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2013.04.30

なべちゃんのデビュー

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大学一年からの同期がキックボクシングでデビューしました。


減量したり、人間相手にローキックしたり、ファイトマネー代わりのチケットをさばいたり•••いややや、自分にはできないな。


まじ、尊敬するわ。


いまから25年前。山口から出てきたヤンキーと、埼玉出身の格闘技オタクとが出会ったのは、渋谷の銀杏並木のあたりでした。


元ボクシングをやっていたということで相応に腕自慢だった彼と、極真空手があらゆる格闘技の中で世界最強だという自分とはどう考えても水と油でした。


なんの因果か、そんな縁からスタートしたものの25年にも渡る付き合いになってしまうのですから人間分からんものですね。


学生時代、仲がよかった。けど、社会人になって久々にあったらどうも感覚が違うな、って付き合いってよくあると思うのです。


人間は環境や志向によって、どんどんと変わっていきますからね。当然と言えば、当然。


しかしながら、自分は彼に対してはなんか軸があって歳を経るたびにスゴい男だな、と思うのです。


昔話もできて、今の話もできるって仲間ってのは尊いものですね。

April 30, 2013 in 人間の美意識について, 格闘技について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.24

子供からは「オジさん」と呼ばれる年代になったけどね

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人間はいつか死ぬことは分かっているが、自分だけはなんとなく死なないと思っている


こんな感覚って誰にもあると思うんです。心理学的にいうと自己愛ってやつらしいですね。


「私がオバさんになっても」って森高千里さんの有名な歌がありますが、これも「私はオバさんになんかならない」って感覚があって初めて成立する歌のような気がするんです。


「私がオバさんになっても本当に変わらない? とても心配だわあなたが 若い子が好きだから」


オバさんがどのくらいの年齢と定義するのかよくわかりませんが、歳をとって自分のパートナーが若い女性に目がいってしまう女心を描いたこの作品のこのパートは、森高さんの作品で最高の一節だと思うのです。


さて、デビュー25周年、彼女自身15年ぶりというライブに行きました。


幸運なことにセンター最前列。「渡良瀬橋」は自分から5メートル、「17才」や「気分爽快」はわずか3メートル。まさに、狂喜乱舞、感動の嵐•••。熱狂的なファンとともに盛り上がりました。


で、3メートルの場所(ここにこだわる 笑)で「私がオバさんになっても」をライブで聴きました。


余韻がなかなか冷めなかったのですが、一晩たって目覚めたら詩人 サムエル•ウルマンの言葉を思い出しました。


青春とは人生のある期間を言うのでは無く心の様相を言うのだ。人は希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。


大学生のとき、「私がオバさんになっても」の映像を見た時の衝撃は忘れないですね。非の打ち所がない美貌とすらっとした足はまるでサイボーグのようだと思いました。


あれから21年、昨日の森高さん。


あの頃の気合い入ってます感(?)が抜けて、ごくごく自然体な感じがとてもよかった。「私がオバさん〜」を歌ってもぜーんぜん違和感がなく、逆に変な嫌みも感じられない。


ってか、「オバさん」って言葉そのものの定義が昨日の彼女を見ると微妙ですね。


「私がオバさんになったら あなたはオジさんよ かっこいいことばかりいっても お腹がでてくるのよ」


この歌は最後の最後で男性諸氏に強烈なカウンターパンチを放つのです(笑)


人間は無常な存在ですから、年齢を重ねてしまうのは避けられない。けど、価値ある歳の重ね方っていうのはきっとありますね。


そうそ、「いつか行きたい所リスト」に渡良瀬橋と八雲神社が入りました(笑)


私、大塚の「40代青春の忘れ物消費」。プリプリのライブに行けたし、森高さんも行けたし•••


あとはおかわりシスターズなんだけど、実現の可能性は薄いだろうなあ。

April 24, 2013 in 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (4) | TrackBack (0)

