2021.10.05

「新しい現実」がやってきた

 

 

うちの会社のHPが英語対応になりました。

 

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http://company.visionary-c.com

 

  

数年前から「いつかやらないと・・・」と思っていたのですが、ようやく海外に向けて情報発信の糸口ができたことになります。

 

 

いままでも、海外から突然メールがくることはままありました。たぶん、TwitterInstagramをきっかけにうちの会社を知って、メールを探してアクセスしてくるんでしょう。今後は、海外とのやりとりがもうちょっと戦略的に&頻繁になっていくと思います。

 

 

「いつか仕事をネタにして海外に行きたい」と創業時の事業計画書に書いていたのですが、ゆるゆると形になっている気がしていて、ありがたい限りです。

 

 

コロナ禍の前から兆しはみられていましたが、国をまたいだ「越境EC」(=海外にものを販売する)が、中小企業にもどんどんとオープンになってきていますね。

 

 

参入するためのハードルが日々刻々と低くなっているようです。同時に、海外から見たときの「日本語の壁」がどんどんと「ラクラクと超えられるもの」になりつつあるようです。

 

 

まさに、「新しい現実」がやってきている感じですね。

 

 

仕事をしていると、時々「新しい現実がやってくる時期」に巡り会うときがあります。で、そのチャンスを活かすと、仕事は一気に上向いていく。

 

 

この中小企業における「越境EC」って、そんな「新しい現実」なんじゃないかと私は思っていますよ。

 

 

ただもちろん、誰でも彼でもが「越境EC」でうまくいくわけがありません。

 

 

そこは、何のビジネスでもそうなんですが、「その事業を行うための条件が揃っているか、揃っていないか?」が大切なわけで。

 

 

この「条件」だけは、一朝一夕に揃えられるものではないとも思います。

 

 

「新しい現実」というチャンスは、誰にでも開かれている。

けど、実際には「条件」を準備してきたものにしか開かれていない

 

 

という世界なわけですね。ある意味では公平だし、ある意味ではシビアなものですね。ということで、今後、当社が行ってきた「準備」が十分であったか?独りよがりではなかったか?などが試されていくというわけです。

 

 

October 5, 2021 in 仕事のことについて | | Comments (0)

2021.09.24

本の企画案をまとめました



とあるご縁から、本の出版企画をまとめることになりました。

 

 

先日、出版社の窓口の方にメールをしました。現在、社内で揉んでいただいているようです。

 

 

数年前から「いつかやりたい」と思っていたテーマでした。でも、わたしがそのテーマで文章を書けるとは世界の多くの人が知らないはずで・・・

 

 

そんな状態で待っていても、ぜったいに声なんかかからないわけです。

 

 

なので編集者(出版社で本づくりにあたる人)と会ったら「このテーマなら書けるし、書きたい」とお伝えするようにはしていました。

 

 

でもちょっと小難しい分野の内容なんです。

 

 

なので、「うーん、何とも言えないですね」というレスポンスがあることがほとんどだったわけです。マーケット(本を購入してくれる人の数)も小さいでしょうから、編集者としてもちょっとリスキーな企画。

 

 

こちらも場面が替われば「カードをつくりたいんです!」という方に企画を売り込まれる側になりますから、編集者や出版社の論理はよくわかるつもり。なので、「いつかご縁のある出版社さんが現れればいいな・・」くらいの感覚でいたわけです。

 

 

それが今回、ちょっとだけ展開したわけですね。

 

 

今回の話が形になるかどうかはまだわかりません。出版は、さまざまな要因で企画がきまりますし、現時点では不確定要素はたくさんあることでしょう。

 

 

ただ、確実に「いつかこのテーマで書く方向へと向かっている感覚」がやってきているのは事実。

 

 

「感覚」ですから、理屈を抜きにした世界です。目には見えない世界ですから、もしかすると私の独りよがりな思い込みかもしれない。

 

 

けど、長く仕事をやっていると「感覚」がホンモノかニセモノかくらいの区別はつくようになります。

 

 

「ニセモノ」の感覚は、どこかつっかかりがあります。あえて言語化すると「すっきり」でなく「ざらついている」感じというんでしょうかね。

 

 

この感覚さえあれば、時間軸はそんなに気にならないわけで・・・早く企画がきまって本を出せればそれはそれでいい。けど、何年も先になったとしても、それはそれでいいって世界なわけです。

 

 

仕事をする目的っていくつもあるのでしょうが、「いい方向に向かっているホンモノの感覚」を手に入れることも大切な目的だと思うわけです。

 

 

「ホンモノの感覚」はおそらく、たんたんな日常の積み重ねの先にしかやってこないはずです。なので逆に言えば、この感覚があるときは、「日常の積み重ねを飽きることなくやっている」ことの何よりの証になるわけです。

 

 

企画をまとめながら、こんなことが頭をよぎりました。

 

 

September 24, 2021 in 仕事のことについて | | Comments (0)

2021.09.16

この会社ならなんとかしてくれそう

 

企業は、「頼まれること」で成り立っています。

 

・「この商品、売ってください」と頼まれる。
・「ノウハウがないので教えて」と頼まれる。
・「自分の代わりに手伝って」と頼まれる。


経営の世界では、「貢献」とか「用立て」という言葉も使われます。要は、「どこかの誰かの役に立つ」ということです。


「頼まれること」がなくなったら、企業はおしまい。なので、「自分(自社)は何をもって人様から頼まれるか?」を真剣に考えるのは、とても筋のいい質問だと思います。


「他人から『頼まれる』わけだから、べつに自分から考えなくてもいいのでは?


と思われるかもしれないですが、人は理由なく「頼む」という行為をしません。


・この人ならちゃんと解決してくれるかも
・この会社だったらこの情報があるかも


といった「ここなら何とかしてくれる予感」があるから、頼むわけです。我々の消費行動を振り返ってみても、「この店なら欲しい商品が置いてありそう」「ここでなら、いい美味しいお酒を飲めそう」といった「予感」から行動をしているはずですし。


こういった「予感」は、「自分が周囲に何ができるか?」をきちんと考えることなしにつくることはできないと思います。

 

逆に言うと、「自分が周囲に何ができるか?」を一生懸命考えた先に、「磁力」みたいなものを生み出すのかもしれないですね。それが、仕事や人間関係を引き付ける、みたいな。

 

 

September 16, 2021 in 仕事のことについて | | Comments (0)

2020.08.05

主流か、傍流かって話



SNSを使って起業する」という話があります。

 

 

一見すると、なんとなく現実的な話に聞こえます。

 

 

SNSは多くの人との結びつきを可能にします。で、友達の友達とも次々と関係が結びやすいです。だから、サービスや商品を記事としてアップすると、申し込みが入ったりします。

 

 

けど、SNSってそもそも何?」ってことを考えると、「SNSを使って起業する」ことがいかに荒唐無稽かがクリアーになってくるはずです。

 

 

なぜなら、SNSには「商品を買いたい気分の人」「サービスを受けたい気分の人」がそもそも少ないからです。自分に置き換えていえば、わかりますよね。

 

 

SNS主流は、「暇つぶし」「なんとなく」「同じ趣味や好きなの人の情報をゲットしたい」「同じ趣味や志向の人とつながりたい」です。(あくまで、私の見立てですけど)

 

 

「ビジネスの情報をもらいたい!」「何かのサービスを受けたい」という人は、決していないわけではないでしょうけど、SNS全体からみたら傍流なのかと。

 

 

たとえば、Amazonというネット通販があります。

 

 

ここには「商品を買いたい気分」の人がたくさんいるわけです。そのための、仕掛けもたくさんあるわけです。

 

 

「この商品を買った人はこんな商品を買っています」ってリコメンド機能、ワンクリックで商品を購入できる機能。そのような仕掛けがお客さんをどんどんと「その気」にさせています。そのためのお金と人が投資されているわけです。

 

 

同じように、百貨店の高島屋や伊勢丹には「お金を使う気まんまんの気分」の人が、東京ディズニーランドにも「お土産を買う気まんまんの気分」の人がいるわけです。

 

 

こうした企業は時間をかけて「気分を持った人」とコミュニケーションをとってきたわけです。

 

 

そう考えると、起業して続けていくためのポイントは「商品を買う気持ちまんまんの人と適切なコミュニケーションをとる」ことが挙げられるかもしれませんね。

 

 

そこは、SNSのように「すぐに」「誰とでも」「インスタントに結びつく」ことができる世界ではありません。

 

 

「時間をかけて」「自分のサービスを好んでくれる人と」「じっくりと関係をつくっていく」世界です。

 

 

前者が刹那的な一瞬一瞬の付き合いだとすると、後者は成熟した大人の付き合いといってもいいかもしれないですね。

 

 

個人起業家であっても、ここを目指さしたいものですね。

 

 

でないと、一発花火を打ち上げることはできても、永続的に仕事を続けていくことはできにくいでしょうし。そのためには、主流と傍流とを取り違えないことが大切なのかと。

 

 

August 5, 2020 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (0)

2020.07.28

「SNSでガンガン宣伝するのがよい!」を考える

 

たまに経営相談を受けることがあります。

 

 

最近よく聞くのが、SNSでガンガン宣伝するのがよいと経営コンサルタントにアドバイスをもらったのですが、どうも気分が乗らなくて・・・」ってやつですね。

 

 

「ガンガン宣伝」は一見するといい「アイデァ」に聞こえます。SNSでしたら無料ですし、時間をエネルギーをかければ努力次第でなんとでもなりますしね。

 

 

でも、「万人に対してこの方法が有効か?」というとビミョーでしょう。

 

 

だって、人によって「能力」や「性格」、「やりたいこと」や「やりたくないこと」が違うんですから。

 

 

私は経営コンサルタントには大変にお世話になった一人です。ビジネスは一人ではできませんから、アドバイスをいただくのはとても有益なことだとも痛感しています。

 

 

けど一方で、「経営の実態とはそぐわないことを、アドバイスの名のもとに、したり顔で語る」人が多いというのも経営コンサルタント業界の真実ですね。

 

 

そういう人たちが生計を成り立たせることができるほど、経営という業界が複雑怪奇で摩訶不思議な世界ということなんでしょう。私を含めてだれしもが、「答え」が欲しいのですから。

 

 

仮にみなさんが「ガンガン宣伝するのがいい」とアドバイスを受けたら、この手の質問をされてみてはどうでしょうね?その経営コンサルタントの「力量」の一端がみえてくると思いますよ。

 

 

  • SNSは誰にでもできること、だったらすぐに競争が発生してしまうんでは?そんな空気感にSNSの参加者が嫌気を感じている現実はないでしょうか?「見ているだけで投稿はしない」という人が多い今のSNSがそうした状況の真っただ中あるのでは?

 

  • SNSは誰にでもできること、だからこそ発信者の「表現能力」が大切なのでは?客観的にみて自分にはその力が備わっていると思うか?

 

  • SNSは誰にでもできること、だからこそ「やらないという手段」も取れるのでは?それが周囲との「違い」をつくることでは?仮に私がSNSをやらないのであれば、どんな告知戦略がとれると思うか?

 

  • そもそも、「見ているだけで投稿はあまりしない」という読者も多い現在のSNSに、媒体としての価値があると思うか?

 

  • そもそもSNSで発信するよりも、「どんなサービスを提供するか?」を考える方が大事じゃないか?そもそも、SNSは単なるツールであって、昔でいうとダイレクトメールのはがきのようなものではないか?「戦略」と呼べるような高い概念のものになりうるのか?

 

 

ざざっとあげてみましたけど、こうした質問を通すと有益かと思います。コンサルタントには嫌われてしまうかもしれませんけど。(本物のコンサルタントはこの手の質問を大歓迎するでしょうけど)

 

 

そもそも、私にとって経営コンサルタントは、情報を一方的に与えてくれる存在であってはなりません。

 

・自分の疑問、質問をぶつけられること。

 

・質問や疑問対して、真摯に答えてくれる姿勢と能力があること。

 

・その対話の中から生まれる創発に価値を置く人であること。

 

 

そんな人でればビジネスにもとても有益な投資となることでしょう。そのような人はたぶん「誰でもかれでもSNSをやりなさい」などとは言わないはずです。

 

 

経営の世界がそんなに単純でないと知っていれば、当然そうなりますよね。人の数だけ、ビジネスの形があるのですし。

 

 

July 28, 2020 in 経営をするということ人間が悩むということ仕事のことについて | | Comments (0)

2020.07.09

「自信がない」を考える

各地で講座をしていると、「よく聞かれる質問」というのがあります。

 

 

その代表的なものの一つに「自信がないんだけど、どうしたら自信がつくか」です。

 

 

自己啓発本をめくると、いつくか答えのパターン(?)があるようです。

 

 

・「自信なんて持ったもの勝ち」と相談者を鼓舞する

 

・「自信なんて行動しているうちに生まれるもの」と行動を促す

 

・「自分の持っているものに改めて気づけば自信がつくよ」を自己価値に気づかせる

 

・「それは困りましたねえ。だったら行動もできませんよね」と寄り添う

 

 

ざざっというと、こんなところでしょうか。(もちろん、ほかにもあると思います)

 

 

私のスタンスは、「何か行動を起こすときに、そもそも『自信』って大切ですかね?」です。

 

 

「自信」という言葉がいつから生活に入り込んできたのかは、私は知りません。けど、なんとなくなのですがごくごく近代じゃないかな、と思うのです。

 

 

過去に、昭和の時代の経営者の本をたくさん読んだ時期があります。その時の記憶では、「自信」に言及していることってほぼなかったんじゃないかな・・・

 

 

いつかこの辺のテーマはきちんと調べたいですけどね。

 

 

現在のように「行き過ぎた資本主義」では、消費者を「自信がない状態にしておく」ことで利益を上げる構造があります。

 

 

・仕事の能力に自信がない。なので、手に職をつけるために資格を取ろう。

 

・自分の容姿に自信がない。なので、身体にメスをいれて美しくなろう。

 

・健康に自信がない。なので、サプリメントを摂ろう。

 

 

