2005.09.12

松下村塾をたずねて

「さて、どこの宿に泊ろうか??」


旅先でバックを担いで自分の感覚だけをたよりに宿を探す瞬間、僕はこれが好きです。


「きちんとした宿だろうか?」「飯はうまいだろうか?」「宿の人はいい人だろうか?」


そんな事を事前の情報は全くナシに「宿の名前」「今いる場所からの方角」、そして「自分の直感」で選ぶのです。先週、旅行で訪れた街で宿泊したのはこの宿でした。


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まずは、「ふるさと」という名前のチープさ。(宿主、すみません)そして、僕が訪れようとしていた場所に方角的に近かったこと。あとは、電話に出たおかみさんが人がよさそうだったからこの宿に決めました。


今回の直感はばっちりとあたりました。夜は魚を食べて宿のおやじさんと焼酎を飲んで、久しぶりに死ぬほど寝ました。


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宿泊した部屋 1泊で5,500円


翌日はチャリンコを借りて市内を観光しました。明治維新が発祥した、といっても過言ではない街です。僕はかねてからこの街にはいつか来たい、と念願していました。


一つには、明治維新の時代が好きだから、ということ。もう一つは、維新の頃の人達に触れると自分にやる気や気力がでるから、です。僕と同じ世代の若者(?)が大活躍をした時代、そんな志士のエネルギーは時代が変遷しても変わらないパワーを放っています。


今回の一番の目標は松下村塾を訪れること、でした。歴史の教科書でも有名な吉田松蔭が開いた私塾で、ここでは近代国家の礎を築いたキラ星のごとき偉人が数多く輩出されてます。

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吉田松陰

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松下村塾 外観


長州を討幕の世論へ統一させた・高杉晋作、薩長同盟の立役者・桂小五郎、初代内閣総理大臣・伊藤博文・・・

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高杉晋作

その他にも若くして亡くなったため歴史ではそんなに有名ではないですが、吉田稔麿(池田屋事件で新選組に斬られて、後自害)、久坂玄端(禁門の変で負傷、後自害)など、彼らが明治政府にいたら日本の歴史は良い方向に変わっていた、という逸材がゴロゴロとこの塾から巣立っています。

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松下村塾を巣立った逸材たち
塾中は非常に狭い、天井の低さはちとこわいほど


歴史を動かすようなリーダーは大概は非業のうちに倒れます。高杉や吉田はもちろん、坂本竜馬もそうでしょうし、大村益次郎などもそうでしょう。その人たちが突き動かした時代を、勤勉で実務に強い人がフォローをして時代は推移してきます。極論ですが、歴史はこの繰り返し、です。


僕は、明治維新については幕府寄りの立場です。長州と薩摩が仕組んだ内乱に世論が突き動かされた、と考えています。


明治以降、軍閥ができたり、政治で派閥ができたりと長州や薩摩は私利私欲に走っていく、という歴史の側面があります。(今でも薩摩や長州出身でないと出世しにくい組織がある、と聞いたことがあります)


松下村塾で育った逸材で歴史を突き動かすような人が明治日本のリーダーだったら・・(現にリーダーも数多くいたが、晩年は青年の志を曲げてしまった人も多い)と思うと僕らの生きる時代が変わっていた、と思わずにはいられません。


今回は、そんな塾を主宰した吉田松陰が育った街に来て自分が何を感じるか、を感じてみたかったのです。いろんなことを感じましたが、正直まだ消化段階なのでうまく書けません。


ただ一つ、勉強をしないヤツにはチャンスの扉は開かれない、ということを思いました。世の中を動かすような大事をする人であれ、そうでない人であれ、チャンスの扉は勉強からだということです。


勉強をして、新しい世界を広げて、チャンスがやってきた時に対応できる準備をしておくことの必要性を感じました。明治の時代以上に僕らは勉強をする必要がある時代を生きてるのですから。


現代の、「ゆとり教育」を松蔭先生がみたらなんて言うんでしょう?僕もきちんと勉強をしないとな、と思いを新たにした旅、でした。


小学生の作文みたいですいません。それが今回の旅の成果(?)です。とまれ刺激を受けて帰ってきました。今週からまたきちんと働きます。


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追記
僕が訪れたのは萩市、という山口県の街です。人口3万人ほどの小さい街ですが、歴史好きにはたまりません。何でも山口からは総理大臣が7人もでているとのこと。松蔭先生の教育の成果、でしょうかね?萩に友人がいたのですが、音信不通になってしまって会えませんでした。残念。


September 12, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.09.02

旅にでる?何が目的だ?

