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2012.11.29

言葉の裏に存在している背景、ってのに意識をむける

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私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれが伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ。(『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー P20)


「言葉として語られること」


そこには、壮大な背景があるわけです。


言葉を口にする人が自覚的な背景もあれば、潜在意識の奥底に眠ってしまっていてまったく無自覚な背景もあるわけです。


で、コミュニケーションをとるときにいちいちその壮大な背景を伝えることができない以上、言葉を受け取る側には「言葉を発する側の発言の裏に存在している背景」を知ろうとする姿勢、センスが求められるわけです。


でも、「言葉の裏に存在している背景」ってのは「他者に対する関心」と「ある程度の教養」、そして「相手の言葉だけに固着しない姿勢」がないと難しいわけです。


でないと、「言葉だけをとらえて文脈を理解しようとしない」というコミュニケーション不全が生まれるわけです。言葉は交わされているけど、深い部分でのやりとりがなされていない、という日本の会社でよく見られる状態になるわけです。


すべてのコミュニケーションで深い部分での交わりをする必要はないと思うけど、こうした思考回路をちょっと持つというのは大事ですね。


『暗黙知』(人間の言葉の背後にある言語化されない知識のこと)を提唱したマイケル・ポランニーの本をようやくと挫折せず読むことができました。


ポランニーの言語化されたコンテンツについていくのがやっとで、言語化されていないものまで読み取ることはできてないでしょうけどね。


いやややや、天才ってのはいるものなのだなあ、と。

November 29, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.26

生きる意味、ってのは問いかけられるものらしい

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『フランクル「夜と霧」への旅』河原理子


「生きる意味なんてない」


と言い切っていた人がいるんですね。自分が20代の後半の頃でしょうかね。


「じゃあ、今生きていること自体が矛盾してんじゃないか?」といったら、「意味がなくても生きるって生き方はある」というロジックを展開されたのですね。


けど、今おもうと「意味が見つからないことに対しての焦りや不安」みたいなものがその人の根底にあったんではないかと思うのですね。


なんとなーくですが。。。


かくいう自分。


「生きる意味なんてない」と思ったことはないですが、「自分の生きる意味ってどこにあるんだろう?」と思ったことはあります。


だから(もちろん、原因はこれだけじゃないですが)会社も辞めましたし、旅にもでましたし。


が、「意味」なんてのは、問いかけてもなかなか見つからないのですね。


「人生の意味は旅にでれば見つかる」ことを長旅に出た人がいうかもしれませんが、そんなのちゃんちゃらおかしい。単に旅にでたって「意味」なんかみつかるわけがない。


当たり前ですよね。


意味は自分の外側にあるんじゃなくて、自分の内側にしか存在しないわけですから・・・そんなことに気がついたのは30も半ばになってからでした。


その頃ってのは会社ができて、なんとなく仕事やお金の流れができてきて、「会社をやっていける」って自信がちょっとだけついてきた頃でしょうかね。


ふと、「会社をやる意味ってなんだろう?」という思いにとらわれたのですね。


で、その意味がみつからないと、自分の足元がなんかとっても脆弱なような気がしたんです。


けど、旅に出た時と一緒でそんなものは自分が問いかけをしても見つかるわけがないのです。見つけたとしても、まやかしだったりするわけです。


そんな時でしたでしょうかね、フランクルの存在を知ったのは。


戦時中、ドイツの強制収容所にいれられ奇跡的に生き残った医師で、体験記や講演記録がいくつも残っているんですね。


そいや、大学時代の西洋史の先生が「この本は読んでおくといい」といった本の中の一つがフランクルの本じゃなかったかしら・・・学校を卒業して15年目くらいにようやく巡り会ったというわけです。


その中で、「人間は人生に意味を求める存在ではなく、人生から意味を求められる存在である」みたいな言葉があって、がびーんと来たのです。


「人生から意味を求められる」


自分らは生きているとこの手のできごとがたくさん起きているわけです。で、それらをフランクルのいう「創造」「体験」「態度」の価値をもって迎えることによって、自然に人生に意味づけがされていく。


そこは、自分自身が人生に意味づけをしようとしたりすることはしなくていい世界観。


これはちょっとコペルニクス的な発想の転換でした。


今思うと、インドの哲学も、日本の神道も同じようなことをいっているんですね。


最近、どうやらフランクルが読まれているようで(知りませんでした!)朝日新聞の編集委員の方がフランクル入門書になるようないい本を出されました。


「人生に意味はない」と思考省略したり、視野狭窄になる前に手にとってもいい本じゃないかな、と思ったりします。


では、今週もきばっていきましょう!


