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2013.12.30

使命に「命」を「使」われる

使命、って言葉があります。


この言葉、「命を使う」とも「命を使われる」とも解釈できると思うのです。


自分の「命」を「使」って使命に邁進する


うん、言葉としてはおかしくありませんね。


けど、自分は


自分の「命」が使命に「使」われる


というのが本来の姿じゃないかと感じるのです。


自分らは仕事を選んでいるんじゃなくて、仕事に選ばれているんです。


自分らは本や映画を選んでいるんじゃなくて、本や映画に選ばれているんです。


同様に、


自分らが使命を見つけるんじゃなくて、使命の側に見つけられているんです。


使命の側に「命」を「使」われているんです。


「この人間に任せたら形にしてくれそうだ」


と使命の側から選ばれているんです。


人間はオバカですから、エゴや小我からくる欲求を「使命だ!」として認知してしまいがちな生き物です。


ただ、なぜか不思議ですが、使命に選ばれていない仕事はなかなかスムーズに事が運びませんね。


逆に、使命に選ばれた仕事は難問を簡単にクリアーできたり、予期せぬ出会いがあったりと摩訶不思議なことが次々と起こりますね。


それは、使命に選ばれた人間に与えられた通行手形みたいなもなのかもしれません。


使命に選ばれるために、自分らは力を磨くわけです。自分にくる「できごと」に逃げずに対応するわけです。


そう、それは実力を磨いてオーディションへと臨む役者の世界のようなものですね。


今年の年末年始は9連休。


日頃の疲れを癒すのも大事ですが、使命を与えられるような過ごし方をしたいものです。


来年も自分自身に使命が与えられますよう。

December 30, 2013 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.27

「成長」は周囲の評価で感じられるもの

「成長する」


自分の成長を肌で感じる局面ってのは、生きていれば確かにあると思います。


けど、成長って本来は「徐々に」「わずかづつ」「本人の気がつかないまま」におこるものだと思うのです。


木が徐々に年輪を太くしていくようなイメージでしょうかね。


「勉強をはじめたばかりのころ」だとか「仕事を覚えたてのころ」ならいざしらず、一通り仕事を覚えた職業人の「成長」がダイレクトな手応えを持つはずがないのです。


だって、日々の成長なんかゆっくりと、じわじわとしか進みませんからね。


周囲から「君は昔とくらべて変わったよね」といわれて、「えっ、そうですか?」という世界観だと自分は思うのです。


だから、自分の成長を感じるには長い時間を共有している先生や先輩、仲間や友達やが必要となるんです。


「自分はこれだけ成長した」


就職の採用面接の場ならいざしらず、本来、「成長」なんて言葉は自分に対して使う言葉ではないんですよ。


「努力しているけど、自分が成長しているかどうかわからわない」という不安を持っている以上、「成長」はゆるやかでも確実になされていると思います。そこには世間や自分自身に対しての謙虚さがありますからね。


一方で、「自分は努力もしたので、こんなに成長した」と思っている人。そこに、過信と高い自己評価とが内在されていないか、年末年始のこの時期に観てみることは有益かもしれませんね。


今年、10年以上師事している師匠筋から「昔と比べだいぶ変わった」といわれました。


最初は「そうですか?」と思ったのですが、普段、ほとんどこの手のことを口にしない人(ってかいつも毒舌で厳しい言葉ばかり・・・)の言葉ですので、じわじわと喜びに変わってきました。


「今年あった嬉しかったできごと」


このテーマについて書こうと考えたら、まっさきにこの時のことがでてきました。


「成長」を周囲の評価で感じられる


ってのは、きっと人間の根源的な喜びなんでしょう。


来年も一つでも多くの喜びを感じられますよう。今日、27日で仕事納めです。

December 27, 2013 in 人間の成長について, 人間の認知について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.25