2013.04.23

企業がグローバル化するということ

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「賃金が世界水準に平準化していく」


これは、世の中の流れをみていれば当然の方向性。


新聞を毎日丹念に読んでいれば、そこかしこにその萌芽がみられますね。


企業が大きく舵を切るにはまだまだ賛否両論も多いだろう中で、ユニクロが思い切りましたね。


個人的に知っているわけではないので、メディアからの情報の範囲ですが、経営者としてユニクロの柳井会長は優秀な方だと思います。


決断力や思い切りの良さがありますし、お客様目線もきちんとある。商品に対してのこだわりも、ブランドを確立させるって視点も、サプライチェーンの確立の巧みさも•••


どれもこれも、経営学のケーススタディーにとりあげられるようなものばかり。


でも、最近は「成長って呪縛にとりつかれていないかな」とか感じるわけです。


尖閣諸島の問題では政治に近い発言が目につきましたし、今回のインタビューでもこんな発言がありました。


「グローバル化は、Grow or Die(成長か、さもなければ死か)という時代。正社員でいる以上、効率をあげ、がんばってもらわないと生き残っていけない」


でも、「成長か死か?」って緊張した局面が続く中でずっと戦えるビジネスマンってどれだけいるんでしょう?と(少なくとも自分は無理です)


そもそも、「グローバル化=Grow or Die」って柳井会長の見立て(超白黒思考ですね)が正しいのかどうか?と


自分は20代の後半を住宅メーカーで働いていました。朝の8時に出社して、夜中の12時まで働きました。むろん、残業代は無縁の世界です。


毎日提出する報告書をまとめるだけでも、1時間半以上かかりました。で、その後、指導だとかロールプレイングが夜中まで続きました。


500人くらいの会社の、10人ほどの地方事務所でしたが毎月何人か辞めていきました。「退職します」と口にすると、その日(その瞬間?)が退社日でした。で、毎日のように面接をしていました。


上司の口にする「これはお前らのためだぞ」「自分の生活を豊かにしたいだろ」という大義の中で日々を過ごしました。


人間、そういわれて反論できる人はほとんどいませんよね。歴史を振り返るまでもなく、大義ってのは人に反論をさせない強さを持つんです。


この時の経験がベースにあるのでしょうかね?


自分は、正義ってのはやっかいなものだと思っています。それは、意識的にも無意識的にも、いくばくかの押しつけを生み出しますからね。


正義が大事なのは義務教育のクラス運営レベルまでであって、社会人になったら過度の正義は自分自身の心の投影ととらえるのが正常だと思うのです。


ユニクロの賃金のニュースを読んで、こんなことを考えました。


日本を代表する超国際企業ですから頑張って欲しいですけど、その陰で昔の自分のような人がたくさんいるとしたら成長もちょっと考えものかな、とも思います。

April 23, 2013 in 仕事のことについて, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.22

250通(もしくは、250人)

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250通


お葬式会社の人に聞いたのですが、人が亡くなるときにだいたいマックスでこれくらいの方にお伝えをすればことたりるそうです。


逆にいうと、自分らが亡くなる時、近くには250人くらいの友達、親族、会社関係者がいるということですね。


1クラス45人で「5クラスちょっと」って考えると、なかなかなんとも多いなあと思いますが、いままで知り合った人の総計を考えると少ないような気もします。


この数字が多いか少ないかはさておき、自分らが生きていくということは、この250人が時の経過とともに移っていくさま、と表現できるんじゃないかと思うわけです。


自分らをとりまく環境ってのは、無常の集まりですから、何一つとして永遠なものはないわけです。


で、それは人間関係だって同様なわけです。


成長するスピードや、進んでいく方向ってのは人それぞれですし、「何を優先順位にするか?」ってのも、その時その時に置かれた環境や個々人の気質によってどんどんと変化していきます。


だから、「すんごく仲が良かったけど、なんとなく疎遠になっちゃった」「久々にあったけどどーも違うな」なんてことがごくフツーにあるわけです。


だから、すんごくいい時、ってのを大事にする。


今、この場、この時間を大切にするってことが、道徳論ではなく重要なことだと思うのです。


その先に、ごくごく自然のうちに自分の250人が形づくられていくんでしょうしね。


週末のかすみがうらマラソンは雨天で回避しましたが、その分、運動したので筋肉痛になりました。よく飲みましたし、よく食いました。仕事の打ち合わせもしました。で、誕生日もやりました。


お会いした方の今現在の250人に、自分が入っていればありがたいですね。


今週もきばっていきましょう!


