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2020.07.31

顔は知っている、挨拶もする。何をしているかよく知らない。

 

 

すべての問題の根本は、人間関係をめぐることである

 

 

心理学のアドラーでしたかね?この手のことを言われたのは。

 

 

人は、他人とのかかわりがなければ生きていけません。ただ、その「かかわり」が苦しさを生みだすきっかけになるわけですね。

 

 

そんなことから、「人づきあいをやめれば、面倒なことが起きない」という極論も生まれてくるわけです。

 

 

でも、そうした選択をするということは、周囲との「かかわり」も遮断することになります。それは、「他人とかかわりたいという根本欲求」を満たすことができないことを意味します。

 

 

更には、承認欲求(人から評価されたいという欲求)も満たす機会がなくなることにもつながります。

 

 

つまり、他人との「かかわり」を遮断すると、面倒なことが起きない代わりに、自分の欲求を満たすことができにくくなるわけですね。

 

 

さて、ここをどのようにうまくやっていくか??

 

 

私の場合、「顔は知っている。会えば、挨拶くらいする。たまに話くらいはする。でも何をしているかよく知らない」関係を複数つくることが大切かと思っています。

 

 

趣味の知り合い、スポーツクラブでの知り合い、勉強会での知り合い・・・どこでもいいと思うのです。「同じ時間をたくさん共有した濃密な人間関係」ではなく、「ごくごく薄い人間関係」ですね。

 

 

こうした人間関係であれば、もめる必要がありません。だって、連絡先も知らないないわけですから、トラブルになる必然性がないわけですし(笑)

 

 

だからといって、「薄っぺらい無味乾燥な人間関係か?」というと、わたしはそうではないと思います。

 

 

むしろ、「表面上はうまくつくろっている。けど、裏でいろいろな気持ちが渦巻いている古くからの人間関係」なんかよりも精神衛生上よいかと。

 

 

人間はこのような「相手のことをよく知らない関係性」であっても「人とかかわりを持ちたい欲求」を満たすことができるはずです。

 

 

仏教やヨガと聞くと、「一人で修行」みたいなイメージを持つ人がいらっしゃると思います。

 

 

けど、仏教の場合は「サンガ」、ヨガの場合は「アシュラム」といった具合に、多くの人が集まって修行をしたり、学んだりという場所があるのが一般的なんですよね。

 

 

人と最低限のかかわりをしながら、自分の大切なことを目指す場所

 

 

としてサンガやアシュラムは機能していたんじゃないかと思うのです。

 

 

コロナウィルスは、「人と人との距離をとる」ことを我々に突き付けています。これ、拡大解釈していえば、「濃密な人間関係から適度な距離をとること」ということはできませんかね?

 

 

人は知らず知らずにうちに、他人と近づきすぎていたんじゃないかと。



July 31, 2020 in 人間関係に関すること人間が悩むということ |

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