2015.04.22

人間関係が難しいんじゃなくて、「が(我)」の取扱が難しい

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会社を立ち上げて、人をいれる。


その人に居場所と役割をつくろうと、社長は一生懸命に任せる仕事を考える。


仕事が順調に推移していき、任された側のオリジナリティも発揮されてくる。


これで、万事オッケーなはずなのだが、両者のバランスが崩れるとそうはいかなくなるわけで。。。


社長は「私が与えた仕事」と、任された側は「私がつくってきた仕事」と思う。


大切なのは、お互いに「私が」の「が」をどこかにやってしまうこと。


人間関係が難しいのではなく、己の「が(我)」の取り扱いが難しいというだけのこと。


今のところ、ここは経営学ではなく哲学や心理学の範疇。経営学者、研究テーマたくさんね(笑)

↓↓以下、5〜6月で決定している予定です。


『日本の神様カード』講座 in名古屋 5月30日(土)


『日本の神様カード』講座 in広島 6月5日(土)


『日本の神様カード』ワークショップin京都 6月14日(日)※神様カード著者の大野百合子さんの講座です。私も参加!


神道学者•三橋健先生と訪ねる武蔵御嶽神社巡り 6月21日(日)〜22日(月)※神道学者の三橋先生と青梅の武蔵御嶽神社にまいります。私も参加!


April 22, 2015 in 人間の成長について, 人間の認知について, 人間関係に関すること, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.04.17

天外伺朗先生、「ホワイト企業」の講演にいきました

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多くの起業家は葛藤のエネルギーを使って会社をつくる。成長とともに生命体である組織は意志を持ちはじめてくる。葛藤がベースになった経営をしていると、自分が先頭にたってないと不安定になる・・・。


フロー経営を提唱される天外伺朗先生の「ホワイト企業」の講演。どこもかしこも創業5年くらいでマネジメントの壁にぶち当たるのはこの辺が原因かもね。


意志を持ち始めた組織をコントロールしたくなるのは、「自分がいなくてもうまくいったらどうしようという不安」だと。あるね、多くの社長の心にそんな思い。


人や物をコントロールしたくなる心の奥底には、自分自身に対する無価値観があったりするのかもね。


天外先生のこれからの時代に対する経営への視点は素晴らしいと思います。


ただ、「ホワイト企業」というコンセプトが確立されれば確立されるほど、その反対概念である「ブラック企業」なるものの闇が深くなるような気もしましたです、はい。

April 17, 2015 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.04.05

「小学生の将棋」というたとえ

「それは小学生の将棋じゃん!」という発言をあるところで聞く。


で、やたらと耳に残る。


「小学生の将棋」というのは、戦略もなく、いきなり王手を狙うようなこと。二歩三歩先をよまず、自分のしたいようにすること。相手の出方を想定しないで動くこと。


これに対し、「有段者の将棋」とは相手の動きや出方を想定し、それに対する打ち手までが用意されている中で、今の一歩を踏み出すこと。


仕事の調子がいいとき、ワタクシたちは「有段者の将棋」を無意識にやってるんだよね、きっと。仕事の調子がいまひとつなとき、気づかないうちに「小学生の将棋」をやってるんだよね。たぶん。


仕事が「小学生の将棋」のモードに入ってしまったときに大切なのは、自分自身に対して「岡目八目」になることかと。将棋を指している自分自身につっこみをいれていくことかと。


「お前の打ち方ってどうなのよ?」だとか


「もっと先々をみて打てよあ」だとか


いれられるだけのつっこみを自分自身にいれること。それも無責任に勝手気ままに。


そうすることでものごとを見る視点が変わって、視野狭窄から抜けられるんだな、きっと。


そいや、知り合いの経営者が「自分の中には二人の人格がいて、いつも対話をしている」といっていたが、彼の頭の中はどこか「岡目八目」の世界なのかもしれないね。


昨日、とあるブログセミナーにでた人の話(ブログでブランディングをするには「100%の記事よりも、60%の記事を毎日書くのがいい」)を聞いて、いきなりブログが書きたくなりました。


まさに「小学生の将棋」みたいな話ですが(笑)ちょっと更新頻度はあげてこかな、と。ワタクシはある部分で小学生なみに単純。

April 5, 2015 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて, 尊敬する人、または師匠筋 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.26

苦悩の時には、ノウハウはまったく役にたたない

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「なんでこんなことが起こるの??」


かつて、仕事の人間関係をめぐる「苦悩」に直面したときがあります。


自分が見ている現実と、周囲がみている現実とのギャップにただただ驚き。意味が分かりませんでしたね。


「オレはおかしくなったか?」と思って臨床心理士のセッションを受けにもいくわけです(笑)(徹底的にやってやろうと思って結局、3年行きました)


その頃、当たり前のことに気づいたのです。


「苦難の時に、経営や人間関係のノウハウはほとんど役立たない!」(当たり前じゃん、、、ですが)と。


何の因果か31歳で創業し、経営をすることになりました。


何もわからないのでとにかくがむしゃらに経営だとか人間関係の本を読みました。その手のセミナーにもお金を使いましたし、テープやDVDの教材もとにかく買いました。


世の中は、「中小企業の社長が勉強するブーム」に溢れていた時代でした。有象無象のマーケッターやコンサルタントがキラ星のごとくでては、どんどん消えていく時代でした。


それらの方のノウハウは、場面場面では役立つこともありました。


これらがあったおかげで基礎体力みたいなものもできた感もありますし、どこか自信にもなりました。


ただ、


●人間が心底苦悩に直面したとき


●意識の力(ポジティブシンキング)なんかじゃ乗り越えられないとき


には、まったく役立たないことに実体験として気づいたのです。


考えてみれば、あたりまえ。経営のノウハウなんてのは、数百年の歴史の風雪に耐えた普遍的なものなどないですからね。


「環境」「条件」などの変数が変われば、一気に使えなくなるものばかりだし、「人間の個性」っていう大事な部分を度外視したものばかり。。。


私は「いままで役にたつ!」と思ってたものが何ら使えない状況の中で、どーしたもんか、と思っていたわけです。


そのころ、ふと思ったんです。


「一人の経営者が、与えられた環境や条件の中で、四の五の言わず、自分が直面したできごとにどのように対応していくか」


これが経営じゃねか、と思ったのです。


文章で書くと「へー」かもしれないですが、これは私にとってパラダイムの変換だったわけです。


これまでは、「自分の理想があって、そのためにどうするか?」•••それが経営だと思っていたのです。ビジョンを描いて、理想と現実の間のギャップを埋める作業が、社長の役割だと思っていたのです。


それが、「直面するできごとにどのように対応していくか?」になったわけですからね。


どこか年寄りくさいし、どこか淡白だし、どこかあっさりしてる


それまでは、がむしゃら系でしたから、これを受け入れるのはかなり大変でした(笑)


けど、「その先にこそ自分が目指す経営者像がある」がなんとなくの予感から、確信へとどんどんと変わっていったんです。


そうしたら、日本の古の伝承『古事記』やインドのヨガ哲学『バガヴァッドギーター』など数千年の歴史を持つ本がいままでとはまったく違った形で読めるようになったわけです。


これらの根底を流れている考え方と、自分の志向するものとが同じ線の上にあるような気がしたのです。


それはまるで、「お前の生き方は正しいぞ」といってくれているかの気分。「そんな経営者がいてもいいじゃないか」といわれている気がしたわけです。


これらの物語にでてくる主人公の苦難に自分を投影さえすれば、苦難は苦難じゃなくなる、と感じたわけです。


で、それを会社経営者の立場としていつかつたえていきたいな、と思ったわけです。


社長として経験した「苦悩」、そしてそこでつかんだものは、次の時代の社長の財産になるなと思ったわけです。その思いが「苦悩」を耐えているときの、自分の励みになったわけです。


あさ、ふとこんな過去のことが頭をよぎったので自己開示。ってか、久しぶりのブログ更新なのに記事が長いし(笑)


March 26, 2015 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間関係に関すること, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.06

子供の頃から深いものに触れてたのかもなあ

記事の最後に、今後の講座予定あり(プロレスネタは一部の人しか読まないからな 笑)


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「技をかけられても、風車が回るがごとく身体を任せれば、技がかからない」


アントニオ猪木さんのいう「風車の理論」


改めて読むと、神道でいうところの「神ながらの道」と共通することがあることに気づく。今日は新日本プロレス43回目の創業記念日。


今後の講座予定ですーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【3/28(土)•石川】
『日本の神様カード』の世界より〜神道や日本の神様、神様カードなど通しての対話
※18年ぶりの石川県。社会人のスタートをきった懐かしい街•金沢での開催です。


【4/12(日)•福岡】
「オラクルカード入門セミナー」
※30種類を超えるオラクルカードを使って、自由自在にリーディングを行います。13:00〜14:30、3,500円と参加しやすい講座です。


