2015.04.05

「小学生の将棋」というたとえ

「それは小学生の将棋じゃん!」という発言をあるところで聞く。


で、やたらと耳に残る。


「小学生の将棋」というのは、戦略もなく、いきなり王手を狙うようなこと。二歩三歩先をよまず、自分のしたいようにすること。相手の出方を想定しないで動くこと。


これに対し、「有段者の将棋」とは相手の動きや出方を想定し、それに対する打ち手までが用意されている中で、今の一歩を踏み出すこと。


仕事の調子がいいとき、ワタクシたちは「有段者の将棋」を無意識にやってるんだよね、きっと。仕事の調子がいまひとつなとき、気づかないうちに「小学生の将棋」をやってるんだよね。たぶん。


仕事が「小学生の将棋」のモードに入ってしまったときに大切なのは、自分自身に対して「岡目八目」になることかと。将棋を指している自分自身につっこみをいれていくことかと。


「お前の打ち方ってどうなのよ?」だとか


「もっと先々をみて打てよあ」だとか


いれられるだけのつっこみを自分自身にいれること。それも無責任に勝手気ままに。


そうすることでものごとを見る視点が変わって、視野狭窄から抜けられるんだな、きっと。


そいや、知り合いの経営者が「自分の中には二人の人格がいて、いつも対話をしている」といっていたが、彼の頭の中はどこか「岡目八目」の世界なのかもしれないね。


昨日、とあるブログセミナーにでた人の話(ブログでブランディングをするには「100%の記事よりも、60%の記事を毎日書くのがいい」)を聞いて、いきなりブログが書きたくなりました。


まさに「小学生の将棋」みたいな話ですが(笑)ちょっと更新頻度はあげてこかな、と。ワタクシはある部分で小学生なみに単純。

April 5, 2015 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて, 尊敬する人、または師匠筋 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.13

『古事記』は「無益なエクササイズ」として読んでみる

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「なにかをしたら、なにかが得られる」


もしくは、


「なにかをしたら、なにかになれる」


そんな価値観バリバリな世の中を、ワタクシたちは生きています。


だから、「(日本の神話の)『古事記』をぜひ読みましょう!」というと、「『古事記』を読むと何が得られるんですか?」的な反応が返ってきます。


「『古事記』を読むと、自分がどう変わるんですか?」的な質問がきたりします。


そんな質問に対して、「精神性が高まる」だとか「神話を理解することで地に足がつく」という答えをすることは可能かもしれません。


けど、ちょっとずれてると思うのですよね。。。。だって、『古事記』にはそんなエゴ丸出しの神々はいらっしゃらないし(笑)


「なにかをしたら、なにかが得られる」という発想は、現代人だったらフツーに行う思考パターンでしょう。


けど、たぶん『古事記』はこれとは対極にあって、「自己の役割や使命を果たしたら、あとの結果はこだわらず」って世界だと思うのです。


ワタクシの経営方面の師匠は、「『無益のエクササイズ』を生活に入れろ」とよく口にします。


自分の解釈では、「なにかを得るためになにかをする」のではなく、「なにかを得るとか得ないとか考えずに、毎日たんたんとなにか(エクササイズ)をする」ということ。


本を読むでも、文章を書くでも、人と会うでも、勉強するでも・・・「益を求めない行動を日々の中にいれておく」ということかな、と。


『古事記』も「読んだら○○が得られる」という頭なしに、


「日本人だから神話の一つくらい知っとくか。自分の人生のどこで役にたつか分からないけどねえ・・・役にたたなくても、それもよし」


そんな心持ちで読むといいのではないでしょうかね。


「無益なエクササイズ」の積み重ねは、いつか豊穣な世界をつくりだしてくれるとワタクシは信じて疑わない一人です。


「俺の人生、歩んできたら過去には想像もできない世界が広がっていた」なんてのは、ほとんどが「無益なエクササイズ」を続けてきた先にある世界観でしょうしね。


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※以下、そんな『古事記』に関するご案内です


講師 小野善一郎先生(湯島天満宮 権禰宜•國學院大学博士)
先生の講義は、「学ぶ」というより「感じる」内容です。先生とは同じ時代に國學院に通っていたというご縁もあり、一参加者として毎回楽しみにしています。


◉1月24日(土)「日本を元気にする古事記のこころ」二子玉川勉強会
14:30〜16:30
お申し込みはこちらからです。


◉2月6日(金)「第7回古事記勉強会〜日本人の心を取り戻そうIN横浜」
9:30〜11:30


以下、主催者告知から抜粋になりますーーーーーーーーーーーーーーーー


第7回目は【黄泉の国】
火の神をお生みになった伊邪那美命(イザナミノミコト)はそれが原因で命を失ってしまいます。


嘆き悲しんだ伊邪那岐命(イザナギノミコト)はもう一度会いたくて地下にある死者の国と言われる黄泉の国に呼び戻しにいかれました。そこでの出来事を通して『黄泉戸喫』(ヨモヘツグイ)と伊邪那岐命が黄泉の国で禁忌を犯したことの意味の2点について読み解いていきます。


