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2014.01.31

リーダーに「幸せ」の哲学が必要になってきた

人は、誰しもが幸せになりたいわけです。


でも、「幸せ」というのはそれに焦点をあわせても求められないもので、「何かの結果」としてもたらされるものなようです。


では、「何か」をきちんと、正しく行うのであれば「幸せ」になるか?


という話になるのですが、それはわからないわけです。


それは、「きちんと」だとか「正しく」というのは極めて主観的な価値観だからです。


「ワタシは幸せになりたい」という思いが強すぎて、「きちんとやらねばならない、正しくやらねばならない」というのがエゴまみれになっていたら、たぶん「幸せ」は遠のくと思うのです。


「何か」をやって、その先の結果はお任せする


たぶん、古からの叡智は人間にそのような生き方をすすめています。


ポイントは、「何か」に「きちんと」だとか「正しく」だとかの判断を加えないこと。あとは、「結果」に執着をしないこと。


「因果の法則」は世の中に遍く広がっていると思いますが、「原因」と「結果」の関連性など人間の思考レベルで分かるものではありません。


だったら、「結果」に執着するエネルギーを、「原因」(行為)に向けることが大切なのだと思います。


「人はどうしたら幸せになれるか?」


宗教や哲学の専売特許(?)だったこのテーマ。今のリーダー層はこうした哲学を自分なりに持っていないといけないような時代感になってきたんじゃないでしょうかね。


だって、「仕事のやりがい」や「モノに囲まれた生活」には興味がない人がいるでしょうが、「自分自身の幸せ」に興味のない人はいませんからね。


特に、「幸せ」に今ひとつ脆弱感があるようないまの時代の中ではなおさらです。

January 31, 2014 in 仕事のことについて, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.28

なんとも不思議な気分

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当社がオリジナルで制作したとある商品。


海外にコピーライツ(版権)が売れたのは一昨年の秋のこと。


それが、商品となり、売上となり・・・このたび、ドイツの出版社から売上報告がありました。


いままで、海外の会社に商品を販売したことはあっても、権利収入が海外から入ってくるのは初めてのこと。


「嬉しい」というよりは、ミュンヘンだとか、フランクフルトだとかで商品が販売されているかと思うとなんか不思議な気分です。


商品をつくりはじめた時は、


「この商品知ってます?」と自社でつくった商品を誰かから話題にされる


というのを目標にしてきました。


今後は、


海外を旅していたらたまたま当社の商品に巡りあった


を目標にしたいですね。

January 28, 2014 in 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.27

読む本が減らない

新しくご縁をいただく方に著書をいただくことがあります。


本というのは、「想念の賜物」(「創りたい」「書きたい」という強い思いが書籍という形になったもの)だと思ってますから、必ず読むようにします。


「これから仕事で役立つだろうな」という本も読むようにします。


「この企画を手がけるんだったら、これくらいは知らないとな」という本はできるだけ先回りして読んでおきたいです。


「この人は人間的に尊敬できる」だとか「この人の考え方は好き」という人が推薦した本。これも読むようにします。


って考えると、自分で選んで読んでいる本ってほとんどないんだよな・・・。


まさに、本の方からひっぱられるって世界観。


こんなだから、増える時は読んでいない本がどあーっと増えて、どんどんと本棚や机に積まれていくわけです。で、3冊くらいを同時並行で読む。


これって、「本を読んでるワタシが主体的に未来を開く」じゃなくて、「本にひっぱられてワタシの未来が自然に開かれる」って世界だと思うのです。


いくたの本にひっぱられて、それに追いついていこうとする一人の人間のささいな営み


のような気がするんです。


「この本は面白い」「面白くない」も大事でしょうが、「この本はワタシをどこに引っ張ろうとしてるのか?」と考えるとなかなか面白いなと思います。


人との出会い、本との出会いにワタクシ(自己)の介在する余地なんかたぶんほとんどないのですからね。

January 27, 2014 in 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.26

食べるからエネルギーがでるのか、エネルギーがあるから食べるのか

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「宴会で料理がなくなるスピードがめちゃ遅くなった」


40代に入った頃からか、なんとなくそんな気がしていた。


肉体的にたくさん入らなくなってくるし、健康や体重の不安もあったりもするのかしらね・・・


若い頃のガツガツした感じがなくなって、成熟してきたといえば聞こえはいいのだが。。。


昨日はジムの飲み会@飯田橋。豚と牛のしゃぶしゃぶ食べ飲み放題。


怒濤のごとく、わんこそばでも食べるかのごとく、肉と野菜が無くなっていった。。。


で、必ず言われる一言。


「今日、ジムでカロリー消化した以上、食べちゃった」と。


ジムに入って10年以上、ずーっとこんなことをやってるわけです(笑)


