2015.01.23

この世は、「意味づけ」と「解釈」に溢れてる

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去年、肉離れを2回しました。


特に左足の時は内出血が激しく、復活までに2ヶ月ほど•••。飲み過ぎと、ストレッチ不足。。。2回とも「健康になろう」と続けてるスポーツクラブで怪我する、というネタ(笑)


その時に読んだある本に、


「怪我が続くということは、今は落ち着いて家にいなさいってサイン」


とありました。


たしかに、「物事をプラスに考える」とか「すべてのできごとには意味がある」という視点から考えると、これはいい考え方かもしれません。人によっては、この言葉だけで力強く生きられる、という人もいるでしょう。


けど、その時のワタクシは「なんでもかんでも意味づけするのはどうよ?」って感じたわけです。無責任な書き手だなあ〜、と。


「怪我は怪我、以上。じゃないの?」


と思ったわけです。


今の時代、「意味づけ」と「解釈」にあふれています。


それらは、人間が安定した心持ちになったり、自らの思いを実現するために「武器」として使うもの。決して、「意味づけ」や「解釈」に人間の側が振り回されるものではないと思うのです。


ワタクシの琴線にこの言葉がふれたのは、どこもかしこも「意味づけ」と「解釈」ばかりで辟易してたからかもしれないですね。


そもそも、「神道のこと測り難し」なんて言葉もある我が国。


大いなる存在が人間にみせてくれる世界


そこに存在する「意味」や「解釈」


「たかだか人間が、こられの深いレベルまでわかりっこないじゃん」


というのが我らが祖先のスタンスだったんでは??


人間のエゴが生み出した「意味」や「解釈」で世界を定義してばかりたら、この世の本当の広さがわからないじゃん、と思ったりするのです。


どう考えても、人間のマインドで考える「意味」や「解釈」で説明できるほど、この世はちまちました世界じゃないでしょうしね。

January 23, 2015 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.01.21

人生をクリエイトしていく、という覚悟

「世界の謎と不思議に挑戦する月刊誌『ムー』」


探究心をかきたてるこの名門雑誌の三上編集長と、青山•表参道で圧倒的人気を誇る占い師 キャメレオン竹田さんとの対談イベントが行われました。


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◉「人気芸能人の離婚に伴う不思議な裏話」
◉「フリーメーソンの秘密」
◉「幽霊はどう出てくるか?」
◉「ピラミッドはエジプト文明の建造物か?」
◉「小さなおじさんのミイラがみつかった話」 

•••など、知的好奇心を刺激する話の数々。。。


さすがに、話のレパートリーが広い、話の一つ一つが深い、そしてどこかアカデミック。三上さんが国立大学の物理学科を卒業しているらしい、と聞いて納得。


「ワタクシにとって不思議なことって何かな•••?」と思ったときに、


「なんで、人生をクリエイトできる人と、そうでない人がいるんだろう」


という思いがもたげてきて•••第三部でキャメさんに話を聞かせていただきました。


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「自分がこうありたい」ということをイメージし、いい波動の状態をつくる。で、自分ができることを、たんたんと行う。うまく行かなかったら、やり方を変えて、しつこくやりつづける。あとは、覚悟する。


すんごくはしょってますが、そんなお話しでした。


んんん?


この手の話はちょっと本を読む人なら情報としてはしっているような話ばかりで、特に目新しいことではないわけで•••。


けど、話を聞くというのは言霊のシャワーをあびることですから、やはり実感のある人の生の言葉はエネルギーがあるんです。


まさに、そんな時間でした。キャメさんの見た目と「覚悟」という言葉のアンバランス感(?)がとても新鮮でした。


最近、アドラー心理学が流行っているようですが、どこかに


「もう、現実をしっかりとクリエイトしていく時代でしょ」


って集合的無意識の叫び(のようなもの)が来ていると思うのです。

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※この本、ベストセラーですけど、アドラーがよくわかります。


「◎◎が障害となっているから何かができない」


だとか


「ワタクシの●●な性格があるからうまくいかない」


というのは、「できない自分でいることで感じる心地よさ」があるんでしょう。


「人生をクリエイトしていく」には、まずこの心地よさという布団をおっぱがして、寒空にでていく必要があると思うのです。


そこに必要なのが、覚悟。人生をクリエイトすることに責任を持つ、という覚悟ですね。


そんな気持ちを決めるだけで、きっと現実はバタバタと動きはじめるのでしょう。


逆にいうと、「現実が動いていかないのは、覚悟が決まってないからなのか?」•••こんど三上編集長に聞いてみよ(笑)

January 21, 2015 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.12.19

そろそろ、手放すときかしら•••

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『週刊文春』による「南京大虐殺」をめぐる肯定派と否定派の公開討論。


若き日に大好きだった本多勝一さん、かつての切れ味がないまま今回で完結。右派の論客をバッタバッタと斬ってたころがなつかしいね。


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いままでずっと捨てられずにいる著作集もそろそろ断捨離か。。。

December 19, 2014 in 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.11.10

武蔵一宮 氷川神社にまいりました

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「神社っていうのは、氷川神社のこと」•••小中学校の近くに氷川神社があったものですから、物心つくとそう思うようになってました。


大人になって産土の神様を調べたら、朝霞の氷川神社でした。


調べていくと、大学(國學院)は氷川神社のすぐ隣。予備校(一橋学院)は歩いて5分のところに氷川神社。社会人のスタートをきった会社は氷川神社から10分くらいの距離でした。高校のときも近くに氷川神社が。。。


いくら埼玉に氷川神社が多いといってもここまでご縁があるとは.....


週末は氷川神社の総本社「大宮氷川神社」を神道学者の三橋先生にご案内いただき、お邪魔してまいりました。

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先生の講義もさることながら、岐路の途中で先生がふと口にした「私はいつでも覚悟を決めてるんです」という言葉にさまざまなことをインスパイアされました。その昔に読んだ武士の指南書『葉隠』と同じ事を語っている!と思いました。

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「我々はさまざまなものに囲まれている、けど、覚悟が足りない」


覚悟の念は、細かなことに手を抜かないことから生まれるのだと感じました。『葉隠』の時代の武士もいつ倒れてもいいように身なりをきちんとすることを大事してましたね。

November 10, 2014 in 感じたこと, 訪れた場所のこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.10.30

子供の頃からの夢が実現した!

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「レディーボーデン」を脇に抱えながら、心置きなくアイスを食べるのが子供の頃からの夢・・・


とここ1ヶ月いたるところで語ってたら、プレゼントしていただきました!ありがたす!


スケールはささやかですが、「夢は語ると回りが動いていく」を実証しました(笑)


「ハーゲンダッツ」では味わえない若き日の思い出消費。つぎは、マンモスの鼻の肉のステーキか・・・。

October 30, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.10.29

終戦の日の『朝日新聞』一面

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調べものをしていて、ふと目にとまった終戦の日の『朝日新聞』。一面下に、「ドイツ語通信講座」の広告が。


ポツダム宣言を受託し、日本が大きな決断をしたその頃でさえ、事業者はたんたんと仕事をしていたんでしょうね。


けど、ドイツ敗戦から数ヶ月、この時期のドイツ語講座にどれだけの需要があったのかしら??


今後の予定です


11月8日(土)
「大宮氷川神社正式参拝&神道講演会」


11月15日(土)
「スピリチュアルを仕事にするひとたちのちょっつぴり不思議でちょっぴりまじめなお話」


11月19日(木)
『日本の神様カード』使い方講座


11月19日(木)
「オラクルカード」「タロットカード」出版セミナー


12月20日(土)
『日本の神様カード』使い方講座(大阪)


12月20日(土)
「オラクルカード」「タロットカード」出版セミナー(大阪)

October 29, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.07.01

夏越の大祓にいきました

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夏越の大祓に会社近くの赤城神社にいきました。


「自分に与えられている使命を果たさせてください。そのために必要なことやもの、出会いやアイデァをお与えください」


と思って手を合わせました。


「自分の使命が時にあやふやになる」


調子のいい時はそんなことないんだけど、調子が今ひとつの時はどうもそんなモードになりがち。


そんなときは、使命を全うしてそうな人を背景もバックグランドもわからないのに「うらやましいなあ」と思う自分がでてきたりします。


きっと、こうした心を祓うのが大祓なんでしょう。


自分の使命が必ず内にあるにもかかわらず、それにフタをしてしまって「どこかに自分がすべきことはないだろうか?」と探しまわる人間の姿。


これを象徴したのが、『古事記』の有名な天の岩戸の故事ではないでしょうかね?


自分の使命は、自分自身で自らの岩戸を開いて顕現させたいもの。


故事には天手力男神(アメノタジカラヲ)が強引に天の岩戸を押し開いたといわれていますが、自分の使命を顕現させるには、ある程度の強引さと覚悟が伴う世界なのかもしれません。

July 1, 2014 in 感じたこと, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.06.26

怖いできごとをきちんと怖がるのはむずかしい

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人は進化の過程で、不安や恐怖の感情を強く保持し続けてきた、だからこそ、現在の繁栄がある。


でも自然界に天敵がいなくなってからは、その本能は同族に向けられるようになった。


こうして自衛意識が暴走して戦争が始まる
。(『朝日新聞』2014年6月26日・作家 森達也「あすを探る」)


「怖いできごとを正しく怖がることは難しい」


自分の師匠が、たびたびこう口にすることを思い出しました。


「怖がる」というのは人間の本能。本能の中でも人の心をグワングワンとかかき回すパワーがあって、「すわっ、ここから逃げ出したい」と人を駆り立てるのが「怖がる」という感情。


だから、できごとを実際よりも大きく、実際よりもしんどくする認知が働いてしまうわけですね。


「オレの怖がっているできごとの実際の姿は果たしてこれで適正か?」


「怖がる」に直面したときは、いやーな感情を身体できちっと感じきる。で、どこかひとごとのような視点を持って、「怖いもの」の姿を正常に近づけていく・ ・・そんなことが大切なのか、と。


国と国との関係はもちろん、個人と個人の関係も、「自衛意識が暴走して戦争が始まる」って結構あるわけで・・・


自衛意識が人間の本能である以上、国にも人にもこれをコントロールするという叡智が求められるわけです。


「過剰な『自衛意識』は、愛のエネルギーをもって吹き払う」しかないんじゃないでしょうかね。「なにを荒唐無稽な!」という意見は百も承知ですが。。。


国際関係やビジネスの社会でこの手のことが通用するのかどうかわかりません(一部取り組み中)ですが、「過剰な自衛意識の先にある世界」が、人間が進化と成長の先に目指す方向であるとは到底思えないのですよね。


なーんてこの記事読んで思いました。

June 26, 2014 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.05.26

「不幸な自分」と遊ばない

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映画『晴天の霹靂』(5月24日公開)


自分の中にいる「不幸な自分」


「もっと生まれた環境がよければ、もっとマシな人生を歩けたのに」、だとか・・・


「もっと身体が強ければ、精力的に活動できたのに」、だとか・・・


「もっと学ぶ環境にあれば、苦労しなくてすんだのに」、だとか。


「不幸な自分」ってのは、(何らかの意図の基に)自分が造り出しているんじゃないでしょうかね?