古事記に残されている出来事と私達日本人で考え方や風習などと関連していることがわかる日本人の細やかな心遣いの真意がわかるかもしれません。


単なる古事記の解説だけではなく、小野善一郎先生の著書から、古事記のお話しをもとに、日本人が自分自身と向き合い、日本人としての根本の道理、その本質を取り戻すためのお話しです。


【会場】かながわ県民サポートセンター 3階302号室
横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2
JR・私鉄横浜駅 北西口・西口から徒歩5分
アクセス http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f5681/p16362.html


【会費】
2000円(高校生まで無料) 当日お支払いください。
☆お子様連れ可


■お問い合わせ連絡先
japan.kokoroagain☆gmail.com   ←メール送信の際は、☆を@に変えてください

January 13, 2015 in 仕事のことについて, 尊敬する人、または師匠筋, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.12.19

そろそろ、手放すときかしら•••

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『週刊文春』による「南京大虐殺」をめぐる肯定派と否定派の公開討論。


若き日に大好きだった本多勝一さん、かつての切れ味がないまま今回で完結。右派の論客をバッタバッタと斬ってたころがなつかしいね。


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いままでずっと捨てられずにいる著作集もそろそろ断捨離か。。。

December 19, 2014 in 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.11.27

インドのヨガ哲学 「バガヴァッドギーター」の講座にでてます

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「理想的な心の状態をむやみに求めたり、理想的な状態にないことをなげかない。理想にしがみつかない。変わる物は変わる、心も、体も、世界も。」


毎週水曜日に開催されているインドのヨガ経典「バガヴァッドギーター」の勉強会@代々木に久しぶりに参加。


「人は知識を頭に入れるから変容が起こるわけじゃなくて、存在がある人のそばにいることで変容が起こるんだろなあ」と講師の向井田みおさんの講座にでるといつも思います。


去年、この権威ある経典をカードにできた幸せに感謝。
バガヴァッドギーターカード


でも許されるら、「ヨーガとは心の働きを抑制することである」で有名な「ヨーガ•スートラ」も広めるお手伝いをしたいなあ、と。


ヨーガ・スートラ おススメの本↓

パタンジャリのヨーガ・スートラ


November 27, 2014 in オラクルカード&タロットカード, 尊敬する人、または師匠筋, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.11.26

闇がなくなってきたから、人間が妖怪になってきた

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「そもそも、夜は妖怪が活動する時間。夜が明るくなって闇がなくなったから妖怪が活動できなくなって、人間が妖怪みたいになってきた」


師匠から聞いたこの言葉を思い出しました。この本、誕生40年なんですってね。たぶん、王選手がホームラン世界一になった頃に読みました。


人間が全能感を刺激されすぎて、押し入れの闇が怖いなんて感覚をなくしてしまったらいやなものですね。


November 26, 2014 in 尊敬する人、または師匠筋, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.13

それ、もしかすると空手?に憧れて

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「それ、もしかすると空手?」


単身で四国に乗り込み、極真空手を広めていった芦原英幸氏(享年51歳)が道場破りをする時に放ったとされる名言です。


空手家に向かって「それって空手?」と言い放つのですから、これ以上ない皮肉ですね。


40〜50代の格闘技ファン(「元」も含む)に、「子供の頃に影響を受けた格闘家は誰?」という酔狂なアンケートをしたとすると、おそらくトップ3に芦原氏は入るんじゃないかしら?


「芦原英幸氏に影響を受けた」という人はいうまでもなく、「芦原英幸氏に影響を受けた人に影響を受けた」という人まで含めると格闘技界で氏のDNAから全く無縁な人はいないんじゃないか、とさえ思うわけです。


先週、芦原英幸氏ゆかりの土地を訪ねて四国にいきました。


自分自身のうちなる子供(インナーチャイルド)が喜んでいる感じがしました。そして、40を越えたおっちゃんである自分も狂喜乱舞でした(笑)


そう、われわれは子供の頃はもちろん、大人になってもどこかでヒーローを求めているんです。


理屈抜きに尊敬できたり、理屈抜きにリスペクトできたり、理屈抜きに「あの人はスゲエ」っていえる


無意識は、いくつになってもどこかでそんな人を求めているんです。


芦原英幸氏には「どうせ劇画の中で創られた存在じゃないか」だとか「劇画はフィクションだらけだ」という指摘をする人もいます。


たしかにそういうことは事実としてあったんでしょう。


けど、そんなのはどうでもいいことなんです。


フィクションとして誇張して描かれていようが、元となる存在が輝いていないとフィクションもフィクションたりえないですからね。


世の中に、「あの人は確かにスゴいけど、○○に問題がある」みたいに、どこか「尊敬する人」に完璧性を求める風潮ってありませんかね?


