2008.05.26

週末からタイにいきます

週末からお取り引き先とタイにいくことになりました。


商材などを探したり、新しいひらめきを探しにいってきます。


1996年11月 僕ははじめてタイに行きました。25万円の現金+TCと帰りの航空券(1年オープンの成田行きチケット)を持っての長旅のスタートです。


空港に大学時代の先輩(バンコク在住)が迎えにきてくれました。


何が驚いたって、空港のトイレで手を洗った時にお湯が流れてきたことです。タイがそこまで整備されている国ってイメージはなかったですからね。


それからミャンマーやらベトナムやらカンボジアを回りました。


ミャンマーではフリーの日本人宝石師に会いました。お金が無くなるとミャンマーにきて宝石を買い付けしている、といっていました。


ベトナムでは37歳で学校の教師を辞めて漫画家になる、という夫妻に会いました。漫画家になるまでの間に1年間、旅をするといってました。


カンボジアでは3年間もの間、旅をつづけているイタリア人に会いました。農場でがむしゃらに働いて旅にでてきたそうです。


「お前はいくつだ?」ときかれて。「27歳だ!」というと「なんだ、まだ10年は旅できるじゃなか!」といわれました。得体のしれない不安感にさいなまれることもあったので、彼の言葉はとても助けになりました。


つとめていた会社を3年弱でやめて、旅にでたらいろんな人がいろんな人生を送ってることに気がつきました。


それを実体験できたことだけで、僕が旅にでた意味(本来、旅に意味なんかないと思うのですが)があった、と今では思います。


当時から僕の夢(のようなもの)は、仕事で海外に出たい、ということでした。


貿易商社に入ったり、日本から現地駐在スタッフとしていくのではなく、「○○って国が面白いらしい」と思ったら、翌週にはその国にいっているような感じです。


僕は日本に対してはそんなに悲観論をもってませんが、人口が減っていたり、国に債務があったりする中で海外と仕事をする、という部分を持っていると持っていないとでは将来に対してのデッサンも大きく変わってくると思ってます。

May 26, 2008 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.02.28

「君のため」と教育する側の意図

2年間のプータロー生活を経て、住宅会社に入社した。今から8年くらい前、28歳の頃の話だ。


静岡が本社の会社で、地方都市の営業支店採用だ。営業は僕以外に2人ほどいた。


平日は飛び込みの営業をして、土日は展示場に張りつく。といっても、拓銀や山一が潰れ、日本経済の閉塞感もピークに達していた頃だ。展示場にいても来展者などほとんどこない。


控室で図面を書く練習などをしながら待機をしている。すると「先輩」社員が「営業の基本を教えてやるよ」みたいな事をいって近づいてくる。

「住宅営業とは何ぞ」ということについて非常に面白く、参考になる話をしていただく。確かに勉強にはなる。


が、それからが最悪だ。


「住宅の営業マンとしてどれだけ自分が凄いか」という話になる。どこぞの消費者金融の支店長だっただとか、全国でトップの成績だっただとかがはじまる。


それがいつのまにか「どれだけ僕がモノを知らないか」という展開になる。


今までやってきた仕事を否定される。で、住宅の営業がどれだけ難しいかという話になる。その中でやっていくのは大変だ、という話になる。自分がつとめてからこの会社では何十人もの営業が辞めた、という話になる。あなたも何ヶ月もつだろうね、という展開になる。


最初は素直に聞いていた。それが僕の考える後輩の流儀、だ。が、たびたびこの手の話になるに及び僕は考えた。

「この人は純粋に僕を教育をしているのではないな」と。何か別の意図があって、「教育」してるんだな、と。

住宅展示場は当番制だ。自分の展示場当番が増えれば、お客さまに接する機会も増えていく。それは、営業数字を稼ぐことにつながる。少ない基本給と高額の歩合の営業担当には「稼がない=退社」を意味する。

だから営業担当は少なければ少ないほどいい。その「先輩」にとって僕が辞めることは、営業機会を増やす上でも得策なのだ、とある時から考えた。明らかに僕をつぶしにかかっている、と感じた。


ただ、そう考える自分がとても嫌だった。


僕のように物心ついた頃から、先輩だとか後輩だとかいう世界で育った人間には、どこかしら「先輩のいうことは絶対」という意識がある。(少なくとも当時はあった)


「先輩が後輩をつぶしにかかることなどまさかないだろう」という意識がどこかしらにある。


が、それは甘かった。そんな甘さにつけこまれた、と感じた。


その「先輩」は自分の中に感じていた怖れ(自分の将来設計や若い世代の台頭など)だとか葛藤を、僕らにぶつけることで解消しようとした。


ただ、それだけならまだ分かりやすい。彼はそれを「教育」という美名(?)のもと、「教育」というカモフラージュのもとに成し遂げようとした。


その「先輩」の特徴は、「厳しいこというけど」だとか「本当は俺がこういうこと言う筋じゃないけど」とかいいながら、「これはあなたのためだよ」という言葉が必ずついてくる。


「後輩」として、なかなかこういうい言葉には抗えるものではなかった。


当時の僕がしたことは、その「先輩」より僕が勝っていることを探すことだった。で、自分の中の自意識を平静に保つようにした。


仕事のキャリアではやはり一日の長があるのは否めない。今考えると、当時の僕でもその「先輩」より職務で優れていた事はいくらかはあっただろうが、当時は気持ち的に去勢されていた。


お恥ずかしい話だが、僕はその「先輩」なら喧嘩をしても片手でも勝てると考えた。


最悪の最悪だが、あまりこんなことが続くようだったら、一度「お前どういうことだ」といってやろう、と思った。もともとが自分の不安から僕に威圧的になってただけの弱い人間だ。考えるだけで滑稽だった。


逆にいえば、発想が貧困でそんな程度しか自分を平静に保てる自信のようなものがなかった。

僕は、社員教育は大切だ、と思っている。


が、社員教育なんて会社が音頭をとってやるもんじゃない、とも思っている。


今の時代、情報はいっぱいある。勉強するならだれでもできる環境が整っている。伸びたい人は勝手にやればいいし、伸びない人はそのままでいい。


その中で僕は「伸びたい」とか「伸ばそう」と意欲のある人間に優しく、「伸びなくてもいいや」という人間にはしんどい会社にしたいと考えいてる。それが、僕が考えるお取引先への誠意、だ。


イメージとしては昔の寺子屋だ。各自がおのおののテーマで勉強して、分からなかったら先輩だとか先生だとかに聞く、といいった感じだ。


その中で社長である僕ができることは、「自分を伸ばしたい、という人間が純粋に伸びていける環境をつくる」ことでしかない。


その第一は、「伸びたい」だとか「伸びよう」とする人間に対して少なくとも周囲が邪魔だけはしない風土をつくることだ。


かつて学生時代もいたではないか、勉強をしていると「ガリ勉!」とはやし立てる輩が。そんな斜に構えた人がいない環境をつくることだ。


更に、葛藤や自意識を「教育」という名のもとに充たそうとするのではなく、自分の仕事を通じて充たすような仕組み、雰囲気をつくることだ。


ブログの読者ならお分かりだろうが、僕は自意識が比較的高い方だ。それを充たす手段が会社を経営することだったり、ブログを書いたりすることだ。

少なくとも僕は、他人への「教育」を通して自分の自意識を充たしたくはないと考えている。それは人の人生を台なしにしてしまう可能性が多いにあるからだ。教育は教育のためにあるのであって、自分の自意識を充たすためにあるのではない。


だから押し付けの教育(含む、飲み屋での説教)はしたくないのだ。(教育実習までいった僕が先生にならなかったり理由のひとつはここかな)


大手の会社では教育に名前を借りたリストラもある、と聞く。


こんなことを書くとせち辛いが、物事はその意図を正確につかまえないと痛い目を見る場合もある。先輩だから、会社のいうことだから、と安直に信用してはならない。最終的に頼るのは自分だけなのだから。


件の「先輩」はその後、他の支店に異動になって僕とは縁が切れた。数カ月の付き合いだったが、「こういう人間にはなりたくない」という手本をさんざんと見せていただいた。ある意味では感謝、だ。


いまどこで何をしているか分からないが、きっと同じ事をしてるんだろうな。このブログを読んでいたら面白いんだけどね。


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追記
ゴールデンウィークの旅行のアイデァがまとまりそうです。めちゃめちゃ美しい水辺があって、チベッタンがいて、標高が高くて、辛い料理が食べられるところです。

今度いけばこの国への入国は3回目かな。決まったらまたご報告いたします。

February 28, 2006 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.12.12

忘年会について考える

「忘年会が面倒でさあ、何で毎年毎年あんなのやるんだよお」と、電車の中で隣り合わせた2人組OLがぼやいていた。

金曜日の夜、まさにクライアントさんの忘年会に参加する道中での話。


僕は会社員の頃は「忘年会??絶対参加じゃねえか!当たり前だろ」って考えていた。社内行事にいくのは職業人として最低限のルールだろう、と考えていた。


だから、「ちょっと都合で」なんて社員がいたら軽くしばいて(?)いた。(一応、管理職だった時もありますので)スケジュールをなんとかするのが当然、だと思っていた。


で、その考えは今でも原則は変わっていない。

けど、僕の会社は忘年会をしない。(たぶん)


それはなぜか?