「不幸な自分」と遊ぶのは、「できごとがうまく行かなくてもしょうがない自分」、「努力しなくてもいい自分」を無意識のうちに創っちゃうということ。


マンガ『ドラえもん』に出てくる勉強もスポーツもダメな主人公「のび太」。


彼が自分の出生した頃にタイムトラベルして、「どれだけ親から期待されて生まれてきたか?」を知ってから一生懸命に勉強するシーンがあります。


たぶんこのシーンって、「『不幸な自分』と遊ぶスイッチがオフになった瞬間なんじゃないのかな」とこの映画を観て思いました。


「不幸な自分」と遊ぶも遊ばないも、自らの選択のうちにあるということなのでしょう。


我々はかくも崇高なテーマ、を子供の頃みていたマンガで突きつけられていたのかもしれません。

May 26, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の認知について, 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.05.22

「酒をたくさん飲める自分でいたい」というイメージ

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3月に「右足ふくらはぎ」が、4月に「左ふくらはぎ」が相次いで肉離れに。


今回は内出血して足がパンパンに腫れる始末で、運動も外出しての酒も控え目にしてようやく回復の兆しがみえてきました。


1年半前に「ぎっくり腰」をやって5日間動けなかった時からの一連の流れ・・・


これらのできごとは、自分に何を突きつけているのかしら?


今回、なんとなく酒を控えめにしてみました。「病気でもないのに1週間断酒」などをいう挙行(?)は十数年以上ぶり。


すると・・・


「『酒をたくさん飲める自分』ってイメージでいたい自分」がどこかにいることに気がつきました(笑)


自分は大学の時に「酒を大量に飲めるようになりたい」と心底思いました。格闘技やプロレスにかぶれてましたから、そんなのが男らしいなどと思ったわけです(苦笑。そいや、昔のレスラーには酒豪伝説がたくさんありました)。


で、飲めない酒を飲んで、街で修業して・・・それが、ある瞬間(まさに、ある寒い夕方の一瞬でした!)からいきなり酒が好きになりました。その瞬間から、量が飲めるようになりました。あれから25年あまり・・・


「20歳の頃につくられた、『自分はこうありたい』ってセルフイメージ像」


そんなものに知らず知らずのうちに固着していた40過ぎの自分・・・


根拠のない関連づけかもしれないけど、今回の肉離れが「そんな固着したくだらないものから自由になりなさい」と言っているようで・・・。


心理学者のユングが提唱した「中年期に訪れる深刻な意識の変容」(ミッドライフクライシス)ってやつかしらね?


とまれ、「酒をたくさん飲める」ってセルフイメージから離れるようにしていこうか、と。親愛なる酒飲み仲間の諸君、酒は辞めないのでご安心(?)を(笑)


ただ、酒量はいままでより減るかもね。

May 22, 2014 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0)

2014.05.21

ミャンマーで「これからどうしたらいいか?」を思ってみた

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「自分はこれからどうしたらいいのだろう?」


こないだ訪れたミャンマー旅行の最終日。2時間ほど時間があったのでこんな質問をしてパゴダで瞑想してみる。


「ってか、めちゃ抽象的な質問だよな・・・」


と自己突っ込みをいれながら座ること数分・・・。なぜか、次々と知っている人の顔が頭をよぎる。


創業時からお世話になっているお客さんやコンサルタント。うちの社員やお世話になった著者の方々。
海外のお取引先やプライベートでの友達・・・


「ん?なんだこれ?」

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せっかく(?)なので持っていた文庫本に出てきた方の名前を次々と書いていく。書けば書くほどどんどんと知っている人が思い出されて、およそ90分で380人近くが頭をよぎる。


で、途中から気がつく。


「! この人たちは、初めてミャンマーに来た時にはご縁がなかった人ばかりじゃん」と。


はじめてミャンマーを訪れたのは無職(夢職?)中の1997年。時間だけはふんだんにあったから好きな所に旅をしてたんだけど、将来に対する展望がまったく描けなかった頃。借金もあったしね。


「なんとかなるよ」って自分自身に言い聞かせている言葉が、本心なのか強がりなのかがよく分からないフワフワしている・・・今思えばそんな感覚。


けど、17年後の自分はその時には想像もできなかった人との出会いがあったわけで・・・で、その方との出会いが自分自身を創ってきたわけで、今やっている仕事や役割を創ってきたわけで・・・


その数の多さと多彩さにそれはそれは驚きだったわけです。


人と人との出会いは、たぶん「大いなる存在(サムシンググレート)の領域」。


自分にもたらされた「出会い」に「どのようにレスポンスをし、どのように行動につなげていくか?」・・・


たぶん、人間にはここまでしかコントロールが許されていないんじゃないかしら?


そんなことを考えると、「自分はこれからをどうしたらいいか?」なんて思うことが分不相応なように思えてきて、バカバカしく思えてきて・・・


明日からの出会いに「ちゃんとレスポンスし、ちゃんと行動してけばいいんじゃねえか」と思ったわけなのです。「それが自分のできる全てじゃないか」と思ったわけなのです。


そんな感覚が肚に落ちると、ちょっとだけ世界に対してオープンな心持ちになれた気がしたわけです。世界を信用しよう、って感じになれた気がしたわけです。


で、そんな心持ちに新しいに「出会い」は宿るんじゃないか、とも。

May 21, 2014 in 感じたこと, 旅をすることについて、旅をかたること | | Comments (0)

2014.05.20

人生は短く、訪れたい場所は多い〜福岡&熊本に行きました

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↑日本三大下り宮・草部吉見神社(熊本県)

↓登母祖ストーンサークル(熊本県)
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「新しい土地を訪れれば訪れるほど、知らないことの多さに驚く」


週末は『日本の神様カード』のワークショップで著者の大野百合子さんと福岡、熊本を訪れました。まさに、「知らないことの多さに驚く」日々。


一生をかけて「知らないこと」をつぶしていくのが実り多き人生なのか?


それとも、「知らないこと」を「知らないことは知らない」として、そのままにしておくのが実り多き人生なのか?


うーん、前者はエキサイティングだが貪欲すぎて疲れそう。後者は、「足るを知り」「与えられた環境で咲く」感が満載だけど、どどこかつまらなそう。


このへんの選択は、その人間の持って生まれた天命や資質にかかわってくるのだろうなあ。


自分は元旅人だったこともありまして、生涯「知らないことを体験していく人生」を選択したいな、と思うわけです。


「知らないこと」をどんどんと知っていくと、次から次へと「知らないこと」がやってくるのは経験として分かっているわけです。


それは時に、時間とお金と体力の有限さを前に「どう考えても足りねえよ」って絶望的な感覚に追い込まれることもあるわけです。


それでも、そこに突っ込んでいかずにはおられない己の資質・・・


平均年齢の半分を超える齢になって「知らないこと」の多さに一抹の焦りを感じ、「あと、何年生きられるのか?」と考えた時に、「きちんと勉強しとけよ、歳取って後悔するからな」と予備校時代の先生の言葉が頭をよぎる


まあ、あの時の自分はそれを言葉の深い意味で受け入れられなかったんだから仕方ない(笑)


「人生は短く、訪れたい場所は多い」


インドのヨガ哲学も日本の神話も「貪欲」はいましめていますが、ことここに関しては貪欲スイッチをオンにしていこうと思いました。


福岡、熊本でお世話になりました皆様。講座にご参加いただいた皆様。担当いただいた大野百合子さん、大変ありがとうございました。

May 20, 2014 in 感じたこと, 旅をすることについて、旅をかたること | | Comments (0)

2014.05.07

「岩戸」が開いて、愛が広がっていく

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「愛することってどういうことかよくわからない」


セラピーの現場にはこういう相談がよく寄せられるそうですね。


自分自身がセラピーを習ったり受けたりした経験から、これを分析的なアプローチで解決するのはどうも難しいと思うのです。


「過ぎた過去にとらわれ、そのとらわれに固執し、その固執からくる心地よさ」


注意しないとそんな心地よさを感じてしまう危険性があると思うのです。


過去は書き換えが可能なのですから、自分の愛のボトルが残り僅かになっているのであれば、埋めるために動いた方がいいと思うのです。生きていくということは、そんな主体的な意志を世の中に向けることだと思うのです。


では、「愛」について悩む方にどう具体的な道を示すか?


