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2013.05.31

出雲にいきました

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かつて、ある外国の方に「日本には霊性がないからな•••」と軽く口にされたことがあるんです。


この時は、「建国数百年の国が何言ってるんだよ」と思って一笑しただけだったんですが、今思えば「どこがどう霊性がないのか?」と徹底的に反論しておけばよかったと思います。


我が国の霊性ってのは、感じることに重きを置いていて形にする必要などなかったんです。けど、当たり前なのですが形がないからといって存在しないわけではないのです。


今回は、出雲大社の遷宮に関する奉祝行事に参加しました。で、近くの神社にいくつか参拝をしました。


比べるのもナンセンスですが、神魂神社が持つ凛としたたたずまいがスゴかったです。同じ国土に生きる者として誇らしいな、と思いました。

May 31, 2013 in 精神的なこと, 訪れた場所のこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.22

人間の器の大小について考える

「人間の器の大小」


これってどこからやってくるんでしょうかね?


その昔は、「人は守るものが増えると器がでかくなる」と思ってました。


けど、「守るものの大小」と「器の大小」には相関関係がそんなにないことが経験則として分かってきました。


社員がたくさんいる社長、子供がたくさんいるお父さんであっても、「器が小さいなあ」って人はいくらでもいます。


で、「守るもの」の「守り方」に思いが至りました。


ただ単に「守る」のではなくて、「自分に託された責任感」だとか「自分の意に反することでも受け入れる姿勢」(ここにはある程度の諦めも含む)だとかが大事なのだと考えました。


でも、この説明だと「家族を守るという責任のもとに、嫌だなあと思う仕事を責任感をもって引き受けている職業人」はすべて器が大きくなることになります。


でも、現実世界ではそんなことはないわけです。


人間の器を大きくするのは「喪失体験」


ある方の受け売りですが、今の自分ははこの説(?)に諸手をあげて賛成です。


人との別れ、やりたかったことの挫折、物理的なものの喪失•••これらの喪失体験が人間の器を大きくするらしい。


で、ここで注意したいのは「喪失体験」と「失敗体験」とは本質的に異なるということ。


自分らは生きていれば失敗経験などいくらでもするわけです。が、たぶんこれらの経験では「ネタ」にはなっても「器への肥やし」にはならないわけです。


「器への肥やし」にするには、文字通り「腹の痛むような」って形容詞がつくような喪失体験を味わうことなのでしょう。


たぶん、「責任感を持って仕事をしているが、喪失感を味わうことが少ない」ってビミョーなポジショニングが日本の会社社会にはたくさん存在しているんですよ。


だから、結果的に器の大小ってに差がでてくるのだと思います。

May 22, 2013 in 人間の成長について | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.05.21

師匠筋はみつけるもの

このブログで「師匠筋」という言葉がたまにでてきます。


この言葉に反応いただいた方がいたので、ちと説明を。


「師匠筋」というのは、自分が勝手に「自分の師匠だ」と思っている人です。(でも、あちらは「弟子だ」とたぶん思ってません)


イメージとしては数人います。年齢も仕事もさまざまです。原則は、直接会うことができて、いろいろと話が聞ける方ですね。


「師匠」といえばいいのでしょうが、なんか「師匠」ってのは固着感満載な語感がするのでどこか嫌なのです。


「筋」という言葉には、「いろいろと教えていただいてはいるけど、そこに固着しなくて、いつでも離れられる自在さを持っている」という意味が含まれています。(めんどくさい説明ですが 汗)


社会人も20年をやっている人間の感覚としては、自分はこのくらいが適当だと思うのです。


この、「師匠筋」ってのがいるといないとでは、生きていく上で与えられる補助線の数が違ってきます。生きていく上でもらえるエネルギーや勇気の量が違います。


で、「師匠筋」と本質的な部分で出会うには、自分の内的なものと向きあう必要があると思うのです。


逆にいうと、自分の内的なものと向き合うことがない「師匠筋」なんてのは自分にとってはあまり価値がないですね。


人間の出会いってのはおそらく自分では選ぶことができませんが、「師匠筋」を見つけたいのであれば、自分に与えられた出会いの範囲で探すものだと思います。


ここは、時間はかかりますでしょうけどね。

May 21, 2013 in 尊敬する人、または師匠筋 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.20