人前にでることをはばからず

親は親になることで親になっていく。


社長は社長になることで社長になっていく。


先生は先生になることで先生になっていく。


その立場に身を置いてはじめて学びがはじまります。


かくいう自分、会社やって13年経ちますが、社長って何かいまだによくわからん。感覚的には一回りしてきた感じですかね。


最初は知識も経験もないからシンプルで、それが複雑になっていって、で、シンプルに戻ってきた・・・


ただ、一回りしたといってもレイヤー(次元)は確実にあがっていて、社長って立場に身を置いた人間ならではの言語化できない何かは確実に自分の中にあるわけで。


その言語化できないものが、たぶん立場に身を置いた人間のみが受け取れる財産だと思うのです。


逆にいうと、立場に身を置かなければ、それらのものは絶対に獲得できないと思うのです。学びを深めたかったら、四の五の言わず「立場に身を置け!」ということですね。


今年はさまざまなご縁で、「人前にでる」ことが多かった一年でした。


「人前にでるなんておこがましい」ってずっと思っていましたが、「立場に身を置」かなければえられない経験ってありますね。心底思いました。


そう、親だって社長だって未完成なままで「親としての顔」「社長としての顔」をして毎日をいきているわけです。


で、喜怒哀楽、失敗や反省を重ねながら徐々に「親」や「社長」になっていくわけです。


人前にでる、ってのも同じようなものだと思うのですよね。


人前にでることをはばからず


来年はそんな思いで一年を過ごしていこうと思います。2013年もあと1週間ですね。

December 25, 2013 in 人間の成長について, 人間関係に関すること, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.24

人間の発達課題について

「会社は学校とは違う」


社会人になってまもなくの頃、そう教わりました。


会社はお金をもらうところ、学校はお金を払うところ。会社は仕事をするところ、学校は学ぶところ・・・。


こういう文脈では確かにそう。


知り合いの経営者は「会社は仕事をするところだから、勉強など自発的にするのは当たりまえ。仕事だって本来は教えてもらうものではない」といってはばからない。


ちょっとこれとは文脈は違うのですが、「会社は学校のようなものだなあ」と自分は思ってます。


新入生の頃は、多くの人は緊張して入学します。で、周囲とちょっとづつ関係を築いて、そのうちに個性を発揮しはじめていく。


リーダーシップを発揮する人、大多数に乗るのが好きな人、周囲は関係なく自分の周辺だけにこだわる人、アウトサイダーな人、自分の本音は明かさない人、想像や憶測が大好きな人・・・


まさに、学校そのものですね。


学校ですから、いつか卒業がやってきます。学校ですから、転校する人が出てきます。学校ですから、つっぱる人もでてきます。学校ですから、クラス替えなんかもあります。


個性と個性とがぶつかって、ケンカしたり、共感したり、仲良くなったり、距離を置いたり、グループができたり・・・


やはり、学校そのものですね。


会社と学校の違いをあえていうのであれば、「発達課題」を自分自身が設定することかしら。


組織というのは、個々人の「発達課題」に挑戦するようなできごとばかり起きます。なぜか不思議ですがね。


で、「発達課題」をクリアーして転校(退職や転職ですね)していく人は、人間としての力強さのようなものを獲得するようです。


それは、たのもしさ?みたいなものでしょうかね。


その「たのもしさ」は次の「発達課題」に向かう武器になっていくわけですね。


人として生きている以上、「発達課題」が次々とやってくるのはしんどいもの。


けど、「発達課題」クリアーした後のリターンとして「見えなかった世界が見えてくる」という素晴らしいギフトをもらえるようですね。


世の中、案外とうまくできているようです。

December 24, 2013 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.20

昨日は会社の飲み会でした

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「会社での飲み会」


プライベートな友達との会話の中では、けっこうマイナス的な意味合いで使われることが多いような気がします。


「ジムに行きたいけど、会社の飲み会があって行けない・・めんどうくさっ」とか、「会社の飲み会があるけど、テキトーにやり過ごして合流します」って感じですね。


会社ってものへの帰属意識が多様化した時代ですから、まあこんな考えはフツーにでてくるわけです。


「社長」という役割の自分は、飲み会を主催する側の人間ですから、この手の話を聞くのはなんともな気持ちなのですが(笑)


けど、日本に数百万の会社があって、その中でたまたま一つの会社に籍を置いて、たまたま同じ時期に働いたメンバーがいて、たまたまお互いの人生がシンクロした。


「会社の飲み会」はそんなメンバーが集まっている、と考えるとちょっと見え方が違ってこないかしら??


