2015.04.07

好き、嫌い、どうでもいい

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万人に薄っぺらく好かれるよりも、


ある人にはめちゃ好かれ、ある人にはめちゃ嫌われるような生涯を送りたいと思うのです。


生涯を終える時に、号泣する人がいる中で、「あいつがいなくなってせいせいした」という言葉の一つでもいわれるような人生が魅力的だと思うのです。


よきにせよ、悪きにせよ存在感を残したく、「あいつがいなくなったが、どうでもいい」とはいわれたくないな、と思うのです。


ワタクシ、他人に対して「好き、嫌い」は少ない方だと思います。


けど、「どうでもいい」という人はそれなりにいます。


ワタクシが「どうでもいい人」という心持ちになるのは、自分自身で勝手につくりあげた「好き、嫌い」に他人を巻き込ませようとする人です。


「好き」は人生の華です。それがあるから、人生が輝きます。


けど、「好き」が放つエネルギーはスゴいものがあります。エネルギーの制御をしないと、自分自身が作り出した「好き」「嫌い」にコントロールされることになりかねません。


ワタクシが最近、会った人によく話をしているインドのヨガ哲学『バガヴァッドギーター』では、こんな自分を戒めます。


「ラーガ」(好き)は無限の欲求の入り口、というスタンスをとります。「好き」は、周囲をコントロールをしたくなる自分のはじまり、というスタンスをとります。


「好き」な自分を冷静にありのままみつめるのは、静寂じゃないといけませんね。忙しくなると、心がなくなる、というのはこういう意味でも大切なのかもしれません。


April 7, 2015 in 人間が悩むということ, 人間の美意識について, 人間の認知について, 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.16

ネガティブな同調圧力に自己の主張を

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「自分の意見を主張すること」


集団社会の中では、こんなささいな行いが難しいことがあります。


反対意見の人から嫌われたり、集団社会から仲間はずれにあったりするからです。


どんな些細な流れでも、河の流れに抗うのは大変。逆に、どんなちょろちょろとした流れでも、河の流れに乗るのはラクチンなものです。


「周囲からの同調圧力に与(くみ)する」


だから、この選択肢をとるだけで人はラクチンになります。少なくとも、嫌われたり、孤独になったりすることから自分自身を防衛できますからね。


けど、ワタクシは「あの人イヤだよね?」とか「あの人困るよね?」的なネガティブな同調圧力だけはどうしてもキライなんです。


だって、それって誰でもが心の中に持つネガティブな部分に意図的に火を注ぐような行為だし、バーチャルな共闘意識をつくろうとする行為だからね。


自分と他者とがきちんとセパレートできてれば、「どこからがどこまでが自分の問題で、どこからどこまでが相手の問題か?」がわかると思うのですよね。


だから、「誰かが誰かをキライ」って話に、第三者が介在したり、加担したりなんておかしな話だなぁ、と。成熟途上の子供ならともかくね。


ワタクシのできる最大限は「あの人はキライ」って話を聞くことと、あとは、求められればアドバイスをすること。そこまででしょ。


米ソ冷戦時代じゃあるまいし、共通の的をつくって集団をまとめるなんてのは流行らないのですよ。


同調圧力に与しないと、一時的に「孤独」にはなるかもしれないし、周囲から距離を置かれたり、面倒くさがられるかもしれない。


けど、「孤独」を身にまとったもの同士はどこかで惹かれ合うから、結局は孤独にはならないんじゃないかと思いますけどね。


「俺は友達が少なくてさ」


ニコニコしながら話す20年来の友達と久しぶりの飲み。同輩ながら孤独を身にまとう姿がカッコよかった。。。ワタクシもかくありたい。ってか、かくあるぞと改めて誓う。


January 16, 2015 in 人間の成長について, 人間の美意識について, 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.03.12

小野田寛郎さんの記事に鈴木青年のことを思う

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『朝日新聞』のこの記事を見て、鈴木青年の事を思い出す。


太平洋戦争後もフィリピン・ルバング島に残り、密林で約30年間潜伏を続けた元陸軍少尉の小野田寛郎さん(享年91歳)に投降を呼びかけた立役者。


『大放浪』という本の著者で、雪男を捜しにヒマラヤにいって38歳で遭難した旅人(冒険家?ヒッピー?)。


鈴木青年のことを知ったのはハノイ(ベトナム)で知り合ったおじさん(30歳で海外に出て、20年旅をしている猛者)に聞いたのがきっかけ。1998年頃ようやく古本で手にいれてこの本を読んだ。

