「住宅の営業マンとしてどれだけ自分が凄いか」という話になる。どこぞの消費者金融の支店長だっただとか、全国でトップの成績だっただとかがはじまる。
それがいつのまにか「どれだけ僕がモノを知らないか」という展開になる。
今までやってきた仕事を否定される。で、住宅の営業がどれだけ難しいかという話になる。その中でやっていくのは大変だ、という話になる。自分がつとめてからこの会社では何十人もの営業が辞めた、という話になる。あなたも何ヶ月もつだろうね、という展開になる。
最初は素直に聞いていた。それが僕の考える後輩の流儀、だ。が、たびたびこの手の話になるに及び僕は考えた。
「この人は純粋に僕を教育をしているのではないな」と。何か別の意図があって、「教育」してるんだな、と。
住宅展示場は当番制だ。自分の展示場当番が増えれば、お客さまに接する機会も増えていく。それは、営業数字を稼ぐことにつながる。少ない基本給と高額の歩合の営業担当には「稼がない=退社」を意味する。
だから営業担当は少なければ少ないほどいい。その「先輩」にとって僕が辞めることは、営業機会を増やす上でも得策なのだ、とある時から考えた。明らかに僕をつぶしにかかっている、と感じた。
ただ、そう考える自分がとても嫌だった。
僕のように物心ついた頃から、先輩だとか後輩だとかいう世界で育った人間には、どこかしら「先輩のいうことは絶対」という意識がある。(少なくとも当時はあった)
「先輩が後輩をつぶしにかかることなどまさかないだろう」という意識がどこかしらにある。
が、それは甘かった。そんな甘さにつけこまれた、と感じた。
その「先輩」は自分の中に感じていた怖れ(自分の将来設計や若い世代の台頭など)だとか葛藤を、僕らにぶつけることで解消しようとした。
ただ、それだけならまだ分かりやすい。彼はそれを「教育」という美名(?)のもと、「教育」というカモフラージュのもとに成し遂げようとした。
その「先輩」の特徴は、「厳しいこというけど」だとか「本当は俺がこういうこと言う筋じゃないけど」とかいいながら、「これはあなたのためだよ」という言葉が必ずついてくる。
「後輩」として、なかなかこういうい言葉には抗えるものではなかった。
当時の僕がしたことは、その「先輩」より僕が勝っていることを探すことだった。で、自分の中の自意識を平静に保つようにした。
仕事のキャリアではやはり一日の長があるのは否めない。今考えると、当時の僕でもその「先輩」より職務で優れていた事はいくらかはあっただろうが、当時は気持ち的に去勢されていた。
お恥ずかしい話だが、僕はその「先輩」なら喧嘩をしても片手でも勝てると考えた。
最悪の最悪だが、あまりこんなことが続くようだったら、一度「お前どういうことだ」といってやろう、と思った。もともとが自分の不安から僕に威圧的になってただけの弱い人間だ。考えるだけで滑稽だった。
逆にいえば、発想が貧困でそんな程度しか自分を平静に保てる自信のようなものがなかった。
僕は、社員教育は大切だ、と思っている。
が、社員教育なんて会社が音頭をとってやるもんじゃない、とも思っている。
今の時代、情報はいっぱいある。勉強するならだれでもできる環境が整っている。伸びたい人は勝手にやればいいし、伸びない人はそのままでいい。
その中で僕は「伸びたい」とか「伸ばそう」と意欲のある人間に優しく、「伸びなくてもいいや」という人間にはしんどい会社にしたいと考えいてる。それが、僕が考えるお取引先への誠意、だ。
イメージとしては昔の寺子屋だ。各自がおのおののテーマで勉強して、分からなかったら先輩だとか先生だとかに聞く、といいった感じだ。
その中で社長である僕ができることは、「自分を伸ばしたい、という人間が純粋に伸びていける環境をつくる」ことでしかない。
その第一は、「伸びたい」だとか「伸びよう」とする人間に対して少なくとも周囲が邪魔だけはしない風土をつくることだ。
かつて学生時代もいたではないか、勉強をしていると「ガリ勉!」とはやし立てる輩が。そんな斜に構えた人がいない環境をつくることだ。
更に、葛藤や自意識を「教育」という名のもとに充たそうとするのではなく、自分の仕事を通じて充たすような仕組み、雰囲気をつくることだ。
ブログの読者ならお分かりだろうが、僕は自意識が比較的高い方だ。それを充たす手段が会社を経営することだったり、ブログを書いたりすることだ。
少なくとも僕は、他人への「教育」を通して自分の自意識を充たしたくはないと考えている。それは人の人生を台なしにしてしまう可能性が多いにあるからだ。教育は教育のためにあるのであって、自分の自意識を充たすためにあるのではない。
だから押し付けの教育(含む、飲み屋での説教)はしたくないのだ。(教育実習までいった僕が先生にならなかったり理由のひとつはここかな)
大手の会社では教育に名前を借りたリストラもある、と聞く。
こんなことを書くとせち辛いが、物事はその意図を正確につかまえないと痛い目を見る場合もある。先輩だから、会社のいうことだから、と安直に信用してはならない。最終的に頼るのは自分だけなのだから。
件の「先輩」はその後、他の支店に異動になって僕とは縁が切れた。数カ月の付き合いだったが、「こういう人間にはなりたくない」という手本をさんざんと見せていただいた。ある意味では感謝、だ。
いまどこで何をしているか分からないが、きっと同じ事をしてるんだろうな。このブログを読んでいたら面白いんだけどね。
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追記
ゴールデンウィークの旅行のアイデァがまとまりそうです。めちゃめちゃ美しい水辺があって、チベッタンがいて、標高が高くて、辛い料理が食べられるところです。
今度いけばこの国への入国は3回目かな。決まったらまたご報告いたします。