールをしようとしてより悪い結果を引き起こしたりしています。


「できごと」そのものよりも、「できごと」に過剰反応した結果が悪い結果を引き起こすなんてことはいくらでもありますしね。


たぶんなんですが、「コントロールができないことに直面した時にそれを解決しようとする性質」を多くの人間が持つようになったのは近代資本主義からではないでしょうかね?


昔の人は、天災などの「自分がコントロールできないこと」に直面した時に「解決」って視点を持っていなかったと思うんですよね。


たしかに「問題解決」って視点があったから技術開発は進み、自分らの生活は「豊か」にはなっていった。


けど、「陽が極まれば陰になる」ってヤツで一人一人が「問題解決」って視点をちょっと持ちすぎてしまったんだと思うんですね。


たぶん、今の日本で「問題解決」ってことを悪くいう人はいないと思うんです。もちろん、自分も含めてですね。「問題解決力がある人」ってのは優秀な人と同義語のようなものですし。


けど、江戸時代の人に同じことを話したら理解してもらいないような気がするんですよね。


「問題解決?そんなの人間がやれることなんて限られてるだろう」


とかいわれそうな気がするんですよね。


「天の神様のいう通り」ってのは、自分の中のイメージでは「江戸時代の人のような生き方」を目指すってことなんです。


そんな生き方をしながら、今の資本主義の世の中を泳いでいく


経営ってのは「矛盾の統合」を図るのが仕事といわれますが、自分はこの矛盾の統合だけは自分なりに果たしていきたいと思うのです。

October 17, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.16

全日空がミャンマーに就航!・・・なのだが

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1997年の1月、バンコクからミャンマーに飛びました。


日本を出発して3ヶ月あまり、そろそろ旅が非日常から日常へと変化しつつある頃合いでした。


ミャンマーへ向かうにはいくつか航空会社があるんですが、自分が選んだのはB社。旅する人の間では「世界三悪航空会社」として有名でした。


「不時着が多いからパイロットは軍人あがりばかり」だとか、「機長が畿内アナウンス中に『おっと、やべえ』と口にした」だとか


B社とライバル関係にある航空会社が「『私たちはあなたが思っているほど悪くはない』という広告キャンペーンをはじめた」だとか、「乗客のほとんどはミャンマーに向かうバックパッカーばかりだ」だとか・・・


事実か憶測か噂か分からないんですが、いろんな話があったんです。


半年で20万ちょっとの予算で旅に出てきているので迷わずこの航空会社を選んだのですが、畿内に入るとほとんどがヒッピーと思しき人ばかり。


週に1便しかミャンマーにとんでいないせいか、お金がなくて、時間は無限にある旅人がやたらと集まるんですね。


で、「この航空会社はどれだけ悪いんだろう」って空気感が機内に満載なわけです(笑)乗り合わせたもの同士に妙な一体感や高揚感(?)があったわけです。


さて、今日の新聞によると全日空がミャンマー直行便を就航させたようですね。


いままでは、韓国やタイ経由でないといけなかったんで素直に嬉しいですね。自分はこの国が大好きですし。


けど、新聞記事をよく読むと「週3便、38席、全てがビジネスクラス」、って・・・。


自分はビジネスクラスには縁が薄いので、ちょっと躊躇してしまうなあ。行く人が増えると飛行機も大きくなって普通のシートもできていくんでしょうけどね。


ちなみにB社のフライト。


「あなたが思っているほど悪くない」って感想でした。ってか、むしろ快適でした。さんざん脅されたからハードルが相当低くなってたから当たり前か。


けど、ヤンゴンの空港に着陸した時に機内が「よくぞ着いた!」と大歓声に包まれました。いろんな飛行機に乗りましたが、後にも先にもあの飛行機だけでしたね。


で、そんな機内の大歓声にまったく動じていないCAがとても印象的でしたね。自分のミャンマーの原体験です。

October 16, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.15

週末はソフトボール大会でした

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週末はソフトボール大会でした。


で、なんとMVPを獲得しました。


MVPなんて人生でいつ以来だ?


