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2020.08.17

「無念」を引き継ぐ

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毎年、お盆の時期にはここに慰霊にいきます。

 

 

先の戦争(太平洋戦争です)で「戦争犯罪人」として裁判にかけられた人が、処刑された場所といわれています。(ここが処刑場があった場所かどうか、本当かどうかは知りません。けど、このあたりであるのは間違いないはずです。)

 

 

個人の方が立てた碑らしいですが、反対運動もあったようですね。

 

 

そのためか、碑文にはとても抽象的な言葉しか書いてありません。ましてや、「戦争犯罪人」として処刑された方のお名前もありません。公園の一区画にあるこの碑がどんな意味合いを持つのか知らない人もきっと多数かと。

 

 

ここに慰霊にいった、というだけで「何を考えているんだ!」という人もいらっしゃるかもしれませんね。それは、靖国神社の閣僚参拝があれだけの問題になっているのを見ても明らかです。

 

 

けど、私が毎年ここにいくのは「戦争処理をめぐる戦後の混乱の中で、亡くなった方の『無念』をわずかでも引き継ぎたいな」と思うからです。

 

 

なぜ、そういう思いを持つかわからないのですけどね。思えば、若い頃からの心の奥底からの発動のようなものかと。

 

 

そうそ、そこには「右翼や左翼」「軍国主義や平和主義」といったイデオロギーは存在しません。むしろ、そんなものとは対極にある世界です。

 

 

「人は亡くなるときに、何かしらの『無念』を持つんじゃないか?」と思うのです。で、それを後世に引き継いでもらえる人生は、そうでない人生よりも豊かだと思うのです。

 

 

「戦争犯罪人」という最後は、我々が想像もできないほどの「無念」だったのかと。で、そんな「無念」を引き継ぐのは、同じ国で生きる(そして、そのメリットを存分に享受してきた)人間として当然だと思うのです。

 

 

「だって、戦争を起こした人たちでしょ?」「法律に基づいて処刑された人でしょ?」など、いろいなつっこみは入ると思います。

 

 

けど、処刑されたご本人たちはこれらにこたえるすべをもちません。それこそが、最大の「無念」のはず。

 

 

わたしの知っている中での「事実」を伝えることが、わずかばかりの「無念」に応えることなのかと思うのです。

 

 

いままで、ご縁ある方にこの辺のお話をしたことがありました。今年もどこかで機会があればやりたいですね。



August 17, 2020 in 訪れた場所のこと感じたこと |

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