みたいな感じですね。

 

 

中には、「消費者の自信のなさを炙り出す・自信のなさを煽る」ような会社もありますから、要注意。

 

 

消費者である私たちは、「あなたは自信がないんじゃないですか?」という企業が発するメッセージを無意識に受け取っていることになりますからね。素直な人であればあるほど、この呪縛にはまるわけです。

 

 

「行動や活動をするのに、自信は無関係」

 

 

くらいに思っておいていいと私は思いますよ。だって、よくよく見つめてみれば「自信」なんて実態がないですもの。

 

 

「ことわざ」の辞書をみると、「自信がない人に自信をつけさせる言葉」はほとんどないことに気づきます。

 

 

その一方で「思い切ってやる」という言葉はたくさんありますね。

 

 

 

「当たって砕けろ」「案ずるより産むが易し」「清水の舞台から飛び降りる」・・・などなど。まだまだたくさんあると思います。

 

 

古い時代から脈々と続く生活の知恵「ことわざ」を読む限りは、「自信があるとかないとかいうのはナンセンス」という結論がひもとけるのかと。我々が、頭で「あーだこーだ」と考えるよりも、人生の真理が語られているとわたしは思います。

 

 

July 9, 2020 in 人間が悩むということ人間の認知について仕事のことについて | | Comments (0)

2020.06.22

ライブの講座が復活

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2月の下旬に淡路島(兵庫県)で講座がありました。 

 

 

その辺りから世界は一変、3月からの講座が次々と休止・延期となってしまいました。 

 

 

去年は本の発売イベントもありましたから、1年で100回くらいは講座や勉強会をしたでしょうかね。それがなくなるわけですから、スケジュール激変です。 

 

 

土日は何らかの予定が入っていましたし、地方にいくことも多かったですから、「ああ、いままでなんだか忙しかったなあ・・・」としみじみと感じました。 

 

 

なんだか、急行列車からいきなり各駅停車(それもしょっちゅう駅でとまる夜行電車)に乗り換えたような気分といったらいいのでしょうかね。 

 

 

それから、約3か月。ようやくと、リアルな講座が復活のきざしを見せてきました。 

 

 

先週は、「スモールビジネスのためのグループコンサルティング」が4か月ぶりに再開し、今週はインドのヨーガ哲学の講座が再開します。 

 

 

来月早々には、地方都市でインド哲学と瞑想の講座を担当する予定です。感染には気を付けつつ、とはいえ過剰防衛にならないようにしつつ、ですね。 

 

 

ここしばらくの講座では、「ここ数か月の激動が自分にとってどんな意味合いがあったか?」をシェアしていきたいと思います。 

 

 

「意味なんてないよ、たんにウィルスが猛威をふるっただけだ」という考えもあるでしょう。 

 

 

でもわたしは、「人生に自分なりの意味づけをすると、地に足ついた生き方ができる」という信念(信仰?)を思っています。 

 

 

そう、ナチスの強制収容所から生還した心理学者・フランクル博士が名著『夜と霧』で提唱した生き方ですね。 

 

 

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ヴィクトール・エミール・フランクル(1905~1997) 

 

 

ナチスの強制収容所というこれ以上ない絶望。 

 

 

そんなの中でも「自分にとっての意味」を追求した人は、絶望に負けず、自分の人生を力強く生き抜いたという有名な話は、いまの時代だからこそ輝きを放つような気がします。 

 

 

そのうち、機会があれば『夜と霧』の読書会などもしていきたいですね。この話は、インド哲学とも共通するところがある深いテーマですし。人類普遍の真理が説かれている、といったらいいすぎでしょうかね。 

 

 

ともあれ、講座が再開しました。ご一緒するみなさん、よろしくお願いいたします。 

 

 


June 22, 2020 in 経営をするということ仕事のことについてイベント情報 | | Comments (0)

2020.06.18

これから先、世界はどう展開していくか?

 

 

「これから先、時代はどう展開していくか?」

 

 

起業家の仕事の一つは、これを考えることです。

 

 

たとえば、「新しい働き方としてリモートワークを導入する会社が増えた」という報道があるとします。

 

 

こうしたニュースをそのまま取り入れるのでは、たんなる情報の受け売り。それならば、インターネットを駆使する小学生や中学生にだっていっぱしの意見を語れるということことになりますよね。

 

 

経営の教科書に照らすならば、

 

 

・果たしてこの報道は本当なのだろうか??

 

・もし本当なら、リモートワークによって世界はどのような影響を受けるのだろうか?

 

・世界の変化は、自分の仕事にどのような影響を与えるのだろうか?

 

・仮に、自分の仕事に「悪い影響」があるとしたら、リスクヘッジ(危機回避)はできないだろうか?

 

 

くらいは起業家ならやって当然、といわれるでしょう。(ここでは、わたしができているかどうかは不問にします)

 

  

けど、「時代はどう展開していくか?」など考えなくても、目先の仕事は回すことはできます。

 

 

で、ただでさえ忙しいのに、「時代はどう展開していくか?」など考える時間やエネルギーはもったいないようにも感じます。

 

 

さらに、「時代はどう展開していくか?」など考えても、その通りになるかどうかなんてわかりません。(というか、預言者でもない限りたいがいは外れるでしょう)

 

 

だから、「やればいいのはわかるけど、ついつい後回しになってしまう」のがこの手の仕事ですね。

 

 

これ、「地震への備え」だとか「健康のための食生活の見直し」と一緒ですね。やればいいのはわかってるけど・・・ってやつです。

 

 

でも、この手の質問に嫌でも向き合わないといけない時があります。

それが、今のような「緊急時」ですね。

 

 

「これから先、世界はどのように展開していくか?」を自問することは、「未来に対して考える手掛かり」をつくること。

 

 

「緊急時」は、この「手掛かり」がとにもかくにも大事になります。

 

 

なぜなら、「手掛かり」がなければ、進む方向の予測がつかないからです。で、予測がつかないということは、激しい時代の流れに単純に身を任せることになるからです。

 

 

「平時」だったらそれでもいいのでしょう。

 

 

さざなみのような波に一喜一憂しながら、身を任せていても海水浴気分でいられるでしょう。たまに激しい波がやってくるのも、「おお、刺激的!」って感じかもしれません。

 

 

でも、「緊急時」は別です。激しい流れがいきなりやってくる。そして、自分やその周囲を一気に飲み込んでしまう危険性がありますからね。「平時」のマインドをとにかく捨て去らないといけない。

 

 

平時には優秀なリーダーの違いは分からない。けど、緊急時になると、それが明確になる。

 

 

歴史でよくみられるこの真理は、いまの時代にこそあてはまるのでしょう。

 

 

ここ最近、優秀な経営者がインタビューを受けている様子をみると、明らかに「緊急時」の顔になっているのがとても印象的ですわ。

 

June 18, 2020 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (0)

2020.06.10

「説得力」って必要でしょうかね?

 

「説得力ある文章の書き方を教えます」

 

 

そんなタイトルのメルマガが届きました。ほとんど読んでいなかったメルマガですが、たまたまこの言葉にひっかかったのでブログのネタにしてみます。

 

 

まず、「説得力ある文章の書き方」を指南するということは、そういうニーズがあるということなんでしょう。一体、どんな人が受講されるんでしょうね?

 

 

SNSやブログで情報を発信している人

・広告や宣伝の仕事をしていて、商品の魅力をつたえたい人

・いつか本を出版したいと思っている人

・そもそも、文章をまとめるのが苦手な人

 

 

・・・想像するに、こういう感じの方でしょうかね。

 

 

わたしの関心は、「説得力ある文章の書き方」とあえて「説得力」という言葉をつけていることにあります。そもそも、「文章の書き方」ではいけないんでしょうかね?(これだとお客さんはそんなにこない感じがしますけどw)

 

 

そんなにまでして「説得力」って欲しいなら、その根底にはいったい何があるのでしょうね。

 

 

たとえば、ある世界の専門家になろうと志をたてるとします。最初は同じようなことをしている人も多いでしょう。同じ道を歩いている人の多さに、「この道を歩いて大丈夫だろうか?」と思うかもしれません。

 

 

けど、何十年も同じ道を進んでいれば、一緒に歩く人はごく少数になってくるはずです。諦めた人、道を変えた人、残念ながら亡くなった人・・・それがどの道においてもみられる世界の摂理です。

 

 

で、たんたんと続けていれば、いつかは「その道の専門家」になっているはずです。

 

 

そんな人が発信する専門分野についての情報は、「説得力」なんてのはいやでもでてくるでしょう。

 

 

「説得力」なんてのは、長年にわたる研鑽や、困難をクリアーした経験。自分の中での葛藤を乗り越えた自信、やるべきことをやってきたという誇り・・・

 

 

こうしたものから「結果として生まれるもの」なのかと思います。そんな蓄積なしに「説得力」を獲得しようなんてのは、ちょっとおこがましい話なわけです。

 

 

「説得力ある文章」講座では、文章のテクニックや、人の感情をコントロールする技術みたいなものを学ぶのかもしれません。けどそんなのは所詮付け焼刃。

 

 

一時的にこうしたテクニックが使えることはあっても、何年も継続的に使えるようなものではないでしょうにね。過去に「人間の感情を刺激するような文章を書いて、マーケティングに活かす」って手法が流行りましたが、数年もたたずに衰退した様子をみても明らかでしょう。

 

 

こうした付け焼刃でつくられた「説得力」には、どこかに「他人をうまくコントロールしたい」「他人に思い通りに動いてもらいたい」という空気感が漂っています。

 

 

「そんな人を小ばかにした人のサービスや商品を買いたいか?」

 

 

自分のことにあてはめて冷静に考えれば、明らかなんでしょうけどね。わたしは少なくともごめんこうむり。

 

 

「説得力」なんて「青い鳥」を探すよりも、他にやることがあるはずですし。

 

 

 



 

June 10, 2020 in 経営をするということ人間の美意識について仕事のことについて | | Comments (0)

2020.05.29

リモートワーク、これから流行りそうですが

 

外資系の会社に勤務している友人がいます。 

 

 

数年前から出勤は月に数日で、あとはリモートワークで働いています。今思えば、時代の先駆けですね。 

 

 

「仕事場」である自宅に行ったことがあるのですが、次々と動画共有システムでミーティングを行う様子は見ていて圧巻でした。 

 

 

あの頃は、なんだか近未来のような気がしたものですが、いまは時代の流れで外資系のみならず、我々のような中小企業もこうした働き方を要請されているわけですね。 

 

 

当社も4月上旬からリモートワークをしてきました。で、「ああ、こういうことが大事なんだな・・・」というのが肌感覚でつかめてきました。百聞は一見にしかずですね。 

 

 

一番強く感じたのは、リモートワークは「筋トレ」のようなものだということ。 

 

 

「明日からリモートワークをやりましょう!」なんていわれても、すぐに実践などできるわけがありません。なぜなから私も含めて多くの人は「リモートワーク筋肉」がない(少ない)からです。 

 

 

「自宅で働く」には「自宅で働くための筋肉」が必要です。 

 

 

会社で働くのと、自宅で働くのは「筋肉」が違います。ここでいう「筋肉」とは、「気力」「集中力」「自己制御力」「計画力」「体力」などを含めたたとえのこと。 

 

 

会社で働くにも当然「気力」や「集中力」は必要です。けど、自宅で働く場合のまったく別物だと感じました。 

 

 

携帯やテレビを見ながら会社で仕事をしている人は少数派でしょうが、自宅であればそれがフリーですからね。「気力」や「集中力」を阻害するものがたくさん存在するのがリモートワークです。 

 

 

「我々は、リモートワークをするだけの筋力があるだろうか?」 

 

 

この大前提に立たないと「リモートワークをどう行っていくか?」は見えてこないかと。『誰でもラクラク!夢のリモートワーク成功読本』みたいなノウハウ本にたよっても、リモートワークなんて絶対に機能してかないでしょう。 

 

 

で、こうした「自宅で働くための筋肉」をつくるには、「自宅で働く習慣をつくる」しかありません。 

 

 

肉体を鍛えていく「筋トレ」と同様に、自宅で働く習慣つくることで「自宅で働くための筋肉」を少しづつつくっていくしかありません。 

 

 

冒頭に紹介した友達の会社には、「自宅で働く習慣をつくるための仕掛け」がたくさんあったそうです。 

 

 

日報のようなものは当然ありますし、「細かいミーティングをたくさんするための仕組み」、「やるべきことの進捗状況を一覧できる仕組み」「相互に仕事を評価する仕組み」・・・・ 

 

 

「自由を確保するがゆえの、不自由だよ。。」 

 

 

と笑いながら彼はいっていましたが、こういうことを繰り返しながら「自宅で働くための筋肉」がつくられていったのかと感じました。 

 

 

リモートワークは、これからの大きな流れになっていくことでしょう。国がその方向に向かっていますから、お金やサービスも動くでしょうし。「リモートワークをしていないと採用ができない」なんて日も、あながち非現実的ではなくなるかもしれません。 

 

 

でも、「リモートワークの導入」と「リモートワークが機能する」とはまったく別にとらえないと見誤ります。 

 

 

リモートワークは、 

 

 

「自宅で働くための仕組み」を会社が提供し、 

「自宅で働くための筋肉トレーニング」を働く側が行っていく 

 

 

この両輪があってはじめて機能していくのでしょう。 

 

 

これを、「アメリカ的な実力&成果主義的」にではなく「日本的にエレガントに、美しく、調和をもって」やっていくのをどうするか? 

 

 

経営側、働く側。それぞれの知恵が試されているのかと思います。 

 






May 29, 2020 in 仕事のことについて | | Comments (0)

2020.05.22

大人にとっての「先生」ってなんだろう

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講座をやっていると「先生」と呼ばれることがあります。 

 

 

以前は、「いやや、先生なんてやめてくださいよ。。。」といっていたのですが、ある時に「人には先生を求めたい気持ちがある」と気づきました。 

 

 

「先生との出会いが人生を大きく変える」なんてのは映画や小説でもよくあるテーマですしね。思い起こせば、私だって「先生」を欲していた人生だったわけですし。 

 

 

以降、「先生」と呼ばれることを拒否することはなくなりましたかね。 

 

 

そもそも、大人にとっての「先生」って何なんでしょうね? 