November 26, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.22

正しい質問、間違った質問

現在を見て、「なぜそうなのか?」と考える


これは一見すると「考え」ているように見える。頭を使っている感じがする。仕事であれば「仕事をしている感」がある。


ただ、「なぜそうなのか?」って質問には、変えられないもの(環境や他人、はたまた自分の過去)に対して幾ばくかの責任、理由づけを求めるような語感がする。


どこか、答えのでない(でにくい)質問を自らに課すことで、「本当に考えないといけないもの」から逃避しているような感じもする。


更には、「考えているワタクシ」って自尊心(?)は満たされるだろうから、ちとやっかい。自分を見直す、なんて冷静な観点がなくこのまま突っ込みそうな指向性が生まれるだろうし。


昨日参加した研修で、正しい質問の話がありました。


現在を見て、「なぜそうなのか?」を考える、これは間違った質問。


現状の足りないものを見て、『なぜそうではないのか?』と考える、これは正しい質問。


と。うーむ、なるほど。


自分の仕事は「なぜそうではないのか?」を繰り返していたらすぐに破綻してしまうだろうから、こと仕事においては「正しい質問」を繰り返してきたんだろうと思う。


「なぜそうなのか?」という質問を繰り返している人をみると、御愁傷様だなあ、って感覚もあったりする。


けど、自分が直面したくないシャドウの部分、自分の中にある闇の部分については「なぜそうなのか?」という質問を繰り返すことで堂々巡りの現実逃避をしてねえか、自分?


と、朝起きて思いました。


42歳の冬、いろいろな気づきのようなことがあるものです(笑)

November 22, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.21

ダイヤモンドが降臨した夜

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「好きだった芸能人の番付をつくろう」


1997年夏、内モンゴルから蘭州行きの汽車に乗っていました。


日本を発って1ヶ月あまり。中国国内をバスと汽車で移動していたのですが、とにかくどこへ行くにも移動が長い。


で、思いついたのがこのテーマ。


で、10時間くらいかけてあーでもないと考えた結果、東の横綱(?)になったのがプリンセスプリンセスの奥井香(現:岸谷香)さんだったのですね。


高校3年から、浪人して、大学にいって、社会人の2年目くらいまで


いややや、音楽のことはよくわかりませんが彼女は好きでしたね。見た目も、声も、持っている世界観も、曲も、話も・・・。


で、たぶん、そんな異性に対しての傾向(?)はいまでも自分のどこかにあるみたいです(笑)


そんな彼女らの復活コンサート、いってきました。


武道館でリアルに「M」やら「ダイヤモンド」やら「ジュリアン」やらが聴けるのですから、歓喜、乱舞、感動、涙の3時間でした。


ってか、昔に比べて声がめちゃガーリーになってるし・・・。


復活を知った時は、「行きたい。けど、一抹の怖さが・・」って思ったけど、いやややや、彼女も、他のメンバーも想像を超える復活劇。5人のキャラクターが昔ながらにそれぞれ際立っていました。


熱唱、ってのはああいうことをいうんでしょうね。


「声がでなくなったら嫌だから武道館公演の初日にいく」と4日公演のしょっぱなのチケットをとったのですが、たぶん杞憂じゃないかしら。


何か持っている人は違いますね。


夢みたいな日、なんてそんなにあるもんじゃないですが、昨日はまさにそんな一夜でしたわ。


残念だったのは「MY WILL」がかからなかったことくらいか。あれって、派手さはないけどプリプリらしい曲だと思うのだよな。


ちなみにこれって、「40代青春の忘れ物消費」っていうんですってね(笑)