お互いの人生がシンクロしたから、喜びや共感や尊敬や感謝があるわけです。


お互いの人生がシンクロしたから、怒りや衝突や失望や落胆があるわけです。


いずれにしても、お互いの人生がシンクロしたことは人間の叡智を越えてるわけです。しょっちゅう飲み会があるのだったらいざしらず、たまに時間を共有するのはいいことだと思いますよ。


昨日は会社の忘年会。みなさん、今年もお疲れさまでした。

December 20, 2013 in 人間関係に関すること, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.19

「仕事の世界」の中心で働くということ

就職した頃、「仕事の世界」は大人ばかりでした。


社長は雲の上の存在だし、本部長も部長もとても年齢が上に見えました。直属の上司は30歳でしたが、これまたとても上に感じられました。


「仕事の世界」の中心


これは、はるか彼方に位置するように思えました。


5年、10年と働いていくうちに、自分より下の世代が増えてきました。で、どんどんと上の世代が引退をしていきました。


それから5年、10年と経つうちに「仕事の世界」はますます、下の世代が増え、どんどんと上の世代が引退をしていきました。


いつしか自分自身が「仕事の世界」の中心で活躍する年代になっていました。


人は、年齢を重ねていく中で「仕事の世界」の中心に近づき、で、歳をとるにしたがって「仕事の世界」の中心から去っていくのです。


「仕事の世界」の中心に向かう局面


「仕事の世界」の中心で活躍する局面


「仕事の世界」の中心から去る局面


当然、それぞれの段階で必要な要件は違ってきますね。


「仕事の世界」の中心に向かう時は、極論をいってしまえば自分のことだけ考えていればいいわけです。「仕事の世界」の中心にいる人が描く仕事のデッサンに乗っていればいいわけです。その中でベストなパフォーマンスをしていればいいわけです。


けど、「仕事の世界」への中心で活躍するときは、自分だけではなく、周囲や下の人のことも考えないといけないわけです。


中心、なわけですから、自分から何かを発信して、「仕事の世界」の中心周辺にいる人を巻き込んでいく必要があるわけです。


中心、なわけですから、「仕事の世界」の中心周辺にいる人より働かないといけないわけです。


管理職、上司、先輩・・・という存在に身を置くということは、そういうことです。

December 19, 2013 in 人間の成長について, 人間の美意識について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.17

たたかえ、たたかえ

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「覚悟を決める」


今年はなぜか、いたるところでこの言葉を聞きました。


独立した方が「あとは、覚悟を決めるだけなんです」と口にしたり、「覚悟さえ決まってしまえば物事はスムーズに進みはじめる」とある方からアドバイスされたり、「覚悟を決めたら、考えていたことは杞憂に終わった」と知り合いの経営者が口にしたり・・・


ホントによく耳にしました。


自分は来年で44歳。早い人はミッドライフクライシス(中年の危機)に突入しはじめる世代です。もしかすると、「覚悟」ってのは同世代のキーワードのひとつなのかもしれませんね。


さて、先週末は当社主催の企画で東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)参りにいってきました。


神社って、いままでは感謝をささげにいくところだと思っていたのです。健康だとか、運命だとか、安寧だとかのですね。


けど、今回はあまりにも力強いエネルギーに「神社って、覚悟を決めにいくところかな?」なんて感じました。


人は、なかなか1人では覚悟ができません。


だから、見えない力を借りる。自力ではなく、他力を借りる。自分でできることの先にある世界は、大きな存在にゆだねてしまう。


たぶん、それは「覚悟を決める」という世界観ではなく、「覚悟が(自然に)決まる」という世界観かもしれません。


鹿島神宮で正式参拝をしていたとき、和太鼓の音がいままでになく腹に響きました。


なんとなく、「たたかえ、たたかえ」といわれているような気がしました。

December 17, 2013 in 感じたこと, 旅をすることについて、旅をかたること, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.13