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正直、文章も構成もあったものじゃない本。けど、テーマが放つエネルギーが強くて、強烈な読書欲求を与える希有な本だったことを思い出します。


日本政府がルバング島にいる元日本兵の存在を知り、救出(?)活動をはじめたのが戦後25年以上も経過してから。


鈴木青年は、そのニュースを接して「政府ではアテにならない。自分がこの日本兵を日本に連れ戻す」と決意し、フィリピンに飛びます。


いくたのやりとりのうち、この日本兵に接近。


「武装解除の命令がでていない」と口にするこの日本兵のために、日本にいるかつての上官をフィリピンまで連れて行き、武装解除の命令を出させます。


この時の日本兵が小野田さんだったわけです。


「上官の命令でないと武装解除できない」という元兵士、戦後25年以上経過したにもかかわらず、武装解除の命令を出すためにフィリピンに飛んだ上官。


そして、それを取り持った鈴木青年。


なんか、誰も彼もが漢ですね。

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※『朝日新聞』より。傍線部が鈴木青年に関する記述だと思われます。


後日、小野田さんは時のマルコス大統領に謁見、武装解除の証として自分の刀を差し出します。


マルコスはその刀を丁寧に受け取ると、「確かに拝受しました。ただ、この刀はあなたにとって大事なものですから、私からプレゼントさせていただきます」とそのままその刀を小野田さんに差し出した。


自分には汚職のイメージが強いマルコス大統領ですが、これまた漢ですね。


鈴木青年はその後、「雪男を探しにいく」とヒマラヤへ行き、遭難。無茶苦茶な人生なようでもあり、どこか憧れるような人生でもあり・・・。


漢が惚れるような、漢が心を許すような男というのは、鈴木青年のように自由自在で無邪気でとらわれない人なんじゃないかな、と思いました。


いつかルバング島のここも訪ねてみたいものです。

March 12, 2014 in 人間の美意識について, 旅をすることについて、旅をかたること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.06

いまいる場所に在り続けることの覚悟

住宅会社で歩合の営業マンをしていた1998年頃の話。


「将来のビジョンをつくる」的な本をたまたま手に取りました。


そこには数々のワークシートがあって、それらをまとめると「将来のビジョン」が完成する、という本です。


「よし、やってみよう」とペンを手にとり着手したのですが、最初のページで手がとまりました。


なぜなら、こんな一文があったからです。


「将来のビジョンは今現在とは違うどこかにあるんじゃなくて、今日の生活や仕事にきちんと向き合った先にあります。


今、仕事をしている人は『最低でも5年は今の仕事を続ける』という覚悟を持った上で、このシートに向き合ってください。云々」(だいぶ自分の言葉で表現しています)


当時の自分、「これから先、仕事どうしよっかな?」と考えていました。


歩合だから生活は不安定だし、連日の飛び込み営業や夜訪(帰宅時間を狙って訪問すること)も「はたして、これが精神&肉体的にいつまでできるのか?」って思ってましたしね。


だから、『5年間は今の仕事を続ける』って覚悟なんか毛頭持てなかったわけです。


あれから16年が経過しました。


「自分がいまいる場所に在り続けることの覚悟」


16年前の自分にとっては耳が痛いんですが、いまの会社組織に足りないのはこんな意識じゃないでしょうかね?


「もっと他にいい場所があるんじゃないか?」って青い鳥症候群だったり、「ここに居続けないと生活が心配」という執着心だったり、「いやなことがあればいつ辞めてもいいや」って開き直りだったり・・・


「人は覚悟をしなくなってないか?」と思うのです。


人間、覚悟を決めた所で将来はどうなるかわからないわけです。覚悟をしても、転職や独立、旅人へ転身って道が開けてるかもしれないわけです。


けど、今、今日、この場所で「自分がいる場所に在ることの覚悟」が持てないのは残念なことだな、と思います。時間は有限ですし、モラトリアム的な生き方はクセになりますし。


覚悟は選択であり、決断です。


どこかに逃げ道を探す生き方はやめて、「いまいる場所に在ることの覚悟」をまずは決めろ


今思うと、「5年間は今の仕事を続ける覚悟」と書いた著者はこんなことをいいたかったのかもしれませんね。


誰の、どの本だったか忘れましたが、なかなか本質的なことを書いていたなと思うのです。

February 6, 2014 in 人間の美意識について, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.19

