2015.04.07

好き、嫌い、どうでもいい

20150407_111910

万人に薄っぺらく好かれるよりも、


ある人にはめちゃ好かれ、ある人にはめちゃ嫌われるような生涯を送りたいと思うのです。


生涯を終える時に、号泣する人がいる中で、「あいつがいなくなってせいせいした」という言葉の一つでもいわれるような人生が魅力的だと思うのです。


よきにせよ、悪きにせよ存在感を残したく、「あいつがいなくなったが、どうでもいい」とはいわれたくないな、と思うのです。


ワタクシ、他人に対して「好き、嫌い」は少ない方だと思います。


けど、「どうでもいい」という人はそれなりにいます。


ワタクシが「どうでもいい人」という心持ちになるのは、自分自身で勝手につくりあげた「好き、嫌い」に他人を巻き込ませようとする人です。


「好き」は人生の華です。それがあるから、人生が輝きます。


けど、「好き」が放つエネルギーはスゴいものがあります。エネルギーの制御をしないと、自分自身が作り出した「好き」「嫌い」にコントロールされることになりかねません。


ワタクシが最近、会った人によく話をしているインドのヨガ哲学『バガヴァッドギーター』では、こんな自分を戒めます。


「ラーガ」(好き)は無限の欲求の入り口、というスタンスをとります。「好き」は、周囲をコントロールをしたくなる自分のはじまり、というスタンスをとります。


「好き」な自分を冷静にありのままみつめるのは、静寂じゃないといけませんね。忙しくなると、心がなくなる、というのはこういう意味でも大切なのかもしれません。


April 7, 2015 in 人間が悩むということ, 人間の美意識について, 人間の認知について, 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.04.05

「小学生の将棋」というたとえ

「それは小学生の将棋じゃん!」という発言をあるところで聞く。


で、やたらと耳に残る。


「小学生の将棋」というのは、戦略もなく、いきなり王手を狙うようなこと。二歩三歩先をよまず、自分のしたいようにすること。相手の出方を想定しないで動くこと。


これに対し、「有段者の将棋」とは相手の動きや出方を想定し、それに対する打ち手までが用意されている中で、今の一歩を踏み出すこと。


仕事の調子がいいとき、ワタクシたちは「有段者の将棋」を無意識にやってるんだよね、きっと。仕事の調子がいまひとつなとき、気づかないうちに「小学生の将棋」をやってるんだよね。たぶん。


仕事が「小学生の将棋」のモードに入ってしまったときに大切なのは、自分自身に対して「岡目八目」になることかと。将棋を指している自分自身につっこみをいれていくことかと。


「お前の打ち方ってどうなのよ?」だとか


「もっと先々をみて打てよあ」だとか


いれられるだけのつっこみを自分自身にいれること。それも無責任に勝手気ままに。


そうすることでものごとを見る視点が変わって、視野狭窄から抜けられるんだな、きっと。


そいや、知り合いの経営者が「自分の中には二人の人格がいて、いつも対話をしている」といっていたが、彼の頭の中はどこか「岡目八目」の世界なのかもしれないね。


昨日、とあるブログセミナーにでた人の話(ブログでブランディングをするには「100%の記事よりも、60%の記事を毎日書くのがいい」)を聞いて、いきなりブログが書きたくなりました。


まさに「小学生の将棋」みたいな話ですが(笑)ちょっと更新頻度はあげてこかな、と。ワタクシはある部分で小学生なみに単純。

April 5, 2015 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて, 尊敬する人、または師匠筋 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.26

苦悩の時には、ノウハウはまったく役にたたない

20150326_105630


「なんでこんなことが起こるの??」


かつて、仕事の人間関係をめぐる「苦悩」に直面したときがあります。


自分が見ている現実と、周囲がみている現実とのギャップにただただ驚き。意味が分かりませんでしたね。


「オレはおかしくなったか?」と思って臨床心理士のセッションを受けにもいくわけです(笑)(徹底的にやってやろうと思って結局、3年行きました)


その頃、当たり前のことに気づいたのです。


「苦難の時に、経営や人間関係のノウハウはほとんど役立たない!」(当たり前じゃん、、、ですが)と。


何の因果か31歳で創業し、経営をすることになりました。


何もわからないのでとにかくがむしゃらに経営だとか人間関係の本を読みました。その手のセミナーにもお金を使いましたし、テープやDVDの教材もとにかく買いました。


世の中は、「中小企業の社長が勉強するブーム」に溢れていた時代でした。有象無象のマーケッターやコンサルタントがキラ星のごとくでては、どんどん消えていく時代でした。


それらの方のノウハウは、場面場面では役立つこともありました。


これらがあったおかげで基礎体力みたいなものもできた感もありますし、どこか自信にもなりました。


ただ、


●人間が心底苦悩に直面したとき


●意識の力(ポジティブシンキング)なんかじゃ乗り越えられないとき


には、まったく役立たないことに実体験として気づいたのです。


考えてみれば、あたりまえ。経営のノウハウなんてのは、数百年の歴史の風雪に耐えた普遍的なものなどないですからね。


「環境」「条件」などの変数が変われば、一気に使えなくなるものばかりだし、「人間の個性」っていう大事な部分を度外視したものばかり。。。


私は「いままで役にたつ!」と思ってたものが何ら使えない状況の中で、どーしたもんか、と思っていたわけです。


そのころ、ふと思ったんです。


「一人の経営者が、与えられた環境や条件の中で、四の五の言わず、自分が直面したできごとにどのように対応していくか」


これが経営じゃねか、と思ったのです。


文章で書くと「へー」かもしれないですが、これは私にとってパラダイムの変換だったわけです。


これまでは、「自分の理想があって、そのためにどうするか?」•••それが経営だと思っていたのです。ビジョンを描いて、理想と現実の間のギャップを埋める作業が、社長の役割だと思っていたのです。