「旅に行くって??何が目的なんだ?」


と、長い旅をしていた頃はことあるごとに聞かれた。


ある人は興味本位に
ある人は僕を心配して
ある人はそこに合理的な目的があるのなら自分も乗ってやろう、という意図をもって
ある人は僕をちゃんとした生活に引きとどめるために

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ゴールデンロック(ミャンマー・チャイトー)
思い切り力をいれると揺れる、といわれている


僕には旅にでるのに目標も目的もなかった。逆に、目的をもって生きなきゃいけない人生からの逃避をしたいんだ、とある時から感じていた。


いい学校に入る目的のために勉強する
いい会社に入る目的のために大学にいく
いい人生を送る目的のためにいい会社に入る


僕らは目標だとか、目的だとか、そんなものに駆り立てられる社会構造の中で生きている。それって僕らが主体的に選択をしているようだけど、一体そうなのだろうか?


目標や目的、というのが僕らを無闇に急き立てて、生きる事を束縛しているのではないだろうか?


作家の沢木耕太郎がいった。「若いうちに酔狂なことをやりたかった」と。26歳で長旅に出た沢木のそんな言葉が僕は気に入った。


目標だとかと無縁の生活を送りたい、という漠然とした思いは熱望へと変わっていった。「目標や目的なんて持ちたいやつだけがもてばいいのだ」と。


僕は今、会社を経営させてもらっている。当然、目標や目的というものとは無縁でいられない生活を送っている。


でもそんな生活に嬉々としていられるのも、目標や目的がない人生を送る快感を一時期であるとはいえ味わったからではないか、と思うのだ。


「人生をリセットして、目標とか目的とは無縁の生活を送る」-逆説的だが、僕はこれ以上に目標だとか目的だとかを明確にする術はない、と考えている。自然界はすべからく真空状態を好まないからだ。


僕らは「とりあえず会社を辞めたい」という人に対して、「何が目的なんだ?」との問い掛けを何も考えずにしていないだろうか?


今日の順位は??

追記
昨日は、社会人なりたての頃からの同志(?)と表参道〜六本木と徘徊しました。人材関係ビジネスで経営者として奮闘しているようです。かなり刺激を受けたのですが、焼酎を飲んで最後は記憶がとんでます。ヒルズの前にあるバーは、店員さんのキャラが濃くて素敵でした。

September 2, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.05.27

プチ冒険

「海外は危険じゃないか?」と言われることがあった。内戦などで危険な国に行きさえしなければ、「夜中の歌舞伎町の一人歩きの方が恐いのでは」というのが僕の実感覚だ。


けど、海外にいったことのない人の無知に付け込むような報道がなされたりするので、危険イメージが一人歩きする。僕の感性からいうと、カンボジア、コンゴ、インドなどなど、国名に濁音が入っている国は危険そうなイメージがある。が、それらの国もいってさえしまえば思っているより安全だ。(コンゴはいったことないけどね)

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人民解放軍の服を購入しヤミバスに備える(中国・ゴルムド)

とはいえ、「この人危ない!」だとか「この場所はうさん臭い」だとか直感を感じるようにしないと旅先では痛い目をみる。インドあたりの安宿にいくと「MISSING PERSON(行方不明)」の貼り紙がたくさん貼ってある。旅行者がある時、ふと消える。理由はさまざまだろうが、大丈夫だろう!と軽挙妄動の末の災難だろう。


そもそも、人間には危険を察知するセンサーのようなものが備わっている、と僕は考える。それは動物としての防御本能のようなものだと思うのだが、その危険に直面すると興奮するタイプの人が存在する。いやむしろ、そういう危険に進んで飛び込むのを好きなタイプさえ存在する。


僕が旅行をしていた頃、夜のプノンペン(カンボジア)は強盗や野犬がいて危険と言われていた。10時をすぎると誰一人歩いていない。そんな中を「街の様子を見にいってくる」という旅行者がいた。「大丈夫!大丈夫!」といって外出していった・・。1時間後には無事で帰ってきて武勇伝(?)を語っていたが、僕にはこういう神経は信じられない。