一つには回りがやっていることはなるべくやらない、という僕のスタンス。


年の瀬になると何となく世間が忘年会ムードになる。「一年の疲れを癒やし」だとか「慰労のため」だとかいうことで、繁華街が混んでくる。


けど、僕は回りと同じ事をしたくない、という欲求が強い。何回がブログにも書いたけど、皆と同じことをしているな、と考えた時に一歩立ち止まる性質がある。


確かに世の中と同じ事をしていれば無難、だ。「あっ、痛てて」ってのはきっと少ないだろう。でも、そこでふんばって回りと違う事をしてみる。僕のような鈍才にはそこしか周囲に勝てる土壌はない。だって、皆と同じ事してら、自然と競走原理が働くから、ね。


それは、仕事のやり方といった大きなことはもちろん、「昼飯の時間をずらす」だとか、「朝は早起きする」だとか小さい事にほど僕はこだわる。忘年会もその流れのひとつ。細事が大事を決定づける、と思っている。


もう一つは参加するメンバーに「面倒でさあ」とちょっとでも思われるのが嫌だから


僕は飲んだり食べたりするのって、好きな人とご機嫌な状態でするのが一番だと思っている。


そりゃ仕事をしていればお腹の痛い飲み食いもたまにはありますよ。でも、原則はうきうき、わくわくして飲んだり食べたりしないと限りある時間がもったいない。


「面倒だなあ〜」って時間をもし僕がつくりだしているとしたらこりゃ最悪だ。「会社に係わる人の幸福云々」などと会社のミッションに掲げていながら、自分が幸福を阻害しているじゃないの、って。


だったらその分は決算の賞与だとかで反映したいな、と。


そんな風に考えるです。


みんなで予定を決めて定例行事みたいに忘年会などの会合をするのではなく、「社員が普段いけないような飲み屋さんやご飯屋さんに個々でたまーにいく」という方が僕は好きだな。


高級なお寿司屋さんだとか、座っただけで何万円とかする飲み屋さんとか、そんな自分の給料ではなかなかいけない世界をたまに見る方が僕は価値があると思っている。必ず絶対、その方が記憶や経験に残るだろうし、さ。それだったら多くの場合は「ぜひ、いきたい!」ってなるでしょうし・・。(人にもよるかしら??)


そこには惰性だとか嫌いや会合に参加する、ってのはなくなると思うんだよね。どだろ??


と、そんな話をある席でしたら、「それでは社員とのコミュニケーションがとれないではないんじゃないか」みたいな話になったことがある。


でも、僕の持論は、こと社員との飲みの席にはコミュニケーション云々を持ち込まない、ということ。


だって、上司や社長が「今日はこいつとコミュニケーションをとってやろう」なんて飲みに誘ってたら気持ちが悪くないかしら?? 僕だったら嫌だね。


コミュニケーションの成立要因っていくつかあると思うけど、一番には社員から「この人(上司や社長)は信頼できるかどうか」と思ってもらえるかどうかということでしょう。


それって、日常の業務の中で形成しないで、夜の飲み食いの席でつくれるのかしら??


日頃、社長や上司としての責務をきちんと果たしていない人がいくらコミュニケーション云々だっていったってダメでしょう。


と、僕は考えるのです。


とはいえ、忘年会のシーズンはちょっとうきうきしますね。


今年はあまり予定が入ってませんけど。


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追記
でも、新年会は年の初めのゲン担ぎみたいな意味あいがあるので、やろうかしら。

それにしても、「嫌だなあ〜面倒だなあ〜」と参加する社員も可哀想ですけど、「嫌だなあ〜でも立場上やらないとな」と上司や社長が思っていたらもっとかわいそうですね。

案外とそういう立場の人って多いんじゃないかしら??

December 12, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.09.16

仕事をなめるんじゃねえ!

「仕事をなめるんじゃねえ!」

この間、僕は外部業者(デザイナー)を喫茶店で怒りました。職業人として時間のルーズさがあまりにもひどかったからです。


今回、初めて仕事をお願いする方でした。本来であれば、細かい仕事をいくつかやってもらって本格的に仕事を発注するのですが、周囲からの評判も良かったので何も考えずに仕事を発注してしまったのが過ちでした。


連絡もないまま、約束の期日がどんどんと過ぎていきます。


携帯に留守電を残しても折り返しがありません。やっと連絡がきたと思うとメールで「すみません」です。最後は、クライアントへ同行訪問する際に、約束の時間を20分以上も過ぎて、「あと5分で着きます」とのうのうと言いやられた日にはたまりません。


「お前なに考えてるんだこの野郎」と僕は激怒しました。僕がバカにされた、というより長い付き合いのクライアントをバカにされて怒れないほど僕はヤワではありませんのでね。


その後、「今後はきちんとやっていけるのか?」という話をしました。「きちんとやります」という言葉を僕は信用しました。が、ダメでした。


彼の中では正当化できる理由があるのかもしれませんが、少なくとも客観的な事実として彼は仕事から逃げてしまいました。「ちょっとギブアップです」だとかの一言もないままに、ですね。


広告業、という業態はデザイナーやライター、カメラマン、印刷会社といった外部協力業者さんの協力なしに成り立ちません。優秀な外部協力業者の存在が、企業の優劣を大きく方向づけます。だから、社内にもこう明文化して僕の考えを明確にしています。


協力業者、取引先との付合い方
下請意識を持つ事を禁止します。担当者を尊敬できるよう、Win-Winの関係を築けるよう努力します。その上で、感謝しつつも厳しい対応をします。世の中は甘い人にはいい加減な仕事をするのが常です。あそこは何もいわないからいいか、という姿勢が担当者を仕事のできない人間に育ててしまう事になります。(以下 略)

「うちはおたくに仕事を発注している」というゴーマンな姿勢は僕には考えられません。確かにお金の流れはあるのでしょうが、その分のプロとしての技術や時間をいただいている訳ですからね。発注する側と受ける側、立場は100%対等、だと思っています。


けど、適当な仕事をしたら僕は容赦せずにきちんと言います。時には「ふざけるんじゃねえ」くらいのことを言います。(それで憎まれ口を叩いて辞めていった人もいます)


ナアナアでやっていたらうちの会社が発注した仕事が、その人をダメにするからです。その人の市場価値を下げていくからです。経営者は社会的な使命を持っているのでそこまで責任を持つのは当然、だと僕は思います。(もちろん一義的には対クライアント、という観点からですけどね)


「人からガアガアいわれてまで仕事をやらなくてもいいや」という人間はそこまでなんだよな、と僕の師匠は今回の件でおっしゃいました。確かにその通りです。自分が選択した仕事をだけを、楽に、気持ちよく、自分のペースで仕事をやってさえいればガアガアいわれることもないでしょうしね。

全く話は変わりますが、昨日はお取り引き先の女性達とお寿司を食べにいきました。(銀座で2日連チャンの寿司、って たまたま偶然ですけどね)


そのうちの一人は、僕が勤め人だったころの同僚です。「大塚さんは今でこそ取引先の社長だけどさあ〜」とかいいながら、僕に忌憚のない意見をズバズバといってきます。(その人は自分の会社の社長にもバシバシ意見をいっています)


「これはいい」とか「これは違う」とかをはっきりいわれると、正直、ちとイタタタ・・ということもあります。けど、そんな痛い意見をいってもらえる存在というのは有り難いものです。


会社勤めをしていた頃であれば、社長や上司にズバズバいわれる事もあったのですが、会社を創業してからは徐々にそんなケースが減ってきます。


お取引先からズバっといわれる事もかつてはよくあったのですが、最近はお取り引き先の担当者も変わりました。僕が付合っていたのが社長や専務、だとすると、その下の世代の方が担当者になるケースが増えてきました。


すると、担当の方が僕に対して「こんな事をお願いしたい」と思っても、「ちとそれはないだろう」と思っても、中々口に出せないケースっているのが増えてくるんですね。それをひしひしと感じる時、まだ30代なかばなのに自分の可能性が狭まるみたいでちと悲しい、のです。


「配慮は絶対に必要だけど、遠慮は必要悪」これは僕の仕事の姿勢です。昨日は遠慮せずにきちっといっていただく存在の大きさを改めて思いました。


僕はまだまだイタタタタ、という意見を聞くだけの耳はもっているつもりです。お取り引き先でも協力業者さんでも、社内外の関係の方でも友人でも「あいつの仕事は最近ちとおかしい」だとかありましたらぜひ遠慮なくいってくださいね。


それはうちで働く人とて一緒、です。そんな遠慮をしない姿勢が、いい会社をつくっていくと思うのでね。


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追記 
昨日は、「女系家族」の最終回でした。米倉涼子が反撃をする姿にしびれました。