 

 

・知らないことを知っている 

・経験をたくさん積んでいる 

・生きる見本になるような点がたくさんある 

・存在そのものが、憧れ 

 

 

・・・あえて定義するなら、人によってさまざまかと思います。先日読んだ『先生はえらい』(内田樹 著)という本にはこう書いてありました。 

 

 

先生というのは、出会う以前であれば「偶然」と思えた出会いが、出会った後になって「運命的な必然」としか思えなくなるような人のことです。 

 

 

・・・ふむふむなるほど。で、この本ではこうも語られます。 

 

 

先生というのは「みんなと同じになりたい人間」の前には決して姿を現さない 

 

 

・・・これ、至言ですね。 

 

 

わたしには、何人も先生がいらっしゃいます。(先生の側が生徒としてみているかはよくわかりませんが)先生が活躍されている分野はさまざまですけど、この二つは共通しているなあ~としみじみ感じました。 

 

 

「先生とは何か?」を端的に語ることは、おそらくとても難しいはずです。それは「イケメンとは何か?」を語るのと同様で、万人にとっての統一した尺度など存在しないからです。 

 

 

そこには、「私にとっての先生」が存在するだけであって、「ほかの人にとっての先生」はどうでもいい話なのです。 

 

 

そうそうこの本の内田先生とは一度お会いしたことがあります。一年半ほど前でしたでしょうかね、講座で歴史や哲学のお話を伺いました。 

 

 

とても難しい話だったので内容はほぼ覚えていないのですが、「先生」についての話をされていたのは今でも記憶に鮮明です。 

 

 

 

先生とは、会うだけで自分の何かが軽くなる存在 

 

 

 

たしかそんな言葉だったと思います。これまた、至言ですね。 

 

 

May 22, 2020 in 仕事のことについて尊敬する人、または師匠筋 | | Comments (0)

2018.11.08

好きなことを仕事にできていいですね

「好きなことを仕事にできていいですね」


こういわれることがたまにあります。きっと自由そうだし、しょっちゅう旅しているイメージがあるのでしょう。服装も自由だし、上司もいません。きっと、この言葉は否定できませんね。


だからといって、「好きなことを仕事にする」ということにあまり価値を置いてはいません。


理由は二つかな。


まず一つ目は、「好き」ってのは単なる人間の感情だから。


感情を満たすために仕事があるのではなく、「世界のため、人のため」に仕事があるからです。「自分のやるべきこと」と「自分の感情」とを秤にかけたとき、「自分のやるべきこと」を選ぶのが企業家だとふつーに思うからです。


企業家なんですもの、「好き」「嫌い」の感情なんて、二の次、三の次です。そこは、「好きなことを仕事に!」なんてテンションの高い世界ではなく、もっとたんたんとした「こっちが望まれているならやりましょう」的な世界のような気がします。


二つ目は、「好き」って感情は一瞬たりとも同じ場所にとどまっていないからです。


「好き」は「次の好き」を呼び、「次の好き」は「その次の好き」の伏線になる。そう考えていくと、「好きなことを仕事にする」というのは終わりがなくエンドレスなはずです。どこまでこれを続けるか、という問題がでてくる。


で、「好き」という感情をを満たす感覚器官への刺激は、どんどんと強さを求めるようになるはずです。


例えば、講師業として独立した人がいるとします。最初は「人に教えるだけで幸せ」だったとのが、「もうちょっと大きな舞台でやりたい」だとか「もうちょっと儲かるようにしたい」だとか当然のように形を変えていく。


で、こわいのは「好きなこと」は時間をかけて「執着」へと形を変えていく可能性があること。


執着とは「それがないいといられない状態」です。私のことでいうと、「寝る前に食べるハーゲンダッツ」みたいなものですね(笑)


それがないと、欠乏を感じるのが執着です。逆にいうと、「ああ、寂しいなあ」って感情は執着の裏返しです。


「好きなことを仕事にしよう」と思って独立した、けどいつかそれが目的(執着)になっていた・・・これ、「誰でもが起業家時代」の今、そこかしこでみられる光景かと。


こと、「起業」において、「起業家の欠乏感から生まれたサービス」が長続きするとは思えません。日本の消費者はそんなのを簡単に見極める目利き力をもっているはずですしね。


「好きなことを仕事にする」


というのはビジネスモデルの一つだと私は思います。かつて就職情報会社が創ったといわれる、「本当のあなたに出会う」ってやつと構造は一緒ですね。

November 8, 2018 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.04.24

新しくブログができました!

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このブログがオープンしたのが、2005年。ブログブームの先陣をきりました。

で、今年。ブログのリニューアルを思い立ちました。


新しいブログはこちらです


講座などをやっていくようになり、私自身の情報をもっと整理整頓して世の中にばらまく方がベストかとか思い。有名雑誌の人物写真を撮影している、Aさんに写真をとってもらいました。かなり、ヤバめの(?)写真もありますがご容赦を。


このブログはこのまま残しますが(本当は消したい記事もたくさん 笑)、基本的にこちらの新しいブログをメインにやっていきます。


新しいブログのオープンにあわせて、Twitterもちゃんとやることにします。


この間、一緒に仕事をした占星術研究家の著名な先生が忙しい中でもTwitterをガンガンやっておられるのに刺激を受けました。


フォロワー数が少ないので、こちらでは毒のあることも書いていきます。たぶん。


Twitterはこちらです↓
https://twitter.com/amdotibet


まもなくGWですね。

April 24, 2015 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.04.21

起業家なら、できごとを徹底的に利用しよう

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起業家に必要なのは、できごとを徹底的に利用する力。


「いい」「わるい」をラベルを貼らず、官僚のごとく冷静に、「どうやってこのできごとを利用するか?」を淡々と考える。


そんな世界は取り放題のビュッフェのごとし。そこは、ポジティブシンキングじゃ垣間みれない、豊穣な世界。


「私は運がいい」ってポジティブな考え方も、所詮は「今の私にとって都合がいい」ってだけの話ってことがほとんどだろうしね。


『日本の神様カード』ワークショップin徳島、無事お開き。それにしても、取りすぎ(笑)


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以下、5〜6月で決定している予定です。


『日本の神様カード』講座 in名古屋 5月30日(土)


『日本の神様カード』講座 in広島 6月5日(土)


『日本の神様カード』ワークショップin京都 6月14日(日)※神様カード著者の大野百合子さんの講座です。私も参加!


神道学者•三橋健先生と訪ねる武蔵御嶽神社巡り 6月21日(日)〜22日(月)※神道学者の三橋先生と青梅の武蔵御嶽神社にまいります。私も参加!


April 21, 2015 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.04.17

天外伺朗先生、「ホワイト企業」の講演にいきました

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多くの起業家は葛藤のエネルギーを使って会社をつくる。成長とともに生命体である組織は意志を持ちはじめてくる。葛藤がベースになった経営をしていると、自分が先頭にたってないと不安定になる・・・。


フロー経営を提唱される天外伺朗先生の「ホワイト企業」の講演。どこもかしこも創業5年くらいでマネジメントの壁にぶち当たるのはこの辺が原因かもね。


意志を持ち始めた組織をコントロールしたくなるのは、「自分がいなくてもうまくいったらどうしようという不安」だと。あるね、多くの社長の心にそんな思い。


人や物をコントロールしたくなる心の奥底には、自分自身に対する無価値観があったりするのかもね。


天外先生のこれからの時代に対する経営への視点は素晴らしいと思います。


ただ、「ホワイト企業」というコンセプトが確立されれば確立されるほど、その反対概念である「ブラック企業」なるものの闇が深くなるような気もしましたです、はい。

April 17, 2015 in 仕事のことについて観た映画、読んだ本、行ったイベント人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.04.05

「小学生の将棋」というたとえ

「それは小学生の将棋じゃん!」という発言をあるところで聞く。


で、やたらと耳に残る。


「小学生の将棋」というのは、戦略もなく、いきなり王手を狙うようなこと。二歩三歩先をよまず、自分のしたいようにすること。相手の出方を想定しないで動くこと。


これに対し、「有段者の将棋」とは相手の動きや出方を想定し、それに対する打ち手までが用意されている中で、今の一歩を踏み出すこと。


仕事の調子がいいとき、ワタクシたちは「有段者の将棋」を無意識にやってるんだよね、きっと。仕事の調子がいまひとつなとき、気づかないうちに「小学生の将棋」をやってるんだよね。たぶん。


仕事が「小学生の将棋」のモードに入ってしまったときに大切なのは、自分自身に対して「岡目八目」になることかと。将棋を指している自分自身につっこみをいれていくことかと。


「お前の打ち方ってどうなのよ?」だとか


「もっと先々をみて打てよあ」だとか


いれられるだけのつっこみを自分自身にいれること。それも無責任に勝手気ままに。


そうすることでものごとを見る視点が変わって、視野狭窄から抜けられるんだな、きっと。


そいや、知り合いの経営者が「自分の中には二人の人格がいて、いつも対話をしている」といっていたが、彼の頭の中はどこか「岡目八目」の世界なのかもしれないね。


昨日、とあるブログセミナーにでた人の話(ブログでブランディングをするには「100%の記事よりも、60%の記事を毎日書くのがいい」)を聞いて、いきなりブログが書きたくなりました。


まさに「小学生の将棋」みたいな話ですが(笑)ちょっと更新頻度はあげてこかな、と。ワタクシはある部分で小学生なみに単純。

April 5, 2015 in 人間が悩むということ仕事のことについて尊敬する人、または師匠筋人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.26

苦悩の時には、ノウハウはまったく役にたたない

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「なんでこんなことが起こるの??」


かつて、仕事の人間関係をめぐる「苦悩」に直面したときがあります。


自分が見ている現実と、周囲がみている現実とのギャップにただただ驚き。意味が分かりませんでしたね。


「オレはおかしくなったか?」と思って臨床心理士のセッションを受けにもいくわけです(笑)(徹底的にやってやろうと思って結局、3年行きました)


その頃、当たり前のことに気づいたのです。


「苦難の時に、経営や人間関係のノウハウはほとんど役立たない!」(当たり前じゃん、、、ですが)と。


何の因果か31歳で創業し、経営をすることになりました。


何もわからないのでとにかくがむしゃらに経営だとか人間関係の本を読みました。その手のセミナーにもお金を使いましたし、テープやDVDの教材もとにかく買いました。


世の中は、「中小企業の社長が勉強するブーム」に溢れていた時代でした。有象無象のマーケッターやコンサルタントがキラ星のごとくでては、どんどん消えていく時代でした。


それらの方のノウハウは、場面場面では役立つこともありました。


これらがあったおかげで基礎体力みたいなものもできた感もありますし、どこか自信にもなりました。


ただ、


●人間が心底苦悩に直面したとき


●意識の力(ポジティブシンキング)なんかじゃ乗り越えられないとき


には、まったく役立たないことに実体験として気づいたのです。


考えてみれば、あたりまえ。経営のノウハウなんてのは、数百年の歴史の風雪に耐えた普遍的なものなどないですからね。


「環境」「条件」などの変数が変われば、一気に使えなくなるものばかりだし、「人間の個性」っていう大事な部分を度外視したものばかり。。。


私は「いままで役にたつ!」と思ってたものが何ら使えない状況の中で、どーしたもんか、と思っていたわけです。


そのころ、ふと思ったんです。


「一人の経営者が、与えられた環境や条件の中で、四の五の言わず、自分が直面したできごとにどのように対応していくか」


これが経営じゃねか、と思ったのです。


文章で書くと「へー」かもしれないですが、これは私にとってパラダイムの変換だったわけです。


これまでは、「自分の理想があって、そのためにどうするか?」•••それが経営だと思っていたのです。ビジョンを描いて、理想と現実の間のギャップを埋める作業が、社長の役割だと思っていたのです。


それが、「直面するできごとにどのように対応していくか?」になったわけですからね。


どこか年寄りくさいし、どこか淡白だし、どこかあっさりしてる


それまでは、がむしゃら系でしたから、これを受け入れるのはかなり大変でした(笑)


けど、「その先にこそ自分が目指す経営者像がある」がなんとなくの予感から、確信へとどんどんと変わっていったんです。


そうしたら、日本の古の伝承『古事記』やインドのヨガ哲学『バガヴァッドギーター』など数千年の歴史を持つ本がいままでとはまったく違った形で読めるようになったわけです。


これらの根底を流れている考え方と、自分の志向するものとが同じ線の上にあるような気がしたのです。


それはまるで、「お前の生き方は正しいぞ」といってくれているかの気分。「そんな経営者がいてもいいじゃないか」といわれている気がしたわけです。


これらの物語にでてくる主人公の苦難に自分を投影さえすれば、苦難は苦難じゃなくなる、と感じたわけです。


で、それを会社経営者の立場としていつかつたえていきたいな、と思ったわけです。


社長として経験した「苦悩」、そしてそこでつかんだものは、次の時代の社長の財産になるなと思ったわけです。その思いが「苦悩」を耐えているときの、自分の励みになったわけです。


あさ、ふとこんな過去のことが頭をよぎったので自己開示。ってか、久しぶりのブログ更新なのに記事が長いし(笑)


March 26, 2015 in 人間関係に関すること人間が悩むということ仕事のことについて人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.05

エゴ=1/知識

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インド哲学の授業で教えていただいたアインシュタインの公式。


「なんでこの話をそう受け取るんだよ、意味わかんねえ」って人間関係のイライラ。なんとなく、この公式が解明してくれているような気がしてならん。


エゴの絶対任務は自分自身の防衛。知識は自己を防衛するためでなく、自分自身のエゴを消滅させるために使いたいもの。


エゴまみれの身体にひらめきが宿ることはそうそうないでしょうからね。

March 5, 2015 in 人間関係に関すること人間の認知について仕事のことについて人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.03

神話を学びたいがなかなか機会がない、という皆様へ

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「12、3歳までに神話を学ばなかった民族は必ず滅びる」


イギリスの歴史学者 アーノルド•J•トインビーの言葉です。


戦後の占領政策、GHQの指令で我が国の神話がズタズタにされました。


神道的色彩を有する儀式、慣例、神話、伝説、哲学から物的象徴に至る一切のものを除去(『神道辞典』)され、公に神話が学ばれなくなりました。


終戦が8月、神道指令の発布が12月ですから、その間わずか4ヶ月。


おそらく、彼の国は神話のもつ力を知っていたのでしょう。


神話が苦しい時のよりどころとなること。神話が人と人とを結びつけるものであること。神話が一人一人のアイデンティティを確立させること。


そして、民族の神話という大きな世界を持つものの力強さを知っていたのでしょう。その力強さがよほど脅威だったのでしょう。


「建国記念日を20%の人しか理解していない」


先日そんな報道が出ていましたが、GHQの神道指令がかくも有効だったということなんでしょう。


過去の私は、たしなみとして神話を学びたいと思ってました。ある程度の年齢になって、神話の一つも知らないのはカッコ悪いなあ、という感じでした。


けど、いまは後の世代にきちんと伝えるために神話を学びたいです。


今回、ご縁あって「神話に関するイベント」を企画しました。


1980年代に英国で発売され、現在までベストセラーを続けている『神託のタロット』。ギリシア神話と心理学とが融合した素晴らしいカードデッキを通じて、心と運命の秘密を探る特別講座です


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講師は、このタロットの監修であり占星術研究家の鏡リュウジ先生。


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「さあ、神託のタロットの世界へ。このタロットを展開することで

あなたのテーブルの上に壮大な神話絵巻物が出現します。

そして、その神々のドラマは、あなたの心の中で、

そして運命として現れてくる人生の姿。

心と運命の秘密を、このタロットで探っていきましょう。」

-鏡リュウジ-


神話はその広大な世界観ゆえとっつきにくい方も多いかもしれません。ぜひ、第一線で活躍される鏡先生の講座をきっかけに神話への関心の扉を開きませんか?