プリプリを見れたし、あとはおかわりシスターズが復活したら思い残すことはないんだけどなあ。


岸谷香さん、同じ時代を生きられて光栄です。

November 21, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.11.20

困った上司についてしまった時は

「上司がずっと私的なメール(LINE)をやっててイラつく」


ある席でそんな話がでました。


これだけデジタル機器が普及した今、確かにこの手の社員ってのはどこにもいるでしょうね。


昔だったら絶対に「サボり」っていわれていたことが、ごく普通にまかり通る社会に日本は(他の国もかな?)なってしまっていますからね。


まず基本的な立ち位置ですが、自分は、仕事のスイッチの入れ替えとしての「LINE」や「ネットサーフィン」はある程度(ある程度は、ですよ)はあり、と思うのです。


そこから新たな創発が生まれることもあるでしょうしね。


けど、「LINE」や「ネットサーフィン」に程度を超えてはまってる大人の姿ってのは当然ですがいただけない。


たぶん、人間って「オンのスイッチ」と「オフのスイッチ」が入っている時で発するオーラ(この言葉が適切かどうか分かりませんが・・・)が違うと思うのですよね。


マナーってのを「最低限、人に不快感を与えないこと」って定義するとすると、仕事中に「オフのスイッチ」を発し続けることは明らかに周囲へのマナー違反になりますからここは要注意、自覚的な自分でいたいですね。


で、冒頭の「上司が〜イラつく」ですが、これに関して何か処方箋ってあるんでしょうかね?


かつて、自分の上司にも仕事中に競馬新聞ばかり読んでいる人がいました。で、その上の人がくるとササッと隠す・・・


「貧困なる精神だなあ」って思いましたが、20代後半の自分は口にはできませんでしたね。


まあ、ほとんどの人がそうだと思います。面倒ですし、上司ですしね。


今の自分だったら「この人は『LINEおばけ』(?)に取り憑かれている」とか思考を変化させるかもしれませんね。


この上司は「LINEおばけ」に取り憑かれている、と考えただけでその人は加害者から被害者になったりみえてくるから不思議です。


思考が変化すると関係性が変化します。


関係性が変化すると、それを受けて自分の思考が変化してきたりする。


そうするとなぜか「本人に口にできるチャンスがでてくる」とか「本人が勝手に何かに気がつく」みたいなことができてきたりすると思うのですよね。


まあ、この手のことは物事の考え方の向き不向きがあるので、全ての人に応用できないかもしれませんが・・・。


ちなみに、この上司。


他の社員からも突っ込みが相次いだので、酔っぱらったついでに話をしました。冗談まじりに口にするのが精一杯でしたが。


本人は、「そうか、俺は目が覚めた!」と言っていましたが、翌日はフツーに競馬新聞読んでました。ある出来事があってケンカしちゃいましたけど、まあ、憎めない方でしたね(笑)

November 20, 2012 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2012.11.19

イノベーションのジレンマ(もしくは、歴史があるから動けない)

Amazon.comの電子書籍端末「キンドル」をヤマダ電機やヨドバシが販売しない決断をしたようですね。


「自社サイトへ流入するユーザーを増やすこと」


「キンドル」の位置づけがそこにあるのは、自分だって分かりますからきっと競合認定されたんでしょう。


確かに、「店舗で商品を見て、ネットで購入する」って人の存在は量販店の頭の痛い経営問題でしょうからね。この判断がなされた背景もわからなくはない。


一方で、ケーズやビックカメラは「顧客ニーズがあるため販売する」ということらしいです。


海外の一メーカーがつくった商品を、日本を代表する量販店が取り扱うか取り扱わないかをめぐってニュースになるくらいAmazonの存在感が大きくなっていることの証左なのでしょう。


この辺の戦略の違いがどのような結果になるんでしょうね?