「自分の価値観で生活ができる時、人は本当の幸せを感じる事ができる」(たしかこんなセリフ)と、遺産相続に翻弄される家族を前に涙目できりりと語る姿はよかった。


「黒革の手帳」の時といい、今回といい、「米倉涼子ってプライベートで本当にこんなことやってるんじゃないか?」というリアリティがあるのが僕を共感させた原因と思います。凄い女優さんですね。

September 16, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.08.14

人の為、というまやかしについて

「私は営業には絶対の自信があります。だからこの支店にやってきました。今日からはビシビシとやります。それが皆さんの為だからです」と新任支店長が挨拶をした。僕が28歳の頃、バックパッカーの生活を辞めて住宅メーカーで営業の仕事をしていた時の話。


今までの支店長が退社をして、新しい支店長が赴任した。


支店長、といっても年齢は僕より2〜3つ上だ。何でも400人いる営業マンの中でもトップセールスで活躍をしているらしい。50支店ほどある中で営業成績は下から数えて5位には毎回入っていた僕のいた支店。テコ入れのために強力な人材が投入された、と聞いた。


挨拶もそこそこに初日から「営業の心得」みたいなレクチャーがあった。昼飯の時間をぶっつぶして延々と3時間あまり、「君らは負け癖がついている」だとか「俺が意識を変えてやる」とかいわれた。


当時、営業は僕をいれて4人くらい。正直、みなしらけていた。確かに凄い実績のある人なのだろうが、そんな人がいきなり正論を語っただけじゃ人間は動かない(というより動けない)。最初から厳しさばかり打ち出しても人はついてこれない。多くの場合、人間関係がある程度できてからでないと厳しさはマイナスになるだけだ。


上司と部下との関係でも安心感(母性)が形成されて、はじめて厳しさも、ルールの徹底も、方針を打ち出す(以上、父性)こともできるようになる。「この人だったら大丈夫だな」という安心感の土台がないと厳しさを打ち出すことは難しい。この新任支店長はそれを一っ飛びにして、いきなり組織に父性だけを注入し始めた。


とはいえ、僕はこうした父性のようなものが嫌いではない。部下に媚びないのはリーダの基本だからだ。方針や方向性を明確にできない人間より、よほどリーダーとして頼りがいがあるからだ。


けど、僕は気になった。支店長が二つ目には「厳しいこと言うようだけど、これは君らの為なんだ」と口にすることに。


朝8時から夜中の11時、12時まで毎日せきたてられるように働いた。平日は毎日「1日50面談」とうい指令で飛び込み営業をする。すると突然に携帯電話がかかってくる。「いまどこにいるんだ?住所をいえ」と。住所をいうと、「近くにある建物の名前をいえ」という。どうやら住宅地図で調べているらしい。売れない営業組織の営業マンに対しての信用度はほとんどゼロに近かった。


夕方、事務所に帰ると見込み客の所に夜訪する。行きと帰りの車中では、「数字があがってない」だとか「意識が低い」だとかと散々とやられる。そんで「俺らは売らないとだめだろう。厳しいようだけどこれは君らの為なんだ」と締めくくられる。


「君らのため」といわれても僕はそれを実感できなかった。甘ちゃんを言うかもしれないが、「君らのため」と本心から思ってるんならもっとマネジメントのスタイルは変わっているはずだ。僕は「君らのため」がまやかしで、欺瞞で、うそっぽく思えてきた。


「人の為、と書いて偽りと読む」と聞いたことがある。


僕は「君のために僕はいってるんだ」だとかを殊の外口にする人をあまり信用しない。だいたいそんなものはメッセージの受け取り手である「君」が「俺のためにいっているかどうか」を感じるものだろう。本物は「君のため」などとは軽々しく口にしない、と僕は考える。


だいたい、「君のため」といった時点でどうしても考え方の押しつけになってしまうではないか。押しつけられた考え方が嫌であっても、違うなと思っても、「君のため」とやられると僕らは弱い。これって精神的なセクハラではないか??


僕は幾多のメッセージをブログ訴えている。僕の書くことは理想論だとかプチ哲学ばかりなのでともすると読み手に押しつけをしている、と読めるかもしれない。けど、それは本意ではない。僕の志向したいのは「僕はこう考えるけど、みなさんだったらどうだろうか?」だ。だから、批判、罵詈雑言、中傷は大歓迎、だ。その中から新しい考え方が生まれるから、だ。


僕は社員に対してもメッセージ的なことをいうことがある。でも、その中のどれひとつとったって「君のためにこれをいっている」なーんてのはない。「僕はこう考えるけど、もしその考えがよければ共感してもらえればいいし、悪ければ反発してくれ」という考え方だ。そんなやりとりの中から所属する人の成長を促す組織は誕生していく、と思う。


「あなたの為を思って」だとか「社長のためなんです」だとかの言葉を軽々しく口にするヤツには気をつけよう。善意の仮面をかぶって自分の考えを押しつけるようなやっかいもの、の可能性は大きいと僕は思う。

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追記 
この支店長とは3ヶ月付き合って僕が退社をしました。退社を口にすると「そりゃ困ったな〜本部の手前、新しい人をいれるまでいてよ」の言葉。「君のため」がまやかしだと思った僕の感性は間違っていなかった、と思った瞬間でした。

August 14, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.13

人間にとっての才能をかんがえる

人と逢っても、本を読んでも、写真集を見ても、BARで飲んでも、映画を見ても、音楽を聞いても、建物を見ても、イベントに行っても・・・悔しいくらい、世界中に「スゴイヒト」「スゴイサクヒン」は溢れている。


「こりゃ、すげえや!」とココロが震えるとき、俺は98%の感動の後、2%のツバを吐く。「オレも絶対に負けねぇぞ」そのツバの中に、明日の俺がいるから。(
高橋歩『LOVE&FREE』サンクチュアリ出版より)


僕は旅をしながら新聞記者の試験を受けていた。その時、前職でおつき合いのあった富山県にある塗装会社の社長から手紙が来た。「東京で一度飯を食わないか」と。

当時、僕は旅をしながら電気工事のアルバイトをして新聞記者になるための勉強をしていた。(旅の魅力にはまってしまい、あまり真面目にはしてなかったが・・)会社を辞めて1年くらいが経過していたが、今後をどうしていいかが分からない、そんなタイミングだった。


新宿のワシントンホテルでしゃぶしゃぶを食べながらお互いの近況を語った。この社長はベンチャー企業の雄として富山県ではかなり有名な方だ。僕はちょっとその迫力に押されぎみ(?)、だった。


僕の現在の話を一通り聞くと社長は語った。「君はね、一言でいうと天才を見てないんだよ」と。きょとんとする僕に社長は続けた。「頑張れば何でもできる、というのはある意味真実かもしれない。けど、自分が勝負できる分野で頑張らないと、努力は報われないだろう」といわれた。


「新聞記者になりたい、と思っている人間の中にはとてつもなく文章力のある奴がいたり、小説家と文学論を論じる事ができる人間がゴロゴロしてるんだ。そんな中で勝負しよう、と思ってるなんて俺にはよほどのバカかとしか思えない。そんなんは、天才を見てないから甘い夢を見れるんだよ」と手厳しかった。


今思えば確かにそうだ。僕は子供の頃からまともな本を読んだ事が記憶にない。国語の感想文も「まんが日本の歴史」で義務教育の9年間を通した男だ。高校でも勉強をした記憶が一切ない。それで一念発起して大学に入ったのだが、大学に入学してからは運動ばかりの生活だった。3年くらいから余裕がでてきて勉強をやったが、それとて「運動をしている学生にしては勉強した」程度のことだ。そんなんで、文章を書く事が好きで好きでたまらなかった奴らだとかと一緒に勝負ができる訳がない。


けど、当時の僕は信念を持っていた。「努力は才能に勝る」ということを。これって僕のように格闘技が好きだった子供が小さい頃に刷り込まれた価値観なんだ。努力をした人間が才能ある人間より強くなる、というのは。(当時のスポコン漫画には一様に主人公のセンスや才能、という視点がなかった。子供が読む漫画だから当たり前といえばあたりまえか)


でも、そんな話は社長に通用しなかった。


「じゃ、毎日10時間文章を書きつづける努力をしてみるといい。数日間は努力できるだろうけど、きっと長く続かないだろう。でもな、1日10時間文章を書く事が、さほど苦もなくできる人間がいるんだよ。それが才能のあるやつなんだ。そんな奴と戦ったって勝ち目は見えてるだろう。格闘技のトレーニングだって毎日のランニングを当然のこととしてやるやつと、頑張らないとできない奴がいるだろう。それと同じだよ」と。


僕は「なんてきっついことをいう社長だろう」と思った。「へえ〜そんな夢もってるんだったらがんばりゃいいじゃん」とでもいってくれよ、と思った。僕は半分怒り任せてこういった。「じゃ、僕の才能って新聞記者とは違うどこかにあるんですかね」と。社長はいった「ある。俺の会社にくればそれは分かる」と。