神話は私たちが日々を生きていく上で必要な叡智の宝庫。学ばないと損、とまで私は言い切ります!




日程:2015年3月15日(日)
   14:00~16:00(開場13:45~)

会場:日本青年館 302号室



参加料金:4,500円(税込)



お電話もしくはファックスでのお申込


TEL:03-6380-5550(平日10時~18時 担当:本田) 


FAX:03-6380-5560



詳細はこちらです↓↓
ヴィジョナリー•カンパニー チケット受付センター 


March 3, 2015 in 仕事のことについてオラクルカード&タロットカード | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.02.02

1月31日は創業記念日でした

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1月31日は14回目の創業記念日。ご縁ある会社の一角に、中古のFAXと段ボールでつくった看板(?)を置かせていただくことから当社はスタートしました。


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この看板はいまでもワタクシの近くに鎮座してまして、時に「初心の自分に近づけ」と叱咤くださいます。あの頃の経験や知識、人間関係で独立しようと思ったのだから、若いってのはスゴい。。。

February 2, 2015 in 仕事のことについて人間の成長について初心を忘れないということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.21

人生をクリエイトしていく、という覚悟

「世界の謎と不思議に挑戦する月刊誌『ムー』」


探究心をかきたてるこの名門雑誌の三上編集長と、青山•表参道で圧倒的人気を誇る占い師 キャメレオン竹田さんとの対談イベントが行われました。


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◉「人気芸能人の離婚に伴う不思議な裏話」
◉「フリーメーソンの秘密」
◉「幽霊はどう出てくるか?」
◉「ピラミッドはエジプト文明の建造物か?」
◉「小さなおじさんのミイラがみつかった話」 

•••など、知的好奇心を刺激する話の数々。。。


さすがに、話のレパートリーが広い、話の一つ一つが深い、そしてどこかアカデミック。三上さんが国立大学の物理学科を卒業しているらしい、と聞いて納得。


「ワタクシにとって不思議なことって何かな•••?」と思ったときに、


「なんで、人生をクリエイトできる人と、そうでない人がいるんだろう」


という思いがもたげてきて•••第三部でキャメさんに話を聞かせていただきました。


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「自分がこうありたい」ということをイメージし、いい波動の状態をつくる。で、自分ができることを、たんたんと行う。うまく行かなかったら、やり方を変えて、しつこくやりつづける。あとは、覚悟する。


すんごくはしょってますが、そんなお話しでした。


んんん?


この手の話はちょっと本を読む人なら情報としてはしっているような話ばかりで、特に目新しいことではないわけで•••。


けど、話を聞くというのは言霊のシャワーをあびることですから、やはり実感のある人の生の言葉はエネルギーがあるんです。


まさに、そんな時間でした。キャメさんの見た目と「覚悟」という言葉のアンバランス感(?)がとても新鮮でした。


最近、アドラー心理学が流行っているようですが、どこかに


「もう、現実をしっかりとクリエイトしていく時代でしょ」


って集合的無意識の叫び(のようなもの)が来ていると思うのです。

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※この本、ベストセラーですけど、アドラーがよくわかります。


「◎◎が障害となっているから何かができない」


だとか


「ワタクシの●●な性格があるからうまくいかない」


というのは、「できない自分でいることで感じる心地よさ」があるんでしょう。


「人生をクリエイトしていく」には、まずこの心地よさという布団をおっぱがして、寒空にでていく必要があると思うのです。


そこに必要なのが、覚悟。人生をクリエイトすることに責任を持つ、という覚悟ですね。


そんな気持ちを決めるだけで、きっと現実はバタバタと動きはじめるのでしょう。


逆にいうと、「現実が動いていかないのは、覚悟が決まってないからなのか?」•••こんど三上編集長に聞いてみよ(笑)

January 21, 2015 in 仕事のことについて人間の成長について感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.13

『古事記』は「無益なエクササイズ」として読んでみる

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「なにかをしたら、なにかが得られる」


もしくは、


「なにかをしたら、なにかになれる」


そんな価値観バリバリな世の中を、ワタクシたちは生きています。


だから、「(日本の神話の)『古事記』をぜひ読みましょう!」というと、「『古事記』を読むと何が得られるんですか?」的な反応が返ってきます。


「『古事記』を読むと、自分がどう変わるんですか?」的な質問がきたりします。


そんな質問に対して、「精神性が高まる」だとか「神話を理解することで地に足がつく」という答えをすることは可能かもしれません。


けど、ちょっとずれてると思うのですよね。。。。だって、『古事記』にはそんなエゴ丸出しの神々はいらっしゃらないし(笑)


「なにかをしたら、なにかが得られる」という発想は、現代人だったらフツーに行う思考パターンでしょう。


けど、たぶん『古事記』はこれとは対極にあって、「自己の役割や使命を果たしたら、あとの結果はこだわらず」って世界だと思うのです。


ワタクシの経営方面の師匠は、「『無益のエクササイズ』を生活に入れろ」とよく口にします。


自分の解釈では、「なにかを得るためになにかをする」のではなく、「なにかを得るとか得ないとか考えずに、毎日たんたんとなにか(エクササイズ)をする」ということ。


本を読むでも、文章を書くでも、人と会うでも、勉強するでも・・・「益を求めない行動を日々の中にいれておく」ということかな、と。


『古事記』も「読んだら○○が得られる」という頭なしに、


「日本人だから神話の一つくらい知っとくか。自分の人生のどこで役にたつか分からないけどねえ・・・役にたたなくても、それもよし」


そんな心持ちで読むといいのではないでしょうかね。


「無益なエクササイズ」の積み重ねは、いつか豊穣な世界をつくりだしてくれるとワタクシは信じて疑わない一人です。


「俺の人生、歩んできたら過去には想像もできない世界が広がっていた」なんてのは、ほとんどが「無益なエクササイズ」を続けてきた先にある世界観でしょうしね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※以下、そんな『古事記』に関するご案内です


講師 小野善一郎先生(湯島天満宮 権禰宜•國學院大学博士)
先生の講義は、「学ぶ」というより「感じる」内容です。先生とは同じ時代に國學院に通っていたというご縁もあり、一参加者として毎回楽しみにしています。


◉1月24日(土)「日本を元気にする古事記のこころ」二子玉川勉強会
14:30〜16:30
お申し込みはこちらからです。


◉2月6日(金)「第7回古事記勉強会〜日本人の心を取り戻そうIN横浜」
9:30〜11:30


以下、主催者告知から抜粋になりますーーーーーーーーーーーーーーーー


第7回目は【黄泉の国】
火の神をお生みになった伊邪那美命(イザナミノミコト)はそれが原因で命を失ってしまいます。


嘆き悲しんだ伊邪那岐命(イザナギノミコト)はもう一度会いたくて地下にある死者の国と言われる黄泉の国に呼び戻しにいかれました。そこでの出来事を通して『黄泉戸喫』(ヨモヘツグイ)と伊邪那岐命が黄泉の国で禁忌を犯したことの意味の2点について読み解いていきます。


古事記に残されている出来事と私達日本人で考え方や風習などと関連していることがわかる日本人の細やかな心遣いの真意がわかるかもしれません。


単なる古事記の解説だけではなく、小野善一郎先生の著書から、古事記のお話しをもとに、日本人が自分自身と向き合い、日本人としての根本の道理、その本質を取り戻すためのお話しです。


【会場】かながわ県民サポートセンター 3階302号室
横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2
JR・私鉄横浜駅 北西口・西口から徒歩5分
アクセス http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f5681/p16362.html


【会費】
2000円(高校生まで無料) 当日お支払いください。
☆お子様連れ可


■お問い合わせ連絡先
japan.kokoroagain☆gmail.com   ←メール送信の際は、☆を@に変えてください

January 13, 2015 in 仕事のことについて尊敬する人、または師匠筋観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.12.24

お客さんから愛されていれば、お客さんがその会社を辞めさせるわけがない

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「お客さんから本当に愛されていれば、お客さんがその会社を辞めさせるわけがない」という師匠の言葉を思い出した水曜日の朝。

December 24, 2014 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.11.04

英語で職業のことをcallingともいうらしい

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英語で「職業」のことを「calling」と呼ぶらしい・・・連休中に読んだ本にたまたま同じ物言いに遭遇する。


他者から求められていること、呼びかけられていることに仕事の意味を見出す考え方。


そしたら黒澤明の名作「生きる」が観たくなった。

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自らに投げかけられているcallingをキャッチし、たんたんとこなす先に自己実現ではなく、自己超越があるって世界。「生きる」がまったく別の映画に見えたから驚き。


ってなことで、今朝も「メシくれ!」という我が家のネコのcallimgから一日がスタート。

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ぼけーっと生きているつもりでも、人はさまざまなcallingを投げつけられていますね。今週もご縁のかる方、よろしくお願いいたします。

November 4, 2014 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.10.31

俺のフレンチTOKYO オープン@銀座1丁目

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「食材原価率を高めて、優秀な料理人を集めて、口コミと高い回転率で利益を出す」という新しい市場をみつけた俺フレ。


成熟しまくっている日本の飲食業で新しい業態なんか、なかなか思いつかないでしょ。。。。


俺フレの成功が日本経済に与えたインパクトは「どんな業種にも、まだ誰も発見していない、新しい市場が存在している」ということを世の多くの経営者に見せつけたことじゃないか、とワタクシは思うのです。


新しい市場は、いつか誰かに発見されることを待ってる。それを発見できるから、社長は社長たりえるんじゃないか、と。


October 31, 2014 in 運だとか実力だとかについて仕事のことについて観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (2) | TrackBack (0)

2014.04.03

知らないうちに反知性主義に毒されていないだろうか?

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『ヤンキー化する日本』斉藤環


「行動してみなければ分からない」


確かにそれは、そう。


机上で考えるのと、現場で行動するのは確実にギャップが存在する。行動してみなければ、確かにこの世はわからないことだらけ。


でも、そこに「反知性主義に毒された自分」がいないかを自覚することは大事なこと。


「反知性主義」とは、じっくりと考えたり、情報を徹底的に集めたり、人の話をきいたり、歴史を調べたり・・・これらを「意味なきこと」としてしまう姿勢ですね。


敵と味方の戦力の違いを無視して無謀な戦争に突入した我が国の歴史を顧みるまでもなく、反知性主義はいたるところに蔓延するもの。


おそらく、知性主義を働かせると「見たくない現実」にぶちあたってしまうからなのでしょう。


例えば新しくビジネスをたちあげるとします。


そこで必要なのは、「気合い」でも「行動」でもないんです。まずは、徹底的な「知性」。自分がやっていくことに関して、知る(調べる)ことですね。


とかく、「知る」は「行動」に比べて地味。で、頭を使うし、しんどい作業です。(特に、起業を立ち上げるタイプの人は行動重視の人が多いでしょうし・・・)


「行動」には、なんとなくの「忙しい感」を伴います。心身が「オレはやってる感」に包まれます。


一方、「知る」には、「オレはなにやってるんだろ感」だとか「行動しなきゃヤバい感」がもたげたりします。


このじっくりと知性に向き合ってられないってそわそわした感覚が、知らずのうちに身につけている「ヤンキー化」した部分なのでしょう。


誰の心にもヤンキーはいる。これが僕の基本的な考え方だ。素直にヤンキースタイルを生きる者もいれば、嫌悪とともにそれを“否認”する者もいるだろう。しかし僕の見るところ、現代はヤンキー文化のエッセンスが、かつてないほど広く拡散した時代だ、むしろ自明すぎて見えなくなっているとすら言える。(P8)


著者のこの言葉、納得ですね。

April 3, 2014 in 経営をするということ人間の認知について仕事のことについて感じたこと | | Comments (0)

2014.03.11

自分の強みを活かせないのはなぜか?

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『創造する経営者』(P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社)


「自分の強みを活かしましょう」


ビジネス書でよくいわれる言葉です。


けど、自分の強みを等身大で把握するのは案外と難しいもの。


だから、周囲からは「どう考えても強みじゃないだろ?」ってことに突っ込んで自滅するようなことがでてくるわけです。


なぜなんでしょうかね?