「仕事の世界」の中心で働くということ

就職した頃、「仕事の世界」は大人ばかりでした。


社長は雲の上の存在だし、本部長も部長もとても年齢が上に見えました。直属の上司は30歳でしたが、これまたとても上に感じられました。


「仕事の世界」の中心


これは、はるか彼方に位置するように思えました。


5年、10年と働いていくうちに、自分より下の世代が増えてきました。で、どんどんと上の世代が引退をしていきました。


それから5年、10年と経つうちに「仕事の世界」はますます、下の世代が増え、どんどんと上の世代が引退をしていきました。


いつしか自分自身が「仕事の世界」の中心で活躍する年代になっていました。


人は、年齢を重ねていく中で「仕事の世界」の中心に近づき、で、歳をとるにしたがって「仕事の世界」の中心から去っていくのです。


「仕事の世界」の中心に向かう局面


「仕事の世界」の中心で活躍する局面


「仕事の世界」の中心から去る局面


当然、それぞれの段階で必要な要件は違ってきますね。


「仕事の世界」の中心に向かう時は、極論をいってしまえば自分のことだけ考えていればいいわけです。「仕事の世界」の中心にいる人が描く仕事のデッサンに乗っていればいいわけです。その中でベストなパフォーマンスをしていればいいわけです。


けど、「仕事の世界」への中心で活躍するときは、自分だけではなく、周囲や下の人のことも考えないといけないわけです。


中心、なわけですから、自分から何かを発信して、「仕事の世界」の中心周辺にいる人を巻き込んでいく必要があるわけです。


中心、なわけですから、「仕事の世界」の中心周辺にいる人より働かないといけないわけです。


管理職、上司、先輩・・・という存在に身を置くということは、そういうことです。

December 19, 2013 in 人間の成長について, 人間の美意識について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.09

二作目というプレッシャーに立ち向かう勇気

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『夢と狂気の王国』を観ました。


『エンディングノート』なんて素晴らしい作品をデビュー作でつくったから、監督の砂田麻美さんにとって二作目はかなりプレッシャーだっただろうな。


選んだテーマがジブリ。


もしや、常に生みの苦しみに直面している宮崎駿さんに自分の葛藤を投影したか?


とまれ、


プレッシャーの中で負けずに仕事をすること


この映画は砂田監督のそんな心意気を感じさせる映画でした。


自分を守りたいんだったらもっと無難なテーマを選ぶだろうに、あえて日本を代表する表現界の雄(?)ジブリをテーマにした姿勢が素晴らしいですね。


蛮勇じゃなくて、変に気が強いってのでもなくて、若気の至り的なイキがってる感じもしない・・・たんたんとしているけど芯が強くて動じないって感じ。


こういうのを勇気、というのだと思います。


自分は前作から引き続きこの監督が作中で行うインタビューが大好きですわ。どこが琴線に触れるかはよくわかりませんが(笑)

December 9, 2013 in 人間の美意識について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.03

実感を感じられると強さになる

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たまたま観たテレビで、お笑いの山田雅人さんが東大を受験していることを知りました。


次で7年目らしいですね。52歳の挑戦らしいです。


で、それについて「識者」がいろいろと語るわけです。


「不安の裏返しの挑戦だ」だとか「プロの立場(たしかカリスマの受験の先生だったかな?)から見たら、絶対にムリ」だとか。まあ、無責任ふりまき放題なのです。


テレビ番組のもつ娯楽性がこの辺にある、とは思ってはいても「人の人生に無責任に意見をいう大人」ってはイヤなものですね。


それを「役割」と自覚してコメンテーターをやっているならまだいいですけどね。どう考えてもそう思えない「識者」ってのが多すぎるような気がします。


まあ、この記事だってテレビや芸能の事情を一切無視した「無責任ふりまき放題」な意見ですが(笑)


まあ、それは置いておいて。


番組の最後に娘さん(たしか大学生)が山田雅人さんへの手紙を読んだのです。酒を飲んでいたので内容はちと不確実かもしれませんが、確かこんなメッセージでした。


「(略)10年ほどまえにお父さんのライブにいった。80人くらい入る会場で、お客さんがたった一人だった。


お父さんは必死になってそのお客さんに対して芸をしていた。私は休憩中にそのお客さんが帰ってしまわないか気が気でなかった。


舞台が終わってお母さんを含めて食事にいった。お母さんは『素晴らしい舞台だった』といっていたが、私はどことなく恥ずかしかった。このままお父さんがお笑いでやっていけるのか不安に思った。


