松下村塾をたずねて
まずは、「ふるさと」という名前のチープさ。(宿主、すみません)そして、僕が訪れようとしていた場所に方角的に近かったこと。あとは、電話に出たおかみさんが人がよさそうだったからこの宿に決めました。
今回の直感はばっちりとあたりました。夜は魚を食べて宿のおやじさんと焼酎を飲んで、久しぶりに死ぬほど寝ました。
翌日はチャリンコを借りて市内を観光しました。明治維新が発祥した、といっても過言ではない街です。僕はかねてからこの街にはいつか来たい、と念願していました。
一つには、明治維新の時代が好きだから、ということ。もう一つは、維新の頃の人達に触れると自分にやる気や気力がでるから、です。僕と同じ世代の若者(?)が大活躍をした時代、そんな志士のエネルギーは時代が変遷しても変わらないパワーを放っています。
今回の一番の目標は松下村塾を訪れること、でした。歴史の教科書でも有名な吉田松蔭が開いた私塾で、ここでは近代国家の礎を築いたキラ星のごとき偉人が数多く輩出されてます。
長州を討幕の世論へ統一させた・高杉晋作、薩長同盟の立役者・桂小五郎、初代内閣総理大臣・伊藤博文・・・
その他にも若くして亡くなったため歴史ではそんなに有名ではないですが、吉田稔麿(池田屋事件で新選組に斬られて、後自害)、久坂玄端(禁門の変で負傷、後自害)など、彼らが明治政府にいたら日本の歴史は良い方向に変わっていた、という逸材がゴロゴロとこの塾から巣立っています。
松下村塾を巣立った逸材たち
塾中は非常に狭い、天井の低さはちとこわいほど
歴史を動かすようなリーダーは大概は非業のうちに倒れます。高杉や吉田はもちろん、坂本竜馬もそうでしょうし、大村益次郎などもそうでしょう。その人たちが突き動かした時代を、勤勉で実務に強い人がフォローをして時代は推移してきます。極論ですが、歴史はこの繰り返し、です。
僕は、明治維新については幕府寄りの立場です。長州と薩摩が仕組んだ内乱に世論が突き動かされた、と考えています。
明治以降、軍閥ができたり、政治で派閥ができたりと長州や薩摩は私利私欲に走っていく、という歴史の側面があります。(今でも薩摩や長州出身でないと出世しにくい組織がある、と聞いたことがあります)
松下村塾で育った逸材で歴史を突き動かすような人が明治日本のリーダーだったら・・(現にリーダーも数多くいたが、晩年は青年の志を曲げてしまった人も多い)と思うと僕らの生きる時代が変わっていた、と思わずにはいられません。
今回は、そんな塾を主宰した吉田松陰が育った街に来て自分が何を感じるか、を感じてみたかったのです。いろんなことを感じましたが、正直まだ消化段階なのでうまく書けません。
ただ一つ、勉強をしないヤツにはチャンスの扉は開かれない、ということを思いました。世の中を動かすような大事をする人であれ、そうでない人であれ、チャンスの扉は勉強からだということです。
勉強をして、新しい世界を広げて、チャンスがやってきた時に対応できる準備をしておくことの必要性を感じました。明治の時代以上に僕らは勉強をする必要がある時代を生きてるのですから。
現代の、「ゆとり教育」を松蔭先生がみたらなんて言うんでしょう?僕もきちんと勉強をしないとな、と思いを新たにした旅、でした。
小学生の作文みたいですいません。それが今回の旅の成果(?)です。とまれ刺激を受けて帰ってきました。今週からまたきちんと働きます。
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追記
僕が訪れたのは萩市、という山口県の街です。人口3万人ほどの小さい街ですが、歴史好きにはたまりません。何でも山口からは総理大臣が7人もでているとのこと。松蔭先生の教育の成果、でしょうかね?萩に友人がいたのですが、音信不通になってしまって会えませんでした。残念。
September 12, 2005 in 旅をしてかんがえたこと | Permalink | Comments (0) | TrackBack (0)
有限会社ヴィジョナリー・カンパニー 大塚和彦