埼玉県下の算盤塾から3人づつ選抜されて、塾対抗で算盤と暗算をして、なんて大会があって。


中学生やら高校生がいる中で小学生の自分がメンバーに選ばれて、その大会でMVPをとった。


うむ、たぶんあれが最後だな。


勉強はできなかったけど、数字だけは大好きで、計算問題は問題をみるだけで答えが頭に浮かぶし、覚えた数字は忘れないし、「このままいったら将来すげえことになるじゃん」と思ってたのがこの頃だな。


ご多分にもれず、中学、高校、大学と進むうちにフツーの人へとなっていくんですがね(笑)


今回のMVP、全参加者(23人)の投票によるもので正真正銘のMVPでございます。


お陰で(?)飲み過ぎました。筋肉痛と飲み過ぎとで身体が痛い朝です。


企画していただいた幹事の方、ありがとうございました!ご一緒したみなさん、お疲れさまでした!

October 15, 2012 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2012.10.12

わからない事は天の神様のいう通り

Jinjashinpo

神社界の専門紙・『神社新報』に当社で発売した商品と、不肖・私めのコメントが載りました。


この商品、発売して10日ほどで増刷も決まり、本当にありがたい話です。


「わからない事は天の神様のいう通り」って誰もがどこかで一度は耳にしたことがある言葉。


自分はこの言葉の持つ意味が今の時代にとても大事だなと真面目に思っています。


インターネットの情報革命によって、多くの情報が個人にもたらされるようになりました。多くのコミュニケーションが簡単にとれるようになりました。


で、自分らはさまざまな恩恵を受けた。


けど、光あれば闇もあるもの。インターネットの社会は「頭でっかち」を多くつくり出していった。


情報化社会とは、情報がふんだんにある社会ですから、歯止めをかけないと人間はどこまでも情報を摂取できるわけです。


で、人間はえてして毒ほど好んで食べる生き物ですから、情報がセンセーショナルであったり、エモーショナルであればあるほど、その情報に惹かれ、体内に摂取してしまうわけです。


生きていく中で、頭を使う事はもちろん大切です。これがあってはじめて人間の主体性は確立されはじめるでしょうし。


けど、頭で考えてもわからないことはある程度の歯止めをかける事も今の時代にもとめられる知性の一つではないかと思うのです。


たぶんなのですが、「頭で考えてもわからないこと」には何か大きな存在が解決へのメッセージを我々に送っているはずです。


それが、神様なのか、グレートマザーと呼ばれるような存在なのか、自分の内面にある何かなのか、祖先や守護霊といったたぐいのものなのか、少なくとも自分には実体はよくわかりません。


けど、何かが存在しているとしか考えられない、というのが実感覚なんです。


それは、「努力の放棄」だとか「生きることへのあきらめ」ということではなく、逆に「自分の人生をそれぞれの役割に応じて生きる」という主体性ある生き方への強い意志なのだと思います。


大学時代、栃木にある神社で初詣時期のアルバイトをしました。


ご飯を食べている時の雑談で、宮司さんが「最近、ようやく神様の言葉が聞こえてきてねえ」と話をされたんですが、当時の自分は「ん??・・・だいじょうぶ?この宮司さん」と思ったんですね。


けど、たぶんこの宮司さんは「神様の意志に聞く耳を持つ」といった意味のことを語っていたんじゃないかな、と思うんですよね。


情報化社会はますます進む一方ですし、我々を取り巻く問題はますます複雑系の様相を呈しています。このまま進んだら、神経症の人がどんどんと増えてしまいますよ。


「わからないことは天の神様のいう通り」って生き方は情報化社会だからこそ、大事な生き方になっていくと思いますよ。きっとね。

October 12, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2012.10.11

時間戦略はなぜ有効なのか?

「時間をかけてつくってきたことは、真似されにくい」


企業戦略の中に「時間」ってスパイスをいれるだけで、戦略は強く、確固たるものになっていきます。


老舗企業がなんだかんだいってブランドがあったり、財務がしっかりしていたり、有力なお取引先がいたりするのも「時間」を味方につけたからです。


逆に、ベンチャー企業は「時間」を味方につけられない分、「時間戦略」って概念がどうしても薄くなりがち。


だから、「じっくりと」「時間をかけて」「何かを練り込んでいく」という発想になりにくい。そこが、経営基盤の弱さにつながってきます。


この辺は、ノーベル賞をとった研究者のような「地道に何かを積み重ねていく」という視点が戦略担当者にはもとめられるわけです。


で、自分の場合。


いままでは「時間戦略は有効」だとは思っていましたが、「それがなぜ有効か?」を考えたことがなかったんですね。


時間をかければブランディングができるし、人間関係も情報も増えていくから企業戦略にとって有効なのはあたりまえ、ってところで思考が停止していました。


まあ、学者じゃないからそれ以上考える必要もないだろうし。


けど、こないだの日経新聞で楠木健さん(一橋大学大学院教授)のコラムの一文、にガビーンときました。


曰く、「時間展開の中でトレードオフを克服することがストーリーという戦略思考の本領」


なるほど! 