人間に自由意志があるのかどうか、ということ

「なりたい自分」ってのは周囲がつくるんじゃないか、というこないだのブログ


「人間には『なりたい自分』を目指すだけの自由意志はないのか?」


というレスポンスをいただきました。


至極もっともな反応だと思います。


哲学だとか心理学で人間の自由意志がどうとらえられているかはよくわかりませんが、自分は「人間の自由意志」なんてそんなにないんじゃないの?ってのが実感覚。


だって、病気、衰弱、死、離別、喪失・・・人間にとって大きなできごとであるこれらのことの何一つが自由意志で回避したり、未然に防いだりできないじゃないか・・・。


たとえば、「誰と出会うか?」。たとえば、「どんな会社で仕事をするか?」


なんとなく自由で選択する余地がありそうなこれらのことだって、自由意志で選択できる部分なんてごくごくごくごくわずかでしょう。


日本人だけでも1億人いて、会社だけでも数百万ある中でほとんどが一個人の自由意志とはかけ離れたところで何かの意志が動いているんじゃないでしょうかね?


運と偶然とが織りなす世界の中で、自分らは「自由意志がたくさんある」って幻想を生きていると思うのです。


最近、『老子』が人気があるようですね。


『老子』のいう知足(足るを知る)という生き方は「自由意志はそんなにないんじゃないか?」というところからうまれると思うのです。与えられた人生の中で全力を尽くそう、という生き方ですね。


『老子』が読まれているってのは、「人は自由意志がたくさんある」って幻想から人間が目覚めてきた証左なんじゃないでしょうかね。


宇宙飛行を自在にしているとはいっても、たかだかまだ月とその周辺。科学的にカビ一つつくれない人間が「自由」なんて口にするのがおこがましい、といいったらいいすぎかしら。


自由という幻想があるから不自由になる、不自由がゆえの自由


そんな現実にたまには目を向けたいものです。

December 13, 2013 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.11

「なりたい自分」ってのは自分でつくることができるのか?

仕事をしていると、周囲の人に期待をされるわけです。


資料制作をお願いされたり、交渉ごとを頼まれたり、アイデァ出しをお願いされたり・・・


その期待に答えると、次の期待がやってくるわけです。


で、その期待に答えると、また次の期待がやってくるわけです。


この循環を繰り返していくうちに、人は自分が思いもよらなかった世界を生きていることに気がつくわけです。


「へえ、自分はこんなところにたどりついてしまったな」


そんな世界観だと思うのです。


自分が意図している通りに周囲が自分に期待をしてくれるのが、人間としてのベストな生き様だと思います。


例えば、「建築家で食べていきたい」という人が、建設会社から設計の依頼(=周囲からの期待)がガンガン入る、という感じですね。


けど、多くの場合はそうはいかないわけです。


人間が自由自在に生きていくために必要なのは、「自分がしたいこと」を念頭には置きつつも、「周囲から期待されること」をこなしていくことが大事だと思うのです。


「なりたい自分」ってのは自分自身が作り出すのではなく、「周囲の人間の期待」が作り出す世界なんじゃないかと思いますよ。


「なりたい自分」に固執するな、なんていうと反発抱く人はいると思いますが、「なりたい自分」にこだわるばかりに可能性を見逃している人もいっぱい見てきたのでね。


周囲に期待をされる人としての素養と、期待に応えるだけの力を持っている自分でありさえすれば、人生は勝手に開けていくものじゃないでしょうかね。


どこに開けていくかは分からないって世界観・・・


「なりたい自分」を自分で定めるより、おもしろい生き方だと思いますけどね。


昨日は賞与で皆の前でこのような話をしました。いくらかでも伝わったかな??