よく、「Amazonやアップルが素晴らしい商品をつくれて、なぜ日本のメーカーがつくれなかったんだ」なんて話がでてきますが、きっと日本のメーカーには「イノベーションのジレンマ」が存在しているんでしょう。


メーカーが画期的な商品を出したところで、流通ルートにのらなければその商品は市場に浸透していきません。


で、家電業界で流通ルートの中核にいるのが家電量販店である以上、「家電量販店の利益に反するような商品でないかどうか?」というバイアスが企画段階でかかるのは容易に想像ができます。


「この商品を出したら、いままでつくった関係が壊れてしまう」的な話ですね。


Amazonなどは、このへんのしがらみがほとんどないでしょうから、量販店などの思惑を二の次にした思い切った商品開発ができるんでしょうね。


「イノベーションのジレンマは市場のどこにあるのか?」


今の日本みたいに成熟した社会だからこそ、逆にいうと、イノベーションのジレンマがそこかしこに存在しているような気がします。


すごい戦略家ってのはそういうところに的確なうち手を打ってくるんですよね。


まさに、生きたケーススタディですわ。

November 19, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.16

この世界はやはり真空を嫌うらしい

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「何かがなくなると、何かが入ってくる」


ずーっと手がけていた仕事がなくなったら、代わりの新しい仕事がはいってきた。


「これはこーでなきゃならない」って考え方を捨てたら、新しいできごとがやってきた。


長く付き合っていた人と離れてしまったら、違った人との出会いがあった。


そんな例を挙げるまでもなく、この世の中は真空状態ってのを嫌うらしいですね。


一気に真空が満たされる時もあるでしょうし、徐々に徐々に満たされていく時もある。


そんなタイミングまでも含めて、どこの誰のどんな配剤によるものかわかりませんが、とにかく大きな流れの中では、自分らの生活する世界は真空状態を嫌うようです。


思えば、この夏はちょっと残念な別れがいくつかありました。


その現実を受けて、「残念だな」とか「寂しいな」とかいう状態になりました。真空、とまではいかないのですが、ちょっと近い感覚ですね。


で数ヶ月の時を経て、その真空が埋まってくるようなできごとがいくつかありました。


真空状態に陥ると、人ってさまざまだなと思います。


一刻も早く真空状態を解消しようとする人。ごく自然と真空が埋まることを待って、それが満たされたら喜びを覚える人。


真空が埋まることに恐れを覚える人。更には、真空をいつまでも埋めずにいたい人。


自分は純粋に新しくきた現実をウェルカムで迎えます!

November 16, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.15

客観的よりも自由自在

「本人のことについて怒ったり、指摘してんのに冷静な人」


ってたまにいますよね。


で、当の本人が冷静になればなるほど、問題そのものよりも冷静になっている姿にイラっとしてくる。


「あなたのこと話してんだろう」とか「なんで我関せずみたいな態度なの?」とかいう具合にどんどんと問題の焦点がずれてくる。


「わかりました」だとか「すみません」と口にされても、「わかりました顔」してなかったり「すみません口調」じゃなかったりするんで、それが更に頭にくる。


ってか、安易な「わかりました」や、安易な「すみません」ってのは最大の防御(それ以上、つっこめませんからね)ですからね。


・・・結局、問題とはずれたところで不毛なやりとりが続いていくのです。


「『イタい大人』にならないためには自分自身を客観視することが大事なのか?」


先のブログにそんな意見をもらいましたので、ちと考えてみます。


確かに、「イタい大人」の根底にあるのは、自分自身を客観視できないことにあるのだと思います。


歳を重ねていくと、意見を口にする人は少なくなります。自己愛を満たされるシーンも減ってきます。経験や知識でなんとかできる局面も増えてきます。「はい、はい」とものを聞いてくれる人も若い頃に比べると増えてきます。


そんな背景の中、「客観視」ってのは一つのキーワードなのは間違いがない。


でも、いかなるシーンでも「客観視する自分」に固執するのはどうなんでしょうね?