April 22, 2013 in 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.16

私は旅心を忘れない?

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3年前の夏、アメリカのコロラド州。


「ネパールに仕入ルートをつくりたいなぁ」とふと思いつきました。


で、南米やらヒマラヤ周辺やらを一人旅をしていた彼女のことが頭をよぎりました。


新婦に対してふさわしい表現ではないかもですが、日本人離れした美貌とは裏腹になかなかなんとも行動的な女性です。


彼女に現地のネパーリーを紹介してもらって、買い付け先の紹介から金額交渉、ディープな観光から、人探し(13年前にお世話になったチベタンを探しにいきました。結果、見つかりませんでしたが••)何から何までお世話になりました。


そういえば、10年ほど前は「いま、○○を旅をしています」って友達がいっぱいいました。で、各地から送られてくるエアメールでしばし旅情に浸ることができました。


が、自分が歳をとりすぎました。もちろん、周囲も。


いま、リアルタイムで世界を長旅している友達って誰かいるのかな•••??


そんな彼女の結婚式。お色直しはインドのサリーで、よく似合ってました。


これは、「結婚しても、私は旅心を忘れない」という無言のメッセージかもしれませんね(笑)てか、それくらいの遊びがあった方が結婚ってのはいいのかもな、とも。


末長らくお幸せに!


追記
どーでもいい話ですが、自分の結婚式のお色直しはチベット人の民族衣装でした。これは「自分は旅心を忘れない」という意味と、「どこにいてもオリジナリティを出したい」というほんのわずかな意思表明でしたね。

April 16, 2013 in 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.12

部下との話は短くする。が、ダイアログはこの限りではない。

「部下との話は短くする」


なぜなら•••


「人は情報を上書きするから」と口にするのは自分の師匠筋。


あれこれ話をすると、部下はどんどんと情報が上書きされていって最初に話をしたことはほとんど覚えていないから、という。


「エネルギーをむやみに減らさないため」と口にするのは先輩経営者。


人と人とのやりとりは、なんだかんだいってエネルギーを消耗する。そのエネルギーの消耗をコントロールすることは大事なことだ、という。


「ボロを出さないため」と口にするのは別の経営者。


話が長くなると「昔はこうだった」だとか「俺はスゴいでしょ」といった話さなくてもいい話に流れてしまいがちだから、という。


どれもこれも実体験からくる素晴らしい叡智。かくいう自分も「部下との話は短くする」に賛成な1人です。


•••が、案外とこれって難しいんですね。


あれもこれもってのがどんどんとでてきてしまうわけです。


「このままだと情報が上書きされるなあ」と思っても話を続けてしまってしまうこともあったりするわけです。


「これって、なんでかな?」と考えてみたのですが、多くの経営者が持つ「動いていないとなんとなく不安になる」って気質が根底にあるんでしょうかね。


だもんで、意識的に意識的に「話を短く」をやろうとしているわけです。まあ、仕事を通じた修業みたいなものです。


で、最近気がついたことがあります。


自分は、「部下との話」を通じて頭の中やアイデアを整理していることがあるんですね。


だから、そこで展開されている話とはまったく関係のないことが頭の中をグルグルと駆け巡っていることがたたあるわけです。


人によっては「社長は話を聞いていない」と格好の餌食になるのですが、実はこれは大事な大事な時間でもあるのです(笑)