けど、あの時に一番不安だったのはお父さんだったのですよね。


(以降略)東大受験、頑張ってください」


生活をしていると、「実感はいまいちできないけど、なんとなくそうだろうなと思っている」ことっていっぱいあると思うのです。


けど、実感が確として感じられないから、人はたまにブレるわけです。


「本当にこう思っていいのかな?」とか思考をめぐらせるわけです。で、時に思考はネガティブな方に向かっていったりするわけす。で、事実とはまったく反対の方向に勝手に自分から進んでいったりするわけです。


でも、「こいつ、自分のこと分かっててくれたんだな」と実感を感じられると、そこにブレがおきにくいと思うのです。


未来永劫とはいえないでしょうけど、強さや安定感が違ってくると思うのです。


その強さや安定感は、当然ですが挑戦すしたり、生きたりするエネルギーになるのでしょう。


人間は、強さや安定感をもらう存在であると同時に、それを与える存在でもあるということ。


「自分は強さや安定感が得られない」って人は、もしかするとクレクレ星人(もらうことに汲々としている人)なのかもしれませんね。


ここは偉そうなことはいえないのですが、与えることで得られる世界観ってのが存在しているような気がします。

July 3, 2013 in 人間の美意識について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.07.01

人間の能力って伸ばさないといけないものなのか?

「人間は仕事を通じて好きなばかりではなく、嫌いなこともやらざるをえない。だから、自分のキャパシティが広がる。


その結果、見える世界、付き合える人が変わっていく。できごとに対しての理解の仕方が変わっていく。


で、運命が変わっていく」


「なんで仕事をするんですか?」について、質問に安易に答えを求めようとする人には自分はこの手の言い方をします。(本心は、「そんなもの答えなんかあるか?」と思ってます)


けど、「能力など伸ばさないで自分はいまのままでいい」という人もいます。「嫌いなことをやるストレスに直面するのは面倒だ」という人もいるでしょう。


まあ、自分はその人ではないのでそんな生き方を否定はしません。


けど、その手の人とは一緒に働きたくはないですね。だって、自分自身の生き方を否定されるような思考のヤツが近くで働いているのはストレスじゃないですか(笑)


「自分は能力を伸ばさなくていいんです」なんて若い世代にいわれたら、「なにを考えてんの?」と一蹴していいと思うのですよ、それが自分の考え方であればね。


「若い世代のむちゃくちゃな意見に対して『おまえ、それは違うだろう』って文句をいえない年長者」


たぶん、そのぎくしゃくとした人間関係が日本の会社社会の弱さを生み出したのです。


これは、個人主義への干渉ではなくて、ある意味マナーの問題なのですね。


かつて、うちの会社に「人生は暇つぶし」といってはばからない社員がいました。彼の口にしていた「暇つぶし」ってのは、深い意味や洞察がもしかしたらあったのかもしれません。


けど、この言葉を社長である私やお取引先に口にするセンスはいただけませんね。ここは主義、主張ではなくマナーの問題です。


「あなたの口にしていることは正しい。けど、マナーがなってない」って世界観です。


今思えば、本当に気のいいバカな社長だったと思います。あんな社長の下で働けるなんてなんて幸せだったのだ、と思いますよ(笑)


「個人の考え方を尊重する」のは大事ですけど、周囲の人間がにがにがしく思う「個人主義」ってのははた迷惑なだけなのです。


どうしてこんな単純なことに気がつかなかったか??当時の自分(笑)


個人主義を主義主張の問題ではなく、マナーの問題としてとらえると日本の会社社会には問題山積みですね。きっと。

July 1, 2013 in 人間の美意識について | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.06.06

人間の教育について

正しいことを教えても、自分なりの勝手な解釈の域をでない人ってのはいます。(「正しい」の定義はここではまず置いておきます)


この手の人は、自分自身の枠を壊す(広げていく)のではなく、事実の方をねじまげていきがちです。それも、多くの場合が条件反射的にですね。


一方で、トンチンカンなことを教えても、自分で軌道修正していく力が備わっている人ってのもいます。


この手の人は、事実をねじまげるのではなく、いちどは事実をうけとります。その上で自分なりに咀嚼して、解釈していきます。で、解釈に合わないことは自分なりに探索をしにいきます。本を読んだり、人の話を聞いたリですね。


