あのとき、ああいったじゃないですか
「文脈」
言葉は文脈で語られるわけです。
逆にいうと、文脈から言葉だけを取り出しても、本来は存在価値がなくなってしまうわけです。
言葉は絶対でないわけです。ってか、言葉ほどいい加減なものはないわけです。
だって、文脈によってその姿形をどんどんと変えていきますからね。
「あの時、こういったじゃないですか」
的な話は、組織の大小を問わずどこでもあることだと思います。私もこの手のやりとりは数えきれないほどやってきましたしね。
確かに、言葉だけとらえると主張する側の論理も分からなくないわけです。
でも、そこには文脈が存在している(存在していた)わけです。その言葉が語られた流れ、背景があるわけです。
その文脈を踏まえた話であればいいんです。
けど、多くの場合は時の経過とともに、文脈は忘れさられ言葉だけが一人歩きしているわけです。
こんな例に、「武士道とは死ぬことと見つけたり」で始まる『葉隠』という古典があります。江戸時代に出版された武士の心得について書かれた本ですね。
この一節(言葉)だけみると非常にエキセントリックな主張に聞こえるわけです。だから、『葉隠』が先の戦争で「死を恐れず戦え」という国威発揚に使われたわけです。
けど、この本をきちんと読めば「武士らしく生きるためにどうするか?」という文脈があるのがわかるわけです。死ぬための本ではなく、生きるための本なわけです。
著者が生きていたら、どう思うんでしょうね。。。。「オレの言葉を勝手に解釈するなよ」とかいうんじゃないでしょうかね。
人間、脳のメモリーはあるようでそんなにないようです。だから、どんどんと文脈を忘れていくんです。で、自分にとって都合のいい言葉だけをメモリーしていくんです。
あとは、無意識のうちに自分にとって都合の悪い文脈をディレート(消去)してしまうこともあるようですね。でないと新しいものが入ってこなくなってしまうでしょうし。
「あなたは自分の都合で組み立てた言葉を発してるし、私だってそう」
言葉ってのはいい加減なものなんですから、本来ここはお互い様の世界なんですよ。
そもそも無力で限界がある言葉を通して我々はコミュニケーションを強いられているわけです。大いなる存在がこの世を生み出した時にちょっとばかし遊んだのかもしれませんね。
January 22, 2014 in 人間関係に関すること人間の認知について仕事のことについて | Permalink
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