おそらくなのですが、潜在意識は「自分の弱み」をよく知っているわけです。不得意で、苦手で、それをやってもなかなかうまく行かない、ということを知っているわけです。


きっとどこかに、それらを「なきもの」にしてしまう心の働きがあるんでしょう。


あとは、「自分の強み」に居着けない心の働き。


「自分の強み」ってのは使命として与えられたものだし、耕せばそれなりに豊かになるはずなのに、「自分にはない強み」を追い求めてしまう心の働き(青い鳥症候群)が作動するんでしょう。


「自分の強み」ってのはどうも過不足なく把握するのが難しいようで・・・


だからこそドラッカー博士はことほどさように「強み」を口にするのでしょう。

March 11, 2014 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.03.07

『日本の神様カード』ミニ版 校了

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2008年3月の発売以来、13刷のロングセラーとなっている『日本の神様カード』にミニ版(トランプ大)が登場します。


先日、校正がでてきました(上の写真、カードパッケージが現カードのサイズです)。


小さくてコンパクトで持ち運びに便利で・・・まずます神様が身近になることと思います。


「日本の色をつかった花札のようなカードで、日本の神様からのメッセージをいただける日本発のオラクルカード」


というひらめきがあったのが、2006年冬のこと。飯田橋(東京都千代田区)の喫茶店でした。

その場で、フリーの企画者として活躍される宮澤大樹氏(龍音堂代表)に電話し、「『古事記』で描かれている神様のメッセージを、直接神社にお参りをして受け取ってみてはどうか?」


というアイデァが生まれました。


ここから『日本の神様カード』はスタートします。


以降、


私と同時期にあるインスピレーションを受けていた著者・大野百合子さん。


なかなか候補者が決まらない中で、ようやくと決まったイラストレーターのDenaliさん。


せっかく世の中に出すならちゃんと監修をしていただこうとのアドバイスをいただいた林武利氏と國學院大学神道研究所の職員の方。


監修を引き受けていただいた私の母校・國學院大学の三橋健先生と研究室の皆様・・・


「どこから手をつけていいか分からない」と暗中模索状態からスタートしたカードは、何かの導きがあったとしか思えない出会いや不思議なできごとの数々で1年と数ヶ月で世にでました。


「自分たちがつくったのではなく、何か大きな存在につくる使命を与えられた」


と思うしかありませんでした。今思うと、カードの着想から完成、流通までのすべてが、自分たちではない存在の意志に基づくものではないか、と。


今回、ミニ版発売を記念し東京、長野、北九州で講演、ワークショップが開催されす。


私も3カ所全てに参加させていただき、「『日本の神様カード』制作のものがたり」をお話しさせていただきます。

長野会場 4月 5日(土)『日本の神様カード』著者・大野百合子さんワークショプ

東京会場 4月12日(土)『日本の神様カード』監修・三橋健先生講演

福岡会場 5月18日(日)『日本の神様カード』著者・大野百合子さんワークショプ


カードの制作を通して感じた「神ながらの道」。人間がしあわせに生きるためには、こうした生き方へのパラダイム変換が大切ではないでしょうか。


よろしければぜひご参加ください。


カードは今日、校了。4月17日(木)全国発売です。

March 7, 2014 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.27

「作り手の人格」を込める作業

夏までに、ある商品を市場に出します。


で、「この商品が使われそうなシチュエーションをたくさん考えるように」と現場に指示を出しています。


「たくさん」とは抽象的ですが、イメージとしては100通り。自分自身でも20通りくらいはすぐに考えつきましたが、なかなかハードルが高いですね。


実際は、100通りのつかわれ方を考えても、その通りに使っていただけるわけがありません。ユーザーは常に作り手の期待を裏切りますしね。


しかしながら、


「えっ、こんな使い方するの?考えもしなかったわ•••」


と、いい意味での裏切りをするのもユーザーであるわけです。


そんなところから、「どうせ分からないならまずは市場にだして反応をみればいいじゃん」という意見も生まれます。


原因と結果の因果関係がみえにくい複雑系の社会です。確かにそれも一理あるのでしょう。


ただ、あらゆるプロダクツは「作り手の何らかの意志」が込められています。さらに言うと「作り手の人格」のようなものも込められています。


この「作り手の人格」を込める作業。


それが、「商品が使われているシーンを徹底的に想像する」ということじゃないかと思うのです。


どんな業界の、どんな商品だって「作り手の意志」なきところに商品は存在しないわけです。


商品は時間と空間を越えて存在しつづけます。(むろん、いつかは形なくなりますが)


顔も名前も知らない方が商品を手に取って、作り手の人格を感じとるわけです。


そんなことを考えると、できる限り「作り手の人格」を込めて世の中に出したいと思うのです。

February 27, 2014 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.21

結果は大切なものなり、されど執着せず

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「契約さえとれれば、一日中寝てたっていいんだ」


住宅の歩合営業をしていた16年ほど前、上司によくいわれました。


たまたま、その頃に読んでいた本がでてきました。(ちなみに、著者の丸山景右さんはそんなことは書いていません)


「仕事は結果が全てである」


たしかにそれは事実。結果(売上や契約)がなければ給料だって出ないし、事務所の家賃だって払えない。


けど、いにしえから続く哲学や思想の多くは「行為の先にある結果の放擲(手放す)」を異口同音にいうわけです。そこに人間本来の自由、ひいては人のしあわせがあるといっているわけです。


編纂から2,000年以上経つヨガ哲学『バガヴァッド・ギーター』だって、中国の代表的な古典『老子』だって、自分には「行為の先にある結果に執着しない方がいい」と読めるわけです。


「仕事は結果が全てだ!」みたいなイケイケな会社に席を置かせていただいた人間が、何かの縁から会社を興して、そのうちにギーターや老子を手に取るようになった。


これは、「『行為と結果』について社長というちょっと難しい立場でお前なりに考えなさい」という使命を自分は与えられているのかもしれませんね。


今の自分は、


結果に執着するエネルギーを創造(行為)に向けること


たぶん、それだけで見えてくる現実ってだいぶ変わるんだな、と感じています。感覚的には、「結果は大切なものなり、されど執着せず」って感じでしょうかね。


追記
この頃は、飛び込み営業をよくやりました。


確か2,750軒訪問すると1軒契約できるってデータでしたね。


今思うと、優秀な営業マンはたんたんと訪問数だけこなしていた(=行為にエネルギーを集中させていた)ように思えたりします。もちろん、工夫や改良を重ねながらですけどね。


結果に執着をしてしまうと、工夫や改良ってところにいくエネルギーが分散されてしまうような気がしますね。

February 21, 2014 in 仕事のことについて人間の成長について感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.19

着想したアイデァを丹念に育てよう

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頭の中か、腹の底か、身体のどこかか、エネルギーフィールドか・・・


どこにか分からないけど、アイデァが着想される瞬間があります。


「おっ、きた、きた!」という感覚。


と同時にくる「なんだこれ?」って感覚。


自分の場合、頭の上50センチくらいのところに何かしらの貯蔵庫のようなものがあって、そこから何かを引っぱり出すような感覚。


最初は燃え尽きる間際のお線香のようなものだから、取扱い注意しながら、「あなたは誰ですか?」と聞いて存在確認をしているような感じ。対話をしているような感じ。


けど、アイデァが一定の熟成を得るとアイデァ自身に人格のようなものが生まれてきて・・うまくいえないけど、アイデァが主体となってアイデァを創リ出していくって感じに。


けど、このあたりで問題が・・・


エゴ(ワタクシ)が生まれてくるんです。


「このアイデァを生み出したのはワタクシ」ってことで、エゴはアイデァがアイデァを創り出していく作業をじーっと見守ることができないわけです。


現場の仕事になんでもかんでも介入する社長みたいに(笑)「あーでもない」「こーでもない」といおうとするわけです。


で、はじめは純粋でピュアだったアイデァ君が、エゴまみれになっていくわけです。着想時のまま、育たないわけです。


アイデァってのは、たぶん大きな存在からの恩恵です。


「こいつは頑張っているから」なのか「この人は優秀だから」なのか「この人にこれをやらせて苦労させよう」なのかはよくわかりませんが、たぶん恩恵です。


で、どうも大きな存在は、「同じような時期に、多くの人に、同じような着想を宿らせる」という遊びをしているとしか思えない(笑)


だから「あのアイデァはオレだって考えていた」みたいなことが起こるわけです。


大きな存在は、アイデァを孵化させて形にしてくれることを望んでいるんでしょうから、着想云々で文句をいうんじゃねえって思いますけどね。


今日は一日研修会。


去年着想したアイデァが自己増殖してちょっとだけ形にまとまりましたので、仲間から忌憚なき意見をきいてこようかと思ってます。

February 19, 2014 in 仕事のことについて感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.06

いまいる場所に在り続けることの覚悟

住宅会社で歩合の営業マンをしていた1998年頃の話。


「将来のビジョンをつくる」的な本をたまたま手に取りました。


そこには数々のワークシートがあって、それらをまとめると「将来のビジョン」が完成する、という本です。


「よし、やってみよう」とペンを手にとり着手したのですが、最初のページで手がとまりました。


なぜなら、こんな一文があったからです。


「将来のビジョンは今現在とは違うどこかにあるんじゃなくて、今日の生活や仕事にきちんと向き合った先にあります。


今、仕事をしている人は『最低でも5年は今の仕事を続ける』という覚悟を持った上で、このシートに向き合ってください。云々」(だいぶ自分の言葉で表現しています)


当時の自分、「これから先、仕事どうしよっかな?」と考えていました。


歩合だから生活は不安定だし、連日の飛び込み営業や夜訪(帰宅時間を狙って訪問すること)も「はたして、これが精神&肉体的にいつまでできるのか?」って思ってましたしね。


だから、『5年間は今の仕事を続ける』って覚悟なんか毛頭持てなかったわけです。


あれから16年が経過しました。


「自分がいまいる場所に在り続けることの覚悟」


16年前の自分にとっては耳が痛いんですが、いまの会社組織に足りないのはこんな意識じゃないでしょうかね?


「もっと他にいい場所があるんじゃないか?」って青い鳥症候群だったり、「ここに居続けないと生活が心配」という執着心だったり、「いやなことがあればいつ辞めてもいいや」って開き直りだったり・・・


「人は覚悟をしなくなってないか?」と思うのです。


人間、覚悟を決めた所で将来はどうなるかわからないわけです。覚悟をしても、転職や独立、旅人へ転身って道が開けてるかもしれないわけです。


けど、今、今日、この場所で「自分がいる場所に在ることの覚悟」が持てないのは残念なことだな、と思います。時間は有限ですし、モラトリアム的な生き方はクセになりますし。


覚悟は選択であり、決断です。


どこかに逃げ道を探す生き方はやめて、「いまいる場所に在ることの覚悟」をまずは決めろ


今思うと、「5年間は今の仕事を続ける覚悟」と書いた著者はこんなことをいいたかったのかもしれませんね。


誰の、どの本だったか忘れましたが、なかなか本質的なことを書いていたなと思うのです。

February 6, 2014 in 人間の美意識について仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.05

経営学についてちょっと考える

「大企業の役員と対等に経営の話ができる」


会社を創ったころ(2001年)、そんなことを思って経営の勉強をしました。


ポーターの「競争戦略」、ドラッカーの「企業の強み分析」「ユーザーのギャップ分析」、コリンズの「ビジョン経営」、日本発の「暗黙知経営」、当時流行していた「ゲリラマーケティング」・・・


で、それらはそれなりに自分の血肉になりました。成果に直結するものも確かにありました。


けど、いつからか経営学の語るところの経営ってのはどこかに違和感があるように感じてきました。


それは、「経営理論が現場で使えるわけないじゃん」という現場主義的な意味ではなくて、もっと根底レベルでの違和感ですね。


「なぜ、うちの会社が存在しているのか?」


経営学的にいうと、それは「ニーズがある商品(サービス)を他社よりも低価格か高付加価値で提供しているから」ということになるのでしょう。


けど、「なにゆえ、その商品(サービス)を提供するようになったか?」ということを考えてみるとき、ほとんどの経営学では「人間が主体的に考えて商品(サービス)を考えた」というスタンスにたっています。


けど、それだけじゃないと思うのですよね。


で、たぶん経営学ではこの「それだけじゃない」という部分を追っかけることができないのです。こまかな事情はわからないですが、学問として成立しないのかもしれませんね。


経営の世界には、「たまたま」だとか「想像もしていなかったけど」だとかいうことがよくあります。


で、優秀な経営者であればあるほどこれらをうまく活用している。ってか、「それらのできごとをうまくマネジメントしてるんじゃね?」とすら思える人だっているわけです。


たぶん、ここは「人間に与えられし使命」と「経営者の志」って話のような気がするんです。


「志あるところに、経営者としての使命がやってくる」って世界観。


おもしろいのは、「志がなくても、使命がやってくる」こともあれば、「志は強いけど、使命がやってこない」ってこともあること。


ここらへんの差配は関心がありますが、とうていワタクシなどには分かるわけもなく・・・。


ということで、「大企業の役員と対等に話ができる」からスタートしましたが、MBA的な話にはもはや関心がほとんどなく・・・(笑)


でも、ここらへんのことを「あーだ、こーだ」というあたりに自分の使命があるんじゃないか、という予感もあったりもするわけです。

February 5, 2014 in 経営をするということ仕事のことについて人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.31

リーダーに「幸せ」の哲学が必要になってきた

人は、誰しもが幸せになりたいわけです。


でも、「幸せ」というのはそれに焦点をあわせても求められないもので、「何かの結果」としてもたらされるものなようです。


では、「何か」をきちんと、正しく行うのであれば「幸せ」になるか?


