« February 2013 | Main | April 2013 »

2013.03.29

創造性を開発する

1


ホワイトカラー、とよばれる仕事をしていて「創造性」と無縁な人は本来いないでしょう。


「どうしたらいいか?」と自分自身に問いかけること、それはすべて人間の「創造性の発露」なわけです。


新しい仕事の開発だって、いまやってる業務の改善だって、トラブルの対応だって、アイデア出しだって•••すべて「創造性」の発揮無しにはなしえません。


けど、自分らは人生のどこかで創造性開発をきちんと学んできているわけではないわけです。


「今までに経験したこと」や「学んできた知識」といったきわめて属人的ものをつかって、勝手気まままに創造性開発をしてきているわけです。


だから、そこには厳然たる事実として人による優劣が存在するわけです。


この創造性を発揮するには、「ひもづけ知識、ひもづけの関心ごとをひたすら増やすこと」だと思うわけです。


「一つのことを見たり、聞いたりした時に、どれだけ関係のあることを思いつくか?」ってやつですね。


で、社会人になっての学びの目的の一つ(あくまでも一つ)はここに結びつくように自覚するのがよいと思うわけです。


国立にいったのですが桜が満開でキレイでした。


「桜」を見て真っ先に思い出したのはマンガ『魁!男塾』の卒業シーンでした。剣桃太郎と富樫が桜散る校門を出て行くシーンですね。(知らない人はごめんなさい)


で、「卍丸やセンクウ(男塾3号生)も桜を眺めたのだろうか?」と思いました。マンガではスゴく冷たいイメージで描かれていましたが、彼らに花を愛でる感情があったのかなあ、と思いました。


と考えると、彼らの生育歴に思いが至りました。どのような家庭環境で育ったのかが気になりました。


で、自分の意志で男塾に入学したのかどうかが妙に気になりました。入学にあたってどのようなドラマがあったのかが気になりました。


そもそも、入学金はどうなっているのか?だとか入学要件は何なのか?が妙に気になりました。


•••とバカなことばかり書いてますが、たぶん、こうした作業の中からたまに創発(創造性の発露ってやつですね)が生まれるのでしょう。


いま何が一番欲しいっていえばこの「創造性」ですわ。創造性があれば、廃墟の中でも、孤高な環境でもたくましく生きていけますからね。それも、個性を発揮してね。


March 29, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.28

身体性のない言葉

喫茶店が好きでよくいくんです。


あるお店でしょっちゅう一緒になるグループ(男女それぞれ2〜3人、計4〜6人)がいるんです。


で、メンバーの中から2人が若い人(大学卒業したての社会人って感じかしらね)をつれてきては、何か話をしているんです。


ビジネスの勧誘なんでしょうかね??


で、隣になると話している言葉が耳に聞こえてくるのです。


「1ヶ月で100万円稼ぐのは頭さえ使えばそう難しくはない」だとか「いい人脈の輪に入れないとどんどんと乗り遅れる」だとか「決断できる能力ってのは最高の能力だ」だとか•••


で、うさん臭そうに聞いている人もいれば、眼を輝かして聞いている人もいるわけです。どの人も、みなりはきちっとしてますし、特に女性は華やかな感じがする人ばかりですからまあわからんでもない。


でも、よーく聞いているとその言葉に身体性ってのがないのです。知識や情報だけで話をしているって感じがぷんぷんとするわけです。まあ、自分に話をしてくれてるわけじゃないから単なるおせっかいなんですけど。


で、たぶん自分らの身体ってのはここを見分ける叡智が既に備わっているんです。「いやややや、備わっていないよ」と感じるのであれば、身体性のない知識に毒されていて、身体性ってのに意識が向いていないだけなんです。


20代の頃、「某一流企業がバックについているから安心」というビジネスの勧誘を受けたことがあります。


「年に2回は1ヶ月の休暇をとりながら、月に◎◎円(スゴい金額です!)稼いでます」っていかにも成功者ですって感じのお兄さんが話をしてくれたわけですけど、どう考えても信憑性が感じられないわけです。


今思えば、この「信憑性が感じられない」ってのが、「自分の身体性が感じた何か」なんでしょうね。


あのお兄さん、どしてるのかしらね?


