« June 2013 | Main | August 2013 »

2013.07.11

人と人とが分かり合うということ

わたしは私のために生き、あなたはあなたのために生きる。


わたしはあなたの期待に応えるために、この世に在るわけではない。そして、あなたもわたしの期待に応えるために、この世に在るわけではない。


もし縁あってお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。
もし出会わなければ、それはそれで仕方ないこと。


※ゲシュタルト療法の創始者エリック•パールの「ゲシュタルトの祈り」より


一般的に人間は、相手と分かりあうためにコミュニケーションを図ります。


けど、「コミュニケーションを進めていっても、理解が進まない」(むしろ、コミュニケーションギャップが拡大する)って局面がまあ普通にあるわけです。


誰の影響か忘れましたが、自分はいつからか「コミュニケーションってのは人と人との違いを理解するためのものだ」と思うようになってます。


で、このスタンスにたつと「コミュニケーションを通じて相互理解ができたと感じた時」ってのがありがたくなります。だって、基本的に人と自分とは別の生き物ですしね。


なりやげなようにも聞こえますが、所詮は「私は私、あなたはあなた」。


おぎゃーと生まれてきた時からそれぞれの使命は違うし、見てきたことや、聞いたこと。覚えてきたことに感じたこと。何を大切にしてきたかも違うし、何に心地よさを覚えてきたかも違う・・・


それが、コミュニケーションを交わしただけで分かり合えるってのは、幻想に近いのじゃないかしらね。


エリック•パールのいうような「縁があったらよし、縁がなくてもしかたなし」みたいな世界観ってのは自分は大好きですね。


こういうことを書くと人によって人により受け取り方はさまざま。


「縁があったらよし」って言葉に重きを置く人と、「縁がなくてもしかたなし」って言葉に重きを置く人がいますね。


「縁がなくてもしかたない」ってのなら、コミュニケーションなんてとらなくていいじゃん


みたいな暴論(?)をいう人だっています。


こんなことひとつとっても、人間ってのは人によりさまざまなんだな、と思います。


創造主はかくも人間を面倒に創りあげたものです(笑)


あまりの面倒さに「創造主が人間をこういうふうに創った意図なんてあるのか?」と思うこともままありますが、人間の叡智じゃ及びもしないきちんとした意図があるのでしょう。たぶんね。

July 11, 2013 in 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.10

運と実力と

「どこからどこまでが自分の実力で、どこからどこまでが運なのか?」


会社をつくって7〜8年はこんな感覚でいましたね。


けど、「おそらく全てが運なのだ」と思えた時からこの手のことは考えもしなくなりましたけど(笑)


自分のやっていることが、使命に沿ったことであれば必然と運は開けていくと思うのです。


けど、「運」ってのは無表情な顔してやってくると思うのです。


だから、人間のレイヤーでみたときに「自分にとっていいこと」なのか「自分にとってわるいこと」なのかよくわからない。


だから、それぞれが自分なりの判断で「運がいい」とか「運がわるい」とかやっているのが人間だと思うのです。


あとは、「自分はこのあたりで運が開けている」ということに対しては、実力がフツーよりも加速度的についてくるものだと思うのです。


人間関係だってフツー以上に広がっていくだろうし、知識だってどんどんと吸収されていくと思うのです。


自分は、税理士になろうとおもって勉強したことがあるのですが、まったく知識が増えませんでしたね(笑)


たぶん、自分の使命ってのは税理士のような方向性には開けていないだろうな、ということがこの時のチャレンジから自覚できたわけです。


あまり頑張らなくても実力がついていく分野


たぶん、これを探せれば、運は必然と開けていくのでしょう。

July 10, 2013 in 運だとか実力だとかについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.09

とりあえず、「    」(カッコ)にいれておく

「頭のやわらかさ」


ってのは、歳取ると重要ですね。


オヤジの小言ではないですが、やわらかいようでいて固いのが人間の頭脳でしょうし。


頭の固さは思考や、心の固さ、はたまた人間関係のぎこちなさともつながるから、やわらかくしていくにこしたことはない、と思うのです。


でないと、歳取ってから孤独だし、ともすると「イタい大人」へなってしまいますしね。


でも、固い頭を柔らかくするのは難しいわけです。


「あたまを柔らかくする本」みたいな本を読んで、能のトレーニングをしたり、映画や小説にふれて感受性を高めたりなんていっても、基本となるものができていないとダメだと思うわけです。


ではその基本となるものは何か?