この他にも僕が旅をしていた頃は、「内戦が続くアフガニスタンに入る」だとか「タイからカンボジアを船で抜ける(これは違法でタイの出国スタンプが押されない)」だとか「ミャンマーの少数民族のエリアに入る(ここには麻薬王という人がいるらしい)」だとか冒険系の話を聞いた。


「へえ〜すごいなあ」とは思ったが、僕には真似できない。そんな所で危険な目にあって一生を棒にふってはバカバカしいからだ。


危険な状況、こりゃまずいな、という状況に置かれた時に人間のタイプの一端が垣間見れる。これは旅であっても仕事であっても同様だ。僕は「石橋を叩いてわたる」に近いタイプだと自分を分析している。トラブルや危険(リスク)などがあった場合、まず最悪のことを考える。その上でそうならないために打つべき手段を考える。これが僕が考えるもっともポジティブな思考方法なのだ。


そんな僕にもプチ冒険ともいうべき、なんちゃって冒険をしたことがある。中国人しか乗れないヤミバスに乗ってチベットに入った時、インドの田舎町で野宿をした時、モンゴルの大草原で雷に打たれた時、入国カードの職業欄に「忍者」と書いた時、それはささやかながらの緊張感を伴った。


冒険、というのもおこがましい僕なりのささいなプチ冒険だ。かつては、危険に向かっていくのを厭わない冒険野郎をうらやましく思う時もあった。会社を一気に成長させるには、冒険野郎の性格が適している、とも思う。


けど、これは無い物ねだりだ。プチ冒険野郎にはプチなりの生き方、会社経営がある。これは旅をして得た僕の生きる技術だ。

May 27, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.05.19

長旅は逃げ、か??

「長い旅は逃げだ」みたいなことを口にする人がいる。別にそれぞれの価値観だ、とりたてて気にするほどのものではない。


ただ、旅をしていた時期は「逃げ」といわれるとちょこっとは反発心があった。「他人の奥底まで知って逃げだとか簡単に断罪(?)できるほど全能なのかい?」と。


けど、最近は思うのだ。やはり旅は一種の「逃げ」だ。

とはいえ、僕のいう「逃げ」とはネガティブな意味ではない。そもそも、生きている限り自分の人生から逃げることはできない。現実は日本だろうが海外だろうがどこまでも追い掛けてくる。「逃げ」で海外にいってもそこには現実が広がっている。それならそれで「逃げ」をポジティブに考えよう、という発想だ。


僕が旅をしていた時、日本経済は転げ落ちはじめた。拓殖銀行や山一が倒産し、リストラが続く中で中高年を中心に日本には閉塞感があった。その閉塞感はつきつめると、多くの日本人に「逃げ」の場所がないところからくるのだ、と旅をしていて感じた。自分の「逃げ」る場所をつくることが閉塞感や不安に対処するいい手段なのではと考えた。


日本で人間関係に悩んでいた人は旅に出てもコミュニケーションが苦労するだろう。仕事に行き詰まった人はいつしかその行き詰まりを打開する策を考えなくてはならない時が訪れるだろう。日本から逃げて旅に出た、という人は海外での現実から逃げたくなる時が訪れる時もあるだろう。


どうせどこにいっても現実から逃げられないのなら、何かあったら逃げられる場所をあえてつくろう。仮にリストラされても「逃げ」の場所があると安心だ。「逃げ」をネガティブにとらえる人の多くが現実の中で苦労している。これからは発想の転換が必要だ、と個人的に思うのだ。

May 19, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.04.25

自虐的な日本人

ある国でのこと。とあるパーティーに招待をされた。男性3人、女性3人の合計6人、みんな旅で知り合った人達だ。イスラエル人やインド人、パキスタン人で会場はいっぱいだった。


僕らは飲んで飲みまくった。夜中12時くらいになっただろうか??気がつくと女性3人が外国人にお持ち帰りされようとしている。まっ、個人のやることだしな、と僕は冷静を装う。が、次の瞬間めちゃめちゃ頭にきて久方ぶりに人をどついた。

「日本の女性は軽いからどうぞいっちゃってよ」みたいな事を白人の男に冗談まじりに言う日本人を目にしたからだ。それは僕らと一緒に来た日本人3人を指していることは明らかだ。英語が達者なのだろう、身振り手振り含めて面白おかしく話をしているようだ。


たまたまパーティー会場で隣あった人だ、素性も名前も知らない。けど、その貧困なる精神は同じ国民として黙っていられない。そいつが「日本の女性」と軽々しくいう時には、僕の回りの女性全て含まれるからだ。同じ国の異性にどうしてこういう言い方ができるのか?


