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2013.01.29

自分の外側に広がっている世界観を想像すること

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「科学的でないものは信じない」


目に見えない世界なんかの話にこういう反応をする人がいます。


でも、よーく聞いているとその人に科学的な知識や思考力があるかどうかは微妙じゃねえかな、と思うことがあります。


科学的云々って口にはしてるけど、要するに「自分が信じられるものしか信じない」って意味じゃね?


と。


これはどう考えても、「科学的」でないわけです。


自分が信じているものの外側に広がっている広大な世界観


それを想像することができること、たぶん、それが人間の知性であるわけです。


さて、この映画。


日本映画の至宝(?)・阿部ちゃんが出てたので行ってきましたが、ちと期待はずれでした。


自分はストーリーを追っかけて喜怒哀楽いずれかのスイッチれば映画鑑賞はそれでいいじゃん、と思うのです。


で、そこに監督の意図するもの、意味しているものがちらりと見えたらラッキー、って感じでしょうかね。


でも、この映画は喜怒哀楽のスイッチも入らなかったし、監督の意図するものも全然見えてこないままエンドロールを迎えちゃいました。


公開初日だったけど、お客さんもどこか緊張感がなかったな•••


けど、当然なんですが、自分がまったく見えてないだけでスゴい映画である可能性はあるわけです。


なので、思考のどこかに「今の自分にはよく分からないけど、今日のところは面白くなかった」といれておくのは大事なことか、と。


「おもしろい、おもしろくない」とズバッと割りきりばかりしていたら、自分が理解できないものに向かっていくことに億劫になっていきますからね。もちろん、映画に限らずの話です。


まあ、そうはいってもどう考えても駄作って作品もあるから困ったものだけどね(笑)


この作品はたぶんなのですが、とある種類の女性がみると共感するんだろうな、とは思いました。言語化はまったくできませんけどね。

January 29, 2013 |

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