たぶん、なくした物はなくした場所で取り戻すしかないわけです。


「愛」ある場所に身を置いて、「『愛』とはこんなものかな?」と身体で感じていくしかないわけです。


そんな場所に身を置いた時に感じる気恥ずかしさ、そんな場所に身を置いた時に感じる違和感、そんな場所に身を置いた時に感じる疎外感・・・


そんな感情を抱きながらでも、「いつかなにか感じたらいいな」的に身体で感じていくしかないわけです。


GW中に行われたフラワーエッセンスの世界大会「国際フラワーエッセンスコンファレンス」は、まさに愛と調和に満ちたイベントでした。


どれだけスゴかったかというと、普段「愛」などとブログに書かない自分が「愛」をテーマにしているほど素晴らしかった(笑)


『古事記』に天の岩戸からアマテラス様が出られて、世界に光が戻ったというお話しがあります。


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アイデァを出した神様(オモイカネノカミ)、アイデァが正しいか占った神様(フトダマノミコト)、力強く岩戸を押しあけた神様(アメノタジカラオノカミ)、鏡を用意された神様(イシコリドメノミコト)、岩戸の前で踊った神様(アメノウズメノミコト)・・・


さまざまな神様の協力で、世界に光が戻ったというこのお話し。


これって、「周囲の力を借りて人間の愛が広がっていく物語」と読めないでしょうかね?


人は一人では愛の岩戸を開けることができないわけで、さまざまな方の協力が必要だ、とおそらく古の叡智は語っているのでしょう。


世界各国から集まったさまざまなゲストスピーカー、イベントを実行された関係各位、参加された多くの方々とのふれあう中で、多くの方の「岩戸」が開いたんじゃないでしょうかね。


12年ぶりの貴重なイベントに立ち会えた運命に感謝。お会いしたみなさま、お疲れさまでした!

May 7, 2014 in 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.04.24

いてもたってもいられない

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多くの職業人をバックパッカーの世界へ誘った(?)『深夜特急』(沢木耕太郎著)を久しぶりにランダム読みしました。(旅にでると、選ぶ本が変わりますね 笑)


なめらかで美しい文章だな・・・20年前に初めて読んだ頃とまったく変わらない新鮮さですね。本質的な価値を持ち長く読み継がれる本のみが持つ存在感・・・。


「デリー(インド)からロンドン(イギリス)まで乗り合いバスで行けるかどうか?」


という仲間うちの話から、26歳のルポライターだった著者は旅にでるわけです。


私は、春のある日、仕事の依頼をすべて断わり、途中の仕事もすべて放棄し、まだ手をつけていなかった初めての本の印税をそっくりドルに替え、旅にでた。


せっかく軌道に乗りかけているのに、今がいちばん大事な時ではないか、と忠告してくれる人もいた。だが、ジャーナリズムに忘れ去られることなど少しも怖くなかった。


それより、私には未来を失うという「刑」の執行を猶予してもらうことの方がはるかに重要だった。


執行猶予。恐らく、私がこの旅で望んだものは、それだった。


確かに、酔狂なことをしたかった。デリーからロンドンまで、乗り合いバスを乗り継いでいくという、およそ何の意味もなく、誰にも可能で、それでいて誰もしそうにないことをやりたかった。


しかし、それは自分や他人を納得させるための仮りの理由に過ぎなかったのかもしれない。(第2巻 P174〜175)


たしか、26歳の自分もこの辺に触発されて旅にでたわけです。


どこか社会というカタにはめられるような違和感。


なんとなく、特急電車に乗ってしまって途中下車できないような息苦しさ。


自分がすっとばしてきたそれぞれの駅には、「観たことない世界が広がっているのかもなぁ」と考えると、いてもたってもいられなくなったわけです。


「いてもたってもいられない」


たぶん、こんな思いがやってくるというのはGOのサインなわけです。


けど、「いてもたってもいられない」を抑圧するのが日常化してしまうと、このサインと受け取るアンテナが鈍ってしまうわけです。


できれば若い多感なうちから。


歳取っても、歳取ったなりに。


「いてもたってもいられない」を育てていきたいものだな、と久しぶりにこの本を読んで感じた次第です。

April 24, 2014 in 感じたこと, 旅をすることについて、旅をかたること | | Comments (4)

2014.04.09

無邪気な自分にかえろう

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「無邪気さ」


「この人、スゴいなあ〜」と感じる人の共通項をあえて挙げると自分の場合はこれ。


タロットカードでいうと「0番」の「愚者」。


けど、本当に「愚者」では人生は歩めないわけで・・・


ある程度の社会性や生きる手段としての知識や教養は必要なわけです。


けど、あくまでもそれらは「どのような人生を送りたいか?」という目的に対する「手段」にすぎないかと。


手段と目的の混合はしないようにしないとですね。


赤ちゃんの「無邪気さ」には何かしらの意図があると思えないのを見ても分かるように、これって持とうとして持てるものじゃないと思うのです。


どこか自然と漂ってくる・・・いうなれば、人間の心の様相が世界に発信されたもの。


世の中は自分の味方だ、という安心感。


無くなっても必要ならば戻ってくる、という信頼感。


Doing(すること)ではなく、Being(在ること)で自分を見ていてくれる人がいる、という確信感。


こんな心の様相が、「無邪気さ」となって現れるのかと。


人は人間関係の中で「無邪気さ」をなくしていき、再び人間関係の中で「無邪気さ」を取り戻していくもの。


生育の過程で毀損した「無邪気さ」を取り戻す第一歩は、「無邪気な人」の近くにいることなんじゃないか、と思います。


空気の香りが知らない間に洋服にしみ込むように、じょじょに何かが変わっていくものじゃないでしょうかね。

April 9, 2014 in 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0)

2014.04.08

戸隠神社の五社参りにいきました

戸隠神社(長野県)の五社参りにいきました。

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結晶が見えるほど微細な雪が、風に吹かれて舞う大雪の中での参拝。

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残念ながら奥社にはいけませんでしたが、粉雪が舞う光景は「人間の穢れや罪が祓われる」ように見えました。


中社で御朱印をいただき、車に乗って戻ろうとすると、雪がぱたっと止んで雪空の中から太陽が・・・

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そして、市内に戻る頃にはすばらしく幻想的な光景になっていました。

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「天の岩戸が開く」というのは、このような世界に触れることで、自分の内なる岩戸が開くことをいうのかもしれませんね。


追記
今週末は『日本の神様カード』ミニ版の発売記念ワークショップで神道学博士の三橋先生の講座が渋谷(東京都)であります。私も冒頭、『日本の神様カード』誕生までのものがたり、についてお話しさせていただきます。

「神様とつながり、楽に生きる生き方とは in 東京」

よろしければお越しください。


April 8, 2014 in 感じたこと, 精神的なこと, 訪れた場所のこと | | Comments (0)

2014.04.03

知らないうちに反知性主義に毒されていないだろうか?

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『ヤンキー化する日本』斉藤環


「行動してみなければ分からない」


確かにそれは、そう。


机上で考えるのと、現場で行動するのは確実にギャップが存在する。行動してみなければ、確かにこの世はわからないことだらけ。


でも、そこに「反知性主義に毒された自分」がいないかを自覚することは大事なこと。


「反知性主義」とは、じっくりと考えたり、情報を徹底的に集めたり、人の話をきいたり、歴史を調べたり・・・これらを「意味なきこと」としてしまう姿勢ですね。


敵と味方の戦力の違いを無視して無謀な戦争に突入した我が国の歴史を顧みるまでもなく、反知性主義はいたるところに蔓延するもの。


おそらく、知性主義を働かせると「見たくない現実」にぶちあたってしまうからなのでしょう。


例えば新しくビジネスをたちあげるとします。


そこで必要なのは、「気合い」でも「行動」でもないんです。まずは、徹底的な「知性」。自分がやっていくことに関して、知る(調べる)ことですね。


とかく、「知る」は「行動」に比べて地味。で、頭を使うし、しんどい作業です。(特に、起業を立ち上げるタイプの人は行動重視の人が多いでしょうし・・・)


「行動」には、なんとなくの「忙しい感」を伴います。心身が「オレはやってる感」に包まれます。


一方、「知る」には、「オレはなにやってるんだろ感」だとか「行動しなきゃヤバい感」がもたげたりします。


このじっくりと知性に向き合ってられないってそわそわした感覚が、知らずのうちに身につけている「ヤンキー化」した部分なのでしょう。


誰の心にもヤンキーはいる。これが僕の基本的な考え方だ。素直にヤンキースタイルを生きる者もいれば、嫌悪とともにそれを“否認”する者もいるだろう。しかし僕の見るところ、現代はヤンキー文化のエッセンスが、かつてないほど広く拡散した時代だ、むしろ自明すぎて見えなくなっているとすら言える。(P8)


著者のこの言葉、納得ですね。

April 3, 2014 in 人間の認知について, 仕事のことについて, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0)

2014.03.31

30年越しの夢が実現した

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去年のいまごろ(4月24日)、ブログにこう書きました。


私、大塚の「40代青春の忘れ物消費」。プリプリ(注:プリンセスプリンセス)のライブに行けたし、森高(注:森高千里)さんも行けたし・・・あとはおかわりシスターズなんだけど、実現の可能性は薄いだろうなあ。


平成25年4月24日のブログ


その記事から遡る1月ほどまえ(3月15日)、そのおかわりシスターズについての記事を書いていました。

平成25年3月15日のブログ


・ ・・今思えば、何かしらの予感でもあったのでしょうか?それとも、願いが言霊となって実現したのでしょうか?