一気に酒が抜けた。「お前一体何考えてるんだ!」とその男を問いつめた。「別に深い意味はないっすよ〜。というかあなたに言われる筋合いはないでしょ」と開き直る姿に思わず・・・(暴力はふるってませんよ、念のため)


僕はとりたてて愛国主義者ではない、と思う。けど、「日本人ってね○○だよね」と自虐的に他国の人間に話をする同国人の姿は耐えられない。


カンボジアでの話。バイクタクシーがアンコールワットなどの観光を1日7ドル程度で一緒に回ってくれる。観光が終わってホテルに帰ろうとすると、女性どうですか??と運転手の多くが話をもちかけてくる。


しかし、僕が観光をお願いした運転手はそういうフリも見せない。3日間の観光を終えて彼と住所交換をするときにいみじくも彼が語った。「同じ国の女性をどうして売るようなことができるのか俺には分からない」と。僕はこの感覚はごくごく正常な感覚だと思う。


別に、日本はいい国ですよ、と吹聴して旅をしろといっているのではない。少なくとも自虐的に日本のことを語るのだけはよそう。たとえ自分が面白おかしく語っているつもりでも、向こうはそう思わないかもしれないし。


長い旅にでることのできる人はそう多くはない。いうなれば「エリート」なのだ。「エリート」は相応の義務(ノーブレスオブリージュ)を負うということを肝に命じたい、と個人的に思うのだ。


April 25, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.04.04

旅にでて後悔したこと!?

「あれ、髪の毛の質が変わってきたな」鏡を見てそう思った。中国からチベットを抜けて、ネパール、インドと4ヶ月近くの旅行から帰ってきた時の話。どちらかというと剛毛に近かった髪の毛が、わずかではあるが細くなってしまっていたのだ。「そういやあまり髪の毛を洗ってなかったからな」と旅での過去を振り返った。その時は将来おこる悲劇も知らず・・・。

北京から内蒙古を経由してシルクロードを西へと向かった。その道中で病気になってしまった。咳がでてとまらない。梅雨のような天気が続く毎日、僕は安ホテルの部屋で寝てばかりいた。10日ほどは風呂にも入らず、食事もほどほどの日々を送った。


その後、体調が復活し、たまたま知り合った韓国人と敦煌を目指した。敦煌は砂漠の街だ。昼間は砂漠にいって疲れていたせいもあり、夜は風呂にも入らずそのまま寝てしまう日々が続いた。汗も乾くので何となく清潔な感じがしていた。そこから、チベット入りの起点となる街までいって、チベットの首都(区都ではない)のラサに入った。


そこで僕は高山病におかされる。ラサは3,800mくらいに位置している。なのに蠅がやたらと飛んでいる。数十匹の蠅にたかられてベットで高山病にうなされる日々。1週間、食べ物ものどを通らず、歩くこともままならずの日々だった。幻覚も見えたし、幻聴も聞こえた。あまりにもしんどくて飛行機に乗って低いところに降りようと思ったが、その体力がなかった。もちろん風呂には入れない。


その後、チベット医学(これはすごい!)の治療の甲斐あって、ネパールへと向かった。バスで2泊3日の旅。なんだか臭いな、と思ったら自分だった。というより、一緒にバスをシェアした日本人にも汚いやつがいたからあまり目立たなかった。ネパールの国境近くの街、タトパニという所で温泉に入った。体の血液が逆流しているのか、と思うほど血行がよくなった。垢がこすってもこすっても出てきた。「ああ生き返った」とじいちゃんみたいな台詞がついつい口から飛び出した。


振り返るにこの期間は1ヶ月で4〜5日くらいしか風呂に入らなかったのではないか。「まっ、そんなこともいい思い出だ」と思っていたのだが、それは数年後しっぺ返しをもらうこととなる。


ここ最近、髪が薄くなった。それは僕も自覚している。見ても、触っても分かる。「会社をやって苦労しているから」といってしまえば格好いいが、そうではないんだ。この風呂に入らなかった期間が影響したんだ、と思うのだ。「髪は若い時からの摂生が大事なんだ」と多少薄くなった髪の毛をとかしながら語る父親の姿が思い出された。冷や酒とおやじの小言はあとで効く、と昔の人はいいことをいったものだ。


