2008.09.08

困ったことは天の神様のいうとおり

物事の判断に困ることがあるとする。


例えば、転職。


今の会社の居心地はとてもいい。けど、将来性がなくて不安、なんて場合。


転職した場合と転職しなかった場合のメリットとデメリットを考えたり、他人に相談したり、関係する書籍を読んだり。


が、考えれば考えるほどよくわからなくなってくる、なんて場合。論理的にはそこそこ考えつくしてしまって、あとはどちらかに行動する、なんて場合。


最近、ブログの読者の方でこのような悩みの方がいらっしゃいました。


みなさんならどうしますか?


僕がこの方にしたアドバイスは「困ったことは天の神様の言うとおりにしたらいいんじゃないの」でした。


僕は特定の宗教は持ってると自覚していません。(感覚的には仏教が一番しっくりきますけど)


けど、人間の叡智をはるかに超えた大きなものの存在を常に信じています。


で、どれだけ人間があれやこれや考えても、その大きなものの存在に太刀打ち(?)できるわけない、と思っています。


さらに言うと、理屈や論理で考えてもわからないことは、大いなるものの存在にゆだねるのが自分にとって最良な結果になると信じています。


昔の人は「天の神様の言うとおり」といいことをいいました。


今の僕らに足りないのはこの精神ではないか、と僕は考えています。


処理する情報だけでも膨大な時代に、あれもこれも自分の判断だけでジャッジをしていくのは時間的にも労力的にも無理があります。


論理を極めるところまで自分の力で考えるのは当然でしょうが、それ以上にあれこれ思いをはせるのは自分の精神を摩耗させるだけです。


論理的にがっちりと考えて、「天の神様の言うとおり」という姿勢をもっていればこれらのメッセージは「直観」やら「インスピレーション」やら「ひらめき」といった形でうけとれると思います。


それらは人間の努力の対局にあるものではなく、常に延長線にあるものです。


努力をしていても、「大いなるものの存在を否定するような努力」はもったいないし、突き詰めていうと無駄じゃないか、と思うのです。

追記
今週は火曜日から出張が続きます。最近は夜のお付き合いがだいぶ減っていましたが、今週は毎日のように会合が入ってます。健康診断も終わりましたし(結果はまだですが)、ジムもそこそこいってるのでちょっと無理しようかな、と。

September 8, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.09.01

無為な一日

事業においては、リスクを最小にすべく努めなければならない。


だが、リスクを避けることにとらわれるならば、


結局は最大にしてかつ最も不合理なリスク、


すなわち無為のリスクを負う。


『ドラッカー名言集 変革の哲学』P.F.ドラッカー


週末に読んだドラッカー博士の本から。

企業活動をしていれば「無為」なんて一日はありえないはずです。


仕事の電話は鳴るし、メールだってやってくる。伝票のチェックをしないといけないし、原稿制作の締切も次々とやってくる。


ただ、丹念に一日を振り返ってみると上にあげたことのほとんどは「今日だとか、今月末だとか、数か月先のための仕事」であることに気がつきます。


今日のための仕事や今月末のための仕事を今日やるのは当然のこと。経営者は、「半年から一年後にどうするか?」を頭に入れておき、今日の時点でできる打ち手を考える必要があると思います。


「半年だとか1年先に実を結ぶような仕事をしていない一日」


僕はこれを「無為な一日」というようにしています。


僕らは直線的にものを考えがちです。今日の延長線に明日がある、と直線的にものを考えがち。「無為な一日」を脱するには、その考え方から脱却することが必要だと思います。


といっても、夢や目標ばかり追っていて現実の仕事をおろそかにしてもいけないですけどね。

September 1, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.08.22

テンションを一定に保つ、ということ

テンションが常に一定の経営者


僕はこういう経営者に憧れます。


めっちゃうれしいことがあっても、「勝って兜の緒を締めろ」とか「やることやってるんだから当然でしょ」的な感じで淡々としてて、ものすごいしんどいことがあっても、「まあ、なんとかなるだろ」って感じで泰然としている・・・。


俗にいう腹の据わった人、というのはテンションのコントロールがうまいのだといえないでしょうかね。

人間の気持ちは、作用反作用の法則が働くと思います。


「テンションが高くなりすぎれば、その反作用としてテンションが低い方向に振れる」ということがごく普通に起きてきます。


一個人としては、「喜怒哀楽」の凝縮した人生を送りたいとは思ってます。


けど、会社の代表者としての自分、という側面では「喜」とか「楽」とかを必要以上に表現したり、感じすぎたりすることは、そのバランスとして「怒」とか「哀」に必要以上に振れる可能性があるので気をつけるようにしています。


自分自身がコントロールできるほど簡単ではない、というのが人間の内面というものでしょうし。


「テンションを必要以上に高くしない」というのは、多くの職業人と接してきた僕の経験からくるものでもあります。


高い成果を残す人のタイプには、比較的テンションが高い人が多いと思います。けど、長く続けて成果を残す人は、必要以上にテンションが高い人でない場合が多いと思います。


「あいつはなんだか淡々としてるな」だとか「何を考えてるかよく分んねえな」っ人ですね。


逆を言うと、テンションが高くて成果を上げるようなタイプの人は、どこかしらでテンションのコントロールをする必要があると思います。人間のエネルギーはそうそう無限じゃないと思いますし、ハイペースで日常を生きていても疲れますからね。


「そもそも、そのテンションの高さがどこから来るのか」を見直すことも必要かと思います。


「周りの人に評価をされたい」ということがテンションの高さの原因だとしたら、それは「偽りのテンションの高さ」でしょう。人生を生きているのは周りの人ではなく自分ですし、別段、テンションを必要以上に高くしなくても仕事で成果など残せます。


といっても、これらは「新人にむやみやたらに元気を求めたがる日本の企業風土」のようなのがある以上、そこで働く一個人の問題だけにするにはなかなか難しいかもしれないですけどね。

August 22, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.08.18

お盆休みが明けました

今年のお盆はひたすらジムにいってました。


オリンピックも、甲子園もほぼ無縁の生活。


たまたま買った『U.W.F.戦史』という一時代を築いた格闘団体「U.W.F.」についての本に魅了されたお休みでした。


今から20年くらい前のプロレスって本当に熱かったのだな•••としみじみ。


チケットを買うために徹夜したあの頃のプロレスのように、ひたすら熱をいれられるものがあるってのは人間幸せですね。

August 18, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.08.12

レジでの声がけについての一考察

通ってるジムの近くのコンビニに頻繁にいく。


チェーンの本部のお膝元のためか、従業員の対応はすんごくいい。


が、かならずレジにで清算をするときに


「○○カードはお持ちでしょうか?」(たぶんお得なポイントカードでしょう)


と聞かれる。

最初は、「いや持っていないですよ」と言っていた。


むしろ、「アルバイトさんなのに一言がけができて素晴らしいな」くらいに思っていた。


が、10回を越えるくらいからムカムカしてきた。


毎回、毎回、同じ口調で同じ事を聞かれることに。


別段、「カードをつくってください」と勧誘される訳ではないのだが、「カードを持ってません」と一言を言う労力(?)を毎回毎回使わされる、ってのがどうなのよって思うようになっていった。


コンビニってこうした面倒な会話がないからいいんじゃないかしらね。


昨日、そのチェーン店の別の店舗にいったら同じ声がけをされた(汗)この店舗は大丈夫だったのにね。


確かに,お得なカードなのかもしれないけど、のべつまくなしに勧誘を想像させる言葉をかけるのってどうなのかしらね?