週末は、山崎美貴さん(元おかわりシスターズ)&片岡聖子さん(元オールナイターズ)の復活ライブにいってきました。


まさか、このメンバーが復帰して、30年前にテレビの前でしか聴くことのできなかった歌がライブで聴けるなんて・・・狂喜乱舞な1日でした。


プロレス的にいうと、猪木VS馬場でレフリーがルー•テーズ、場所は蔵前国技館というくらいのレベルですね(笑)


人生の後悔、っていろいろとありますが、自分はおかわりの解散コンサート(昭和60年3月)に行けなかったことが本当に心残り。


当時は中学3年で高校に進級する間際だったのですが、「一緒に行ってくれる人がいない」という理由で尻込みしてしまった己の青さよ。。。まさに、週末はこの時の「青春の忘れ物」を40過ぎにして取り戻した感覚でいっぱいです。


選曲の絶妙さ(曲の構成がとにかく絶妙。後で聴いたがマニアの方のリクエストによるものらしいと判明、さすが)、二人の元気な姿、そして、同世代でおかわりのライブに土曜日の午後に各地から足を運ぶ面々・・・


なんだ、この心強さは。。。


「ああ、自分は一人じゃなかったんだ」と妙な連帯感(?)を感じた1日。


お陰で週末は仏様のような心持ちで過ごすことができました(笑)


次は6月、再度いきます!松尾羽純さんがちょっとでもいいから出ないかなあ。。そしたら、何も思い残すことはないのだけど。

March 31, 2014 in 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0)

2014.03.05

銀座4丁目ソニービル前の交差点より

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銀座4丁目の交差点にあったビルって無くなってたんだ。


見えてても、見ようとしていなければ、見えない


ってやつか。まったく気がつかなかった。


思えば昔、ここの地下にあった飲食街にはよく行ったな、と思い出す。


「人生はなるようにしかならないし、変化しつづける」


そんな言葉が頭をよぎる。


でも、こんな言葉はその辺の中学生だって口にできるなあ、と感じる。


言葉ばかりが一人歩きする時代。身体性のない言葉でも大手をふって流通する時代。


言葉に対しての実感、ってのはもしかしたら言葉を使っているうちに後からついてくるものなのかしらね。


とまれ、「人生はなるようにしかならない、変化しつづける」を銀座の街に感じた。自分の人生で関わりがあって、いまはご縁のない方がたくさん思い出されました。

March 5, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.28

シンクロがやってきた

「いつかこの方にはお会いしそうだな•••」


一昨日の朝、某新聞にでていたインタビュー記事。


お会いしたことない方だけど、なんか予感があったのでインタビューの内容をちょっとだけメモ。出版人で年齢は同じくらいの方。


で、昨日の午後。


ある打ち合わせで、同席をしていた方からこの方のお名前がでてくる。どうやらこの出版人と懇意にされているらしい。


で、話の流れで近々お会いできるような感じに。関係各位の打診はこれからなのだが、もしかすると「何かしらの企画をご一緒できるかも」という展開に。


「シンクロ」


こういうできごとを、そう呼ぶのでしょう。


けど、「シンクロ」って驚いたり、喜んだりする類いのものじゃなような気がしていて•••むしろ、ある条件が揃っていさえすれば「シンクロ」が起きることが普通な状態なんじゃないか、と。


「いつかこの人にお会いしそうだな」


と自分の心が動いたこと。たぶん、これは自分の意志ではないわけです。


直感、というと安っぽくなってしまいますが、きっと自分ではないどこからかもたらされたものなのでしょう。


そんな世界観の中では、「できごと」が向こうの方から自分を追っかけてやってきます。


「シンクロ」なんてビシバシと起きるでしょうし、いろいろなことがなぜかスムーズにすすんでいくわけです。


こちらから「できごと」を追いかけていく世界観とは対極ですから、エネルギーも少量で済みますし、なによりも障壁がどんどんとクリアーしていくのが心地よい。


たぶん、「できごと」を追っかけている感覚があるときは「シンクロ」なども無縁。それは、「直感」ではなく「エゴで考えた『直感』もどき」だから。


「もどき」はどこかスムーズさにかける、どこかつっかかりがある•••


「もどき」とそうでない世界とはたぶん形こそはにていても、対極にある世界なのでしょう。


シンクロに一喜一憂するのではなくて、「あー、やってきたか」って淡々とした世界観なのかな、と感じます。

February 28, 2014 in 人間の成長について, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.25

水筒を持つことで感じたこと

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「水筒を持っている人がやたらと多い」


インドのヨガ哲学『バガヴァッドギーター』の講座に毎週通っているのですが、ある時、気がつきました。


で、自分も真似して水筒を持ちはじめました。


毎朝、お茶をいれて持ち運ぶこと約1ヶ月・・・


ペットボトルを買うことに一抹の罪悪感が・・・(汗)


な、なんなんだこの罪悪感は・・・


プチベジタリアンの友達が「お肉を食べるとあちゃー、って思う」と口にしていたが、それに近い感覚なのかしら。


いろんな会合にでるたびに、「参加者の水筒率」が気になるのですが、企画によってだいぶ変わるものですね。


水筒をもって初めて見えた現実です。はい。

February 25, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.21

結果は大切なものなり、されど執着せず

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「契約さえとれれば、一日中寝てたっていいんだ」


住宅の歩合営業をしていた16年ほど前、上司によくいわれました。


たまたま、その頃に読んでいた本がでてきました。(ちなみに、著者の丸山景右さんはそんなことは書いていません)


「仕事は結果が全てである」


たしかにそれは事実。結果(売上や契約)がなければ給料だって出ないし、事務所の家賃だって払えない。


けど、いにしえから続く哲学や思想の多くは「行為の先にある結果の放擲(手放す)」を異口同音にいうわけです。そこに人間本来の自由、ひいては人のしあわせがあるといっているわけです。


編纂から2,000年以上経つヨガ哲学『バガヴァッド・ギーター』だって、中国の代表的な古典『老子』だって、自分には「行為の先にある結果に執着しない方がいい」と読めるわけです。


「仕事は結果が全てだ!」みたいなイケイケな会社に席を置かせていただいた人間が、何かの縁から会社を興して、そのうちにギーターや老子を手に取るようになった。


これは、「『行為と結果』について社長というちょっと難しい立場でお前なりに考えなさい」という使命を自分は与えられているのかもしれませんね。


今の自分は、


結果に執着するエネルギーを創造(行為)に向けること


たぶん、それだけで見えてくる現実ってだいぶ変わるんだな、と感じています。感覚的には、「結果は大切なものなり、されど執着せず」って感じでしょうかね。


追記
この頃は、飛び込み営業をよくやりました。


確か2,750軒訪問すると1軒契約できるってデータでしたね。


今思うと、優秀な営業マンはたんたんと訪問数だけこなしていた(=行為にエネルギーを集中させていた)ように思えたりします。もちろん、工夫や改良を重ねながらですけどね。


結果に執着をしてしまうと、工夫や改良ってところにいくエネルギーが分散されてしまうような気がしますね。

February 21, 2014 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.02.19

着想したアイデァを丹念に育てよう

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頭の中か、腹の底か、身体のどこかか、エネルギーフィールドか・・・


どこにか分からないけど、アイデァが着想される瞬間があります。


「おっ、きた、きた!」という感覚。


と同時にくる「なんだこれ?」って感覚。


自分の場合、頭の上50センチくらいのところに何かしらの貯蔵庫のようなものがあって、そこから何かを引っぱり出すような感覚。


最初は燃え尽きる間際のお線香のようなものだから、取扱い注意しながら、「あなたは誰ですか?」と聞いて存在確認をしているような感じ。対話をしているような感じ。


けど、アイデァが一定の熟成を得るとアイデァ自身に人格のようなものが生まれてきて・・うまくいえないけど、アイデァが主体となってアイデァを創リ出していくって感じに。


けど、このあたりで問題が・・・


エゴ(ワタクシ)が生まれてくるんです。


「このアイデァを生み出したのはワタクシ」ってことで、エゴはアイデァがアイデァを創り出していく作業をじーっと見守ることができないわけです。


現場の仕事になんでもかんでも介入する社長みたいに(笑)「あーでもない」「こーでもない」といおうとするわけです。


で、はじめは純粋でピュアだったアイデァ君が、エゴまみれになっていくわけです。着想時のまま、育たないわけです。


アイデァってのは、たぶん大きな存在からの恩恵です。


「こいつは頑張っているから」なのか「この人は優秀だから」なのか「この人にこれをやらせて苦労させよう」なのかはよくわかりませんが、たぶん恩恵です。


で、どうも大きな存在は、「同じような時期に、多くの人に、同じような着想を宿らせる」という遊びをしているとしか思えない(笑)


だから「あのアイデァはオレだって考えていた」みたいなことが起こるわけです。


大きな存在は、アイデァを孵化させて形にしてくれることを望んでいるんでしょうから、着想云々で文句をいうんじゃねえって思いますけどね。


今日は一日研修会。


去年着想したアイデァが自己増殖してちょっとだけ形にまとまりましたので、仲間から忌憚なき意見をきいてこようかと思ってます。

February 19, 2014 in 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.31

リーダーに「幸せ」の哲学が必要になってきた

人は、誰しもが幸せになりたいわけです。


でも、「幸せ」というのはそれに焦点をあわせても求められないもので、「何かの結果」としてもたらされるものなようです。


では、「何か」をきちんと、正しく行うのであれば「幸せ」になるか?