自分は、「自己判断の停止」ってスイッチを自在に入れられるかどうか?だと思ってます。


目の前でおきたできごとに対して、自分らは「自己判断」をくだします。で、「自己判断」に基づいて行動します。


けど、この「自己判断」ってのが頭の固さの原因の一つでもあります。


「判断」をするというのは選択の世界。


「選択」は個々人の生きて来た環境や身の回りでおきたできごと・・・要するに過去のできごとから判断がなされます。目の前のできごと、って今の現実を、過去のできごとからの判断で処理しようとしているのが、人間の行動パターンなわけです。


「自分が無意識のうちに行っている選択。その外にある広大な世界」


頭をやわらかくするには、この広大な世界にアクセスする必要があるのかと。


現象学に「自分の判断をカギカッコにいれて保留しておく」エポケーって考え方がありますけど、まさにこの考え方ですね。


ある席で、二回りくらい離れた人の講釈(講釈、っていっている時点でだいぶ自己判断が入ってますが 笑)を聞く機会があったのです。


「これからの経営者は○○でなければいけない」的な話ですね。


大塚的な自己判断からすると「お前の無責任な意見なんか聞きたくねーよ、こら」って意識だったのですが、この発言を「    」(カッコ)にいれてしまうと見方、聞き方がぜんぜん違ってくるのですね。


たぶん、頭の柔らかいひとってのは意識的にか無意識的にか、このようなことをやっているんだと思います。


なんでもかんでも自己判断のスイッチを発動していると、エネルギーも消耗するしね(笑)


追記
あとは、頭を柔らかくしとくためには「無邪気な自分を取り戻す場所」を確保していることでしょうかね。


「あいつは頭が固い」って人で無邪気な人ってのはあまりいませんからね。


歳取ったら趣味が大切、ってのはこの文脈の中で語られるとベストな選択だと思いますよ。

July 9, 2013 in 人間の認知について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.08

週末は青春の忘れ物消費でした

1

23歳から3年間、北陸で働いていました。


たぶん、旅立ちにあたってもらったカセットテープ(時代を感じる・・・)の1曲が広瀬香美でした。


3年間、広瀬香美が朝かかるようにセットして7時に目覚めていました。


毎日のように飛び込み営業ばかりしていたので、心が折れることが多かったのですね。同僚も友達も自分の周囲数百キロ圏内にはいなかったし(笑)とにかく一人でしたので、彼女の歌にはだいぶ洗脳(?)されました。


会社を辞めてミャンマーを旅していた時に、田舎町で「ロマンスの神様」がたまたま流れて来た時は驚きました。


「会社生活でやり残したことがあったんじゃね?」といわれてるようでした。


歌には記憶や思いでが付着しますね。


しょっちゅう曇天の金沢の街、はじめての社会人生活ですんごくお世話になった先輩のKさん、「よし、友達をつくろう」と思って立ち上げた北陸格闘技振興協会(笑)のメンバーたち・・・


足しげく通ってやっと仕事をもらったが最初の仕事で大クレームをして出入りが禁止になったN社・・・


そして「いつかは広瀬香美みたいな人と友達になりてえなあ」的な当時の妄想(笑)やることがなかったから仕方なく通っていた図書館とやっていた簿記の勉強(笑)・・・


「ロマンスの神様」に刺激をうけてこんな記憶がよみがえってきました。。。


ビルボード、はじめていったのですが最高ですね。


高等遊民(?)のNさん、チケットありがとうございました!


追記

1_2


日曜日は、70年代限定の歌で横浜のライブハウス貸し切ってのコンサート。


プロではないのですが、大ファンの人が出たので応援に(笑)最後は、自らがマイクをもって舞台にいました(爆)


9月は90年代の歌限定のライブがあるようで・・・で、でるか??

July 8, 2013 in 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.05

「大手企業」というイメージ

突然ですが、「大手企業」って言葉に何をイメージしますか?