「いい上司や先輩に恵まれれば自分を伸ばせるのに•••」と考える職業人はたくさんいるでしょうが(自分もそう思ったことがありますし)、そんなのはたぶん幻想なのです。


結局のところ、受け取り手の心の問題ですからね。


以上、自分の考え方です。


おそらくなのですが、大人の教育にとって必要なのは「自己解釈の溶解」なのだと思います。


学校教育は「自己解釈の形成」に重きが置かれていました。「私は○○です」という価値観やアイデンティティの確立が優先されました。


で、自分らは教育や生活を通じて幾多の価値観を生み出してきました。それはそれは、自分らが生み出した財産あり、生きてきて実践ですぐに役立つ武器となりました。


けど、その価値観やアイデンティティってのはすごく限られた情報や人間関係の中で築かれたものでしかないわけです。


で、時に人間はそんな脆弱なものを大切に大切にしているわけです。そこから、いまの自分をつくろうつくろうとしているわけです。


結局のところ、大人になった人間が伸びる伸びないは「ガキの頃につくった自分の解釈」を自分で破壊ができるか否かって部分に帰結するのだと思います。


では、なぜそれができないか?


単純に言うと、自我崩壊の恐れでしょう。


自分らは「自分はこう考える」を武器にして生きてきましたから、それが揺らぐと過度の恐れを抱いてしまうだけの話なのですね。


自分なりの価値観を持ってどっしりとしているけど、それに固執していなくて、自由自在な自分


って感じでいれたら教育なんてものを意識しなくても、自分は成長していくんだと思います。


逆に、自分にどうしても自分のつくってきた自我に固着したいって人は、そういう生き方もあるでしょう。ここは生き方の選択の問題です。


けだし、固着は次の固着を生みますし、年齢を重ねるたびに固着は自我にこびりつきます。


自分はイタい大人への第一歩は自我への過度の固着だと思ってますから絶対に選択はしたくないです。なので、縁ある方にはここを強く訴えたいな、と。


自分が人に行える「教育」ってのは、たぶんこれくらいしかないのですよ。そもそも、人が人を教育するってのも幻想でしょうしね。

June 6, 2013 in 人間の美意識について, 人間の認知について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.06.04

やれるけど、やらない

やれるけど、やらない


オーナー社長であれば、会社の経費を比較的自由に使えます。親族が役人になって働いてもいないのに給料を出すこともできます(もちろん、違反です)


社員の給料から天引きした社会保険料を資金繰りに使うことも理屈上は可能になったりもします。


出社時間だって自由にできるし、休みたい時には休める。


意のままにならない人間を(意のままにならない、という理由だけで)配置転換することもできるでしょうし、シンパ(?)だけで近くを固めて派閥(もしくはそれに類するもの)をつくることもできる•••


その他、やろうと思えばできることはいろいろとあります。


けど、権力(社長という仕事は一つの権力です)を持たされた人間は「本当にその権力を持つにふさわしいかどうか?」を試されるような気がするんです。


だから、「やれるけど、やらない」という美意識が必要になってくるのです。でないと、裸の王様になってしまいますしね。行き着く先は•••イタい大人です。


人間は都合よく自分の認知を書き換えるのが得意な生き物ですから、美意識をずっと持ち続けるのは案外と大変です。どんどんと解釈が拡大されたり、緩和されたり、合理化していきますからね。


だから、ここは時間戦略。時間をかけて習慣化していく必要があるのでしょう。


仕事の美意識ってのは、たぶん「損得」「効率」「快楽」とは一種対極にある世界観なのです。


逆をいうと、「損得」「効率」「快楽」がでてくる局面では仕事の美意識が試されているということになるのかな、とも。


いうはやすく、行うは難し••• だからこそ、くどいですが時間戦略なのでしょう。

June 4, 2013 in 人間の美意識について, 経営をするということ | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.05.08

モチベーションって言葉って一人歩きしてないか?