周囲から怒られたり指摘をされた時に「客観視する自分」へ固着している人ってのは、相手へ無言の攻撃をしていると自分は思いますよ。


自分は「冷静で、クール」だけど、相手は「冷静じゃなくて、カッカしている」なーんて構図を無意識的につくってしまってませんかね。


自分自身への客観視、ってのは足りなくても「イタい」し、ありすぎても「イタい」んじゃないのかなと。


大事なのは、「客観的な自分かどうか」ではなく、「客観的な自分」にも「そうでない自分」にも自在に行き来できる柔軟性、自由自在度だと思います。

November 15, 2012 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2012.11.13

分かったようなモノ言いについて

「全は個、個は全」


禅の言葉でしょうかね、師匠筋にこの言葉を聞いた時は「うーん、なるほど」と思いました。


一人一人の個人は分離されてはいるように見えるけど、実は全体でつながっている。


集合的な無意識と呼ぶのが適切かどうかわからないけど、人間の思考や行動だってどこかでつながっていて、相互の関係性の中から個である自分は確立されていく。


「人と仲良くしなさい」という教育を受けたから回りの人とうまくやっていこうというのではなく、「自分を確立してくれる存在」だからこそ他人をリスペクトしましょう、という世界観。


いつだったか、自分の中で肚に落ちたような感覚を味わったのですね。


が、「自分のような人間が何を分かったようなことを・・」という自分もどこかにいなくはない。


ってか、今は情報だけはふんだんにあるから「分かっていないことを分かったように口にする」ってことは簡単にできる時代ですからね。


政治や経済、心理や哲学チックなことを語ろうと思えばちょっとネットで調べれば語れる時代を生きているわけです。


だからこそ、「自分自身の肚に落ちたこと」と「さまざまな情報の中で影響を受けただけのこと」をきちんと分かつ智慧が求められるわけです。


で、立場や影響力がある人は自分が知らずのうちにこうした陥穽に陥っている可能性だったなくはないって冷静さをもつ必要があると思うのです。


でないと、「分かりもしないことを分かったようなモノ言いをする」って型の「イタい大人」になってしまう。ルサンチマンの格好の餌食になってしまったりもするわけです。


冒頭にあげた「全は個 個は全」って言葉だって、自分がどれだけ理解できているかはわかりません。その道の人にいわせればちゃんちゃらおかしいかもしれない。


が、少なくともどこかで見つけてきた情報を取り込んでるだけではないことは確か。


その上で「分かったようなモノ言い」はもっと「分かる」ために必要な営み(?)だと思うのです。フィードバックや更なる情報が集まりますからね。


で、徐々に理解の次元をあげていけばいいわけなんですよ。

November 13, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.10

記憶の取り違え

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人間には、過去の記憶を取り違えたことっていっぱいあると思うのです。


で、人間は事実ではなくて、個人個人の認知から現実世界を把握し、そこに立脚して自分をつくりあげていくから「記憶を取り違えたこと」が悪いように働くこともあったりするわけです。


本当は愛されてたのに、「自分は愛されていなかった・・」みたいなヤツですね。


が、過去の記憶を取り違えたことがいい方に働くケースもあったりするわけで。


頑張りだとか、努力だとかの根底には「過去の記憶の取り違え」ってことがあるケースもよくあったりするわけです。


週末は、過去の記憶をなぜか分からないけど取り違えてたことを、古くからの友達に十数年ぶりあって気がつきました。


それは、ぜんぜん関係のない人から聞くとどーでもええことなんですが、自分にとってはそれなりに大きなことでした。


過去の記憶を取り違えたことがいい方に働きましたね、絶対。


ご一緒した皆さん、お疲れさまでした!

November 10, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.09

他者からの承認欲求を考えてみる

「社長ってのは褒められない仕事」


と自虐的に言っていた仲間がいたんです。けど、さもありなん、と思います。


「ありがとうございます」といってくれる人はいても「よくやったね」と褒められたり、ねぎらわれる機会はきっと少ないんでしょう。


これは、役割だからしょうがないんですけどね。


けど、社長とて人間ですから「他者からの承認を渇望する生き物」であることには間違いがないのです。これは、睡眠欲や食欲といった人間の根源的な欲求の一つでしょうからね。


この欲求が欠乏すると人間の無意識は貪欲に働くようです。


で、「過去の自分」を使ってでも他者からの承認欲求を得ようとします。よくありがちな、「昔は大変だった」「あのときは頑張った」的な話ですね。(「昔はワルだった」ってのもそういうクチかな?)