「必要なことを必要なだけ会話をする」ってので確かに仕事は回ります。効率的に仕事を回すという意味では「部下との話は短く」ってのは大事です。


けど、何かを生み出したり、考え方を昇華させたり、忘れていたことを思い出すには周囲とのダイアログ(対話)は不可欠ですね。


最近の自分。


「部下との話は短く」とは思いますが、「ダイアログについてはその限りではない」と思うようになりました。


「ダイアログできる力」ってのは、教養や一般常識やコミュンケーションってのが根底に存在する一つの仕事の能力です。


小説家の司馬遼太郎さんが「奥さんに話をすることで小説の構想をまとめていた」とどこかで読んだ記憶がありますが、きっとダイアログ力があるご夫人だったんでしょうね。

April 12, 2013 in 人間関係に関すること, 尊敬する人、または師匠筋, 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.11

『ヒーリングフードオラクルカード』明日発売

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ご縁ある雑誌記者の方に著者をご紹介いただいたのが、2年くらい前ですかね。


初めてお会いした時に、著者さんが企画書持参で現れました(笑)


「食べ物であれ、環境であれ、コミュニケーションであれ、言葉であれ•••私たちが身体に取り入れるものは私たち自身に影響を与えている」といったお話しと、「愛情を込めてつくった料理は、食べる人にそれが伝わる」的な話が印象的でしたね。


マクロビだとかローフードだとかいうと、「ストイシズムの権化」(?)みたいな人がやっているってイメージがちょっとあったのですが、ゆるーい感じがしたのが良かったです。


私自身がストイックとは対極にいる人種ですし(笑)


そこから、企画&編集の方を入れて食べ物をテーマにした商品開発がはじまったのですね。


「ジャンクフードを食べながら瞑想やワークショップをやることの違和感」といった趣旨のことが本商品の解説書に書いてありますが、まさにその通り。


この商品をつくる過程で自分もちょっとだけ食べ物に気を使うようになっていったのですが、食べ物によって心が乱れたり、すさんだりするってことがあるのだなあ〜と意識的になれるようになりました。


たまたま今週、キリスト教の指導者で自らの神秘体験をまとめたイグナチオ•デ•ロヨラの『霊操』って本を読んでいました。


キリスト教徒が神とつながるためには、「食事を通して自分を調える」ことが大事、とかなりのページを割いて書かれているんですね。本商品が世の中にでるタイミングでだったので、ちと驚きました。


キリスト教徒ならぬ、ビジネスマンだって一緒なのでしょう。


この商品が1人でも多くの方の「自分を調える」お手伝いができればいいな、と思うのです。

April 11, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.10

人は思うようにならない。ってか自分も

自分はゴルフをたまーにします。


が、身体がまったく思い通りに動きません。


ダンスのレッスンにもでます。


が、ボディウェーブがなかかなかうまくできません。


「他人は思うようにならん」と仕事をしていれば誰でも直面することがあると思うのですが、「自分自身だって思うようにならん」わけです。


耳をピクピクと動かすことができませんし、「ピンク色の像を考えるな」と念じてもピンク色の像が思い浮かぶし、連日の飲酒は身体によくないと分かっていても毎日の酒は止められない•••


つまり、アンコントロールにあるのは自分とて一緒なのです。


他人に対して「何回いってもわかんねえなあ」とか「いい加減に気がつけよ」とか思うことはままあります。


それが仕事の役割ですから当然ですね。


けど、人間は思うままにならいのは自分だって他人だって一緒なのですね。


そんな自分でも、ゴルフでたまーに快心の一打がありますし、ダンスも「今日はなぜか身体の調子がバツグンによくて動ける」なんて日もあります。


思い通りに動くタイミング、瞬間てやつがあるんですね。


同時に、他人にも「おっ、めずらしく今日は聞き耳持っているな」って瞬間があります。


たぶん、このタイミングをつかまえられるかどうか、ってのが大事なのでしょうね。

April 10, 2013 in 人間関係に関すること, 経営をするということ | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.04.09

日本人としての心意気

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諸君は信じることができますか、東洋はある点で西洋にまさっているということを!(『茶の本』岡倉覚三著P26)