どこか「スゲエって人をスゲエって素直にいえない」風潮ってありませんかね?


自分は、「スゲエって人」がいない人生はどこか彩りにかけているような気がしてならないのです。無機質というか、孤独というか、いきがっているというか・・・


「スゲエ」があるから人は恐いものの恐さを知れるんです。「スゲエ」があるから自分自身に対する全能感と距離をおけるんです。「スゲエ」があるから増長するエゴにブレーキがかけられるです。


「スゲエ人」をスゲエと感じられる感性を


「スゲエ人」の良い部分に目を向けていくセンスを


どうか持ちたいものですね。人はいくつになっても「スゲエ人」と巡り会えるものでしょうし。


追記
芦原空手発祥の地である八幡浜。潮の香りがする漁村をイメージしていましたが、まったく違いましたね。旧道場の裏にある神社は、映画『史上最強のカラテ』にでてきた神社だ、と直感的に思いました。


あの場所で芦原、添野、山崎といった猛者が稽古をしていたと思うだけで感無量でした。この話で酒を飲める格闘技マニアって案外と多いと思うのだけど(笑)


February 13, 2014 in 尊敬する人、または師匠筋, 格闘技について | | Comments (8) | TrackBack (0)

2014.01.09

力がないと、力のある先生を選べない

人は、「自分が理解できる範囲」しか理解できません。


だから、「理解している範囲が広い人間」と「それが狭い人間」とでは会話がなりたたないことがままあるわけです。


「自分が理解できる範囲」を広げていく時に役に立つのが知識。


けど、本ひとつとったって読み方があるわけです。


この世には「頭から読んだら意味が分からない本」ってのがかなりあります。で、困ったことに古典だとか名著だとか「読んでおくといい!」といわれるものにこの手のものが多いようです。


ここは先生の助けを借りないと、「暗闇の中で、電灯も持たずに、手探りで、なくし物を探している」みたいになってしまうわけです。努力が徒労になってしまうわけです。


「難しい本を読んでも理解できない」ってのはちゃんとした先生に学んでないからなんです。


では、その先生はどこにいるか?


これは、探すしかないわけです。自分にぴったりの先生がどこかにいることを信じて探すしかないわけです。


職業として先生をやっている人かもしれませんし、職場の上司かもしれません。近所のおじさんだったり、同じスポーツクラブに通う仲間かもしれません。


出会いは、運が大きく左右する世界かもしれまんね。


ただ、面白いもので力のない人は力のない先生を選んで、力のある人は力のある先生を選ぶようです。


ここは、分相応の世界・・・。


自分自身の「範囲」を広げていくことは、もしかすると「力のある先生」に出会うために必要なことなのかもしれません。

January 9, 2014 in 人間の成長について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.27

「成長」は周囲の評価で感じられるもの

「成長する」


自分の成長を肌で感じる局面ってのは、生きていれば確かにあると思います。


けど、成長って本来は「徐々に」「わずかづつ」「本人の気がつかないまま」におこるものだと思うのです。


木が徐々に年輪を太くしていくようなイメージでしょうかね。


「勉強をはじめたばかりのころ」だとか「仕事を覚えたてのころ」ならいざしらず、一通り仕事を覚えた職業人の「成長」がダイレクトな手応えを持つはずがないのです。


だって、日々の成長なんかゆっくりと、じわじわとしか進みませんからね。


周囲から「君は昔とくらべて変わったよね」といわれて、「えっ、そうですか?」という世界観だと自分は思うのです。


だから、自分の成長を感じるには長い時間を共有している先生や先輩、仲間や友達やが必要となるんです。


「自分はこれだけ成長した」


就職の採用面接の場ならいざしらず、本来、「成長」なんて言葉は自分に対して使う言葉ではないんですよ。


「努力しているけど、自分が成長しているかどうかわからわない」という不安を持っている以上、「成長」はゆるやかでも確実になされていると思います。そこには世間や自分自身に対しての謙虚さがありますからね。


一方で、「自分は努力もしたので、こんなに成長した」と思っている人。そこに、過信と高い自己評価とが内在されていないか、年末年始のこの時期に観てみることは有益かもしれませんね。


今年、10年以上師事している師匠筋から「昔と比べだいぶ変わった」といわれました。


最初は「そうですか?」と思ったのですが、普段、ほとんどこの手のことを口にしない人(ってかいつも毒舌で厳しい言葉ばかり・・・)の言葉ですので、じわじわと喜びに変わってきました。


