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2015.01.16

ネガティブな同調圧力に自己の主張を

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「自分の意見を主張すること」


集団社会の中では、こんなささいな行いが難しいことがあります。


反対意見の人から嫌われたり、集団社会から仲間はずれにあったりするからです。


どんな些細な流れでも、河の流れに抗うのは大変。逆に、どんなちょろちょろとした流れでも、河の流れに乗るのはラクチンなものです。


「周囲からの同調圧力に与(くみ)する」


だから、この選択肢をとるだけで人はラクチンになります。少なくとも、嫌われたり、孤独になったりすることから自分自身を防衛できますからね。


けど、ワタクシは「あの人イヤだよね?」とか「あの人困るよね?」的なネガティブな同調圧力だけはどうしてもキライなんです。


だって、それって誰でもが心の中に持つネガティブな部分に意図的に火を注ぐような行為だし、バーチャルな共闘意識をつくろうとする行為だからね。


自分と他者とがきちんとセパレートできてれば、「どこからがどこまでが自分の問題で、どこからどこまでが相手の問題か?」がわかると思うのですよね。


だから、「誰かが誰かをキライ」って話に、第三者が介在したり、加担したりなんておかしな話だなぁ、と。成熟途上の子供ならともかくね。


ワタクシのできる最大限は「あの人はキライ」って話を聞くことと、あとは、求められればアドバイスをすること。そこまででしょ。


米ソ冷戦時代じゃあるまいし、共通の的をつくって集団をまとめるなんてのは流行らないのですよ。


同調圧力に与しないと、一時的に「孤独」にはなるかもしれないし、周囲から距離を置かれたり、面倒くさがられるかもしれない。


けど、「孤独」を身にまとったもの同士はどこかで惹かれ合うから、結局は孤独にはならないんじゃないかと思いますけどね。


「俺は友達が少なくてさ」


ニコニコしながら話す20年来の友達と久しぶりの飲み。同輩ながら孤独を身にまとう姿がカッコよかった。。。ワタクシもかくありたい。ってか、かくあるぞと改めて誓う。


January 16, 2015 in 人間の成長について, 人間の美意識について, 人間関係に関すること |

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