このチェーン店は商品力があるし、社長がとても好きな方だったので残念。


今、ライバル店と並んでいたらこの店にはいかないな、と。


お盆に近いので、半分ヒマネタでした。


追記
今年のお盆は、たまった本を読みます。あとは、手つかずの仕事の整理と、ジムです。まあ、変わりない日常ですね。


August 12, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.08.04

戦略的、の落とし穴

よく、ビジネスは戦争にたとえられる。


「企業の戦略」なんていうときの「戦略」なんて言葉だとか、「勝つための組織」なんていうときの「勝つために」なんて言葉だとかはその現れだ。


でも、よーく考えてみるとビジネスは戦争にたとえるようなものだろうか、と思う。

もともと、人間の社会に「商売」ってものがスタートした頃は「相手に勝つ」だとか「ライバルに負けない」なんて意識はなかったはず。


お客さんのためにどうするか、って視点がまず先にあったのかな、と。


年月の経過とともに「戦争の概念」が商売の現場に入ってきたのはじっくりと研究してみたいテーマだが、僕なりにいくつかの要因を考えると


●もともと、経営者には「勝ち負け」思考のタイプが多い
 →だから、戦争論のようなものが無理なく頭に入るのでしょうね


●組織をまとめるためには敵をつくるのがてっとり早い
 →「あの会社に負けるな」ってやると組織の目標のようなものが決めやすいですからね


●昔の大きな商売が戦争にからむものだった
 →「戦争で財を成した」という昔話があるように、戦争と商売とはきっても切れない関係だったのか  もしれないですね


僕は、ビジネスを戦争にたとえるような考え方は嫌いです。


更にいうと、「隙をつく」だとか「防諜活動を行う」だとか「多数派工作をする」だとかいった、戦争小説で見聞きするようなことにエネルギーを使うのは嫌いです。


なるべく、「これはお客さんのためになるか?」だとか「関わる人にとってプラスになるか?」って視点でシンプルに考えたいと思います。


昔の人はいいことをいいました。


策士、策におぼれる、と。


先が見えない時代、そろそろビジネスを戦争にたとえるような一時代前のスタイルは全ての職業人が卒業してもいいのではないでしょうかね。


↓人気ブログランキングに復活しました!最高8位です。
人気blogランキングへ

August 4, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.07.17

修行とは矛盾に耐えることだ

「修行とは矛盾に耐えることだ」(『赤めだか』立川談春 扶桑社)


久方ぶりにいい本に出会った。


既存の落語会を飛び出して、独自の流派をつくった立川談志師匠。


高校を中退して立川流に入門した著者。


落語に対する情熱を持つ師匠と、それを引き継がんと厳しい修行に耐える著者と。


落語の世界はよく分からないので自分なりの事実誤認もいろいろとあるかもしれないが、素直に感動した。

そもそも、企業活動は矛盾の連続だ。


「お客さんの満足度を高めながら、きちっと利益を出していく」


「経費を押さえながら、最大限の売上をあげていく」


といった具合に。


その矛盾を突きつめて考えて妥協点(?)を出していく事が仕事の本質だ。


けど、よく見聞きする限りでは仕事の現場はいつからかおかしくなってきた。


矛盾を矛盾として受け入れなくなる局面が増えてきた。


「そんなのはおかしい」だとか「そんなのは理屈に合っていない」だとかが仕事の現場で数多くでてくるようになってきた。


「それをどうにかするのが仕事だろ」って意見が素直に受け入れられなくなってきた。「言い訳はいいからとにかくやれ」っていう上司や先輩がどんどんと減って、いわゆる「優しい」人が大量生産されてきた。


著者は僕より4つ上、だ。


落語会と会社と違いはあるだろうが、まずは「修行とは矛盾に耐える事だ」と言い切る師匠がいたことを素直にうらやましいと思う。


で、僕も「それって矛盾してるじゃないですか!」と下の世代にいわれた時に「仕事とはそもそも矛盾していることのバランスをとることだ」といえる個人でありたいと思った。


かくいう僕は矛盾していることが好きな方ではない。


けど、「それって矛盾してるじゃないですか」という意識を持つ事が仕事をしていく上で田畑の肥やし程度にもならないと最近は痛感している。

July 17, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.07.14

仕事の自信と自己の肥大化と

その昔、「某住宅メーカーでナンバーワン営業マン」氏の講演にいったことがあります。


出てくる話、出てくる話が自慢のオンパレードで3時間の講演の予定を1時間で切り上げて帰ってきました。

確かに、営業マンとして凄い数字を残したのでしょう。


けど、彼が設計や施工、アフターサービスやお役所の手続きをやったとは到底思えません。そこには、彼以外のメンバーの協力が絶対にあったはずです。


彼が営業を行う上でベースとなった知識は誰に教えてもらったのでしょう?パンフレットやダイレクトメールなどの営業ツールは誰がつくったのでしょう?テレビに広告を打ったのは誰の仕事でしょう?


そもそも、彼の会社が持っているブランド、それを形成してきたのは彼の先輩世代が長い時間をかけてつくりあげてきたのではないでしょうか?


少なくとも話を聞いてる限りではそんなことに思いを馳せるって感じがしなかったんですね。それが僕の美意識にビビッドに反応して拒否反応を示したのか、と。


仕事をしていくと成果が残ります。実績が残ります。経験が残るし、その中から確固たる自信のようなものが生まれたりします。


その自信が次なる成果へと結びついていき、プラスのスパイラルを描いていきます。


けど、仕事の自信が得られていくと同時に僕らは「肥大化していく自己」の萌芽を抱えることになります。


その萌芽を放っておくと、「自分の仕事に対しての慢心」や「自分の経験に対しての狂信的な思い込み」だとか、どんどんと自己が肥大化していきます。


最終的には「肥大化した自己」によって自分の経験や体験といった大事なものの存在価値をなくしていきます。


仕事に対して自信を持ちながら「肥大化していきがちな自己」をコントロールする、そのためには


「自分の実力は自分が思っているほどない」


と自分に言い聞かせる事だと思います。


「将来の目標はもっと野球がうまくなること」


どこかでイチロー選手がこんなことを口にしているのを見て「すげえ」と思いました。そこには、自分の実力をシビアに見つめてより高いところを目指す職業人の姿勢なようなものがリアルに表れていると思うのです。


必要以上に謙虚になる必要はありません。


けど、僕らが生きている社会は黙っていても自己は肥大化してく構造を持っています。そんな社会の中では「自分の実力は自分が思っている半分以下」くらいの思いを持つくらいでちょうどいいバランス感なのかな、と思います。


July 14, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.07.04

仕事に対しての価値観を形成する、ってこと

仕事に対する価値観


これはどのように形成されるだろうか?