『日本の神様カード』セミナー
※大人気、『日本の神様カード』をガイドブックなしによむ講座。直感をつかって自由自在にカードをつかう、を体感いただきます。カードのベースになった『古事記』のお話しも。15:30〜17:30、4,860円


【4/13(月)•大阪】
『バガヴァッドギーターカード』&『日本の神様カード』を人生に活かす2時間講座
※「人生に必要なことがすべて書いてある」といわれるギーターと、日本の古の伝承『古事記』。二つの物語がベースとなったカードを通して、どう人生に活かしていくかをお話しいたします。19:00〜21:00、6,480円


【4/19(日)•徳島】
『日本の神様カード』ワークショップ in 徳島
※カードの著者 大野百合子さんとご一緒します。初めての徳島です。


【5/30(土)•名古屋】【6/6(土)•広島】で『日本の神様カード』使い方講座も開催予定です。詳細は、決まりましたらこちらにアップされます。


↓↓講座開催のお問い合わせはこちらまで↓↓

『日本の神様カード』やオラクルカードの講座を各地で主催されたいという方は、「お名前」「ご連絡先」「ご相談内容」を明記の上、メール(info※visionary-c.com ※=アットマークにしてください)にてご相談ください。折り返し、担当より連絡差し上げます。

March 6, 2015 in 人間の成長について, 格闘技について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.05

エゴ=1/知識

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インド哲学の授業で教えていただいたアインシュタインの公式。


「なんでこの話をそう受け取るんだよ、意味わかんねえ」って人間関係のイライラ。なんとなく、この公式が解明してくれているような気がしてならん。


エゴの絶対任務は自分自身の防衛。知識は自己を防衛するためでなく、自分自身のエゴを消滅させるために使いたいもの。


エゴまみれの身体にひらめきが宿ることはそうそうないでしょうからね。

March 5, 2015 in 人間の成長について, 人間の認知について, 人間関係に関すること, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.03.04

映画「幕が上がる」を観ました

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「なかなか人生オツなものですな」


20歳前後のアイドルが口にしたら「何を生意気な」と思ってしまいそうだが、この映画でももクロが語ると全く違和感なく聞こえるのだから不思議。


ももクロが目指しているのは、自分らのエゴを満たすチマチマした小欲ではなく、永遠に完結しない大欲なのかもしれないな、とこの映画を観て思う。


じゃなきゃ、40歳すぎたおじさん達が「ももクロはスゴい!」といい続けないでしょ(笑)


青(早見あかり)が脱退した時のことをオーバーラップして観ると泣けてきて、ラストシーンでだめ押しです(汗)やられたね。

March 4, 2015 in 人間の成長について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.02.10

『日本の神様カード』の使い方講座が今週末に大阪で行われます

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「教師になりたい」との夢があったワタクシの過去。教育実習にまでいきましたが、教師になりませんでした。


「20代のオレに何が教えられるんだ?」と思ったのと、「学校教育は自分が教えたいように教えることができない」と思ったから。


それから20年が経過して一循環、教えるお役目をいただきました。


俳優の武田鉄矢さんが、「先生になりたかったが中退をした。役者になったら先生の役割がやってきた。人生は不思議だと思った」という趣旨のことを語っていたのを思い出しましたが、ワタクシの場合はどうなんでしょう?


ただ、経営の師匠•神道の先生•ヨガ哲学のグルをはじめとするみなさまに教えていただいたこと、そして旅をしたり、経営をしたり、カードを作ったりという経験から感じたことを自分の言葉として出し惜しみせずお伝えするつもりです。


「『日本の神様カード』使い方講座」
日時 2月15日(日)
時間 13:00〜15:00 
場所 カイロンカフェ(大阪市中央区)
料金 3,500円


内容
※当社が2008年に制作し、16刷のロングセラーとなっている『日本の神様カード』を直感で自由自在に読むための2時間講座です。
◉『日本の神様カード』が誕生するまで
◉カードリーディングに正解はない
◉解説書を見ずに、直感でカードをひく
◉参加者相互によるリーディング実習
 •1枚引き
 •他者リーディング
◉生活に活かす『古事記』


カードのレビューはこちらをご参考ください↓100を超えてます!
Amazonさんのページ


東京•大阪•福岡で占いスクールを展開するカイロンさんが運営する「カイロンカフェ」さんとの共同イベントです。前日は、大神神社にいくつもり!


カイロンカフェさん
20種類を超えるカードが置いてありますよ!


お申し込みはこちらから↓
ヴィジョナリー•カンパニー チケット受付センター

February 10, 2015 in オラクルカード&タロットカード, 人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.02.02

1月31日は創業記念日でした

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1月31日は14回目の創業記念日。ご縁ある会社の一角に、中古のFAXと段ボールでつくった看板(?)を置かせていただくことから当社はスタートしました。


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この看板はいまでもワタクシの近くに鎮座してまして、時に「初心の自分に近づけ」と叱咤くださいます。あの頃の経験や知識、人間関係で独立しようと思ったのだから、若いってのはスゴい。。。

February 2, 2015 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 初心を忘れないということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.21

人生をクリエイトしていく、という覚悟

「世界の謎と不思議に挑戦する月刊誌『ムー』」


探究心をかきたてるこの名門雑誌の三上編集長と、青山•表参道で圧倒的人気を誇る占い師 キャメレオン竹田さんとの対談イベントが行われました。


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◉「人気芸能人の離婚に伴う不思議な裏話」
◉「フリーメーソンの秘密」
◉「幽霊はどう出てくるか?」
◉「ピラミッドはエジプト文明の建造物か?」
◉「小さなおじさんのミイラがみつかった話」 

•••など、知的好奇心を刺激する話の数々。。。


さすがに、話のレパートリーが広い、話の一つ一つが深い、そしてどこかアカデミック。三上さんが国立大学の物理学科を卒業しているらしい、と聞いて納得。


「ワタクシにとって不思議なことって何かな•••?」と思ったときに、


「なんで、人生をクリエイトできる人と、そうでない人がいるんだろう」


という思いがもたげてきて•••第三部でキャメさんに話を聞かせていただきました。


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「自分がこうありたい」ということをイメージし、いい波動の状態をつくる。で、自分ができることを、たんたんと行う。うまく行かなかったら、やり方を変えて、しつこくやりつづける。あとは、覚悟する。


すんごくはしょってますが、そんなお話しでした。


んんん?


この手の話はちょっと本を読む人なら情報としてはしっているような話ばかりで、特に目新しいことではないわけで•••。


けど、話を聞くというのは言霊のシャワーをあびることですから、やはり実感のある人の生の言葉はエネルギーがあるんです。


まさに、そんな時間でした。キャメさんの見た目と「覚悟」という言葉のアンバランス感(?)がとても新鮮でした。


最近、アドラー心理学が流行っているようですが、どこかに


「もう、現実をしっかりとクリエイトしていく時代でしょ」


って集合的無意識の叫び(のようなもの)が来ていると思うのです。

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※この本、ベストセラーですけど、アドラーがよくわかります。


「◎◎が障害となっているから何かができない」


だとか


「ワタクシの●●な性格があるからうまくいかない」


というのは、「できない自分でいることで感じる心地よさ」があるんでしょう。


「人生をクリエイトしていく」には、まずこの心地よさという布団をおっぱがして、寒空にでていく必要があると思うのです。


そこに必要なのが、覚悟。人生をクリエイトすることに責任を持つ、という覚悟ですね。


そんな気持ちを決めるだけで、きっと現実はバタバタと動きはじめるのでしょう。


逆にいうと、「現実が動いていかないのは、覚悟が決まってないからなのか?」•••こんど三上編集長に聞いてみよ(笑)