社長の会社では新しく新規事業を始めるという。その仕事をぜひやらないか、という話になった。「これってもしかして人生の転機?」と思ったが、僕は丁重にお断りをした。「もうしばらくモラトリアムでいたい」と。社長の「才能論」(?)へのせめてもの反抗だったかもしれない。


あれから8年が経過した。今の僕は「人間には越えられない才能」のようなものがあって、それを素直に認める事が大事だと思っている。いつしか社長の考え方といっしょになってしまった。


考えてみるといい、会社をつくって大きく展開する人もいれば潰す人もいる。それって単に努力や時の運だけではないのではなかろうか?プロ野球の選手などと一緒で、経営者としての才能があるかないか、が大きく影響しているのではないか、と思うのだ。


経営者が「経営者としての才能」を持っているか否かが会社の盛衰を握っている、と僕は素直に思う。


でもその才能ってのは客観的に測定することなどができない。だから、結局は本人の主観にしかすぎなくなる。「俺ってこれをやるとちょっとがんばれるかも」をきちんと認めてやって、自信を持てるようになるまで才能の芽を育ててやることが大事だと思う。そうすりゃそのうち「俺ってこれに才能がある」と思えるようになるだろう。才能なんて自己満足でいいのだ。


僕は人間には誰しも一つは才能がある分野があると考えている。会社という組織は自らの才能を発見できる組織でないといけないとも思っている。才能はある日突然に気がつくものではなくて、自分に問い掛けをしないと見つからないもの、とも思う。


僕は少なくとも新聞記者になったり芸術家になったりする才能はない、と言い切れる。けど、そんな才能を持っている人をうらやましく思ったり、負けないぞ、と思ったりはする。写真家・小林紀晴の書いた旅の本を海外で読んだ時には「すげえやこいつ!」と半分は尊敬をし、半分は嫉妬をした。


でも彼が僕の才能がある分野にきたら徹底的にやっつけてやる(?)自信がある。だから、何という事はないんだけどね。別に才能に勝ち負けはないし。(それだけ嫉妬している、ということかしらん?)


僕の才能は一体何か??


僕を知っている方はみなさんが想像してください。「俺はこれに才能がある」とは、ともすると傲慢に聞こえてしまうので。僕を直接知らない方も本ブログからでも想像してください。


人からどう思われようが、僕は確実に一つの才能を持っている、と思い込んでいます。それに気がついたのは、新聞記者に挑戦したり、税理士試験に挑戦したり、住宅メーカーで営業の仕事をしたり、英語を勉強したり、いくつかの会社づとめをしたり、と僕の才能が発揮されない(されにくい)フィールドをいくつも渡り歩いてきたからかもしれない、と思うのです。


手数さえ出していればいつかは才能には巡り合える、と僕は考えています。所詮、才能なんてのはあくまで主観的で、自己満足なものですからね。


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追記 今日からお盆休みです。会社は16日まで休みですが、なんだかもろもろ予定が入っています。ヒトラーの映画はぜひ見ようと思ってます。


August 13, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (5) | TrackBack (1)

2005.08.12

1ヶ月の連続休暇がとれる会社

「1年のうち半年はいってきた旅行の事で盛り上がり
 残りの半年は、こんどいく旅行の事で盛り上がる」


ドイツ人の国民性をそう表現した人がいた。


実際、僕が旅していた時は長期旅行者はドイツ人、イスラエル人、日本人が多かったような気がする。(意外なことにアメリカ人は少なかった。これは、アメリカ人と名乗る事の不利益を受けないために国籍を偽ってるため、と聞いたが真意は定かではない)

イスラエル人長期旅行者の多くは徴兵の前後に海外に出る、と聞いた。だので、彼(女)らは自由奔放、豪放磊落だ。「俺らこれから徴兵だしい〜」といっているかのごとく勝手気侭に旅をする(僕は何回も彼らに嫌な思いをさせられた。きっと多くの旅行者もそうだと思うが・・)


日本人の多くは会社を辞めて長期旅行にでてきている。「帰ったらどうしようか」という悲愴感が漂ってたり、「帰国するまでのモラトリアム、執行猶予期間」と思ってたり、「僕らしょせん社会から現実逃避してますから」みたいな開き直りをしている人がいたりする。学生時代に長期旅行をする人は賢い、帰ったら自分が帰るべき社会のルートはまだ残っているのだから。


で、ドイツ人。彼らは会社に勤めながら1ヶ月とか2ヶ月とか長期の休みをとって海外にでてきている。「そんなに長い休みがとれるのはいいなあ〜」とあるドイツ人バックパッカーに話したら、「休みがとれなきゃ旅行にいけないじゃないか!だったらなぜ働いてるんだよ!?」といわれた。確かにそうなんだけど、それが適わない国で生まれたから僕らは会社を辞めて長期旅行に出向かざるを得ないのだ。


中国の奥地で某百貨店に勤めている日本人と知り合った。何でも「会社に勤めているが、1ヶ月の休みをとって旅に出てきている」とのこと。「仕事はあまり好きではないけど、この制度があるからいるようなものなんです」と語った彼は、1都市1週間滞在で社会人になってから30程の都市を訪れたのだという。


会社員としての雇用が保証されて、年に1度の長期休暇がとれるなんてなんて素晴らしいのだろう、と僕は思った。


旅をする生活から足を洗って、当座の金を稼ぐために仕事を探した時、僕はそんな会社がないかを真剣に探した。


「社長がバックパッカーで、旅をするということにすご-く理解があって、休みの前後はめちゃめちゃ働かないといけない。けど、長期の休みがきちんととれるような会社」-そんな会社だったらそこそこの給料でもいいなあ〜と思ったが、そんな会社はみつけられなかった。


で、現在。僕はそんな会社をつくりたい、と考えている。


僕の中では旅は充電ではなくて、放電だ。仕事をしていると気づかないうちにいろんな脂肪がまとわりついている。考えなくてもいいことを考えていたり、物事を素直に見えなくなったりしている。そのままの生活を続けると「心筋梗塞」だとかになる。頭が硬くて、時代の流れについていけない職業人になってしまう。


もちろん、それって自分が戒めてればいいんだけど、なかなか日々の仕事が流れる中で立ち止まって自分を振り返るのは難しい。とりあえず日常と離れて、放電を行うことが効果的だ。(僕の場合はそれが「旅」という手段だが、ひとそれぞれの手段でやればいい)


で、そんな会社になるにあたり、まずは社員の誰もが休んでも会社がとまらないようなシステム化を図るのが大切だ。個人が仕事を抱えるのではなく、会社として仕事をこなしていく体制づくりだ。


僕らのストレスを分析すると「これって俺がいないとダメだな」とか「私がいないと業務が回らない」いう精神状況に起因するものが多い、と僕は思っている。(そんな精神状態が「仕事のやりがい」みたいなものに結びついているのだから仕方ないんだけどね。)


でも僕は思うのだ。「俺がいなかったらダメだ」といっている人の仕事の多くは余人をもって変える事ができる、と。それは僕ら会社の代表の仕事でさえそうだ。


昔から付き合いのあるお客さまなど特異な例はあるが、ほとんどの仕事はきちんと、正しく、仕事の引き継ぎさえすればある程度はこなしていけるだろう。(もちろん、そのパフォーマンスの違いはありますけどね)


きとんと仕事の引き継ぎができて、自分以外にも自分の仕事を行ってもらえる人がいる組織。そんな会社組織であれば、長期の休暇をとって旅にでることも全く可能だ。きっとそんな組織にはキラ星のごとき人材が集まってくる、と思う。


まずはテストケースとして僕が海外にでられるような体制を創る、これが僕の当座の目標、かな。


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追記 昨日は大阪市内に泊まりましたが、とにかくホテルに韓国の人が多いですね。聞くところによると、今では韓国人バックパッカーもかなり多い、とか。ちなみに、世界で一番使えるパスポート(いろんな国にいける)は韓国、だとか聞いたことがあります。真偽はどうかわかりませんけどね。

August 12, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.08.10

同じ時代を生きられる偶然

チベット亡命政権があるインドのダラムサラにいった時のこと。


僕は1人のチベット人女性と知り合った。デリーからバスで到着して3日あまり、宿泊していた宿がどーしても寒くて「どこか安い宿知らないですか??」と古本屋で声をかけたのがきっかけだった。


当時、僕はチベット人の民族衣装を着て旅行をしていた。それが珍しかったのだろう、「チベットはどうだったか?」だとか「これからどこ行くのか?」と話が盛り上がった。

Scan

これはチベットとネパールの国境付近
この服は大のおきにだったが、首飾りはレディースものだったと後で判明した

「せっかく旅行に来てるんだったら街を案内するわ」といってもらったので僕は善意に甘える事にした。彼女の卒業した学校に連れていってもらったり、自宅でお母さんからトゥクパ(チベット料理)をご馳走になったり、チベット仏教館みたいなとことに連れていってもらった。また、チベットの歴史やチベット難民の現状について教えてもらった。