久方ぶりに会う友人の視線が頭部に向かう時、集合写真で頭皮が見え隠れしている自分を見つける時、「最近髪の毛が薄くなってなあ」との言葉に誰一人として「ううん、そんなことないよ」と言わないことに気がついた時、僕はこの旅をしていた期間のことを思い出す。さりとて僕はどんなに髪がなくなっても、旅にでたことを後悔しないだろう、とも思う。


バックパッカー各位はぜひともご留意を。数年遅れできますから。


April 4, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.24

旅にでて何か変わりますか?

何かを変えたい、と思っている人へ


「旅にでて何か変わりますか?」と聞かれたことがある。当たり前のことなのだが、何かがドラスティックに変わる事など全くない、というのが僕の実感。


小学生くらいだったら「ガンジス川で焼かれる遺体を見て人生が変わったんです」みたいなこともあるだろうが、20歳を超えてなかなか人間の価値観なんて変わるものではない。逆に、旅にでたくらいでコロコロと何かが変わるのであれば、日本で何をして、何を考えてきたのかを問うた方がいいだろう。

巷では「簡単に、楽に、早く、なりたい自分になる」ノウハウが全盛だ。「土日だけで誰でも成功できる起業術」「1日10分のトレーニングで1ヶ月50冊本が読める」「誰でも簡単にセラピストに、将来は独立して開業」などなど。


でも、ちょっと考えればそんなのは荒唐無稽、ということに気がつくはずだ。長い修練と実践、そして絶え間ない反省が何をやる上でも必要、ということに。でもこの当たり前の事が当たり前でなくなっている。だからこそ、ノウハウが一人歩きして跋扈しているのだろう。


何かをしてすぐさまドラスティックに自己が変わるものなどない。それは旅とて一緒だ。何かを変えたいのなら、旅で自分を掘り起こす作業をしなくてはならない。その作業なしに何かを変えようとおもっても無駄、というのが僕の持論。


旅にでると喜怒哀楽が凝縮されている。そういう意味で自分が何か?自分はどういう人間か?の問いをつきつけられるチャンスは、日本にいるときよりはあるかもしれない。ただ、それを活かすも殺すも僕たちの旅にとりくむ姿勢しだいなのだ。

March 24, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.16

僕はは自己顕示欲が強い

「君、昆明(中国の大きな都市)いくんだってね。だったら宿は○○で、バスは●●をつかうといいよ。そんで昆明から他の都市に行くのにはねえ〜」


ベトナムはハノイで知り合った親父バックパッカーの話が延々と続く。「ベトナムから中国に抜けようか、タイまで飛行機で飛ぼうか迷っている」と口にしたところ延々と中国の旅情報の話になってしまったのだ。かれこれ3時間は続いているだろうか・・・。


何でも5年近く中国を旅してきたため、「中国のことは何でも知っている」のだそうだ。確かに情報量はすごかった。中国と韓国の文化の相違、墓地での野宿情報など非常に興味ぶかかった。が、僕が求めていたのは押し売りで一方的な彼の情報ではない。旅をしているもの同士の会話から生まれる刺激のようなもので十分だったのだ。


とかく旅をしているとこの手の人にであった。自分が旅した国の事、出会った人やおこった出来事を芸人よろしく語っていくタイプの人だ。旅をした最初の頃は、日本語を話す機会が少ないからな、と思っていたのだが次第にこの手のタイプの多くは自己顕示欲が強いのだと思うようになっていた。それを具現化するための手段として旅が存在しているのだともいえるかもしれない。


旅をすると自分が発見できる、などといわれる。そんな簡単なものなのか、とも思うが自らの経験であえていうのであれば「俺は自己顕示欲が強い!」という発見が僕にはあった。ぺらぺらと語る人間に嫌気がさす瞬間、それは自己の内面が投影されたことに対する嫌気なのだ。


旅は発見の連続だ。喜怒哀楽を通じて自分が何に怒って、何に感動して、何に悲しみを覚えるのかがビビッドにつきつけられる。それは社会人として日常を過ごしていても当然、経験はできる性質のものだ。が、喜怒哀楽の密度が濃く、感情を振り返るに十分な時間がある旅の途上だからこそ自分という人間がよりリアルに感じられるのだろう。