January 21, 2015 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.16

ネガティブな同調圧力に自己の主張を

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「自分の意見を主張すること」


集団社会の中では、こんなささいな行いが難しいことがあります。


反対意見の人から嫌われたり、集団社会から仲間はずれにあったりするからです。


どんな些細な流れでも、河の流れに抗うのは大変。逆に、どんなちょろちょろとした流れでも、河の流れに乗るのはラクチンなものです。


「周囲からの同調圧力に与(くみ)する」


だから、この選択肢をとるだけで人はラクチンになります。少なくとも、嫌われたり、孤独になったりすることから自分自身を防衛できますからね。


けど、ワタクシは「あの人イヤだよね?」とか「あの人困るよね?」的なネガティブな同調圧力だけはどうしてもキライなんです。


だって、それって誰でもが心の中に持つネガティブな部分に意図的に火を注ぐような行為だし、バーチャルな共闘意識をつくろうとする行為だからね。


自分と他者とがきちんとセパレートできてれば、「どこからがどこまでが自分の問題で、どこからどこまでが相手の問題か?」がわかると思うのですよね。


だから、「誰かが誰かをキライ」って話に、第三者が介在したり、加担したりなんておかしな話だなぁ、と。成熟途上の子供ならともかくね。


ワタクシのできる最大限は「あの人はキライ」って話を聞くことと、あとは、求められればアドバイスをすること。そこまででしょ。


米ソ冷戦時代じゃあるまいし、共通の的をつくって集団をまとめるなんてのは流行らないのですよ。


同調圧力に与しないと、一時的に「孤独」にはなるかもしれないし、周囲から距離を置かれたり、面倒くさがられるかもしれない。


けど、「孤独」を身にまとったもの同士はどこかで惹かれ合うから、結局は孤独にはならないんじゃないかと思いますけどね。


「俺は友達が少なくてさ」


ニコニコしながら話す20年来の友達と久しぶりの飲み。同輩ながら孤独を身にまとう姿がカッコよかった。。。ワタクシもかくありたい。ってか、かくあるぞと改めて誓う。


January 16, 2015 in 人間の成長について, 人間の美意識について, 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.06.02

センスは知識からはじまる

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『センスは知識からはじまる』 水野学 朝日新聞出版


「センスがないなあ」


住宅メーカーで仕事をしていた29歳頃。支店長にしょっちゅうこう言われました。


「立て替えをしたい」というお客さんの要望を聞き、まずは営業担当が図面を書くのですが、いつもダメだし・・・。


当時の自分は「確かにセンスがないよなあ」と思ったわけです。どうみても、自分の描いた図面には家に対する夢や希望がかけていたわけです。


その後、転職をして広告や商品の仕事をする中でたびたび「センス」という言葉に出会いました。


「あの人はセンスがある」、「センスのいい商品」、「センスのある提案」、「センスのあるデザイン」・・・


けど、じゃあ「センスって何よ?」といわれると、なんとなくぼんやりとしていたわけです。


けど、「『センス』ってのは生まれつきではなく、後天的なものじゃないか?」という思いはどこかにあったわけです。


「人間は自分がセンスを発揮できる分野を探しあてて、そこを深堀りしていく。これが、『センス』ってものの正体じゃないか?」と。


その先にある「目利きができる」って世界観。


そこは、「一般」と「特殊」を見極めることのできる世界。「よし」と「悪し」と自分なりの観点で区分けできる世界。その分野の未来予測がごくごく自然とできるような世界。先天的に与えられるのでなく、獲得していくって世界。


だから、「ワタクシはセンスがあります」的なオーラが満載の人をみると、「ああ、この人はいつか時代から復讐されるだろうなぁ・・・」的に思っていたわけです。


さて、この本の著者(慶応大学の准教授)はいいます。


センスは生まれついてのものではない(P1)


センスとは知識の集積である。これが僕の考えです(P74)


「センスのよさ」とは、数値化できない事象の善し悪しを判断し、最適化する能力である(P18)


まさに、我が意を得たりです。


人間はオールマイティーに「センス」を発揮できないでしょうから、「どこに自分がセンスを発揮できるのか?」というどこか戦略的な視点が必要になりますが、決めてしまえばあとは時間をかけて知識を集めていくだけ。


地道で時間のかかる世界ですが、だからこそ「他の人には真似できない」という世界が開けていくのでしょう。


せっかく仕事をしているんですから、こういう分野を一つでも持ちたいものです。

June 2, 2014 in 人間の成長について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.04.09

無邪気な自分にかえろう

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「無邪気さ」


「この人、スゴいなあ〜」と感じる人の共通項をあえて挙げると自分の場合はこれ。


タロットカードでいうと「0番」の「愚者」。


けど、本当に「愚者」では人生は歩めないわけで・・・


ある程度の社会性や生きる手段としての知識や教養は必要なわけです。


けど、あくまでもそれらは「どのような人生を送りたいか?」という目的に対する「手段」にすぎないかと。


手段と目的の混合はしないようにしないとですね。


赤ちゃんの「無邪気さ」には何かしらの意図があると思えないのを見ても分かるように、これって持とうとして持てるものじゃないと思うのです。


どこか自然と漂ってくる・・・いうなれば、人間の心の様相が世界に発信されたもの。


世の中は自分の味方だ、という安心感。


無くなっても必要ならば戻ってくる、という信頼感。


Doing(すること)ではなく、Being(在ること)で自分を見ていてくれる人がいる、という確信感。


こんな心の様相が、「無邪気さ」となって現れるのかと。


人は人間関係の中で「無邪気さ」をなくしていき、再び人間関係の中で「無邪気さ」を取り戻していくもの。


生育の過程で毀損した「無邪気さ」を取り戻す第一歩は、「無邪気な人」の近くにいることなんじゃないか、と思います。


空気の香りが知らない間に洋服にしみ込むように、じょじょに何かが変わっていくものじゃないでしょうかね。

April 9, 2014 in 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0)

2014.03.13

どんな本を読んだらいいか分からない

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机の上にあった本を並べてみました。


うーん、客観的にみるとひとつの指向性がみえますね。


それはさておき。


これらの本、一冊残らず「自分の意志」で選んだ本ではないわけです。


「Amazonの書評コメントを見て面白そうだなと思った」、「師匠筋から読むことを薦められた」、「出版社から献本された」


「新しい企画を進める中で読まないわけにいかなかった」、「書店でたまたまみかけた」、「新聞広告でみかけた」・・・


手にとった理由はさまざまですが、どれもが「たまたま(偶然性)」から「読んでみよう!」と行動に結びついているわけです。


「たまたま」ってのが人間の力でマネジメントできない以上、本との出会いに「自分の意志」なんてのはないんだな、と自分は思うわけです。(これは、人や仕事との出会いも一緒ですね)


「どんな本を読んだらいいかわからない」


飲みの席でそんな話になった時、自分は「『たまたま』目の前にやってきた本を読めばいいんじゃん?」と応えました。


で、面白ければその著者の本(もしくはそのテーマの本)を水平展開して読めば良いし、つまらなければすぐに辞めて(つまらない本を読み続けていると読書嫌いになるので)次の「たまたま」を待つ。


「たまたま」がこないのであれば、情報の感度がどこか錆びついているか、本を読む使命を与えられていないかのどちらかでしょう。


別に、本より楽しいこと、本より実りのあることなどはいくらでもあるし、無理してこちらから探して読まなくてもいいんじゃね、というのが自分のスタンス。


自分に訪れる「たまたま」に全幅の信頼をおくと、時に「たまたま」が自分を追いかけてくる感覚を味わうような気がします。


もしかすると、「たまたま」は存在証明したがっている・・・?


とまれ、新しい「たまたま」が生まれるたびに、「自分が知らない世界ってのがたくさん存在してるんだなあ」と思います。


こないだ、この映画を「たまたま」見たのです。


この映画の主人公、Fジェームス・ハントとニキ・ラウダってF1の世界ではもの凄く有名なライバル関係らしいですね。

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同じ時代を生きていて、はじめて知りました(汗)


たぶん、「たまたま」ってのは自分が知らない世界へと開く扉みたいなものなんでしょう。


自分はこの映画を観てもF1には興味も関心もないですが、人によってはこの映画が人生のパラダイム転換をはかるような「たまたま」だったりするのでしょう。


この辺の「たまたま」に対する感度の違いってのが、人間の使命であり、生きる方向性を示唆しているのかと。


日々訪れる「たまたま」を大切に。

March 13, 2014 in 人間の成長について, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.02.28

シンクロがやってきた

「いつかこの方にはお会いしそうだな•••」


一昨日の朝、某新聞にでていたインタビュー記事。


お会いしたことない方だけど、なんか予感があったのでインタビューの内容をちょっとだけメモ。出版人で年齢は同じくらいの方。


で、昨日の午後。


ある打ち合わせで、同席をしていた方からこの方のお名前がでてくる。どうやらこの出版人と懇意にされているらしい。


で、話の流れで近々お会いできるような感じに。関係各位の打診はこれからなのだが、もしかすると「何かしらの企画をご一緒できるかも」という展開に。


「シンクロ」


こういうできごとを、そう呼ぶのでしょう。


けど、「シンクロ」って驚いたり、喜んだりする類いのものじゃなような気がしていて•••むしろ、ある条件が揃っていさえすれば「シンクロ」が起きることが普通な状態なんじゃないか、と。