トレードオフとは、一つ何かをやれば他方を犠牲にしないといけない二律背反の状態のこと。


企業はお金も人材も無限ではありませんから、何かをやれば、何かができなくなるわけです。


広告をガンガン打って、営業マンをバンバン動かして、販促ツールを充実させて、管理システムを構築して、人材の教育をやって、社内に理念を浸透させる・・・なんてのを一気にやっていくのは無理なんです。


会社の財務や人材のキャパを踏まえながら、段階をおってこれらのことを片付けていくしかないんですね。(これが、多くの経営者のジレンマとなるのですが・・・)


時間戦略が有効なのは、こうしたトレードオフを時間軸の中で克服するからだ、ということなんですね。頭のいい人はいうことが違うよなあ。


実はこの時間戦略、個人の生き方にもたぶん有効です。


なんだかんだいって、長くたんたんと仕事をしている人がスゴいのは、「時間」を味方につけたからなんでしょうしね。


追記

1

昨日は「俺のフレンチ」2回目でした。


料理やワインのコスパに思わず口コミしたくなるお店ですね。このお店の戦略だってどこかに「時間」って要素が入っていると思いますよ。残念ながら、自分には分かりませんけどね。

October 11, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (3)

2012.10.10

「思い込み」から自由自在になる

仕事の役割ですから、耳の痛いことを直接口にすることがあります。


一番面倒なのは、「思い込みが激しくないか?」と口にすることでしょうかね。


「仕事の能力が欠けている」、「生活態度が良くない」なんてことに関しては、人間は大なり小なり自覚のようなものを持っていることが多い。


だから、周囲に口にされてもなんとなく本人も自覚がしやすいものです。


けど、「思い込み」ってのは自己のアイデンティティと同一化しているからでしょうかね? なかなか自覚がしにくいものです。


「思い込み」ってのはいい具合に発揮されればいい仕事に結びつきます。


そもそも、創造的な発明のほとんどは「これをやったら人の役に立つだろう」といった誰かの「思い込み」からスタートするものですし。


けど、わるい具合に発揮されると面倒です。


人は、何かを「思い込」むことでそこに固着します。


何かに固着するということは思考の狭さや柔軟度のなさを意味しますから、「思い込み」以外のできごとがでると対処がしづらい。


で、問題なのはそんな「思い込み」以外のできごとが起きた場合に「現実そのものを変えてしまう」という方向に流れていくことなんです。


「あの業界は景気が悪いから設備投資にお金をかけられない」なんて安直に口にする営業マンなんてのがそうですね。


「あの業界は景気が悪い」ってことに固着して、「設備投資にお金をかけられない」って現実をつくり出し、自己を肯定化してしまうわけですね。


こうした営業マンに、「本当にそうなの?」だとか「具体的な裏付けはなに?」などといっても話にならないことが多いんではないでしょうかね。


むしろ、人によっては「『思い込みが激しい』と口にしている人間こそがおかしい」などと現実をどんどんとゆがめてしまうわけです。


ここまでくるとどうしようもないんですが、日本の職場でよくある風景でしょう。


おそらくなのですが、「思い込」むということは自己防衛の一つの形です。自分自身でコントロールできないことを最小限に抑えようとする心のはたらきです。


人は、大なり小なり「思い込み」を持っています。


それが、プラスに働く「思い込み」みであればいいでしょうけど、自己防衛の形としての固着的な「思い込み」はできればそこから離れて柔軟なスタンスにたった方がいい。


自分の可能性を狭めますしね。


「思い込んだら試練の道を行くが男のド根性」


かつて、劇作家・梶原一騎さんのマンガ『巨人の星』の主題歌にそんな一節ありました。


「息子を必ず巨人軍に入れる」という星一徹的な「思い込み」もケースバイケースということがいいんだと自分は思いますよ。


その昔は「星一徹は、一途に夢を追いかけるスゴい人だな」と思ってマンガを読んでましたが、いまだったら「自分の夢を息子に投影するちょっと面倒なオヤジ」って見えるような気がしますね。

