東京裁判から60年、のようです
大学で歴史学科に通った僕の卒業論文は「東京裁判」だ。
東京裁判とは米国などの連合国が日本の「指導者」を事後法によって裁いた極東国際軍事裁判、のことだ。軍部と元首相など7人の指導者が絞首刑に処されている。
戦勝国の大量殺人が不問にされ、米ソの対立の政治的道具として利用された側面をもつこの裁判。
予備校時代に麻疹のようなプチ左思想に傾倒(?)した僕にとっては格好の勉強テーマ、だった。
明日、5月3日は東京裁判が開廷して60年だという。今朝の朝日新聞は東京裁判の調査記事がのっていた。
何でも20代の90%が東京裁判の内容ついてよく知らない、という。で、その内容をしらない人ほど首相の靖国神社参拝に対して抵抗感を感じていない、という記事だ。
でも、考えてみれば僕らは東京裁判なんて学校では習わなかったはずだ。その内容なんて知らないで当たり前ではないか・・。それをことほどさように主張する新聞の姿勢はいかがなものかしら??それも靖国の問題とからめて。
東京裁判の内容を知れば、アメリカやイギリスなどの連合国の傍若無人さ、日本の戦争に対しての無計画さに目がいくんじゃないかしら?少なくとも靖国の「問題」は東京裁判が終わってからの問題でしょう。意図的に(?)論点をごちゃまぜにしているような気がしてならない、のだ。
東京裁判は、日本人の無責任体制を生み出した温床、という側面を持っている。
井上ひさしさんが書いていた。「一部の人たちに責任を負わせ。みんなで遁走したのです。」と。
軍部が悪い、政治家が悪い、ということを免罪符にして報道機関や国民の多くは責任を逃れた。真珠湾のすぐ後、マレーシアやシンガポールを陥落させて、イケイケドンドンだったのはどこの誰??という事実を抜きにして、戦犯に罪をかぶせた。
当時、あなたは何をしていたの?という事実を直視しつくさなかったのが日本の戦後、だ。
それは、今の時代にも僕ら国民のDNAとして受けつがれている。政治家が悪い、社長が悪い、社会が悪い・・・じゃあ、あなたは具体的に何をしているの??悪いという前に何かしたの??
当事者意識の欠如、それが日本の戦争の一側面だ。政治家も、国民も、軍部も、「誰かが何とかする」という人がマジョリティだったのが当時の日本だ。
僕は中国の内陸部を旅していた時、「お前の国は戦争でこんなことをした」とののしられたことがある。で、「お前はどう責任をとるのだ」みたいなことをいわれたことがある。
僕の主張は「バカじゃん、お前!??」だ。「あの時代を生きていない俺にどういう責任があるというのだ??」だ。
だが、僕らは歴史という実験台をつかっていろんな事実を学んだ。僕の中で東京裁判を通じての大きな学びは、無責任の構造だ。
であれば、時代の変遷の中で戦前と同じようなことが起きるとする。その時は、僕なりにこれは「無責任の構造では?」という感性を働かせないといけない。それができなかった時に僕に反省責任が生じる、と考えている。
↑(こういうことをいいたかったのだが・・・筆談では無理だった)
今日の新聞記事に、何とはなしに無責任の構造の空気を感じたのは僕だけだろうか?
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追記
すべからく商売人は政治ネタを語るものではない、は僕の美意識の一つです。が、今日はあまりにも調査結果が恣意的なような気がして書いてしまいました。
僕は朝日新聞には何のうらみもつらみもありません(・・?むかし入社試験を受けて落とされた事はあるな)、報道のスタンスだって忌み嫌ってるわけではないです。
けど、戦争のときの話になるとちょっと・・・感情的??
僕らはいつまで反省したらいいのだろう?と思います。
May 2, 2006 in 政治 | Permalink | Comments (2) | TrackBack (0)
有限会社ヴィジョナリー・カンパニー 大塚和彦