「いつかこの人にお会いしそうだな」


と自分の心が動いたこと。たぶん、これは自分の意志ではないわけです。


直感、というと安っぽくなってしまいますが、きっと自分ではないどこからかもたらされたものなのでしょう。


そんな世界観の中では、「できごと」が向こうの方から自分を追っかけてやってきます。


「シンクロ」なんてビシバシと起きるでしょうし、いろいろなことがなぜかスムーズにすすんでいくわけです。


こちらから「できごと」を追いかけていく世界観とは対極ですから、エネルギーも少量で済みますし、なによりも障壁がどんどんとクリアーしていくのが心地よい。


たぶん、「できごと」を追っかけている感覚があるときは「シンクロ」なども無縁。それは、「直感」ではなく「エゴで考えた『直感』もどき」だから。


「もどき」はどこかスムーズさにかける、どこかつっかかりがある•••


「もどき」とそうでない世界とはたぶん形こそはにていても、対極にある世界なのでしょう。


シンクロに一喜一憂するのではなくて、「あー、やってきたか」って淡々とした世界観なのかな、と感じます。

February 28, 2014 in 人間の成長について, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.21

結果は大切なものなり、されど執着せず

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「契約さえとれれば、一日中寝てたっていいんだ」


住宅の歩合営業をしていた16年ほど前、上司によくいわれました。


たまたま、その頃に読んでいた本がでてきました。(ちなみに、著者の丸山景右さんはそんなことは書いていません)


「仕事は結果が全てである」


たしかにそれは事実。結果(売上や契約)がなければ給料だって出ないし、事務所の家賃だって払えない。


けど、いにしえから続く哲学や思想の多くは「行為の先にある結果の放擲(手放す)」を異口同音にいうわけです。そこに人間本来の自由、ひいては人のしあわせがあるといっているわけです。


編纂から2,000年以上経つヨガ哲学『バガヴァッド・ギーター』だって、中国の代表的な古典『老子』だって、自分には「行為の先にある結果に執着しない方がいい」と読めるわけです。


「仕事は結果が全てだ!」みたいなイケイケな会社に席を置かせていただいた人間が、何かの縁から会社を興して、そのうちにギーターや老子を手に取るようになった。


これは、「『行為と結果』について社長というちょっと難しい立場でお前なりに考えなさい」という使命を自分は与えられているのかもしれませんね。


今の自分は、


結果に執着するエネルギーを創造(行為)に向けること


たぶん、それだけで見えてくる現実ってだいぶ変わるんだな、と感じています。感覚的には、「結果は大切なものなり、されど執着せず」って感じでしょうかね。


追記
この頃は、飛び込み営業をよくやりました。


確か2,750軒訪問すると1軒契約できるってデータでしたね。


今思うと、優秀な営業マンはたんたんと訪問数だけこなしていた(=行為にエネルギーを集中させていた)ように思えたりします。もちろん、工夫や改良を重ねながらですけどね。


結果に執着をしてしまうと、工夫や改良ってところにいくエネルギーが分散されてしまうような気がしますね。

February 21, 2014 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.20

恐いものの恐さを知ること

Takuan

「恐いものの恐さを知ること、それが本当の勇気」


無鉄砲で、暴れん坊だった若き日の剣豪・宮本武蔵にあるお坊さん(沢庵和尚)が口にした言葉です(だいぶ私の言葉になっています)。


武蔵はそこから蔵にこもって読書を3年し、人格を磨いていく・・・


吉川英治さんの描く『宮本武蔵』、前半の一つの山場です。


「恐怖心」


凡そ、フツーに生活をしている人でこれと無縁な人はいないわけです。


お金があればあるで、社会的な立場があればあるで、仕事のスキルがあればあるで、子供が健全に育っていればいるで・・・


これと付き合っていかないといけないのはたぶん人類全体のカルマなんでしょう。


昨日はワークショップでした。2ヶ月に一度、経営者が10人ちょっと集まる会合で、早いもので参加してから丸4年が経ちました。


テーマは一切なくて、それぞれが話をしたいことを勝手に話すところから会は進展していきます。


将来の事業への不安、家族や社内の問題、事業継承の悩み、新規事業への迷い、「ありたい自分」と「現実の自分」とのギャップの葛藤・・・


自分らが「問題」として人に相談したくなることの多く(ってかほとんど)は、この「恐怖心」って問題にいきつきますね。4年間でたくさんのケースを見聞きできました。


自分たちは、全力をあげて恐怖から逃げようとします。


「今はこれに取り組む時期じゃない」だとかいってマインドをフルに駆使したり、


「オレはゼンゼン恐怖んなんかないぜ」と感情のスイッチをオフにしたり、


やたらと周囲に対して攻撃的になったり、


恐怖を感じないようにバタバタと忙しく新しい行動をしてみたり・・・


ホントに人は狡猾に自分を騙す(笑)


沢庵和尚の言うように、恐いものを恐いものの姿のまま、過大評価も過小評価もせずに見つめること


これがやりきれると、できごとそのものが姿を変えてしまうことがあるんですね。そんなケースもいくつも見させてもらいました。


「恐いものの恐さを形のままに知る」


ここは「一人一人が自分でなんとかする」のではなく、信頼できる師匠や仲間、家族との相互依存(いい意味での依存です)の中で向き合っていくことが必要なんでしょう。


寺子屋、青年団、サークル・・・形はなんでもいいと思います。


「恐いもの」を必要以上に大きく見せるための情報がたくさんある時代は、こうでもして自分を守っていかないとやられちゃいますからね。


ってか、自分がそんなサークルでもつくるかな。

February 20, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.17

「嫌なヤツ」を考える

「嫌なヤツ」は自分の投影、だから「嫌なのだ」。


って考え方があります。


「嫌なヤツ」を見ることで、自分が抑圧している「嫌な自分」が直面化される。


だから、無視したり、バトルしたり、陰口言ったりして人は心の平静を保とうとする。つまり、自分の中で抑圧していることに更なるフタをする。


そんな考え方があります。


けど、これってどれだけマインドで考えたところで腑に落ちないと思うのです。


だって、「嫌だから嫌なんだ」ってマインドはもはや感情の領域。それを凌駕するマインドは存在しにくいわけです。


冬場に入る風呂の気持ちよさを理屈で説明できないように、「アイツは嫌」を理屈で説明、理解できるわけがないわけです。


たぶん、人間における「嫌なヤツ」問題は、自分のスピリットに働きかけないといけないわけです。


「世界は愛と調和に満ちている」と考えると、「嫌なヤツ」の存在ってのはどう考えても説明がつかないわけです。


愛とは無縁な気がするし、調和とはまったく逆・・


なんで愛と調和に満ちている世界にこういう人が存在するのか?


この説明のつかない矛盾。ここは、たぶん自分たちの「エゴ」の部分なわけです。


何かを期待したり、何かを求めたりとする自分たちマインド(「エゴ」)の部分なわけです。


「エゴ」は社会の推進力になりますし、人間の活力の源でもあります。


そんな一方で、「エゴ」は「イタい大人」の種子のようなもの。「エゴ」の種子は他人からの承認欲求をエサにしてどんどんど肥大化していく危険性があります。


ここはうまく付き合う必要がありますね。


「嫌なヤツ」は、自分の「エゴ」を客観的に見せてくれる存在


マインドではなく、スピリットでそんなイメージをしてみてはどうでしょうかね?


フツーは「自分のエゴの部分を見せてくれてありがとう!!」なんて聖人君子みたいなマネはなかなかできないでしょう。


けど、マインドが「アイツは嫌」と支配されてる時は「敵」と思ってたヤツが、スピリットに働きかけるとちょっとだけいとおしくなる(?)瞬間があるから不思議です。


そう、それは人生を生きていく上での同志みたいな感情かもしれませんね。

February 17, 2014 in 人間の成長について, 人間の認知について, 人間関係に関すること, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.05

経営学についてちょっと考える

「大企業の役員と対等に経営の話ができる」


会社を創ったころ(2001年)、そんなことを思って経営の勉強をしました。


ポーターの「競争戦略」、ドラッカーの「企業の強み分析」「ユーザーのギャップ分析」、コリンズの「ビジョン経営」、日本発の「暗黙知経営」、当時流行していた「ゲリラマーケティング」・・・


で、それらはそれなりに自分の血肉になりました。成果に直結するものも確かにありました。


けど、いつからか経営学の語るところの経営ってのはどこかに違和感があるように感じてきました。


それは、「経営理論が現場で使えるわけないじゃん」という現場主義的な意味ではなくて、もっと根底レベルでの違和感ですね。


「なぜ、うちの会社が存在しているのか?」


経営学的にいうと、それは「ニーズがある商品(サービス)を他社よりも低価格か高付加価値で提供しているから」ということになるのでしょう。


けど、「なにゆえ、その商品(サービス)を提供するようになったか?」ということを考えてみるとき、ほとんどの経営学では「人間が主体的に考えて商品(サービス)を考えた」というスタンスにたっています。