それが、「直面するできごとにどのように対応していくか?」になったわけですからね。


どこか年寄りくさいし、どこか淡白だし、どこかあっさりしてる


それまでは、がむしゃら系でしたから、これを受け入れるのはかなり大変でした(笑)


けど、「その先にこそ自分が目指す経営者像がある」がなんとなくの予感から、確信へとどんどんと変わっていったんです。


そうしたら、日本の古の伝承『古事記』やインドのヨガ哲学『バガヴァッドギーター』など数千年の歴史を持つ本がいままでとはまったく違った形で読めるようになったわけです。


これらの根底を流れている考え方と、自分の志向するものとが同じ線の上にあるような気がしたのです。


それはまるで、「お前の生き方は正しいぞ」といってくれているかの気分。「そんな経営者がいてもいいじゃないか」といわれている気がしたわけです。


これらの物語にでてくる主人公の苦難に自分を投影さえすれば、苦難は苦難じゃなくなる、と感じたわけです。


で、それを会社経営者の立場としていつかつたえていきたいな、と思ったわけです。


社長として経験した「苦悩」、そしてそこでつかんだものは、次の時代の社長の財産になるなと思ったわけです。その思いが「苦悩」を耐えているときの、自分の励みになったわけです。


あさ、ふとこんな過去のことが頭をよぎったので自己開示。ってか、久しぶりのブログ更新なのに記事が長いし(笑)


March 26, 2015 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間関係に関すること, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.06

「挑戦」なのか?それとも「愚行」なのか?

26歳で会社を辞めて長旅にでました。

20150106_201002
ラサのポタラ宮(チベット)


それが、「将来を考えない愚かな行動」だったのか、それとも「恐れを知らない若きチャレンジ精神」だったのか、いまだによくわからない自分がいるわけです。


ちょうどそれは、タロットカードの0番(愚者)のようなもの。「挑戦」と「愚行」のカード。


20150106_192124

旅にでようがでまいが、どっちの人生を選んでもよかったわけです。どうせ、我が人生を肯定し続けながら生きてきたはずですし(笑)


けど、人間は防衛するのが大好きな生き物ですから、「進むのに勇気がいる方」を選ぶことが大事なような気がするのです。


2月21日(土)『マカロンタロット』書籍出版記念イベント(講師:加藤マカロン&ラクシュミー)でそんなお話しをさせていただきます。


Squarephp
『マカロンタロット』(2011年発売)


主催のアルカノンセミナーズさんのHPはこちらから


ちなみに、わたしのバースタロットはこの「愚者」らしいです。無邪気に挑戦を続ける宿命なようですね。ありがたや。。。。

January 6, 2015 in オラクルカード&タロットカード, 人間が悩むということ, 旅をすることについて、旅をかたること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.12.03

真剣に生きようとすれば、祈りが生まれる

20141202_092826

東京都神社庁が毎月発行している格言「生命の言葉」。12月は熱田神宮宮司、神社本庁総長を務められた岡本健治(1924~1999年)さんの言葉でした。


15年ほど前のこと。長旅から帰国し、撮影した写真を現像したらびっくり。被写体が「祈ってる姿」「物を売ってる姿」の人物写真ばかりだったからです。


20141203_074447

250pxgolden_rock

百貨店で実演販売をやってる友達にその話をすると、「『物を売ってる姿』ってのは人間が誕生した頃から続く、美しい行為だからなんだよ」とわけのわからないことをいわれました。


ただ、あの時の彼の話は「まんざら嘘ではないんじゃね」と思う自分が今はいるわけです。


「祈り」「物を売る」に現れる、人間の「ひたむき」。そこに、ワタクシの何かが触れてたんでしょうね。


上の写真はミャンマーのチャイティーヨーパゴダ、3回いくとお金持ちになれるそうです。あと、1回!なんとしてでもいくつもり。


今後の予定です↓↓


12月20日(土)大阪
『日本の神様カード』使い方講座


『オラクルカード&タロットカード』出版セミナー


1月15日(木)東京
『日本の神様カード』使い方講座


1月17日(土)東京
『レッツ!タロット』著者 キャメレオン竹田さんと月刊『ムー』編集長の対談イベント(詳細決まりました!12月4日から申し込み受付)


2月7日(土)東京
『日本の神様カード』著者 大野百合子さんの神様カードワークショップ


2月8日(日)東京
『日本の神様カード』著者 大野百合子さんの言霊の力ワークショップ


2月11日(祝)東京
『ガイアオラクルカード』著者 エレマリアさんイベント(近日中詳細アップ)


2月21日(土)東京
『マカロンタロット』著者 加藤マカロンさん出版記念ワークショップ(12月中にアップ)


3月 7日(土)東京
『日本の神託カード』使い方講座(1月に詳細アップ)


お問い合わせ
TEL 03-6380-5550(平日10:00〜18:00)
info@visionary-c.com

December 3, 2014 in 人間が悩むということ, 精神的なこと, 訪れた場所のこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.11.17

絶望や苦悩の最中に読みたい本

20141117_081236


「しんどい時に読みたい本」って雑誌の特集があった。


「自分はなにかなあ・・・」と考えた時に、この本がよぎったので再読。


アウシュビッツの強制収容所に収容されたある心理学者(フランクル博士)の体験記録。絶望、恐怖、飢餓、望郷の思い・・・先が全く見えない中で生ききった叡智は、苦悩や絶望に向かっていく勇気を与えてくれます。


読んでいて苦しくなるような記述が多いこの本、最初から読まずにいきなり「8章 絶望との闘い」(P177〜P192)だけ読むだけでも価値あり。


「具体的な運命が人間にある苦悩を課する限り、人間はこの苦悩の中にも一つの課題、しかもやはり一回的な運命をみなければならないのである」(P184)


「できごとには意味がある」とはよくいわれるけど、これ以上ない絶望的な苦悩を経験した著者以上に含蓄のある「意味がある」を口にできる人はそうそういないな、と。とにもかくにも骨太の本、いつかこの本で勉強会したいなあ。

November 17, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の認知について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.08.17

究極の悩み、これ以上ない葛藤にどう向き合うか

1

「自分の親族と命をかけて戦わないといけない・・・」そんなギリギリの局面に人間はいかにして向き合うか?