という話になるのですが、それはわからないわけです。


それは、「きちんと」だとか「正しく」というのは極めて主観的な価値観だからです。


「ワタシは幸せになりたい」という思いが強すぎて、「きちんとやらねばならない、正しくやらねばならない」というのがエゴまみれになっていたら、たぶん「幸せ」は遠のくと思うのです。


「何か」をやって、その先の結果はお任せする


たぶん、古からの叡智は人間にそのような生き方をすすめています。


ポイントは、「何か」に「きちんと」だとか「正しく」だとかの判断を加えないこと。あとは、「結果」に執着をしないこと。


「因果の法則」は世の中に遍く広がっていると思いますが、「原因」と「結果」の関連性など人間の思考レベルで分かるものではありません。


だったら、「結果」に執着するエネルギーを、「原因」(行為)に向けることが大切なのだと思います。


「人はどうしたら幸せになれるか?」


宗教や哲学の専売特許(?)だったこのテーマ。今のリーダー層はこうした哲学を自分なりに持っていないといけないような時代感になってきたんじゃないでしょうかね。


だって、「仕事のやりがい」や「モノに囲まれた生活」には興味がない人がいるでしょうが、「自分自身の幸せ」に興味のない人はいませんからね。


特に、「幸せ」に今ひとつ脆弱感があるようないまの時代の中ではなおさらです。

January 31, 2014 in 経営をするということ仕事のことについて感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.28

なんとも不思議な気分

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当社がオリジナルで制作したとある商品。


海外にコピーライツ(版権)が売れたのは一昨年の秋のこと。


それが、商品となり、売上となり・・・このたび、ドイツの出版社から売上報告がありました。


いままで、海外の会社に商品を販売したことはあっても、権利収入が海外から入ってくるのは初めてのこと。


「嬉しい」というよりは、ミュンヘンだとか、フランクフルトだとかで商品が販売されているかと思うとなんか不思議な気分です。


商品をつくりはじめた時は、


「この商品知ってます?」と自社でつくった商品を誰かから話題にされる


というのを目標にしてきました。


今後は、


海外を旅していたらたまたま当社の商品に巡りあった


を目標にしたいですね。

January 28, 2014 in 仕事のことについて感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.22

あのとき、ああいったじゃないですか

「文脈」


言葉は文脈で語られるわけです。


逆にいうと、文脈から言葉だけを取り出しても、本来は存在価値がなくなってしまうわけです。


言葉は絶対でないわけです。ってか、言葉ほどいい加減なものはないわけです。


だって、文脈によってその姿形をどんどんと変えていきますからね。


「あの時、こういったじゃないですか」


的な話は、組織の大小を問わずどこでもあることだと思います。私もこの手のやりとりは数えきれないほどやってきましたしね。


確かに、言葉だけとらえると主張する側の論理も分からなくないわけです。


でも、そこには文脈が存在している(存在していた)わけです。その言葉が語られた流れ、背景があるわけです。


その文脈を踏まえた話であればいいんです。


けど、多くの場合は時の経過とともに、文脈は忘れさられ言葉だけが一人歩きしているわけです。


こんな例に、「武士道とは死ぬことと見つけたり」で始まる『葉隠』という古典があります。江戸時代に出版された武士の心得について書かれた本ですね。


この一節(言葉)だけみると非常にエキセントリックな主張に聞こえるわけです。だから、『葉隠』が先の戦争で「死を恐れず戦え」という国威発揚に使われたわけです。


けど、この本をきちんと読めば「武士らしく生きるためにどうするか?」という文脈があるのがわかるわけです。死ぬための本ではなく、生きるための本なわけです。


著者が生きていたら、どう思うんでしょうね。。。。「オレの言葉を勝手に解釈するなよ」とかいうんじゃないでしょうかね。


人間、脳のメモリーはあるようでそんなにないようです。だから、どんどんと文脈を忘れていくんです。で、自分にとって都合のいい言葉だけをメモリーしていくんです。


あとは、無意識のうちに自分にとって都合の悪い文脈をディレート(消去)してしまうこともあるようですね。でないと新しいものが入ってこなくなってしまうでしょうし。


「あなたは自分の都合で組み立てた言葉を発してるし、私だってそう」


言葉ってのはいい加減なものなんですから、本来ここはお互い様の世界なんですよ。


そもそも無力で限界がある言葉を通して我々はコミュニケーションを強いられているわけです。大いなる存在がこの世を生み出した時にちょっとばかし遊んだのかもしれませんね。

January 22, 2014 in 人間関係に関すること人間の認知について仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.30

使命に「命」を「使」われる

使命、って言葉があります。


この言葉、「命を使う」とも「命を使われる」とも解釈できると思うのです。


自分の「命」を「使」って使命に邁進する


うん、言葉としてはおかしくありませんね。


けど、自分は


自分の「命」が使命に「使」われる


というのが本来の姿じゃないかと感じるのです。


自分らは仕事を選んでいるんじゃなくて、仕事に選ばれているんです。


自分らは本や映画を選んでいるんじゃなくて、本や映画に選ばれているんです。


同様に、


自分らが使命を見つけるんじゃなくて、使命の側に見つけられているんです。


使命の側に「命」を「使」われているんです。


「この人間に任せたら形にしてくれそうだ」


と使命の側から選ばれているんです。


人間はオバカですから、エゴや小我からくる欲求を「使命だ!」として認知してしまいがちな生き物です。


ただ、なぜか不思議ですが、使命に選ばれていない仕事はなかなかスムーズに事が運びませんね。


逆に、使命に選ばれた仕事は難問を簡単にクリアーできたり、予期せぬ出会いがあったりと摩訶不思議なことが次々と起こりますね。


それは、使命に選ばれた人間に与えられた通行手形みたいなもなのかもしれません。


使命に選ばれるために、自分らは力を磨くわけです。自分にくる「できごと」に逃げずに対応するわけです。


そう、それは実力を磨いてオーディションへと臨む役者の世界のようなものですね。


今年の年末年始は9連休。


日頃の疲れを癒すのも大事ですが、使命を与えられるような過ごし方をしたいものです。


来年も自分自身に使命が与えられますよう。

December 30, 2013 in 仕事のことについて精神的なこと人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.24

人間の発達課題について

「会社は学校とは違う」


社会人になってまもなくの頃、そう教わりました。


会社はお金をもらうところ、学校はお金を払うところ。会社は仕事をするところ、学校は学ぶところ・・・。


こういう文脈では確かにそう。


知り合いの経営者は「会社は仕事をするところだから、勉強など自発的にするのは当たりまえ。仕事だって本来は教えてもらうものではない」といってはばからない。


ちょっとこれとは文脈は違うのですが、「会社は学校のようなものだなあ」と自分は思ってます。


新入生の頃は、多くの人は緊張して入学します。で、周囲とちょっとづつ関係を築いて、そのうちに個性を発揮しはじめていく。


リーダーシップを発揮する人、大多数に乗るのが好きな人、周囲は関係なく自分の周辺だけにこだわる人、アウトサイダーな人、自分の本音は明かさない人、想像や憶測が大好きな人・・・


まさに、学校そのものですね。


学校ですから、いつか卒業がやってきます。学校ですから、転校する人が出てきます。学校ですから、つっぱる人もでてきます。学校ですから、クラス替えなんかもあります。


個性と個性とがぶつかって、ケンカしたり、共感したり、仲良くなったり、距離を置いたり、グループができたり・・・


やはり、学校そのものですね。


会社と学校の違いをあえていうのであれば、「発達課題」を自分自身が設定することかしら。


組織というのは、個々人の「発達課題」に挑戦するようなできごとばかり起きます。なぜか不思議ですがね。


で、「発達課題」をクリアーして転校(退職や転職ですね)していく人は、人間としての力強さのようなものを獲得するようです。


それは、たのもしさ?みたいなものでしょうかね。


その「たのもしさ」は次の「発達課題」に向かう武器になっていくわけですね。


人として生きている以上、「発達課題」が次々とやってくるのはしんどいもの。


けど、「発達課題」クリアーした後のリターンとして「見えなかった世界が見えてくる」という素晴らしいギフトをもらえるようですね。


世の中、案外とうまくできているようです。

December 24, 2013 in 仕事のことについて人間の成長について感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.11

「なりたい自分」ってのは自分でつくることができるのか?

仕事をしていると、周囲の人に期待をされるわけです。


資料制作をお願いされたり、交渉ごとを頼まれたり、アイデァ出しをお願いされたり・・・


その期待に答えると、次の期待がやってくるわけです。


で、その期待に答えると、また次の期待がやってくるわけです。


この循環を繰り返していくうちに、人は自分が思いもよらなかった世界を生きていることに気がつくわけです。


「へえ、自分はこんなところにたどりついてしまったな」


そんな世界観だと思うのです。


自分が意図している通りに周囲が自分に期待をしてくれるのが、人間としてのベストな生き様だと思います。


例えば、「建築家で食べていきたい」という人が、建設会社から設計の依頼(=周囲からの期待)がガンガン入る、という感じですね。


けど、多くの場合はそうはいかないわけです。


人間が自由自在に生きていくために必要なのは、「自分がしたいこと」を念頭には置きつつも、「周囲から期待されること」をこなしていくことが大事だと思うのです。


「なりたい自分」ってのは自分自身が作り出すのではなく、「周囲の人間の期待」が作り出す世界なんじゃないかと思いますよ。


「なりたい自分」に固執するな、なんていうと反発抱く人はいると思いますが、「なりたい自分」にこだわるばかりに可能性を見逃している人もいっぱい見てきたのでね。


周囲に期待をされる人としての素養と、期待に応えるだけの力を持っている自分でありさえすれば、人生は勝手に開けていくものじゃないでしょうかね。


どこに開けていくかは分からないって世界観・・・


「なりたい自分」を自分で定めるより、おもしろい生き方だと思いますけどね。


昨日は賞与で皆の前でこのような話をしました。いくらかでも伝わったかな??

December 11, 2013 in 人間が悩むということ仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.10

自分がつくった組織に苦しめられる

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アップルの創業者・ジョブスの人生が映画になりました。


類いまれなきこだわりでアップルを一代で伝説の企業にするのですが、一時期は自分がつくった会社から追放されてしまいます。


まさに、「自分がつくった組織に苦しめられ」たわけです。

でも、これってそんなにめずらしいことじゃない気がするんです。


自分がつくった組織に苦しめられる、自分が生んだ子供に苦しめられる、自分が選んだパートナーに苦しめられる、自分が教えた生徒に苦しめられる・・・


場面場面は変われど、よく見聞きすることかなと。


ジョブスほどの人であってもこういうことが起こるわけです。


我が日本でも明治維新期の大人物・西郷隆盛だって自分が手がけた明治政府に苦しめられた事実があるわけです。


たぶん、人類が誕生したころよりこんなことを繰り返してきてるんですよ、人間は。


「自分が・・・」ってところの「が」(我)が存在するから、そこに固着がうまれる。そして、固着したものをコントロールしたい欲求がもたげてくる。


けど、世の中に存在するものはコントロールできるものの方が少ないから、結果的にコントロールできなくて機能不全を果たす。で、さまざまな障害、軋轢を生み出していく・・・。


ってことなんでしょうかね。


人間は使命を天から与えられている、と考えれば「自分が・・・」の「が」は 本来はいらないはず。


ただ、自分らは使命が与えられているということに絶対的な信頼を置くことができにくいから、「が」(我)を持つことでなんとか自分自身を守ろうとするわけです。


この辺は生き方の選択の問題ですから、「自分が」を持とうと持たまいと個人的にはどっちゃでもいいと思うのです。


けど、「自分が・・・」の「が」ってのは時に物事を生み出すエネルギーになりますが、ときに激しい固着を生み出すので要注意だと思います。


自分がつくった会社、自分が手がけてきた仕事、自分がつくってきた組織、自分がつくってきた歴史・・・


凡人には、「が」が頭をもたげそうなことばかりだ(笑)


これらが、天から与えられたものだと考えると、ことほどさように「自分が・・」を主張する根拠はないのでしょうけどね。


ジョブスは禅の本を読んでいたといいますが、生きる中で、経営する中でこの辺にぶちあたったんじゃないかな、と勝手に想像しています。


じゃなきゃ、禅の本なんか手に取らないだろうしね。性格的に友達にはなれそうもないけど(笑)この辺のセンスはいいですね。めちゃ上から目線ですが。。

December 10, 2013 in 経営をするということ人間が悩むということ仕事のことについて観た映画、読んだ本、行ったイベント人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.05

どっかに市場の隙間はないだろうか??