さらには、「自分より弱い立場の人」から承認欲求を得ようとします。


社長だったら社員や外注先に、上司だったら部下に、先輩だったら後輩に。更には、親が子供から承認欲求を満たそうとするケースなんぞもあるようです。(毒になる親ってやつですね)


「過去の自分」と「自分より弱い立場の人」から承認欲求を過剰に得ようとする自分の心


社長って役割に限らず、ある程度の年齢になったらこれとは対峙したいですね。


承認欲求は、「過去の自分」ではなく、「現在の自分」で。


承認欲求は、「誰かに求める」のではなく、自分の存在や行動に対して「結果として誰かから与えられる」。


そんなものなんでしょう。


更にいうと、大人の承認欲求ってのは多くの場合「声にならない声」として与えられるものでしょうから、その声を聴くセンスと人間に対する一定の信頼感が必要なのでしょう。

November 9, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.08

リコメンドする力

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ワインの味が覚えられない・・


大の酒好きで種類問わずなんでもいけるんですが、ワインの味がどうも覚えられません。


「これはうまい」とか「どうも好かない」というのはあるんですが、そのワインを後日別の場所で見た時に「どんな味だったか?」がまったく思い出せない。


再現性が全くないんですね。焼酎や日本酒はそんなことないのにな・・・。


だから、レストランに行っても「重めの赤ワイン」という形で頼むか、「名前がなんとなくかっこいい」だとかで頼むしかない。


それでも別にいいんですが、せめて自分のお気に入りのワインを探そうと思って、マンガの『神の雫』だとか雑誌のワイン特集を読んでは、飲んだワインを写真にとってエバーノートに蓄積し続けたんです。


