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2013.09.06

大海の一滴の水、というとらえかた

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自分をなにほどのものであると考えることは、神と自分自身とのあいだに障壁を築くことです。これにたいして、自分がなにほどのものであるとの考えをやめることは、神と一体化することです。


大海の一滴の水は、自ら意識することはありませんが、母体の広大さに関与しているのです。ところが、一滴の水が、大海を離れて存在を主張しはじめると、たちまちに蒸発してしまいます。


地上の生命は泡沫にすぎないと言ったとしても、それはけっして誇張ではありません。(『ガンディー 獄中からの手紙』P82)


インド独立の父、ガンディーの獄中書簡の一節です。今度、インドの叙情詩『バガヴァッドギーター』に関連する商品をリリースするので読んでみました。


人間を「大海の一滴の水」と例えるこの感覚、自分は好きですね。


「大海の一滴の水」ごとき存在である人間が、「ものごとがうまくいかない」だとか「あの人がきらいだ」だとかやっているのがこの社会。


「自分がなにほどのものである」というスタンスに必要以上に立つから、問題や不安や葛藤が生まれるのでしょう。


たしかに、「自分がなにほどのものである」と意識し、そのために自己を武装し、自分のコントロール下に置かないと生き難い時代感だとは思います。


けど、ときに「自分がなにほどのもである」から離れ、大海の一滴の水になったごときスタンスでいきていくことも大事だと思うのです。


一人の人間は世界の中心ではなく、端の端、そのまた端に小さく座しているような存在なのでしょうしね。

September 6, 2013 in 人間が悩むということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント |

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