昨日は、「日本の神様とつながる」セミナーでした

昨日は、セミナー(「日本の神様とつながる」)で講師を仰せつかりました。


111人(+4人身内関係者)と多くの方にお集りいただきました。


私は第2部に出させていただきました。


2008年に発行した『日本の神様カード』(現在、11刷り中)の開発にかかわるお話を、監修をお願いした神道学博士の三橋健先生、著者の大野百合子さんとともに対談させていただきました。


かつての日本には「わからないことは天の神様のいう通り」という言葉がありました。大きな存在にゆだねる、という生きる智慧をもっていました。


けど、いきすぎた個人主義(個性主義?)が「努力や頑張りで人生を切り開く」という風潮をつくりだしました。「夢や目標が実現しないのは、本人の意識や行動が足りないからだ」的な空気が支配する社会をつくりだしました。


たしかに、努力や頑張りってのは必要でしょう。それが、ものごとをなしとげる上での必要不可欠な要素の一つだとも思います。


でも、本当に事をなしとげる時って「努力や頑張り」とは無縁な世界にいるような気がするのです。


周囲からは「努力している」「頑張っている」と見えるけど、本人はまったくそれを意識していない世界観••••


「なぜ、そのことを努力できるの?」「なぜそんなことに夢中になれるの?」と考えた時に、自分はそこに大きな存在が1人の人間に与えてくれてた「使命」ってものの存在を感じるわけです。


たぶん、大きな存在ってのは我々が「使命」に近づくためのヒントを数多く我々に投げかけているわけです。で、それらを消化していくだけで人間はたぶんいっぱいいっぱいなわけです。


なぜか関心があること、なぜか好きなこと、なぜか他の人より努力ができること、なぜか自分の回りによく起きること、なぜかよくお会いする人、なぜか気の合う人•••


もしかすると、そんなものが「使命」へのヒントなのかもしれないかな、と。


けど、人間は「このままではマズい」だとか「このままでは先行きが不安だ」って脳みそのスイッチがすぐに入るわけですね。


で、結果的に大きな存在がなげかけている使命のようなものに自らがフタをしてしまうというわけです。で、頭で考えた「使命」ってのに、「努力」や「頑張り」を武器にして向かっていくわけです。


けど、脳みその絶対任務は「自身の安定」のようですから、頭で考えた「使命」なんてのは、自分自身を防衛するだけのちっちゃなものでしかないわけです。


「わからないことは天の神様のいう通り」


って言葉を、「大きな存在に任せた努力放棄的な生き方」って見方としてとらえるのも人生、「真の使命にちかづくための主体的な意志」ってとらえるのも人生。


かつての自分(といっても、数年前まで)は前者的な生き方していましたが、今は後者の生き方がごくごく自然だなと思うようになりました。


こんな考えをベースに置いてお話をさせていただきました。


ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

May 20, 2013 in 仕事のことについて, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.16

悩むことの豊かさ

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「問題と解決とはワンセット」


おそらく、多くの働く人はそう思っています。だから、仕事で問題が発生すると「解決」というスイッチが入ります。


で、その「解決」の能力が高い人は一般的には「できる人」と言われます。


でも、「世の中にはすぐに解決できない問題」があるって現実もあります。問題解決って思考を刷り込まれた自分らは、その手の問題を前にしても「解決」ってスイッチを無意識にいれてしまいがち。