けど、それだけじゃないと思うのですよね。


で、たぶん経営学ではこの「それだけじゃない」という部分を追っかけることができないのです。こまかな事情はわからないですが、学問として成立しないのかもしれませんね。


経営の世界には、「たまたま」だとか「想像もしていなかったけど」だとかいうことがよくあります。


で、優秀な経営者であればあるほどこれらをうまく活用している。ってか、「それらのできごとをうまくマネジメントしてるんじゃね?」とすら思える人だっているわけです。


たぶん、ここは「人間に与えられし使命」と「経営者の志」って話のような気がするんです。


「志あるところに、経営者としての使命がやってくる」って世界観。


おもしろいのは、「志がなくても、使命がやってくる」こともあれば、「志は強いけど、使命がやってこない」ってこともあること。


ここらへんの差配は関心がありますが、とうていワタクシなどには分かるわけもなく・・・。


ということで、「大企業の役員と対等に話ができる」からスタートしましたが、MBA的な話にはもはや関心がほとんどなく・・・(笑)


でも、ここらへんのことを「あーだ、こーだ」というあたりに自分の使命があるんじゃないか、という予感もあったりもするわけです。

February 5, 2014 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.24

「ポジティブシンキング」と「生きる力」と

「ポジティブシンキングになれない」


「ポジティブシンキングになりなさい」


なんて、人が悩んでるシーンなどで普通に使われてますね。


けど、生きていればポジティブになんかなれない時があるわけです。


「どう考えてもポジティブなスイッチが入る気力が起きない」なんてことはフツーにあるわけです。


「ワタシはそんなことが人生で起きたことがない!」なんて人はたぶんどこかにフタをした生き方をしているはずなんです(いつか自我の逆襲がやってくる・・・はず)。


でも、そんなしんどい時期にも「よいこと」と「新しいこと」は日々おきているのであって・・・


元気がない時は、これら「よいこと」と「新しいこと」を丹念に集めていくしかないと思うわけです。


「よいこと」と「新しいこと」は、数が集まって、時間の経過で熟成されるうちに、調子のよい自分への呼び水になるわけです。


「今日一日、『よいこと』も『新しいこと』もなかったな」


なんて夜があれば、近くのコンビニでいままで買ったことのない商品でも買えばいいんです。


たとえ、それが10円のガム一つであっても「新しいこと」が一つできて一日を終えることができるわけです。


そう考えると、暗闇のどん底で周囲が敵にばかり見えてくるような日でも、どこかに必ず「よいこと」と「新しいこと」はあるはず。


こういう確信は、「ポジティブシンキング」の世界感ではなくて、「生きる力」って世界観の範疇だと思うわけです。


「ポジティブシンキング」が蔓延して、人間の「生きる力」に焦点が集まっていない


なんてことはないでしょうかね?


ポジティブシンキングになんかなれなくても、人間は「生きる力」を発動できる生き物なんです。


悩んだら「生きる力」を発動させればいいんです。


いうほど簡単じゃないとは思うけど、「ポジティブシンキング」なんかを目指してたら時に「悩みの泥沼」から抜けられなくなると思ったりします。

January 24, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.09

力がないと、力のある先生を選べない

人は、「自分が理解できる範囲」しか理解できません。


だから、「理解している範囲が広い人間」と「それが狭い人間」とでは会話がなりたたないことがままあるわけです。


「自分が理解できる範囲」を広げていく時に役に立つのが知識。


けど、本ひとつとったって読み方があるわけです。


この世には「頭から読んだら意味が分からない本」ってのがかなりあります。で、困ったことに古典だとか名著だとか「読んでおくといい!」といわれるものにこの手のものが多いようです。


ここは先生の助けを借りないと、「暗闇の中で、電灯も持たずに、手探りで、なくし物を探している」みたいになってしまうわけです。努力が徒労になってしまうわけです。


「難しい本を読んでも理解できない」ってのはちゃんとした先生に学んでないからなんです。


では、その先生はどこにいるか?


これは、探すしかないわけです。自分にぴったりの先生がどこかにいることを信じて探すしかないわけです。


職業として先生をやっている人かもしれませんし、職場の上司かもしれません。近所のおじさんだったり、同じスポーツクラブに通う仲間かもしれません。


出会いは、運が大きく左右する世界かもしれまんね。


ただ、面白いもので力のない人は力のない先生を選んで、力のある人は力のある先生を選ぶようです。


ここは、分相応の世界・・・。


自分自身の「範囲」を広げていくことは、もしかすると「力のある先生」に出会うために必要なことなのかもしれません。

January 9, 2014 in 人間の成長について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.30

使命に「命」を「使」われる

使命、って言葉があります。


この言葉、「命を使う」とも「命を使われる」とも解釈できると思うのです。


自分の「命」を「使」って使命に邁進する


うん、言葉としてはおかしくありませんね。


けど、自分は


自分の「命」が使命に「使」われる


というのが本来の姿じゃないかと感じるのです。


自分らは仕事を選んでいるんじゃなくて、仕事に選ばれているんです。


自分らは本や映画を選んでいるんじゃなくて、本や映画に選ばれているんです。


同様に、


自分らが使命を見つけるんじゃなくて、使命の側に見つけられているんです。


使命の側に「命」を「使」われているんです。


「この人間に任せたら形にしてくれそうだ」


と使命の側から選ばれているんです。


人間はオバカですから、エゴや小我からくる欲求を「使命だ!」として認知してしまいがちな生き物です。


ただ、なぜか不思議ですが、使命に選ばれていない仕事はなかなかスムーズに事が運びませんね。


逆に、使命に選ばれた仕事は難問を簡単にクリアーできたり、予期せぬ出会いがあったりと摩訶不思議なことが次々と起こりますね。


それは、使命に選ばれた人間に与えられた通行手形みたいなもなのかもしれません。


使命に選ばれるために、自分らは力を磨くわけです。自分にくる「できごと」に逃げずに対応するわけです。


そう、それは実力を磨いてオーディションへと臨む役者の世界のようなものですね。


今年の年末年始は9連休。


日頃の疲れを癒すのも大事ですが、使命を与えられるような過ごし方をしたいものです。


来年も自分自身に使命が与えられますよう。

December 30, 2013 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.27

「成長」は周囲の評価で感じられるもの

「成長する」


自分の成長を肌で感じる局面ってのは、生きていれば確かにあると思います。


けど、成長って本来は「徐々に」「わずかづつ」「本人の気がつかないまま」におこるものだと思うのです。


木が徐々に年輪を太くしていくようなイメージでしょうかね。


「勉強をはじめたばかりのころ」だとか「仕事を覚えたてのころ」ならいざしらず、一通り仕事を覚えた職業人の「成長」がダイレクトな手応えを持つはずがないのです。


だって、日々の成長なんかゆっくりと、じわじわとしか進みませんからね。


周囲から「君は昔とくらべて変わったよね」といわれて、「えっ、そうですか?」という世界観だと自分は思うのです。


だから、自分の成長を感じるには長い時間を共有している先生や先輩、仲間や友達やが必要となるんです。


「自分はこれだけ成長した」


就職の採用面接の場ならいざしらず、本来、「成長」なんて言葉は自分に対して使う言葉ではないんですよ。


「努力しているけど、自分が成長しているかどうかわからわない」という不安を持っている以上、「成長」はゆるやかでも確実になされていると思います。そこには世間や自分自身に対しての謙虚さがありますからね。


一方で、「自分は努力もしたので、こんなに成長した」と思っている人。そこに、過信と高い自己評価とが内在されていないか、年末年始のこの時期に観てみることは有益かもしれませんね。


今年、10年以上師事している師匠筋から「昔と比べだいぶ変わった」といわれました。


最初は「そうですか?」と思ったのですが、普段、ほとんどこの手のことを口にしない人(ってかいつも毒舌で厳しい言葉ばかり・・・)の言葉ですので、じわじわと喜びに変わってきました。


「今年あった嬉しかったできごと」


このテーマについて書こうと考えたら、まっさきにこの時のことがでてきました。


「成長」を周囲の評価で感じられる


ってのは、きっと人間の根源的な喜びなんでしょう。


来年も一つでも多くの喜びを感じられますよう。今日、27日で仕事納めです。

December 27, 2013 in 人間の成長について, 人間の認知について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.25