「某一流企業がバックについている」といってましたけど、20年近くの歳月はその「某一流企業」も倒産させてしまいましたし。


あれやこれやいいましたが、自分らが求めたいものは知識ではなく、知識の先にある世界(身体性)です。そこさえ踏み外さなければ単なる知識に惑わされることは少なくなっていくでしょう。

March 28, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.26

腰痛の原因は認知の歪みが一因かもしれない

1

「腰痛 2800万人」


朝日新聞にしては(?)思いきった一面記事ですね。


厚生労働省の研究チームの分析らしく、「40〜60代は4割悩み」ってことですから、もはや国民病ですね。


記事によると、「うつ状態や仕事上の不満、人間関係に悩みがあると、腰痛になったり、治りにくくなったりするとの論文には十分な根拠があったという」


と、ストレスと腰痛の関係性が根拠ありとされ、1ヶ月以上続く腰痛に「認知行動療法」を強く推奨しています。


認知行動療法ってのは「人それぞれの認知のパターンや傾向を自覚し、適切な方法によって修正していくセラピーのようなもの」といったらいいんでしょうかね?


心理学の研究者によると、自分らの認知(世の中の見方)は生育歴の中でさまざまに歪んでいるようです。


で、その歪みが他との軋轢を生み出したり、いらぬストレスを自分に課していたりするようです。


例えば、「〜すべきである」と考えてしまう「べき思考」。


「社会人は挨拶をきちっとすべき」という「べき思考」を持っている人は、そうでないヤツを見ると腹が立つ。で、それがストレスにつながる。


例えば、物事の善悪をはっきりしたがる「白黒思考」。


「これは正しい」だとか「あいつが悪い」だとか、万事において白黒はっきりさせたがる人は、白か黒か割り切れないグレーな時に非常に弱くなる。で、それがストレスにつながる。


これ以外にも、


「こうしたらきっとこうなるだろう」という「因果関係の飛躍」


「これは世間の人がみなこう思うはずだ」という「極端な一般化」


事実と自分の意見とを混在させる「不完全な事実認識」


「高すぎる自己評価」(逆に「低すぎる自己評価」)も認知の歪みの一つでしょうし、「不平等感への過度の固執」や「罪悪感の無意識的な発動」ってのもそうでしょうね。


それこそいろんなパターンで自分らに取り憑いているわけですね。


こうした認知の歪みが身体の痛みと影響しているらしいですから、知識として知っておいて損はないと思います。


イラっとくる人やできごとへの見方がちょっとだけ(ほんのちょっとだけ)変わるかもしれませんし。


かくいう私もぎっくり腰を過去に3回やりまして•••


本人は自覚してないけど、認知の歪みからくるストレスがどこかにいるのかもしれませんね。

March 26, 2013 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.03.19

言葉とその先にある身体性って世界と

1

言葉はただ意味に至る道を示すだけで、意味そのものは、いわば行間にひそんでいて、一度ではっきり理解されるようには決して語られも考えられもせず、結局はただ経験したことある人間によって経験されうるだけである(『日本の弓術』オイゲン•へリゲル P18)


日本の精神を学ぼうと5年にわたり弓術の達人から教えを受けたドイツ人の自己分析録です。


弓術の達人(日本人)は、言葉で理解できないことを次々と口にします。


「精神を集中して、自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことを習いなさい」(P34)


だとか


「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずはない」(P38)


だとか


「弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべてなるがままにしておくのです」(P42)


だとか•••。


「言語を無上のものとして崇拝するヨーロッパ人」(P20)が、言葉に言い表すことのできない身体感覚を会得していくプロセスはまさに「修業」です。


人間ってのは、「既知」(すでに知っていること)から「未知」(まだ知らないこと)に向かうにはまずは言語を頼りにするしかないわけです。


誰かが語ったこと、誰かが書いたことを灯明に暗い道を歩きはじめていくしかないわけです。


けど、当然ながら言語は目的ではなくて、手段にすぎないわけで•••。


で、今の時代は身体性のない言語でも「知識」としてみなされるから、いたるところで手段と目的との混合が起きているわけです。更には、言語至上主義みたいな風潮もあるわけです。


けど、言語に固着すると人の思考はガチガチになります。そんで、言語の先にある身体性って世界観に思いを馳せるセンスがなくなります。


言語なんてのは、絶対なものじゃないのにね。


戦前に書かれたこの本は、短いですがさまざまな示唆に富んだ本です。亡くなったスティーブ•ジョブスがこの作者の本を座右の書にしていたとか•••


うむむ、恐るべしですね。

March 19, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.18

前世や来世や魂って存在について

1

「地球は太陽の回りを回っている」


という科学的事実がありますが、自分自身はそれを体験として感じたことがないわけです。


だからといって、「俺の実感覚では太陽が地球の周りを回っているんだから、それが正しいはずだ」などといっては、単なるオバカなわけです。


自分の実感と科学的な事実とはだいぶ乖離してるんですが、「それが正しいんだろうな」と思って粛々と(?)従って生きているわけです。


さて、「前世や来世」について。


自分は「実感覚としての前世や来世」って経験がないのです。


だからといって「前世や来世ってものはない」と思考省略するつもりもないのです。


古来、さまざまな学問がアプローチした「魂」ってやつは時空を存在すると思うし、それは人間の肉体という場に宿った(?)時によくもわるくも磨かれる存在だ、とも思うのです。