で、そこから無力感やら不全感が生まれたりします。


こういう時は、たぶんなのですが「問題を抱えている私」を存分に味わうのがベストなのです。それはそれは、いやーな感覚なのでしょうが。


でも不思議なことなのですが、きちっといやーな感覚を味わっていると問題そのものの見え方が変わったりします。で、時に自然と解決してしまったりします。


この本は、北海道にある「べてるの家」という精神障害などを抱えた方の活動拠点について書かれた本です。


「治療しない」「管理をしない」「弱さを認め合う」「話し合う」「ぶつかりあう」という中で、それぞれが自分の生き方を見出していくらしいですね。


「私たちは、生活を便利にしたり豊かにしたり、自分にないものを身につけたりいろいろ努力しているが、そういうこととは無関係に、生きることに悩みあげくという力が与えられている。


そういうことを忘れている。生きる苦労とか生きる大変さをすべてとりさって、軽くなって楽に生きたい、そういう潔癖願望が病気のように蔓延しているように思います。」(P140)


ケースワーカーの方がこう語っていたのが印象的でした。


目先の問題を安易に解決せず、深く深くほりさげる


それは、「なぜなんだろう?」「どうしてなんだろう?」という自分自身への問いかけに身体や心が揺さぶられる世界のはじまり。


そのプロセスで問題を違った観点からみられるようになったり、普段は自己開示しない人があまりのつらさに周囲に相談するようになったり、「これは受け止めるしかないだろうな」と諦めの心境になったり•••


そこから「肚に落ちる」って感覚や、「問題が問題でなくなって」って意識がうまれたりすることがあるわけです。


自分らはこの「揺さぶられた状態」ってのが嫌いな生き物。脳みその絶対使命は「私の安定、私の安全」ですからしょうがありません。


だから、極端な話だと「問題解決って形をとった現実逃避」に走ったりするわけです。「問題解決する私」でいることで、「揺さぶられた状態」から逃げようとするわけです。


「揺さぶられた自分」ってのを持てるってのは、たぶんその人間が持つ本質的な力なんです。そこは、渦中にいるとしんどいですが、あとからみると豊穣な時間であることに気がつくといった世界観なのでしょう。

May 16, 2013 in 人間が悩むということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.14

『日本の神様とつながる』セミナーがまもなく

今週末の『日本の神様とつながる』、100名近い方にお申し込みいただいているみたいです。


ありがたいですね。


母校•國學院大学で長く教鞭をとっていらした三橋教授と、さまざまな著作を世に出して活躍中の大野百合子さんと対談という舞台です。


「このメンバーで何をお前がしゃべるんだ?」ってつっこみが友達から入ったのですが、自分自身に対してつっこみをいれたくなる気分もちょっとあったり。


ただ、今年のはじめに「今年は世の中にでていこう(講演とか執筆ですね)」と思って、たまたますぐにオファーをいただいたのが話だったということ。


まさに、「人生に何を問いかけるか?」ではなく「人生に何を問いかけられているか?」って視点で考えると、お話しを受けたのがごくごく自然な流れなのですよね。


自分は創業した頃、事業の一つに「講演業」ってのをいれていたんです。で、知り合いの会社の新人向けに講演をしたこともあるんです。


でも、どう考えてもあの頃は「人生に何を問いかけるか?」ってスタンスだったな、と思うわけです。


反対に、今回は「人生に何を問いかけられているか?」って感じがするのです。


言葉にすると似てるけど、この二つって大きな違いなんだな、と思う今日この頃です。

May 14, 2013 in 仕事のことについて, 精神的なこと | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.05.13

正義は正しい。けど、それを武器にするのは正しくない。

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その昔、宗教の勧誘をうけたことがあります。


高校時代の女友達から呼び出されたのですが、雑談もそこそこに「人間には10の悪がある」だとか「廃退した地球を救う」みたいな話になっていったんですね。


で、「一緒にやりましょう!いまやらないと手遅れになります」と。


「全然、興味がない」と話をすると「その理由をいってください」と。


まあ、いきなり呼び出され、聞きたくもない話をきかされて、挙げ句にこれですから無茶苦茶なわけです。


こんな押し問答が続いた結果、「目を血走らせて『廃退した地球を救う』なんていってもムリに決まってるじゃん、バカ」と一言残して帰りました。それが彼女と会った最後の瞬間ですね。