人前にでることをはばからず

親は親になることで親になっていく。


社長は社長になることで社長になっていく。


先生は先生になることで先生になっていく。


その立場に身を置いてはじめて学びがはじまります。


かくいう自分、会社やって13年経ちますが、社長って何かいまだによくわからん。感覚的には一回りしてきた感じですかね。


最初は知識も経験もないからシンプルで、それが複雑になっていって、で、シンプルに戻ってきた・・・


ただ、一回りしたといってもレイヤー(次元)は確実にあがっていて、社長って立場に身を置いた人間ならではの言語化できない何かは確実に自分の中にあるわけで。


その言語化できないものが、たぶん立場に身を置いた人間のみが受け取れる財産だと思うのです。


逆にいうと、立場に身を置かなければ、それらのものは絶対に獲得できないと思うのです。学びを深めたかったら、四の五の言わず「立場に身を置け!」ということですね。


今年はさまざまなご縁で、「人前にでる」ことが多かった一年でした。


「人前にでるなんておこがましい」ってずっと思っていましたが、「立場に身を置」かなければえられない経験ってありますね。心底思いました。


そう、親だって社長だって未完成なままで「親としての顔」「社長としての顔」をして毎日をいきているわけです。


で、喜怒哀楽、失敗や反省を重ねながら徐々に「親」や「社長」になっていくわけです。


人前にでる、ってのも同じようなものだと思うのですよね。


人前にでることをはばからず


来年はそんな思いで一年を過ごしていこうと思います。2013年もあと1週間ですね。

December 25, 2013 in 人間の成長について, 人間関係に関すること, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.24

人間の発達課題について

「会社は学校とは違う」


社会人になってまもなくの頃、そう教わりました。


会社はお金をもらうところ、学校はお金を払うところ。会社は仕事をするところ、学校は学ぶところ・・・。


こういう文脈では確かにそう。


知り合いの経営者は「会社は仕事をするところだから、勉強など自発的にするのは当たりまえ。仕事だって本来は教えてもらうものではない」といってはばからない。


ちょっとこれとは文脈は違うのですが、「会社は学校のようなものだなあ」と自分は思ってます。


新入生の頃は、多くの人は緊張して入学します。で、周囲とちょっとづつ関係を築いて、そのうちに個性を発揮しはじめていく。


リーダーシップを発揮する人、大多数に乗るのが好きな人、周囲は関係なく自分の周辺だけにこだわる人、アウトサイダーな人、自分の本音は明かさない人、想像や憶測が大好きな人・・・


まさに、学校そのものですね。


学校ですから、いつか卒業がやってきます。学校ですから、転校する人が出てきます。学校ですから、つっぱる人もでてきます。学校ですから、クラス替えなんかもあります。


個性と個性とがぶつかって、ケンカしたり、共感したり、仲良くなったり、距離を置いたり、グループができたり・・・


やはり、学校そのものですね。


会社と学校の違いをあえていうのであれば、「発達課題」を自分自身が設定することかしら。


組織というのは、個々人の「発達課題」に挑戦するようなできごとばかり起きます。なぜか不思議ですがね。


で、「発達課題」をクリアーして転校(退職や転職ですね)していく人は、人間としての力強さのようなものを獲得するようです。


それは、たのもしさ?みたいなものでしょうかね。


その「たのもしさ」は次の「発達課題」に向かう武器になっていくわけですね。


人として生きている以上、「発達課題」が次々とやってくるのはしんどいもの。


けど、「発達課題」クリアーした後のリターンとして「見えなかった世界が見えてくる」という素晴らしいギフトをもらえるようですね。


世の中、案外とうまくできているようです。

December 24, 2013 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.19

「仕事の世界」の中心で働くということ

就職した頃、「仕事の世界」は大人ばかりでした。


社長は雲の上の存在だし、本部長も部長もとても年齢が上に見えました。直属の上司は30歳でしたが、これまたとても上に感じられました。


「仕事の世界」の中心


これは、はるか彼方に位置するように思えました。


5年、10年と働いていくうちに、自分より下の世代が増えてきました。で、どんどんと上の世代が引退をしていきました。


それから5年、10年と経つうちに「仕事の世界」はますます、下の世代が増え、どんどんと上の世代が引退をしていきました。


いつしか自分自身が「仕事の世界」の中心で活躍する年代になっていました。


人は、年齢を重ねていく中で「仕事の世界」の中心に近づき、で、歳をとるにしたがって「仕事の世界」の中心から去っていくのです。


「仕事の世界」の中心に向かう局面


「仕事の世界」の中心で活躍する局面


「仕事の世界」の中心から去る局面


当然、それぞれの段階で必要な要件は違ってきますね。


「仕事の世界」の中心に向かう時は、極論をいってしまえば自分のことだけ考えていればいいわけです。「仕事の世界」の中心にいる人が描く仕事のデッサンに乗っていればいいわけです。その中でベストなパフォーマンスをしていればいいわけです。


けど、「仕事の世界」への中心で活躍するときは、自分だけではなく、周囲や下の人のことも考えないといけないわけです。


中心、なわけですから、自分から何かを発信して、「仕事の世界」の中心周辺にいる人を巻き込んでいく必要があるわけです。


中心、なわけですから、「仕事の世界」の中心周辺にいる人より働かないといけないわけです。


管理職、上司、先輩・・・という存在に身を置くということは、そういうことです。

December 19, 2013 in 人間の成長について, 人間の美意識について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.10

自分がつくった組織に苦しめられる

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アップルの創業者・ジョブスの人生が映画になりました。


類いまれなきこだわりでアップルを一代で伝説の企業にするのですが、一時期は自分がつくった会社から追放されてしまいます。


まさに、「自分がつくった組織に苦しめられ」たわけです。

でも、これってそんなにめずらしいことじゃない気がするんです。


自分がつくった組織に苦しめられる、自分が生んだ子供に苦しめられる、自分が選んだパートナーに苦しめられる、自分が教えた生徒に苦しめられる・・・


場面場面は変われど、よく見聞きすることかなと。


ジョブスほどの人であってもこういうことが起こるわけです。


我が日本でも明治維新期の大人物・西郷隆盛だって自分が手がけた明治政府に苦しめられた事実があるわけです。


たぶん、人類が誕生したころよりこんなことを繰り返してきてるんですよ、人間は。


「自分が・・・」ってところの「が」(我)が存在するから、そこに固着がうまれる。そして、固着したものをコントロールしたい欲求がもたげてくる。


けど、世の中に存在するものはコントロールできるものの方が少ないから、結果的にコントロールできなくて機能不全を果たす。で、さまざまな障害、軋轢を生み出していく・・・。


ってことなんでしょうかね。


人間は使命を天から与えられている、と考えれば「自分が・・・」の「が」は 本来はいらないはず。


ただ、自分らは使命が与えられているということに絶対的な信頼を置くことができにくいから、「が」(我)を持つことでなんとか自分自身を守ろうとするわけです。


この辺は生き方の選択の問題ですから、「自分が」を持とうと持たまいと個人的にはどっちゃでもいいと思うのです。


けど、「自分が・・・」の「が」ってのは時に物事を生み出すエネルギーになりますが、ときに激しい固着を生み出すので要注意だと思います。


自分がつくった会社、自分が手がけてきた仕事、自分がつくってきた組織、自分がつくってきた歴史・・・


凡人には、「が」が頭をもたげそうなことばかりだ(笑)


これらが、天から与えられたものだと考えると、ことほどさように「自分が・・」を主張する根拠はないのでしょうけどね。


ジョブスは禅の本を読んでいたといいますが、生きる中で、経営する中でこの辺にぶちあたったんじゃないかな、と勝手に想像しています。


じゃなきゃ、禅の本なんか手に取らないだろうしね。性格的に友達にはなれそうもないけど(笑)この辺のセンスはいいですね。めちゃ上から目線ですが。。

December 10, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて, 経営をするということ, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.04

人間の貫禄について

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先週末は大学時代に所属していた部活の40周年パーティー。現役学生も含めると200〜300人集まっていました。


20年ぶりにお会いした1つ上の先輩の貫禄に圧倒されました。


物腰は柔らかいし、人を威圧するような感じはまったくないんですが、風格ってやつなんですかね。


勝ったとか負けたとかいう世界ではないと思うのですが、剣をあわせる前にこちらがおじけづきそうな感覚・・。


いただいた名刺を見て、ちょっとだけ納得。大きな会社で上に上がっていく人はやっぱどこか違いますわ。


自分は大企業で働いた経験がないんですが、さまざまな不条理、矛盾、葛藤、喪失だとかをクリアーしてきた人ならではの貫禄なんじゃないかな、と勝手に思った次第。


「40を過ぎたら自分の顔に責任を持たないといけない」・・・アメリカ大統領・リンカーンの言葉を思い出しました。


それぞれの生きてきたさま、生きてきた痕跡ってのは数十年ぶりに再会すると隠しようがないですね。


学生時代、自分の回りの多くは「貫禄がないのに貫禄があるようなふりをする世界」を生きてきました。格闘技をやって、学ランなど着て、いきがって、「人より強い」ということを誇りにするようないきざまをしてきました。


ただ、社会にでると「人より強いから、何?」という壁(?)にぶちあたるんですね。仕事をしていれば今までの自信が木っ端みじんにくだかれることがあるわけです。だって、世の中強い人だらけですし(笑)