2,000年前に書かれたインドのヨガ哲学『バガヴァッドギーター』はそんな舞台設定からはじまります。


18章、700の詩編で構成されるこの経典を解説した本を今年のお盆で読みました。

2

2段組みで400ページあまり、ちと骨が折れました。著者は元科学者のヨガ出家修行者です。


3年ほど前からでしょうか、「ギーターのスゴさを広めたい!」と思うようになりました。で、1年かけてカード(『バガヴァッドギーターカード』)を創りました。


で、週に一度、ギーターを習いにいくようになりました。何年間も通っていたスポーツクラブのレッスン、それも「水曜日の黄金枠」を蹴ってまでいくのですから、それはそれはスゴいことです(笑)


ギーターは「神の詩」と呼ばれ、立派な宗教書です。宗教っぽい表現もたくさん出てきます。だから、アレルギーがある方には無理だと思います。


それでも「今、好きな本はギーターだ」と隠さず人にいわずにはいられない心情。この叡智を広めたいと思わずにはいられない感覚・・・うーん、何なんでしょうかね、この内発的な衝動は。。。。


あまり、「ギーターはスゴい!スゴい!」といっていると、なんとなく友達が少なくなりそうなので控えますが(笑)

August 17, 2014 in 人間が悩むということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.05.26

「不幸な自分」と遊ばない

1

映画『晴天の霹靂』(5月24日公開)


自分の中にいる「不幸な自分」


「もっと生まれた環境がよければ、もっとマシな人生を歩けたのに」、だとか・・・


「もっと身体が強ければ、精力的に活動できたのに」、だとか・・・


「もっと学ぶ環境にあれば、苦労しなくてすんだのに」、だとか。


「不幸な自分」ってのは、(何らかの意図の基に)自分が造り出しているんじゃないでしょうかね?


「不幸な自分」と遊ぶのは、「できごとがうまく行かなくてもしょうがない自分」、「努力しなくてもいい自分」を無意識のうちに創っちゃうということ。


マンガ『ドラえもん』に出てくる勉強もスポーツもダメな主人公「のび太」。


彼が自分の出生した頃にタイムトラベルして、「どれだけ親から期待されて生まれてきたか?」を知ってから一生懸命に勉強するシーンがあります。


たぶんこのシーンって、「『不幸な自分』と遊ぶスイッチがオフになった瞬間なんじゃないのかな」とこの映画を観て思いました。


「不幸な自分」と遊ぶも遊ばないも、自らの選択のうちにあるということなのでしょう。


我々はかくも崇高なテーマ、を子供の頃みていたマンガで突きつけられていたのかもしれません。

May 26, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の認知について, 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.04.10

この怒りって感情はワタシの怒り??

1

『恐怖なしに生きる』クリシュナムルティ


「なんでこんなこと言われなといけないの?」


誰かに口にされて怒りを覚えることって、誰でもあると思うのです。


けど、その「怒り」って感情をよーく見つめてみると、実は「ワタシの怒り」ではなくて「相手(口にした人間)の怒り」だったりすることってあると思うのです。


自分と他人との同一化


とかく、今の時代は「つながる」が一つのキーワードですから、他人と自分とがごちゃごちゃになりがち。


言葉のやりとりをしているうちに、「相手の怒り」が言葉と言霊を通じて自分に入ってきて、いつのまにか「ワタシの怒り」みたいに感じてしまうわけです。


だから、「他人の怒りを引き受けて怒ることでしんどくなる」なんてことが起きてくるわけです。


怒りを覚えたら、その感情を徹底的に観ること。「その怒りの主体は誰なのか?」を観察すること。


そうすることで、自分と他人との境界がひかれ、「他人の怒りを引き受けない」なーんて心の平安がもたらされることでしょう。


人間、エネルギーは有限。


他の人の怒りを引き受けてエネルギーを消費するのはもったいない、です。


インドの宗教的哲学者クリシュナムルティは、「感情を観察すること」の大切さを教えてくれます。


人は、自分の感情を観察するするよりも感情に任せて動いた方がラクチン。だから、自分の感情のみならず、他人の感情までを引き受けてアクションに精を出そうとするのでしょう。


感情が揺れた時に自分の心を観察できる冷静さが、叡智というものなのでしょう。

April 10, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の認知について, 人間関係に関すること, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.02.20

恐いものの恐さを知ること

Takuan

「恐いものの恐さを知ること、それが本当の勇気」


無鉄砲で、暴れん坊だった若き日の剣豪・宮本武蔵にあるお坊さん(沢庵和尚)が口にした言葉です(だいぶ私の言葉になっています)。


武蔵はそこから蔵にこもって読書を3年し、人格を磨いていく・・・


吉川英治さんの描く『宮本武蔵』、前半の一つの山場です。


「恐怖心」


凡そ、フツーに生活をしている人でこれと無縁な人はいないわけです。


お金があればあるで、社会的な立場があればあるで、仕事のスキルがあればあるで、子供が健全に育っていればいるで・・・


これと付き合っていかないといけないのはたぶん人類全体のカルマなんでしょう。


昨日はワークショップでした。2ヶ月に一度、経営者が10人ちょっと集まる会合で、早いもので参加してから丸4年が経ちました。


テーマは一切なくて、それぞれが話をしたいことを勝手に話すところから会は進展していきます。


将来の事業への不安、家族や社内の問題、事業継承の悩み、新規事業への迷い、「ありたい自分」と「現実の自分」とのギャップの葛藤・・・


自分らが「問題」として人に相談したくなることの多く(ってかほとんど)は、この「恐怖心」って問題にいきつきますね。4年間でたくさんのケースを見聞きできました。


自分たちは、全力をあげて恐怖から逃げようとします。


「今はこれに取り組む時期じゃない」だとかいってマインドをフルに駆使したり、


「オレはゼンゼン恐怖んなんかないぜ」と感情のスイッチをオフにしたり、


やたらと周囲に対して攻撃的になったり、


恐怖を感じないようにバタバタと忙しく新しい行動をしてみたり・・・


ホントに人は狡猾に自分を騙す(笑)