さて、この時の彼女の話。環境やら、教育やら、政治やら•••話としては非常にいい話でした。


いわゆる社会正義に基づく、正論ってやつですね。


でも、正論をいきなり錦の御旗のようにもってこられて「あなたも一緒にやりなさい」はちょっと違うと思うのです。


さて、こんな例を出すまでもなく「正義」ってのはやっかいです。


無意識のうちに人を巻き込もうとしますし、「正義」の外にある人の話を受け入れられなくなりますからね。


言葉をかえていえばおせっかいの押し売りだし、頭がガチガチで思考の柔軟度がないなわけです。


だから、自分の「正義」を正当化する都合のいい情報しか頭に入ってこないわけなのです。


でも、人って「正義」を口にしたい時期ってのもあると思うのです。


万人に共通しているのかはわかりませんが、自分は「人は不安になると正義に固執したくなる生き物だ」と思っています。


正義ってバリアーで自分を覆っていれば、自分の不安ってやつが外界に接することがないですからね。それは、ある意味で自己の安定を意味しますし。


たぶん、人間の脳みそはこういう形で自分らの自我を守ってくれているわけです。


そいや、自分も旅をしていたころはよく「正義」を口にしていたかな、と。


好きなことはしていましたが、仕事はなく、借金もありましたからね。今思えばちゃんちゃらおかしいですが、将来に対しての不安もありましたし。


あの頃に苦笑いをしながら自分の「正義」に付き合っていただいた周囲の皆さまには頭のさがる思いでありますわ(笑)


この映画に「正義は正しい。ただ、それを武器にするのは正しくない」というセリフがありました。


この映画の根底に流れている一つのメッセージなのでしょうが、今の時代を風刺しているようで痛快でした。

May 13, 2013 in 人間の認知について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.10

出会う人は自由自在に選べないんじゃないか?

「出会う人には出会うだけの意味がある」


なーんてことをいう人がいます。


たとえば、周囲に困っている人がいて、誰かに相談したとき。「そういう困った人も出会う意味があるからね」みたいな感じです。


まあ、言葉として分からなくもないし、自分の実体験として「出会う意味がある」というのも体験したことがなくはない。


でも、「どう考えても意味があると考えられない」って出会いもあるわけです。


人によってはこれを「反面教師」と表現して、出会いに正統性を求めるように意識を持っていくのでしょうが、人間は感情の生き物ですからそれができない局面だってあるわけです。


てか、確実にあります(笑)


自分は、人間の出会いってやつを「意味」って観点からとらえると場合によっては袋小路にはいるんじゃないかな、という立場。


だって、人との出会いって大きな存在(人によっては神だとかサムシンググレートといってもいいのかもいしれませんね)の配剤による部分が大きいじゃないですか•••


遺伝子情報をわずかしか解明できず、カビ一つつくれない人間って存在が「この出会いの意味は何だ?」なんて理屈で考えても全体像なんて到底分からないんですよ。


登山の素人がエベレスト(これも「大きな存在」の領域ですね)に挑戦するようなむちゃくちゃなことじゃないかな、と思うのです。


それよりも、「人間は出会いを選択できない」って考えた方がいいんじゃないでしょうかね?(たぶん誰かの受け売りですが、忘れました)


人間は自由意志があると思っていますけど、実は実はごくごく限られた選択肢の中から選択をしている。で、それが自由意志だと思い込んでいるわけです。


世界には60億の人が、日本にも1億の人がいるわけです。


で、一生涯で物理的に会える人というのはだいぶ限られてくるわけです。


で、そのすさまじいまでに限られた人との出会い中から「あの人に困っている」だとか「あの人とは気が合う」とかやっているわけです。


おそらくなのですが、「自分は出会いを選択できる」という観念がどこかにあるから(ってか、フツーはありますよね)人間関係をとりまくさまざまな悩みが生まれるのではないか、と。


