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2014.06.26

怖いできごとをきちんと怖がるのはむずかしい

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人は進化の過程で、不安や恐怖の感情を強く保持し続けてきた、だからこそ、現在の繁栄がある。


でも自然界に天敵がいなくなってからは、その本能は同族に向けられるようになった。


こうして自衛意識が暴走して戦争が始まる
。(『朝日新聞』2014年6月26日・作家 森達也「あすを探る」)


「怖いできごとを正しく怖がることは難しい」


自分の師匠が、たびたびこう口にすることを思い出しました。


「怖がる」というのは人間の本能。本能の中でも人の心をグワングワンとかかき回すパワーがあって、「すわっ、ここから逃げ出したい」と人を駆り立てるのが「怖がる」という感情。


だから、できごとを実際よりも大きく、実際よりもしんどくする認知が働いてしまうわけですね。


「オレの怖がっているできごとの実際の姿は果たしてこれで適正か?」


「怖がる」に直面したときは、いやーな感情を身体できちっと感じきる。で、どこかひとごとのような視点を持って、「怖いもの」の姿を正常に近づけていく・ ・・そんなことが大切なのか、と。


国と国との関係はもちろん、個人と個人の関係も、「自衛意識が暴走して戦争が始まる」って結構あるわけで・・・


自衛意識が人間の本能である以上、国にも人にもこれをコントロールするという叡智が求められるわけです。


「過剰な『自衛意識』は、愛のエネルギーをもって吹き払う」しかないんじゃないでしょうかね。「なにを荒唐無稽な!」という意見は百も承知ですが。。。


国際関係やビジネスの社会でこの手のことが通用するのかどうかわかりません(一部取り組み中)ですが、「過剰な自衛意識の先にある世界」が、人間が進化と成長の先に目指す方向であるとは到底思えないのですよね。


なーんてこの記事読んで思いました。

June 26, 2014 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.06.02

センスは知識からはじまる

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『センスは知識からはじまる』 水野学 朝日新聞出版


「センスがないなあ」


住宅メーカーで仕事をしていた29歳頃。支店長にしょっちゅうこう言われました。


「立て替えをしたい」というお客さんの要望を聞き、まずは営業担当が図面を書くのですが、いつもダメだし・・・。


当時の自分は「確かにセンスがないよなあ」と思ったわけです。どうみても、自分の描いた図面には家に対する夢や希望がかけていたわけです。


その後、転職をして広告や商品の仕事をする中でたびたび「センス」という言葉に出会いました。


「あの人はセンスがある」、「センスのいい商品」、「センスのある提案」、「センスのあるデザイン」・・・


けど、じゃあ「センスって何よ?」といわれると、なんとなくぼんやりとしていたわけです。


けど、「『センス』ってのは生まれつきではなく、後天的なものじゃないか?」という思いはどこかにあったわけです。


「人間は自分がセンスを発揮できる分野を探しあてて、そこを深堀りしていく。これが、『センス』ってものの正体じゃないか?」と。


その先にある「目利きができる」って世界観。


そこは、「一般」と「特殊」を見極めることのできる世界。「よし」と「悪し」と自分なりの観点で区分けできる世界。その分野の未来予測がごくごく自然とできるような世界。先天的に与えられるのでなく、獲得していくって世界。


だから、「ワタクシはセンスがあります」的なオーラが満載の人をみると、「ああ、この人はいつか時代から復讐されるだろうなぁ・・・」的に思っていたわけです。


さて、この本の著者(慶応大学の准教授)はいいます。


センスは生まれついてのものではない(P1)


センスとは知識の集積である。これが僕の考えです(P74)


「センスのよさ」とは、数値化できない事象の善し悪しを判断し、最適化する能力である(P18)


まさに、我が意を得たりです。


人間はオールマイティーに「センス」を発揮できないでしょうから、「どこに自分がセンスを発揮できるのか?」というどこか戦略的な視点が必要になりますが、決めてしまえばあとは時間をかけて知識を集めていくだけ。


地道で時間のかかる世界ですが、だからこそ「他の人には真似できない」という世界が開けていくのでしょう。


せっかく仕事をしているんですから、こういう分野を一つでも持ちたいものです。

June 2, 2014 in 人間の成長について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)