いろいろと意見はあるだろうが、僕はこう考える。


まずはベースに「自分の人生観」が存在する。自分にとっての正義とは何か、好きなことは何か、何をしたら嫌なのか、どう生きていきたいのか、何を大事にしたいのか、といったようなことだ。


これに、「仕事を通じて得られた経験(失敗経験、成功体験)」がプラスされ、その上で「経験を通じての内省」があってはじめて生まれるものだ、と。

そう考えると、次のような意見になっていく。


●仕事の経験が絶対的に不足している場合、それは「仕事に対しての価値観」ではなく「自分の人生観」で仕事をしているケースが多い、ということ。


当然のことなのだが、社会人経験が浅く、経験が少なければ少ないほどこの傾向は強い。


「自分の人生観」で仕事をやっていく、というのならそれはそれでいい、と僕は思う。


けど、「自分の人生観」だけで仕事をやっていくのはもったいない、とも僕は思っている。


世の中には多様な価値観だとか、多様な人生観だとかが存在するし、それらを取り入れていく事によって自分が見えなかった世界が見えていく可能性があるからだ。


けど、「仕事に対しての価値観」が脆弱なうちに様々な経験が怒濤のように押し寄せてくると、とまどってしまうこともあるだろうとよく見聞きする。


内省しろ、といわれてもどのように消化、内省していったら分からない、という意見なども聞く。


そうならないために一番てっとり早いのは、「自分が尊敬できる人のマネをしながら仕事をすること」だ。


「この部分はマネしよう」といった選択をするのではなく、「うーん、これは自分にとって微妙だな」と思う事も全て残らずマネするのがポイントだ。部分的にマネをする、って作業自体が無意識に「自分の人生観」が投影されている訳だしね。


電話での話し方、ノートの使い方、服装や立ち振る舞い、他人との接し方やプライベートとの両立方法など、可能な限りマネをするのが一番てっとり早い。


その中で、自分がマネする人がどのように内省しているのか、などについても思いを馳せることができるようになるだろう。


そのうちに、「どう考えても自分には合わないな」ってことがでてくるとしたら、それが自分の「仕事に対する価値観の萌芽」のようなものだ。それを大事に育てていけば将来的に「自分なりの仕事の価値観」となっていくはずだ。


人のマネをするのは素直にならないといけない。「この人はこうやってるけど、もっといいやり方はあるんじゃないか」って思いに苛まれるかもしれない。


けど、それって結局のところは「自分の人生観」に戻ってきてるだけの話なのだ。居心地のいい状態を求めているだけなのだ。


かくいう僕は常に、「あの人をマネしよう」という存在がいます。


けど、何年たってもその人のマネばっかしていないように気をつけてもいます。


それは自分の成長が鈍化している、と同義語だとも思います。


追記
尊敬できる人が身近にいればいいですけど、そうじゃない場合も多いと思います。


そんな時は「徹底的に探すこと」につきると思います。


昔の先輩でも、お取引先でも、本で読んだだけの人でもいいんです。


見つけられない、というのであれば自分のどこかに問題があるかもしれないですね。

July 4, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.06.27

求人募集の広告からこのブログへこられた方へ

数ある求人企業の中から当サイトにお越しいただきありがとうございます。


日本に数百万存在する会社の中から、たまたま貴方の人生と私の人生とがシンクロした瞬間です。


まずはその偶然(必然?)に感謝したいと思います。

このブログでは経営者である私の仕事に対する考え方やその背景を思いつくまま書いています。


共感であれ、共鳴であれ、批判であれ、納得であれ


何らかの感情を持っていただければ幸いです。(逆に、何も感じないという方は応募をご遠慮いただいた方が無難だと思います。)


「就転職活動を間違えないためにどうしたらいいのか?」とよく聞かれるのですが、一番は自分自身の考え方や価値観なりが所属する会社の経営者と比較的合っているかどうかが大事だと思います。


どんなに魅力的な会社だって、どんなにやりがいのある仕事だって、会社という存在が経営者の思いが形になったもの、という側面がある以上は根本的な価値観に大きな相違があってはならないと思います。


そのために経営者の側からは、自分の仕事に対する考え方を開示してこと。


応募する側からは、面接や企業研究を通じて自分の価値観と照らし合わせていくこと。


その作業が必要だと思います。


就転職はしんどいことの連続かもしれません。


けど、いろんな会社の価値観(私は美意識と呼ばせていただいています)を感じ取ることができるいい機会だとも思います。


これからの職業人が明確にしなくてはいけないのは「こんな仕事がしたい」ということだけではありません。「こんな考え方で働きたい」を自分なりに打ち立てていかないといろんな情報の渦の中で自分の立ち位置が盤石になっていきません。


転就職活動を通じて、皆さんが自分なりの美意識を明確にできるよう。


その中で、当社とご縁があればそれぞれにとって幸いなことだと思います。


June 27, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.06.20

起業家に経理の知識は必要、か?

「会社を創業したいが、経理の知識はどの程度必要と思うか?」


という質問をいただきました。


これに対する僕の回答は、「簿記や決算書の読み方など、知っているに越したことはないが、創業時はそんな時間があれば売上に結びつくことに時間を使った方がいい」です。

僕は簿記の2級を持っています。けど、ほとんど忘れてます。


けど、会社の経営を行っていく上で、さほど不自由を感じたことはありません。(実際は、不自由さに気がついていないだけかもしれませんが)


そうはいっても会社の数字には無関心ではありません。


むしろ、会社の数字をたびたび頭にいれています。それは決算書、といった税金を支払うための資料などではなく「日々の会社の実態をリアルに表す指標」としての数字です。


管理している項目は以下です。


1)月度の受注粗利額
粗利ベースでいくら稼いでいるかを日々計算しています。その数字を従業員数で割り、一人当たりの労働生産性(一人あたりが稼いでいる粗利益額)をつかみます。


2)月末の現預金の金額
今月末の時点で、流動性がある資金が会社にいくらあるのかを計算します。理想は3ヶ月先くらいまでの予想をたてることなのでしょうが、そこまではまだいってません。