「出会いを選択できない」って想いが肚に落ちれば、そこには一種の諦め(「しゃーないな」って感覚)が生まれるような気がするのです。


この「しゃーない」は現実逃避ではなくて、自分の人生を引き受ける覚悟。


「あいつは頭にくるし、むかつくけど、自分の人生だししょうがないか(笑)」って感じの見方ができたらいいのかもしれませんね。


追記
昨日は、『おのれナポレオン』のライブビューイングに行く予定でした。


天海祐希さんが入院し、急遽宮沢りえさんが代役を努めるとだいぶニュースになりましたね。すげえシーンに立ち会える、と鳥肌モノでしたが公演中止になってしまいました。うーん、残念。


でも、今日の夜からやるみたいですね。陳腐な表現ですが、宮沢りえの女優魂ってのはすさまじいですね。リハウスの宣伝でてたころにはまったく想像できなかったですわ。

May 10, 2013 in 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.09

オランダでうちの会社の商品(『ウィスパーオブラブ』)が発売されます

頑張って行動していたが実現しなかった。


けど、何(十)年かたって違う形で実現した。


精神論みたいに聞こえちゃうかもですが、この手のことって仕事しているとよくあると思うのです。


理屈で考えると、二つのできごとに因果関係はないわけです。


けど、「頑張って行動していた」ってことが種であって、「違う形で実現した」ってのが収穫だった•••


という感覚をもつことってそうめずらしくないと思うのです。


偉そうに言うと、こうした体験から一つ一つの行動に一喜一憂しないという生き方がうまれてくるのかと。すべての行動は将来の何かの「種」になっている「かもしれない」って感覚ですね。


基本は、時間戦略。


長期的な視野にたって、時間を味方につけるってことですね。


でも、自分ら社長って仕事している人は、業界や業績が悪くなったりするとこの辺の感覚をじーっともっているってことができにくくなるんですね。


だから、「自分の行動に全幅の信頼を置く」って部分で迷いがでるし、「ひたすら待つ」ってところでも迷いがでて、ムダ•ムラ•ムリな行動が多くなったりするわけです。


まあ、日々この手の感情とは戦いですわ(笑)


さて、うちの会社でつくったオリジナル商品がオランダで発売されることになりました。


自画自賛ですが、すげぇですね。自分の知る限りでは、この手の商品がヨーロッパ圏で現地版が発行されるのは日本初です。


もともとは、ハワイ在住の著者が文章を書いて、イギリス在住の画家から絵画をお借りして、去年の夏に日本で発売されたワールドワイド(?)な商品です。


それが海を渡って、オランダの担当者の元にわたった。で、ライセンス契約をしたいとオファーがきた。で、オランダ語版ができたというわけですね。


実は3年ほど前に「海外に版権を売ろう」と思いたって、いくつかアプローチをしたのです。西欧の出版社や日本の版権会社(出版物の権利を海外に売買する会社)ですね。


が、全滅。


アメリカからは「うちは、数先まで出版予定がきまってるの。だからムリよ」とサンプルが開封もされず返ってきたし、日本の版権会社からは「英語に訳した場合、この商品のエッセンスがふっとぶから難しい」といわれましたかね。


今思えば、それらの行動が種だったのでしょうかねえ。


いずれにせよ、思いもよらない商品に、思いもよらない国から、思いもよらない形でオファーがありました。


おそらくこのブログをみて買っていただく方は皆無だと思いますが(笑)一つ、ごひいきにお願いいたします。

May 9, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.08

モチベーションって言葉って一人歩きしてないか?