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いまの事務所に引っ越す前、飯田橋に会社があった時の話。


事務所の近くにご夫婦できりもりしている小さなトンカツ屋があったんです。


ご主人がカウンターのお客さんにトンカツを出す時に、指を一本出して「これは一番のトンカツだ」みたいな感じで無言で念を込めるようなしぐさをするんです。


自分のつくったトンカツに絶対の自信があるんでしょう。


で、お店が終わると店内を綺麗に片付ける。調理用具がカウンターの中に整然とある一定の秩序の元に置いてあるのが店の外からよく見えるのです。


自分は、「職人」という言葉を聞くとあのトンカツ屋を思い出すのです。


さて、このご主人に「仕事でモチベーションがあがらない時はどうしますか?」と聞いたらなんて答えるでしょうかね?


まあ、話をしたこともないので類推するしかないのですが、おそらく「モチベーションなんて考えたこともない」っていうんじゃないでしょうかね?


人間ですから体調が悪い時も、気が乗らない時も、心配事があって気が落ち着かないときもあるでしょう。


でも、「モチベーション」って言葉でひとくくりする感性がないと思うのです。


だって、自分が動かなければお店が開けないわけですからね。たんたんと店を開いていかないといけないわけです。


さて、どこかに書いたかもしれませんが自分はこの「モチベーション」って言葉が嫌いです。


この本にも書いてありますが、「モチベーション」って言葉は非常に消費行動的なんです。


人間は内発的動機(好奇心や関心ごとによってもたらされる動機づけ)で自分の時間の全てを満たせれば理想なわけです。


けど、それは理想世界なわけです。


で、どこか頭のいい人がその理想ってのを消費行動と結びつけたわけです。


モチベーションを高めるには、内発的動機が満たされる仕事をしないといけないですよね•••といって、転職市場や資格市場や能力開発市場がどんどんとでてきたわけです。


まあ、そういう市場がでてきたのはいいのですが、「モチベーション」という言葉が一人歩きしているわけですね。


「モチベーションがあがっているからうんだらかんだら」だとか「モチベーションをあげるためにうんだらかんだら」だとか•••


労働とは目の前にあることに真面目に取り組むことがまず基本となろう。そうした点をなおざりにしたまま、仕事にやりがいや喜びを見出すとか、仕事を通して自己実現を図るといったことを目指すことに問題はないのだろうか(P137)


この本が指摘していることは、まさにその通りだと思います。


毎日、毎日、きちんとやることをやる。その先には習慣って世界が開けているわけです。


で、その習慣って世界を持つ人をみる人によっては「モチベーションが高い」と見えるってだけなんだと思いますよ。


たぶん、それは決して派手な世界観ではないのですよ。

May 8, 2013 in 人間の美意識について, 言葉について | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.05.01

苦心して創っても、完成した瞬間から陳腐化する

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1冊の国語辞典を15年かけてつくる話です。


「間違えた辞書を誰が信用するか」とセリフにありましたが、それにしても文字校正が5回(五校!)もあるってのは想像を絶する作業ですね。


で、更にスゴいのは辞書はできた瞬間に陳腐化していくことです。


言葉や表現は常に変わりますから、できた瞬間に改訂作業の準備に入るらしいのです。完成したらまた次のスタートがはじまるらしいのです。


「商品やサービスは陳腐化する。それは避けられない運命だ。そのリスクを防ぐためには、自らの手で商品を陳腐化させなければならない」(※だいぶ自分の言葉で表現しています)


的なことを言っていたドラッカー博士の言葉を思い出しましたね。


自らがつくり出したサービスや商品を自らの手で陳腐化させる気概と行動力を持っている人、それをイノベーター(改革者)というのでしょう。


と考えると、イノベーションってのは別に起業家や戦略家だけが起こすものではないわけです。


自分が手がけた仕事(業種、職種問わずです)そのものの中に、イノベーションの萌芽が内在されているということなのでしょう。


映画の帰り、和英辞書を新刊で買いました。すさまじく気の長い仕事をしている人にせめてもの敬意を。

May 1, 2013 in 人間の美意識について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.30

なべちゃんのデビュー

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大学一年からの同期がキックボクシングでデビューしました。


減量したり、人間相手にローキックしたり、ファイトマネー代わりのチケットをさばいたり•••いややや、自分にはできないな。


まじ、尊敬するわ。


いまから25年前。山口から出てきたヤンキーと、埼玉出身の格闘技オタクとが出会ったのは、渋谷の銀杏並木のあたりでした。


元ボクシングをやっていたということで相応に腕自慢だった彼と、極真空手があらゆる格闘技の中で世界最強だという自分とはどう考えても水と油でした。


なんの因果か、そんな縁からスタートしたものの25年にも渡る付き合いになってしまうのですから人間分からんものですね。


学生時代、仲がよかった。けど、社会人になって久々にあったらどうも感覚が違うな、って付き合いってよくあると思うのです。


人間は環境や志向によって、どんどんと変わっていきますからね。当然と言えば、当然。


しかしながら、自分は彼に対してはなんか軸があって歳を経るたびにスゴい男だな、と思うのです。


昔話もできて、今の話もできるって仲間ってのは尊いものですね。

April 30, 2013 in 人間の美意識について, 格闘技について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.09