3)支払い請求書の金額
全ての請求書に目を通します。「いきなり増えている」「どんどんと減っている」などの兆候がないかを体で感じます。電話料金、宅急便の料金、事務用品の購入額なども全てです。


4)融資残高及び自宅にある資産の金額
銀行、信用金庫からの融資残高をつかみます。更には、自分がいただいている給料の中から「会社に何かあった時に貯めておく資金」として手つかずのお金の総額をつかんでおきます。ここを貯めておかないと中小企業の内部留保などなかなかできやしません。


5)月々の事務所運営コスト
人件費、事務所家賃、通信費、保険料•••売上がなくても最低限度かかる金額をつかみます。その上で、2)で計算した月末の現預金の金額で割ります。すると、最悪売上が無くなっても会社が何か月食べていけるのかが分かります。この指標をつかんでおきます。


会社の経理に関しては、経営者の性格がとても出やすい部分だと思います。


印鑑から通帳から全て経理担当者にお任せの経営者がいると思えば、何から何まで自分でやらないと気がすまない経営者がいます。


僕は、原則的に印鑑以外の管理はやってもらいますが、上記数字のチェックだけはどんなに会社の規模がでかくなっても自分でつかんでいようと思ってます。


会社がおかれている現状、会社をとりまいている兆候


そんなものをつかむには決算書だとかを見るよりも、こうしたリアルな数字じゃないか、と思っています。


経理の専門知識を持つ勉強をするよりも、会社経営者はこうした部分に対してこだわる姿勢の方が大事だと思うのです。


追記
最近、日経ベンチャーでとりあげられた某優良企業の社長が行っていた数字の管理方法が自分と似ていたのにとても自信をつけられました。


偉そうに書きましたが、まったく僕のオリジナルのノウハウではありませんのであしからず。

June 20, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.06.17

中間決算がありました

中間決算の報告がありました。早いもので第8期になります。


売上で160%。昨年の同期時は売上減少要因があったとはいえ、よい数字が出せたと思います。


もちろん、在庫が増えたり、人件費がアップしたり、事務所の家賃はアップしてますので、売上即利益ではないですけどね。

決算書は「企業が行った事業に関しての通信簿」みたいなものだと思います。


クライアントから支持されればいい数字になるでしょうし、支持されなければ悪い数字になる。


ごくごくシンプルな世界です。


なので、「来期の決算は○○パーセントアップを目指す」という発想は本末転倒の極みだとおもってます。


「現在の自分が、会社がクライアントやマーケットに対してできることは何か?」を日々考えていれば決算書もそれに応じてついてくるものだと思ってます。


だから、銀行さんなどから「来期の売上目標は?」と聞かれるたびに「目標はないんです」と答えています。


昔は「目標がない」、ということに一抹の後ろめたさ(?)がありました。


最近は、「目標がない」、ということは素晴らしいと思うようになっています。


株式を上場したりするのならともかく、売上目標などをたてて社内を鼓舞するようなやりかたはどうも僕の感性にはあいません。


といっても、最低限度この売上を下回ったらまずい、というラインは自分なりに決めていて、そんな局面になったら会社の内外に危機意識をもってもらうようにするかもしれないですけどね。


けどそんな局面であっても立ち返るところは「クライアントやマーケットに向き合っているか否か」の自省になると思いますが••。

June 17, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.06.13

経営者は孤独だ、ってことに対してのプチ考察

中小企業の経営者の精神力を摩耗させることの一つに、「社員さんの退職」という問題があります。


新しい人を採用するためにコストがかかりますし、面接なりスカウトなりをしないといけません。業務の引き継ぎに関して考えないといけませんし、業務分掌を見直す必要もでてきたりします。


今までは「だいたいこんな感じ」って伝えてればよかった業務が、ひとつひとつ説明をしなくてはならなくなったりします。


けど、僕の場合はそんなのは表層的な問題です。


仕事を教えたりするのは経営者の大事な仕事ですし、業務の見直しをすることは、今までの業務を見直すいいチャンスでもあります。新しい方との面接は刺激がありますし、仕事を振る時のもどかしさのようなものも多くの場合は時の経過が勝手に解決してくれます。


精神的にダメージがくるのは「なんだ、自分がこれからやっていくことに協力してくれないんだ」といったような寂しさ、のようなものでしょうかね。


いままで社員さんがやめていく理由にはいろいろとありました、


「海外に住みたい」「ワーキングホリデーに行きたい」といって海外にいってしまった人がいました。「結婚を機に」といった人がいました。「自分で商売をしたい」といってフリーとして独立した人もいますし、「新しい職業に就きたい」といってやめた人もいます。


お取引先に転職していった人もいましたし、ある日いきなり会社にこなくなった人もいました。


それら一つ一つの本当の本当に理由なぞ、会社の代表者としての立場の僕には分かりません。


こちらから「何でだ!?」といって必要以上に問いつめたりする気持ちもさらさらありません。そもそも、行動を起こす理由なぞ様々な要因がかかわっているでしょうからね。


けど、どのパターンであっても「自分の人生は自分で決めていく」ってことに対して肯定的にとらえたい気持ちがある裏腹、一抹の寂しさがあったりするのです。


よく、「経営者は孤独だ」みたいなことをいう人がいます。


僕は、この言葉が「社員さんには経営者の気持ちが分かんねえだろ」って語感があるような気がしてあまり好きではないのですが、こと「人が辞める」って局面になると「やっぱそういうものなのだな」って思ったりします。


「退職するのが前提」といった会社にシフトしてしまえば、寂しさのようなものは感じない(感じにくい?)のかもしれませんが、こんな会社は僕自身の美意識に大きくひっかかります。


将来的にも「社員さん退社の際に寂しさのようなものを感じる」って会社であり、個人でありたいとは思ってます。


追記
今日から関西に出張です。

June 13, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.05.21

先々の不安への対処や現実をみつめるだとか、について

経営者の大事な仕事のひとつは「現実をみつめること」だということは何回か書いた。


日々起こるいろんな問題に対して徹底的に「今起きている現実をみつめること」だけにフォーカスする


文字で書くのは簡単だが、実行するのはなかなか容易ではない。


たとえば、現実をみつめているとひとつの欲望が頭をもたげてくる。


「この現実がこう推移して、こう展開して、こういう流れになって•••って将来起こるできごとを勝手に想像してしまいたくなる」欲望、だ。


一見すると、将来のことをちゃんと考えているような気がする。それが現実を見つめていることなのだ、といわれれば確かにそんなようにも感じてしまう。


けど、僕はこうした欲望が人間の精神や日々の現実をきちんと見つめるエネルギーをそいでいるような気がしてならない。結局のところ、起こるかもわからないできごとに腹を痛めるのなら、「今できる最大限のこと」にたんたんと着手した方がエネルギーの無駄づかいもしなくてすむ。