Scan
インドなのにダラムサラは寒かった
お風呂はバケツ1杯のお湯 だからずっと体調が悪かった
大変お世話になったナムギルさん


彼女は学生で帰省をするためにダラムサラに帰っている所だった。「明日には学校に帰らないと」ということだったので最後の晩餐をした。2日ほどではあったけど、とても楽しく有意義な時間だった。


チベットの料理を食べながらいろいろと話をした。そんな中で彼女がふと口にした、「同じ時代を生きられる偶然だとか運命、幸せってあると思うの」と。


僕は英語が達者ではないのだが、確かにこんなことをいっていた。別段、真剣な話をしていた訳ではなくて、会話の中でサラっと流れてしまうような一言だったが、僕はこのフレーズがやけに気に入った。


以来、「同じ時代を生きられる偶然」というのをかみしめて人と接したいなあ、と思った。


有史以来、いくたの人間が誕生したのかは僕は知らない。ただ、僕は何ゆえか今この時代に生を受けた。


まずは考える。戦国時代でもなくて、幕末でもなくて、昭和の初めでもなくて、今の時代に生を受けた偶然の不思議さを。


そして思う。僕がおつき合いしている皆さんも何の因果か、この時代に生を受けている不思議さを。で、更に思う、それぞれ異なる環境の二つの人生がシンクロした偶然を。


「地球64億人の1位」と世界陸上が連日熱い戦いが繰り広げられているが、考えても凄いではないか、同じ時代に生を受けているのが64億人いる中で互いの人生がシンクロするごく僅かの確率なんて。


「周りにいる人と同じ時代を生きられる偶然に感謝をする」ということを僕はそのチベット女性に教えてもらったような気がした。


日本には5百万近くの会社が存在する。その中でたまたま同じ会社に所属し、同じ時代を生きられる偶然。日本では年間に5兆円に近い広告費が使われる。その中でたまたまうちの会社とご縁をいただいた偶然。


まずは、そんな同じ時代を生きられる偶然とご縁をいただいている事に感謝したい。


その上で、僕は考える。いずれ僕らは引退をする時がやってくる。若い世代から引導を渡される時がやってくる。そんな時に「俺らが生きてきた時代はこうだったな」と同じ時代を生きてきた同志が一人でも多くいるのなら幸せな人生だろうな、と。


人それぞれ、生きる道は違うし、手段も当然違う。成功するとかしないとかのアウトプットも違ってくるだろう。でも、そんなのヌキにして「俺らって同じ時代を生きてきて相応におもろかったよな」「ちょっと同じ時代をいきてきた同志が亡くなって残念だな」と自身の葬式で参列した同志に言ってもらえれば最高だ、と僕は思うのだ。


昨日は飲みに出てちとそんな話をしたものだから、今朝のブログネタとしてみました。今日は夕方から関西です!


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追記 
インドのダラムサラではダライラマ猊下に謁見ができました。天候は悪く、衛生状況も今一つであまり居心地のいい町ではなかったですけど、謁見してそんな思いはすべてふっとびました。「もう旅行はしなくてもいいかな」と思ったのもこの町でです。

August 10, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.09

職業人としての耐力

「運動部の学生はどっちかなんだよな。使えるか、使えないか。運動の体力と仕事の体力は違うからな」


大学4年生のある日、就職活動で訪れた新橋にある某企業で30すぎの担当者に言われた。勉強せずに運動ばかりしていたのが僕の大学時代だ。その言葉は僕のアイデンティティにも関係してくる。「何を!!」と僕は反発した、「誰がこんな会社きてやるか!」と。

それから2年、僕は富山県のある建設業者に営業をかけていた。そこで、バリバリの体育会出身と思われる社長からこんな言葉をいただいた。


「ホワイトカラーに必要なのは『体力』よりも『耐力』。仕事に関係ある本を徹夜で読んだり、企画書を書くために妥協せずに調べあげるのが『耐力』。仕事は面白くやるのが一番だが、修行中の君たちには『耐力』を使う仕事が多く与えられる。もちろん『体力』も必要だけど、『耐力』も意識的に養わないとね」と。


この言葉は僕にとてつもない衝撃を与えた。


僕は思っていた。「大学時代にあんだけ元気だった体育会の学生が、仕事をするとごく普通になってしまうので何でなんだろう??」と。「学生時代にあれだけ忌み嫌っていた(?)「一般的な学生」と変わらなくなるのはなぜなんだろう?」と。(もちろん人によりけりですけどね)


その鍵は、社会人になってから本格的にスタートする「耐力」の鍛え方にあるのではないか、と。なまじ体力があるだけに過信をしてしまうのではないか、と。


先述の社長は、耐力をつける手段として、「本をよむこと」と「仕事の数をこなすこと」が大事だとおっしゃった。それはスポーツ選手が筋力トレーニングをするがごとく、ごく当たり毎日コツコツとやっていかないといけない、とも言われた。そんな中から仕事をする筋肉のようなものがつくられる、とも。


僕は2年くらい前からジムにいくようにしてる。不摂生で体重が増え始めたこと、目の下のクマがとれず不健康な顔色になっていたこと、などだからだ。経営者の健康は最大の経営資源だ、と考えるとこれは仕事をする以上に大事なことだと考え方をシフトした。


体力不足は「最近、体がなまってるな」だとか「寝起きがしんどいな」だとかと具体的に認識できるからまだいい。けど、耐力不足はなかなか自覚しにくいのでやっかいだ。


特に、部下や後輩ができていくと雑務をこなすことが少なくなっていったりする。仕事を後輩に任せたりできるようになる。何となく仕事のテクニックみたいなものを身につけていくので、形をとりつくろうことができるようになったりする。お付き合いの飲み会などが増えていって仕事の絶対量が減ってきたりする。その結果として「耐力」はだんだんと落ちていく。若い頃に培った「耐力」のストックはそうそう無限に貯蔵されている訳ではない。「体力」と同様、鍛え続けないと。


先日、このブログが縁である若い人(20代中盤 ♂)と会うことになった。「会社を創りたい」という意欲にみちていて、非常に好感の持てる方だった。今は会社に勤めていて、あと2〜3年のうちに何かしらをしたい、のだという。「いったいそれまでに何をしたらいいのか?」と言われたので、「本を読むこと、早起きして仕事すること、土日に連休をとらないこと」と話をした。


「将来は人と違う何かをしたい。けど、何をしたらいいのか分からない」と漠然と思ってる人は多いだろう。目標や夢がいまいちあやふやだから何をしていいのか分からない、というのもよく分かる。だからといって何も行動をしないのであれば、心もとない。夢や目標なんてぽっと現れるものではない。時間と労力を使って、自分の中から掘り起こすものだ。


そんな時は、「耐力」をつけるためのトレーニングをいまのうちにしておこう。そのためには、たんたんと数多くの仕事をこなすことだ。本を読むことだ。


10年前とは比べものにならないくらい忙しい時代だ。「土、日曜日くらい休んでもいいでは」とも思わないでもない。けど、僕は職業人として一流のイチローや松井が週休2日だとは到底思えない。「人と違う何かをしたい」という熱い思いを持つのであれば彼らの何十分の一かでも努力(この言葉は嫌いですけどね)をしていくくらいの覚悟はごく当然のことだ。


かくいう僕はここ最近、体力は確実に復活をした。2時間スタジオで動いていても全く問題がない。では、肝心の「耐力」は・・・これは難しい。僕は比較的他人から強制をされない環境で仕事をしている。これはともすると易きに流れていってしまうおっかない仕事環境だ。せめて、毎日ブログを書いて職業人としての基礎トレーニングだけは欠かさないようにしよう、と思っているのだが。


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追記  最近、韓国の方に道を尋ねられます。髪を短くしたので、韓国人っぽいのでしょうね。

August 9, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.08

信じられる会社・信じられない会社

ついにこのブログも半年目に突入した。記事数もまもなく100本に突入する。


そもそものきっかけは、「ブログメディアに取り残されないようにしないと」と職業的な思惑で書き始めたのだが、これが書いてみるとなかなか面白い。


最初はごくごく近い人に「ブログを書き始めました」と、メールを送る際に一言添えた所からPRをはじめた。次に、ブログのアドレスが入った名刺を200枚つくってみた。大学時代の仲間に、スポーツクラブで一緒になった人に、銀座や新地など飲みにいった先などなど、仕事のお客さまとは遠い所から名刺を撒いていった。

すると序々にだが、アクセスが増えてきた。それとともにいろんな動きがあった。


昨日は2時まで飲んでいた??ってうちの店には全然こないじゃない」と縁ある飲み屋さんのママさんから。「えっ!YUKIのファンだったんですね。全く知らなかった」と昔の旅仲間から。「格闘技やってたのは知ってたけど・・かなりおたくとみましたよ」と同業者から。「知り合いに起業したいという若い人がいるけどぜひ会ってもらえないか」と昔からの友人から。「田坂先生のファンなんですね。うちの会社の顧問なんですよお〜」とスポーツクラブで一緒の女性から、その他にもモロモロ・・、と。