けど、それが正しいか正しくないかなんて、たぶん自分が生きている間には分からないわけです。


この映画、「魂」ってものが時空を超えて存在するもの、ってスタンスにたっています。


で、そのスタンスにたたないと意味が全く分からない映画です。


「魂」を考えるとき、「前世がどうだったか?」「来世はどうなるか?」などは本質的な問題ではなくて、「今の時代における魂のありよう」が大事。


この映画からはそんなメッセージを受け取りました。とかく、魂を巡っての話は「来世や前世」って末梢的な話にいきがちですからね。


登場人物が多すぎてついていくのがやっとでしたが、とてもいい映画だと思います。

March 18, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.15

たわいもない昔の話です

1

おかわりシスターズ


どれだけの人が知ってるんでしょうかね?


1983年にはじまった深夜番組「オールナイトフジ」に出演していた女子大生の中から、ノリでデビューした3人組です。


当時の自分は中学生。


松田聖子や中森明菜といった王道アイドルには関心がなく、傍流(?)であるおかわりシスターズが好きでした。


「フツーの女子大生」ってコンセプトが、「もしかしたら自分にもああいう女性と仲良くなれるチャンスがあるんじゃないか?」って幻想を与えてくれたんでしょうかね?


ってか、確実に与えてくれてました(笑)


平成の時代ではコモデティ化したコンセプトでしたが、当時は斬新でしたね。当時のフジテレビの企画力はすさまじいですわ。


おかわりシスターズの実質の活動は1年半くらい。


最後は、「女子大生ブームはそろそろ終わり。次は女子校生ブームな」みたいな空気感が漂う中、厚生年金会館でさよならコンサートをやって引退していくんですね。


で、それから数週間後に「夕焼けニャンニャン」がオンエアーされ、おニャン子クラブが出てきていわゆる女子高生ブームがはじまった•••。


最初は、「アンチおニャン子•おかわり大好き」ってファンもいたのですが、どんどんと浸食されてきちゃったんですね。


引退時に発売したおかわりシスターズのラストアルバムは全20曲のうち10曲が新曲。これから引退していくのにそれはそれはむちゃくちゃでした。


この写真集はその当時に発売されたものでして、自分の中では絶対に捨てられないものの一つ。


ちなみに私、いまでも駅伝や柔道で東海大学を応援するのは、山崎美貴さん(写真の中央)の母校だってのと無関係ではないような気がしたりして•••。


追記
後年、自分の結婚式の司会は元オールナイターズの方にお願いしました。おかわりシスターズより一つ下の世代の第二期の方ですね。

打ち合わせで話ができたときは、それはそれは感動でした。「昔の夢よ、いまぞ実現って」感じでしたかね(笑)

March 15, 2013 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2013.03.14

テンションがさがるとき

「セミナーや講演にいってその内容がビミョーなとき」


この時ほどテンションがさがることはないですね。


本であれば読むのを止めればいい、映画であれば「睡眠時間だ」と割り切って寝ればいい。


けど、セミナーや講演は時間を割いて、開催場所まで足を運んで、ライブで話を聞くわけです。


「途中退席するのも他のお客さんや講演者に悪いなあ•••」って意識のままで退席のチャンスをうかがうってのは嫌なものですね。


悪いのはこちらではないのに(笑)


自分はどんなセミナーや講演であっても「つまらない」ものってのはないと思っているんです。どんな話であっても「自分に関わる何か」ってのはあるはずだと思っているのです。


だから、「つまらない」に対して文句をいうつもりはないんですね。自分の感性が講演者の話をキャッチできないだけかもしれませんしね。


けど、講演者が「こんなこと知ってる?」ってスタンスなのはどうもいただけないですね。


福沢諭吉が欧米から帰国して海外の話をしていた頃でしたらいざしらず、今の時代に「私だけが知っていること」なんてそんなにないと思うのがまともな大人の理性だと思うのですよ。