これから先に起こるだろうできごとを想像したり、予測したりするのは「現実をみつめる」って作業を十分に行ってから、だと思う。


こと、僕の場合は「現実をみつめる」作業をおこなうと、だいたいのできごとは想像したり、予想したりするのがナンセンスな問題へと姿を変えていく。


口にするのは難しいが「現実をみつめる」って作業にはそれ自体にすごい力があるのだな、と最近痛感する局面が多いのを感じている。


追記
僕らが育った社会は多くの場合、学生時代は「進学するために」を考え、進学したら「就職するために」を考えるような構造になっています。


こうした構造が、先々のことを考える人を大量生産していったのかもしれませんね。


かくいう僕も先々のことを考えるのが好きでした。(ってか今でも好きです)


けど、優秀な経営者やアスリートの本を読むとこの考えはよくないのかな、と思うようになってきました。


未来は現在の延長線の中でしか展開していかないのですから、「今できる最大限のこと」に力を費やすのが究極的な不確実な未来への対応策なんだな、と。


松井もイチローも確かこんなようなことを口にしていた、と思います。体が資本のプロ野球選手の抱える将来への不安は僕らの想像を絶していると思います。そんな人の言葉だけに説得力があるな、と。

May 21, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.05.19

空気を読む、って空気について

「空気を読め」みたいなことが巷でよくいわれているらしい。


でも、「空気を読まないと生活できない社会」が今の日本だとしたら、なんて生活しずらい社会じゃないかしら。


なので、僕は「空気が読めない人」で別にいいと思っている。


そもそも、「空気を読んでいる人」が「空気を読める人」とイコールでないケースなんていくらでもあるだろうし、「空気を読めない人」が「単に、空気を読まない人」であるかもしれないし。


その場その場のシチュエーションで「空気を読まない」だとかをいうのはナンセンス。


空気なんてのは、クライアントとの間にトラブルが発生した、友人の近親者が病気になったなどといった「空気を読まないといけないシチュエーション」で読めばいいのだ、と個人的には思う。


常日頃、「空気」に敏感でいすぎたら、自分の精神が摩耗してしまってこうした局面できちんと空気を読めないんじゃないか、と思うのは僕だけかしら。


携帯メールだって、ミクシーだって、「言葉よりも空気」を伝えることが主流になりつつある現在。多くの職場だって「空気を読む事」が必要とされたりする現在。本来なら気が許せる仲間との付き合いにも「空気を読む事」が欠かせないなんて現在。


僕らが「空気」に対して自分を防御する術を持たないと、どんどんとしんどくなっていくような気がしてならない。


追記
僕は、若い人が3年未満で会社をやめるのが一般的になっている、なんていわれていることの原因に「空気」の問題が大きく存在していると思ってます。これはまたいずれ。

May 19, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.05.13

何のために仕事をするのか?

「何のために仕事をするのか?」


というテーマの雑誌記事を読みました。


対象は20代中盤の社会人。「このままの仕事でいいのか?」という悩みが多き層(?)に対してよく目にする企画です。


読んでいて違和感を感じました。


「何のために仕事をするのか?という答えを探す人」を対象に編集者が頭をつかったことが丸見えだったからです。


僕はかつて「自分の力を向上させるためには、仕事をするのが一番だ」という理由から仕事をするものと思っていました。


○仕事をしていれば嫌な人との付き合わざるを得ません。その結果として対人関係力はあがります。


○仕事をしていれば先々のことを考えて、打ち手を打たないといけません。その結果として先を読む力のようなものが身に付きます。


○仕事をしていればお客様や上司が何をいわんとしているかを考えないといけません。その結果として、心の世界に目が向くようになります。


けど、これは誰かしらの受け売りではないか?と思うようになりました。


1993年の春、大学を卒業して入社した会社で受けた新人研修。その時に聞いた話をそのままひきづってるだけじゃないか・・・・と思うようになりました。


果たして、自分の言葉で「何のために仕事をしているのか?」を口にしているのか?と。


そもそも、僕は「○○のため」という言葉が嫌いでした。会社を辞めて旅に出るときに「何のために旅にでるのだ」と言われるのが大嫌いでした。


「何をするにおいても、『○○のため』を目的を求められる日本の社会に違和感を感じた」と言って旅にでました。


そんな僕が「何のために仕事をしているのか?」ということに対して受け売りであれ答えのようなものをもっている事自体、どこかに僕らの社会に操作的なものが存在していることを考えないといけません。


僕は、「○○のため」ってのを追求してばかりいると物事の本質を見誤るような気がしてなりません。


仕事をするのに「何のために?」をことさら考えたりすることが、果たして20代中盤の人にとっていいことなのか、そうでないことなのかを考えるとなんともいえません。


雑誌の特集などででてくる意見などは、しょせん誰かの受け売りであって自分のものではないですからね。


仕事には哲学的な思いを馳せるような側面があるとは思います。


けど、仕事を通じて腹の裂けるような痛みを感じたり、眠れない夜を過ごしたりしないうちから哲学チックになることは、本来すべきことからの現実逃避のような気がしてなりません。


「何のために仕事をするのか?」は雑誌の特集などで簡単に語れるほどのテーマではないはずですし、仮にそうだと思うのであれば仕事に対しての冒涜とさえ思います。


追記
懸案事項が自分の中でカタがついたので、今日からブログを再開しようと思います!

May 13, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2008.03.18

お互いさま、ってこと

新宿の焼き鳥屋で酒を飲んでいた。


ホッピーが一杯280円、おつまみを食べるお箸(?)が焼き鳥の串っていう僕が好きなタイプの焼き鳥屋。


こういうところで漫画本を読んでボーっとするのはかなりの癒やしになる。


隣で、会社の上司と部下らしい2人組が会社の話をしていて思わず聞き耳をたてた。


部下(20代中盤の男性)が上司(40代後半)に「会社のシステム(何のシステムかは不明)がなってない」だとか、「人材を活かしきれていない」だとかを話している。


そのうちに「会社って何を考えてるんでしょうね?」みたいな話に展開している。ここでいう「会社」とは、文脈から考えるとおそらく代表者(たぶん社長)の事を指しているらしい。


あまりの指摘に、「ってか、お前は仕事きちんとしてんのかよ・・・・」って隣で聞いていて突込みをいれたくなった時に、この上司は言い切った。


「まあ、いろいろとあるけど、お互い様じゃないか」


「会社=自分の私物」と思っているような一部の経営者を除いては「自分の会社をまともにしたい」という思いはきっとあるだろう。


けど、人材、お金、時間、労力、能力、経験、ノウハウ(この言葉は嫌いですが・・・・)が不足していて自分や社員さんの理想とする会社とはほど遠いって現実があったりする。


そんな現実と向き合いながら、「理想の会社とはほど遠い」との批判を覚悟するメンタル的な図太さは経営者には必要。


けど、経営者だって人間。


あまり批判ばかりされるとこういう内なる声が聞こえるのも当然。


「ってか批判する前にやることやってるのかよ」って。


結局は上の上司がいっていたように「お互い様」の精神を持つことが、それぞれがWIN-WINでやっていくためには必要なんじゃないかしら・・。


自分の権利を主張する、って風潮が別段悪いこととは思わない。


けど、権利ばかりが飛び交う社会はどことなくしんどい。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


March 18, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.11

仕事を通じて自己成長を図る、は欺瞞か?