でも、そこから新しい自分が誕生していくと思うのです。


「学生の頃までに自分が自信としていたことが、社会で通用し通すことができない」


本当の自信(=貫禄)の第一歩はこういう喪失体験からはじまるんじゃないかな、と。


だれだって喪失体験はイヤなものだし、自分の自信に固着したいでしょうが・・・そこから離れる勇気や自在さが貫禄(本当の自信)につながるのか、と。


過去の「自信」に固着することなく、今現在の自分から「自信」がふつふつと湧いてくるような生き様をしたいものです。


追記
当日は、大学時代にバカをやっていた他大学の同期とも再会。10年ぶりでした。こいつは、確実に自分のリソース(資源)になっている男ですね。


よく飲んだし、よく暴れた。格闘技が縁で知り合ったのですが、自分にバックパッカーなる生き方を教えてくれたはじめての男です。


12月中に再会を約束しました。こうした会を企画してくれた皆さんに感謝です。

December 4, 2013 in 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.27

四谷で一人酒@中華料理屋

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四谷で予定があって、そのまま一人酒。


その昔から1人で酒を飲むというのは嫌いではない。ってか、むしろ好きな方。


5千円を握りしめて初めて渋谷ののんべえ横町に1人でいったときは、ずいぶんと大人になった気がしたものな。たぶん、いまから25年くらい前。。。


まったく知らない場所で、まったくしらない店に入って、まったく知らない雰囲気の中で酒を飲むというのは、なんともいいがたい感覚。


大人が大人になったのを実感できる数少ない場面じゃないかしら・・・。


つらいことやしんどいこと、生きていればあまた存在する矛盾や葛藤を言葉に出さず解消しようとする場所、それが酒場の一側面だと思うのですわ。


表現すれば楽になると分かっていても、腹のそこにぐっとしまって耐える覚悟を決める場所、それが酒場の一場面だと思うのですわ。


個人的な意見ですが、ビールやサワーでは自分が抱える矛盾や葛藤は消化できないんです。


矛盾や葛藤を一時的に忘れる、ということができるだけ。むしろ、自分の中にある激質(ラジャス)の部分に火をくべるだけ。


それは、欲を増長させ、矛盾や葛藤を拡大させ、時にますます自分をしんどくさせる。。。


けど、日本酒やワイン、ウィスキーは、矛盾や葛藤を根本から溶かしてしまって、「まあ、いいか」と思わせるような力があるような気がするんですね。


明治維新は酒場から生まれた


なんて話がありますが、明治の志士がビールやサワーを飲んでいたらあんな時代のムーブメントは起きなかったと思いますよ。


日本酒だったからこそ、集う人の矛盾や葛藤がどんどんと溶けて、人間本来のエネルギーが社会変革へと存分に向いたのだと思いますわ。


これから熱燗の美味しい時期ですね。

November 27, 2013 in 人間の成長について, 仕事のことについて | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.22

答えは空の上

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「私は どこかで 間違えたかしら 今は分からない 答えは空の上」


1週間ほど前。目覚めると、YUKIの『PRISM』の一節がどこからか聞こえてきた。


外から聞こえてきたというより、自分の中から聴こえてきたって感じ。かっこ良くいえば、どこからか降ってきた感じ。


この詩の背景には、JUDY AND MARYを解散しソロで独り立ちした不安や迷いだとかがあると思うのですね。


一世を風靡して、まだまだ勢いのある時での解散だったから、さぞかし悩んだでしょう。決断するには、すごい覚悟をしたことでしょう。


で、決断をしても「私は どこかで 間違えたかしら?」と逡巡することもままあったことでしょう。あんな才能ある人ですら、否、才能ある人だからこそ、悩んだことでしょう。


この詩にはそんな思いが込められていると思うのです。


「解散は正しかったか?」、「解散して損をしたんじゃないか?」、「解散して後悔するんじゃないか?」・・・


さて、一般的に自分の決断に対して「答え」を求めることが、自分らの迷いや不安を増殖させるらしいですね。


いうは易いですが、「答えは空の上」と言い切れれば悩みや不安からも解放されていくのでしょう。


それは、現実逃避ではなく、人間がコントロールできないことに頭を使わない、という叡智なのだと思います。


それにしてもギリギリの状態からつむぎだされた言葉ってのは、聞く人の心に突き刺さりますね。


この間、日本ではじめてカードとしての商品化したインドの叙情詩『バガヴァッドギーター』は、戦場で親族と戦わなくてはならない状況から話がスタートします。(『バガヴァッドギーターカード』向井田みお著)


で、主人公が「戦いたくない」といってダダをこねる。いってみれば、究極の悩み、究極の葛藤におかれた状況が舞台設定。


ここまでの究極のギリギリの状況の中で、人が自分をコントロールするすべが物語になっているのですから驚きです。ここまでの厳しい状況でも人間はなんとかやっていけるんだ、と人間の偉大さを思わずにいられません。


それにしても、なぜこの時期にYUKIの一節が聴こえてきたんでしょうかね?まったく不思議。。。


「答えは 空の上」なんでしょうが、気になります(笑)

November 22, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 言葉について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.19

昼飯はカレーかラーメンか(別題:覚悟が決まったあとには)

26歳で2年と11ヶ月勤めた会社を辞め、旅にでました。


そんな過去があるものですから、「会社を辞めて旅にでることに迷いはなかったですか?」と聞かれることがあります。


そんなときは決まって、「昼飯にラーメンを食べるかカレーを食べるかの違いくらいしかないと思った」と口にしてきました。


けど、人間の記憶ってのはいい加減なもの。我々のエピソード記憶は日々刻々、自分の都合のいいように書き換えられています。


「より美しく」だったり、「より悲惨に」だったり、「よりヒロイスティック」だったり・・・・


個々人によって書き換えられたエピソード記憶をもとに、記憶は再構成されていきます。


で、エピソード(できごと)そのものと記憶との間に乖離ができていく。


こないだ、あることがあってそんなことをぼけーっと考えた時に、「俺って本当は軽い気持ちで旅にいったんじゃねえな?」という思いがふともたげてきたわけです。


「いったい、26歳の俺はどんな気持ちで会社を辞めたんだろう?」と身体に聞いてみたんです。


そうしたら新たな発見が・・・


26歳の自分は、会社を辞めるのに相応の覚悟をしたわけです。貯金無し、借金ありって生活になることを覚悟したわけです。


帰国しても仕事が見つからないかもしれないって現実を覚悟したわけです。仕事が見つかったとしても、いままでの待遇から大きくへこむ可能性を覚悟したわけです。


・ ・・ん?


「昼飯をカレーかラーメンにするか」なんて軽い気持ちで当時の自分が会社を辞めて旅にでたわけじゃねえぞ、と気づいたわけです(笑)


あの頃の自分は、相応な覚悟をして自分は会社を辞めて旅にでたわけです。


いまの自分から見れば、「そんなのカレーかラーメンか、って程度の話じゃん」と思うのですが・・・旅に出たという記憶がどんどんと上書きされていって、「当時の自分がそう思っていた」と脳が誤解(?)していたんですね、たぶん。


・ ・・さて、今現在、なにかの問題を抱えているとします。


その問題を解決するには、相応の覚悟が必要だとします。覚悟には「大きな変化」だとか「大きな手放し」が問題に内在されているでしょうから、すぐには決断は出せないでしょう。


こんな時は、覚悟が決まるまでマインドをフルに働かせて「あーだ、こーだ」と悩むのがいいと思います。人間は悩みたい生き物、ですしね。


特にM気質の人は悩んで自分を痛めるのが大好きなようですし(笑)悩んだプロセスが人間の根っこや存在感をつくるのは、どうやら間違いがない。


が、覚悟が決まって決断ができたら、それは時間の経過のうちに「カレーかラーメンか」的な話になっていくんじゃないでしょうかね?


それは、覚悟を伴う決断をした人に与えられる祝福のようなもの。レイヤーがあがるというか、問題から距離を置けるというか・・・


受験だ、就職だ、結婚だ・・・


大きな覚悟に直面する20代の人と比べて、自分ら40代ってのはこと「覚悟」ってことに関しては、案外と安穏としてるんじゃないでしょうかね。


ってか、きっとそうですね。


ということで、今日からブログ再開します。

November 19, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 旅をすることについて、旅をかたること | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.09.11

保険会社からのハガキの一文がめにとまりました

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「過去を後悔しても、未来を心配しても何も変わらない。今の自分を大切にすることが大事」と書いてある本があります。生きている今を大切にすると、なんとなく幸せな日々が続くような気がします。


・・・お世話になっている保険会社からきた定期的なハガキのメッセージ。


普段ならスルーするんだけど、今回はなぜか目に留まる。


今の自分を大切にする、とは確かにそこかしこでいわれている。昨今、お坊さんや禅の行者が書いた本が流行ってるが、たいがいこの手のことに触れてある。


けど、「今」にとどまるのはむずかしい。


話をしていれば携帯が気になるし、勉強していればテレビが気になる。ご飯をたべていれば明日の面倒な仕事が頭をかすめる。「あのときああしていればな」って後悔は日常茶飯事・・・ってな具合。


それは、「今のままじゃ足りない」「今のままじゃ手遅れになる」「今のままじゃヤバい」という思いがどこかにあるから。自分自身とそれをとりまく大きな存在とに、絶対的な安心感がないから。


たぶん、自他に対する安心感ってのは「今」を生ききることからしか生まれないのでしょう。


それは、恐れや恐怖から生まれる「自尊心」じゃなくて、真に自分自身を肯定しきれる自尊心。


これは、たぶんなのですが、「自尊心を持つ」って感覚ではなくて「自尊心がごく自然に生まれる」って世界観なのでしょう。

September 11, 2013 in 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.09.05

未来や過去の自分は今の自分に何を語るだろう?