October 10, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.09

おっと、何も書くことが思いつかない

このブログは、「朝一番に頭に思いついたこと」をなるべく書くようにしています。


で、会社にくるまでの道すがら10分ちょっと考えて、20分くらいでだだーっと書きます。


文章を書く(=テーマを決める)練習であり、自分を周囲に表現する練習でもあり、頭で考えていることを整理するための手段でもあります。


が、今朝は何一つ頭に思い浮かばん。。。


本当は、こういう状態の時に自分の内面を掘り下げるとたぶんおもろいものがでてくるんだろうけどね。


思い浮かばん、って時に何かが開けると「どぁー」っとでてきたりするのが文章なんだと思うんだな。


自分は物書きではないし、そんな時間もないので、今週もスタートしましょう。明日は何かひらめくといいけどな。

October 9, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.08

語られなかった死者の言葉

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「亡くなったあの人ともう一度会ってみたい」


タイトルの「ツナグ」というのは、現世と天界とのそんな想いを結びつけるメッセンジャーの意味です。


生涯に一度、一晩だけ、向こうが拒否をしなければ死者と会うことができます。


母親にどうしても会いたい会社社長、関係が気まずい時に死に別れた親友に会いたい高校生、失踪した彼女を忘れきれない若手サラリーマン、突如両親がなくなってしまった高校生 などが登場します。


人間の肉体は魂が入る器のようなもの。器はいつか壊れるし、ガタがきて、寿命がきます。


で、肉体としての死が誰の元にもやってきます。


「肉体としての死が訪れても、人間の魂同士はつながっているのだから本来は悲しくない」なんて話がありますが、自分も含めて多くの人は魂同士のつながりをビビッドに実感できないので、「肉体の死」ってのが悲しいわけです。


更には、どんな死にも「死者が語らなかった言葉」があります。


残された側は想像力を働かせたり、残された数少ない手がかりをきっかけにして「死者が語らなかった言葉」を自分なりに理解しようとします。


でも、死者と再び会えない以上、その質問は永遠に答えのでることのないループを描くわけです。


誰か死が人間にとってしんどいのは、寂しさや悲しさだけではなく、永遠に答えのでない質問を抱えてしまうからなんでしょうかね?


それにしても、最近はこの手の死んだ人と話ができる、的な映画が多いような気がします。確実に、自分らをとりまく「死」や「魂」に価値観が確実に変化してきてますね。


映画ってのは、こうした変化していく価値観のちょっとだけ先取りできるからいいですね。この映画はいまの時代感の中、必見の素晴らしい映画でした。


それにしても橋本愛っていい女優さんです。


1996年生まれだって。。。自分が会社を辞めて、旅に出た歳だし(汗)

October 8, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.10.05

男気ってやつについて

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「男の子なんだから」


大なり小なり男性はこういわれて育ちます。


「泣いてはいかん」、「困った人がいたら助けなさい」、「ズルはやめなさい」、「陰口をいってはダメです」、「自分のことは自分で責任をとりなさい」、「女の子には優しくしなさい」・・・


そんな生育歴の過程で「男としての美意識」の萌芽が生まれます。


それが、時の経過とともに性格みたいなものになり、更には生きていく上で大切な価値観のようなものになるわけです。


けど、仕事をして立場があがる、人間関係が複雑多岐にわたる・・・


自分をとりまく問題が複雑になっていき、答えのでないできごとに直面するに従って、自分の「男気」が自分らしく発揮できないことがあったりします。


問題にブレル自分がいたり、陰口をいいたくなる自分がいたり、周囲に対して配慮しきれない自分がいたり、といった「男気」が発揮できない残念な自分がでてきたりします。


さらには、周囲の「男気」のなさに直面し、勝手に(人は思い通りになる存在ではないのでまさに勝手に、なんですが)残念さを感じる機会も増えていきます。


責任ある立場にならなければ、更にいうと守るものが少なければ、「男気」なんていくらでも発揮できますのでこれらはしょうがないことなんでしょうけどね。


けど、自分や周囲に、「男気の喪失」を感じるってのはあまりいいものではないです。これを指して「日本人男子の共通したとらわれ」なんて意見もあるようですが、こう思うんだから仕方が無い。


かくも一部の男性は、無意識レベルで「男気」に支配されているんです。


そんなですから、自分の中に存在する「男気」を感じられたり、周囲に「男気」のをかもしだすものに触れると素晴らしく嬉しくなったりするものなのです。


ご一緒した皆さん、お疲れさまでした!