「今年あった嬉しかったできごと」


このテーマについて書こうと考えたら、まっさきにこの時のことがでてきました。


「成長」を周囲の評価で感じられる


ってのは、きっと人間の根源的な喜びなんでしょう。


来年も一つでも多くの喜びを感じられますよう。今日、27日で仕事納めです。

December 27, 2013 in 人間の成長について, 人間の認知について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.05.21

師匠筋はみつけるもの

このブログで「師匠筋」という言葉がたまにでてきます。


この言葉に反応いただいた方がいたので、ちと説明を。


「師匠筋」というのは、自分が勝手に「自分の師匠だ」と思っている人です。(でも、あちらは「弟子だ」とたぶん思ってません)


イメージとしては数人います。年齢も仕事もさまざまです。原則は、直接会うことができて、いろいろと話が聞ける方ですね。


「師匠」といえばいいのでしょうが、なんか「師匠」ってのは固着感満載な語感がするのでどこか嫌なのです。


「筋」という言葉には、「いろいろと教えていただいてはいるけど、そこに固着しなくて、いつでも離れられる自在さを持っている」という意味が含まれています。(めんどくさい説明ですが 汗)


社会人も20年をやっている人間の感覚としては、自分はこのくらいが適当だと思うのです。


この、「師匠筋」ってのがいるといないとでは、生きていく上で与えられる補助線の数が違ってきます。生きていく上でもらえるエネルギーや勇気の量が違います。


で、「師匠筋」と本質的な部分で出会うには、自分の内的なものと向きあう必要があると思うのです。


逆にいうと、自分の内的なものと向き合うことがない「師匠筋」なんてのは自分にとってはあまり価値がないですね。


人間の出会いってのはおそらく自分では選ぶことができませんが、「師匠筋」を見つけたいのであれば、自分に与えられた出会いの範囲で探すものだと思います。


ここは、時間はかかりますでしょうけどね。

May 21, 2013 in 尊敬する人、または師匠筋 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.12

部下との話は短くする。が、ダイアログはこの限りではない。

「部下との話は短くする」


なぜなら•••


「人は情報を上書きするから」と口にするのは自分の師匠筋。


あれこれ話をすると、部下はどんどんと情報が上書きされていって最初に話をしたことはほとんど覚えていないから、という。


「エネルギーをむやみに減らさないため」と口にするのは先輩経営者。


人と人とのやりとりは、なんだかんだいってエネルギーを消耗する。そのエネルギーの消耗をコントロールすることは大事なことだ、という。


「ボロを出さないため」と口にするのは別の経営者。


話が長くなると「昔はこうだった」だとか「俺はスゴいでしょ」といった話さなくてもいい話に流れてしまいがちだから、という。


どれもこれも実体験からくる素晴らしい叡智。かくいう自分も「部下との話は短くする」に賛成な1人です。


•••が、案外とこれって難しいんですね。


あれもこれもってのがどんどんとでてきてしまうわけです。


「このままだと情報が上書きされるなあ」と思っても話を続けてしまってしまうこともあったりするわけです。


「これって、なんでかな?」と考えてみたのですが、多くの経営者が持つ「動いていないとなんとなく不安になる」って気質が根底にあるんでしょうかね。


だもんで、意識的に意識的に「話を短く」をやろうとしているわけです。まあ、仕事を通じた修業みたいなものです。


で、最近気がついたことがあります。


自分は、「部下との話」を通じて頭の中やアイデアを整理していることがあるんですね。


だから、そこで展開されている話とはまったく関係のないことが頭の中をグルグルと駆け巡っていることがたたあるわけです。


人によっては「社長は話を聞いていない」と格好の餌食になるのですが、実はこれは大事な大事な時間でもあるのです(笑)


「必要なことを必要なだけ会話をする」ってので確かに仕事は回ります。効率的に仕事を回すという意味では「部下との話は短く」ってのは大事です。


けど、何かを生み出したり、考え方を昇華させたり、忘れていたことを思い出すには周囲とのダイアログ(対話)は不可欠ですね。


最近の自分。


「部下との話は短く」とは思いますが、「ダイアログについてはその限りではない」と思うようになりました。


「ダイアログできる力」ってのは、教養や一般常識やコミュンケーションってのが根底に存在する一つの仕事の能力です。


小説家の司馬遼太郎さんが「奥さんに話をすることで小説の構想をまとめていた」とどこかで読んだ記憶がありますが、きっとダイアログ力があるご夫人だったんでしょうね。

April 12, 2013 in 人間関係に関すること, 尊敬する人、または師匠筋, 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)