お客さまには「きちんと更新が続いたら教えよう」と、あまりPRをしていなかったのだが、最近では会社のHPからリンクを貼ったので相応にアクセスがあるようだ。プリントアウトした僕のブログを前に「社員に読むように、といっています」といわれた時は嬉しかった。


時代の価値観は「良い・悪い」「好き・嫌い」を越えて、「信じる、信じない」の段階に入ってきた
CSR(企業の社会的責任)などが問われ始めてきたのは、信じられる企業の選択が始まった証拠だろう

とマーケッター・谷口正和先生が最新著書(『オンリーワンのつくり方』講談社)で書いている。


それは一種の「布教活動」のようなものであるという。お客さまに信じていただくためには、自分の情報開示をするしかない。当社はこんなことに関心があって、こんな事を考えていて、こんな美意識を持っている、ということを主張しないとこれからの時代「信じる・信じない」の土俵で戦うことができなくなっていく、と僕なりに解釈をした。


ブログはそんな時代にとっても適したメディアだ。


僕が事業を行っている広告業界は、ともすると分かりにくい業界だ。外部から見ると、価格が不透明だったり、事業のしくみが分かりづらかったりとする、と思う。そんな中でいままでは「良い広告会社」「悪い広告会社」という選択がお客さまの選択基準の一つだった。出版社に対して交渉力や人脈があったり、企業規模が大きいということが力だった。


けど、これからは「信じられる広告会社」「信じられない広告会社」という選択要素がどんどんと強くなっていくだろう。「私は騙されたくはない」という欲求は今の時代非常に強い。「たとえ価格が高くなっても、信じられる所と取引したい」と思う方も案外と多い。だから、信じられる会社にお客さまや情報が集まってくるのはごくごく当然の流れだ。


では、僕らはどのようにして信じられる会社になっていくのか?それはブログを書くのが第一だ。「信じてください」とやるのではなく、自らの美意識や哲学をたんたんと打ち出しさえすればよい。それらに共感した人にとっては「信じられる会社」として認められることだろう、と僕は思うし実感覚として感じている。


半年経過して、記事もそこそこたまってきたので僕はブログを一般にPRしていくことにした。そんな中から僕の将来を変えるような出合いができればいいなあ〜などと思いつつ。


まずは、ブログマーケティングの定番である「人気ブログランキング」からはじめる。毎日、ブログの最後に
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とあるので、「へえ〜なるほど」と思ったり「ばかなこというなよ」と思ったりしたら、ぜひともクリックしていただきたい(1台のPCから1日1回です。もちろん無料!)。クリック数によって「人気ブログ」として順位があがっていくという仕組みだ。


いままで読者の多くは顔の見える方ばかり(多分、そうだと思うけど)だったと思うのだが、これからは一般ブログマーケットでもやっていけるよう進化していきたいと思ってます。


ぜぜひ、協力をお願いしますね。

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追記 これからはブログ立ち上げを仕事のメニューにいれていこうと考えています。個人経営者、社長のキャラが大切な業界、値段設定の高い業界はブログは必須です。そのうち、動画配信できるようなブログができたりしたら、個人がメディアを持てる訳ですからね。

August 8, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.08.06

仕事で「てんぱる」!その前に

「お前どこで何しとん??こっちはみな月末でてんぱってるんだよ!」


雑誌の入稿締めきりが近くなると本社にいる上司から電話がかかってくる。趣旨は良く分からないのだが、とにかく「バタバタ」で「てんぱって」いて、「ひっちゃかめっちゃか」なのだという。


要するに「お前も仕事をとってこい!」「こっちはこんだけやってるんだ!!」ということをいいたいらしい。僕が今の会社をつくる前にお世話になっていた会社での話だ。

この上司は、こと「仕事をとってくる」ということにかけては天性の才能がある方だった。第一印象で与える好感度、広告のプロとして自信満々な語りぶり、「社長助けて下さいよ〜」と卑屈になりすぎずにお願いする姿勢、「調子はいいけど憎めないし実力もある」と思っていたクライアントは多かったはずだ。


僕より5歳ほど上でしかなかったのだが、「こと、仕事をとってくることにかけては絶対に勝てないな」と思った。とにかく、面倒見もよくて学ぶことの多い上司だった。(今ではいろいろとありご縁がないのだが、大変に感謝しています。)


けど、僕には一つだけ違和感があった。それは、上司が「てんぱる」を多用することだった。


「てんぱる」という言葉にどれだけの普遍性があるか分からないが、僕らの周りでは普通に使われる。「てんぱっていて、手をつけられなかった」だとか「すみません、てんぱってまして」など、目一杯で頭が混乱している状況を表すのに使われている。


もともとは、麻雀の「テンパイ」からきたらしい。いつでも上がれる、という状態が転じて、あと少しでどうしようもなくなる、という意味だそうだ。


僕は人間にとって言葉のマネジメントはとても重要だと考えている。「暑い」「寒い」「忙しい」「疲れた」「時間がない」「だるい」「面倒だ」などといった否定的な言葉を、他人との会話の中で何気なく使わない、というのはより良く生きる上での投資効果がめちゃめちゃ高い、と考えている。


もちろん、「今日は暑かったねえ〜」だとか「疲れたでしょう」と他人に語ることはごくごく普通にしている。「否定的な言葉を使わない」ということではなくて、こと自分に対して向ける言葉としてこれらの言葉は絶対に使わないということが大切だ。(僕は多分つかってない、と思うのだが・・へこんだ時には無意識につかっているか??)


「てんぱる」もそんな言葉のひとつだ。確かに、膨大な仕事を目の前にして「こりゃやばいな」という状況は働いていればあるかもしれない。僕もかつては、誰もいない夜中の会社でロッカーを蹴っとばしたりしていた。創業時は「てんぱる」という状況はごくごく自然のことだった。


けど、「てんぱる」ってあまり格好のよくない言葉で自分の可能性が狭くなるのがとても嫌だった。「僕はてんぱってまして」というのは「僕はこんなことしかできないんです。助けてくださいね」といっているみたいでとても嫌だった。


だから仕事ができて、尊敬もしていた上司がごくごく何気なく「てんぱる」を使うのにとても違和感があったのだ。


「てんぱる」を口にする前に考えよう。「そもそもやることが多い」のか「自分にそれらをやるだけの力がない」のか、を。


仕事の多くは「時間をかける」「お金をかける」「人手をかりる」、それさえできれば何となしに課題は消えてしまうものだ。てんぱる、を口にする前に「それらの手段がとれないか」を考えよう。


けど、人により働く環境はまちまちだ。これらの手段がとれない、という職場もあるだろう。で、あれば1時間くらいぼーっとしよう。しょせん「てんぱった」状態で仕事してもまともな仕事はできまい。仕事をさぼって喫茶店にでもいって、頭をリセットしよう。


それでもだめなら「俺はてんぱってるな、なーんてね」とでも言っておこう。その言葉を口にした時点で、「てんぱっている自分」から「てんぱっている自分をみている自分」に立ち位置が変わってくるはずだ。


それでもだめなら、ごくごく控えめに、万感?の思いをもって「てんぱってる」を口にしよう。


「お前のブログは世話焼きじいさんだ」と15年来の友人からメールをもらった。確かに、そうかもしれない。「てんぱる」なんて言葉云々を語るのをテーマにして、「こうしよう」「ああしよう」といっているなんてなんて世話焼きだ、と僕も思う。


でも僕は「ひとはそれぞれでしょ」って今の社会が持つ文化が嫌いだ。「僕はこう考える」という個人のぶつかりあいが、他人と一緒に生きる、ということだと思うのだ。だから、世話焼きよろしくこれからもいろいろと書いていく。


「『てんぱる』だとか、『だるい』なんて言葉一つで何が変わるのよ」と思われる人は、例えば「お父さん(お母さん)忙しくてね、てんぱってるのよ」といい続けて子供を育てて欲しい。120%まっとうに子供は育たないだろう。


ぜひとも会う人ごとに「最近、だるくてねえ〜」だとか「疲れたわあ〜」をいい続けて欲しい。友人は確実に減っていき、誰にも干渉されない老後を送る事ができるだろう。


日本は言霊文化の国だ。ささいな言葉の持つ力をあなどってはならない。


追記 
この上司と働いていた頃は、毎日3時〜4時ごろまで飲んでました。毎日、何を話していたのか覚えてませんが、きっとその時のさまざまなやりとりが会社をやる上で役にたっているんでしょう。今週は月曜日からよく飲みました。週末は肝臓を休めます。

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August 6, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.08.03

元旅人の将来設計

「大塚君ちは海外ばっかいってていいねえ〜」と妻に嫌味をいわれるんだ、と僕の友人にいわれた。


僕の個人向けの年賀状は「あそこにいった!ここにいく!」みたいなことばかり書いている。だから年柄年中どこかにいっている、と思われるみたいだ。最近はこのブログもそれに拍車をかけている。