自分らがアクセスできる情報はたくさんある。けど、たくさんあるがゆえにアクセスできないって状況がある。


個人的には、講演ってのはこういうものをフィルタリングとキュレーションとかする役割なんだと思いますよ。


自分は神話の世界でいうところの「賢者」の役割を講演者に求めているのですから、「賢者」らしく控えめに、謙虚であって欲しいと思うわけです。


March 14, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.07

人間は一日に数万回の自問自答をしているらしい

一説によると、人間って1日に数万回の自問自答をしているようですね。


今朝の自分を振り返ると、「モトアケってどういう意味だ?」とか「15:30に飯田橋で予定入れたら16:30新宿間に合うかな?」だとか「今日のブログは何書くかな?」とか「月末までに間に合わせないと仕事をどこまで進んでいれば大丈夫かな?」とか•••


いろいろと自問自答しています。


で、たぶんなのですがこの質問が人間の未来をつくりあげていくのです。


で、「何で」と「どこかに」と「どうしたら」という大きくわけて3つの質問の傾向が人によってがあるような気がするのです。


「何であの人はこうなのか?」とか「何で自分はこんなんだろう?」って感じで「何で」って質問ばかりだと質問は堂々巡りを繰り返します。で、答えのでないループに陥って堂々巡り•••。


「どこかにいいことないかな?」だとか「どこかにいい人いないかな?」だとかって感じで「どこかに」って質問ばかりだと、青い鳥症候群になってしまう•••。


「どうしたらよくなるか?」だとか「どうしたら出会いがあるか?」だかって感じで「どうしたら」ばかりだと、答えが具体的になって、現実が実現化しやすい•••。


おもろいのは人間はこれらの傾向を全てもっているということ。


仕事だと「どうしたら」派なのに、プライベートになると「どこかに」派になる人。


だとか


自分のことは「何で」派だけど、他人のことは「どうしたら」派の人。


まさに、人間は一人一人の個性が織りなす症状ですね。


当然のことですが、質問における「どうしたら」を増やしていくことが仕事の成果をあげたり、いい人生を送っていくために必要であるとはいうまでもありません。

March 7, 2013 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.03.06

過剰には常に気をつける

「過剰には常に気をつける」


と自分の師匠筋はよく口にします。


そんなことを念頭において、回りを見渡すと世の中「過剰」だらけです。


「毎日送られてくるメールマガジンの数々」「DMとして届くセールやバーゲンの案内」「本を買った時に入っているちらしの数々」「1分以内に料理を提供できなかったら○○をサービスって制度」「驚くほどの値引き販売」•••


まさに、過剰天国(?)です。


ほとんどは、「そこまでしないと、ライバルとの差別化が図れない」ってのが根底にあるのでしょう。


でも、「過剰」はライバルの「過剰」を生み、その「過剰」が更なる「過剰」を生み出しますから、ここはラットレースになっていく宿命しかないわけです。


で、それを自覚していればいいのでしょうが、知らぬうちに「過剰」の戦いを強いられていると、臨界点を迎えるまで「過剰」を続けないといけなくなっていくわけです。


日本が、いつごろから「過剰社会」になったのかは自分は学者でないので分かりません。


けど、「陰極まれば陽」ってやつで大きな流れの中で「過剰」はどんどんと古い概念になってくるでしょね。


最近、よく話題になるAmazon.comがスゴいのは、「過剰」を極力排したビジネスモデルにあるのだと自分は思います。


「限定10個!」も「いまだけ限定!」も「激安○%オフ!」もあのサイトにはないのですね。


それが、安心感や信頼感につながるという世界観。シリコンバレー風にいうと、「cool〜クール」とでもいうのでしょうかね•••。


この「過剰」ってのは商売だけでなく、人間の生き方にとってもキーワードだと思います。


世の中、「これをしないと乗り遅れますよ」的なメッセージを発しているものだらけですから、「過剰反応」は避けたいところ。


本当に自分にとって大事なものをキャッチできる叡智を持ちたいですね。

March 6, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.05

なんとか読了まぎわです

1

『善の研究』(西田幾多郎著)