沢庵和尚の言うように、恐いものを恐いものの姿のまま、過大評価も過小評価もせずに見つめること


これがやりきれると、できごとそのものが姿を変えてしまうことがあるんですね。そんなケースもいくつも見させてもらいました。


「恐いものの恐さを形のままに知る」


ここは「一人一人が自分でなんとかする」のではなく、信頼できる師匠や仲間、家族との相互依存(いい意味での依存です)の中で向き合っていくことが必要なんでしょう。


寺子屋、青年団、サークル・・・形はなんでもいいと思います。


「恐いもの」を必要以上に大きく見せるための情報がたくさんある時代は、こうでもして自分を守っていかないとやられちゃいますからね。


ってか、自分がそんなサークルでもつくるかな。

February 20, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.24

「ポジティブシンキング」と「生きる力」と

「ポジティブシンキングになれない」


「ポジティブシンキングになりなさい」


なんて、人が悩んでるシーンなどで普通に使われてますね。


けど、生きていればポジティブになんかなれない時があるわけです。


「どう考えてもポジティブなスイッチが入る気力が起きない」なんてことはフツーにあるわけです。


「ワタシはそんなことが人生で起きたことがない!」なんて人はたぶんどこかにフタをした生き方をしているはずなんです(いつか自我の逆襲がやってくる・・・はず)。


でも、そんなしんどい時期にも「よいこと」と「新しいこと」は日々おきているのであって・・・


元気がない時は、これら「よいこと」と「新しいこと」を丹念に集めていくしかないと思うわけです。


「よいこと」と「新しいこと」は、数が集まって、時間の経過で熟成されるうちに、調子のよい自分への呼び水になるわけです。


「今日一日、『よいこと』も『新しいこと』もなかったな」


なんて夜があれば、近くのコンビニでいままで買ったことのない商品でも買えばいいんです。


たとえ、それが10円のガム一つであっても「新しいこと」が一つできて一日を終えることができるわけです。


そう考えると、暗闇のどん底で周囲が敵にばかり見えてくるような日でも、どこかに必ず「よいこと」と「新しいこと」はあるはず。


こういう確信は、「ポジティブシンキング」の世界感ではなくて、「生きる力」って世界観の範疇だと思うわけです。


「ポジティブシンキング」が蔓延して、人間の「生きる力」に焦点が集まっていない


なんてことはないでしょうかね?


ポジティブシンキングになんかなれなくても、人間は「生きる力」を発動できる生き物なんです。


悩んだら「生きる力」を発動させればいいんです。


いうほど簡単じゃないとは思うけど、「ポジティブシンキング」なんかを目指してたら時に「悩みの泥沼」から抜けられなくなると思ったりします。

January 24, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.11

「なりたい自分」ってのは自分でつくることができるのか?

仕事をしていると、周囲の人に期待をされるわけです。


資料制作をお願いされたり、交渉ごとを頼まれたり、アイデァ出しをお願いされたり・・・


その期待に答えると、次の期待がやってくるわけです。


で、その期待に答えると、また次の期待がやってくるわけです。


この循環を繰り返していくうちに、人は自分が思いもよらなかった世界を生きていることに気がつくわけです。


「へえ、自分はこんなところにたどりついてしまったな」


そんな世界観だと思うのです。


自分が意図している通りに周囲が自分に期待をしてくれるのが、人間としてのベストな生き様だと思います。


例えば、「建築家で食べていきたい」という人が、建設会社から設計の依頼(=周囲からの期待)がガンガン入る、という感じですね。


けど、多くの場合はそうはいかないわけです。


人間が自由自在に生きていくために必要なのは、「自分がしたいこと」を念頭には置きつつも、「周囲から期待されること」をこなしていくことが大事だと思うのです。


「なりたい自分」ってのは自分自身が作り出すのではなく、「周囲の人間の期待」が作り出す世界なんじゃないかと思いますよ。


「なりたい自分」に固執するな、なんていうと反発抱く人はいると思いますが、「なりたい自分」にこだわるばかりに可能性を見逃している人もいっぱい見てきたのでね。


周囲に期待をされる人としての素養と、期待に応えるだけの力を持っている自分でありさえすれば、人生は勝手に開けていくものじゃないでしょうかね。


どこに開けていくかは分からないって世界観・・・


「なりたい自分」を自分で定めるより、おもしろい生き方だと思いますけどね。


昨日は賞与で皆の前でこのような話をしました。いくらかでも伝わったかな??

December 11, 2013 in 人間が悩むということ, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.10

自分がつくった組織に苦しめられる

1


アップルの創業者・ジョブスの人生が映画になりました。


類いまれなきこだわりでアップルを一代で伝説の企業にするのですが、一時期は自分がつくった会社から追放されてしまいます。


まさに、「自分がつくった組織に苦しめられ」たわけです。

でも、これってそんなにめずらしいことじゃない気がするんです。


自分がつくった組織に苦しめられる、自分が生んだ子供に苦しめられる、自分が選んだパートナーに苦しめられる、自分が教えた生徒に苦しめられる・・・


場面場面は変われど、よく見聞きすることかなと。


ジョブスほどの人であってもこういうことが起こるわけです。


我が日本でも明治維新期の大人物・西郷隆盛だって自分が手がけた明治政府に苦しめられた事実があるわけです。


たぶん、人類が誕生したころよりこんなことを繰り返してきてるんですよ、人間は。


「自分が・・・」ってところの「が」(我)が存在するから、そこに固着がうまれる。そして、固着したものをコントロールしたい欲求がもたげてくる。


けど、世の中に存在するものはコントロールできるものの方が少ないから、結果的にコントロールできなくて機能不全を果たす。で、さまざまな障害、軋轢を生み出していく・・・。