今ぐらいの時期になると「夏はどこにいくの?」と必ず聞かれる。それも、「海外に行くの?」というよりは「どの国にいくのか?」というニュアンスで聞かれる事が多い。


けど、皆が思っているほどしょっちゅう海外にいっている訳ではない。ここ数年の海外訪問国を振り返ってみたがこんなもんだ。

2003 
バンコク(タイ)、カサブランカ他(モロッコ)、アムステルダム(オランダ)、セブ(フィリピン)

2004 
福健省(中国)、ミュンヘン(ドイツ)、ザルツブルグ(オーストリア)

2005
ソウル(韓国)、デンバー(アメリカ)


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中国 福建省の客家円楼

これが多いのか少ないのかは人により評価が分かれるだろう。「年に2回は海外??おいおいいい暮らししてるなあ〜」と思われる方もいるかもしれない。


けど、我が家には自家用車がない(バイクも売ったので、自転車が2台しかない)し、家も賃貸で住宅ローンがない。洋服を買う事も少ないし、時計や鞄などもあまりこだわりがない。子供もいないので教育費はかからないし、ギャンブルの類いは一切しない。


だから、旅行くらいには(あとは食べること!)お金を注ぎ込んでもバチはあたらない、というのが僕の家の考え方だ。その旅行も、安宿にとまったりするから安くあがるし・・(新婚旅行で空港野宿がスケジュールに組み込まれてたりする)

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カサブランカ(モロッコ)の空港で野宿する我が妻
空調がほどよくて寝心地は抜群!


僕には将来、夢がある。海外を旅行しながら仕事が回っていく仕組みをつくることだ。


インターネット回線を通じて週に2回は日本の会社と会議を行いながら僕は旅をする。パキスタンから、イースター島から、シリアから、僕は会議に参加する。例えば、東京で夜の7時は、アメリカで朝の4時。と、いうことは僕が海外できちんと仕事をするのなら、うちの会社は常になにかしら動いている会社になる。これは凄い事だ。


それで、海外に1ヶ月でもいって帰国する。社員は社長がいないのだから自発的に仕事をして成長を遂げている。僕は海外で得てきたことをネタに新しいことを考えつく。それをお客さまに伝えていく・・どこをどうとっても最強のビジネスプラン(?)だ。


そんなことを創業時に考えて早5年近く。序々にではあるが、基盤は築けてきたかもしれない。いつかこのブログに【サンパウロ発】だとか【ナイロビ発】だとかが載ることを夢見て・・

と最近、硬いテーマが続いたので、今日はやわらか系のネタでした。【東京/飯田橋発】


追記
今年の夏はどこにもいきません。スポーツクラブとゴルフの練習と読書と部屋の片づけ、あとはお墓参りでしょうかね。カザフスタン、イエメン、インド・・行きたいところはいろいろあるんですが今年はおとなしくしようと思ってます。


August 3, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.02

カリスマのマネジメント

「猪木はジャーマンスープレックスはもう、やれないだろう!」


時は1984年の今日、8月2日。当時、所属していた新座第四中学校野球部は大のプロレスファンの集まりだった。「アントニオ猪木VS長州力」が遂に遺恨の戦いに終止符を打つ、ということで僕らは友人宅に集まった。


当時のプロレスファンは、「全日派」と「新日派」に二分された。明るく楽しいプロレスを標榜するジャイアント馬場率いる「全日本」と、ストロングスタイルを標榜し、プロレスは格闘技最強を標榜するアントニオ猪木率いる「新日本」と。

全日派と新日派とが、お互いの視点でプロレスを見て、語る。現在みたいに、団体が無数に存在するプロレス乱世の時代ではない。カラーが明確な巨大2団体が微妙なバランスをとって存在している、今思えばいい時代だった。


僕は、大の「新日派」だった。けど、その頃の猪木さんのファイトには精彩を欠く試合が多かった。だから、冒頭の「全日派」の一言は大きかった。


プロレスの大技、ジャーマンスープレックスホールド(原爆固め)は相応の負担が体にかかる。かつての猪木さんはたびたびこのワザを使っていたが、少なくとも大舞台で3年はこのワザを封印をしていた。


「猪木はジャーマンをできるか?」は僕ら「新日派」の大きな関心事だった。僕は「大丈夫だ!これ、という一番で必ず炸裂する」と主張していたが、実際は心もとなかった。


その瞬間だ、長州の背後に回った猪木さんが綺麗な弧を描いた。「ジャーマンスープレックス〜!!」古館アナウンサーが絶叫する。マットに叩き付けられる長州、スローモーションのようにパーフェクトな形で原爆固めが決まった。僕は生涯、この日の感動を忘れられない。


カリスマ性のある人、というのがいる。超人的な力、教祖的な指導力を発揮する能力を備えた存在だ。そういう意味では、アントニオ猪木さんは稀代のカリスマだった。


僕らは猪木信者だったし、猪木教の信奉者だった。「諦めたらなにもはじまらない」だとか「物乞いになるなら、世界一の物乞いになれ」だとかいうメッセージに僕は大きな影響を受けた。強くなれば、猪木さんみたいになれる、と僕は単純に思って格闘技に目覚めた。


あれから、20年あまりが経った。猪木さんが「イチ、ニー、サン、ダー」を始めたころから軸がぶれてきた、と僕は感じている。それと同時に僕もプロレスを見なくなった。見るのが辛くなった、といってもいいかもしれない。猪木さんはいまでも精力的に活動を続けて、格闘技界のフィクサーみたいな存在になっているらしいが、あまり関心はない。


別段、「古きよきプロレスを懐かしむ」という懐古主義でもないのだが・・・。でも、l僕は今でも猪木さんが好きだ。けど、その多くは子供の頃にもらった感動や興奮、驚きなどの貯金のような気がしている。(そう考えると、膨大な貯金をもらっているなあ〜)


カリスマ、というのはその存在が強すぎるがゆえに、晩節のマネジメントが難しい。僕の近くにもカリスマ的な指導者がたくさんいらっしゃるが、勢いのある時は爆発的なパワーを発揮している。次々と手をうって、トップマネジメントで全て自分で決済をしていく。


けど、勢いが衰えた時、自分が一線を引こうとした時が難しい。自分の存在が強いがゆえに、No.2以下の人材が育っていなかったり、「俺が出なければ」と身をひけなかったりとする。第一線にしがみつく人も多いだろうが、多くはしがみつかざるを得ないのではないだろうか。


いきなり組織の話になるが、組織にとってカリスマの存在は時には害毒だ、と僕は考えている。


永続する企業の生存法則を書いた名著『ビジョナリーカンパニー』(日経BP)にも「世間の注目を集めるカリスマ的なスタイルは、ビジョナリーカンパニー(永続的な企業)の基礎を固めるのに、まったく不必要だ」とまとめてある。


野球の長島茂雄、ダイエーの中内会長、西部の堤会長・・昭和を代表する偉大なカリスマが第一線を引きはじめている。それと同時に、それぞれの組織は迷走を続けている、と報道がなされている。


アントニオ猪木さんの生きざまをみて僕は思う。「カリスマは重荷を背負っていきる存在」だと。数万人に一人の存在であるカリスマは、天から優れた才能を授かっている。(もちろん努力は前提、ですけど)その才能はマネジメント如何では、武器にもなるし、自らに向かってくる刃にもなりうる。


多くのカリスマや、それをとりまく組織が一つの時代の終焉とともに迷走を続けている。これからはカリスマのマネジメントが求められる時代になりつつある、と僕は考えている。だからといって、凡人の僕になにができるというわけではないのだけど。

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最近発売されている、猪木さんのビデオのパッケージ。
試合前の直立不動の姿だけで絵になるまさに稀代のカリスマ、だ

August 2, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.08.01

そんな売り方したらあかんで

「自分なあ〜若いからってそんな売り方したらあかんで!」


建設会社の部長の一言は僕に大きなショックと反省、そして自己嫌悪を与えた。それは、営業マンとして2年目の僕が「営業力とは?」「営業とは?」について明らかに間違った考えを持っている、と気がついた瞬間だった。

僕は、大学を卒業してある経営コンサルタント会社に入社した。


建設業や飲食業の経営者や幹部を中心に、経営改善の提案や人材育成の提案をするのだが、なかなかこういう提案をするのは難しい。そのため、若手の営業マンは1日3万円くらいの経営セミナーなどの集客や社員教育用のビデオ教材などを販売して売り上げを稼いでいく。その中で、縁があった会社に経営改善などの提案をしていく、という営業幹部の戦略だった。


会社が売り上げをあげるには、極論だが「営業マンを動かす」か「広告を打つ」しかない。(口コミなどの手段もあるが、これは高い戦略性をもたないと成り立たないからここでは考えないことにする)今、僕がこの会社の営業幹部だったら広告媒体を使ってのビジネスモデルを考えるだろう。おそらく、それが費用対効果として有益だと思うからだ。