会社をやっていても喜怒哀楽は訪れる。それが自己発見のきっかけとなる。ただ、社会人として自分の感情に直接向き合うには我々は忙しすぎる。時間がなさすぎる。多くの発露された感情は行き場をなくしてただよっている。


年に数回は海外へ、を標榜しているのはこうした消化されない感情のたな卸しをしたいからではないか、と僕の内面が訴えているのかもしれないと思うのだ。

March 16, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.03.15

人は感動するためにいきる

「うぉーーーパキスタンの空の色にそっくりだ!」


空港から市内へと向かうタクシーに同乗したマサシが叫ぶ。バンコクから飛行機で1時間あまり。カンボジアはプノンペンの空の色は青くどこまでも高く眼前に広がっていた。美しい、などといった言葉では表現できない、それを通り越して恐ろしいまでの青々しさだった。


カンボジアは危険、といわれていた。ポルポトは存命中だったし、タイとの国境はクローズされていた。バンティアスレイ(※注 仏教遺跡)には軍人が同行しないといけなかったし、「なぜか夜になると銃声が聞こえる」とも他の旅行者から聞いていた。


その恐ろし!というイメージとのギャップが、空の色の美しさを更に際立たせていたのかもしれない。
2人して「すっげー」を連呼しながらプノンペン市内へと向かっていった。

あれから8年の月日が経った。が、いまだにあのプノンペンを超える空の色にはであっていない。モロッコでもチベットでもインドでもあの空を超える感動は味わえなかった。いつしか旅をしながら、カンボジアを超える空の色を無意識にさがしている自分がいた。


人にはうまく伝えられなくても、文章にはまとめることはできなくても、思い出すだけで何やら興奮してきて、無性に動きたくなってきて、胸が締め付けられるような感覚〜そう、そんなカンボジアで体験した感覚を各国の青い空に求めていたんだろうと思うのだ。


「人間は感動するために生きる」そんなことを考えたのはここ3〜4年のこと。誰から聞いたのか、本で読んだのか、突然思い付いたのかは今は定かではない。が、ある頃を通じてこれが僕の生きる根底として根付いていることに気がついたのだ。


会社をしているとしんどいことはある。月末にお金がなかったこともある。クライアントから仕事をきられたこともある。原稿がなかなか進まず、締切ギリギリまであわてることもある。利益をあげて稼げばごっそりと税金をもっていかれる。よしこれから!という時に社員さんが辞めたりしちゃう。


けど、会社をつくって始めて銀行の記帳にいった時の「ジーッ、ジーッ」と入金を記帳する音の素晴らしさ。自分の会社に引いたFAXに初めて着信があった時の「ピー」という心地よい音。「お前がやるなら出資するよ」といわれたあの一言。自分の仕掛けた販促策が炸裂し、資料請求が続いた瞬間。そんな体験をもう一度したくて、もう一度味わいたくて僕は仕事をしてるのだ、と最近思うのだ。


感動を求める点においては社会人として働こうが旅人をしようが根は一緒。むしろ、旅をしている人の方が感動というものに対して貪欲だし、正直だと思う。自分がささいなことに感動できること。これが僕が旅をしてきた中で学んだ大きな財産だと最近つくずくと思うのだ。

March 15, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.09

大義名分は不安の証

「帰国してからすべきこと 〜
旅で世話になった人への手紙書き、旅ですすめてもらった本の読破、
年賀状の返事書き、借金の返済、アルバイト探し・・・」

97年の2月、4ヶ月の旅行から帰国する際に書いた日記が手元にある。
バンコクの空港で夜中の飛行機を待っている時間に書いたものだ。
いま改めて読み直すと「帰国したらどうしよう!」という当時の不安が改めて蘇ってきた。

当時、よく下痢をした。
体調が不安定だったのかもしれないし、何とはなしに神経的にまいっていたのかもしれない。
好き好んで旅にでてきたが、なかなか自分らしい生き方をするのは骨が折れることだった。

旅先で知り合った人の話に内面がフラフラと浮ついてしかたなかった。
地に足をつけていない感覚は心地のよいもののようでもあったが、やはりしんどかった。
俺はこのままでいいのか?という自問は常に続いていた。