ってことなんでしょうかね。


人間は使命を天から与えられている、と考えれば「自分が・・・」の「が」は 本来はいらないはず。


ただ、自分らは使命が与えられているということに絶対的な信頼を置くことができにくいから、「が」(我)を持つことでなんとか自分自身を守ろうとするわけです。


この辺は生き方の選択の問題ですから、「自分が」を持とうと持たまいと個人的にはどっちゃでもいいと思うのです。


けど、「自分が・・・」の「が」ってのは時に物事を生み出すエネルギーになりますが、ときに激しい固着を生み出すので要注意だと思います。


自分がつくった会社、自分が手がけてきた仕事、自分がつくってきた組織、自分がつくってきた歴史・・・


凡人には、「が」が頭をもたげそうなことばかりだ(笑)


これらが、天から与えられたものだと考えると、ことほどさように「自分が・・」を主張する根拠はないのでしょうけどね。


ジョブスは禅の本を読んでいたといいますが、生きる中で、経営する中でこの辺にぶちあたったんじゃないかな、と勝手に想像しています。


じゃなきゃ、禅の本なんか手に取らないだろうしね。性格的に友達にはなれそうもないけど(笑)この辺のセンスはいいですね。めちゃ上から目線ですが。。

December 10, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて, 経営をするということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.26

「いいこと」と「わるいこと」と

マーフィーの法則を出すまでもなく、「わるいこと」ってのは起きる時は続けて起こるもの。


不可思議ですね。


「わるいこと数珠つなぎの法則」(?)みたいなのがあるんでしょうかね?


自分の運のなさをなげいたり、順境に見える人をうらやんだり、「自分がやってきた行為(カルマ)の清算じゃないか」だとか意味づけをしようとしたり・・・


暗闇のジェットコースターに真っ逆さまに落ちるような経験をすると、人はそれぞれの生育歴や思考パターンによって自分の気持ちと向き合うようです。


いずれにしても、ここは人間が「思議する可からず(不可思議)」の領域なので、人間が思案してもどうにもならないこと。大いなる存在の領域に手をだしても、苦悩は続くだけでしょう。


ただただ、自分ら人間ができることは、マインドセットを見直すこと。


「いいこと」、「悪いこと」ってのは人間のマインドが織りなした世界観だから、このマインドセットを見つめること。


自分はこの「できごと」を「わるいこと」って思ってるけど、本当??


と問いかけること。


そもそも、できごとは「できごと」として存在しているだけ。そこに付着した人間の解釈が自分自身を苦しめるだけ。


人間は「できごと」に一定の解釈を与えることでコントロール下に置けるようになるらしいです。それが場面によっては生きやすさ、生きる喜びにもなる。


けど、時と場合によってはその解釈によって苦しめられるってわけだからおもろいものですね。


「できごと」に対して「いいこと」、「わるいこと」と解釈しない心の強さを。

November 26, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.22

答えは空の上

Yjimage

「私は どこかで 間違えたかしら 今は分からない 答えは空の上」


1週間ほど前。目覚めると、YUKIの『PRISM』の一節がどこからか聞こえてきた。


外から聞こえてきたというより、自分の中から聴こえてきたって感じ。かっこ良くいえば、どこからか降ってきた感じ。


この詩の背景には、JUDY AND MARYを解散しソロで独り立ちした不安や迷いだとかがあると思うのですね。


一世を風靡して、まだまだ勢いのある時での解散だったから、さぞかし悩んだでしょう。決断するには、すごい覚悟をしたことでしょう。


で、決断をしても「私は どこかで 間違えたかしら?」と逡巡することもままあったことでしょう。あんな才能ある人ですら、否、才能ある人だからこそ、悩んだことでしょう。


この詩にはそんな思いが込められていると思うのです。


「解散は正しかったか?」、「解散して損をしたんじゃないか?」、「解散して後悔するんじゃないか?」・・・


さて、一般的に自分の決断に対して「答え」を求めることが、自分らの迷いや不安を増殖させるらしいですね。


いうは易いですが、「答えは空の上」と言い切れれば悩みや不安からも解放されていくのでしょう。


それは、現実逃避ではなく、人間がコントロールできないことに頭を使わない、という叡智なのだと思います。


それにしてもギリギリの状態からつむぎだされた言葉ってのは、聞く人の心に突き刺さりますね。


この間、日本ではじめてカードとしての商品化したインドの叙情詩『バガヴァッドギーター』は、戦場で親族と戦わなくてはならない状況から話がスタートします。(『バガヴァッドギーターカード』向井田みお著)


で、主人公が「戦いたくない」といってダダをこねる。いってみれば、究極の悩み、究極の葛藤におかれた状況が舞台設定。


ここまでの究極のギリギリの状況の中で、人が自分をコントロールするすべが物語になっているのですから驚きです。ここまでの厳しい状況でも人間はなんとかやっていけるんだ、と人間の偉大さを思わずにいられません。


それにしても、なぜこの時期にYUKIの一節が聴こえてきたんでしょうかね?まったく不思議。。。


「答えは 空の上」なんでしょうが、気になります(笑)

November 22, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.19

昼飯はカレーかラーメンか(別題:覚悟が決まったあとには)

26歳で2年と11ヶ月勤めた会社を辞め、旅にでました。


そんな過去があるものですから、「会社を辞めて旅にでることに迷いはなかったですか?」と聞かれることがあります。


そんなときは決まって、「昼飯にラーメンを食べるかカレーを食べるかの違いくらいしかないと思った」と口にしてきました。


けど、人間の記憶ってのはいい加減なもの。我々のエピソード記憶は日々刻々、自分の都合のいいように書き換えられています。


「より美しく」だったり、「より悲惨に」だったり、「よりヒロイスティック」だったり・・・・


個々人によって書き換えられたエピソード記憶をもとに、記憶は再構成されていきます。


で、エピソード(できごと)そのものと記憶との間に乖離ができていく。


こないだ、あることがあってそんなことをぼけーっと考えた時に、「俺って本当は軽い気持ちで旅にいったんじゃねえな?」という思いがふともたげてきたわけです。


「いったい、26歳の俺はどんな気持ちで会社を辞めたんだろう?」と身体に聞いてみたんです。


そうしたら新たな発見が・・・


26歳の自分は、会社を辞めるのに相応の覚悟をしたわけです。貯金無し、借金ありって生活になることを覚悟したわけです。


帰国しても仕事が見つからないかもしれないって現実を覚悟したわけです。仕事が見つかったとしても、いままでの待遇から大きくへこむ可能性を覚悟したわけです。


・ ・・ん?


