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2020.06.09

「考え過ぎる」を考える



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悩んでいる友達がいるとします。

 

 

で、周囲の人がいろいろと話を聞く。で、「あーでもない」「こーでもない」といろいろな話がでてくる。「話を聞く側」からしたら「なんでそこまで考えてるんだろ?」なんてことはよくあること。

 

 

だから、「ちょっと考え過ぎじゃない?」なんてアドバイスがでてくる。

 

 

けど、「悩んでいる側」からしたら、悩みを解決するために考えているわけでしょうから、「考え過ぎじゃない?」なんてのは、そもそもナンセンスな話であるわけです。

 

 

で、場合によっては「わたしは考え過ぎなのかしら??」と次の思考がはじまっていくわけです。

 

 

けど、「考え過ぎかどうか?」ってのは、自分自身で見極めることは困難です。自分の思考の働きを、自分自身で見極める。そして、判断しようとするわけですからね。

 

 

「自分とは何か?」という哲学的な問いがないままでこの質問に突入すると、どんどんとドツボにはまっていくんじゃないか、とわたしは思います。

 

 

そもそも、「我流で思考を働かせてもあまりいい結果にならない」が世の常ではないでしょうかね。

 

 

仏教を説いたお釈迦様ですら、お答えにならなかった質問があったといわれています。

 

 

◉「世界は永遠であるのか?」

◉「生命と身体は同一か?」

◉「修業を完成した人は死後に存在するのか?」

 

 

などなど、「無記」といわれている質問ですね。

 

 

これって、われわれが考えても解決できないようなことにいらぬエネルギーを使わないということではないでしょうかね。

 

 

私はインド哲学や仏教が好きですが、こうした叡智にはそこかしこに「考えられることにフォーカスし、考えられないこととにエネルギーを消耗させない」という空気感が漂っています。それがとても優しいな、と。

 

 

「考えてもしょうがないこと」と「考えてどうにかなること」

 

 

この二つの見極めをすることが「考えすぎる」への一番はじめの対処でしょう。

 

 

インド哲学や仏教にはこうした知恵が満載ですが、どうも現代では「信じる、信じない」的な話になってしまうのが残念ですね。

 

 

June 9, 2020 in 人間が悩むということ |

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