で、翌日に昨晩の分を取り戻すべく動く。で、動くと腹が減って、ガッツリ食べる。。。


こと自分の場合、ジムにいかないと体重が落ちるはこの循環のせいなんだろうな。。。


食べるからエネルギーがでるのか、エネルギーがあるから食べるのか


たぶん、後者だな。。。


久々のメンバーでの新年会でまたエネルギーをもらいました。ご一緒した皆さん、お疲れさまでした。

January 26, 2014 in 人間関係に関すること, 感じたこと | | Comments (3) | TrackBack (0)

2014.01.24

「ポジティブシンキング」と「生きる力」と

「ポジティブシンキングになれない」


「ポジティブシンキングになりなさい」


なんて、人が悩んでるシーンなどで普通に使われてますね。


けど、生きていればポジティブになんかなれない時があるわけです。


「どう考えてもポジティブなスイッチが入る気力が起きない」なんてことはフツーにあるわけです。


「ワタシはそんなことが人生で起きたことがない!」なんて人はたぶんどこかにフタをした生き方をしているはずなんです(いつか自我の逆襲がやってくる・・・はず)。


でも、そんなしんどい時期にも「よいこと」と「新しいこと」は日々おきているのであって・・・


元気がない時は、これら「よいこと」と「新しいこと」を丹念に集めていくしかないと思うわけです。


「よいこと」と「新しいこと」は、数が集まって、時間の経過で熟成されるうちに、調子のよい自分への呼び水になるわけです。


「今日一日、『よいこと』も『新しいこと』もなかったな」


なんて夜があれば、近くのコンビニでいままで買ったことのない商品でも買えばいいんです。


たとえ、それが10円のガム一つであっても「新しいこと」が一つできて一日を終えることができるわけです。


そう考えると、暗闇のどん底で周囲が敵にばかり見えてくるような日でも、どこかに必ず「よいこと」と「新しいこと」はあるはず。


こういう確信は、「ポジティブシンキング」の世界感ではなくて、「生きる力」って世界観の範疇だと思うわけです。


「ポジティブシンキング」が蔓延して、人間の「生きる力」に焦点が集まっていない


なんてことはないでしょうかね?


ポジティブシンキングになんかなれなくても、人間は「生きる力」を発動できる生き物なんです。


悩んだら「生きる力」を発動させればいいんです。


いうほど簡単じゃないとは思うけど、「ポジティブシンキング」なんかを目指してたら時に「悩みの泥沼」から抜けられなくなると思ったりします。

January 24, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.22

あのとき、ああいったじゃないですか

「文脈」


言葉は文脈で語られるわけです。


逆にいうと、文脈から言葉だけを取り出しても、本来は存在価値がなくなってしまうわけです。


言葉は絶対でないわけです。ってか、言葉ほどいい加減なものはないわけです。


だって、文脈によってその姿形をどんどんと変えていきますからね。


「あの時、こういったじゃないですか」


的な話は、組織の大小を問わずどこでもあることだと思います。私もこの手のやりとりは数えきれないほどやってきましたしね。


確かに、言葉だけとらえると主張する側の論理も分からなくないわけです。


でも、そこには文脈が存在している(存在していた)わけです。その言葉が語られた流れ、背景があるわけです。


その文脈を踏まえた話であればいいんです。


けど、多くの場合は時の経過とともに、文脈は忘れさられ言葉だけが一人歩きしているわけです。


こんな例に、「武士道とは死ぬことと見つけたり」で始まる『葉隠』という古典があります。江戸時代に出版された武士の心得について書かれた本ですね。


この一節(言葉)だけみると非常にエキセントリックな主張に聞こえるわけです。だから、『葉隠』が先の戦争で「死を恐れず戦え」という国威発揚に使われたわけです。


けど、この本をきちんと読めば「武士らしく生きるためにどうするか?」という文脈があるのがわかるわけです。死ぬための本ではなく、生きるための本なわけです。


著者が生きていたら、どう思うんでしょうね。。。。「オレの言葉を勝手に解釈するなよ」とかいうんじゃないでしょうかね。


人間、脳のメモリーはあるようでそんなにないようです。だから、どんどんと文脈を忘れていくんです。で、自分にとって都合のいい言葉だけをメモリーしていくんです。


あとは、無意識のうちに自分にとって都合の悪い文脈をディレート(消去)してしまうこともあるようですね。でないと新しいものが入ってこなくなってしまうでしょうし。


「あなたは自分の都合で組み立てた言葉を発してるし、私だってそう」


言葉ってのはいい加減なものなんですから、本来ここはお互い様の世界なんですよ。


そもそも無力で限界がある言葉を通して我々はコミュニケーションを強いられているわけです。大いなる存在がこの世を生み出した時にちょっとばかし遊んだのかもしれませんね。

January 22, 2014 in 人間の認知について, 人間関係に関すること, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.17

