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2012.11.13

分かったようなモノ言いについて

「全は個、個は全」


禅の言葉でしょうかね、師匠筋にこの言葉を聞いた時は「うーん、なるほど」と思いました。


一人一人の個人は分離されてはいるように見えるけど、実は全体でつながっている。


集合的な無意識と呼ぶのが適切かどうかわからないけど、人間の思考や行動だってどこかでつながっていて、相互の関係性の中から個である自分は確立されていく。


「人と仲良くしなさい」という教育を受けたから回りの人とうまくやっていこうというのではなく、「自分を確立してくれる存在」だからこそ他人をリスペクトしましょう、という世界観。


いつだったか、自分の中で肚に落ちたような感覚を味わったのですね。


が、「自分のような人間が何を分かったようなことを・・」という自分もどこかにいなくはない。


ってか、今は情報だけはふんだんにあるから「分かっていないことを分かったように口にする」ってことは簡単にできる時代ですからね。


政治や経済、心理や哲学チックなことを語ろうと思えばちょっとネットで調べれば語れる時代を生きているわけです。


だからこそ、「自分自身の肚に落ちたこと」と「さまざまな情報の中で影響を受けただけのこと」をきちんと分かつ智慧が求められるわけです。


で、立場や影響力がある人は自分が知らずのうちにこうした陥穽に陥っている可能性だったなくはないって冷静さをもつ必要があると思うのです。


でないと、「分かりもしないことを分かったようなモノ言いをする」って型の「イタい大人」になってしまう。ルサンチマンの格好の餌食になってしまったりもするわけです。


冒頭にあげた「全は個 個は全」って言葉だって、自分がどれだけ理解できているかはわかりません。その道の人にいわせればちゃんちゃらおかしいかもしれない。


が、少なくともどこかで見つけてきた情報を取り込んでるだけではないことは確か。


その上で「分かったようなモノ言い」はもっと「分かる」ために必要な営み(?)だと思うのです。フィードバックや更なる情報が集まりますからね。


で、徐々に理解の次元をあげていけばいいわけなんですよ。

November 13, 2012 |

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