けど、「あれをも一度飲みたい」って記憶に残るワインはなかなかなかったんです。


そんな中、海外の出張に同行いただく旅行代理店の社長さんからお土産でいただいたワイン。


「大塚さん、絶対に好きだと思います」といわれてありがたく頂戴したのですが、これがうまかった。


でも、うまいワインはいままでにもあったんだけど、このワインは、味が記憶に残りました。


何回も海外にご一緒しているので自分の酒の傾向をご存知なのでしょうが、すばらしいお土産でした。


さて、「イタい大人」のエントリーが2回続いたので、「イケてる大人」についても書きたいと思います。


自分の中で「イケてる大人」の一要素は「リコメンド力」がある大人です。


「会食をしたいのだが何かいいお店しらない?」だとか「仕事に行き詰まっているが、何かいい本はないか?」だとか「なにかいい映画をしらないか?」だとか・・・


そんなことを聞かれた時に、相手の志向や現状を踏まえた上で「自分はこれがいいと思うけど」と薦められる大人ですね。


今はネットでこれらのおススメ情報はいくらでもとれることができますんで、「何か教えてください」って聞いてくる人もそんなにいないかもしれませんけどね。


「刀を抜く機会はそんなにないけど、刀の手入れはしておく」


こと、リコメンド力にこうした世界観をもった大人は「イケてる」と思います。

November 8, 2012 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2012.11.07

「イタい大人」が生まれる構造

昨日の続きです。


自己愛を増殖させるツールが溢れている時代感だとか、おせっかいを口にする大人が減っただとか、おかしな個人主義がはびこっただとか・・


「イタい大人」はなぜ生まれるのかを考えると、いろんな要因を考えることができると思います。


で、マクロレベルでこの手のことを憂いてもしょうがないので、ミクロ(一個人)レベルでの要因を考えてみます。


・・・と、考えて思いついたのが


「獲得の時代」から「喪失の時代」へと変化していく自分への不適合


という言葉。


人間は若いうちは「獲得の時代」を過ごします。この時代は、人間関係が広がり、知識や経験が増え、仕事を得てスキルを獲得していきます。


が、「獲得の時代」ってのはずーっと続く訳ではなくて、いつの頃からか人は「喪失の時代」を迎えます。


体力が衰えはじめ、新しい知識との出会いや刺激的な体験との出会いが少なくなっていき、仲が良かった人との別れがあったり、仕事を通して自分の限界を知ったりする・・・


「獲得の時代」から「喪失の時代」にシフトしていく時期って人生にきっとあると思うのです。


男性の場合、人によって違うでしょうがだいたいが40〜50歳台。体験やチャレンジすることに無自覚であれば30台の後半くらいからこの手のシフトが訪れるような気がするんです。


当然、「喪失の時代」はいままで獲得したことがなくなっていくわけですから誰だって好んで迎えたくないわけです。


で、「喪失の時代」を迎えると人は他者からの承認を得られにくくなっていくわけですから、人間(他者承認を渇望する生き物ですね)にとっては死活問題(?)なのです。


「昔はこうだったよなな〜」とか「あの時は苦労したよなあ〜」的な過去の話で「他者承認」を得るしか手段がなくなっていくわけです。


おそらく、「喪失の時代」への移り変わりを皮膚感覚で感じると、人間は「獲得の時代」へと執着しようとするんじゃないでしょうかね?


ただ、そんな自分の意識がもたげてきたら、再び「獲得の時代」のような意識になって思考や行動を変えていけばいいと思うのです。


新しい経験や体験に意識的になるということですね。


「獲得の時代」の意識だけあって行動が伴わないのであれば、どんどんどんどんと「喪失の時代」へと進んでいくのは仕方ないんです。


自分はいつか訪れる「喪失の時代」まで徹底的に「獲得の時代」にこだわりたいと思います。


で、「喪失の時代」がやってきたら、「仕方ねえけど、しょうがないか」とたんたんとお出迎えをしてやりたい。


当然、「獲得の時代」への執着がでてくるでしょうけどね。がんばれるか、自分(笑)

November 7, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.06

「イタい大人」になりたくない

「イタい大人」っていますよね。


誰しも一人や二人は思いつくと思うのですが、本当に端で見ていると「あ、イタタタタ・・」なのです。


ちょっと思いつくまま挙げると・・・


●「自分の実力を必要以上に過大評価している大人」(「ふーん。で、その根拠は?」と聞いてたまにつっこんでやりたくなります)


●「『急がしい』と口ぐせにしているけど実態が不明な大人」(単に、他からの存在証明が欲しいんでしょうかね。てか、忙しいのはお互い様じゃね、って)


●「インターネットで調べられる情報をさも自分の意見のようにいう大人」(インテリジェンスとインフォメーションとの違いを知らないのかしら?と思いますね)


●「先輩、後輩関係に固執する大人」(たいがい、「上の人や強い人に弱く、下の人や弱い人に強く」って考え方とリンクしません?「先輩は先輩、後輩は後輩。その他は人間と人間の付き合い。以上」でいいんじゃないかな、と)


●「服装や言動などTPOをわきまえられない大人」(保育園児がそのまま大きくなった感じがしちゃうんですよね。個性って隠してもでてしまうものが個性じゃね、と思ったりも)


●「専門でもないのに政治の話が大好きな大人」(国を憂うなら政治家になればいいじゃん、と思います)


●「ケータイに依存している大人」(そんなに自分を確認したいのかな、と考えちゃいます)


● 「白黒はっきりしないと気がすまない大人」(世の中ってグレーな部分が一番多いようなきがしますけどね)


などなど・・・まだまだたくさんあるなあ。


けど、「本人に口にして波風たててもしょうがないだろう」だとか「ああいう人なんだからしょうがないじゃん」って周囲の厚い温情(?)のため、多く場合「イタい」は「イタい」ままスルーされることになります。