「昼飯をカレーかラーメンにするか」なんて軽い気持ちで当時の自分が会社を辞めて旅にでたわけじゃねえぞ、と気づいたわけです(笑)


あの頃の自分は、相応な覚悟をして自分は会社を辞めて旅にでたわけです。


いまの自分から見れば、「そんなのカレーかラーメンか、って程度の話じゃん」と思うのですが・・・旅に出たという記憶がどんどんと上書きされていって、「当時の自分がそう思っていた」と脳が誤解(?)していたんですね、たぶん。


・ ・・さて、今現在、なにかの問題を抱えているとします。


その問題を解決するには、相応の覚悟が必要だとします。覚悟には「大きな変化」だとか「大きな手放し」が問題に内在されているでしょうから、すぐには決断は出せないでしょう。


こんな時は、覚悟が決まるまでマインドをフルに働かせて「あーだ、こーだ」と悩むのがいいと思います。人間は悩みたい生き物、ですしね。


特にM気質の人は悩んで自分を痛めるのが大好きなようですし(笑)悩んだプロセスが人間の根っこや存在感をつくるのは、どうやら間違いがない。


が、覚悟が決まって決断ができたら、それは時間の経過のうちに「カレーかラーメンか」的な話になっていくんじゃないでしょうかね?


それは、覚悟を伴う決断をした人に与えられる祝福のようなもの。レイヤーがあがるというか、問題から距離を置けるというか・・・


受験だ、就職だ、結婚だ・・・


大きな覚悟に直面する20代の人と比べて、自分ら40代ってのはこと「覚悟」ってことに関しては、案外と安穏としてるんじゃないでしょうかね。


ってか、きっとそうですね。


ということで、今日からブログ再開します。

November 19, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 旅をすることについて、旅をかたること | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.09.06

大海の一滴の水、というとらえかた

1

自分をなにほどのものであると考えることは、神と自分自身とのあいだに障壁を築くことです。これにたいして、自分がなにほどのものであるとの考えをやめることは、神と一体化することです。


大海の一滴の水は、自ら意識することはありませんが、母体の広大さに関与しているのです。ところが、一滴の水が、大海を離れて存在を主張しはじめると、たちまちに蒸発してしまいます。


地上の生命は泡沫にすぎないと言ったとしても、それはけっして誇張ではありません。(『ガンディー 獄中からの手紙』P82)


インド独立の父、ガンディーの獄中書簡の一節です。今度、インドの叙情詩『バガヴァッドギーター』に関連する商品をリリースするので読んでみました。


人間を「大海の一滴の水」と例えるこの感覚、自分は好きですね。


「大海の一滴の水」ごとき存在である人間が、「ものごとがうまくいかない」だとか「あの人がきらいだ」だとかやっているのがこの社会。


「自分がなにほどのものである」というスタンスに必要以上に立つから、問題や不安や葛藤が生まれるのでしょう。


たしかに、「自分がなにほどのものである」と意識し、そのために自己を武装し、自分のコントロール下に置かないと生き難い時代感だとは思います。


けど、ときに「自分がなにほどのもである」から離れ、大海の一滴の水になったごときスタンスでいきていくことも大事だと思うのです。


一人の人間は世界の中心ではなく、端の端、そのまた端に小さく座しているような存在なのでしょうしね。

September 6, 2013 in 人間が悩むということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.09.02

なくしたエネルギーはなくしたところで取り戻す

1

「友達は限りなく少なく」


というのは自分の師匠筋。


人は人間関係の中で大量のエネルギーを消費するから、という考えは分からないでもない。仕事に向けるエネルギーが人間関係で消耗している、なんてことはよくあることだしね。


けど一方で、人は人間関係の中でエネルギーが満たされる、という側面も持っている。


仲のいい友達と酒を飲んでバカ話するだけで元気になる、ってのはエネルギーが解放されると同時に、新しく満たされるから。


人間関係の中で消耗したエネルギーは、人間関係の中で取り戻すのがたぶんベストなんです。なくしてものは、なくした場所でとりもどすのがベストなんです。


一般的に人は人間関係に疲れると周囲との接触を断ちたがるようだけど、それは本当はナンセンスなんですよね。


週末は、ニュージーランドからのお客様(?)との飲み会に、中華での会食(&アフター)でした。毎週のことですが、よく飲んだ。


今週もきばっていきましょう!

