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2014.02.17

「嫌なヤツ」を考える

「嫌なヤツ」は自分の投影、だから「嫌なのだ」。


って考え方があります。


「嫌なヤツ」を見ることで、自分が抑圧している「嫌な自分」が直面化される。


だから、無視したり、バトルしたり、陰口言ったりして人は心の平静を保とうとする。つまり、自分の中で抑圧していることに更なるフタをする。


そんな考え方があります。


けど、これってどれだけマインドで考えたところで腑に落ちないと思うのです。


だって、「嫌だから嫌なんだ」ってマインドはもはや感情の領域。それを凌駕するマインドは存在しにくいわけです。


冬場に入る風呂の気持ちよさを理屈で説明できないように、「アイツは嫌」を理屈で説明、理解できるわけがないわけです。


たぶん、人間における「嫌なヤツ」問題は、自分のスピリットに働きかけないといけないわけです。


「世界は愛と調和に満ちている」と考えると、「嫌なヤツ」の存在ってのはどう考えても説明がつかないわけです。


愛とは無縁な気がするし、調和とはまったく逆・・


なんで愛と調和に満ちている世界にこういう人が存在するのか?


この説明のつかない矛盾。ここは、たぶん自分たちの「エゴ」の部分なわけです。


何かを期待したり、何かを求めたりとする自分たちマインド(「エゴ」)の部分なわけです。


「エゴ」は社会の推進力になりますし、人間の活力の源でもあります。


そんな一方で、「エゴ」は「イタい大人」の種子のようなもの。「エゴ」の種子は他人からの承認欲求をエサにしてどんどんど肥大化していく危険性があります。


ここはうまく付き合う必要がありますね。


「嫌なヤツ」は、自分の「エゴ」を客観的に見せてくれる存在


マインドではなく、スピリットでそんなイメージをしてみてはどうでしょうかね?


フツーは「自分のエゴの部分を見せてくれてありがとう!!」なんて聖人君子みたいなマネはなかなかできないでしょう。


けど、マインドが「アイツは嫌」と支配されてる時は「敵」と思ってたヤツが、スピリットに働きかけるとちょっとだけいとおしくなる(?)瞬間があるから不思議です。


そう、それは人生を生きていく上での同志みたいな感情かもしれませんね。

February 17, 2014 in 人間の成長について, 人間の認知について, 人間関係に関すること, 経営をするということ |

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