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いまの事務所に引っ越す前、飯田橋に会社があった時の話。


事務所の近くにご夫婦できりもりしている小さなトンカツ屋があったんです。


ご主人がカウンターのお客さんにトンカツを出す時に、指を一本出して「これは一番のトンカツだ」みたいな感じで無言で念を込めるようなしぐさをするんです。


自分のつくったトンカツに絶対の自信があるんでしょう。


で、お店が終わると店内を綺麗に片付ける。調理用具がカウンターの中に整然とある一定の秩序の元に置いてあるのが店の外からよく見えるのです。


自分は、「職人」という言葉を聞くとあのトンカツ屋を思い出すのです。


さて、このご主人に「仕事でモチベーションがあがらない時はどうしますか?」と聞いたらなんて答えるでしょうかね?


まあ、話をしたこともないので類推するしかないのですが、おそらく「モチベーションなんて考えたこともない」っていうんじゃないでしょうかね?


人間ですから体調が悪い時も、気が乗らない時も、心配事があって気が落ち着かないときもあるでしょう。


でも、「モチベーション」って言葉でひとくくりする感性がないと思うのです。


だって、自分が動かなければお店が開けないわけですからね。たんたんと店を開いていかないといけないわけです。


さて、どこかに書いたかもしれませんが自分はこの「モチベーション」って言葉が嫌いです。


この本にも書いてありますが、「モチベーション」って言葉は非常に消費行動的なんです。


人間は内発的動機(好奇心や関心ごとによってもたらされる動機づけ)で自分の時間の全てを満たせれば理想なわけです。


けど、それは理想世界なわけです。


で、どこか頭のいい人がその理想ってのを消費行動と結びつけたわけです。


モチベーションを高めるには、内発的動機が満たされる仕事をしないといけないですよね•••といって、転職市場や資格市場や能力開発市場がどんどんとでてきたわけです。


まあ、そういう市場がでてきたのはいいのですが、「モチベーション」という言葉が一人歩きしているわけですね。


「モチベーションがあがっているからうんだらかんだら」だとか「モチベーションをあげるためにうんだらかんだら」だとか•••


労働とは目の前にあることに真面目に取り組むことがまず基本となろう。そうした点をなおざりにしたまま、仕事にやりがいや喜びを見出すとか、仕事を通して自己実現を図るといったことを目指すことに問題はないのだろうか(P137)


この本が指摘していることは、まさにその通りだと思います。


毎日、毎日、きちんとやることをやる。その先には習慣って世界が開けているわけです。


で、その習慣って世界を持つ人をみる人によっては「モチベーションが高い」と見えるってだけなんだと思いますよ。


たぶん、それは決して派手な世界観ではないのですよ。

May 8, 2013 in 人間の美意識について, 言葉について | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.05.07

やっと花の美しさに目がとまるような人間になりました(笑)

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連休は半年ぶりにゴルフをしました。


毎度恒例のヤクルト飲み放題のゴルフ場


途中のホールでおしるこをふるまってくれるのですが、茶屋の前の花がめちゃキレイでした。


ってか、トイレにも、レストランにもいたるところに花が飾ってあり、その可憐さがとても粋でした。


「このゴルフ場ってこんなにキレイに花を飾ってたか?」ってのが半分と、「もしや自分、いままでは花に目がいっていなかったか?」というのが半分。


若き日の自分はですね、たぶん花の綺麗さに目を留めるような感性を忘れて生きてきたんです。


そういう「生産性のないこと」はムダだってスイッチが働くようなタイプの人間だったのです。


だから、リゾートへいってもぼけーっとできずに必ず何かをしているような人だったのですね。


でも、今思うとそれって何かに突き動かされているような生き方のような気がするのです。


「人間は成長しなくてはいけない」って強迫観念だったり、「ぼけーっとしていると大変な事態を引き起こすんじゃないか?」って裏付けのない不安だったり、「あの人は頑張っているのに自分だけ」という他人とに比較だったり•••


ですね。


たぶん、そんな性格だったから頑張ってこれた部分ってあると思うのですが、そろそろおさらばですね。(てか、ここ何年もそんなこと言っているな•••)


長かったゴールデンウィークも終わり、その時々でご一緒したみなさんお疲れさまでした!