で、年月の経過とともに「イタい」はその人の性質になっていきます。


人間は性質が人間関係や仕事をつくっていって、それらの関係性が逆に自分をつくりあげていくわけですから、「イタい」は最終的にその人に降り掛かってくるわけです。


誰しも、「スゴいですねえ」と人からいわれれば重要感が満たされて嬉しいわけですから、自慢をしたくなるし自分への過大評価もしたくなる。


人間には「誰かを支配し、思いのまま動かしたい」って欲求も、「自己肯定感を高めたい」という欲求も存在する。その欲求を満たすための行動を無意識にしてしまう生き物でもある。


「集団の中でとけこみたい」という欲求もあれば、「ちょっと変わった個である自分を打ち出したい」という欲求も存在する。


・・・ある程度の年齢を重ねたら、こういう欲求や自分の構造に自覚的になる必要があると思うのです。


それが、大人の役割だと自分は思うのですよ。下の世代に偉そうに(?)ものをいう立場の人間の責務だと思うのです。


「なぜ人は大人になっても学ぶか?」


自分の中でそれは単に知識や情報を得ることではなくって、「自分の中にあるイタさ」に自覚的になることなんですね。


「イタさ」は自覚的にならないとどんどんと成長しますから、注意したいですね。


逆にいうと、「自覚的なイタさ」であれば自己判断でおもいきり「イタい大人」になればいいんだとも思いますよ。自覚的なものはコントロールが可能になりますしね。


ちなみに、最近、モモクロにはまっている自分は「自覚的なイタさ」です(笑)

November 6, 2012 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2012.11.05

罪悪感から解放される瞬間

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「あの時、あんなことしちゃったなあ」


そんな後悔って誰にもあると思うんです。


で、その後悔が強すぎて自分自身の思考や行動が支配されるようになると「罪悪感」って呼ぶようなものになるんでしょうかね?


よくメカニズムはわかりませんが。。。


「人生をなぜか楽しめない、それは自分自身がそれに値しない人間だからだ」


って思考回路。


で、この手の思考の怖さは「支配されている自分」になかなか気がつかないことにあるんでしょう。


「なんでそんなにネガティブなの?」とかいわれても思考の根底に「支配されている自分」があるんだからどうしようもかったりするわけです。無意識は潜在意識から顕在意識に出してやらないとコントロールが難しいですし。


けど、「本来は罪悪感を抱くような現実はなかったんだ」って過去の認知の歪みが理解できたり、「もう十分に自分を痛めつけたじゃないか?」って他人の言葉を素直に受け止めることができたり


と、罪悪感が解放されていく瞬間ってのが生きていればそこかしこにあるのでしょう。


で、そっから「新生自分」が誕生していくわけです。


この映画ではそんなシーンがいたるところで垣間みることができましたです。


「人生ってのはあまり劇的なことは存在しない」と思ってますが、こと人間が罪悪感などの「ある種の思い込み」から解放される瞬間ってのは「劇的」だと思います。


映画ってこうした体験をバーチャルでできるからいいですね。


追記
映像も音楽も心理描写も素晴らしい映画ですが、どう考えても宮崎あおいと満島ひかりのキャストを入れ替えたらよかったのではないか、と。

November 5, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.01

ハロウィンのシーズンが終わりました

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ハロウィン当日は連日の仮装疲れ(?)でまったりと飲みでした(笑)


今年は、専属スタイリスト(?)がついたので衣装は手づくりだし、独創性にとんでいて素晴らしいハロウィンウィークでした。

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変身願望、ってのが強いのでしょうかね?自分。


旅している時も、ほぼ必ず現地の洋服を着てたものなあ。


このブログのタイトル左の写真はチベットの民族衣装。右の子供と一緒に移っている写真がモン族の民族衣装、右下の仏塔はミャンマーのロンジー(巻きスカート)姿•••


ミャオ族やアカ族の民族衣装やら、モロッコの伝統衣装、たしかモンゴルでも現地人みたいになってたし、ウィグル地方ではイスラム系の帽子をかぶっていたし•••


まあ、人の性格はそうそう変わらない、ということで。。。


ご一緒したみなさんお疲れさまでした!


November 1, 2012 | | Comments (0) | TrackBack (0)