December 11, 2013 in 人間が悩むということ, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.10

自分がつくった組織に苦しめられる

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アップルの創業者・ジョブスの人生が映画になりました。


類いまれなきこだわりでアップルを一代で伝説の企業にするのですが、一時期は自分がつくった会社から追放されてしまいます。


まさに、「自分がつくった組織に苦しめられ」たわけです。

でも、これってそんなにめずらしいことじゃない気がするんです。


自分がつくった組織に苦しめられる、自分が生んだ子供に苦しめられる、自分が選んだパートナーに苦しめられる、自分が教えた生徒に苦しめられる・・・


場面場面は変われど、よく見聞きすることかなと。


ジョブスほどの人であってもこういうことが起こるわけです。


我が日本でも明治維新期の大人物・西郷隆盛だって自分が手がけた明治政府に苦しめられた事実があるわけです。


たぶん、人類が誕生したころよりこんなことを繰り返してきてるんですよ、人間は。


「自分が・・・」ってところの「が」(我)が存在するから、そこに固着がうまれる。そして、固着したものをコントロールしたい欲求がもたげてくる。


けど、世の中に存在するものはコントロールできるものの方が少ないから、結果的にコントロールできなくて機能不全を果たす。で、さまざまな障害、軋轢を生み出していく・・・。


ってことなんでしょうかね。


人間は使命を天から与えられている、と考えれば「自分が・・・」の「が」は 本来はいらないはず。


ただ、自分らは使命が与えられているということに絶対的な信頼を置くことができにくいから、「が」(我)を持つことでなんとか自分自身を守ろうとするわけです。


この辺は生き方の選択の問題ですから、「自分が」を持とうと持たまいと個人的にはどっちゃでもいいと思うのです。


けど、「自分が・・・」の「が」ってのは時に物事を生み出すエネルギーになりますが、ときに激しい固着を生み出すので要注意だと思います。


自分がつくった会社、自分が手がけてきた仕事、自分がつくってきた組織、自分がつくってきた歴史・・・


凡人には、「が」が頭をもたげそうなことばかりだ(笑)


これらが、天から与えられたものだと考えると、ことほどさように「自分が・・」を主張する根拠はないのでしょうけどね。


ジョブスは禅の本を読んでいたといいますが、生きる中で、経営する中でこの辺にぶちあたったんじゃないかな、と勝手に想像しています。


じゃなきゃ、禅の本なんか手に取らないだろうしね。性格的に友達にはなれそうもないけど(笑)この辺のセンスはいいですね。めちゃ上から目線ですが。。

December 10, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて, 経営をするということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.09

二作目というプレッシャーに立ち向かう勇気

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『夢と狂気の王国』を観ました。


『エンディングノート』なんて素晴らしい作品をデビュー作でつくったから、監督の砂田麻美さんにとって二作目はかなりプレッシャーだっただろうな。


選んだテーマがジブリ。


もしや、常に生みの苦しみに直面している宮崎駿さんに自分の葛藤を投影したか?


とまれ、


プレッシャーの中で負けずに仕事をすること


この映画は砂田監督のそんな心意気を感じさせる映画でした。


自分を守りたいんだったらもっと無難なテーマを選ぶだろうに、あえて日本を代表する表現界の雄(?)ジブリをテーマにした姿勢が素晴らしいですね。


蛮勇じゃなくて、変に気が強いってのでもなくて、若気の至り的なイキがってる感じもしない・・・たんたんとしているけど芯が強くて動じないって感じ。


こういうのを勇気、というのだと思います。


自分は前作から引き続きこの監督が作中で行うインタビューが大好きですわ。どこが琴線に触れるかはよくわかりませんが(笑)

December 9, 2013 in 人間の美意識について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.05

どっかに市場の隙間はないだろうか??

「リアル店舗の書店を一から開業しようと思う」


そんな相談があったとします。まあ、フツーに考えて今の時代にありえませんね。


出版業界は15年以上マーケット縮小傾向だし、Amazonの力がどんどんと強くなっている現実もある。たとえ売れた本があったとしても、市場原理で売れる書店へと優先的に配本される現実もある。


人件費、店舗家賃を考えてもとても厳しい経営は目に見えます。


けど、市場にはどこか隙間があるわけです。既存の書店が手の届かないことが必ずどこかにあるわけで・・・そこに気がついて、具現化できれば書店業でも充分やっていけるわけなんです。(今の自分には思いつきませんが・・)