「10年後(53歳)の自分は今の自分に何を語るんだろう?」


ふと、そんなことを思いついたので考えてみる。


頭をクリアーにして、数分・・・・


「もっと思い切ってやれよ、後悔すんぞ」の一言。


同様に、10年前(33歳)の自分が今の自分に何を語るか考えてみる。


頭をクリアーにして、数分・・・・


うーん、いまいちしっくりとした答えが浮かばない。


「いまでも会社をしててスゲエ」っていってるようでもあり、「小さくまとまってないか、おら」っていってるようでもあり・・・


「ここ10年でいろんなこと学んだな」といっているようでもあり、「なんであの時、あんな決断したんだよ」となじられているようでもあり・・・


「やりたいことをしないと後悔する」


聞き方によっては陳腐な言葉ですが、さすがに53歳になった未来の自分からいわれると説得力ありますね。


日々、後悔しないような生き方はしているつもりですが、どうも未来の自分からはそうは見えないようです(苦笑)

September 5, 2013 in 人間の成長について | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.29

オレに話しかけるなオーラ

「はじめて大塚さんに会った時、『オレに話しかけるなオーラ』があったよな」


といわれることがあるんです。


昨日は、10人ちょっとの経営者が集まる2月に一度の研修会だったのですが、そこでもネタとしてしょっちゅういわれます。


だいだい、はじめて皆と会っているのが4〜5年前かな。本人は「話しかけるなオーラ」なんて出してる自覚がないので、いわれても困るのですが・・・


とはいえ、「みんな仲良くしましょう」ってスタンスでもないけどね(笑)


こないだ、4年ぶりに某雑誌の女性編集者とお会いしたら「大塚さん、全然雰囲気変わりましたね!」と。


自分じゃ、何がどう変わったのかよく分からないが・・・


そいや、毒舌で人をあまり褒めない自分の師匠筋(昨日の研修の先生です。10年くらい師事してます)も「数年前から比べると雰囲気変わったよなあ〜」としみじみといわれた。


いままでほとんど褒められたことないので、ちょっと驚いたけど(笑)人間だからいやな気分はしないな。


ここ3〜4年で「自分の中のさまざまな感情」ってのに向き合ったのは事実。


それは、「口にしたくてもできなかった感情」だったり、「一人だけ我慢をしてきたという変な思い込み」だったり、「なんでオレだけこういう思いするんだよって気持ち」だったり・・・


人間には子供の頃からのかくも深い部分に存在している抑圧された感情があるのか、と。


この手の感情がどこかに存在していると、世界に対して自由自在に接することがたぶんできないんですね。世界が抑圧されているように見えるんです。


だから世界に対して構える。人に対して構える。できごとに対して構える。


それがきっと「話かけるなオーラ」みたいに表出するんですよ。


頭が人間をコントロールしているわけじゃなくて、抑圧された感情が人間をコントロールしているのでしょうから、本人は当然に無自覚なわけなんです。


まあ、ピンと来る人にはピントくるし、何をいってるんだって人にはどうでもいい話だろうが(笑)でも、この手のことからくる問題ってたぶんいっぱいあるんですよ。


これからの経営者はこの手のことを知らないと立ち行きがいかなくなるなんて自分は思ってます。

August 29, 2013 in 人間の成長について, 人間関係に関すること | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.26

人間、自分のことばかり考えると悩みが増幅されるようで

悩みに毒されると、自分のことばかりに目が向きますね。


で、自分のことばかりに目がむくから視野が狭くなる。レイヤーが低くなる。


問題ってのは、「今の視野、レイヤーでは解決できないよ」って啓示のようなものでしょうから、視野狭窄と低位レイヤーのままでは何ともいかんわけで。


で、マインド(思考)でどうにかしようとする。


でも、思考ってのは自己防衛をはじめとするエゴに満ち満ちているわけだから、なんとかならないわけで。


こういうときは、たぶん「自分を忙しくさせること」と「他人のために何かを尽くすこと」が大事なのでしょう。


自分の調子がいい時にはこの手のことは簡単に口にできる。けど、自分の調子が悪いときにも、この手のことを体現できる一個人でありたいですね。


と考えると、問題ってのは「お前の信念や考え方ってのはどの程度の覚悟を持っていってるの?」という問いかけでもあるような気がするのです。


今週もきばっていきましょう!


水曜日は2ヶ月に一度の師匠筋の講座があって、週末はニュージーランドから友達が帰国して、あとは会食が2件。ジムは今週もほどほど。あとは、半沢直樹のDVD観ます。

August 26, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.13

さて、ブログを復活します

自分自身への自信ってどのくらいあります?


自分は、それなりにあると思ってます。まあ、思い込みであっても自信がないと会社の経営などはやってられないわけですし。


けど、その自信がふらつくときがあります。


「なにが」というわけではないのだけど、自信がふらつく。


で、そんなときに意志の力で「自信を持て」なんてやっても、心と身体はアンビバレントな状態になるので、どうもうまくいかないわけです。


そんな時はだまって月日の経つのを待つ・・・エネルギーが復活し、自分の自信がむくむくともたげてくるのを黙って待つ。


「最近、ブログ更新してないじゃん」ってことのお返事はこんな感じで(笑)


エネルギーがみなぎってくるに伴い、いろんな思いがふつふつと頭をもたげてきました。


あえてキーワードでいうと「覚悟を決める」「思い切りのよさをもつ」「誤解を恐れない」。


けっきょくのところ、自分自身が我がの手で自信をなくすようなことをしていただけなのだと(笑)


どこかで守りにはいって、どこかで自分でつくった箱に入り込んで、勝手に窮屈さを感じていただけの話だということ。自在に開けた世界への窓に対して、自分が拮抗しようとしていなかったということ。


そりゃ、自信などなくなるわな。。。。


ここ最近、「雰囲気が変わった」と何人もの方にいわれました。見た目のことはよくわからないのですが、たぶん何か変わりました。


「オレは変わった」というのはたいがいが人間のエゴだ、ということを頭におきつつ、偉そうに語らせていただきます(笑)

August 13, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 仕事のことについて | | Comments (4) | TrackBack (0)

2013.05.22

人間の器の大小について考える

「人間の器の大小」


これってどこからやってくるんでしょうかね?


その昔は、「人は守るものが増えると器がでかくなる」と思ってました。


けど、「守るものの大小」と「器の大小」には相関関係がそんなにないことが経験則として分かってきました。


社員がたくさんいる社長、子供がたくさんいるお父さんであっても、「器が小さいなあ」って人はいくらでもいます。


で、「守るもの」の「守り方」に思いが至りました。


ただ単に「守る」のではなくて、「自分に託された責任感」だとか「自分の意に反することでも受け入れる姿勢」(ここにはある程度の諦めも含む)だとかが大事なのだと考えました。


でも、この説明だと「家族を守るという責任のもとに、嫌だなあと思う仕事を責任感をもって引き受けている職業人」はすべて器が大きくなることになります。


でも、現実世界ではそんなことはないわけです。


人間の器を大きくするのは「喪失体験」


ある方の受け売りですが、今の自分ははこの説(?)に諸手をあげて賛成です。


人との別れ、やりたかったことの挫折、物理的なものの喪失•••これらの喪失体験が人間の器を大きくするらしい。


で、ここで注意したいのは「喪失体験」と「失敗体験」とは本質的に異なるということ。


自分らは生きていれば失敗経験などいくらでもするわけです。が、たぶんこれらの経験では「ネタ」にはなっても「器への肥やし」にはならないわけです。


「器への肥やし」にするには、文字通り「腹の痛むような」って形容詞がつくような喪失体験を味わうことなのでしょう。


たぶん、「責任感を持って仕事をしているが、喪失感を味わうことが少ない」ってビミョーなポジショニングが日本の会社社会にはたくさん存在しているんですよ。


だから、結果的に器の大小ってに差がでてくるのだと思います。

May 22, 2013 in 人間の成長について | | Comments (2) | TrackBack (0)