7年くらい前の話です。


アメリカの某会社とミーティングをしていた時に、「日本には霊性(スピリチュアリティ)がないからなあ•••」と、さらっと口にされました。


それを聞いて自分は「建国数百年の国が、よーいうよ」と思いましたね。


歴史が長ければいいってもんじゃないでしょうけど、日本にだって霊性はそこかしこに存在してますし、「いったいそれを知っていて口にしてんのか?」と思いました。


さて、この本は明治の終わり頃、「茶」を西洋人に理解させるために著者が英文で書いたものの日本語版です。


行間に「日本にはスゴい文化があるんだよ、君らにわかる??」ってのがありありとでてくるのが喝采でしたね。


自分らの国にかけているものは、外国にたいするこの手の心意気ではないでしょうかね?


たぶんなのですが、日本は感じることを主に置く文化。一方の彼の国は形にすることを主に置く文化なのではないでしょうかね?


だから、日本の文化はそれを感じられない人には分かりにくいわけです。


で、自分らの文化はそれをことほどさように形にする必要性を感じてこなかったわけです。


形になっていないからといって存在していないわけじゃないのにね。

April 9, 2013 in 人間の美意識について, 精神的なこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.08

ダイアナ・クーパーさん来日

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1997年8月。


インドとパキスタンの国境近く、ダラムサラのチベット亡命政権でダライラマ法王に謁見しました。


2週間近く待って面談時間はごくわずかでしたが、身体から発されるおだやかなエネルギーに、普通の人ではない何かを感じました。


で、自分と一緒に謁見した人の多くがそれぞれ何かを感じていたようでした。


その証拠(?)に、謁見を済ませた方の多くが菩薩様みたいな顔つきになってましたし(笑)


さて、週末はダイアナ・クーパーさんが来日し、ワークショップに参加してきました。


なんでも、「世界で最も影響力のあるスピリチュアルリーダー」で世界32位に入っているとか。(ちなみに1位はダライラマ法王だそうです)


世界的に有名な方で、来日が待ち望まれていたのですがようやく先週末に実現したというわけです。


やわらかでおだやかな空気感はダライラマ法王のそれと似ているなあ、と思いました。


ダイアナさんとのご縁は5年ほどまえ。


ドイツでみかけたダイアナさんの商品が素晴らしく、「ぜひ日本で発売したい」と出版社へ手を上げたのが最初ですね。


自分はさまざまな研修会やワークショップに参加する機会がある方だと思いますが、大事なのは「何を学ぶか?」ではなく「誰から学ぶか?」だなあと思っています。


まさにダイアナさんは指導者にふさわしい空気感にみちた方で「学んでみたい」と思わせる方でしたね。


主催いただいたみなさん、大変におつかれさまでした。


April 8, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.05

「なりたい自分」に固執しない

「なりたい自分」(または、「本当の自分」)


ってキャッチコピー(?)をビジネスの場に持ってきた人ってのはスゴいですね。


「個人の欲望を開拓する」ってのが資本主義とはいえ、これほど的確に「人間の成長欲求」に訴えるコピーってのはそうそうないでしょう。


資格ビジネス、スクール、旅行、転職•••さまざまな業種がこのコピーが持つ世界観のお陰でビジネスを展開してるわけです。


でも、「なりたい自分」に実際になったら人はどうするんでしょうかね?


「会社を経営したい」「司法書士の資格をとりたい」「セラピストの技術を身につけたい」「留学して語学を学びたい」•••実現したら、人はどうするんでしょうかね?


自分がいうまでもなく、ほとんどの場合で次の「なりたい自分」ってのが出てきます。資本主義は「欲望を次々と開拓すること」がベースにありますから、僕らは無自覚のうちにこうした思考回路に入っているからです。


で、その「なりたい自分」になると、次の「なりたい自分」がでてくる•••


そう考えると、常に「『なりたい自分』になれない自分」って状態であるわけです。


これって、人として幸せな状態なんでしょうかね?