October 5, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.10.04

ん、今日は巌流島決戦の日じゃんか

「巌流島でプロレスをやろう」


「いいねえ〜 宮本武蔵VS佐々木小次郎みたいな感じで両者が船で登場するってのはどう?」


「おっ、いいねえ。どちらかが時間通りに現れなくて、もう一方がイラだって・・・なんてシーンいいねえ。これはテレビ的にはいい絵になるよなあ」


・ ・・酒の席でこんな話から企画が具体化したんでしょうかね?


ボクシングや空手の世界一王者をリングにあげたり、マンガの主人公をそのまま現実のレスラーとしてデビューさせたり、日本人同士が抗争をするなんてストーリーが展開されたり、独裁者であった某国の大統領までリングに上げようとしたり・・・


とにかく、この頃のプロレス界の発想力には脱帽です。


で、その一つとしてアントニオ猪木VSマサ齊藤の「巌流島での戦い」なんてのがあったんです。お客さんを入れずに巌流島で二人だけで戦う、なんてよくもまあ考えるよな。。。


今日は、その巌流島の戦いからちょうど25年です。


25年前、自分は高校生でした。オールナイトフジが好きで、柔道部に所属していて、時給480円の皿洗いのバイトをしていて、格闘技オタクで、将来について何も考えていない高校3年生でした。


自分が若かったためって部分も大きいのでしょうが、あの頃の日本は今思うとノホホンとしているような感じがしますね。


あの「ノホホン感」が巌流島決戦のようなおもしろアイデアを生み出したんでしょうかね?


けど、この「ノホホン感」っていまの社会に欠けてますよね。(と、客観的にあえていいますが)


当然、「ノホホン感」ばかりでは社会は成り立たない(特に低成長下においては、ですね)んですが、これがない社会は面白みがないな、と思います。


アップルやフェースブックなどが引き合いにだされ「なぜこの手のサービスが日本で開発されなかったのか?」なんて議論されていたりします。


自分は、「日本に蔓延する『ノホホン感』の欠如」が大きな要因としてあると思いますけどね。


いまは、「ノホホン感」もちょっと努力しないと獲得できない時代になりました。


だからこそ、一生懸命、こういう感覚を生活にいれていきたいですね。


それにしても猪木さん、この頃まではスゴかったな。この歳の暮れがTPG(たけしプロレス軍団)が参戦か・・・巌流島の前後がレスラー猪木の分岐点だったかもしれないですね。

October 4, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.10.02

人間の持つ全能感ってやつについて

社会人になって3週間で石川の金沢に転勤になりました。


まったく知り合いもいない土地、自分を含めて4人の小さな事務所です。


23歳の自分の他は、30歳の営業所長、30歳の事務の女性、30歳の先輩社員でした。(会社の決まりで月曜日に社歌を歌うのが嫌だったな・・・誰もが歌いたくないって空気感 笑)


4月のある月曜日に会社に初出社して、簡単なオリエンテーション。


で、火曜日に金沢市内の建設業のリストを渡されて地図にプロット、水曜日から1社1社飛び込み営業をはじめました。


企業に社員研修だとかを提案する経営コンサルティング会社の営業職でした。


会社的には「建設業に特化した提案ができる」というのが売りだったので建設業を回って「社長いますか?教育担当いますか?」ってのをやっていくんですね。


最初のノルマが1日30社訪問でした。


「30社なんて回れねえよ」とか「飛び込みなんかで仕事がとれるのか?」と身体のどこかが語っていたのですが、「福岡のY(自分の同期です。最近ごぶさたしてんな、元気かな?)は50社訪問してるらしい」とか噂が聞こえてくると「負けてらんないな」とか思うわけです。


・ ・・結局、2年と11ヶ月金沢で営業の仕事をしました。いまでも金沢(あとは富山の高岡地域、福井市内によく行きました)の建設業はどこにどんな会社があったか鮮明に覚えていますから、グルグルグルグル回っていたんでしょうね。


で、ここからが今日のテーマ。


自分にとってこの時代に飛び込み営業で足腰が鍛えられたのは、おそらく一つの「自信」になっています。


新しい方とお会いするのに全く抵抗がなかったり、「飛び込みでもなんでも仕事がつくれる」って考え方が自分の仕事観にあるのは、この頃にやっていた仕事のお陰だと思ったりします。