僕がいた会社は、「営業マンを動かす」の戦略をとっていた。全国に営業所を配置し、飛び込み営業を軒並み行っていく。「社長いますか?」「専務いますか?」とやっていく。


けど、市場は限られている。僕がいた北陸地方(福井、富山、石川)だと、数ヶ月も飛び込みをすると訪問する会社のネタが尽きていく。「そんな中でどう新しい提案をするかが大切なんだ」と上司から叱咤されても、新しい商品はなかなかでてこないし、どんな手段をとったらいいのか分からない。いきおい、いままで案内した商品のお願い営業になっていく。


「部長の力でなんとか」だとか、「お付き合いでお願いします」だとかがはじまると営業はドツボ、だ。商品を、サービスを安売りすることで自分と商品のブランドを自ら低めていくからだ。自分の商品に自信を持てない、ということは自分の仕事や会社に対して自信を持てないことにつながる。


僕もそんなマイナスにスパイラルを描きはじめていた。どんどんネガティブな思考になっていき、週の始まり月曜日がしんどくなっていく・・・。そんな時に、冒頭の言葉をいただいたのだから衝撃は大きかった。


どうしても、売り上げをつくらなくてはいけない状況で僕がとった手段は「最悪キャンセルしてもいいですから、とりあえず今日ハンコください」と、お願いすることだった。「これ売らないと会社に戻れないんです」と憐れみ(?)を乞うことだった。そんなことをしても売り上げ数字をあげる、というのが営業マンだと僕は考えていた。そんな状況でも負けずに諦めないのが営業力だと思っていた。


けど、それは誤っていた。「自分を磨くための仕事で、自分が卑屈になってどうするのか?」僕はお客さんからそんなメッセージを投げかけられているような気がした。以後、僕はこういう売り方から足を洗おうと考えた。


それから数年後、僕は会社をつくるにあたり「売りたくない商品は売らない」、「お願い営業はしない」など、いままで営業をしていてイヤだったことはやらない、と誓った。「やりたくないこと」を明確にすると、「やりたいこと」が明らかになってくる。そこには、作用反作用の法則が働くからだ。

いろいろと考えるで「お客さまが欲しいモノを販売することに力を注ぐ」という一つの方向性が出てきた。


いままでの日本の営業は、「メーカー主体の販売代行」といビジネスのモデルだった。が、これからは「顧客主体の購買代行」のビジネスモデルを軸に構築しないといけない、と考えた。


「売るためにはどうするか?」をメーカーの視点で考えるのではなく、「お客様は何が欲しいか?」に時間と労力を使うのだ。そんな考えの中では、広告代理業だとか建設業だとかいった業種のくくりも時として不要になってくる。お客様が欲しいのは別段、広告のスぺースやデザインだけではないのだから。


僕は飛び込みで営業マンが訪れるとなるべく会うようにしている、とはいつかも書いた。そこからどんな縁が広がるか分からないからだ。


けど、「会社からやれっていわれてるんですよ」だとかを軽々しく口にする営業マンにはちと厳しい。「そんなの俺の知ったことか」と初対面でも平気で口にしてしまう。「別段、嫌われるようなことをいわなくてもいいじゃない」と言われることもある。


けど、おせっかいだが僕は憎まれ口をたたいてしまうのだ。「そんな売り方したらあかんで」といってくれた部長へのご恩返しといったら格好よすぎるが・・・。


追記  僕は今でも、「イヤなことをやらない」営業組織を作りたいと思ってます。けど実際には、「イヤなことを経験しないと、イヤではないこと(=こうありたいということ)が何か分からない」というのも現実です。むちゃくちゃな組織に所属したり、価値の低い商品を販売したり、はいつか必ず肥やしになると思ってます。「あんな会社や組織はイヤだ!!」と思いが強ければ強いほど、理想は明確になっていきますからね。


August 1, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.07.30

死刑囚的生き方から

「無期懲役を宣告さえた受刑者はだらしなく、粗暴になる者も少なくないが、死刑を宣告されると次第に目が輝いてくる」という元刑務官の話を昨日参加した研修で聞いた。


一般的に考えると、死刑囚は粗暴になったり、生活が無気力になったりするようだと思うのだが、自己を見つめる創作活動に目覚めて目がキラキラしてくる、そんな人が多いのだという。

かつて『世紀の遺書』(講談社)という本を読み、衝撃を受けたことがある。戦争犯罪人(戦犯)として処刑された700人の遺書や遺稿をまとめたこの本は、生きることと死ぬことについて深いレベルで考えさせられる。(もちろん、死刑やら戦争という視点で読んでも多くを考えさせられる)


戦犯(戦争犯罪人)といわれるが、実はその規定はあいまいだ。多くは勝者が敗者を一方的に、見せしめ的に断罪する。時には勝手に法律をつくりあげてもだ。


この本の中には20代で命を失った人の遺書も残されている。戦犯という汚名を着せられたが、中には「上官の命令で作戦を行ったのに死刑になった」「通訳の問題があって死刑になった」「そもそも、無実で死刑になった」という人も数多くいることだろう。


が、僕の記憶ではほとんどの人が、それぞれの死生観を悟り、いつかくる最期まで自分の生を輝かせようとする姿勢を持っていたように思う。「死ぬ気で頑張る」「死ぬ気でやってこい」などと僕らが軽々しく口にはできない、生命を生き切ることの覚悟の重さを感じた。


人間は誰しもいつかは死ぬ、それは誰しもが知っている。けど、そこに期限を入れている人はほとんどいない。死刑囚はその原因はともかく、「いつか死ぬ」に漠然とではあるがタイムリミットが入る、日付けが入る。それは、数十年先ではなく、数年とか数カ月とかいうごくごくリアルな期限の中で。


その中で人は「生きることのあるべき姿」を考える。そのために「自問自答」を繰り返す。自分が起こしたことを反省する人もいるだろうし、現実を見つめない人もいるだろう。が、ほとんど誰しもが「自問自答」を繰り返して日々を過ごしていくだろう。その中で宗教の助けなども得ながら「死生観」のようなものが生まれ、最期の生命を生き切ることに全神経を使っていく。だから、日々を怠惰に過ごしたりはできなくなっていく。


「今日がだめでも明日やればいいや」「来年は無理だけど、10年くらい先にはね」などと時として僕は考える。けど、10年先はおろか明日も生きているという確証はない。だが、それを言葉にするのは簡単だが実感覚で明日死ぬ自分をイメージすることができない。


ただ、死ぬ事に日付けが入った人、いつか死ぬということを前提に仕事をしている人は、生きている間の時間の密度や学びの濃さが違ってくる。僕などの凡人は、死ぬ事をきちんと考えて、生きるということに全神経を使わねばならない。でないと、生きている間にやりたいことは成し遂げられない。


研修から帰って、「まずはひとつひとつの仕事にきちんと期日を設けよう」と考えた。自分が死ぬ事を考えるのはとても難しいことだ。だが、「ひとつひとつの仕事の終わり(=死)」として期日を設けるのは、死ぬことを意識するために今の自分ができるささいなことではないかと思ったのだ。


仕事や生きるということに「激変」「急激」「ドラスティック」は少ない。少しのことを変えたら大きく変わる、と考えるとこれも悪くはないと思うのだ。

July 30, 2005 in ビジネス〜炎のネタ帳 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.07.29

ワタミの社長の講演会

昨日はたびたび本ブログに登場する渡邊美樹氏(ワタミ株式会社代表)の講演会が有楽町であり、追っかけを自認する僕は最前列で参加をしてきた。


「date your dream」と銘打たれたこの講演で、わずか1時間ばかりの時間だが、夢に日付けをいれて目標を達成することについて渡邊氏の経験と現在の取り組みを中心に話があった。

僕は、この社長のファンだ。著書は全て読んだし(たぶん)講演会にも10回近くはいっただろう。わずかではあるが、ワタミの株を買ったし、氏の手掛けるNPO法人に募金もした。だから、氏の講演に参加をしてもほとんどがどこかで聞いたことのあるような話ばかりだ。


では一体、何ゆえ講演に出向くのか?


それは、2点ある。ひとつは、氏のオーラのようなものを感じたいからだ。


「あいつがいると雰囲気が明るくなる」という人がいる。それはその人の存在感というか、オーラというかが影響しているのだと思う。氏のオーラは非常に強い。存在感もめちゃめちゃある。「彼のいう通りにしていれば、夢が実現しない方がおかしい」とさえ思ってしまうような迫力や説得力がある。


そんな人と短くても同じ空間に身をおいて、一定の時間を過ごすということはとても重要なことだ。元気やエネルギーは伝播して伝わるものだからだ。そんな空間に好んで自分を置く事は大切なことだ。


もひとつは、言葉でかたり尽くせないものに価値がある、と思うからだ。


「人間は頭で100考えて、10から15を話すことができて、1から2を文章にできる」ということをどこかで聞いた。なるほど、常日頃、いい文章がかけなくて呻吟している僕