「リアル店舗の書店を一から開業しようと思う」


そんな相談があったとします。まあ、フツーに考えて今の時代にありえませんね。


出版業界は15年以上マーケット縮小傾向だし、Amazonの力がどんどんと強くなっている現実もある。たとえ売れた本があったとしても、市場原理で売れる書店へと優先的に配本される現実もある。


人件費、店舗家賃を考えてもとても厳しい経営は目に見えます。


けど、市場にはどこか隙間があるわけです。既存の書店が手の届かないことが必ずどこかにあるわけで・・・そこに気がついて、具現化できれば書店業でも充分やっていけるわけなんです。(今の自分には思いつきませんが・・)


中小企業や独立開業を目指す人はここを攻めないといけないわけです。弱者の戦略の基本です。


で、市場の隙間が小さすぎると商売にならないし、大きすぎると大手企業が参入してくる。だから、「適度な市場規模の隙間」を探すのが基本。


よく、「この市場は大きくなるから参入する」なんて話がありますが、逆にいうとこれって「いつか大手企業が入ってくる」ということになるわけですね。


ネット通販も一時は誰でも参入することができましたが、今やAmazonや楽天の寡占状態に向かっていってますからね。(商店が大型店に駆逐された歴史をみれば、ある程度予想はできたことですが)


日本はサービスや商品が成熟していますが、まだまだ市場には「顧客が満たされていない隙間」があるんですよ。


これは、「どこかに元気のいい業界や仕事はないか?」という何かを探すってアプローチではないような気がするんです。


むしろ、「どこかに市場の隙間はないか?」って飽くなき問いかけを課していく研究者のような世界観だと思います。


当然、生みの苦しみは生じるでしょうが、参入障壁があるピカピカのビジネスモデルの誕生はここからしか生まれないんじゃないでしょうかね。


自分もそんなビジネスモデルを確立できますよう。

December 5, 2013 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.27

四谷で一人酒@中華料理屋

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四谷で予定があって、そのまま一人酒。


その昔から1人で酒を飲むというのは嫌いではない。ってか、むしろ好きな方。


5千円を握りしめて初めて渋谷ののんべえ横町に1人でいったときは、ずいぶんと大人になった気がしたものな。たぶん、いまから25年くらい前。。。


まったく知らない場所で、まったくしらない店に入って、まったく知らない雰囲気の中で酒を飲むというのは、なんともいいがたい感覚。


大人が大人になったのを実感できる数少ない場面じゃないかしら・・・。


つらいことやしんどいこと、生きていればあまた存在する矛盾や葛藤を言葉に出さず解消しようとする場所、それが酒場の一側面だと思うのですわ。


表現すれば楽になると分かっていても、腹のそこにぐっとしまって耐える覚悟を決める場所、それが酒場の一場面だと思うのですわ。


個人的な意見ですが、ビールやサワーでは自分が抱える矛盾や葛藤は消化できないんです。


矛盾や葛藤を一時的に忘れる、ということができるだけ。むしろ、自分の中にある激質(ラジャス)の部分に火をくべるだけ。


それは、欲を増長させ、矛盾や葛藤を拡大させ、時にますます自分をしんどくさせる。。。


けど、日本酒やワイン、ウィスキーは、矛盾や葛藤を根本から溶かしてしまって、「まあ、いいか」と思わせるような力があるような気がするんですね。


明治維新は酒場から生まれた


なんて話がありますが、明治の志士がビールやサワーを飲んでいたらあんな時代のムーブメントは起きなかったと思いますよ。


日本酒だったからこそ、集う人の矛盾や葛藤がどんどんと溶けて、人間本来のエネルギーが社会変革へと存分に向いたのだと思いますわ。


これから熱燗の美味しい時期ですね。

November 27, 2013 in 仕事のことについて人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.21

新しいビジネスの仕込みがはじまります

「この企画は斬新だ!」


・・・と息巻いても、たいがいどこかの誰かが同じようなことを考えているもの。


まあ、この社会にそうそう新しいものなど存在しませんわ。


自分は「アイデァを思いついたら日本人で30人は同じようなことを考えている」と思ってます。数字にまったく根拠はないのですがね。


だから「新しいビジネス」といっても、どこかの誰かが確実に似たようなことを考えているはず。


30人のうち15人は構想だけで終わり、10人は企画書だけで終わり、5人が具体化に向けて動いていく・・・みたいな世界観なんじゃないでしょうかね?


で、その5人がすべてビジネスとして軌道に乗せられるわけありません。


それを実現できるってのは、運なんでしょうかね、使命として与えられたってやつなんでしょうかね、よくわかりませんが・・・何かしらの選択が働いているような気がします。


とまれ、これから新しいビジネスの仕込みがはじまります。


恐怖や不安からくる防衛的な衝動でビジネスやるのは絶対にいただけませんが、このビジネスの根底に流れているのは、それとは反対の感覚ですね。


身体が、「これをやったら絶対にいい」といっています。


春までには形にしたいですね。

November 21, 2013 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.08.27

酔狂な仕事

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この仕事はオレがやったんだ。


男子たるもの、一生をかけてでもそんな仕事の一つや二つは欲しいものです。


けど、自分の場合、それは万人が評価してくれなくてもいいわけです。


むしろ、「よくぞこんな仕事やったよなあ、お前」ってどこかにバカにされたようなニュアンスがある仕事を残していきたいのです。自分はですね。


いうなれば、酔狂な仕事。狂って、酔わないとできないような仕事です。


『アントニオ猪木全記録』デビュー50周年記念公式写真集、はまさにそんな仕事ですね。


200万カットのネガフィルムから集めた写真、とあとがきにありますが、昭和のプロレスマニアを自認する自分すらみたことない写真の数々。


いやややや、よくぞ編集者よこの企画を提案した。いやややや、よくぞトップがこの企画にゴーサインを出した、という素晴らしい仕事です。


昭和49年の猪木VSストロング小林戦の試合前に殴り合う二人の写真が3カットありますが、たまらない空気感ですね。

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この写真、考古学者が古代の遺跡を発見したような感覚、といったらいいすぎか(笑)


時代の風雪に埋もれてしまった写真に光を当てた編集者と版元に祝福を。


猪木信者はたぶん、壮大な絵巻物のような形で眺めているはず(笑)かくいう自分、こないだは、気がつくと3時間眺めました(笑)


5,000円のこの本、何部売れたのかは分かりませんが、一部の人間のハートをわしづかみにしているはずですね。うらやましい仕事です。

August 27, 2013 in 仕事のことについて格闘技について | | Comments (2) | TrackBack (0)

生みの苦しみ

ビジネスには「生みの苦しみ」を味わうときがあります。


そこは「うーん、うーん」とうなっているのが苦しいのではなくて、打つ打ち手が思うように成果に結びつかないから苦しいって世界観。うんうん唸っているだけなら、誰でもできるし。


打ち手がいつか花開くって確信を、信念にまで高めるのがリーダーの仕事。


この打ち手ってのは、どうも精神の自由度に比例して増えていくらしい。


人と会う余裕がある、遊びをにいける余裕がある、人の話を聞き入れる余裕がある・・・それらが打ち手の多様性をもたらすらしい。


生みの苦しみを味わっているとき、人は「生みの苦しみから脱出して、いい流れに乗っている人」をうらやんでしまいがちなもの。


けど、よーく考えるとそんな人だって人生のどこかの局面で生みの苦しみを味わっていた可能性があるということ。


あとは、「いい流れに乗っている人」というのも果たして事実かどうかわからないということ。


外的な世界は人間の心の投影だから、この手の話はよくあること。


旅をしていた頃、社会人として活躍する同年代の仲間がすんごくいい仕事をしているように見えた。


でも、それは今思えば「見えた」ってだけであって、現実ではなかったのよね。きっと。


20代後半の自分は無職。まさに、「生みの苦しみ」の渦中でした。


おそらく、自分に見える世界に翻弄されない勇気も「生みの苦しみ」の時期には必要なのでしょう。

August 27, 2013 in 経営をするということ人間が悩むということ仕事のことについて感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.13

さて、ブログを復活します

自分自身への自信ってどのくらいあります?


自分は、それなりにあると思ってます。まあ、思い込みであっても自信がないと会社の経営などはやってられないわけですし。


けど、その自信がふらつくときがあります。


「なにが」というわけではないのだけど、自信がふらつく。


で、そんなときに意志の力で「自信を持て」なんてやっても、心と身体はアンビバレントな状態になるので、どうもうまくいかないわけです。


そんな時はだまって月日の経つのを待つ・・・エネルギーが復活し、自分の自信がむくむくともたげてくるのを黙って待つ。


「最近、ブログ更新してないじゃん」ってことのお返事はこんな感じで(笑)


エネルギーがみなぎってくるに伴い、いろんな思いがふつふつと頭をもたげてきました。


あえてキーワードでいうと「覚悟を決める」「思い切りのよさをもつ」「誤解を恐れない」。


けっきょくのところ、自分自身が我がの手で自信をなくすようなことをしていただけなのだと(笑)


どこかで守りにはいって、どこかで自分でつくった箱に入り込んで、勝手に窮屈さを感じていただけの話だということ。自在に開けた世界への窓に対して、自分が拮抗しようとしていなかったということ。


そりゃ、自信などなくなるわな。。。。


ここ最近、「雰囲気が変わった」と何人もの方にいわれました。見た目のことはよくわからないのですが、たぶん何か変わりました。


「オレは変わった」というのはたいがいが人間のエゴだ、ということを頭におきつつ、偉そうに語らせていただきます(笑)

August 13, 2013 in 人間が悩むということ仕事のことについて人間の成長について | | Comments (4) | TrackBack (0)

2013.06.13

仮想空間に存在している更新がとまったブログから考える

その昔、ある仕事を外部の編集者にお願いしたことがあります。


そこそこ大きな仕事だったのですが、期待したほどの成果ではなかったんですね。


でも、当時の自分はそんなことを当の本人に伝えるわけでもなく、粛々とギャラを払い•••それ以降、なんとなーくご縁が切れてしまいましたね。


以降、何の接点もありません。


せっかく一つの仕事をやったのに、すんごく仲良くなるでもなく、すごく衝突するわけでもなく、なんとなく自然消滅ってのはなんともいけませんね。


「敵も味方もできない仕事ってのは、本人に熱意が欠けている時に発生しやすい」


とこのときに思いました。今思えば、自分の側に「なんとなく適当にやってくださいよ」って意識がありましたしね。


まあ、そんな過去の話はどうでもよくて。


こないだ、机を片付けていたらその人の名刺がでてきたんです。で、HP(ブログ)にアクセスしたんですね。


一時期は頻繁に気合いをいれて更新をしていたようですが、仕事を辞めてしまったのか、ブログの優先順位が低くなったか分からないのですが、3年前くらいで更新が止まっているんですね


で、遡っていくつか過去のエントリーを読んでいたんです。


そんときに思ったのですが、この手の「書きかけのブログ」「更新が途中で止まってしまったブログ」ってずっと仮想空間上に置かれていくんでしょうかね?


自分は途中で止めたものが、未来永劫に仮想空間におかれて誰でもがアクセスできる状態にあるってのはどうも嫌だなあ。


理由や背景はいろいろとあるんでしょうけどね。


仮想空間には、この手のブログの残骸、はたまた新ビジネスの残骸、新しいプロジェクトの残骸がいたるところに残っていますね。


自分は、「過度のつながりに疲れた現代人はSNSからブログって形の情報発信に戻ってくる」との思いを強くする1人なのです。


ブログはマラソンのようなものでペースを保って書き続けることが大事、だと思うのです。マラソンのスタートダッシュで飛ばしすぎる子供のようなことでは長続きしないわけです。


これって、商売だって、習い事だって、勉強だって一緒ですわね。


更新なんてのは年に1度や2度だっていいと思います。長く何かを続ける練習って感覚でとりくむ人がふえるとおもろいですね。


こう書いてきて、「そいや、うちの会社にも更新が途中でとまっているブログがあったな•••」と思い出しました(笑)

June 13, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.06.10

仕事に選ばれるって感覚

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仕事ってのは、どこかに隠れている。で、どこかのだれかがいつか実現することを心待ちに待っている。


こう書くとオカルトチック(?)ですが、自分らの仕事ってのは100%自分が主体的に切り開いてきたわけではないのです。


たぶん、仕事が主体で、人間の方が選ばれているんです。


仮に「仕事」に人格があるのであれば、「俺はこいつにやってもらおう」ということを、仕事の方が人間を選ぶわけです。


これは、人間の方からみると「仕事に選ばれる」という感覚ですね。


「仕事をしているうちに思いもよらない分野に力があるのがわかってきた」なんてのは、もしかすると仕事に選ばれているかもしれない。


「なぜかこの仕事に関しては寝食を忘れて集中できる」なんてのも、もしかすると仕事に選ばれているかもしれない。


この映画では、農薬を使わずに栽培することが不可能といわれたリンゴを長い年月をかけて自然栽培していく農家が主人公です。


収入をなくし、妻や娘にひもじい思いをさせ、周囲から白い目でみられ、祖先からの田畑を売り渡してまで自分の想いを実現しようとする主人公。


「人間が仕事を選ぶ」って観点からみると、次々とくる試練を乗り越えていく刻苦勉励、努力の物語です。


「仕事が人間を選ぶ」って観点からみると、次々とくる試練ってのは「自分を招いてくれている『仕事』って存在へ近づく」って物語にみえますね。


当然、「人間が仕事を選ぶ」だろうが「仕事が人間を選ぶ」だろうが、しんどいことはあるでしょうし、投げ出したくなる時もあるわけです。


けど、「仕事が人間を選ぶ」って意識のときは、思いがけない偶然や、思いがけない出会いなど、なぜか運に恵まれていると思うのです。


ここは、「運がいいから成功する」って世界観ではなく、「成功する人ってのは仕事に呼ばれている。だから運がいいはずである」という世界観だと思うのです。


自分は「仕事に呼ばれる」という感覚は持ってはいるのですが、残念ながら「どうしたら仕事に呼ばれるか?」を言語化する力はありません。


清廉潔癖に生きていても呼ばれない時は呼ばれないし、愚鈍にいきていても呼ばれる時は呼ばれるものだとは思います。そこには、何かしらの因果関係が存在するのかもわかりません。


こんな因果関係を考えていたら一生が終わるでしょうから(そもそも、自分が生きている間に因果関係など証明されないでしょうし)、「たぶんこのようにしたら仕事から呼ばれるかな」と自分なりに思うことをたんたんとやるに尽きるのでしょう。

June 10, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.20

昨日は、「日本の神様とつながる」セミナーでした

昨日は、セミナー(「日本の神様とつながる」)で講師を仰せつかりました。


111人(+4人身内関係者)と多くの方にお集りいただきました。


私は第2部に出させていただきました。


2008年に発行した『日本の神様カード』(現在、11刷り中)の開発にかかわるお話を、監修をお願いした神道学博士の三橋健先生、著者の大野百合子さんとともに対談させていただきました。


かつての日本には「わからないことは天の神様のいう通り」という言葉がありました。大きな存在にゆだねる、という生きる智慧をもっていました。


けど、いきすぎた個人主義(個性主義?)が「努力や頑張りで人生を切り開く」という風潮をつくりだしました。「夢や目標が実現しないのは、本人の意識や行動が足りないからだ」的な空気が支配する社会をつくりだしました。


たしかに、努力や頑張りってのは必要でしょう。それが、ものごとをなしとげる上での必要不可欠な要素の一つだとも思います。


でも、本当に事をなしとげる時って「努力や頑張り」とは無縁な世界にいるような気がするのです。


周囲からは「努力している」「頑張っている」と見えるけど、本人はまったくそれを意識していない世界観••••


「なぜ、そのことを努力できるの?」「なぜそんなことに夢中になれるの?」と考えた時に、自分はそこに大きな存在が1人の人間に与えてくれてた「使命」ってものの存在を感じるわけです。