で、自分らくらいの年になるとこの手の成功体験(自信体験?)の一つや二つは人間なんとなく持っているものです。で、それは仕かけがえのない財産です。


けど、その「自信」が何かしらの認知の歪み(?)から「全能感」ってやつになるとちと仕事をしていく上で問題があります。


「全能感」ってのは「自分は困難をクリアーしてきたから何でもできる」って思いですね。


言葉の定義だけ聞くと「自信」と「全能感」は同じように聞こえます。


けど、この両者は大きな開きがあります。


たぶんですが、「全能感」に支配されている人は「全能感」を守ることに価値をおくんです。


「全能感」ってのは、「本気」と「主観的」にさえならなければ守られます。


「自分は何でもできるけど、今は100%の力を発揮していないんだ」と言えば「全能感」はまったく傷つきませんし、自らを客観的な立場においておけば「全能感」は常に安定したところで存在しつづけられます。


自分は、仕事や生き方に対して「本気」「主観的」になれないのだとしたら、そこには自分なりの「全能感」ってのが存在してるんじゃん?


って思います。


傷つきたくない自分、ってやつですね。


今日のテーマは、「仕事に本気になれない自分」って同世代の方のブログに寄せられたメールへのお答えです。(ご本人の許可をとって掲載しています)


ぜんぜん的外れなこといっているかもしれませんが・・・


あとは、「本気になれない」ってのは単純にエネルギーが枯渇しているんじゃないでしょうか?


今年の夏は暑かったですし、地震が起きてから1年半ですし


自分らは無自覚にエネルギーを消耗していると思いますよ。エネルギーを補充することに意識的になることは大事だと思います。


人間、仕事でも遊びでもエネルギーが枯渇していたら本気になれませんしね。


いつも読んでいただいているようでありがとうございます。

October 2, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.01

1週間ぶりです

「大塚さん、詩を書いたらいいんじゃない?」


とある席で。


10年近く一緒に仕事をしている方とやりとりをしていたとき、その方にこんな直感がふってきたそうです。


「えっ、詩なんて書いたことないですよ」と一瞬は思ったのですが、一方で「何か現実が向こうからやってきた感」ってのを感じたんですね。


現実が向こうからやってくる時、ってのは「えっ、そんなことやったことないですよ」とか「えっ、そんなの無理じゃないですか」だとかまず思う。


けど一方で、気持ちのどこかに何かが芽生えたような感覚、何かを軽—くつきつけられているような感覚があるんですね。


こうした感覚があった時にその現実に進んでみる


自分は、「人生が自分につきつけてくるものに従って、向き合ってみる」ことからしか自分の人生は開けていかないと思ってますから、まずは一度、詩を書いてみようと思ったわけです。


で、一晩寝たらアイデアがでてきて、そのテーマに沿って時間をみつけては詩を考えてみたわけです。


すると、でてくるでてくる・・・


文章を書いていると時にランナーズハイみたいな状態になりますが、まさにそんな状態ですね。


専門家でないのでわかりませんが、恋や愛や人生ってのが詩の普遍的なテーマなのは、そこから生まれるさまざまな感情や思いが、たぶん言葉にならず体内にとどまるからなのでしょう。


で、その感情や思いは、言葉になって放出される瞬間をたぶん待っています。


映画や本に感動する、歌を聴いて共感する、なんてのは自分の体内にとどまった感情や思いが、作品に刺激をされて放出された瞬間なんでしょう。


自分が書いた詩は、万人にはぜったいに受けません。ってか、否定されるかもしれません。


けど、「さまざまな感情や思いが言葉にならず体内にとどまっている」とあるタイプの人が読んだら、その人たちの何かを放出する瞬間をつくれるかもしれません。


そのタイプの人ってのは、たいがいが個性的で、たいがいは自分が大好きで、たいがいは何かをしてないと落ち着かなくて、たいがいはエネルギーが強い人たちです。


けど、どこかで理不尽と前面に立って戦っていたり、周囲に誤解を与えながら悩んだり、時に無力感や虚脱感を感じていたり、理解してもらえないなって孤独感を感じる存在でもあったりします。


自分にとっては非常に愛すべき存在であります。


いずれそのうち気が向いたらブログにアップするかもしれません。


そんなこんなで1週間ブログを休みました。今週から復活しますんで、固定ファンのみなさん(笑)、よろしくお願いいたします。

October 1, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)