踊りと創造と

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ジャージ姿で芥川賞の授賞式に臨んだ姫野カオルコさん。


ジムでストレッチをしていた帰り、だとか。


会見で「踊り」と「創造」について語ってました。


たしか、「踊ってから、創造のエネルギーをぶつける」みたいな言葉だったと思うのだが、ぱっとみたテレビでの会見だったのでうろ覚え。けど、とっても印象深い一言だった。


自分も、「踊り」ってのは、「創造」をかき立てる力があると思います。


体感覚に任せて、思考優位のスイッチをオフにして、踊る


この思考回路(?)は「芸術」や「文学」などの創造プロセスと一緒なんじゃないかしら、と。


たぶん、思考回路のスイッチを通常以上にオンにしても、真の創造は生まれにくいんです。


天の岩戸にお隠れになった天照大御神(あまてらすおおかみ)を、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊りをして神々の笑いを誘った


そんな有名な話が『古事記』にありますが、「踊りと創造とは不可分」という我々の原型が示されているような気がしてなりません。

January 17, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.16

「なんであいつはああなんだ?」を悩むときの補助線となる一冊

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『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)


「人は変えられない、変えられるのは自分だけだ」


って言葉あります。


「なんであいつはああなんだろうね?」といくら陰口言おうが、「あいつは○○って過去があるからああいう行動をするんだ」とトラウマ的分析をいくらしようが、変えられないものはどうしようもない。


どこの組織、人間関係でもよくある話ですね。


この本が取り上げているアドラー流心理学にいわせると、そこには「変わらないことで得られる『目的』」が存在するからなんだと。


たとえば、「いつまでもダメな自分でると周囲から期待されずラクチンだ」なんて目的。


ほかにも、「周囲から陰口をいわれることで周囲から同情を買いたい」という目的だとか、「ダメな自分を演じることで逆に他人を支配したい」という目的だとか。


そういう極めて個人的な目的。


アドラーは、過去のトラウマに責任を求めるのではなく、今日、いま、ここに存在する何かしらの「目的」にアプローチする心理学。


人間関係の問題をトラウマ的なアプローチから入ることは、確かに一定の有益性はあるでしょう。


けど、一方でトラウマ分析の堂々巡りのスパイラルに陥ってしって、過去をこねくりまわしてしまうことに時間をつかってしまいがちであるのも事実かと。


フロイトやユングと並ぶ心理学の巨頭でありながら、いまいちマイナー感のあるアドラーが分かりやすくまとまっています。


自分自身を知るため、人を知るため。


人間関係を複雑にしないため。


そこからもたらされる悩みを軽減するため。


すべての人必読の本だと思います。

January 16, 2014 in 人間の認知について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.09

力がないと、力のある先生を選べない

人は、「自分が理解できる範囲」しか理解できません。


だから、「理解している範囲が広い人間」と「それが狭い人間」とでは会話がなりたたないことがままあるわけです。


「自分が理解できる範囲」を広げていく時に役に立つのが知識。


けど、本ひとつとったって読み方があるわけです。


この世には「頭から読んだら意味が分からない本」ってのがかなりあります。で、困ったことに古典だとか名著だとか「読んでおくといい!」といわれるものにこの手のものが多いようです。


ここは先生の助けを借りないと、「暗闇の中で、電灯も持たずに、手探りで、なくし物を探している」みたいになってしまうわけです。努力が徒労になってしまうわけです。


「難しい本を読んでも理解できない」ってのはちゃんとした先生に学んでないからなんです。


では、その先生はどこにいるか?


これは、探すしかないわけです。自分にぴったりの先生がどこかにいることを信じて探すしかないわけです。


職業として先生をやっている人かもしれませんし、職場の上司かもしれません。近所のおじさんだったり、同じスポーツクラブに通う仲間かもしれません。


出会いは、運が大きく左右する世界かもしれまんね。


ただ、面白いもので力のない人は力のない先生を選んで、力のある人は力のある先生を選ぶようです。


ここは、分相応の世界・・・。


自分自身の「範囲」を広げていくことは、もしかすると「力のある先生」に出会うために必要なことなのかもしれません。

January 9, 2014 in 人間の成長について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.08