September 2, 2013 in 人間が悩むということ, 人間関係に関すること, 感じたこと | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.08.27

生みの苦しみ

ビジネスには「生みの苦しみ」を味わうときがあります。


そこは「うーん、うーん」とうなっているのが苦しいのではなくて、打つ打ち手が思うように成果に結びつかないから苦しいって世界観。うんうん唸っているだけなら、誰でもできるし。


打ち手がいつか花開くって確信を、信念にまで高めるのがリーダーの仕事。


この打ち手ってのは、どうも精神の自由度に比例して増えていくらしい。


人と会う余裕がある、遊びをにいける余裕がある、人の話を聞き入れる余裕がある・・・それらが打ち手の多様性をもたらすらしい。


生みの苦しみを味わっているとき、人は「生みの苦しみから脱出して、いい流れに乗っている人」をうらやんでしまいがちなもの。


けど、よーく考えるとそんな人だって人生のどこかの局面で生みの苦しみを味わっていた可能性があるということ。


あとは、「いい流れに乗っている人」というのも果たして事実かどうかわからないということ。


外的な世界は人間の心の投影だから、この手の話はよくあること。


旅をしていた頃、社会人として活躍する同年代の仲間がすんごくいい仕事をしているように見えた。


でも、それは今思えば「見えた」ってだけであって、現実ではなかったのよね。きっと。


20代後半の自分は無職。まさに、「生みの苦しみ」の渦中でした。


おそらく、自分に見える世界に翻弄されない勇気も「生みの苦しみ」の時期には必要なのでしょう。

August 27, 2013 in 人間が悩むということ, 仕事のことについて, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.26

人間、自分のことばかり考えると悩みが増幅されるようで

悩みに毒されると、自分のことばかりに目が向きますね。


で、自分のことばかりに目がむくから視野が狭くなる。レイヤーが低くなる。


問題ってのは、「今の視野、レイヤーでは解決できないよ」って啓示のようなものでしょうから、視野狭窄と低位レイヤーのままでは何ともいかんわけで。


で、マインド(思考)でどうにかしようとする。


でも、思考ってのは自己防衛をはじめとするエゴに満ち満ちているわけだから、なんとかならないわけで。


こういうときは、たぶん「自分を忙しくさせること」と「他人のために何かを尽くすこと」が大事なのでしょう。


自分の調子がいい時にはこの手のことは簡単に口にできる。けど、自分の調子が悪いときにも、この手のことを体現できる一個人でありたいですね。


と考えると、問題ってのは「お前の信念や考え方ってのはどの程度の覚悟を持っていってるの?」という問いかけでもあるような気がするのです。


今週もきばっていきましょう!


水曜日は2ヶ月に一度の師匠筋の講座があって、週末はニュージーランドから友達が帰国して、あとは会食が2件。ジムは今週もほどほど。あとは、半沢直樹のDVD観ます。

August 26, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.13

さて、ブログを復活します

自分自身への自信ってどのくらいあります?


自分は、それなりにあると思ってます。まあ、思い込みであっても自信がないと会社の経営などはやってられないわけですし。


けど、その自信がふらつくときがあります。


「なにが」というわけではないのだけど、自信がふらつく。


で、そんなときに意志の力で「自信を持て」なんてやっても、心と身体はアンビバレントな状態になるので、どうもうまくいかないわけです。


そんな時はだまって月日の経つのを待つ・・・エネルギーが復活し、自分の自信がむくむくともたげてくるのを黙って待つ。


「最近、ブログ更新してないじゃん」ってことのお返事はこんな感じで(笑)


エネルギーがみなぎってくるに伴い、いろんな思いがふつふつと頭をもたげてきました。


あえてキーワードでいうと「覚悟を決める」「思い切りのよさをもつ」「誤解を恐れない」。


けっきょくのところ、自分自身が我がの手で自信をなくすようなことをしていただけなのだと(笑)


どこかで守りにはいって、どこかで自分でつくった箱に入り込んで、勝手に窮屈さを感じていただけの話だということ。自在に開けた世界への窓に対して、自分が拮抗しようとしていなかったということ。


そりゃ、自信などなくなるわな。。。。


ここ最近、「雰囲気が変わった」と何人もの方にいわれました。見た目のことはよくわからないのですが、たぶん何か変わりました。


「オレは変わった」というのはたいがいが人間のエゴだ、ということを頭におきつつ、偉そうに語らせていただきます(笑)

August 13, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて | | Comments (4) | TrackBack (0)

2013.06.05

将来への不安への対処法

「仕事が決まらず、将来が不安だ」


と20代後半の方から相談を受けました。


正社員希望なのですが、なかなか働き口がなくて現在はアルバイトで生計をたてているようです。


自分も20代後半は無職(旅をしていたので「夢職」かな?)だったので、漠然とした将来への不安はなんとなくわかるつもり。


いまも閉塞感はあるでしょうが、自分が働いていなかった頃も山一証券や北海道拓殖銀行の破綻があって、「すわっ、大変だ」って時代感がありましたからね。(ちなみに私当、この頃ラーメン屋のアルバイト面接で落とされた過去があります 笑)


当時の自分は、「不安だけど、ポジティブにいこう」と思って現実を打開しようとしていたんですね。「将来何が起こるかなんて分からないことを悩んでいてもしょうがない」って自分を鼓舞するようなやりかたですね。


が、人間ってのは常に思考よりも身体が優性な生き物ですから、「思考で不安を押さえようとすればするほど、身体が感じる不安がつのる」ということがおきてくるわけです。


で、さらに不安がつのるというスパイラルを描いていくわけです。


このメカニズムに気がつかないと、神経症へとまっしぐらになる危険性もあるわけです。


「じゃあ、どうすんの?」という話なのですが、恐らく不安な時は不安をそのまま感じきるのがベストだと思うのです。


人によっては、みぞおちがつまるような感覚や、胸のあたりが波打つような感じを覚えるかもしれませんが、これをひたすら感じきる。


逃げずに感じきる、それがたぶんベストなのです。


で、このときのポイントは「思考を働かせない」ということ。


自分らの思考ってのは、言語をベースに組み立てられます。その、言語ってのは人それぞれが勝手きままに解釈をしています。


「言葉は客観にして中立」みたいなイメージがありますが(辞書、なんてものも存在しますしね)実はきわめて個性的、属人的な世界のものです。


例えば、「仕事」という言葉。


ひとそれぞれが触れて来た情報や教育、親の仕事をする姿や実際の就職活動、仕事をしてきた経験の中でこの言葉に意味を付与してきているのです。


そこには、誰1人として同じ意味付けはなされていないのです。自分の口にする「仕事」と、このブログを読んでいただいている方の「仕事」は確実に違うはずなのです。


と考えると、「言葉をつかって思考を巡らす」ということは、自分自身が言葉に付随させてきた解釈や認知をも自然のうちにとりこむことになります。


で、これらこそが不安の種である場合が多かったりするようです。


たいがい不安に教われている人ってのは「将来が○○になるに違いない」だとか「あの人は○○と思うに違いない」とか勝手な解釈で袋小路に陥ってるだけですからね。


「思考(言葉)を介在させないで、自分の不安と向き合う」


今回、相談いただいた彼にはややこしくなるのでこの手の話はしていないのですが、こうしたアンビバレントな世界の先に「不安への対応」ってのはあるのだと思います。


まあでも、これをできれば禅でいうところの「さとり」の境地なんだろうけどね。けど、生きていく中でこうした境地にはちょっとでも近づいてはいきたいものです。

June 5, 2013 in 人間が悩むということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.16