「なりたい自分」ってのは「夢」とほぼ同義語で使われているし、「夢」を持つことは悪いことではないと多くの人が思っている(そんなことないのかな?)この時代下ですが、ここは立ち止まって考えてもいいことかもしれませんね。


かくいう自分。


夢(「なりたい自分」ですね)を持つことは大事だし、それは人として尊いと思ってます。けど、「夢に固執しなければ」という前提ですね。


「夢」には「やる気」だとかを震いたたせるエネルギーがありますが、ほっとくと「現実逃避のいいわけ」だとか「自己愛を満たす手段」に変身してしまうこともあるので要注意ですね。


自分がたてた「夢」から離れる勇気を持つのは、たぶん大事なことなのです。


「夢に向かって今日やったことは何?」という問いかけをして、心の中に何かしらの葛藤があれば、それは自分がたてた夢から離れるサインなのかもしれないかな、と思ったりします。


あとは、「なりたい自分」に縛られて苦しくなるのであれば、「なりたい自分」を設定しない勇気ってのも今の日本には必要だと思うのです。


足るを知る、という考え方ですね。


たぶん、「なりたい自分」ってのがなくなって、そのことに心底葛藤がないのであれば人はすこやかに、幸せに暮らせるのだと思いますよ。

April 5, 2013 in 人間の美意識について, 人間の認知について, 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.02

この時期は、初心を考えるにいい機会があふれている

自分が社会人になったのは、平成5年の3月29日、風の強い日でした。


新宿にある会社の会議室で会長、社長、本部長の訓話を聞きました。


「一隅を照らす」という話が印象的でしたね。


いま、自分がおかれている環境は何かの縁起で与えられたもの。だから、精一杯努力して、光り輝きなさい。そんな丹念な仕事の積み重ねが、月日の経過とともに思いもよらぬ力になっていくでしょう。


みたいな精神的な話でした。


で、社会人になりたての自分にはその話はすーっと入ってきたわけです。「おっ、頑張るぞ」と動機づけされたわけです。


けど、1年とか2年とかして「会社って思っていたことと違うよな」ということが増えてくると、「あの時の話も、何かしらの操作性があったんじゃねえか(うん、きっとそうに違いない)」などと思うこともあったわけです。


でも、よーく考えてみると「新入社員に向けた『一隅を照らす』って話」そのものは何も変化がないわけです。


それを受け取る自分の心、その心が変化をしてきてその時の自分にとって都合のいい解釈をしているだけなんですね。


で、今の自分は「本部長、一時期、疑ってごめんなさい。『一隅を照らす』ということの大事さを自分なりに感じました」と思うわけです。


今春、自分は社会人になって20年になります(途中2年間の無職期間含む)。


知識だって情報だって人間関係だって、たぶんあの頃とは比較にならないほど増えました。


けど、「全てを吸収しようとする柔軟さ」だとか、「将来、こんなふうになってやろう」みたいな心意気だとか、はたぶん働きはじめた時の方があったような気がするんです。


挨拶とかすんごい真面目に大きな声でしてたし、自発的に掃き掃除なんかしてたし(笑)


「初心忘れるべからず」なんていいますが、たぶん「初心」なんてそうやすやすと戻ることのできないものなんです。


仮に、「初心」に口があれば、「お前ら(経験者ですね)がそんなに簡単に戻ることのできねえもんだよ」とかいうような気がするんですね。


昨日は、街に新入社員と思しき人がたくさんいました。


「あの人は新入社員だな」ってのが今の時期はなんとなくわかるのですが、半年もたつとまったく分からなくなるのは、それぞれが初心から徐々に離れていくからなんでしょうかね。


この時期は、初心の頃の自分に近づかんとな、と思えるいい機会です。


これから社会人になる人は、「一隅を照らす」つもりで頑張ってくださいね。


ってか、自分も「一隅を照らす」ように頑張ります。

April 2, 2013 in 仕事のことについて, 初心を忘れないということ, 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)