という話になるのですが、それはわからないわけです。


それは、「きちんと」だとか「正しく」というのは極めて主観的な価値観だからです。


「ワタシは幸せになりたい」という思いが強すぎて、「きちんとやらねばならない、正しくやらねばならない」というのがエゴまみれになっていたら、たぶん「幸せ」は遠のくと思うのです。


「何か」をやって、その先の結果はお任せする


たぶん、古からの叡智は人間にそのような生き方をすすめています。


ポイントは、「何か」に「きちんと」だとか「正しく」だとかの判断を加えないこと。あとは、「結果」に執着をしないこと。


「因果の法則」は世の中に遍く広がっていると思いますが、「原因」と「結果」の関連性など人間の思考レベルで分かるものではありません。


だったら、「結果」に執着するエネルギーを、「原因」(行為)に向けることが大切なのだと思います。


「人はどうしたら幸せになれるか?」


宗教や哲学の専売特許(?)だったこのテーマ。今のリーダー層はこうした哲学を自分なりに持っていないといけないような時代感になってきたんじゃないでしょうかね。


だって、「仕事のやりがい」や「モノに囲まれた生活」には興味がない人がいるでしょうが、「自分自身の幸せ」に興味のない人はいませんからね。


特に、「幸せ」に今ひとつ脆弱感があるようないまの時代の中ではなおさらです。

January 31, 2014 in 仕事のことについて, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.28

なんとも不思議な気分

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当社がオリジナルで制作したとある商品。


海外にコピーライツ(版権)が売れたのは一昨年の秋のこと。


それが、商品となり、売上となり・・・このたび、ドイツの出版社から売上報告がありました。


いままで、海外の会社に商品を販売したことはあっても、権利収入が海外から入ってくるのは初めてのこと。


「嬉しい」というよりは、ミュンヘンだとか、フランクフルトだとかで商品が販売されているかと思うとなんか不思議な気分です。


商品をつくりはじめた時は、


「この商品知ってます?」と自社でつくった商品を誰かから話題にされる


というのを目標にしてきました。


今後は、


海外を旅していたらたまたま当社の商品に巡りあった


を目標にしたいですね。

January 28, 2014 in 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.27

読む本が減らない

新しくご縁をいただく方に著書をいただくことがあります。


本というのは、「想念の賜物」(「創りたい」「書きたい」という強い思いが書籍という形になったもの)だと思ってますから、必ず読むようにします。


「これから仕事で役立つだろうな」という本も読むようにします。


「この企画を手がけるんだったら、これくらいは知らないとな」という本はできるだけ先回りして読んでおきたいです。


「この人は人間的に尊敬できる」だとか「この人の考え方は好き」という人が推薦した本。これも読むようにします。


って考えると、自分で選んで読んでいる本ってほとんどないんだよな・・・。


まさに、本の方からひっぱられるって世界観。


こんなだから、増える時は読んでいない本がどあーっと増えて、どんどんと本棚や机に積まれていくわけです。で、3冊くらいを同時並行で読む。


これって、「本を読んでるワタシが主体的に未来を開く」じゃなくて、「本にひっぱられてワタシの未来が自然に開かれる」って世界だと思うのです。


いくたの本にひっぱられて、それに追いついていこうとする一人の人間のささいな営み


のような気がするんです。


「この本は面白い」「面白くない」も大事でしょうが、「この本はワタシをどこに引っ張ろうとしてるのか?」と考えるとなかなか面白いなと思います。


人との出会い、本との出会いにワタクシ(自己)の介在する余地なんかたぶんほとんどないのですからね。

January 27, 2014 in 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.26

食べるからエネルギーがでるのか、エネルギーがあるから食べるのか

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「宴会で料理がなくなるスピードがめちゃ遅くなった」


40代に入った頃からか、なんとなくそんな気がしていた。


肉体的にたくさん入らなくなってくるし、健康や体重の不安もあったりもするのかしらね・・・


若い頃のガツガツした感じがなくなって、成熟してきたといえば聞こえはいいのだが。。。


昨日はジムの飲み会@飯田橋。豚と牛のしゃぶしゃぶ食べ飲み放題。


怒濤のごとく、わんこそばでも食べるかのごとく、肉と野菜が無くなっていった。。。


で、必ず言われる一言。


「今日、ジムでカロリー消化した以上、食べちゃった」と。


ジムに入って10年以上、ずーっとこんなことをやってるわけです(笑)


で、翌日に昨晩の分を取り戻すべく動く。で、動くと腹が減って、ガッツリ食べる。。。


こと自分の場合、ジムにいかないと体重が落ちるはこの循環のせいなんだろうな。。。


食べるからエネルギーがでるのか、エネルギーがあるから食べるのか


たぶん、後者だな。。。


久々のメンバーでの新年会でまたエネルギーをもらいました。ご一緒した皆さん、お疲れさまでした。

January 26, 2014 in 人間関係に関すること, 感じたこと | | Comments (3) | TrackBack (0)

2014.01.24

「ポジティブシンキング」と「生きる力」と

「ポジティブシンキングになれない」


「ポジティブシンキングになりなさい」


なんて、人が悩んでるシーンなどで普通に使われてますね。


けど、生きていればポジティブになんかなれない時があるわけです。


「どう考えてもポジティブなスイッチが入る気力が起きない」なんてことはフツーにあるわけです。


「ワタシはそんなことが人生で起きたことがない!」なんて人はたぶんどこかにフタをした生き方をしているはずなんです(いつか自我の逆襲がやってくる・・・はず)。


でも、そんなしんどい時期にも「よいこと」と「新しいこと」は日々おきているのであって・・・


元気がない時は、これら「よいこと」と「新しいこと」を丹念に集めていくしかないと思うわけです。


「よいこと」と「新しいこと」は、数が集まって、時間の経過で熟成されるうちに、調子のよい自分への呼び水になるわけです。


「今日一日、『よいこと』も『新しいこと』もなかったな」


なんて夜があれば、近くのコンビニでいままで買ったことのない商品でも買えばいいんです。


たとえ、それが10円のガム一つであっても「新しいこと」が一つできて一日を終えることができるわけです。


そう考えると、暗闇のどん底で周囲が敵にばかり見えてくるような日でも、どこかに必ず「よいこと」と「新しいこと」はあるはず。


こういう確信は、「ポジティブシンキング」の世界感ではなくて、「生きる力」って世界観の範疇だと思うわけです。


「ポジティブシンキング」が蔓延して、人間の「生きる力」に焦点が集まっていない


なんてことはないでしょうかね?


ポジティブシンキングになんかなれなくても、人間は「生きる力」を発動できる生き物なんです。


悩んだら「生きる力」を発動させればいいんです。


いうほど簡単じゃないとは思うけど、「ポジティブシンキング」なんかを目指してたら時に「悩みの泥沼」から抜けられなくなると思ったりします。

January 24, 2014 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.17

踊りと創造と

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ジャージ姿で芥川賞の授賞式に臨んだ姫野カオルコさん。


ジムでストレッチをしていた帰り、だとか。


会見で「踊り」と「創造」について語ってました。


たしか、「踊ってから、創造のエネルギーをぶつける」みたいな言葉だったと思うのだが、ぱっとみたテレビでの会見だったのでうろ覚え。けど、とっても印象深い一言だった。


自分も、「踊り」ってのは、「創造」をかき立てる力があると思います。


体感覚に任せて、思考優位のスイッチをオフにして、踊る


この思考回路(?)は「芸術」や「文学」などの創造プロセスと一緒なんじゃないかしら、と。


たぶん、思考回路のスイッチを通常以上にオンにしても、真の創造は生まれにくいんです。


天の岩戸にお隠れになった天照大御神(あまてらすおおかみ)を、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊りをして神々の笑いを誘った


そんな有名な話が『古事記』にありますが、「踊りと創造とは不可分」という我々の原型が示されているような気がしてなりません。

January 17, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.09

力がないと、力のある先生を選べない

人は、「自分が理解できる範囲」しか理解できません。


だから、「理解している範囲が広い人間」と「それが狭い人間」とでは会話がなりたたないことがままあるわけです。


「自分が理解できる範囲」を広げていく時に役に立つのが知識。


けど、本ひとつとったって読み方があるわけです。


この世には「頭から読んだら意味が分からない本」ってのがかなりあります。で、困ったことに古典だとか名著だとか「読んでおくといい!」といわれるものにこの手のものが多いようです。


ここは先生の助けを借りないと、「暗闇の中で、電灯も持たずに、手探りで、なくし物を探している」みたいになってしまうわけです。努力が徒労になってしまうわけです。


「難しい本を読んでも理解できない」ってのはちゃんとした先生に学んでないからなんです。


では、その先生はどこにいるか?


これは、探すしかないわけです。自分にぴったりの先生がどこかにいることを信じて探すしかないわけです。


職業として先生をやっている人かもしれませんし、職場の上司かもしれません。近所のおじさんだったり、同じスポーツクラブに通う仲間かもしれません。


出会いは、運が大きく左右する世界かもしれまんね。


ただ、面白いもので力のない人は力のない先生を選んで、力のある人は力のある先生を選ぶようです。


ここは、分相応の世界・・・。


自分自身の「範囲」を広げていくことは、もしかすると「力のある先生」に出会うために必要なことなのかもしれません。

January 9, 2014 in 人間の成長について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.08

エネルギーが変わった

Hatuhinode

新春から明らかにエネルギーが変わりました。


空気感が変わりました。


こういう時は、新しい出会いがなぜかやってくる。あたらしいできごとのきざしがやってくる。


かつて縁があった人から連絡がある。読む本、観る映画、参加したイベントが今の自分にどんぴしゃだったりする。


「たまたま」「思いもよらず」「あとで思えば不思議なんだけど」が多発する。


理屈じゃ説明できないけど、確実に存在する世界。


こういうことをいうと「スワッ、精神世界!」と聞く耳を持たれないことが多かったですが、最近はだいぶさまがわりしましたね。


「世界は自分自身の心の鏡」


と心理学ではいわれますが、「エネルギーが変わった」と感じることは、自分自身の心の中が変わったということなのでしょう。


この世界は、自分自身では分かり難い心の状態を「新しいできごと」「思いもよらないできごと」という形で顕在化させてくれるのですから面白いものです。


ともあれ、新春からエネルギーは確実に変わりました。


一つ一つの「できごと」を感謝し、丁寧に対応できる心の余裕を。一つ一つの「できごと」に「いい」「わるい」を決めつけない思考の柔軟性を。

January 8, 2014 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.04

ブログは孤独なメディアだからいい

「つながる」


あえて、去年の自分のキーワードを挙げると一つはこれ。


去年は昔の友達との再会がやたらと多い一年でした。特に、中学の同級生と30年ぶりに再会した一夜は楽しかった。


こうした再会劇(?)にSNSが一役買っているのはいうまでもなくて・・・そんな意味ではこうした新しいツールには深く感謝。


けど一方で、「つながる」が即「善きこと」みたいな空気感はどこか違和感があるわけで・・・そことは、距離を置きたい自分もいるわけです。


明確な意図をもって「つながる」を自在に選択できる自分でいたいと思うわけです。


そこには、「孤独を身にまとわないと、人間が薄くなる」って考え方がどこか根底にあるのかもしれませんね。むやみやたらに「つながる」ってのは、自分自身の放棄でしかないと思います。