帰国して真っ先にしたことは手紙を書いたこと。
海外で知り合った旅人に、お世話になった現地の人に書いて書いて書きまくった。
それは俺はこんな人生を生きているんだぞ、と存在を証明するかのようであった。

物心ついた時から手紙などとは無縁の男だ。
一心不乱に手紙を書くその姿は狂気的、ですらあったかもしれない。
そして、アルバイトをした。知り合いの電器店で電気工事の仕事をした。
もっと生産性のある仕事をしてもよかったのだが、何となく自信がなかったのかもしれない。
手短かなところで仕事を見つけた。時給950円だったが貴重な収入源だった。

とにかく先が決まっていない不安にかられていた。
自分が行動しなければ何も変わらない。
いつまでもフリーター生活が続くのではないか、という不安。
本を読んでも自分の将来にどう結びつくのかが全く分からない。だから実感が湧かない。
その結果、すごく大きなものを求めたがる。

世界平和とか、人類の共存だとか、戦争のない社会、だとか。
妙な宗教にはまる人と精神構造は同じだったかもしれない。

旅には行きたいのだが、それが本心からなのか、やけっぱちになってなのか、
不安から現実逃避したいだけなのかが自分でも理解できなくなっていた。

あれから8年近くがたった。
きちんと仕事を見つけて、会社をやっている今でも不安の種はつきない。

周りからは「いいですね、順調で」などといわれることもあるが、
「ひっしこいて世の中の流れにしがみついてるのにどこが順調だ」と思うときもないわけではない。
ただ、大きな物を求めたがることはなくなったような気がする。

世界平和も戦争のない社会も大切だし尊いが、まずは自分が食べること、
家族が生活できること、そして係わりのある人が幸せに暮らせることが重要だと思っている。

人間は自分が不安にかられていると大きな大義名分を掲げたがる生き物だ。
それではじめて自己の不安を解消できる生き物なのだ。

あるセラピストがいっていた。
「人って癒されていないと回りを癒したくなるんですよ」と。

仕事をしていて大義名分を掲げたくなった時、自分に不安がないか自省しなくてはならない。
足下が地についているか自省しなくてはならない。

これは旅をした経験から学んだ大きなことだ。

March 9, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.08

営業の仕事はできる、とはいったが

「やっぱ手に職つけないで旅にでるなんて自殺行為ですよね!どう思います??」

ミャンマーの安ホテルで部屋をシェアした日本人バックパッカーが語る。彼は7年間、DTPデザイナーとして働き、1年間かけてユーラシア大陸を旅しようと退職してきていた。僕はこの言葉にただ、笑ってうなずくしかなかった。

大学を卒業して2年と11ヶ月働いた会社では営業の仕事をした。飛び込みや電話を中心に経営トップ層とアポをとり、法人コンサルティングの企画を提案する仕事。可もなく不可もない仕事。自分にとってあっているようでもあり、他に適職があるような気もしていた。

「僕は営業の仕事してたから何なりと売れるよ」といってはいたものの胸をはって「これが天職だ!」とはいえなかった。逆に、それが天職であれば旅などに出なかっただろう、と思っていた。

リストラされた50代の人が職安で「何ができるの」と聞かれ、胸をはって「管理職ができます」という・・・それに似た悲哀が自らにあるような気がしてならなかった。唯一、僕には若さがあるにすぎなかった。

旅にでると文章を書いたり、写真をとったり、「旅=仕事の一部」みたいな人がいた。

それらの人は僕の憧憬の対象だった。文章を書くのも決して苦手ではなかった。さりとて、私がそういう方向を目指そうとは思わなかった。なぜなら、圧倒的な力を持つ人間の前では自分の技術の低さは歴然としていたから。

小林紀晴という写真家がいた。彼も20代後半で会社をやめてアジアに旅にでた。そして旅人達の写真をとり「ASIAN JAPANESE」という本で発表した。

そこに表現されていたこと、「僕と同じ年代に、同じような地域を、同じようなスタイルで旅をして、ここまで表現ができるのか」と驚愕した、それとともに大きな嫉妬も。

少なくとも僕は文章で身をたてるなんておこがましいことはできない、と強く思った。では自分には何ができるのだろう??

インドでもミャンマーでもチベットでもふと一人考え事をすると考えていた。これが天職だ!と思えるもののきっかけがつかめたのは社会復帰した後、5年近く後のことだった。

March 8, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | | Comments (0) | TrackBack (0)