たぶん、大きな存在ってのは我々が「使命」に近づくためのヒントを数多く我々に投げかけているわけです。で、それらを消化していくだけで人間はたぶんいっぱいいっぱいなわけです。


なぜか関心があること、なぜか好きなこと、なぜか他の人より努力ができること、なぜか自分の回りによく起きること、なぜかよくお会いする人、なぜか気の合う人•••


もしかすると、そんなものが「使命」へのヒントなのかもしれないかな、と。


けど、人間は「このままではマズい」だとか「このままでは先行きが不安だ」って脳みそのスイッチがすぐに入るわけですね。


で、結果的に大きな存在がなげかけている使命のようなものに自らがフタをしてしまうというわけです。で、頭で考えた「使命」ってのに、「努力」や「頑張り」を武器にして向かっていくわけです。


けど、脳みその絶対任務は「自身の安定」のようですから、頭で考えた「使命」なんてのは、自分自身を防衛するだけのちっちゃなものでしかないわけです。


「わからないことは天の神様のいう通り」


って言葉を、「大きな存在に任せた努力放棄的な生き方」って見方としてとらえるのも人生、「真の使命にちかづくための主体的な意志」ってとらえるのも人生。


かつての自分(といっても、数年前まで)は前者的な生き方していましたが、今は後者の生き方がごくごく自然だなと思うようになりました。


こんな考えをベースに置いてお話をさせていただきました。


ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

May 20, 2013 in 仕事のことについて精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.14

『日本の神様とつながる』セミナーがまもなく

今週末の『日本の神様とつながる』、100名近い方にお申し込みいただいているみたいです。


ありがたいですね。


母校•國學院大学で長く教鞭をとっていらした三橋教授と、さまざまな著作を世に出して活躍中の大野百合子さんと対談という舞台です。


「このメンバーで何をお前がしゃべるんだ?」ってつっこみが友達から入ったのですが、自分自身に対してつっこみをいれたくなる気分もちょっとあったり。


ただ、今年のはじめに「今年は世の中にでていこう(講演とか執筆ですね)」と思って、たまたますぐにオファーをいただいたのが話だったということ。


まさに、「人生に何を問いかけるか?」ではなく「人生に何を問いかけられているか?」って視点で考えると、お話しを受けたのがごくごく自然な流れなのですよね。


自分は創業した頃、事業の一つに「講演業」ってのをいれていたんです。で、知り合いの会社の新人向けに講演をしたこともあるんです。


でも、どう考えてもあの頃は「人生に何を問いかけるか?」ってスタンスだったな、と思うわけです。


反対に、今回は「人生に何を問いかけられているか?」って感じがするのです。


言葉にすると似てるけど、この二つって大きな違いなんだな、と思う今日この頃です。

May 14, 2013 in 仕事のことについて精神的なこと | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.05.09

オランダでうちの会社の商品(『ウィスパーオブラブ』)が発売されます

頑張って行動していたが実現しなかった。


けど、何(十)年かたって違う形で実現した。


精神論みたいに聞こえちゃうかもですが、この手のことって仕事しているとよくあると思うのです。


理屈で考えると、二つのできごとに因果関係はないわけです。


けど、「頑張って行動していた」ってことが種であって、「違う形で実現した」ってのが収穫だった•••


という感覚をもつことってそうめずらしくないと思うのです。


偉そうに言うと、こうした体験から一つ一つの行動に一喜一憂しないという生き方がうまれてくるのかと。すべての行動は将来の何かの「種」になっている「かもしれない」って感覚ですね。


基本は、時間戦略。


長期的な視野にたって、時間を味方につけるってことですね。


でも、自分ら社長って仕事している人は、業界や業績が悪くなったりするとこの辺の感覚をじーっともっているってことができにくくなるんですね。


だから、「自分の行動に全幅の信頼を置く」って部分で迷いがでるし、「ひたすら待つ」ってところでも迷いがでて、ムダ•ムラ•ムリな行動が多くなったりするわけです。


まあ、日々この手の感情とは戦いですわ(笑)


さて、うちの会社でつくったオリジナル商品がオランダで発売されることになりました。


自画自賛ですが、すげぇですね。自分の知る限りでは、この手の商品がヨーロッパ圏で現地版が発行されるのは日本初です。


もともとは、ハワイ在住の著者が文章を書いて、イギリス在住の画家から絵画をお借りして、去年の夏に日本で発売されたワールドワイド(?)な商品です。


それが海を渡って、オランダの担当者の元にわたった。で、ライセンス契約をしたいとオファーがきた。で、オランダ語版ができたというわけですね。


実は3年ほど前に「海外に版権を売ろう」と思いたって、いくつかアプローチをしたのです。西欧の出版社や日本の版権会社(出版物の権利を海外に売買する会社)ですね。


が、全滅。


アメリカからは「うちは、数先まで出版予定がきまってるの。だからムリよ」とサンプルが開封もされず返ってきたし、日本の版権会社からは「英語に訳した場合、この商品のエッセンスがふっとぶから難しい」といわれましたかね。


今思えば、それらの行動が種だったのでしょうかねえ。


いずれにせよ、思いもよらない商品に、思いもよらない国から、思いもよらない形でオファーがありました。


おそらくこのブログをみて買っていただく方は皆無だと思いますが(笑)一つ、ごひいきにお願いいたします。

May 9, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.23

企業がグローバル化するということ

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「賃金が世界水準に平準化していく」


これは、世の中の流れをみていれば当然の方向性。


新聞を毎日丹念に読んでいれば、そこかしこにその萌芽がみられますね。


企業が大きく舵を切るにはまだまだ賛否両論も多いだろう中で、ユニクロが思い切りましたね。


個人的に知っているわけではないので、メディアからの情報の範囲ですが、経営者としてユニクロの柳井会長は優秀な方だと思います。


決断力や思い切りの良さがありますし、お客様目線もきちんとある。商品に対してのこだわりも、ブランドを確立させるって視点も、サプライチェーンの確立の巧みさも•••


どれもこれも、経営学のケーススタディーにとりあげられるようなものばかり。


でも、最近は「成長って呪縛にとりつかれていないかな」とか感じるわけです。


尖閣諸島の問題では政治に近い発言が目につきましたし、今回のインタビューでもこんな発言がありました。


「グローバル化は、Grow or Die(成長か、さもなければ死か)という時代。正社員でいる以上、効率をあげ、がんばってもらわないと生き残っていけない」


でも、「成長か死か?」って緊張した局面が続く中でずっと戦えるビジネスマンってどれだけいるんでしょう?と(少なくとも自分は無理です)


そもそも、「グローバル化=Grow or Die」って柳井会長の見立て(超白黒思考ですね)が正しいのかどうか?と


自分は20代の後半を住宅メーカーで働いていました。朝の8時に出社して、夜中の12時まで働きました。むろん、残業代は無縁の世界です。


毎日提出する報告書をまとめるだけでも、1時間半以上かかりました。で、その後、指導だとかロールプレイングが夜中まで続きました。


500人くらいの会社の、10人ほどの地方事務所でしたが毎月何人か辞めていきました。「退職します」と口にすると、その日(その瞬間?)が退社日でした。で、毎日のように面接をしていました。


上司の口にする「これはお前らのためだぞ」「自分の生活を豊かにしたいだろ」という大義の中で日々を過ごしました。


人間、そういわれて反論できる人はほとんどいませんよね。歴史を振り返るまでもなく、大義ってのは人に反論をさせない強さを持つんです。


この時の経験がベースにあるのでしょうかね?


自分は、正義ってのはやっかいなものだと思っています。それは、意識的にも無意識的にも、いくばくかの押しつけを生み出しますからね。


正義が大事なのは義務教育のクラス運営レベルまでであって、社会人になったら過度の正義は自分自身の心の投影ととらえるのが正常だと思うのです。


ユニクロの賃金のニュースを読んで、こんなことを考えました。


日本を代表する超国際企業ですから頑張って欲しいですけど、その陰で昔の自分のような人がたくさんいるとしたら成長もちょっと考えものかな、とも思います。

April 23, 2013 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.11

『ヒーリングフードオラクルカード』明日発売

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ご縁ある雑誌記者の方に著者をご紹介いただいたのが、2年くらい前ですかね。


初めてお会いした時に、著者さんが企画書持参で現れました(笑)


「食べ物であれ、環境であれ、コミュニケーションであれ、言葉であれ•••私たちが身体に取り入れるものは私たち自身に影響を与えている」といったお話しと、「愛情を込めてつくった料理は、食べる人にそれが伝わる」的な話が印象的でしたね。


マクロビだとかローフードだとかいうと、「ストイシズムの権化」(?)みたいな人がやっているってイメージがちょっとあったのですが、ゆるーい感じがしたのが良かったです。


私自身がストイックとは対極にいる人種ですし(笑)


そこから、企画&編集の方を入れて食べ物をテーマにした商品開発がはじまったのですね。


「ジャンクフードを食べながら瞑想やワークショップをやることの違和感」といった趣旨のことが本商品の解説書に書いてありますが、まさにその通り。


この商品をつくる過程で自分もちょっとだけ食べ物に気を使うようになっていったのですが、食べ物によって心が乱れたり、すさんだりするってことがあるのだなあ〜と意識的になれるようになりました。


たまたま今週、キリスト教の指導者で自らの神秘体験をまとめたイグナチオ•デ•ロヨラの『霊操』って本を読んでいました。


キリスト教徒が神とつながるためには、「食事を通して自分を調える」ことが大事、とかなりのページを割いて書かれているんですね。本商品が世の中にでるタイミングでだったので、ちと驚きました。


キリスト教徒ならぬ、ビジネスマンだって一緒なのでしょう。


この商品が1人でも多くの方の「自分を調える」お手伝いができればいいな、と思うのです。

April 11, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.08

ダイアナ・クーパーさん来日

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1997年8月。


インドとパキスタンの国境近く、ダラムサラのチベット亡命政権でダライラマ法王に謁見しました。


2週間近く待って面談時間はごくわずかでしたが、身体から発されるおだやかなエネルギーに、普通の人ではない何かを感じました。


で、自分と一緒に謁見した人の多くがそれぞれ何かを感じていたようでした。


その証拠(?)に、謁見を済ませた方の多くが菩薩様みたいな顔つきになってましたし(笑)


さて、週末はダイアナ・クーパーさんが来日し、ワークショップに参加してきました。


なんでも、「世界で最も影響力のあるスピリチュアルリーダー」で世界32位に入っているとか。(ちなみに1位はダライラマ法王だそうです)


世界的に有名な方で、来日が待ち望まれていたのですがようやく先週末に実現したというわけです。


やわらかでおだやかな空気感はダライラマ法王のそれと似ているなあ、と思いました。


ダイアナさんとのご縁は5年ほどまえ。


ドイツでみかけたダイアナさんの商品が素晴らしく、「ぜひ日本で発売したい」と出版社へ手を上げたのが最初ですね。


自分はさまざまな研修会やワークショップに参加する機会がある方だと思いますが、大事なのは「何を学ぶか?」ではなく「誰から学ぶか?」だなあと思っています。


まさにダイアナさんは指導者にふさわしい空気感にみちた方で「学んでみたい」と思わせる方でしたね。


主催いただいたみなさん、大変におつかれさまでした。


April 8, 2013 in 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.02

この時期は、初心を考えるにいい機会があふれている

自分が社会人になったのは、平成5年の3月29日、風の強い日でした。


新宿にある会社の会議室で会長、社長、本部長の訓話を聞きました。


「一隅を照らす」という話が印象的でしたね。


いま、自分がおかれている環境は何かの縁起で与えられたもの。だから、精一杯努力して、光り輝きなさい。そんな丹念な仕事の積み重ねが、月日の経過とともに思いもよらぬ力になっていくでしょう。


みたいな精神的な話でした。


で、社会人になりたての自分にはその話はすーっと入ってきたわけです。「おっ、頑張るぞ」と動機づけされたわけです。


けど、1年とか2年とかして「会社って思っていたことと違うよな」ということが増えてくると、「あの時の話も、何かしらの操作性があったんじゃねえか(うん、きっとそうに違いない)」などと思うこともあったわけです。


でも、よーく考えてみると「新入社員に向けた『一隅を照らす』って話」そのものは何も変化がないわけです。


それを受け取る自分の心、その心が変化をしてきてその時の自分にとって都合のいい解釈をしているだけなんですね。


で、今の自分は「本部長、一時期、疑ってごめんなさい。『一隅を照らす』ということの大事さを自分なりに感じました」と思うわけです。


今春、自分は社会人になって20年になります(途中2年間の無職期間含む)。


知識だって情報だって人間関係だって、たぶんあの頃とは比較にならないほど増えました。


けど、「全てを吸収しようとする柔軟さ」だとか、「将来、こんなふうになってやろう」みたいな心意気だとか、はたぶん働きはじめた時の方があったような気がするんです。


挨拶とかすんごい真面目に大きな声でしてたし、自発的に掃き掃除なんかしてたし(笑)


「初心忘れるべからず」なんていいますが、たぶん「初心」なんてそうやすやすと戻ることのできないものなんです。


仮に、「初心」に口があれば、「お前ら(経験者ですね)がそんなに簡単に戻ることのできねえもんだよ」とかいうような気がするんですね。


昨日は、街に新入社員と思しき人がたくさんいました。


「あの人は新入社員だな」ってのが今の時期はなんとなくわかるのですが、半年もたつとまったく分からなくなるのは、それぞれが初心から徐々に離れていくからなんでしょうかね。


この時期は、初心の頃の自分に近づかんとな、と思えるいい機会です。


これから社会人になる人は、「一隅を照らす」つもりで頑張ってくださいね。


ってか、自分も「一隅を照らす」ように頑張ります。

April 2, 2013 in 仕事のことについて言葉について初心を忘れないということ | | Comments (0) | TrackBack (0)