「つながる」の対極にある「孤独」


これを埋めるさまざまな手段が存在する時代を生きているわけですから、自分らは意識しないと「孤独」を手に入れられないわけです。


個人の情報発信メディアとして比較した時、ブログはSNSに比べて孤独なメディアだと思います。


誰が読んでるかわからないし、「いいね!」はつかないし、コメントだってたまにしかつかない(あくまでも自分の場合、ですが)・・・で、独り言のように文章を書いていくというのは、ある意味孤独な作業。


でも、だからブログはいいんです。


ブログって空間は、目に見える反応は少なくても、「何か書いておきたい」という思いがないと長い時間続けられないメディアなわけです。


だから、万人に開かれているようで、万人に開かれていない空間なわけです。


こないだ、10年近く社長ブログを書いている経営者とお会いしました。


「ブログ書いてても反応ないと寂しいよね。けど、芸能人じゃないから仕方ないか 笑」って話になって盛り上がりましたが、どこかに同じ思いを持つ人間同士の「つながり」を感じましたね。


もしかすると、これからの時代のブログは真の「つながり」を演出するメディアになっていくのかもしれません。


January 4, 2014 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2014.01.03

「スーパーヒーローな一面」に光をあてる

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今年の元旦は、赤坂氷川神社で初詣。その後、六本木で本屋に寄りました。


『芦原英幸正伝』


伝説の空手家、芦原英幸さん(1944〜1994)の評伝が発売されていたとは・・・つゆ知りませんでした。

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芦原英幸さんは、昭和50年代に人気劇画『空手バカ一代』に「ケンカ十段」のニックネームで登場。


格闘家としての圧倒的な実力、大多数に対して孤軍戦いを挑む勇気、ユーモア&人情味溢れるキャラクターが昭和の格闘ファンを魅了します。


四国の松山に本拠を構え、メディアに露出する機会が少なく、50歳の若さで逝去されたために「伝説の格闘家」になっていたわけです。


その伝説の格闘家と交流があった著者による評伝ですから、マニアにはたまりません。元旦から一気に読みました。


読了して、元旦に訪れた赤坂氷川神社のご祭神・スサノオが芦原さんにオーバーラップしました。


暴れ者の八岐大蛇を退治したスサノオ。ケンカなら負け知らずで四国の空手界を制覇した(劇画上では)芦原氏。


どちらとも、「スーパーヒーロー」でした。


そんなスサノオは泣き虫な神様でした。母のイザナミがいる根堅州国に行きたい、とないてばかりいました。一方の芦原氏もこの評伝によるとスゴく気が弱く、臆病な部分があったようです。


どちらともが持つ、「スーパーヒーローの二面性」・・・。


たぶん、人は誰しも自分の中に「スーパーヒーローな一面」を持っています。


けど、そんな素晴らしい一面は、光があてられずにフタをされていることが多くはないでしょうかね?


「自分は弱いところがあるから・・」といった思いや、「スーパーヒーロー」な部分をオープンにすることで受ける他人のやっかみや誤解などを考えてしまって、「無きもの」にしていることがないでしょうかね?


「破天荒で強い自分」と、「臆病で泣き虫な自分」と


自分の二面性を自覚しつつ、「スーパーヒーロー」な部分に光をあてて出し尽くすこと。


たぶん、それこそが人間が「内なる本分に従う生き方」なのかもしれません。


2014年の元旦をそんな思いで迎えました。本年もよろしくお願いいたします。

January 3, 2014 in 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.27

「成長」は周囲の評価で感じられるもの

「成長する」


自分の成長を肌で感じる局面ってのは、生きていれば確かにあると思います。


けど、成長って本来は「徐々に」「わずかづつ」「本人の気がつかないまま」におこるものだと思うのです。


木が徐々に年輪を太くしていくようなイメージでしょうかね。


「勉強をはじめたばかりのころ」だとか「仕事を覚えたてのころ」ならいざしらず、一通り仕事を覚えた職業人の「成長」がダイレクトな手応えを持つはずがないのです。


だって、日々の成長なんかゆっくりと、じわじわとしか進みませんからね。


周囲から「君は昔とくらべて変わったよね」といわれて、「えっ、そうですか?」という世界観だと自分は思うのです。


だから、自分の成長を感じるには長い時間を共有している先生や先輩、仲間や友達やが必要となるんです。


「自分はこれだけ成長した」


就職の採用面接の場ならいざしらず、本来、「成長」なんて言葉は自分に対して使う言葉ではないんですよ。


「努力しているけど、自分が成長しているかどうかわからわない」という不安を持っている以上、「成長」はゆるやかでも確実になされていると思います。そこには世間や自分自身に対しての謙虚さがありますからね。


一方で、「自分は努力もしたので、こんなに成長した」と思っている人。そこに、過信と高い自己評価とが内在されていないか、年末年始のこの時期に観てみることは有益かもしれませんね。


今年、10年以上師事している師匠筋から「昔と比べだいぶ変わった」といわれました。


最初は「そうですか?」と思ったのですが、普段、ほとんどこの手のことを口にしない人(ってかいつも毒舌で厳しい言葉ばかり・・・)の言葉ですので、じわじわと喜びに変わってきました。


「今年あった嬉しかったできごと」


このテーマについて書こうと考えたら、まっさきにこの時のことがでてきました。


「成長」を周囲の評価で感じられる


ってのは、きっと人間の根源的な喜びなんでしょう。


来年も一つでも多くの喜びを感じられますよう。今日、27日で仕事納めです。

December 27, 2013 in 人間の成長について, 人間の認知について, 尊敬する人、または師匠筋, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.25

人前にでることをはばからず

親は親になることで親になっていく。


社長は社長になることで社長になっていく。


先生は先生になることで先生になっていく。


その立場に身を置いてはじめて学びがはじまります。


かくいう自分、会社やって13年経ちますが、社長って何かいまだによくわからん。感覚的には一回りしてきた感じですかね。


最初は知識も経験もないからシンプルで、それが複雑になっていって、で、シンプルに戻ってきた・・・


ただ、一回りしたといってもレイヤー(次元)は確実にあがっていて、社長って立場に身を置いた人間ならではの言語化できない何かは確実に自分の中にあるわけで。


その言語化できないものが、たぶん立場に身を置いた人間のみが受け取れる財産だと思うのです。


逆にいうと、立場に身を置かなければ、それらのものは絶対に獲得できないと思うのです。学びを深めたかったら、四の五の言わず「立場に身を置け!」ということですね。


今年はさまざまなご縁で、「人前にでる」ことが多かった一年でした。


「人前にでるなんておこがましい」ってずっと思っていましたが、「立場に身を置」かなければえられない経験ってありますね。心底思いました。


そう、親だって社長だって未完成なままで「親としての顔」「社長としての顔」をして毎日をいきているわけです。


で、喜怒哀楽、失敗や反省を重ねながら徐々に「親」や「社長」になっていくわけです。


人前にでる、ってのも同じようなものだと思うのですよね。


人前にでることをはばからず


来年はそんな思いで一年を過ごしていこうと思います。2013年もあと1週間ですね。

December 25, 2013 in 人間の成長について, 人間関係に関すること, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.24

人間の発達課題について

「会社は学校とは違う」


社会人になってまもなくの頃、そう教わりました。


会社はお金をもらうところ、学校はお金を払うところ。会社は仕事をするところ、学校は学ぶところ・・・。


こういう文脈では確かにそう。


知り合いの経営者は「会社は仕事をするところだから、勉強など自発的にするのは当たりまえ。仕事だって本来は教えてもらうものではない」といってはばからない。


ちょっとこれとは文脈は違うのですが、「会社は学校のようなものだなあ」と自分は思ってます。


新入生の頃は、多くの人は緊張して入学します。で、周囲とちょっとづつ関係を築いて、そのうちに個性を発揮しはじめていく。


リーダーシップを発揮する人、大多数に乗るのが好きな人、周囲は関係なく自分の周辺だけにこだわる人、アウトサイダーな人、自分の本音は明かさない人、想像や憶測が大好きな人・・・


まさに、学校そのものですね。


学校ですから、いつか卒業がやってきます。学校ですから、転校する人が出てきます。学校ですから、つっぱる人もでてきます。学校ですから、クラス替えなんかもあります。


個性と個性とがぶつかって、ケンカしたり、共感したり、仲良くなったり、距離を置いたり、グループができたり・・・


やはり、学校そのものですね。


会社と学校の違いをあえていうのであれば、「発達課題」を自分自身が設定することかしら。


組織というのは、個々人の「発達課題」に挑戦するようなできごとばかり起きます。なぜか不思議ですがね。


で、「発達課題」をクリアーして転校(退職や転職ですね)していく人は、人間としての力強さのようなものを獲得するようです。


それは、たのもしさ?みたいなものでしょうかね。


その「たのもしさ」は次の「発達課題」に向かう武器になっていくわけですね。


人として生きている以上、「発達課題」が次々とやってくるのはしんどいもの。


けど、「発達課題」クリアーした後のリターンとして「見えなかった世界が見えてくる」という素晴らしいギフトをもらえるようですね。


世の中、案外とうまくできているようです。

December 24, 2013 in 人間の成長について, 仕事のことについて, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.17

たたかえ、たたかえ

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「覚悟を決める」


今年はなぜか、いたるところでこの言葉を聞きました。


独立した方が「あとは、覚悟を決めるだけなんです」と口にしたり、「覚悟さえ決まってしまえば物事はスムーズに進みはじめる」とある方からアドバイスされたり、「覚悟を決めたら、考えていたことは杞憂に終わった」と知り合いの経営者が口にしたり・・・


ホントによく耳にしました。


自分は来年で44歳。早い人はミッドライフクライシス(中年の危機)に突入しはじめる世代です。もしかすると、「覚悟」ってのは同世代のキーワードのひとつなのかもしれませんね。