「仕事を通じて自己成長を図る」ってよくいいますけど、欺瞞っぽいですよね


とある、テレビのインタビューでそんなコメントを見た。


発言者は20代中盤くらい、会社に勤めて2年くらいで仕事をやめてフリーターをしているらしい。


発言の背景は分からないが、その意見は分からないでもない。


僕は「仕事は自己成長(←この言葉はあまり好きではないですけどね)を図る上で、最良の手段」だと思ってるし、常々そういうことを言っている(ここでも書いてます)。


けど、その意見を誰かに押し付けるつもりはない。


逆に「仕事に意味なんてない」だとか「自己成長なんて欺瞞だ」みたいな人がいると、「同世代のライバルが減るな」とほくそ笑んでしまう、という嫌な性質を持っている。


僕は「仕事を通じて自己成長を図りたい」と思う人はその道を突き進めばいいし、そうだと思わない人は仕事と自己成長などを無理やりくっつけないほうがいい、と思っている。


仕事を通じて自己成長、という人は人間のタイプの一類でしかないのだから。


低賃金で長時間労働、本質的な仕事以外(無用の会議やら、報告のための報告など)で労力を使わせておいて「自己成長だ」なんて会社は世の中にいくらでもある。


もし仮に、そんな会社のメンバーであったら「仕事は自己成長の場」と素直に受取れるだろうか?どんな経営者なのか、どんな上司なのかにもよるけど、長期的にはなかなか難しくないだろうか?


「自己成長」というのは、リーダーが都合の悪いことを隠すときの美名に使われる


必要以上に「自己成長」を説かれるような組織は、それくらいのニヒリズムは持っていてもいいのではないか、と思っている。


自己成長を説く経営者やリーダーの人間性、言葉の背景、哲学や考え方に全身系を集中させ、疑うのは決して悪いことではない。むしろ、組織としてはそんな社員さんが存在することが健全さの現われだと思う。


僕は「仕事を通じて自己成長」とは思っているが、自分の会社のメンバーが「そうですよね、自己成長です」って皆が皆、目をキラキラさせながらいうような組織だけはつくりたくない、と思っている。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


追記
映画「明日への遺言」を見ました。BC級裁判の被告・岡田中将をめぐる物語です。かなり期待していったのですが、失望しました。


リーダーとしての中将の姿を描いていながら、部下(裁判の被告として裁かれている)の描写がほとんどなかったのが原因か、と。


リーダーはリーダーとして存在するのではなく、メンバーとのやりとりやコントラストの中で存在が明らかになるものでは、と思いました。


まあ、いうだけだったら誰にでもいえますけど。


けど、A級裁判ではなく、BC級裁という切り口で戦争裁判を描いたのはよかったと思います。

March 11, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.06

「支払いができない局面」にどう向かうか

創業1年目、100万円近くの売掛金が飛ぶ事故がありました。


創業社長が亡くなり、新しい経営陣が二転三転し、会社の方向性に一貫性がなくなり、無謀ともいえる販売促進をかけた上の倒産でした。(あくまでも私の見方です)


以後、お金をめぐってのトラブルとまったく無縁であった訳ではありません。


内容証明、支払督促、資産調査、銀行口座の差し押さえ、裁判への出廷・・・・


ほとんどのビジネスマンが無縁であろうこれらのこと。これらを当事者として体験する中で僕にいくつかの確信ができました。


「日本では、『支払うお金がない』という権利(?)が思うほか認められている」ということです。


「支払いができない」といってすぐに事業ができなくなることはありません。ましてや、倒産するなんてことはありません。(手形を切ってる場合は別でしょうけど)


裁判所がすぐに差し押さえをすることも、銀行の口座がいきなり凍結されることもありません。


給料が支払えなくなって従業員が離れていったり、取引業者に支払いができなくなって仕入れや外注ができなくなったりする。そんなことさえ覚悟してしまえば、事業は継続していけるのが日本の現状、です。


で、実際にそういう覚悟(?)を選択する経営者もいます。


で、周囲にその迷惑がかかります。


最近、再びお金をめぐってのトラブルが発生しました。毎月、数百件もの方とお取引をしていれば仕方ないもの、なのかもしれません。


誤解を恐れずにいえば、経営をしていれば「支払うお金がない」なんて局面に直面するケースがあることくらいは知っています。


資金繰りがつまづいたり、投資資金の回収が遅れたり、予定していた入金がなかったり・・・・


そんなシビアな局面に直面した時に、「経営者が経営者たりえるか問われている」と僕は思います。


僕だったら「支払いができない」ってことに直面したら、とりあえず支払いできない会社の代表や担当者に誤りにいきます。で、1万円でも2万円でも払える算段を一緒に考えてもらいます。


お金には、「さまざまなエネルギーがついている」と僕は解釈しています。


支払うべきお金をそのままにしておく、ということは激しいマイナスのエネルギーが取り巻いてしまう、と僕は思っています。


けど、「支払えない局面」なりの作法は存在すると思っています。その作法は経営者によりけりでしょうけどね。


「支払えない局面」のきっちりとした対応をしたことにより、大きな信頼を気づくことも可能だとも思います。


僕は創業以来、支払いに関してはきちっとやってきたつもりです。けど、明日はわが身かもしれませんので、経営者の誠意にはできるだけお答えしたいとは思ってます。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


追記
「捨てると何かが舞い込んでくる」という僕の好きな考え方に従うと「支払いがないのだからすっぱりとそのことは諦めて捨てる」って考え方もできると思います。(実際に、すっぱりと諦めたことにより、新しい展開が開けた経験もしています)


けど、「支払えないから支払わない」ということを認めるということは、当社のほとんどのお客様に対して間接的に不義理をしていることになると考えています。


なので、自分ができる打ち手はすべて打つのが僕の美意識です。

March 6, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.04

会社の歴史、知ってますか?