追記
そいや、連休中にご紹介いただいた著者さんから自著である「花の本」をプレゼントされました。


なんでもかんでも「シンクロだ!!」って驚く感性はないのだけど、ちょっと今の状況とリンクしましたね。

May 7, 2013 in 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (6) | TrackBack (0)

2013.05.02

考えるに固執しない(または、「明日から休みです」)

「うむむ困ったなあ」


と考える。がなかなかいい考えがでてこない。


そんな時に、たまたま聞いた話や本の一節、映画のワンシーンなどで「おっ、そうか」と思う瞬間ってありますよね。


自分の場合ですが、この瞬間を迎えただけで問題解決が一気に向かうこともあります。人間、頭で考えたことは脆いですが、肚に落ちたことは強いということでしょうかね。


いやや、逆にいうと考えるという作業はこの瞬間を迎えるための呼び水ともいえるのではないでしょうかね?考えるというプロセスを経るから「おっ」という瞬間がやってくる。


たぶん、人間にとって考えるって作業は本来はしんどいものです。


けど、人間は目の前の問題を解決するように条件づけられていますから(昔の人は問題解決って思考はなかったと思いますよ)考えるという手段をつかって何とか現実を動かしたり、クリアーをしようとするのです。


でも、思考ってのは脳の分泌液のようなものです。


だから、特別な訓練をしてない限り考えれば考えるほどどーでもいいことを考えるものです。それは、エネルギーを摩耗させることにつながったりもします。


で、エネルギーの枯渇は更なるどーでもいい思考を生み出します。


だから、考えるのは大事だけど、一生懸命に考えたらあとはそこから離れるという知恵が大事になってくるわけです。


他人の「考えすぎ」はよくわかるけど、自分自身の「考えすぎ」はよくわからない


かくいう自分もたまにこの手のスイッチが入るようです。


そんな時は、「考えすぎじゃない?」と周囲からからいわれたその言葉すらも考えてしまうというループを描きます(笑)


まさに脳の分泌過剰、腸や胃で起きていたら病院ものですね。


どんなに運動しようと、どんなに芸術や学びからエネルギーを摂取しようと、ありそうでないのは40、50代男性のエネルギーなのです。


専門家でないのでわかりませんが、湯水のごとくエネルギーが湧き出てきた20代、30代とエネルギーの構造そのものが違うんだと思います。だから、資源エネルギーのみならず、自己エネルギーもぜひ大事に使いたいものですね。


ということで、明日からの連休(否、今日の夜から)は一切の思考を飛ばします(笑)


それぞれでご一緒するみなさん、よろしく!明日は9:30から某所に並びます。

May 2, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の認知について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.01

苦心して創っても、完成した瞬間から陳腐化する

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1冊の国語辞典を15年かけてつくる話です。


「間違えた辞書を誰が信用するか」とセリフにありましたが、それにしても文字校正が5回(五校!)もあるってのは想像を絶する作業ですね。


で、更にスゴいのは辞書はできた瞬間に陳腐化していくことです。


言葉や表現は常に変わりますから、できた瞬間に改訂作業の準備に入るらしいのです。完成したらまた次のスタートがはじまるらしいのです。


「商品やサービスは陳腐化する。それは避けられない運命だ。そのリスクを防ぐためには、自らの手で商品を陳腐化させなければならない」(※だいぶ自分の言葉で表現しています)


的なことを言っていたドラッカー博士の言葉を思い出しましたね。


自らがつくり出したサービスや商品を自らの手で陳腐化させる気概と行動力を持っている人、それをイノベーター(改革者)というのでしょう。


と考えると、イノベーションってのは別に起業家や戦略家だけが起こすものではないわけです。


自分が手がけた仕事(業種、職種問わずです)そのものの中に、イノベーションの萌芽が内在されているということなのでしょう。


映画の帰り、和英辞書を新刊で買いました。すさまじく気の長い仕事をしている人にせめてもの敬意を。

May 1, 2013 in 人間の美意識について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)