エネルギーが変わった

Hatuhinode

新春から明らかにエネルギーが変わりました。


空気感が変わりました。


こういう時は、新しい出会いがなぜかやってくる。あたらしいできごとのきざしがやってくる。


かつて縁があった人から連絡がある。読む本、観る映画、参加したイベントが今の自分にどんぴしゃだったりする。


「たまたま」「思いもよらず」「あとで思えば不思議なんだけど」が多発する。


理屈じゃ説明できないけど、確実に存在する世界。


こういうことをいうと「スワッ、精神世界!」と聞く耳を持たれないことが多かったですが、最近はだいぶさまがわりしましたね。


「世界は自分自身の心の鏡」


と心理学ではいわれますが、「エネルギーが変わった」と感じることは、自分自身の心の中が変わったということなのでしょう。


この世界は、自分自身では分かり難い心の状態を「新しいできごと」「思いもよらないできごと」という形で顕在化させてくれるのですから面白いものです。


ともあれ、新春からエネルギーは確実に変わりました。


一つ一つの「できごと」を感謝し、丁寧に対応できる心の余裕を。一つ一つの「できごと」に「いい」「わるい」を決めつけない思考の柔軟性を。

January 8, 2014 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.04

ブログは孤独なメディアだからいい

「つながる」


あえて、去年の自分のキーワードを挙げると一つはこれ。


去年は昔の友達との再会がやたらと多い一年でした。特に、中学の同級生と30年ぶりに再会した一夜は楽しかった。


こうした再会劇(?)にSNSが一役買っているのはいうまでもなくて・・・そんな意味ではこうした新しいツールには深く感謝。


けど一方で、「つながる」が即「善きこと」みたいな空気感はどこか違和感があるわけで・・・そことは、距離を置きたい自分もいるわけです。


明確な意図をもって「つながる」を自在に選択できる自分でいたいと思うわけです。


そこには、「孤独を身にまとわないと、人間が薄くなる」って考え方がどこか根底にあるのかもしれませんね。むやみやたらに「つながる」ってのは、自分自身の放棄でしかないと思います。


「つながる」の対極にある「孤独」


これを埋めるさまざまな手段が存在する時代を生きているわけですから、自分らは意識しないと「孤独」を手に入れられないわけです。


個人の情報発信メディアとして比較した時、ブログはSNSに比べて孤独なメディアだと思います。


誰が読んでるかわからないし、「いいね!」はつかないし、コメントだってたまにしかつかない(あくまでも自分の場合、ですが)・・・で、独り言のように文章を書いていくというのは、ある意味孤独な作業。


でも、だからブログはいいんです。


ブログって空間は、目に見える反応は少なくても、「何か書いておきたい」という思いがないと長い時間続けられないメディアなわけです。


だから、万人に開かれているようで、万人に開かれていない空間なわけです。


こないだ、10年近く社長ブログを書いている経営者とお会いしました。


「ブログ書いてても反応ないと寂しいよね。けど、芸能人じゃないから仕方ないか 笑」って話になって盛り上がりましたが、どこかに同じ思いを持つ人間同士の「つながり」を感じましたね。


もしかすると、これからの時代のブログは真の「つながり」を演出するメディアになっていくのかもしれません。


January 4, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.03

「スーパーヒーローな一面」に光をあてる

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今年の元旦は、赤坂氷川神社で初詣。その後、六本木で本屋に寄りました。


『芦原英幸正伝』


伝説の空手家、芦原英幸さん(1944〜1994)の評伝が発売されていたとは・・・つゆ知りませんでした。

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芦原英幸さんは、昭和50年代に人気劇画『空手バカ一代』に「ケンカ十段」のニックネームで登場。


格闘家としての圧倒的な実力、大多数に対して孤軍戦いを挑む勇気、ユーモア&人情味溢れるキャラクターが昭和の格闘ファンを魅了します。


四国の松山に本拠を構え、メディアに露出する機会が少なく、50歳の若さで逝去されたために「伝説の格闘家」になっていたわけです。


その伝説の格闘家と交流があった著者による評伝ですから、マニアにはたまりません。元旦から一気に読みました。


読了して、元旦に訪れた赤坂氷川神社のご祭神・スサノオが芦原さんにオーバーラップしました。


暴れ者の八岐大蛇を退治したスサノオ。ケンカなら負け知らずで四国の空手界を制覇した(劇画上では)芦原氏。


どちらとも、「スーパーヒーロー」でした。


そんなスサノオは泣き虫な神様でした。母のイザナミがいる根堅州国に行きたい、とないてばかりいました。一方の芦原氏もこの評伝によるとスゴく気が弱く、臆病な部分があったようです。


どちらともが持つ、「スーパーヒーローの二面性」・・・。


たぶん、人は誰しも自分の中に「スーパーヒーローな一面」を持っています。


けど、そんな素晴らしい一面は、光があてられずにフタをされていることが多くはないでしょうかね?


「自分は弱いところがあるから・・」といった思いや、「スーパーヒーロー」な部分をオープンにすることで受ける他人のやっかみや誤解などを考えてしまって、「無きもの」にしていることがないでしょうかね?


「破天荒で強い自分」と、「臆病で泣き虫な自分」と


自分の二面性を自覚しつつ、「スーパーヒーロー」な部分に光をあてて出し尽くすこと。


たぶん、それこそが人間が「内なる本分に従う生き方」なのかもしれません。


2014年の元旦をそんな思いで迎えました。本年もよろしくお願いいたします。

January 3, 2014 in 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)