さて、先週末は当社主催の企画で東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)参りにいってきました。


神社って、いままでは感謝をささげにいくところだと思っていたのです。健康だとか、運命だとか、安寧だとかのですね。


けど、今回はあまりにも力強いエネルギーに「神社って、覚悟を決めにいくところかな?」なんて感じました。


人は、なかなか1人では覚悟ができません。


だから、見えない力を借りる。自力ではなく、他力を借りる。自分でできることの先にある世界は、大きな存在にゆだねてしまう。


たぶん、それは「覚悟を決める」という世界観ではなく、「覚悟が(自然に)決まる」という世界観かもしれません。


鹿島神宮で正式参拝をしていたとき、和太鼓の音がいままでになく腹に響きました。


なんとなく、「たたかえ、たたかえ」といわれているような気がしました。

December 17, 2013 in 感じたこと, 旅をすることについて、旅をかたること, 精神的なこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.13

人間に自由意志があるのかどうか、ということ

「なりたい自分」ってのは周囲がつくるんじゃないか、というこないだのブログ


「人間には『なりたい自分』を目指すだけの自由意志はないのか?」


というレスポンスをいただきました。


至極もっともな反応だと思います。


哲学だとか心理学で人間の自由意志がどうとらえられているかはよくわかりませんが、自分は「人間の自由意志」なんてそんなにないんじゃないの?ってのが実感覚。


だって、病気、衰弱、死、離別、喪失・・・人間にとって大きなできごとであるこれらのことの何一つが自由意志で回避したり、未然に防いだりできないじゃないか・・・。


たとえば、「誰と出会うか?」。たとえば、「どんな会社で仕事をするか?」


なんとなく自由で選択する余地がありそうなこれらのことだって、自由意志で選択できる部分なんてごくごくごくごくわずかでしょう。


日本人だけでも1億人いて、会社だけでも数百万ある中でほとんどが一個人の自由意志とはかけ離れたところで何かの意志が動いているんじゃないでしょうかね?


運と偶然とが織りなす世界の中で、自分らは「自由意志がたくさんある」って幻想を生きていると思うのです。


最近、『老子』が人気があるようですね。


『老子』のいう知足(足るを知る)という生き方は「自由意志はそんなにないんじゃないか?」というところからうまれると思うのです。与えられた人生の中で全力を尽くそう、という生き方ですね。


『老子』が読まれているってのは、「人は自由意志がたくさんある」って幻想から人間が目覚めてきた証左なんじゃないでしょうかね。


宇宙飛行を自在にしているとはいっても、たかだかまだ月とその周辺。科学的にカビ一つつくれない人間が「自由」なんて口にするのがおこがましい、といいったらいいすぎかしら。


自由という幻想があるから不自由になる、不自由がゆえの自由


そんな現実にたまには目を向けたいものです。

December 13, 2013 in 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.12.04

人間の貫禄について

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先週末は大学時代に所属していた部活の40周年パーティー。現役学生も含めると200〜300人集まっていました。


20年ぶりにお会いした1つ上の先輩の貫禄に圧倒されました。


物腰は柔らかいし、人を威圧するような感じはまったくないんですが、風格ってやつなんですかね。


勝ったとか負けたとかいう世界ではないと思うのですが、剣をあわせる前にこちらがおじけづきそうな感覚・・。


いただいた名刺を見て、ちょっとだけ納得。大きな会社で上に上がっていく人はやっぱどこか違いますわ。


自分は大企業で働いた経験がないんですが、さまざまな不条理、矛盾、葛藤、喪失だとかをクリアーしてきた人ならではの貫禄なんじゃないかな、と勝手に思った次第。


「40を過ぎたら自分の顔に責任を持たないといけない」・・・アメリカ大統領・リンカーンの言葉を思い出しました。


それぞれの生きてきたさま、生きてきた痕跡ってのは数十年ぶりに再会すると隠しようがないですね。


学生時代、自分の回りの多くは「貫禄がないのに貫禄があるようなふりをする世界」を生きてきました。格闘技をやって、学ランなど着て、いきがって、「人より強い」ということを誇りにするようないきざまをしてきました。


ただ、社会にでると「人より強いから、何?」という壁(?)にぶちあたるんですね。仕事をしていれば今までの自信が木っ端みじんにくだかれることがあるわけです。だって、世の中強い人だらけですし(笑)


でも、そこから新しい自分が誕生していくと思うのです。


「学生の頃までに自分が自信としていたことが、社会で通用し通すことができない」


本当の自信(=貫禄)の第一歩はこういう喪失体験からはじまるんじゃないかな、と。


だれだって喪失体験はイヤなものだし、自分の自信に固着したいでしょうが・・・そこから離れる勇気や自在さが貫禄(本当の自信)につながるのか、と。


過去の「自信」に固着することなく、今現在の自分から「自信」がふつふつと湧いてくるような生き様をしたいものです。


追記
当日は、大学時代にバカをやっていた他大学の同期とも再会。10年ぶりでした。こいつは、確実に自分のリソース(資源)になっている男ですね。


よく飲んだし、よく暴れた。格闘技が縁で知り合ったのですが、自分にバックパッカーなる生き方を教えてくれたはじめての男です。


12月中に再会を約束しました。こうした会を企画してくれた皆さんに感謝です。

December 4, 2013 in 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.26

「いいこと」と「わるいこと」と

マーフィーの法則を出すまでもなく、「わるいこと」ってのは起きる時は続けて起こるもの。


不可思議ですね。


「わるいこと数珠つなぎの法則」(?)みたいなのがあるんでしょうかね?


自分の運のなさをなげいたり、順境に見える人をうらやんだり、「自分がやってきた行為(カルマ)の清算じゃないか」だとか意味づけをしようとしたり・・・


暗闇のジェットコースターに真っ逆さまに落ちるような経験をすると、人はそれぞれの生育歴や思考パターンによって自分の気持ちと向き合うようです。


いずれにしても、ここは人間が「思議する可からず(不可思議)」の領域なので、人間が思案してもどうにもならないこと。大いなる存在の領域に手をだしても、苦悩は続くだけでしょう。


ただただ、自分ら人間ができることは、マインドセットを見直すこと。


「いいこと」、「悪いこと」ってのは人間のマインドが織りなした世界観だから、このマインドセットを見つめること。


自分はこの「できごと」を「わるいこと」って思ってるけど、本当??


と問いかけること。


そもそも、できごとは「できごと」として存在しているだけ。そこに付着した人間の解釈が自分自身を苦しめるだけ。


人間は「できごと」に一定の解釈を与えることでコントロール下に置けるようになるらしいです。それが場面によっては生きやすさ、生きる喜びにもなる。


けど、時と場合によってはその解釈によって苦しめられるってわけだからおもろいものですね。


「できごと」に対して「いいこと」、「わるいこと」と解釈しない心の強さを。

November 26, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の認知について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.11.20

チャレンジってのは挑戦って訳すんだ、と感じた夜

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FUNKEY HONEY公演に友達が出たのでいってきた。(今回で3年目)


舞台が終わって、出待ちして、別れをつげて、ふと空をみあげると満月。


それを見つめる着物姿の彼女がめちゃ幻想的だった。


「チャレンジ」


生きていれば人は何らかのチャレンジをしているわけです。


いうなれば、新しい本を買うのもチャレンジだし、いったことのない場所にいくのもチャレンジ。


でも、英語が輸入された時、僕らの先達はこの言葉を「挑戦」と訳したわけです。


戦いを挑む・・・


自分らの口にする「チャレンジ」ってのは、どこかライトに、どこか軽くなっていないか? 


どこかコントロール可能で、結果が想定できる範囲の中で、夜に飲む酒がちょびっと美味しい程度の「チャレンジ」を挑戦呼ばわりしていないか?


今回の満月は、きちっと戦いを挑んだ彼女に対する賛美、贈り物だったのかもしれません。


素晴らしい復活でした!


追記
もうすぐ「かぐや姫」も公開ですね。

November 20, 2013 in 初心を忘れないということ, 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント, 言葉について | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.10.01

日本人には笑いと涙が足りない

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一般に、「日本人は○○だ」という時には、自分自身の投影である場合が多いいもの。(だから、今日のブログのテーマは大塚自身のことなわけですね)


ですが、あえてタイトルは「日本人には」としてみました。


こないだ、箱根に行ったのです。大学時代からお世話になっていて、今でも仕事でお付き合いある先輩とです。


で、箱根神社にお参りし、酒を飲み、現在や将来の話をして・・・


最後はくだらない話で横隔膜がよじれるほど笑いながら床につきました。第三者が客観的にながめたら何が面白いか分からないテーマですね。


で、思ったのです。


「ここまで笑ったのっていつ以来か?」と。


自分は、同世代の人と比べて喜怒哀楽の多い人生を送っているつもりです。で、そのために外にでたり、人と会ったり、機会をつくっているつもり。で、よく遊んでもいるつもり。


けど、横隔膜がよじれるほどの笑いってのは歳とともに少なくなっていきますね。


横隔膜がよじれるに従って、いろんなものがほどけていく感覚を覚えました。抑圧したものだとか、押さえていたものだとかですね。


抑圧したものや、押さえていたもののためにものすごいエネルギーを使っているんだな、と思いました。


これを仕事や遊びに向けたら最強なんだけど、とかくそうはいかないのが人間社会(笑)


だから、たまに喜劇映画にでもいって「笑いや涙」をいただくのがベスト。それは、無自覚のうちにたまったエネルギーの放出作業なんです。


先週末に公開のこの映画、笑いながら泣ける素晴らしい映画です。さすがクドカン!