自分が思いつくままに挙げると・・・


「自由が利かなそう」「一部の有能な社員が多くの社員をひっぱっていそう」「名刺をだしたらちょっとだけ周囲の見る目が変わりそう」

あとは・・・


「危機的な状況になっても動かない人が多そう」「責任の所在が明確でないから、いざとなったら無慈悲でありそう」「子供がいたらちょっと自慢できそう」


それに・・・


「収入がよさそう」「経営者が変わったら天国から地獄にいくことがありそう(逆もアリ)」「教育制度がありそう(むろん会社による)」「休みがとれそう」


もちっといくと・・・


「我慢しないとならないことが多そう」「決済までに時間がかかりそう」「人事部とか企画部がありそう」


まあ、そんなところかな。


でも、自分は「大手企業」ってやつで働いたことがないから、これはあくまでもイメージなんですけどね。


実は、中小企業の社長にとって「大手企業」ってやつのイメージは案外とやっかいなものなのです。


かつて、大地震の後に、同業の大手企業が数社すぐさま休業を決定したんです。でも、自分は「休むまでもないな」と思って休みにしなかったんです。


この時に、「大手企業は休むのに、うちの会社は・・」ってゲームが社内の一部で発生したのを後になって知りました。


当事者(この場合、社長である私ですね)に直接なにかを口にするのならともかく、「大手企業」を持ち出してゲームとしてのコミュニケーションが派生するのはどうもいただけませんね。


この手の発言って、ほとんどの場合は深い意味でなされてないのかもしれません。


でも、「深い意味でなされてない発言」っては、案外と組織のコミュニケーション阻害の大きな原因なのだと思います。


「うちの社員は大手企業の社員とくらべるとうんだらかんだらだ」などと深い意味でなくても陰でいわれたら誰だっていい思いしませんよね。


根本はそれと一緒のような気がするんだけど・・・。


いわれてイヤなことはなるべくいわない。けど、どうしても感じたら本人に直接口にする。ここは、人間としての頑張りどころ。


これを組織のルールにできるといいのでしょうけどね。なかなか、難しいでしょうね。個々人の人間力が問われることですし。

July 5, 2013 in 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.03

実感を感じられると強さになる

1

たまたま観たテレビで、お笑いの山田雅人さんが東大を受験していることを知りました。


次で7年目らしいですね。52歳の挑戦らしいです。


で、それについて「識者」がいろいろと語るわけです。


「不安の裏返しの挑戦だ」だとか「プロの立場(たしかカリスマの受験の先生だったかな?)から見たら、絶対にムリ」だとか。まあ、無責任ふりまき放題なのです。


テレビ番組のもつ娯楽性がこの辺にある、とは思ってはいても「人の人生に無責任に意見をいう大人」ってはイヤなものですね。


それを「役割」と自覚してコメンテーターをやっているならまだいいですけどね。どう考えてもそう思えない「識者」ってのが多すぎるような気がします。


まあ、この記事だってテレビや芸能の事情を一切無視した「無責任ふりまき放題」な意見ですが(笑)


まあ、それは置いておいて。


番組の最後に娘さん(たしか大学生)が山田雅人さんへの手紙を読んだのです。酒を飲んでいたので内容はちと不確実かもしれませんが、確かこんなメッセージでした。


「(略)10年ほどまえにお父さんのライブにいった。80人くらい入る会場で、お客さんがたった一人だった。


お父さんは必死になってそのお客さんに対して芸をしていた。私は休憩中にそのお客さんが帰ってしまわないか気が気でなかった。


舞台が終わってお母さんを含めて食事にいった。お母さんは『素晴らしい舞台だった』といっていたが、私はどことなく恥ずかしかった。このままお父さんがお笑いでやっていけるのか不安に思った。


けど、あの時に一番不安だったのはお父さんだったのですよね。


(以降略)東大受験、頑張ってください」


生活をしていると、「実感はいまいちできないけど、なんとなくそうだろうなと思っている」ことっていっぱいあると思うのです。


けど、実感が確として感じられないから、人はたまにブレるわけです。


「本当にこう思っていいのかな?」とか思考をめぐらせるわけです。で、時に思考はネガティブな方に向かっていったりするわけす。で、事実とはまったく反対の方向に勝手に自分から進んでいったりするわけです。


でも、「こいつ、自分のこと分かっててくれたんだな」と実感を感じられると、そこにブレがおきにくいと思うのです。


未来永劫とはいえないでしょうけど、強さや安定感が違ってくると思うのです。


その強さや安定感は、当然ですが挑戦すしたり、生きたりするエネルギーになるのでしょう。


人間は、強さや安定感をもらう存在であると同時に、それを与える存在でもあるということ。


「自分は強さや安定感が得られない」って人は、もしかするとクレクレ星人(もらうことに汲々としている人)なのかもしれませんね。


ここは偉そうなことはいえないのですが、与えることで得られる世界観ってのが存在しているような気がします。

July 3, 2013 in 人間の美意識について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.02