「今働いている会社の社長はなぜ起業したのだか知ってますか?」


採用面接をしている時、たまにそういう質問をすることがあります。


「社名の由来」だとか「社長の経歴」だとかを聞くこともあります。


企業の大小にかかわらず、なかなかこの辺に関しては皆さん知らないんだな、と実経験から感じています。


「こんな商売をしたい」だとか「このような思いを実現したい」だといった経営者の思い


それが、法人という人格をまとって、経営者の思いに共感したり、協力したり、利益を求めたりしてさまざまな人格や協力者が集まったのが会社だと思ってます。


そう考えると、経営者は自分の思いを言葉にする義務が生まれます。


社員さんは、会社や経営者の歴史をちょっとだけ理解する必要性が生まれてきます。


それは、一日の多くの時間を費やす「仕事」を単なる「労働」で終わらせないために必要なことでもあります。


会社の歴史や思いを語らない経営者と、会社の歴史に関心のない従業員がおりなす企業が、エクセレントカンパニー(卓越した会社)になれるとは僕は到底思えません。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ

March 4, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.03

大企業で40歳の社長が就任

旅行業界第2位のH.I.S.社次期社長に、40歳の平林さんという方が就任されるそうです。


経歴を見ると、1993年にH.I.S.社に入社し、2007年に取締役就任ですから大企業ということを考えると超スピード出世です。


僕が社会人になったのも1993年でした。


風の強い春の日に豊島区・目白にあった会社の本社で新人研修をやったことは昨日のように覚えています。


実質的なトップであった会長から、「手段と目的とを混同するな」というような訓示をいただき、ちょっとだけ緊張したのをよく覚えています。


平林社長は大企業で、僕は会社を転々としながら中小企業で、と経歴は違いますが年も同世代ですので勝手にライバル認定(?)させていただきたいと思っております。


企業家は「ゼロを1」にするのが得意、といわれます。けど、「5を10」にしたり「10を20にしたり」と会社のマネジメントに関しては別の能力が必要ともいわれます。


この辺の能力に関しては、大企業でビジネスマンをやってきた方の方が優れている、なんてことはよくあることでもあるでしょう。


企業家肌のリーダーが牽引する会社が、ある時点から成長のスピードが鈍化するのは、マネジメントの壁にぶちあたるから、ともいわれます。


大企業を率いる40歳社長がどのようなタイプの経営者なのかはよく分かりません。


大企業になったH.I.S.社をどのようにしていくのかは楽しみでもあります。企業家気質を備えながら、マネジメントにも精通する、そんな40代だったとしたら凄いですね。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ

March 3, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.02.25

私の経験からいうと、って言葉を考える

テレビを見ていたら、宮崎県の知事が某党首と討論会をしている映像が流れていた。


道路の特定財源がどうの、とかいう話のようだ。


「私の二十数年の国会議員の経験として・・・・」と某党首の語った一言に対しての、宮崎県の知事の切り返しはすばらしかった。


「経験云々いわれても困っちゃうんですけどね・・・・」


そう、国政経験豊かな党首が、地方自治体のトップとしての経験が浅い知事に対してこの言葉をいってしまっては、宮崎県知事としてはどうしようもない。


こんなでは、議論が効果的に発展していくはずがないだろう。経験ある人が経験を口にした時点で、「それをいわれちゃ困ります」ってなっちゃうしね。


この図式は別段、政治の世界だけではない。どこの世界にも経験至上主義の人がいる。


確かに、経験はお金で買えないものだ。センスや直感やひらめき、のようなものは経験が重要なファクターとして存在しているのも分かる。


けど、経験なんてのは「あの人は経験が豊かだ」って形であくまでも第三者に対して使う言葉であって、「自分はこんな経験がある」みたいな自分を指していうものではない、と僕は思う。


すんごい経験をしていても初心者のように振舞える人、そんな人が一流の政治家であり、ビジネスマンであり、スポーツ選手であったりするのだろう、と。


自分も時として「経験」にすがりたくなる時があるので要注意、と。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


February 25, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.02.21

がんばらない、はかっこいいか?

「がんばっていないことがかっこいい」


みたいな風潮がある、なんて聞いた。


そいや旅にでた時に、こういうタイプの人とお目にかかった。


「あくせく働いて、何が残るんですか?」だとか「一生懸命にやったってどうせ無駄ですよ」みたいな話。


こういう人は論理的に反論すればするほど、自分の意見が強化されていくらしい。


「そうやって反論するってことは、自分の中に一生懸命やらない方がいいっていうもう一人の自分がいるからです」だとか「そんなの自分の自由だからいいじゃないですか」だとかを持ち出す。


こういう人はえてして「進歩的」であり「革新的」である、という意識があるらしい。ってことはそこそこ弁も立つし、なかなか論理的に反論するのは難しい。


結局、「あいつに何をいっても」と他人にいわれるようになってしまう。


僕はこう思う。


「がんばってないことがかっこいい」って考え方を持つのは自由。


けど、果たしてそういう人が子供を生んだ時に「がんばっていないのがかっこいいんだよ」って教育をしていくのかしら?


もし仮に、亡くなった自分の祖先に会ったとしたら「がんばっていないのがかっこいいと思うんだ」と胸をはっていえるのかしら?


更には、「がんばっていないのがかっこいい」って国に生まれたとしても同じような振る舞いをしていたのかしら?


これらを考えてみて、それでも自信を持って「がんばっていないのがかっこいい」といるのであれば貫き通せばいい、と思う。


僕はそういう人とは個人的に飯を食ったり、飲みにいったりすることはできるけど、深い付き合いはしないけどね。ましてや仕事などはもっての他、です。


最低限、今の日本の中ではこういう美意識をもっていたとしても隠してるのがマナーだとも思います。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ

February 21, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.02.19

社会人における「空白の期間」の考え方について

インドの片田舎で「日本に帰って就職しよう」と思ったのは、28歳の時でした。


日本に帰って病気(インドで細菌をもらってました)を治し、履歴書を書いてごく普通に就職活動しました。


「皆が働いている時に、俺は一時停車しよう」って考えて長い旅にでたのですが、いざ就職するとなると2年ほどのブランクが妙に気になりました。


当事(今も、かしら?)の風潮として「会社を辞めてから3ヶ月以内に転職しないと条件が悪くなる」みたいな感じがあったからです。


面接を受けるにあたって空白の2年間については、「海外にいって勉強をしていた」だとかの言い訳を考えようと思いました。


けど、すぐに面倒になりました。いずれ、ボロがでることが明らかだからです。


いくつか面接を受けると「履歴書には残らない2年間」に関していろいろと聞かれます。「旅にいっていろんな経験をしました」と話をしても、面接官に伝わってるのだか伝わってないのだか分からないような感覚がありました。


訳のわからない面接官に細かい話も聞かれないで「そりゃ現実逃避だね」とかいわれたこともあります。


僕は面接が終わった後、「カンボジアの青い空も知らねえ奴にいわれたくねえ」と文句をいいました。(もちろん心の中でです。)旅=現実逃避、ってステレオタイプの考え方をする面接官がいる会社なんてこちらからお断りです。


結局、「へええ~空白の2年間に旅してたの!!そういう人の方が仕事がんばるんだよねええ」って面接官がいた会社に就職することになりました。


いろんな顛末から、僕はここ10年くらい採用面接を行う側になりました。実感覚として、5~6年前と比べると「空白の期間」(仕事をしていない時期)がある人が増えたように思います。


正直、1年や2年のブランクがある人を採用するのはリスキーです。なぜかというと、ビジネスは日々の積み重ねによって「ビジネス筋力」が鍛えられる、といった性質があるからです。


筋トレを毎日行っていた人が筋トレをやめると一ヶ月程度で元にもどってしまうのと同様、考える力、発想する力、嫌いな人とコミュニケーションをとる力、考えを文章にまとめる力・・・・・これらは使っていないと退化してしまうからです。


では、ブランクがある人の再就職はどうするか?


