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2015.01.23

この世は、「意味づけ」と「解釈」に溢れてる

20140508_083137


去年、肉離れを2回しました。


特に左足の時は内出血が激しく、復活までに2ヶ月ほど•••。飲み過ぎと、ストレッチ不足。。。2回とも「健康になろう」と続けてるスポーツクラブで怪我する、というネタ(笑)


その時に読んだある本に、


「怪我が続くということは、今は落ち着いて家にいなさいってサイン」


とありました。


たしかに、「物事をプラスに考える」とか「すべてのできごとには意味がある」という視点から考えると、これはいい考え方かもしれません。人によっては、この言葉だけで力強く生きられる、という人もいるでしょう。


けど、その時のワタクシは「なんでもかんでも意味づけするのはどうよ?」って感じたわけです。無責任な書き手だなあ〜、と。


「怪我は怪我、以上。じゃないの?」


と思ったわけです。


今の時代、「意味づけ」と「解釈」にあふれています。


それらは、人間が安定した心持ちになったり、自らの思いを実現するために「武器」として使うもの。決して、「意味づけ」や「解釈」に人間の側が振り回されるものではないと思うのです。


ワタクシの琴線にこの言葉がふれたのは、どこもかしこも「意味づけ」と「解釈」ばかりで辟易してたからかもしれないですね。


そもそも、「神道のこと測り難し」なんて言葉もある我が国。


大いなる存在が人間にみせてくれる世界


そこに存在する「意味」や「解釈」


「たかだか人間が、こられの深いレベルまでわかりっこないじゃん」


というのが我らが祖先のスタンスだったんでは??


人間のエゴが生み出した「意味」や「解釈」で世界を定義してばかりたら、この世の本当の広さがわからないじゃん、と思ったりするのです。


どう考えても、人間のマインドで考える「意味」や「解釈」で説明できるほど、この世はちまちました世界じゃないでしょうしね。

January 23, 2015 in 人間の認知について感じたこと |

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