わかりやすさには注意

「人生はカツ丼だ。一気に食わなければ味が分からない」


ある作家がこんなことをどこかで書いてました。


で、この手のメッセージに触れた時、人は「なるほど!」と納得するタイプと、「ふーん、だから??」というタイプに大きく別れます。


自分はどちらかというと、前者のタイプですね。


自分の中にある言葉にならない言葉や感情、思いやニュアンス・・・それらが言語化されることに一種の喜び(?)を感じる人間です。(この「カツ丼」云々については、別になんとも思いませんけどね)


でも、何かを言語化するってのは「言葉にならないものを削ぎ落とす」って危険性があるのですね。だって、この作家の語る言葉と、自分自身との感情はどう考えたって「=(イコール)」になるわけがないのですから。


たぶんなのですが、人生における豊穣感ってのは「言葉にならない思いや感情」ってのを保ち続けることにあるのです。


でも、人はそんなに強くないですからそれを保ち続けることができない。すぐに言語化して自分のコントロールできる状態にして、気持ちのモヤモヤを解消しようとするわけです。


あとは、「言葉にならない思いや感情」ってのが普通の人よりたくさんある人ってのがいるわけです。


たとえば、作家という職業の人は「言葉にならない思いや感情」に満ち満ちた存在であるから、その反発として言葉に長けているという側面があると思うのです。


いずれにしても、職業作家でもない限りはなんでもかんでも言語化しないことも大事なような気がします。


自分の感情や気持ちが言語化された先には、また次の感情や気持ちがやってきます。そこは、汲んでも汲んでも水が尽きない井戸のようなものですしね。


世の中でのざっくりとした大きな流れとしては、言葉にならないものを言語化できることってのは素晴らしい、みたいな空気がありますけどね。

July 2, 2013 in 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.01

人間の能力って伸ばさないといけないものなのか?

「人間は仕事を通じて好きなばかりではなく、嫌いなこともやらざるをえない。だから、自分のキャパシティが広がる。


その結果、見える世界、付き合える人が変わっていく。できごとに対しての理解の仕方が変わっていく。


で、運命が変わっていく」


「なんで仕事をするんですか?」について、質問に安易に答えを求めようとする人には自分はこの手の言い方をします。(本心は、「そんなもの答えなんかあるか?」と思ってます)


けど、「能力など伸ばさないで自分はいまのままでいい」という人もいます。「嫌いなことをやるストレスに直面するのは面倒だ」という人もいるでしょう。


まあ、自分はその人ではないのでそんな生き方を否定はしません。


けど、その手の人とは一緒に働きたくはないですね。だって、自分自身の生き方を否定されるような思考のヤツが近くで働いているのはストレスじゃないですか(笑)


「自分は能力を伸ばさなくていいんです」なんて若い世代にいわれたら、「なにを考えてんの?」と一蹴していいと思うのですよ、それが自分の考え方であればね。


「若い世代のむちゃくちゃな意見に対して『おまえ、それは違うだろう』って文句をいえない年長者」


たぶん、そのぎくしゃくとした人間関係が日本の会社社会の弱さを生み出したのです。


これは、個人主義への干渉ではなくて、ある意味マナーの問題なのですね。


かつて、うちの会社に「人生は暇つぶし」といってはばからない社員がいました。彼の口にしていた「暇つぶし」ってのは、深い意味や洞察がもしかしたらあったのかもしれません。


けど、この言葉を社長である私やお取引先に口にするセンスはいただけませんね。ここは主義、主張ではなくマナーの問題です。


「あなたの口にしていることは正しい。けど、マナーがなってない」って世界観です。


今思えば、本当に気のいいバカな社長だったと思います。あんな社長の下で働けるなんてなんて幸せだったのだ、と思いますよ(笑)


「個人の考え方を尊重する」のは大事ですけど、周囲の人間がにがにがしく思う「個人主義」ってのははた迷惑なだけなのです。


どうしてこんな単純なことに気がつかなかったか??当時の自分(笑)


個人主義を主義主張の問題ではなく、マナーの問題としてとらえると日本の会社社会には問題山積みですね。きっと。

July 1, 2013 in 人間の美意識について | | Comments (2) | TrackBack (0)