中小企業や独立開業を目指す人はここを攻めないといけないわけです。弱者の戦略の基本です。


で、市場の隙間が小さすぎると商売にならないし、大きすぎると大手企業が参入してくる。だから、「適度な市場規模の隙間」を探すのが基本。


よく、「この市場は大きくなるから参入する」なんて話がありますが、逆にいうとこれって「いつか大手企業が入ってくる」ということになるわけですね。


ネット通販も一時は誰でも参入することができましたが、今やAmazonや楽天の寡占状態に向かっていってますからね。(商店が大型店に駆逐された歴史をみれば、ある程度予想はできたことですが)


日本はサービスや商品が成熟していますが、まだまだ市場には「顧客が満たされていない隙間」があるんですよ。


これは、「どこかに元気のいい業界や仕事はないか?」という何かを探すってアプローチではないような気がするんです。


むしろ、「どこかに市場の隙間はないか?」って飽くなき問いかけを課していく研究者のような世界観だと思います。


当然、生みの苦しみは生じるでしょうが、参入障壁があるピカピカのビジネスモデルの誕生はここからしか生まれないんじゃないでしょうかね。


自分もそんなビジネスモデルを確立できますよう。

December 5, 2013 in 仕事のことについて, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.04

人間の貫禄について

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先週末は大学時代に所属していた部活の40周年パーティー。現役学生も含めると200〜300人集まっていました。


20年ぶりにお会いした1つ上の先輩の貫禄に圧倒されました。


物腰は柔らかいし、人を威圧するような感じはまったくないんですが、風格ってやつなんですかね。


勝ったとか負けたとかいう世界ではないと思うのですが、剣をあわせる前にこちらがおじけづきそうな感覚・・。


いただいた名刺を見て、ちょっとだけ納得。大きな会社で上に上がっていく人はやっぱどこか違いますわ。


自分は大企業で働いた経験がないんですが、さまざまな不条理、矛盾、葛藤、喪失だとかをクリアーしてきた人ならではの貫禄なんじゃないかな、と勝手に思った次第。


「40を過ぎたら自分の顔に責任を持たないといけない」・・・アメリカ大統領・リンカーンの言葉を思い出しました。


それぞれの生きてきたさま、生きてきた痕跡ってのは数十年ぶりに再会すると隠しようがないですね。


学生時代、自分の回りの多くは「貫禄がないのに貫禄があるようなふりをする世界」を生きてきました。格闘技をやって、学ランなど着て、いきがって、「人より強い」ということを誇りにするようないきざまをしてきました。


ただ、社会にでると「人より強いから、何?」という壁(?)にぶちあたるんですね。仕事をしていれば今までの自信が木っ端みじんにくだかれることがあるわけです。だって、世の中強い人だらけですし(笑)


でも、そこから新しい自分が誕生していくと思うのです。


「学生の頃までに自分が自信としていたことが、社会で通用し通すことができない」


本当の自信(=貫禄)の第一歩はこういう喪失体験からはじまるんじゃないかな、と。


だれだって喪失体験はイヤなものだし、自分の自信に固着したいでしょうが・・・そこから離れる勇気や自在さが貫禄(本当の自信)につながるのか、と。


過去の「自信」に固着することなく、今現在の自分から「自信」がふつふつと湧いてくるような生き様をしたいものです。


追記
当日は、大学時代にバカをやっていた他大学の同期とも再会。10年ぶりでした。こいつは、確実に自分のリソース(資源)になっている男ですね。


よく飲んだし、よく暴れた。格闘技が縁で知り合ったのですが、自分にバックパッカーなる生き方を教えてくれたはじめての男です。


12月中に再会を約束しました。こうした会を企画してくれた皆さんに感謝です。

December 4, 2013 in 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.02

日本は神代の國だということ

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かぐや姫、期待以上の映画でした。


日本は神代の國です。言霊が存在するし、神のご加護ってのも普通にある。


昔話ってのはそれらのことを人が無意識的に学べるように受け継がれてきた人類の叡智だったと思うのです。


それらが世代間で分断され、ともすると古くさいものとして忌避されているとしたらもったいないですね。


ジブリが描くとかぐや姫もこうなるんですね・・・姫を迎えにくる大いなる存在の表情と音楽。「もしかして実際に見てきた?」って感じるほどリアリティがありました。

December 2, 2013 in 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)