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2013.05.22

人間の器の大小について考える

「人間の器の大小」


これってどこからやってくるんでしょうかね?


その昔は、「人は守るものが増えると器がでかくなる」と思ってました。


けど、「守るものの大小」と「器の大小」には相関関係がそんなにないことが経験則として分かってきました。


社員がたくさんいる社長、子供がたくさんいるお父さんであっても、「器が小さいなあ」って人はいくらでもいます。


で、「守るもの」の「守り方」に思いが至りました。


ただ単に「守る」のではなくて、「自分に託された責任感」だとか「自分の意に反することでも受け入れる姿勢」(ここにはある程度の諦めも含む)だとかが大事なのだと考えました。


でも、この説明だと「家族を守るという責任のもとに、嫌だなあと思う仕事を責任感をもって引き受けている職業人」はすべて器が大きくなることになります。


でも、現実世界ではそんなことはないわけです。


人間の器を大きくするのは「喪失体験」


ある方の受け売りですが、今の自分ははこの説(?)に諸手をあげて賛成です。


人との別れ、やりたかったことの挫折、物理的なものの喪失•••これらの喪失体験が人間の器を大きくするらしい。


で、ここで注意したいのは「喪失体験」と「失敗体験」とは本質的に異なるということ。


自分らは生きていれば失敗経験などいくらでもするわけです。が、たぶんこれらの経験では「ネタ」にはなっても「器への肥やし」にはならないわけです。


「器への肥やし」にするには、文字通り「腹の痛むような」って形容詞がつくような喪失体験を味わうことなのでしょう。


たぶん、「責任感を持って仕事をしているが、喪失感を味わうことが少ない」ってビミョーなポジショニングが日本の会社社会にはたくさん存在しているんですよ。


だから、結果的に器の大小ってに差がでてくるのだと思います。

May 22, 2013 in 人間の成長について |

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Comments

青タンさん>コメントありがとうございます!ブログの復活を心待ち(?)にしていただいて感謝してます(笑)

渋谷のイタリアン、器が大きいんですね!ってか、あの金額であの料理を出す時点でかなりの器かと。

きちんと指摘するってことは、「お金の喪失」につながるから、「器を大きくすること」につながるのでしょうかね?

Posted by: 大塚和彦 | Jun 3, 2013 9:49:31 AM

僕は、注文を付け忘れるお店に、器の大きさを感じます。池袋の寿司屋も、渋谷のイタリアンも、何故か良く忘れています。


で、ちゃんと指摘する日は、自分の器の大きさ感じます。


給料日の後とか(笑)

Posted by: 青タン | May 30, 2013 7:48:57 AM

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