日本人としての心意気

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諸君は信じることができますか、東洋はある点で西洋にまさっているということを!(『茶の本』岡倉覚三著P26)


7年くらい前の話です。


アメリカの某会社とミーティングをしていた時に、「日本には霊性(スピリチュアリティ)がないからなあ•••」と、さらっと口にされました。


それを聞いて自分は「建国数百年の国が、よーいうよ」と思いましたね。


歴史が長ければいいってもんじゃないでしょうけど、日本にだって霊性はそこかしこに存在してますし、「いったいそれを知っていて口にしてんのか?」と思いました。


さて、この本は明治の終わり頃、「茶」を西洋人に理解させるために著者が英文で書いたものの日本語版です。


行間に「日本にはスゴい文化があるんだよ、君らにわかる??」ってのがありありとでてくるのが喝采でしたね。


自分らの国にかけているものは、外国にたいするこの手の心意気ではないでしょうかね?


たぶんなのですが、日本は感じることを主に置く文化。一方の彼の国は形にすることを主に置く文化なのではないでしょうかね?


だから、日本の文化はそれを感じられない人には分かりにくいわけです。


で、自分らの文化はそれをことほどさように形にする必要性を感じてこなかったわけです。


形になっていないからといって存在していないわけじゃないのにね。

April 9, 2013 in 人間の美意識について, 精神的なこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.05

「なりたい自分」に固執しない

「なりたい自分」(または、「本当の自分」)


ってキャッチコピー(?)をビジネスの場に持ってきた人ってのはスゴいですね。


「個人の欲望を開拓する」ってのが資本主義とはいえ、これほど的確に「人間の成長欲求」に訴えるコピーってのはそうそうないでしょう。


資格ビジネス、スクール、旅行、転職•••さまざまな業種がこのコピーが持つ世界観のお陰でビジネスを展開してるわけです。


でも、「なりたい自分」に実際になったら人はどうするんでしょうかね?


「会社を経営したい」「司法書士の資格をとりたい」「セラピストの技術を身につけたい」「留学して語学を学びたい」•••実現したら、人はどうするんでしょうかね?


自分がいうまでもなく、ほとんどの場合で次の「なりたい自分」ってのが出てきます。資本主義は「欲望を次々と開拓すること」がベースにありますから、僕らは無自覚のうちにこうした思考回路に入っているからです。


で、その「なりたい自分」になると、次の「なりたい自分」がでてくる•••


そう考えると、常に「『なりたい自分』になれない自分」って状態であるわけです。


これって、人として幸せな状態なんでしょうかね?


「なりたい自分」ってのは「夢」とほぼ同義語で使われているし、「夢」を持つことは悪いことではないと多くの人が思っている(そんなことないのかな?)この時代下ですが、ここは立ち止まって考えてもいいことかもしれませんね。


かくいう自分。


夢(「なりたい自分」ですね)を持つことは大事だし、それは人として尊いと思ってます。けど、「夢に固執しなければ」という前提ですね。


「夢」には「やる気」だとかを震いたたせるエネルギーがありますが、ほっとくと「現実逃避のいいわけ」だとか「自己愛を満たす手段」に変身してしまうこともあるので要注意ですね。


自分がたてた「夢」から離れる勇気を持つのは、たぶん大事なことなのです。


「夢に向かって今日やったことは何?」という問いかけをして、心の中に何かしらの葛藤があれば、それは自分がたてた夢から離れるサインなのかもしれないかな、と思ったりします。


あとは、「なりたい自分」に縛られて苦しくなるのであれば、「なりたい自分」を設定しない勇気ってのも今の日本には必要だと思うのです。


足るを知る、という考え方ですね。


たぶん、「なりたい自分」ってのがなくなって、そのことに心底葛藤がないのであれば人はすこやかに、幸せに暮らせるのだと思いますよ。

April 5, 2013 in 人間の美意識について, 人間の認知について, 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)