まずは、ブランクに関して蓋をしないことです。


「しばらくボーっとしたかった」「何をしていいか分からなかったのでとりあえず辞めた」「資格の試験を受けようと思ったが、途中でやる気がなくなった」「働いているのがバカらしくなった」・・・・・・


など、素の自分をオープンにすることだと僕は思います。


その上で、素の自分の話を少なくともまともに聞いてもらえる会社(面接官)を見つけることだと思います。


僕は自分の人生を肯定的にとらえている人が好きです。


空白の時間に蓋をするような生き様は、たとえ就職するための処世術だと分かっていてもすべきではない、というのが僕の美意識です。


その上で、働くことになったら「人が働いている時期に働いていなかったんだから、人並み以上にがんばらんと」と思ってビジネス筋力を復活させられるようにやっていけば道はガシガシ開ける、って思います。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ

February 19, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.02.18

自分の性格について

明るい、積極的、リーダーシップがある、何事にも前向き、前職で営業成績NO.1、素直・・・・・・・・


採用の面接をするたびにこういう自己PRを聞く。


面接というのは自分を売り込む場。


であるから、こういう言葉で「自分がいかにその会社にとって役立つか」をPRするのは当然なのだが・・・・。


僕は個人的にこういうのが苦手。


なぜかというと、無意識に「企業にとって役立つ自分」を演じてしまうことになるから。世の中、そうそう明るい人や前向きな人ばかりじゃないと思ってますし。


めっちゃ性格が暗くても、消極的でも、リーダーシップがなくても、物事を前向きに考えられなくても、営業成績がNO.1でなくても、所属するメンバーが居場所をみつけられるのが企業の器、と僕は思ってます。


自分はめっちゃ暗い、消極的で今まで人前にたったことがない、リーダーシップがなくて人の後についていくのが得意、物事を悲観的に考える・・・・・


これらが自己PRで自主規制(?)されるような就職前線はどこかにおかしさが漂う気がしてなりません。


今日から求人の面接です。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


追記
明るくなくても、前向きでなくても、消極的でも僕はいいと思います。けど、素直でない、ってのはアウトですね。企業の成長を止めてしまうのは素直でない人、だと思ってるからです。


そんな人を活かせる組織が日本にあるのかどうかは分かりません。

February 18, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.02.14

会社が引っ越しました

先日の3連休を利用して、会社が引っ越しました。


神楽坂の駅から徒歩30秒の好立地。


本当はいままで事務所があった飯田橋にこだわりたかったのですが、坪単価が割高になってしまうので、千代田区から新宿区の会社になることにしました。


五反田の2DKマンションからスタートして、3回目の引越し、4つめの事務所です。


毎回、引越しをするたびに「こんな広いところにきて大丈夫かよ?」という恐怖心にさいなまれます。


けど、数年後には「この事務所では手狭だ」ということで引越しをします。


その意識の違いに気がつくとき、「経験してしまえば案外と簡単なことだった」という真理に気がつきます。


僕は安直な拡大志向は嫌いです。


けど、経営というものの本質のひとつに「クライアントやお取引業さんなど、社業に関係する方に提供できることを増やしていく」ということがある以上、恐怖心を抑えながらでも新しい展開、新しい器の開拓につとめないと、と思います。


最近までバタバタしていましたが、ブログを再開させたいと思います!


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ

February 14, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.01.29

幸運を運んでくる人は幸運顔してやってこない?

「ちょっと話が怪しいので気をつけること」


数年前、ある広告代理店とのお取引が始まる前に僕が担当にこう話したそうです。


「新しく当社と取引したい」という話はいくつもありますけど、いろんなパターンがあります。


出版社やメーカーから紹介いただくパターン、クライアントさんが当社を調べて特命でくるパターン、HPを見て飛び込みでこられるパターン、お取引先の紹介などでこられるパターン。


この代理店さんとのお取引のスタートはこれに属さない特別なもの、でした。現場からの話を聞いた限りでは、多少の疑心暗鬼にならざるを得ませんでした。


ただ、あれから数年、この代理店さんは当社とのお取引も数多くなり、当社にはなくてはならない存在となっています。


「自分に幸運を運んでくる人は最初から幸運顔していない」


僕はこう思っています。


最初から不安のまったく無いお取引であったり、膨大な額のお取引を打診されたり、絶対に大丈夫だというルートから紹介されたり・・・・確かにそれは魅力的です。


けど、僕の経験則では


「最初はこわごわとやってみたけど、時間の経過をともに信頼関係が生まれて・・・」だとか「最初はわずかなお取引からスタートした」って方が、長い目でみていいお取引ができるような気がします。


気をつけなくてはならないのは、「怪しい」って最初の段階え門戸を閉じてしまったり、「あそこはダメだな」ってレッテルをはってしまうこと。


どんな人が自分や会社をひきあげてくれるかは分かりませんからね。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


追記
一昨日の、白鵬と朝青龍の千秋楽結びの一番はいい勝負でした。向かい合っただけで会場を沸かせる、あれこそ、プロの格闘家の技量でしょうね。マニアネタですが、アントニオ猪木VSストロング小林戦のようでした

January 29, 2008 in プチ経営の哲学 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.01.21

まっすぐ、というご指摘(?)に関し

まっすぐだなあ~って思います、ブログ読んでると


先週、お会いした方(僕より一回り下くらいの営業マン)に言われました。


僕は「まっすぐ君は嫌い」「へそまがりになりたい」って思ってるので、こういう印象を持っていただくのは、ちょっと悲しいです。


けど、ブログを読んで多くの方はそういう印象を抱くようです。(で、多くの場合は長く付き合うと、へそまがりの部分にどんどん気がつくようです)


「自分の考え方は疑うことなく間違いない」


って思うような、「純粋まっすぐ君」が僕は苦手です。その昔、ある団体(宗教なのかビジネスなのかよく分からないですけど)から誘われた時にも、その企