悩むことの豊かさ

1

「問題と解決とはワンセット」


おそらく、多くの働く人はそう思っています。だから、仕事で問題が発生すると「解決」というスイッチが入ります。


で、その「解決」の能力が高い人は一般的には「できる人」と言われます。


でも、「世の中にはすぐに解決できない問題」があるって現実もあります。問題解決って思考を刷り込まれた自分らは、その手の問題を前にしても「解決」ってスイッチを無意識にいれてしまいがち。


で、そこから無力感やら不全感が生まれたりします。


こういう時は、たぶんなのですが「問題を抱えている私」を存分に味わうのがベストなのです。それはそれは、いやーな感覚なのでしょうが。


でも不思議なことなのですが、きちっといやーな感覚を味わっていると問題そのものの見え方が変わったりします。で、時に自然と解決してしまったりします。


この本は、北海道にある「べてるの家」という精神障害などを抱えた方の活動拠点について書かれた本です。


「治療しない」「管理をしない」「弱さを認め合う」「話し合う」「ぶつかりあう」という中で、それぞれが自分の生き方を見出していくらしいですね。


「私たちは、生活を便利にしたり豊かにしたり、自分にないものを身につけたりいろいろ努力しているが、そういうこととは無関係に、生きることに悩みあげくという力が与えられている。


そういうことを忘れている。生きる苦労とか生きる大変さをすべてとりさって、軽くなって楽に生きたい、そういう潔癖願望が病気のように蔓延しているように思います。」(P140)


ケースワーカーの方がこう語っていたのが印象的でした。


目先の問題を安易に解決せず、深く深くほりさげる


それは、「なぜなんだろう?」「どうしてなんだろう?」という自分自身への問いかけに身体や心が揺さぶられる世界のはじまり。


そのプロセスで問題を違った観点からみられるようになったり、普段は自己開示しない人があまりのつらさに周囲に相談するようになったり、「これは受け止めるしかないだろうな」と諦めの心境になったり•••


そこから「肚に落ちる」って感覚や、「問題が問題でなくなって」って意識がうまれたりすることがあるわけです。


自分らはこの「揺さぶられた状態」ってのが嫌いな生き物。脳みその絶対使命は「私の安定、私の安全」ですからしょうがありません。


だから、極端な話だと「問題解決って形をとった現実逃避」に走ったりするわけです。「問題解決する私」でいることで、「揺さぶられた状態」から逃げようとするわけです。


「揺さぶられた自分」ってのを持てるってのは、たぶんその人間が持つ本質的な力なんです。そこは、渦中にいるとしんどいですが、あとからみると豊穣な時間であることに気がつくといった世界観なのでしょう。

May 16, 2013 in 人間が悩むということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.02

考えるに固執しない(または、「明日から休みです」)

「うむむ困ったなあ」


と考える。がなかなかいい考えがでてこない。


そんな時に、たまたま聞いた話や本の一節、映画のワンシーンなどで「おっ、そうか」と思う瞬間ってありますよね。


自分の場合ですが、この瞬間を迎えただけで問題解決が一気に向かうこともあります。人間、頭で考えたことは脆いですが、肚に落ちたことは強いということでしょうかね。


いやや、逆にいうと考えるという作業はこの瞬間を迎えるための呼び水ともいえるのではないでしょうかね?考えるというプロセスを経るから「おっ」という瞬間がやってくる。


たぶん、人間にとって考えるって作業は本来はしんどいものです。


けど、人間は目の前の問題を解決するように条件づけられていますから(昔の人は問題解決って思考はなかったと思いますよ)考えるという手段をつかって何とか現実を動かしたり、クリアーをしようとするのです。


でも、思考ってのは脳の分泌液のようなものです。


だから、特別な訓練をしてない限り考えれば考えるほどどーでもいいことを考えるものです。それは、エネルギーを摩耗させることにつながったりもします。


で、エネルギーの枯渇は更なるどーでもいい思考を生み出します。


だから、考えるのは大事だけど、一生懸命に考えたらあとはそこから離れるという知恵が大事になってくるわけです。


他人の「考えすぎ」はよくわかるけど、自分自身の「考えすぎ」はよくわからない


かくいう自分もたまにこの手のスイッチが入るようです。


そんな時は、「考えすぎじゃない?」と周囲からからいわれたその言葉すらも考えてしまうというループを描きます(笑)


まさに脳の分泌過剰、腸や胃で起きていたら病院ものですね。


どんなに運動しようと、どんなに芸術や学びからエネルギーを摂取しようと、ありそうでないのは40、50代男性のエネルギーなのです。


専門家でないのでわかりませんが、湯水のごとくエネルギーが湧き出てきた20代、30代とエネルギーの構造そのものが違うんだと思います。だから、資源エネルギーのみならず、自己エネルギーもぜひ大事に使いたいものですね。


ということで、明日からの連休(否、今日の夜から)は一切の思考を飛ばします(笑)


それぞれでご一緒するみなさん、よろしく!明日は9:30から某所に並びます。

May 2, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の認知について | | Comments (0) | TrackBack (0)