October 1, 2013 in 感じたこと, 観た映画、読んだ本、行ったイベント | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.09.11

保険会社からのハガキの一文がめにとまりました

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「過去を後悔しても、未来を心配しても何も変わらない。今の自分を大切にすることが大事」と書いてある本があります。生きている今を大切にすると、なんとなく幸せな日々が続くような気がします。


・・・お世話になっている保険会社からきた定期的なハガキのメッセージ。


普段ならスルーするんだけど、今回はなぜか目に留まる。


今の自分を大切にする、とは確かにそこかしこでいわれている。昨今、お坊さんや禅の行者が書いた本が流行ってるが、たいがいこの手のことに触れてある。


けど、「今」にとどまるのはむずかしい。


話をしていれば携帯が気になるし、勉強していればテレビが気になる。ご飯をたべていれば明日の面倒な仕事が頭をかすめる。「あのときああしていればな」って後悔は日常茶飯事・・・ってな具合。


それは、「今のままじゃ足りない」「今のままじゃ手遅れになる」「今のままじゃヤバい」という思いがどこかにあるから。自分自身とそれをとりまく大きな存在とに、絶対的な安心感がないから。


たぶん、自他に対する安心感ってのは「今」を生ききることからしか生まれないのでしょう。


それは、恐れや恐怖から生まれる「自尊心」じゃなくて、真に自分自身を肯定しきれる自尊心。


これは、たぶんなのですが、「自尊心を持つ」って感覚ではなくて「自尊心がごく自然に生まれる」って世界観なのでしょう。

September 11, 2013 in 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.09.09

こんな夢を見ました

あと、10分近くで自分が亡くなるという夢。


にぎやかな会場で、たぶん自分とゆかりのある人が集まっている。たぶん、100人くらいいるのかな?


で、「お先にいくね」だとか「あとは頼むな」とかいっている。


暗い雰囲気はなくて、あくまでも明るい雰囲気。そいや、ライトがさんさんと照っていたし、紙吹雪が舞っていた。どこか、バブル期のディスコのような場所。


「あと、5分」って頃合いで、部屋の外に出されて、殺風景な廊下で一人きりにさせられる。


「あっという間だったなあ」と思いながら、時の経過を待つんだけど、なかなかその瞬間が来ず、気がついたら目が覚めていた、という夢。


週末は戦争をテーマにした小説を読んでいたからこんな夢がでてきたんでしょうかね?


きっと、大きな存在から見たら、「あと50年」も「あと5分」も変わらない。たぶん、人間のエゴってやつが、自分という存在を永遠に、価値あるものにとつくりあげていくのでしょう。


それにしても、この時期にいい夢をみたな、と思いました。自分の無意識に感謝ですわ。


今週は、俺フレ含め会食2件。禅の講座にいって、キネシオロジーのセラピー受けにいきます。久しく、読書をさぼってたので、読んでない本を片づけます。週末のイベントはまだ未定。


今週もきばっていきましょう!

September 9, 2013 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.09.03

もはや戻れない時代の話です

「LHASHA G.P.O. TIBET to Mr. KAZUHIKO OTSUKA」


部屋を片付けてたら、旅をしていた16年前にラサ(チベット)で受け取った手紙を見つけました。当時、仲のよかった女性からです。


それにしても、これだけのアドレスで日本からチベットに郵便が届いて、それを現地で受け取れるってのがなんとも不思議ですね。


G.P.O.は「ゼネラルポストオフイス」の略。


日本に絵はがきを送る際に、「次はパキスタンのカラチにいくので、現地のGPO宛に手紙ちょうだい」という具合に一筆書き添えるわけです。


で、現地にいったらGPOにいって膨大な郵便物の中から自分のそれを探す・・・この作業は宝探しのようで何とも楽しかったですね。唯一の他者からの承認機会、だったかもしれません(笑)


ただいま、うちのかみさんが海外にいっていてLineを通じて現地の写真が届くんですが、便利な時代になりましたね。


もはや戻ることのできない時代に郷愁を抱くのはなんともナンセンスですが、アナログがゆえのよさってありますよね。


彼女からの手紙は「これから現実へと向かっていく大塚君へ」という書き出しだったのですが、高山病でぶっ倒れて動けなかったチベットでこの手紙を見て泣けてきました。


その時のチベットの情景やら、感情やら、空気感やら、「帰国したら仕事どうしようかな」って思いやら・・・


当時の記憶がどひゃーっとひもづけされて甦ってきました。


彼女は自分の帰国前にベトナムへと旅立ってしまって、その後、現地で生活したので縁がなくなってしまったのですが、いつか会って酒でも飲みたいですわ。


彼女の存在は、きっとアナログでのやりとりだったがゆえに記憶に残っているのでしょう。

September 3, 2013 in 感じたこと, 旅をすることについて、旅をかたること, 訪れた場所のこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.09.02

なくしたエネルギーはなくしたところで取り戻す

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「友達は限りなく少なく」


というのは自分の師匠筋。


人は人間関係の中で大量のエネルギーを消費するから、という考えは分からないでもない。仕事に向けるエネルギーが人間関係で消耗している、なんてことはよくあることだしね。


けど一方で、人は人間関係の中でエネルギーが満たされる、という側面も持っている。


仲のいい友達と酒を飲んでバカ話するだけで元気になる、ってのはエネルギーが解放されると同時に、新しく満たされるから。


人間関係の中で消耗したエネルギーは、人間関係の中で取り戻すのがたぶんベストなんです。なくしてものは、なくした場所でとりもどすのがベストなんです。


一般的に人は人間関係に疲れると周囲との接触を断ちたがるようだけど、それは本当はナンセンスなんですよね。


週末は、ニュージーランドからのお客様(?)との飲み会に、中華での会食(&アフター)でした。毎週のことですが、よく飲んだ。


今週もきばっていきましょう!

September 2, 2013 in 人間が悩むということ, 人間関係に関すること, 感じたこと | | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.08.27

生みの苦しみ

ビジネスには「生みの苦しみ」を味わうときがあります。


そこは「うーん、うーん」とうなっているのが苦しいのではなくて、打つ打ち手が思うように成果に結びつかないから苦しいって世界観。うんうん唸っているだけなら、誰でもできるし。


打ち手がいつか花開くって確信を、信念にまで高めるのがリーダーの仕事。


この打ち手ってのは、どうも精神の自由度に比例して増えていくらしい。


人と会う余裕がある、遊びをにいける余裕がある、人の話を聞き入れる余裕がある・・・それらが打ち手の多様性をもたらすらしい。


生みの苦しみを味わっているとき、人は「生みの苦しみから脱出して、いい流れに乗っている人」をうらやんでしまいがちなもの。


けど、よーく考えるとそんな人だって人生のどこかの局面で生みの苦しみを味わっていた可能性があるということ。


あとは、「いい流れに乗っている人」というのも果たして事実かどうかわからないということ。


外的な世界は人間の心の投影だから、この手の話はよくあること。


旅をしていた頃、社会人として活躍する同年代の仲間がすんごくいい仕事をしているように見えた。


でも、それは今思えば「見えた」ってだけであって、現実ではなかったのよね。きっと。


20代後半の自分は無職。まさに、「生みの苦しみ」の渦中でした。


おそらく、自分に見える世界に翻弄されない勇気も「生みの苦しみ」の時期には必要なのでしょう。

August 27, 2013 in 人間が悩むということ, 仕事のことについて, 感じたこと, 経営をするということ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.26

人間、自分のことばかり考えると悩みが増幅されるようで

悩みに毒されると、自分のことばかりに目が向きますね。


で、自分のことばかりに目がむくから視野が狭くなる。レイヤーが低くなる。


問題ってのは、「今の視野、レイヤーでは解決できないよ」って啓示のようなものでしょうから、視野狭窄と低位レイヤーのままでは何ともいかんわけで。


で、マインド(思考)でどうにかしようとする。


でも、思考ってのは自己防衛をはじめとするエゴに満ち満ちているわけだから、なんとかならないわけで。


こういうときは、たぶん「自分を忙しくさせること」と「他人のために何かを尽くすこと」が大事なのでしょう。


自分の調子がいい時にはこの手のことは簡単に口にできる。けど、自分の調子が悪いときにも、この手のことを体現できる一個人でありたいですね。


と考えると、問題ってのは「お前の信念や考え方ってのはどの程度の覚悟を持っていってるの?」という問いかけでもあるような気がするのです。


今週もきばっていきましょう!


水曜日は2ヶ月に一度の師匠筋の講座があって、週末はニュージーランドから友達が帰国して、あとは会食が2件。ジムは今週もほどほど。あとは、半沢直樹のDVD観ます。

August 26, 2013 in 人間が悩むということ, 人間の成長について, 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.19

断捨離

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Aquascutumのかばんを断捨離しました。


このかばんは、7年ほど前に購入したもの。小倉(九州)で開催された格闘技興行の進行をやった際にいただいたギャランティーのほぼ全額をつっこんで買いました。


とてもお腹の痛い仕事だったから、その思い出を忘れないように、と(笑)リングドクターからはどつかれ、韓国人選手からはハングル語で文句をいわれ、来賓の方からはなんだか嫌みをいわれ、3回小倉を訪れていろんなことがあったお手伝いでした・・・。


ここ数年は使っていなかったけど、ようやくと放つことができました。


「何かあったときのために使わないけどとっておく」


その思考回路って、「何かあったとき」ってのが常に頭にあるから風水だとか的にはあまりよろしくないのだそうですね。人生に対して、全幅の信頼を置いていない、という意識だそうです。


たしかに「何かあったとき」ってのは人生でしょっちゅうくるようでいて、こないことが多いような気もしますしね。


お盆も明けて本格始動、今週もきばっていきましょう。

August 19, 2013 in 感じたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.08.14

秩父の三峯神社にいってきました

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思ったこと、感じたことを表現する素直さと勇気を。


チマチマとマインドを働かせてしまう自分の小ささを笑い飛ばす心の広さを。


強がりではない、「なるようになる」をいえる心の強さを。


秩父の三峯神社、樹木が神々しかったです。あんな場所に神社が建立される不思議さといったらないですね。

August 14, 2013 in 感じたこと, 訪れた場所のこと | | Comments (0) | TrackBack (0)