このスクールでは、催眠の何たるや、を学んだ後、受講生同士セッション体験を行う。
一人が床にリラックスした状態で寝そべり、一人が誘導を行い催眠へといざなう。僕は20代前半の女性をペアを組んだ。スクールで会うのは3回目で、何となく波長の合う人だ。
床に寝そべり催眠へと誘われていく。
リラックスして、と誘われるのだが僕は目を閉じて人前で身をゆだねるのが苦手だ。
これは、子供の頃に病弱で、ついつい目をつぶって横になると病院的なものを思い出してしまうからだ。検査をされる時の緊張感を感じてしまうからだ。(今でも病院と注射だけは大の苦手だ。病院にいく、と聞いただけで目がクラクラする。)
心臓がバクバクいう。「リラックスどころではないなあ〜」と思った。催眠に入ろうと思うのだが、一方で僕を見ている人がそばにいる、ということが緊張感を呼び起こす。やっぱ、催眠にかかりにくい10人のうちの1人だ、と思った。
が、その瞬間、隣で実習をしている人の涙声が聞こえた。「いいなあ〜催眠に入れて」と一瞬、感じた。
と、同時に一気に涙がでてきた。
「・・・!?なんで??」
隣の人の涙がトリガーになって、僕の中の悲しい感情が次々と吹き出してきた。恐ろしい感情が吹き出してきた。
小学校低学年の頃だ。
病弱な僕はしょっちゅう学校を休む。で、病院に連れてこられる。
毎回のように注射を打たれる。先生にとってはごくごく普通のことなのだろうが、僕にとっては一大事だ。聴診器をあてられる、先生が万年筆で何かを書く。で、「注射するから横になって」といわれる。
先生が注射を準備してやってくる。その瞬間のドキドキ感やら緊張感、泣きたい感じやらが一気にやってきた。昨日だか一昨日だとかのように思い出される。
ある日、僕は注射で大泣きした。
先生が親にいった。「今日は泣いたから車に乗せなくていいですよ」と。悪い先生ではなかった。この人がいなかったら僕はいままともに生活できていなかったかもしれない、とも思っている。
が、この一言は痛かった。その時の診療室の雰囲気、時間、親の姿だとかがリアルに思い出された。
「俺だってなりたくて病気になってる訳じゃない」と思った。当時の僕には喘息だとか心臓の病気だとかがあった。漢方薬を飲んだり、体質改善の注射を打ったり、野球をして体を鍛えたりした。が、なかなか体は強くはならなかった。
次第に、それは親や兄弟への罪悪感と結びついていった。
発作が起こると両親が目を覚まして看病をする。「兄ちゃんが寝てるから静かになさい」と弟や妹が注意をされる。裕福な家ではないし、病院代だってばかにならないだろうし、と申し訳ない気持ちになっている自分に気がつく。
「あなたが妊娠している時に風邪を引いたのがいけなかった」ある時に母親から聞いた。でも、そんな風に自分を責められるとこっちはもっと辛かった。弟や妹は絵に書いたような健康だっただけに尚更だった。
次から次へといろんな感情が溢れてきて、涙がとまらなかった。
1時間以上、体験セッションは続いただろうか。何となくだが気持ちがラクになった。放出したい感情がずっと鬱積していて、やっと日の目をみた感覚がした。どことなく胸のつっかえがとれたような気がした。
まさか自分が・・・これは、驚きだった。
引きこもりだとか、鬱病だとかで、今までになく「心」に対して関心が寄せられている。
僕らは子供の頃から「男(女の子)なんだから」だとか「お兄ちゃんなんだから」ということで、見ず知らずのうちに感情を抱え込んでいたりする。
そんな鬱積した感情が放出されないままだとしんどいのだなあ、とリアルに感じた。
大好きなジム通いを休んで、半年間通おう、と思ったスクールだ。この後、もっともっと別の感情がでてくるのだと思うと、楽しみでもあるし、怖くもある。
が、いままで突っ走って生きてきたのだから、たまには心と直面する時間もいいかもしれない。
今までの僕には「心の問題が大切なのは分かるけど、いくぶんは現実逃避が入っているのではないか」と思っていた。
が、現実逃避だったらそれでもいいではないか。自分の心を犠牲にしてまで戦う現実なんてないのだから。
それは健康を害してまでやり通す仕事なんてない、というのと一緒だ。
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追記
先週は来客が続いたり、出張があったり、体調を崩したりでブログが思う通り更新できませんでした。
あと、ジムにも通えず、悶々としてました。手をつけなきゃいけない仕事もいろいろとあります。今週はきっちりと軌道を修正したいと思います。