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2014.04.23

「なぜか好きな国」を訪れてきました

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なぜか好きな国


というのがどうもあるようで。


で、「なぜ?」を突き詰めても理由なんか分からなくて。


魂というものが存在するなら、きっとその魂がその国を彷徨したがっている、ということなのでしょう。そこはきっと、マインドフリーな体感覚が全てな世界なわけです。


「春に旅に行こう」と決めてからいろいろな地域が候補にあがりました。


チベット、マチュピチュ、ウユニ湖、タシケント、ウルムチ、南インド、スリランカ、イエメン、パキスタン・・・


結局、「なぜか好きな国」を訪れることにしました。


バックパッカーをしていた1997年。この国に査証ギリギリ(確か有効期限28日)の期間滞在しました。


勤めていた会社を辞めて、今の会社を創業した2001年。「しばらくは海外にいけないだろうから今のうちに海外に・・・」と1カ国だけ選んだのはこの国でした。


で、今回が3回目。


生涯、100ヶ国は回りたいので(まだ半分くらい・・・)、同じ場所を訪れるのは生産的(?)ではないのですが、今回は自分の「なぜか好き」を信頼しました。


はじめてこの国を訪れた時、自分は27歳でした。


「やりたいことをしたい」と会社を辞めて旅にでてきたのはいいですが、お金がなくて、帰国してからの見通しがなくて、手に職もなくて、借金はあって・・・でした。


「なるようになる」と思っていながら、自分の人生で「なるようになった」実体験(特に社会人としての経験)がきっと希薄だったんでしょう。「なるようになる」という言葉の裏には、たぶんどこか強がりがありました。


17年ぶりに訪れた街で、自分の人生「なるようになったなあ〜」と思いました。


今の仕事、周囲の人間関係、読んでいる本、観ている映画、考えていること、影響を受けている人•・・・


今の自分は何一つも17年前の自分には想像ができなかったことばかり。


そう考えると、今から17年後の自分にはどのような人生が開けているかまったく分からないわけで・・・。


まさに、「なるようになる」しかないわけです。17年前の自分とバーチャルに対話することで、そんなことを肌で感じてきました。


人生に確証を求めたい


という欲求は誰にでもあると思います。「人生の予見可能性」が心の安定をもたらすということもほとんどの人にあることでしょう。


けど、全体世界は自分たち一人一人の想像を超えた世界を見せてくれるようです。人生に過剰な確証を求めるということは、そんな世界への窓を閉じてしまう行為じゃないでしょうかね。


これから自分の「なるようになる」がどのように「なるようになる」のだろうか?を想像するのは面白いものだな、と思ったミャンマーの旅でした。

April 23, 2014 in 人間の認知について, 旅をすることについて、旅をかたること, 訪れた場所のこと |

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