「『ひらけ!ポンキッキ』(※平日の朝にやっていた子供番組)で使われていた曲ばかりじゃん!」


高校生の頃、ビートルズのレコードを初めて聴いた時にそう思いました。


でいま、「この本に書かれていることっていろんなところで形を変えてつかわれているじゃん!」と思いました。


それだけ影響力がある本なのでしょう。日本の名著の一つらしいですね。


「純粋経験」とか「真の実在」とか「善」とか•••


著者と自分とのレイヤーがかけ離れすぎていてほとんど理解できてないと思うのですが、まもなく読了します。


いつか、『善の研究』を読む


ってずいぶんと前からの自分の中のアンフィニッシュドが克服(?)できたことが素直に嬉しいですね。


ちなみにこの本、kindleで無料でダウンロードできました。


が、kindleで読む性質の本ではないのが3ページで分かりまして、本屋さんで購入しました。


電子書籍は普及していくでしょうけど、著者と格闘するような本は電子書籍は合わない


の改めて実感を強くしましたね。出版社は読者に格闘をせまるような本を出していけばいいのです。


と、無責任トークですが。

March 5, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.04

アンフィニッシュド(未達成)な場所

1


パキスタンにフンザって街があります。


「世界最後の桃源郷」といわれ、『風の谷のナウシカ』のモデルになったといわれている場所ですね。


97年に旅をした時に、ここだけは絶対に訪れようと思ったのです。


が、シルクロードからチベットにいってネパール、インドって回るうちに「チベット(及びチベット人)」に関心が移ってきて•••


インドのダラムサラでダライラマ法王と謁見できたあたりで、「もう旅を終えて日本で働こう」と思っちゃったんですね。で、帰国して社会復帰。


パキスタンの査証はとってて、あと数百キロくらいの距離だったんですけどね•••。


「この時のことがアンフィニッシュドになって残っている」


とこの映画をみて思いました。


舞台は日本とフンザ。パキスタンの街の空気感や出てきたお年寄りの雰囲気が最高ですね。


ってか、この映画はあまり期待していなかったんですがスゴい映画だと思います。


たぶん、母親からのネグレクトにあった一人の子供を通じて「おっ、これ(正確にはこの感情)ってみな同じだったんだ」という思いにせられます。


この感情を自覚できないから、人は不安になるし、過剰な行動を引き起こすのでしょう。


「この感情」を書くとネタばれになってしまうので、よければ映画で。


フンザ、訪れるには10日はないと無理だろうな•••。


追記
自分ら昭和の格闘技ファンは「パキスタンでアントニオ猪木さんは国民的英雄だ」と聞かされて育ちました。


首都のカラチで現地の英雄アクラム•ペールワンを破ったんですね。(それも腕を折って)


「その事実が本当かどうか確かめにいく」というミッションも当時持っていましたが、実現されずにアンフィニッシュドになっています。


うーん、ますます行きたくなってきたなあ(笑)

March 4, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.03

濃いいくて、激しくてな夜

1

ニュージーランドに住んでいる友達が帰国しての飲み会。


カラオケも深酒もなかったけど、とにかく濃いいくて、激しくてな夜でした。


普段はそれぞれが好きなことやってて、なにかあるとどわーっと集まれる関係性っていいですね。


形はいろいろと変化してきたけど、10年近く仕切りをやってもらっている幹事には感謝しきりです。


てなことで、帰国した彼女がねもちん(ジムのイントラです)に会いたいそうなので今週は同伴してきます。


みなさん、いい週末を!


March 3, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.03.01

オレらにも事情がある

「他人が抱える事情への無理解が、組織コミュニケーション不全の大きな原因」


12年会社をしてきて嫌(本当に嫌)というほど感じてきました(笑)


でも、実際は難しいですよね。


皆がみな同じような仕事をしていれば他人の抱えている事情を把握したり、推測したりすることは難しくはないと思うのです。


でも、会社には営業とか開発とか総務とか経理とか制作とか広報とか、いろんな職種があって、それぞれがどんなことをやっているか分かりにくいわけです。


つまり、産業革命以来の分業制って働き方は、「他人の事情が理解しにくい」という副産物を生み出しているわけです。


で、ネットや携帯の普及、雇用形態の多様化がそれに拍車をかけているわけです。


別に、他人の事情など理解しなくても仕事は進みます。


けど、他人の事情を理解した方が仕事は楽に進みます。自分がイラッとくるエネルギーが減りますからね。


ここは、「私にはこういう事情がある」ってのをそれぞれがオープンにすることから「お互いさま」の風土をつくりたいですね。


かくいう、自分ら経営層にも「オレらの事情」ってのはいっぱいあります。


で、それらの多くは同じ立場にならないと理解不能な「事情」です。中には、きっと想像することさえ思い浮かばないであろう「事情」もあったりします。


最近の自分の心象模様は「『オレらの事情』なんかどうせ話をしても分からんだろうしな」って思う気持ちが半分。


あと半分は、「こうした社長の事情ってのを世の中に出していくことって重要だよな」だったりします。


夜の酒場には「オレらの事情」ってのがネタ話だとか、グチ話だとかに形をかえてたくさん存在していますからね。


それらに光を与えることはそれなりに使命のあることではないかな、と。

March 1, 2013 | | Comments (0) | TrackBack (0)